たとえばこんな、御伽噺。(2)

弥湖 夕來

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ラプンツェルと村の魔女

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「で? 生物学の本は? 」
「新しいのは右よりの三列目、古いのは奥の部屋の窓から五番目の棚辺りです。
 叔父上」
「シルベスター様、畜産経営の本はどこですか? 」
「ドアの脇の右から四段目」
 目的のものが記述されていそうな本を、サイラスとリディアが口にするとシルベスターはおおよその場所を示す。
 ここは、個人の蔵書としては異例なほどに本が積み上げられたアネットの自宅とはまた様子を事にし、さまざまなジャンルの本が収集されている。
 その膨大な書物の中から、指摘された本が何処に収納されているかシルベスターは難なく口にした。
 そうして中央のテーブルに積み上げられた本をアネットは手に取るとページをめくり始めた。
「シルベスター様、これだけの量の本が何処にあるのかわかっているなら、内容も覚えているんじゃないの? 」
 ふとよぎった疑問を同じように隣でページをめくるシルベスターに訊いてみる。
「残念だけどね。
 まだここの本を全部読んだわけじゃないよ。
 それに正直苦手な分野もあるんだ」
 シルベスターは苦笑いをこぼした。
 書物はこの二間続きの部屋いっぱいだけではなく、表のパーラーにも多量に収められている。
 さすがに「毎日それらを広げたとして一生掛かっても読破できるかどうか」などという莫迦な疑問さえ湧かない量だ。
 どのジャンルの本がどの辺りに入っているか記憶しているだけでも凄い。
 
「どう? 」
 文字を目で追うのに飽き、そんなことを考え始めたアネットの手元を覗き込みながらリディアが訊いてくる。
「うん、…… 
 狼が、牧場に近寄らない方法くらいなら書いてあるんだけど、ね…… 」
 視線を上げながら答える。
 家畜に害をなす狼を追い払うならともかく、それを群れごと引き寄せようなどと考えた人間は今までいなかったと見え、目的のものは見出せない。
「暗くなってきたし、今夜はこの辺りにしようか」
 誰ともなく言った言葉に皆が頷いた。
 
 書庫に居合わせた皆で晩餐を終えて、部屋に戻るとアネットはベッドに突っ伏す。
 丸一日書物に書かれた小さな文字を追っていたためか目の奥がジンジン痛んだ。
 書物の量が量だけに自分とリディア、それにサイラスとシルベスターの四人ではまだ何日掛かるかわからない。
「もっと、効率的な方法ないか、な…… 」
 重くなってきた瞼を瞬かせて考える。
「こんな時、おばば様ならなんて言うだろう? 」
 ポツリと呟く。
 村では異常気象などの異変が起きたとき、その対処を長老の知恵に頼った。
 通常の人間の倍は生きてきた老婆が蓄積した知識の量はすさまじく、しかも経験に基づいているから間違えがない。
 時にこちらの思いも寄らない言葉が返ってくるが、言うとおりにして失敗したためしがないのだ。
「そっか…… おばば様」
 アネットは起き上がると枕を抱えて呟く。
「そうよね、おばば様なら何かいい知恵を持っているかも知れない…… 」
 会いに戻ろう。
 暗い書庫で書物を開くのはシルベスター達に任せて。
 
 アネットはそう決心すると急いでドレスを着替えベッドにもぐりこむ。
 明日の朝早くに立って馬車を急がせれば夕方前には着ける筈だ。
 夜の早い老婆だけど、夕方か翌日の早朝に話ができればあさっての夕方までには戻ってこられる。
 
 おおよその時間取りに思いをめぐらせながらアネットは眠りに引き込まれていった。
 
 
 どこか遠くで鶏の時を告げる声がかすかに響く。
 それを耳にアネットは厩から引き出してきた馬を手早く荷馬車につなぎ始めた。
「お嬢様、そりゃわしがしますから…… 」
 慌てて後を追ってきた厩番が手を貸してくれる。
「大丈夫よ、慣れているから」
「小柄ですがいい馬ですな、きっと可愛がられているんでしょう」
 荷馬車につながれてゆくのをおとなしくしたがっている馬を目に馬丁が言った。
「そう? ありがとう」
 馬の鼻面を軽く撫でながらアネットは笑みをこぼした。
 仔馬の頃からずっと家で飼育しているこの馬は下男の男が自分の息子のように可愛がっている。
「じゃ、悪いけど。
 リタに『家に帰った』って伝えておいてね」
 用意のできた馬車に乗り込むとアネットは男に言った。
「冗談じゃありませんよ、お嬢様! 」
 どこか怒りを含んだ声を背後から浴びせられアネットは少しだけ身を竦ませる。
「リタ? 」
 おそるおそる振り向いてその顔を目に名前を呼んだ。
「どうしてまた勝手に出かけようとなさるんですか? 
 わたしが聞かされていないということはライオネル殿下もご存知なさそうですね」
 わずかに目を吊り上げて咎めるように言う。
「えっと、あの。その、ね。
 皆それぞれに忙しいし…… 
 すぐに帰ってくるつもりだったのよ? 」
 あまりのバツの悪さに視線を泳がせながらアネットはたどたどしく口にする。
 その言葉に、メイドはあからさまに大きなため息をついて見せる。
 と、その険しい顔が諦めたように緩んだ。
「少しだけ、待っていてくださいますか? 
 と、言うか待っていてくださいね。
 もし勝手に先にいったりなんかなさったら殿下に言いつけますよ」
 何かを思いついたように言うと、メイドは大急ぎで走り去ってゆく。
 それを目にアネットは御者台に上った。
「待っていてやりなされ」
 手綱を引こうとすると、傍に立っていた馬丁の男が言う。
「あの按配じゃ、多分殿下に言いつけるつもりはなさそうでさ」
 
 馬丁に言われるままにしばらくすると、言葉通りすぐにメイドが戻ってくる。
 いつも表に出る時の黒いドレスを脱ぎ、雑用用の地味な柄物のドレスを着て手にはバスケットを提げている。
「失礼しますね」
 声を掛けるとなれた様子で馬車の荷台に上る。
「リタ? 」
「お嬢様がなんとおっしゃっても、ご一緒しますよ。
 それともこのまま殿下に報告されて引き止められたいですか? 」
 驚いて目を見開くと有無を言わせぬ口調で言われた。
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