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【第一章】三谷恭司

【第二話】模擬戦③

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そうしてーー。

2人は玄関に移動すると、扉を開けて外に出た。

扉を開けた瞬間、生暖かい春風が2人を包むように吹き抜ける。

風の強さに思わず周りを見渡すと、この家は丘の頂上にポツンと建っているようで、辺りには特に何も無いことが分かった。

少し歩けば森をなす木々があるのだが、ここはその木々よりも少し高い位置にあるため、風もストレートにやって来るのだ。

ーーーー恭司は久しぶりの生の体験に、思わず声が出なかった。

自然の風を浴びるのはとても久しぶりなのだ。

いや、記憶を失ってから初めてと言った方が正しいかもしれない。

新鮮なものに触れた気がして、心臓の鼓動は少しばかり速くなっている。

すると、

ユウカは恭司のそんな様子を見た途端、サッと恭司の前に飛び出してクルリと体を翻した。

その顔は、眩しいくらいの満面の笑顔だ。


「どう?久しぶりの外は。やっぱり…………懐かしい?」


小首を傾げて可愛らしい仕草で尋ねてくるユウカーー。

こういう時に少しドキリとするなと感じながら、恭司はあくまで無表情で首を横に振った。


「いや、懐かしいっていうよりはほとんど未知の体験に近いな。なんか…………胸がドキドキしてくるみたいな…………」

「外に出たくらいでずいぶん大袈裟だね。ちなみに、体の方は大丈夫?」

「あぁ。今のところは何の問題もない。走ったり跳んだりしても、特に困ったことはなさそうだ」


そう言って、恭司はその場で軽くストレッチをした。

見た目によらず柔軟で、体は不自由なく色んなところに動き回る。


「良かった。じゃあ、さっそくコレ」


ユウカは言い終わると同時に、手に持っていた2つの木刀のうち片方を恭司に投げ渡した。

恭司は受け取る。

どこか使い古した感じのある普通の木刀だ。

恭司はそれを手にしっかりと持つと、その場で少し振ってみた。

ブンッと、木刀が風を切り裂くような音が鳴る。

それは少し強めの風を伴い、ユウカはそれを見て目を丸くした。


「す、すごい…………。木刀でそんな音が鳴るなんて。やっぱり恭司、すごい使い手だったんだね…………。私も、少し本気出さないと負けちゃうかも…………」


ユウカは静かに呟く。

恭司は木刀を使って、自由に動き回ってみた。

横や縦、ナナメと振り方を変えていき、それは段々と様になっていく。

その度に剛風が吹き荒れ、やがてそれは一つの型を生み出した。

恭司はいったん振るのを止めると、木刀を持った自分の手元を見つめる。


「なんか…………これも、ずいぶんと久しぶりな気がする…………」


恭司は身につけた型で、さらに木刀を振り続けた。

体がイキイキとしているのが分かる。

まるでこの時をずっと待っていたように、恭司は喜々として木刀を振り続けた。

そのうち刀を振る動きに合わせて足も使い始める。

1時間もした頃には、そこには立派な戦士が1人出来上がり、この涼しい風にはちょうどいい具合に体も火照っていた。


「ユウカ…………間違いない。多分、俺前にもこれやってたわ」

「だろうね。もうムチャクチャ前から気付いてたよ。楽しそうにずっと一人で木刀振り回して。最後の方、なんか型みたいなん作ってたじゃない」

「あぁ。ああいうのを"体が覚える"っていうんだろうな。頭で考えなくても体が勝手に動いた。自分が思い描いたシチュエーションで、こういう時どうすればいいかを体が勝手に教えてくれた」

「ふーん。やっぱりそういうレベルか。これは、楽しめそうだね」


ユウカはそう言って木刀を構えた。

それを見て、恭司は表情を変える。


「…………おいおい。さすがにまずいだろ。ちょっと体を動かすだけじゃなかったのか?」

「少しくらい良いじゃん。体が覚えてるくらい剣術やってたんだからさ、ちょっとだけこういうのやってもバチは当たらないと思うんだよ」

「いい加減だな…………」


そうは言いつつも、恭司も少しやる気は出ていた。

本音を言えば、試したい気持ちはあったのだ。

体が覚えていたその感覚を、しっかり物にしたいとも思っていた。


「どうせやるんなら真剣にやらないとね。私も久しく動いてなかったからさ、恭司の動き見てたら触発されちゃって…………」


ユウカは構えを崩さない。

戦る意思は変わらないということだ。

恭司はハァーッとため息を吐き出す。

しかしその口元は、少しばかり笑っていた。


「仕方ないな…………」


それを聞いて、ユウカも木刀を構えながら笑顔になった。

静かな闘気が二人の間に流れ、完全に戦う方向で状況が進行している。

恭司も自分自身の言葉とは裏腹に、嬉々として木刀を構えた。

少し外に出るだけの予定だったはずがずいぶんアグレッシブな方向に変化したが、悪くない。

体が勝手に動いて型を作り出した時点で、記憶は無くとも恭司は紛うことなき武芸者の一人だったのだ。

そんな人間が、木刀とはいえ武器を手にしている中、自分と戦いたがっている武芸者を前にして、戦ってみたくないはずはない。

自分で自分の実力も把握できていないとなれば尚更だ。

そして、

ピリッと空気が張り付く中、二人の間に一際強い風が吹く。

その瞬間ーー。

戦いは、突然にして始まった。

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