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◆◇◆ ◆◇◆ ◆◇◆
 
 
 あれから数か月、営業中の店の中は今夜も盛況だ。

 機嫌のいい貴婦人たちの笑い声と、従業員の穏やかな声が響く。
 さすがに上品な貴族の奥方相手じゃ、大声を上げ莫迦騒ぎしてはしゃぎまくる接客はない。
 間違っても、高価すぎるほどに高価なシャンパングラスを積み上げて、シャンパンを注ぎ、一気飲みをはやし立てるような騒ぎはない。
 さしずめ、サロンの延長のような雰囲気。

 一応、売り上げの都合上提案はしたんだが、客が全く乗ってこなかった。
 どころか、むしろ下品だと眉を顰められ、却って売り上げが落ちた。

 結果このスタイルに落ち着いた。

 同じ商売をしても、世界が違うとこんなに雰囲気が変わるものかと、俺が一番驚いている。
 これで客層が貴族の奥方じゃなくて街の奥さんや娘だったらもう少し賑やかになったのかも知れないけど、この世界ではさすがにこんな金の掛かる遊びをできる人間は貴族に限られるところがミソだ。

 来店している客に一通り挨拶をして、とりあえず奥へ引っ込もうと裏へ出たところで下男と出くわした。

「旦那、お屋敷のほうからお兄様が来てますが」

 下男は裏口に視線を送る。

「兄貴がか? 」

 余程のことがない限り、兄貴がここへ足を運ぶことはない。
 大概使いの者が来て、俺が呼び出される。

 嫌な予感がして、俺は首をかしげながら裏口へ向かう。

「悪い、今夜は頼みごとに来た」

 急患の往診の帰りなのか、白衣を着たまま兄貴は言う。

「なんだよ? 頼みごとって」

 兄貴が俺のところに来るときには閑と相場が決まっている。

 俺はあからさまに嫌な顔をした。

「実は今から往診なんだ。急患が入ってね。
 だけどどうしても我が家としては外せない夜会があってね。
 悪いが私の代わりに行ってくれないか? 」

 言葉通り、兄貴の白衣の下は正装だ。
 おそらくは着替えを済ませ出るばっかりのところへ急患の知らせが飛び込んできたんだろう。

「あのな、俺今仕事中」

 ムスリと俺は言う。
 何の予告もなく兄貴の仕事を押し付けられても俺だって困る。

「そう言わずに頼むよ。
 ちょっと顔を出して挨拶だけしてきてくれればいいんだ。
 それで義理は済む。
 その服装のままで大丈夫だから」

 兄貴は含みのある笑みを浮かべると手にしていた招待状を俺の手の中にねじ込んだ。
 俺は押し付けられたその招待状を広げて目を走らせる。
 
「故ティツアーノ子爵の追悼」

 招待状の真ん中に大きく書かれた文字。
 
「げ…… 」

 思わず俺は息を吐く。
 
 ティツアーノ子爵の追悼の夜会じゃグリゼルタが絶対に来る。
 正直俺としては顔を出したくない。
 グリゼルタの顔を見るのも辛いし、顔を合わせて何を話していいのかわからない。
 それはグリゼルタだって同じだと思う。
 
「普段なら協力してやらないことはないけどな、これはパス。
 今更俺が顔を出したら相手の侯爵? だっけっか、だって気が悪い。
 明日の朝一番で不義理を謝罪した詫び状でも出すんだな」

 俺は言い捨てて背を向ける。
 
「そうむくれるなよ。
 元婚約者が違う男を旦那にしている姿見せ付けられるのが気に入らないのはわかるけどな」

「そんなんじゃない。
 そもそも、俺とグリゼルタの婚約って爺さん同士が勝手に決めた奴だし、お互いどうとも思ってないよ」

 兄貴の挑発を受け、俺はわざと言う。

「そうか? 
 おまえが馬車馬の暴走に巻き込まれた怪我で三日意識がなかった時、付きっきりで看病してたんだぞ、グリゼルタ。
 それも泣きそうな顔で。
 おまえだってその話きいた時まんざらじゃなかっただろう」

 忘れたい過去の話を引っ張り出す。

 黙っていたらこのまま永遠に昔話をしていそうだ。

「仕方ないだろ? 」

 つっけんどんに言って俺は兄貴の口を塞いだ。

「グリゼルタの父親さんが決めたんだ。
 曾じいさんの代に魔法医術の功績で爵位を貰った新興貴族の家より、侯爵家の方が格が上だし。
 貴族の家に生まれた娘に拒否権なんかあるもんか。
 グリゼルタにしたって、家督を継げずに平民に落ちた俺より侯爵の正妻に収まる方がいいに決まってるし」

 そうでも思わないとやっていられない。

 かといって、素直にグリゼルタの結婚を祝えるかといえば、話は別。
 子爵の愛娘なんて形だけで、子守も同然の生活をしていたグリゼルタが幸せになって微笑んでいてくれればそれは嬉しい。
 だけど、その笑顔にさせたのが俺でないかと思うと、ハラワタが煮えくり返るほど悔しい。

「そう、強がるな」

 いいながら兄貴は俺から、徐に背をむける。

「じゃ、頼んだよ。
 お礼にいつもの薬一ダース只で届けるから」

 俺の返事も聞かず、言いたいことを行って逃げるように踵を返した。

 急患だとしたら本当は一秒だって欲しいはず、それを使いも使わずにわざわざあの兄貴が出向いて頼むってのは本当に外せないってのはわかる。

 招待状にしたためられた招待主の名前にため息をついた。
 子爵の甥、バルトロメオ・ランディーニだ。
 ランディーニ家は我が家でも縁戚関係にある。
 
 さすがに、兄貴もこれじゃ無視するわけにいかなかったってところか。
 もし欠席なんかしたら、「大人気なくグリゼルタとの婚約破棄を根に持って…… 」と、社交界中の噂になる。
 
 俺はもう一度ため息をついて、下男に馬車を用意させる。
 肩を落として店のホールの入り口に立つとサヴェリオを呼んだ。

「悪い、急用だ。
 ちょっと出てくる。
 その間頼む」

 言い置いて、店を出た。
 
 

 この国の貴族の場合、どこかの家で不幸があった時にはその親戚関係の家で故人をしのんだ夜会を催す習慣がある。
 かなり遅れて到着した会場であるランディーニ家の広間は、故人の思い出のあふれる音楽や物であふれていた。
 その中でも一番故人が大切にしていたもの…… 

 俺は招待客の中からある人影を探した。

 子爵がこの上なく大切にしていた一人娘、グリゼルタの姿は人垣の向こうにあった。
 侯爵の隣でにこやかに笑みを浮かべ、挨拶をして回っている。

 いくら気まずくてもまるっきる無視を決め込むのも体裁が悪い。
 ここは、挨拶程度はしておかないとと思うが、今夜はティツアーノ元子爵の追悼がメインだ。
 いくら子爵が生前懇意にしていた人間だけが招待されているといっても、この人数だ。
 一通り挨拶するだけでも、夜が明けてしまうかも知れない。
 おまけに片時もはなれず旦那が寄り添っている。
 この場で声を掛けたりなんかしたら、グリゼルタだって困るだろうし、満足に話ができないのは目に見えていた。

 俺は行きかけた足を止め、握り締めた拳に力を込めた。

「エジェオ。今日は来てくれてありがとう」

 シャンパングラスを差し出しながら、この屋敷の主バルトロメオ・ランディーニが声を掛けてきた。
 確か、グリゼルタとは従兄妹同士の関係になるんだったっけか。

「ああ、悪かったな、お前の叔父上の葬儀に出られなくて」

「国外にいたんだって? 」

「叔父の代理で、買い付けに、な。
 何かの手違いで兄貴が再三よこした手紙が俺の元に届かなくて、知らずじまいだった。
 申し訳ない」

 言い訳しながら頭を下げる。

「グリゼルタもずいぶん辛かったんじゃないかな。
 一人になってしまった上に、子供の頃から兄妹とも親友とも思っているエジェオが傍にいてくれなかったってのは」

「嫌味、言うなよ。
 旦那がいるだろう? 
 溺愛されているって噂じゃないか」

 俺は吐き出すように言う。

 それだけが唯一の救いだった。
 何処の夜会でも片時も傍をはなさず、ダンスの相手もさせないと今社交界で話題になっている。

「そうか、な? 
 僕にはそうは見えないんだけど」

 バルトロメオはホールの片端にいる夫妻の姿を目で追い、眉根を寄せた。

「どういうことだ? 」

「侯爵結構出席する夜会を選んでるようだよ。
 正直僕は今夜久しぶりに従妹の顔を見た。
 僕の贔屓目かも知れないんだけど、まるでグリゼルタを友人知人から引き離しているように見えるんだ。
 溺愛しているっていう噂の割には殆ど拘束している、みたいな? 」

「気のせいだろう? 」

「多分、な…… 
 言っただろ? 僕の贔屓目かもしれないって。
 じゃ、愉しんでいってくれよ」

 バルトロメオは他の招待客の挨拶に向かい、俺から離れる。
 
「愉しんで…… 」

 なんて言われても、グリゼルタが他の男にエスコートされている現場なんか見ていたって、楽しめるものじゃない。
 むしろだんだん腹が立ってくる。

「駄目だ、帰ろう…… 」

 とりあえず顔は出したんだから義理は済んだ。
 俺は手にしたシャンパングラスの中身を一気に飲み干すと、空になったそれをテーブルに置き出口へ足を向ける。
 
 その背後で何か大きなものが倒れる鈍い音と、女性たちの小さな悲鳴が響いた。

 反射的にその音の元を探し振り返って視線を泳がせる。

 開いた窓の向こうにあるバルコニーで誰かが倒れたようだ。

 グリゼルタだ! 

 風に揺れる金色の巻き毛で、ひと目でわかった。
 思わず駆け寄ろうとした足を俺は強引に止める。

 倒れた妻を介抱する。
 こういうのは夫の役目だ。
 俺が手を出していいはずがない。
 現に侯爵はグリゼルタのすぐ傍で困惑気味に突っ立っている。
 だが、一呼吸待ってみても、男はグリゼルタの横に突っ立ったまま、冷たい視線で床に横たわる妻を見据えて動こうとはしない。

「なに、やってんだか」

 俺は唇をかみ締めた。

 倒れている場所は窓の外のバルコニーだ。
 このままでは冷えてしまう。
 余程の場合を除いて、こういうときには手を貸しせめて室内に移動させ、ソファなり隣室なりへ移動させるのが常じゃないのか? 
 さすがに見るに見かねたようにこの屋敷の従者が駆け寄ってくる。
 だが、肝心の夫の指示が出ず、動くことができない。

「一体、いつまで床に転がしておくつもりだ! 」

 怒りも手伝って俺はグリゼルタの元へ急いだ。
 旦那に断りを入れることもせず、俺はグリゼルタを抱きあげる。

「悪い、何処か部屋を…… 」

 抱え揚げたまま、居合わせた従者に言う。

「いや、いい。
 このまま連れて帰る。
 馬車へ運んでくれ」

 侯爵がようやく口を開いた。

「病ではないんだ。
 その、子供が…… 
 家に帰ってゆっくり休ませたい」

 口では言うが、なんか小説の台詞をそのまま読んでいるような無機質な言葉に俺には聞こえる。
 
 なんだってこんな状態の妻を休ませることもせずいきなり家に連れ帰ろうなんて発想になるんだか。
 
 とは思ったが、突っかかって喧嘩売るわけにも行かない。
 俺は仕方なく、抱き上げたグリゼルタをエントランスへ運ぶ。
 
 久しぶりに触れたグリゼルタはずいぶんやせたみたいだ。
 何度となくベッドへ抱き上げたときより軽い。

 エントランスへ出ると、車寄せに馬車が滑り込んできた。
 ドアを開けてもらい、中へグリゼルタを抱えあげる。
 馬車の中にはグリゼルタのものと違う女物の香りが染み付いていた。
 硬い椅子にその身体を置いて、意識のないグリゼルタの顔を見つめた。

「ごめん、な…… 」

 呟いて、その額に誰の目もないことをいいことに軽く唇をよせ、馬車を降りた。
 

「では、失礼しますよ」

 俺の代わりに侯爵が馬車に乗り込むと、当たり前のように馬車が走りさる。

「な? 
 溺愛とは程遠いと思わないか? 」

 見送りに出てきたバルトロメオが俺の耳元で呟いた。

「普通、新婚早々身重の妻、元婚約者それも相思相愛だった奴に触らせたりするか? 」

 確かに、今の侯爵の態度には妻を心配する様子はまるで感じられなかった。
 まるで厄介ごとでも引き受けたような、義理でかろうじて動いているようにさえ見えた。

「いや、俺だったら絶対無理。
 たとえ腰痛めていたって、絶対触らせない」

 俺は頷いた。
 
 
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