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小さな部屋
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黒に染まる街を薄く照らしていた月が流れる雲の傘によってその輝きを遮られ、空中から見下ろせば街内にはあちこちで動く兵士と行燈の火がよく見えた。
不穏な夜はまだ続いている。夜を作り出す暗闇は、より冷たく、街に出歩く人々を呑み込んで、地を這い壁を伝い、その恐ろしい姿を密かに拡大してゆくのだった。
ユウハを連れて街を走り抜けた少女は月の隠れた空を見上げ、延びる闇から逃げるように一軒の民家へ入るとようやくその足を止めた。連れられるがままのユウハもそれにならった。
2人の逃げ込んだ場所は数多く並ぶ住宅の中でも小さく、木製の窓と扉を閉じれば完全に外界と隔絶できる一部屋だけの家だった。少女のものなのだろうか。こぢんまりとした室内にはすでに明かりが灯っており、先客の老爺が1人燃える暖炉の前で椅子に座り煙立つ湯飲みを音を立てすすっていた。
扉の前で少女は一息ついて帽子を取ると、それをすました様子で支柱の出っ張りに引っ掛けた。帽子の下に束ねていた綺麗な薄茶の髪をほどく。そして暖炉の老人には目もくれないで、そのまま奥の机を通り越して戸棚に向かいティーカップを2つ取り出すと机の上にある水瓶からカップへ冷えた水を注いだ。すべてが非常に慣れた手つきで行われた動作であった。
「‥‥いつまで入口に立ってるの?こっちに来ればいいのに」
ユウハは少女に言われるがままゆっくりと歩いて机へと向かい、少女と向き合うようにして長椅子に座る。途中で暖炉を横切り湯を飲む老人と目が合うも、そのただ者とは思えない鋭い眼光に怖気づき、思わず視線を逸らしてしまった。
「何か飲みものはいかが?‥‥と言っても水か白湯か、一応紅茶もあるけど、」
「じゃあ水を、」
兵士に追われ街中を走り回ったおかげで、乾いた喉が一刻も早く水分を取りたいと鳴いている。お湯を沸かす時間は待てない、紅茶や菓子などのもてなしを受けるつもりもない。ユウハは迷わず目前の瓶にたっぷりと注がれた水を求めた。
「水ね。‥‥フフ、謙虚なのか、察しが良いのか。白湯って答えたらあそこにいる老人の湯飲みを渡そうと思ってたの、紅茶だったら花瓶の水でも入れたかな。」
先程と異なる少女の幼さを残した笑顔とそのとち狂った発言にユウハは表情を変えて、受け取ったカップに口を付ける寸前でそれを机に置いた。少女が渡した水にも何か盛られている気がした。
「‥‥あ、危ないところをありがとうございました。無実の罪で捕まるところだったので、おかげで逃げ延びることができた。」
動揺を誤魔化すようにユウハは先の件について謝辞を述べる。
「無実じゃない、不法入都の罪で追われてたでしょう。‥‥流浪の魔術師さん、嘘は人を選んでつきなさい。」
「‥‥‥‥何?」
魔術師であることを見抜かれただけでなく、追われる身となった経緯まで知られていたことで、ユウハはさらに動揺するはめになった。
予想通りに慌てふためくユウハの様子を見た少女はからからと笑う。
「アハハ、からかってばかりでゴメンね。大丈夫、全部知ってる。その左手の紋章、あなたはマレギールからの使者でしょ?兵士に見つかるほどおっちょこちょいなところが心配ではあるけど、まぁなんとかここまで来れてよかった。その水もべつに怪しいものじゃないから。」
「‥‥使者?‥‥誰が?」
「あなたに決まってるじゃない。さぁ早く教えて、作戦の言伝とか重要な情報を持ってきたのでしょう?」
「作戦?、情報?」
ユウハは少女の話を何ひとつ理解できなかった。それもそのはず、マレギールはユウハにとっての友人であり、ユウハは少女の期待している作戦なるものを伝達する使者ではない。ただ偶然その場所に居合わせただけ、通りすがりの者なのだ。少女はそれに気づいてない。
「とぼけなくていいよ。‥‥もしかして、さっきからかったことを根に持っているの?ほら、悪いと思ったから誤ったじゃない」
「‥‥‥‥?」
少女はユウハの呆けた顔を見てようやく頭の中でそれを察知したのか、表情が幼げを帯びた笑顔から徐々に険しくなってゆくのだった。
場の空気が張り詰める。嘘か真かを確認するために少女が机を挟んでユウハに顔を近づけてきた。すでに少女の様子は感情の一切を取っ払った無表情と冷たい目に変わっていた。ユウハはそれをよく知っていた。それはかつて住んでいた村で何度も自分に対して向けられた目、不信や拒絶が少女の心内に表れた証拠であった。
「‥‥ほんとに何も知らない?、あなたは使者じゃないの?」と少女は言った。
「‥‥ああ、もしそう思って僕を助けたのなら、それは勘違いですね。」とユウハは言った。
そして、己の間違いに気が付いた少女はユウハに失望してのり出した身体を戻すと、ため息と同時に小さく頭を抱え込んでしまった。
「‥‥申し訳ない。」ユウハは頭を下げた。
「謝らないで、誰か分かっていたとしても私は助けたから‥‥たぶん、」
少女は呟くように謝罪を拒んだ。
「‥‥どうやら掴む手を間違えたようですな。あなたの行動力には感心するものがありますが、如何せん良い結果に結びつかない。」
暖炉の前に座る老爺がこちらに背を向けたまま、わずかに聞こえるような声量で少女の失態に対する嫌味を言った。少女はその言葉が耳に届くとすぐさま老爺を睨みつけた。
「‥‥大人しくしてた方が良かったと言いたいわけ?」
「時には石橋を叩くくらい慎重に立ち回ることも大事だと言っているのです。事実として、あなたの勝手な行動で我々はマレギールと接触する機会を完全に失い、‥‥まぁ今は説教をすることもないでしょう。」と老爺が言った。
「‥‥‥‥、」
少女は何も言い返す言葉がないらしく、とはいえ自分の失敗を認めることも出来なようで、老爺の言葉を無視しすると下唇を噛みふて腐れた様子のまま机に突っ伏してしまった。
「‥‥さて、魔術師の御仁にはいくつか聞きたいことがある。早速、一つ目の質問だ。マレギールという名の魔術師とお前はいったいどんな関係にある?」
老爺は振り返ってユウハに問う。
「‥‥ちょっと待ってください。まず、あなた方は何者なのですか?助けてもらったことを恩に受けはします。しかし、信用することとはまた別の話です。」
半信半疑のユウハは答えを拒んだ。
「‥‥お前の信頼など必要ない、詮索などするな。せっかく助かったのに。それとも、無駄な痛みを負いたいのなら話は別だがな。」
明らかな脅迫だった。老爺の冷徹な目に睨まれたユウハはそれ以上何か言うことを諦め、暴力を振るわれる前に簡単な自己紹介と今までの行動を包み隠さず話すことにした。
* * *
ユウハが事の経緯とマレギールの関係を話し終えても老爺の怪訝な顔が和らぐことはなかった。それはユウハの話を怪しむというより、老爺にとって都合の悪い状況に納得できなかったからであろう。
偉大な魔術師マレギールが友人であるユウハのために残された力を使い、本来助勢を与えるはずであった者達を裏切った。
彼がそんな私情に流されるとはにわかに信じがたいことだ。ユウハという人物はマレギールにとって優先されるような存在なのだろうか?話を聞いた老爺は物言いたげに、目前に座る覇気のない男をじっと見つめた。しわだらけの顔によりいっそう深いしわを寄せ、体の隅々をどこか自分を納得させられる才能を探す。しかし、そんな箇所はどこにもない。
「‥‥我々の手を切って、なぜ故にこの男を。才能どころか、魔術師としても並平均以下の能力ではないのか。」と老爺が呟いた。
老爺の言葉にユウハはムッと顔をしかめる。己の無力を受け入れているとはいえ、面と向かってけなされると流石に腹立たしく思うのであった。
「やめときなさい、老いさらばえてもあなたの勝てる相手じゃないから。‥‥バルクタースもね。今日ここにマレギールが来ないこと、それはユウハが彼の友人である何よりの証拠じゃない。きっとその2人にしか分からない何かがあるのよ」
少女が惨事になる可能性を考えて仲裁に入る。いつの間にか机に伏せていた顔を持ち上げ、先程にグラスへ注いだ水を静かに飲んでいた。ユウハは上げた腰をストンと長椅子に落とした。
「‥‥何か、」
友人、師弟、隣人、同業者、どれも当てはまる気はするのだが、思慮深いマレギールがそんなたかだかの関係にあるだけの自分をどうして守るのだろうか。ユウハとマレギールの間にある『何か』、それはユウハ自身にも分からないものだった。
「バルクタースはああ言ってるけど、私はあなたの話を信じているよ。名前はユウハだっけ、実はあなたの友人が私達との間にある契約を結んでいたの、詳しい内容は言えないけど大切な約束を。」
少女は話を続ける
「‥‥でもね、その人は契約を破って何も言わず姿を消しちゃったの。彼がいなければ私達の目的は達成されることはない。だから予想外の状況に私達は混乱した。街中を探しまわったけど見つからず、もう諦めるしかないように思えた。‥‥でも、私は信じていた。彼が約束を破るような人ではないことを、何か理由があるはずだって。そして、消えた代わりに原因であるあなたが現れた。‥‥何が言いたいかわかる?」
「‥‥さっぱり分かりません。だってあなた方に出会ったのは偶然ですし、」
ユウハは少女の考えを否定するために首を横に振った。少女が言わんとすることは要するに都合良い解釈である。それは分かっていたが、どうしてそんなご都合主義な考えを他人に押し付けるのかユウハには理解できなかった。
「それが偶然じゃあなかったってこと、マレギールは契約を守れない状況に陥った自身の代わりに、代行者を遣わせた。であれば、私達の前にあなたが現れた理由にも納得がいく。」と少女は言った。
「‥‥現れた、って勝手に引張ってきただけじゃないか、」
ユウハは露骨に顔をしかめて嫌がる様子をみせた。少女の魂胆は分かっている。根拠のない理屈を並べて自分を作戦とやらに協力させようとしているのだ。
しかし、少女はそんなことお構いなしにユウハを説得しようと話を続ける。
「ユウハ、あなたはマレギールの友人なんでしょ?彼は卓越した魔術師だからきっと親友のあなたを何度も助けてきたに違いない。そんな恩人の名誉が今この瞬間に穢されようとしているのに、あなたは知らぬふりをするの?」
「‥‥‥‥」
ユウハの心内で何かが疼いた。
その様子を見て、少女は話を続けた。
「それとも、今までの恩に報いるような奉公を為し得たことが一度でもあるのかしら。だったらこれ以上は何も言わないけど、私達に協力しないのなら今すぐここから追い出すわ」
耳が痛いどころではない、少女の言葉は形容しえない不思議な痛みへと変わってユウハの心を襲った。たしかにユウハは恩義を受けてばかりで、何かに貢献したことや誰かを助けたことなど一度もない。自分の境遇を飾りにして人に助けを求めてばかりだった。
『情けない』、その言葉がユウハの脳内に溢れた。その言葉をこれ以降の人生に刻みたくないと体が震えた。なぜなら、ユウハは今でもあの偉大な魔術師の立派に人々を助ける姿に憧れているのだから。
「‥‥わかりましたよ、あなたに協力します。友の名誉と我が身の安否を掌握された以上、断るという選択肢はないに等しい。」
自分の力が誰かのためになるならば、まぁよいだろう。
ユウハは、そう自分に言い聞かせて頼みを承諾した。
「ありがとう、これで契約成立ね。‥‥それじゃあ、今を以て私達とあなたは対等な契約関係になった。私の名前はベルって言うの、よろしく。見た目偉そうにしているけど、あなたより年下だからこれからは敬語なんて使わなくてもいいよ。」
「ホントか、堅苦しく無くて助かるよ。‥‥でも、敬語やめた途端にご老人の方から殺気を向けられ始めたけど、それは気にしなくても大丈夫なのか?」
「うん、気にしないで話を進めましょう。」
少女は老爺に目もくれず早速に話しを進める。老爺も再び暖炉の方を向いて何も言わなくなった。
「目的地は北西の『デュルプパキン』という町。そこに向かうためには、まずこの王都から無事に抜け出す必要があるの。マレギールには王都を脱出するまでの護衛と補助を頼んでいた。」
「‥‥護衛と補助、」
「だから、ユウハにも同じことをお願いするわ。マレギールは朝飯前のことだと言ってたから、あなたの全力があれば足りるでしょう。町に到着したら後は自由にしてもらっていいから。」
はっきりと応えずユウハは言葉を濁にごした。マレギールの代わりと期待されているが、正直なところ荷が重い。同じ魔術師でもマレギールとユウハではその実力に天と地ほどの差があるのだ。少女はそのことをまだ知らない。
「そうだといいんだがな、‥‥一つ聞いていいか、」
「‥‥いいけど、何?」
「どうして、僕がマレギールに助けられてばかりの能無しだって分かったんだ?僕はそんな話を一言も口にしなかったぞ。」
聞かなくてもいいことだが、ユウハは初対面の相手から心内を見抜かれたことに驚いていた。少女の観察眼が非常にすぐれたものなのか、それともそんなに自分から弱者の雰囲気が漂っているのだろうか、ユウハは確認せずにいられなかった。
「‥‥マレギールは万能の能力者、彼の前なら誰だって能無しと同じでしょ。‥‥つまり、私も例外じゃないってこと」
「‥‥なるほどね。」
数秒考えた後、すこし俯いた様子の少女が返した答えはなぜか妙に納得いくものであり、ユウハもそれ以上は何も言わなかった。
不穏な夜はまだ続いている。夜を作り出す暗闇は、より冷たく、街に出歩く人々を呑み込んで、地を這い壁を伝い、その恐ろしい姿を密かに拡大してゆくのだった。
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2人の逃げ込んだ場所は数多く並ぶ住宅の中でも小さく、木製の窓と扉を閉じれば完全に外界と隔絶できる一部屋だけの家だった。少女のものなのだろうか。こぢんまりとした室内にはすでに明かりが灯っており、先客の老爺が1人燃える暖炉の前で椅子に座り煙立つ湯飲みを音を立てすすっていた。
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「‥‥いつまで入口に立ってるの?こっちに来ればいいのに」
ユウハは少女に言われるがままゆっくりと歩いて机へと向かい、少女と向き合うようにして長椅子に座る。途中で暖炉を横切り湯を飲む老人と目が合うも、そのただ者とは思えない鋭い眼光に怖気づき、思わず視線を逸らしてしまった。
「何か飲みものはいかが?‥‥と言っても水か白湯か、一応紅茶もあるけど、」
「じゃあ水を、」
兵士に追われ街中を走り回ったおかげで、乾いた喉が一刻も早く水分を取りたいと鳴いている。お湯を沸かす時間は待てない、紅茶や菓子などのもてなしを受けるつもりもない。ユウハは迷わず目前の瓶にたっぷりと注がれた水を求めた。
「水ね。‥‥フフ、謙虚なのか、察しが良いのか。白湯って答えたらあそこにいる老人の湯飲みを渡そうと思ってたの、紅茶だったら花瓶の水でも入れたかな。」
先程と異なる少女の幼さを残した笑顔とそのとち狂った発言にユウハは表情を変えて、受け取ったカップに口を付ける寸前でそれを机に置いた。少女が渡した水にも何か盛られている気がした。
「‥‥あ、危ないところをありがとうございました。無実の罪で捕まるところだったので、おかげで逃げ延びることができた。」
動揺を誤魔化すようにユウハは先の件について謝辞を述べる。
「無実じゃない、不法入都の罪で追われてたでしょう。‥‥流浪の魔術師さん、嘘は人を選んでつきなさい。」
「‥‥‥‥何?」
魔術師であることを見抜かれただけでなく、追われる身となった経緯まで知られていたことで、ユウハはさらに動揺するはめになった。
予想通りに慌てふためくユウハの様子を見た少女はからからと笑う。
「アハハ、からかってばかりでゴメンね。大丈夫、全部知ってる。その左手の紋章、あなたはマレギールからの使者でしょ?兵士に見つかるほどおっちょこちょいなところが心配ではあるけど、まぁなんとかここまで来れてよかった。その水もべつに怪しいものじゃないから。」
「‥‥使者?‥‥誰が?」
「あなたに決まってるじゃない。さぁ早く教えて、作戦の言伝とか重要な情報を持ってきたのでしょう?」
「作戦?、情報?」
ユウハは少女の話を何ひとつ理解できなかった。それもそのはず、マレギールはユウハにとっての友人であり、ユウハは少女の期待している作戦なるものを伝達する使者ではない。ただ偶然その場所に居合わせただけ、通りすがりの者なのだ。少女はそれに気づいてない。
「とぼけなくていいよ。‥‥もしかして、さっきからかったことを根に持っているの?ほら、悪いと思ったから誤ったじゃない」
「‥‥‥‥?」
少女はユウハの呆けた顔を見てようやく頭の中でそれを察知したのか、表情が幼げを帯びた笑顔から徐々に険しくなってゆくのだった。
場の空気が張り詰める。嘘か真かを確認するために少女が机を挟んでユウハに顔を近づけてきた。すでに少女の様子は感情の一切を取っ払った無表情と冷たい目に変わっていた。ユウハはそれをよく知っていた。それはかつて住んでいた村で何度も自分に対して向けられた目、不信や拒絶が少女の心内に表れた証拠であった。
「‥‥ほんとに何も知らない?、あなたは使者じゃないの?」と少女は言った。
「‥‥ああ、もしそう思って僕を助けたのなら、それは勘違いですね。」とユウハは言った。
そして、己の間違いに気が付いた少女はユウハに失望してのり出した身体を戻すと、ため息と同時に小さく頭を抱え込んでしまった。
「‥‥申し訳ない。」ユウハは頭を下げた。
「謝らないで、誰か分かっていたとしても私は助けたから‥‥たぶん、」
少女は呟くように謝罪を拒んだ。
「‥‥どうやら掴む手を間違えたようですな。あなたの行動力には感心するものがありますが、如何せん良い結果に結びつかない。」
暖炉の前に座る老爺がこちらに背を向けたまま、わずかに聞こえるような声量で少女の失態に対する嫌味を言った。少女はその言葉が耳に届くとすぐさま老爺を睨みつけた。
「‥‥大人しくしてた方が良かったと言いたいわけ?」
「時には石橋を叩くくらい慎重に立ち回ることも大事だと言っているのです。事実として、あなたの勝手な行動で我々はマレギールと接触する機会を完全に失い、‥‥まぁ今は説教をすることもないでしょう。」と老爺が言った。
「‥‥‥‥、」
少女は何も言い返す言葉がないらしく、とはいえ自分の失敗を認めることも出来なようで、老爺の言葉を無視しすると下唇を噛みふて腐れた様子のまま机に突っ伏してしまった。
「‥‥さて、魔術師の御仁にはいくつか聞きたいことがある。早速、一つ目の質問だ。マレギールという名の魔術師とお前はいったいどんな関係にある?」
老爺は振り返ってユウハに問う。
「‥‥ちょっと待ってください。まず、あなた方は何者なのですか?助けてもらったことを恩に受けはします。しかし、信用することとはまた別の話です。」
半信半疑のユウハは答えを拒んだ。
「‥‥お前の信頼など必要ない、詮索などするな。せっかく助かったのに。それとも、無駄な痛みを負いたいのなら話は別だがな。」
明らかな脅迫だった。老爺の冷徹な目に睨まれたユウハはそれ以上何か言うことを諦め、暴力を振るわれる前に簡単な自己紹介と今までの行動を包み隠さず話すことにした。
* * *
ユウハが事の経緯とマレギールの関係を話し終えても老爺の怪訝な顔が和らぐことはなかった。それはユウハの話を怪しむというより、老爺にとって都合の悪い状況に納得できなかったからであろう。
偉大な魔術師マレギールが友人であるユウハのために残された力を使い、本来助勢を与えるはずであった者達を裏切った。
彼がそんな私情に流されるとはにわかに信じがたいことだ。ユウハという人物はマレギールにとって優先されるような存在なのだろうか?話を聞いた老爺は物言いたげに、目前に座る覇気のない男をじっと見つめた。しわだらけの顔によりいっそう深いしわを寄せ、体の隅々をどこか自分を納得させられる才能を探す。しかし、そんな箇所はどこにもない。
「‥‥我々の手を切って、なぜ故にこの男を。才能どころか、魔術師としても並平均以下の能力ではないのか。」と老爺が呟いた。
老爺の言葉にユウハはムッと顔をしかめる。己の無力を受け入れているとはいえ、面と向かってけなされると流石に腹立たしく思うのであった。
「やめときなさい、老いさらばえてもあなたの勝てる相手じゃないから。‥‥バルクタースもね。今日ここにマレギールが来ないこと、それはユウハが彼の友人である何よりの証拠じゃない。きっとその2人にしか分からない何かがあるのよ」
少女が惨事になる可能性を考えて仲裁に入る。いつの間にか机に伏せていた顔を持ち上げ、先程にグラスへ注いだ水を静かに飲んでいた。ユウハは上げた腰をストンと長椅子に落とした。
「‥‥何か、」
友人、師弟、隣人、同業者、どれも当てはまる気はするのだが、思慮深いマレギールがそんなたかだかの関係にあるだけの自分をどうして守るのだろうか。ユウハとマレギールの間にある『何か』、それはユウハ自身にも分からないものだった。
「バルクタースはああ言ってるけど、私はあなたの話を信じているよ。名前はユウハだっけ、実はあなたの友人が私達との間にある契約を結んでいたの、詳しい内容は言えないけど大切な約束を。」
少女は話を続ける
「‥‥でもね、その人は契約を破って何も言わず姿を消しちゃったの。彼がいなければ私達の目的は達成されることはない。だから予想外の状況に私達は混乱した。街中を探しまわったけど見つからず、もう諦めるしかないように思えた。‥‥でも、私は信じていた。彼が約束を破るような人ではないことを、何か理由があるはずだって。そして、消えた代わりに原因であるあなたが現れた。‥‥何が言いたいかわかる?」
「‥‥さっぱり分かりません。だってあなた方に出会ったのは偶然ですし、」
ユウハは少女の考えを否定するために首を横に振った。少女が言わんとすることは要するに都合良い解釈である。それは分かっていたが、どうしてそんなご都合主義な考えを他人に押し付けるのかユウハには理解できなかった。
「それが偶然じゃあなかったってこと、マレギールは契約を守れない状況に陥った自身の代わりに、代行者を遣わせた。であれば、私達の前にあなたが現れた理由にも納得がいく。」と少女は言った。
「‥‥現れた、って勝手に引張ってきただけじゃないか、」
ユウハは露骨に顔をしかめて嫌がる様子をみせた。少女の魂胆は分かっている。根拠のない理屈を並べて自分を作戦とやらに協力させようとしているのだ。
しかし、少女はそんなことお構いなしにユウハを説得しようと話を続ける。
「ユウハ、あなたはマレギールの友人なんでしょ?彼は卓越した魔術師だからきっと親友のあなたを何度も助けてきたに違いない。そんな恩人の名誉が今この瞬間に穢されようとしているのに、あなたは知らぬふりをするの?」
「‥‥‥‥」
ユウハの心内で何かが疼いた。
その様子を見て、少女は話を続けた。
「それとも、今までの恩に報いるような奉公を為し得たことが一度でもあるのかしら。だったらこれ以上は何も言わないけど、私達に協力しないのなら今すぐここから追い出すわ」
耳が痛いどころではない、少女の言葉は形容しえない不思議な痛みへと変わってユウハの心を襲った。たしかにユウハは恩義を受けてばかりで、何かに貢献したことや誰かを助けたことなど一度もない。自分の境遇を飾りにして人に助けを求めてばかりだった。
『情けない』、その言葉がユウハの脳内に溢れた。その言葉をこれ以降の人生に刻みたくないと体が震えた。なぜなら、ユウハは今でもあの偉大な魔術師の立派に人々を助ける姿に憧れているのだから。
「‥‥わかりましたよ、あなたに協力します。友の名誉と我が身の安否を掌握された以上、断るという選択肢はないに等しい。」
自分の力が誰かのためになるならば、まぁよいだろう。
ユウハは、そう自分に言い聞かせて頼みを承諾した。
「ありがとう、これで契約成立ね。‥‥それじゃあ、今を以て私達とあなたは対等な契約関係になった。私の名前はベルって言うの、よろしく。見た目偉そうにしているけど、あなたより年下だからこれからは敬語なんて使わなくてもいいよ。」
「ホントか、堅苦しく無くて助かるよ。‥‥でも、敬語やめた途端にご老人の方から殺気を向けられ始めたけど、それは気にしなくても大丈夫なのか?」
「うん、気にしないで話を進めましょう。」
少女は老爺に目もくれず早速に話しを進める。老爺も再び暖炉の方を向いて何も言わなくなった。
「目的地は北西の『デュルプパキン』という町。そこに向かうためには、まずこの王都から無事に抜け出す必要があるの。マレギールには王都を脱出するまでの護衛と補助を頼んでいた。」
「‥‥護衛と補助、」
「だから、ユウハにも同じことをお願いするわ。マレギールは朝飯前のことだと言ってたから、あなたの全力があれば足りるでしょう。町に到着したら後は自由にしてもらっていいから。」
はっきりと応えずユウハは言葉を濁にごした。マレギールの代わりと期待されているが、正直なところ荷が重い。同じ魔術師でもマレギールとユウハではその実力に天と地ほどの差があるのだ。少女はそのことをまだ知らない。
「そうだといいんだがな、‥‥一つ聞いていいか、」
「‥‥いいけど、何?」
「どうして、僕がマレギールに助けられてばかりの能無しだって分かったんだ?僕はそんな話を一言も口にしなかったぞ。」
聞かなくてもいいことだが、ユウハは初対面の相手から心内を見抜かれたことに驚いていた。少女の観察眼が非常にすぐれたものなのか、それともそんなに自分から弱者の雰囲気が漂っているのだろうか、ユウハは確認せずにいられなかった。
「‥‥マレギールは万能の能力者、彼の前なら誰だって能無しと同じでしょ。‥‥つまり、私も例外じゃないってこと」
「‥‥なるほどね。」
数秒考えた後、すこし俯いた様子の少女が返した答えはなぜか妙に納得いくものであり、ユウハもそれ以上は何も言わなかった。
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【もうダメだ!】貧乏大学生、絶望から一気に成り上がる〜もし、無属性でFランクの俺が異文明の魔道兵器を担いでダンジョンに潜ったら〜
KEINO
ファンタジー
貧乏大学生の探索者はダンジョンに潜り、全てを覆す。
~あらすじ~
世界に突如出現した異次元空間「ダンジョン」。
そこから産出される魔石は人類に無限のエネルギーをもたらし、アーティファクトは魔法の力を授けた。
しかし、その恩恵は平等ではなかった。
富と力はダンジョン利権を牛耳る企業と、「属性適性」という特別な才能を持つ「選ばれし者」たちに独占され、世界は新たな格差社会へと変貌していた。
そんな歪んだ現代日本で、及川翔は「無属性」という最底辺の烙印を押された青年だった。
彼には魔法の才能も、富も、未来への希望もない。
あるのは、両親を失った二年前のダンジョン氾濫で、原因不明の昏睡状態に陥った最愛の妹、美咲を救うという、ただ一つの願いだけだった。
妹を治すため、彼は最先端の「魔力生体学」を学ぶが、学費と治療費という冷酷な現実が彼の行く手を阻む。
希望と絶望の狭間で、翔に残された道はただ一つ――危険なダンジョンに潜り、泥臭く魔石を稼ぐこと。
英雄とも呼べるようなSランク探索者が脚光を浴びる華やかな世界とは裏腹に、翔は今日も一人、薄暗いダンジョンの奥へと足を踏み入れる。
これは、神に選ばれなかった「持たざる者」が、絶望的な現実にもがきながら、たった一つの希望を掴むために抗い、やがて世界の真実と向き合う、戦いの物語。
彼の「無属性」の力が、世界を揺るがす光となることを、彼はまだ知らない。
テンプレのダンジョン物を書いてみたくなり、手を出しました。
SF味が増してくるのは結構先の予定です。
スローペースですが、しっかりと世界観を楽しんでもらえる作品になってると思います。
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