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ラプンツェルと村の魔女

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「それで、何処にいらっしゃるんですか? 」
 メイドは荷台から身を乗り出すと訊いてくる。
「家に戻って、村のおばば様の知恵を借りようかと思って」
 手綱を手にしたままわずかに振り返ってアネットは答える。
「おばば様? 」
「村で一番長生きのおばあちゃん。
 知らないことはない程なんでも知ってるから」
「だからと言って無謀なことをするのは程ほどにしてくださいね。
 本来なら単独で行動できるご身分じゃないんですから」
「大丈夫よ。
 家に帰るだけなんだし、それにほら。
 この馬車にこの服装なら、村娘にしか見えないでしょ? 」
「それはそうですけど、ここは村ではないんですから…… 」
 メイドが眉根を寄せた。
「ごめんなさい。
 それはわかっているんだけど…… 」
 昨日も国王が自分のために軍の手配を始めていたと聞いて反省したばかりだ。
 だけど、なにをするにも人の手を借りて人についてきてもらうなんて生活アネットには考えられない。
 そうしなければいけないといわれるだけでも窮屈だ。
 手を借りたい誰かの時間が空くのを待つくらいだったら自分でできることは自分で済ませてしまうほうが手っ取り早いし、今までだってそうして暮らしてきた。
 とは言ってもこのメイドに通じるとは思えない。
「お嬢様、お腹すきませんか? 」
 黙ってしまったアネットの機嫌を取り持つかのようにメイドは声を張り上げると持ってきたバスケットを差し出した。
「お嬢様、朝食も取らずにお出かけになるんですから…… 」
「うん、ありがとう。
 じゃ、その辺りで馬車止めるね」
 言いながら道の先に馬車の止められそうな場所を探して視線を泳がせた。
 道端に立つ大きな木の影を見つけて道端に馬車を寄せる。
 馬車の速度が緩んだその時、突然何かが馬車の前に飛び出してきた。
「や…… 」
 咄嗟に手綱を引き、馬を止める。
 と、脇の茂みから二人の男が飛び出してくると有無を言わさずに馬車に飛び乗ってきた。
「おい、ほんとにこいつらか? 
 ただの子供と年増じゃないか」
 体格の大きな男がもう一人の男に言う。
「いや、でも確かに城からでてきたんだぜ、この馬車」
「ひょっとして農家の娘が野菜でも届けた帰りなんじゃねぇのかよ? 馬車も馬車だし」
 男が首をかしげる。
「どれ…… 」
 男の手がアネットの襟元にに伸びてくる。
「お嬢様、逃げてください! 」
 ほとんど反射的にメイドが間に割って入ると言う。
「ほら、やっぱり、だろ? 
 お忍びで出るにはこのほうが無難なんて考えが甘いんだよ! 」
 言葉と共に前に出たメイドを押しのけ男の手がアネットに伸びる。
 逃げようにも背後には先ほど馬の前に走り出てきた男が待ち構えていた。
 身動きがとれずに身を硬くして男の手が掴みかかるのを覚悟した。
 その瞬間目の前をすばやい何かが飛びぬける。
「痛ってぇ! 」
 目の前の男の顔が苦痛に歪んだ。
 驚いて視線を動かすと今アネットに延ばされた腕に一本の矢が突き刺さっている。
「なに? 」
 それが飛んできたと思われる方向に視線を向けると一頭の青毛の馬。
 そしてその後を数頭の馬が続く。
 ライオネルだ。
 そう認識すると同時に馬は馬車につけられ馬の背から男が飛び移る。
「大丈夫か」
 乱暴に腕を掴まれ引き寄せられると同時に背後に回される。
「レオ、様? 」
 驚きでそれだけしか言葉が出ない。
 ライオネルは顔をしかめるとただあきれたように息を吐く。
「こんのぉ! 」
 腕に突き刺さった矢を引き抜くと目の前の男は怒りをあらわにした視線をアネットに向け殴りかかろうとした。
 その拳をライオネルは意図も簡単に掴み上げ掴んだままねじりあげる。
 そのまま背後へ腕を回すと押さえつけた。
 それを目に残りの二人の男が一斉に逃げ去ろうとする。
「大丈夫か? 」
 振り返って問われる声にただ黙って頷く。
「殿下、こちらも押さえました! 」
 周辺に散っていたライオネルの後を続いてきた馬が徐々に集まってきた。
「お前なぁ…… 何を考えているんだよ? 」
 押さえつけていた男をいつもの従者に手渡し縛らせると、アネットに向き直りライオネルは怒ったようにでも半ば呆れたように口にする。
「何って、その…… 」
 正直バツが悪くてアネットは男の顔が真っ直ぐに見られずに視線を泳がせる。
「城を出た時点で偶然見かけて追ってきたから良かったものを、あのままだったらどうなっていたかわかっているのか? 」
 アネットは頷くと視線を落とした。
 また心配掛けさせてしまった。
 そう思うと心苦しい。
 だけど、だからこそ少しでもこの人の役に立ちたくて…… 
 
 ……そっと唇を咬む。
 
 そこを不意に抱き寄せられぎゅっと抱きしめられた。
「良かった、間に合って…… 」
 苦しそうに頭の後ろから囁かれる。
 抱きしめる腕に更に力が篭った。
 
「お前のことだ、おとなしく城に戻れなんていっても聞かないんだろうな」
 アネットを抱きしめていた腕を解くと、気を取り直したように言って真顔に戻る。
「わたしはいいから…… 
 って、言っても聞いてくれないわよね」
 上目遣いに男の顔を見上げてアネットは訊いてみる。
「おい、お前。
 それから、お前でいい。
 悪いが、こいつらを男爵領まで護衛しれくれ」
 いつもの従者とそれと同じ年頃の若い男に振り返って言う。
「後は一旦城に戻るぞ。
 面白いものを手に入れたしな」
 アネットが今までに見たことのない視線を捉えた男たちに向けた後、ライオネルは薄っすらと笑みをこぼし、馬に飛び乗った。
 
 
 差し込む朝日と小鳥の声に、アネットはベッドを降りると手早く着替える。
 軽い足取りで慣れた螺旋階段を下りた。

 結局、途中で馬車を止められたりして予定の時間に村につくことはなかった。
 夜の早い老婆を訪ねるのを諦めるしかなかった。
 一晩自宅で夜を明かし、早朝にベッドを出る。
 
「小母さん、夕べ頼んだので着てる? 」
 キッチンまで降りてゆくと声を掛ける。
「はいよ」
 料理人の女が当然と言う代わりにバスケットを差し出した。
「ありがとう」
 中からはほんのりとバターの甘い香りが立ち上がる。
「そういえばお嬢さん、村長のおかみが言ってたんだけどね。
 おばば様最近甘いものの食べすぎみたいなんだよ」
 女が眉を寄せた。
「わかった、気をつけるように言っとくね」
 言い置いてキッチンを出る。
 
 昨夜の打ち合わせどおりに軽い朝食の後エントランスへ出ると、荷馬車ではないほうの馬車が引き出されてきていた。
「あのね、これ御すのはちょっと…… 」
 アネットが顔をひきつらせる。
「大丈夫ですよ、御者は僕が引き受けますから」
 ライオネルの従者が言うと御者台に飛び乗った。
 もう一人の男が騎乗して馬車の隣につく。
「う…… 」
 少し仰々しいいでたちにアネットは言葉が出ない。
 けど、少なくとも荷馬車よりこっちのほうが快適で安全なのは確かだ。
 これ以上逆らうとまた、立場を考えろとか何とか言われかねないと察し、アネットは観念してメイドと一緒に馬車に乗り込んだ。
 
「ここで待っていて」
 村の中心にある広場の先の家の玄関に馬車を止めてもらうとアネットはバスケットを手に粗末な木の扉を開いた。
「おばばさま、元気? 」
「なんだ、姫嬢ちゃんか。
 用はないぞぇ、呼んだ覚えはない」
 老婆は口では気に入らないと言いたそうな言葉を吐くが、顔には満面の笑みを浮かべている。
「そんなこと言っていいの? 」
 くすくすと軽い笑みをこぼしながらアネットは手にしたバスケットを示す。
「それで、今日は何の用だい? 」
「あのね、ちょっと教えてもらいたいことがあって」
「なんじゃい? 」
 老婆はアネットの持つバスケットに手を伸ばしながら訊き返す。
「おばあちゃん、朝ごはん食べたばかりなんですよ」
 女が戸口のほうからたしなめる様に声を張り上げた。
「ったく…… 」
 老婆は家人の悪態をぶつぶつと口の中で繰り返す。
「ね、ばばさま。
 居なくなった狼を呼び戻す方法って知ってる? 」
 それを聞かなかったことにしてアネットは話を始める。
「どうしてそんなことを訊くんだい? 」
「うん、誰かがね。どうしてだかわからないんだけど、国中の狼を一箇所に集めちゃったのよね」
「それはそれでいいとはお前さんは思わんのか? 
 狼が居なくなれば今より気楽に森に入れる」
「だけど、そのせいでその地域に住んでいる人が安全に暮らせなくなっているの。
 それに、狼の居なくなった土地って穴ウサギとか増えるじゃない。
 そしたら作物に影響出るから…… 
 あんまり凶暴なの沢山はほしいと思わないけど、やっぱり狼だって必要じゃないかなって思うの」
「ふん、わかってるじゃないか」
 アネットの言葉に老婆は鼻を鳴らした。
「だから、呼び戻すにはどうしたらいいのかなって…… 
 追う払う方法だけはわかっているんだけどね。
 その反対はどんなに調べてもさっぱりわからないのよね」
 アネットはため息をつく。
「居てほしくない場所から追い出せばいいのさ」
 その顔を横目に見ながら老婆は言った。
「追い出すの? また? 」
 老婆の答えにアネットは目を瞬かせる。
「そう、追い出すんだよ。
 そしたら元の巣に帰る。
 元のかどうかはわからんがな。取りあえず追われたところから逃げていった先の居心地がよければそこに住み着くだろう? 」
「そっか…… 」
 アネットは目を見開いた。
「ありがとうおばばさま! 」
 老婆に抱きついてその皺だらけの頬に軽く頬を寄せる。
「これ、そんなことより…… 」
 飛びついてきた仔犬を引き離すように迷惑そうにアネットを押しやると老婆は何かを請求するように言う。
「わかってます、これでしょ? 」
 アネットは持ってきたバスケットを差し出した。
「あんまり一度に食べないでね。
 おかみさんが食べすぎじゃないかって心配してた」
「ふん、あの嫁にわしの腹の中までわかるものかい」
 気に入らなさそうに鼻を鳴らして老婆はバスケットの中のケーキを取り出すとその皺だらけの顔を尚しわくちゃにしたご機嫌な笑顔で、口に運び始めた。
 
「じゃ、失礼します」
 アネットは戸口に控えていた女に軽く頭を下げると待っていた馬車に乗り込んだ。
 
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