終わる刻、始まりの場所

七海月紀

文字の大きさ
43 / 51

42話

しおりを挟む
 白波を立てて遠ざかっていく船に振っていた手を下ろしてらんは大きく息を吐いた。隣で同じように手を振っていたはるかはクスクスと笑いながら藍の肩をポンッと軽く叩く。
「お疲れ様」
「……杳もな」
 べには、滞在中にともえと藍だけでなく、食事の準備の主担当の杳にも指導を行っていた。健全な体は、食卓から……というのが紅の教えの一つだ。疲労回復のための料理からさまざまな食材の効能まで載った手製の分厚い本を置き土産として置いていった。
 ……アレに毎日付き合ってるのか……
 自分で紹介したとは言え、ナユタに少し申し訳ないような気分になる藍だった。
 とは言え、一番頑張っていたのは巴かもしれない。ワーカーホリックな気のある巴だが、紅のいた一週間は仕事に関することに触れることを一切禁じられていた。紅いわく『巴の体調が安定することが仕事をするための一番の近道』とのこと。
 確かに。
 巴が倒れてしまっては、進むものも進まない。紅のいる一週間だけという条件の元、巴の体調を整えるための時間が取られた。そのおかげで、巴の体調は島に来たばかりの頃よりも、かなりよくなっている。
「おかえり。無事に帰った?」
 屋敷に戻ると、リビングのソファに座っていた巴が藍と杳を迎えた。その顔色は良く、体調の回復がうかがえる。
「元気に帰っていったよ。無理だけはするなって。次に倒れたら強制入院だって」
 その言葉に巴は苦笑をしながら言う。
「肝に銘じとくよ」
「それで、ようくんのことは紅さんなんて?」
 紅のいる間も燁が目を覚ますことはなかった。紅は毎日診察をしたり、体が衰弱しないように滋養に効果のある薬を与えたりと看病を続けていた。巴や藍、杳も毎日燁の部屋に足を運び、彼の手をとり、話しかけ、目覚めを待った。それでも燁は目を覚まさなかった。
「ん。やっぱり、わかってるみたいだって」
 最終日の夜。巴と紅は、燁について話をしていた。
 わかってるのか……
 藍は思わず小さく唸る。
 体はもう十分に癒され、いつ目が覚めてもおかしくない。多少筋肉が落ちているところはあるかもしれないけれど、燁の若さであれば短期間で元のように回復するはずだ。『わかっている』ということは、自らの意志で目を覚ますのを拒否しているということで……
「今夜、ちょっと行ってくるね」
「今夜?」
 巴の言葉に藍はいぶかしげな表情を浮かべる。
「うん。前言ったでしょ?心当たりがあるって」
 そんなことを話していたのは、紅が来たばかりの時だったか……
「夢を渡って、会いに行ってくるね」
「会いにってもしかして……」
「うん。夢を渡って、こうに会いに行ってくるよ」
 目を見開いて驚く杳に巴は微笑む。答えを予想してたのだろうか、藍は少し口をきゅっと結んだあとに口を開いた。
「止めたって聞く気はないんだろ?」
「まぁね。何のためにフォースも使わずに一週間過ごしていたと思ってるんだい?」
 大人しく紅の言うことを聞いていたのはこのためだったのか……と藍は今更ながらにおもってしまう。
「でも、わかるの?」
 同じ夢渡の能力を持つ杳は、少し不安そうな顔をする。
 夢渡をするときに、相手との関係性は重要だ。関係が深ければ深いほど、楽に夢を渡ることができる。
「大丈夫だよ。燁にもちょっと手伝ってもらうから」
 未だ眠ったまま目覚める様子のない燁だが、体は至って健康だという。こちらに意識はないけれど、煌との繋がりは切れていない。その繋がりを使って夢を渡って煌の元へ行く。
 巴が燁の意識に直接アクセスすることはできないけれど、煌ならきっと燁に巴の……火群ほむらの意志を伝えてくれるだろう。

 白い世界。その世界の片隅に膝を抱えてうずくまっている片割れを見つけて、煌は近付く。普段は高い位置で結ばれている赤く長いい髪が、膝を伝って地面にまで垂れている。彼……燁の目の前に立ち、腰に手を当てて見下ろすようにしながら煌は言う。
「いつまでここにいる気?」
 ここは、煌の意識の一番深いところだ。
 その声にピクッと一瞬肩を震わせた燁は、そのままさらに深く膝に顔を埋めてしまう。普段は明るく振る舞っていることの多い燁だが、根は結構暗い方だと煌は思っている。多分どちらかというと、煌のほうが明るい。
 大きく息を吐くと、煌は燁の背後に回り、燁と同じように膝を抱えて座り燁にそっと背中を預ける。ほんのりと燁の温もりが煌へと伝わる。
「今日、巴が夢に来たよ」
 その言葉に燁は体を固くする。
「待ってるって伝えてくれって」
 待ってる……そんなふうに言われても、燁にどうしろというのだろうか。燁はここから出るすべを知らない。
 気付いたらいたこの世界は、夢の中とよく似ているけれど、夢の中ではなかった。昔経験したことがある。燁は何度もこの場所に来たことがある。燁が今いるこの場所は、煌の意識の中だ。
「大変みたいだよ……」
 なぜ大変なのか。煌はそれを言わない。もしかしたら、知らされていないのかもしれない。燁はそれを知っている。
「……戻り方がわからない……し、戻ってもいないんだ……」
 ボソボソと、煌にすらわずかにだけ聞こえるくらいの小さな声で燁は言う。
 戻っても、あおいはいない。燁を置いて、自分の家に帰ってしまった。燁が眠っている間に、何も言わずに伝えずにいなくなってしまった。
 燁は自分の頭にそっと手をやる。
 最後に、眠る燁の頭を優しく撫でてくれた温もりがまだ残っている気がした。けれど、そこには自分の真っ直ぐな髪の少しひんやりとしたスルスルと滑るような感触しかしない。
 癖のない真っ直ぐな燁の髪を、蒼は綺麗だと言っていつも丁寧に梳かしてくれた。その優しい手付きが気持ちよくて、大好きだった。でも、もう二度とその手が燁に触れることはないのかもしれない。
「本当に、いいの?」
 ここ……煌の深層意識にいる限り、燁が顔を合わせて話すことができるのは煌だけだ。燁の体は、きっと巴たちがいい状態を保つように見守ってくれるだろう。いつか燁が、戻ってきてくれると信じて、戻ったときに困らないように……
「ねぇ、離れてからの話を聞かせてよ。どうやって生きて、巴たちと会って、何をして、何を感じてきたのか教えてほしいな」
 ずっとずっと意識の底で眠り続けていた煌は、外の世界を知らない。だから、燁の生きてきた世界を純粋に知りたかった。自分の知らない世界を生きてきた燁を知りたかった。そして、できれば……
 外の世界で燁と会いたい……。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

熟女愛好家ユウスケの青春(熟女漁り)

MisakiNonagase
恋愛
高校まで勉強一筋で大学デビューをしたユウスケは家庭教師の教え子の母親と不倫交際するが、彼にとって彼女とが初の男女交際。そこでユウスケは自分が熟女好きだと自覚する。それからユウスケは戦略と実戦を重ねて、清潔感と聞き上手を武器にたくさんの熟女と付き合うことになるストーリーです。

転移先で日本語を読めるというだけで最強の男に囚われました

桜あずみ
恋愛
異世界に転移して2年。 言葉も話せなかったこの国で、必死に努力して、やっとこの世界に馴染んできた。 しかし、ただ一つ、抜けなかった癖がある。 ──ふとした瞬間に、日本語でメモを取ってしまうこと。 その一行が、彼の目に留まった。 「この文字を書いたのは、あなたですか?」 美しく、完璧で、どこか現実離れした男。 日本語という未知の文字に強い関心を示した彼は、やがて、少しずつ距離を詰めてくる。 最初はただの好奇心だと思っていた。 けれど、気づけば私は彼の手の中にいた。 彼の正体も、本当の目的も知らないまま。すべてを知ったときには、もう逃げられなかった。 毎日19時に更新予定です。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【㊗️受賞!】神のミスで転生したけど、幼児化しちゃった!〜もふもふと一緒に、異世界ライフを楽しもう!〜

一ノ蔵(いちのくら)
ファンタジー
※第18回ファンタジー小説大賞にて、奨励賞を受賞しました!投票して頂いた皆様には、感謝申し上げますm(_ _)m ✩物語は、ゆっくり進みます。冒険より、日常に重きありの異世界ライフです。 【あらすじ】 神のミスにより、異世界転生が決まったミオ。調子に乗って、スキルを欲張り過ぎた結果、幼児化してしまった!   そんなハプニングがありつつも、ミオは、大好きな異世界で送る第二の人生に、希望いっぱい!  事故のお詫びに遣わされた、守護獣神のジョウとともに、ミオは異世界ライフを楽しみます! カクヨム(吉野 ひな)にて、先行投稿しています。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

処理中です...