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「あったんだよ。
 グリゼルタの耳にピアスに加工した奴がっ! 
 マリッジリングの代わりに侯爵から貰ったとか言ってたから、恐らく日常的に身につけてる…… 」

「不味いな、それ…… 」

 兄貴は顔を顰めながら呟く。

「俺、行って来る」

 手にしたままになっていた小箱を兄貴の手に押し付けると俺は立ち上がった。

「いくって何処へ? 」

「グリゼルタのところだよ。
 アイツ、サヴェリオと一緒で全く魔力ないんだ。
 アイツがここへ来てから三日経ってる、今頃倒れていたっておかしくないだろ? 
 早いところ外させないと、昏倒だけじゃすまなくなるだろ」

 嫌な予感がした。

「待てよ。
 今何時だと思ってるんだ。
 おまえにとっては宵の口かも知れないが、普通の生活をしている人間にしたら夜中だぞ」

 俺とは反対に至極冷静な口調で兄貴は言う。

「待ってられるかよ? 
 対の物を半分ずつ持っているってことはグリゼルタだけじゃなくて侯爵も危ないってことだろ? 」

「だから心配するな。
 侯爵家の主治医は私だ。
 もし侯爵に何かあれば往診の依頼が必ず来る。
 往診の依頼がないということは侯爵もグリゼルタもまだ無事だ」

「ちょっと待て、兄さん今主治医って言ったか? 」

 俺は行きかけた足を止め振り返る。

「ああ、侯爵家は何代も前から時々だけど、魔術師が出ている家系だ。
 その関係で、普通の医者じゃなく家で主治医をやってる」

「って、ことはだよ? 
 もしかして、侯爵って多少は魔力を持っているってことか? 」

「ああ、確か…… 
 魔術師になれるほど強力な力じゃないけどな。
 おまえといいとこ勝負程度だ」

 兄貴は魔術師どころか魔術医師にさえなれなかった、俺の些細な魔力を引き合いに出す。

「ってことは、これがどういった物か手にしただけで気がつくよな? 」

「まぁな」

「そんなものいくら仮って言っても妻にした女に手渡すか? 」

「仮ってなんだよ? 」

「あ、その話は詳しくは後でするけど。
 侯爵新婚早々で堂々と妾を伴って夜会に出てるとか何とか。
 ってことは早々に正妻が邪魔になっているってことだよな? 
 もし、侯爵が危ないものだと承知でグリゼルタに魔物を手渡しているとしたら? 」

「ありえないといえないところがヤバイな。
 公にはなっていないが、侯爵結婚前にはかなりの借財を抱えていたらしいんだが、グリゼルタとの婚姻が整うと同時にそれを一気に返済したとか何とか。
 そんな噂を聞いたことがある…… 
 あ、おい! 」

 そこまで聞くともう、黙って夜が明けるのなんか待ってはいられなかった。
 俺は慌てて家を飛び出す。
 

「待てよ、ついていってやるから」

 息を弾ませて兄貴が追ってきた。

「いいよ。余計なお世話だ」

 俺は徐に兄貴の顔から視線を反らす。

「そう言うな。
 おまえの肩書きじゃどうにもならないことでも私の肩書きなら何とかなる事もある」

「…… 」

 確かに、世間の地位は水商売経営の一般市民より、魔術医師の貴族の方がよっぽど高い。
 気に入らないことこの上ないが、それが事実だ。
 俺は反論の言葉すら出てこない。
 
 とりあえず二人して兄貴の馬車に乗り込んだ。
 
 街の一角にある侯爵の館は優美そのものだ。
 敷地を取り囲む鉄柵の細工一つとっても繊細な細工が施されている。
 深夜遅く、強引に門番をたたき起こすと俺たちはその中へ入れてもらった。
 
「申し訳ございませんが、主人はもう休んでおりまして。
 明日出直していただけますかな? 」

 締め切ったドアを乱暴に叩いて暫く待つと現れた家令と思しき男は眠そうに目をしばたかせながら言う。

「いや、侯爵の方じゃなくてグリゼルタ、奥方の方」

「何でしょう? 
 奥様もお休みです。
 そもそも失礼じゃありませんか? 
 こんな遅くに、奥様に会わせろなどと」

 家令が腹を立てたように言う。

「いや、急用なんだよ。
 ティツィアーノ子爵が危篤なんだって」

 この状況を何とかしたくて俺は適当にでっち上げる。

「奥様のお父様でしたら、先日お亡くなりになっておりますが? 」

 家令は胡散臭そうな視線を俺に送る。
 不味い、……そうだった。

「じゃ、なくて家督を継いだ兄さんの方! 」

「体調が悪いとか言うお話は伺っておりませんが」

 家令は冷静に答える。
 もう俺の嘘を完全に見破っているのだろう。

「病気ではありません、事故ですよ。
 事故で重症を負いました。
 私は今診察の帰りです。
 騒ぎのせいで子爵家は今騒ぎになっておりまして手が足りず、こうして往診帰りに私が言伝を言い付かりました」

 兄貴が俺の背後で顔色一つ変えずに言って軽く頭を下げる。

「……そう言うことでしたら、お待ちくださいませ」

 さすがにこの家の主治医も勤める兄貴の言うことでは信用せざるを得なかったのだろう。
 執事は俺たちを玄関ホールに残して奥へ向かう。
 ただおとなしくそれを待っていることなど、もう俺にはできなかった。
 今すぐにでもグリゼルタの元気な顔を見なければ収まらない。
 
 俺は家令の後を追いかけた。

「ですから、お待ちくださいと…… 」

 家令は明らかに迷惑そうな顔をしたが、俺をその場に縛り付けるいい口実を見出せなかったのだろう。
 しぶしぶながら俺の追従を許す形になった。
 
 燭台を掲げ、ホールの正面中央にある大階段を上る。
 その脇にある主寝室と思われる大きなドアを通り越し、家令はその先へと進む。
 やがて廊下の突き当たりの小さなドアの前で足を止めた。

「居心地悪そ…… 」

 いかにも西日のきつそうな、バックヤードへの出入り口から距離のあるこの部屋はどう見ても主の寝室にしては不釣合いに思え俺は首を傾げる。

「言うな、ここの主人は客人優先なのだろう。
 主の考え方一つで邸の居心地のいい部屋は客室に充てる家もある」

 俺の耳もとで家令に聞き取れないほど小さな声で兄貴が囁いた。

 
 家令は、ドアの前で姿勢を正すと何度かノックを繰り返した。
 しかし、部屋の主は深い眠りに陥っているのか全く返事がない。

「申し訳ございませんが、やはり明日出直してくださいませんか? 
 事情の方は私が朝一番でお伝えしておきますので」

 さすがに、新婚の夫婦の寝室に真夜中踏み込むのは気が進まないのだろう。
 家令は申し訳なさそうに頭を下げた。

 ドコンっ! 

 その背後で妙な鈍い音が響く。

 ドカン、ガツン! 

 訊き間違いでない証拠にそれは何度となく続き、邸の空気を振るわせた。

「兄さん! 」

 俺は一端許可を求めるように兄貴の顔に視線を送ると、ドアの前に立ちはだかる家令を押しのける。

「入るぜ」

 すがりつく家令の手を跳ね除けて、勢いよくドアを開いた。

 
 騙された? 
 

 瞬時に目に飛び込んできた光景に俺は唖然とする。

 シングルのベッド一つ入ればいっぱいほどの小さな部屋。
 置かれた家具もベッドとチェストだけ。
 しかもチェストに置かれたピチャーも洗面ボールも模様一つ入っていない量産品のシンプルなもの。
 まるでビジネスホテルのような狭い無機質な空間はどう見てもこの広大な邸の主の寝室には見えない。
 それどころか客間より格下、客が伴っていたナニーや家庭教師のための寝室のようにさえ見える。

「おい! 」

 予想外の光景に固まってしまった俺を兄貴が肘で小突く。

「ああ」

 我に返ってもう一度部屋に目を凝らすと、大柄の男がベッドの上の華奢な人影の首を締め上げた手を放し、逃げようとしているところだった。
 余程その作業に集中していて、廊下の外に人が来たことに気がつかなかったのか、ベッドから降りた時には既に俺と兄貴、そして家令に取り囲まれる形になっていた。
 とはいえ、男は戸口付近に立つ家令の横をすり抜け走り去ろうとする。

「ちょっと、待てよ」

 俺はその腕を引っつかむとねじりあげる。
 その傍らで兄貴がベッドの人影に歩み寄る。

「大丈夫だ、まだ息がある」

 一通り確認して俺を振り返ると安堵したように言う。
 バランスを崩して床に倒れたその躯に圧し掛かり押さえつけながら俺はベッドの上に視線を動かした。

 グリゼルタだ。

 なんだってこのでかい豪華な邸でこんな質素な部屋で寝ていたのか謎だ。

「旦那様! 何をなさって…… 」

 俺の押さえ込んだ男の顔を目に家令が呆然と呟く声が聞えた。
 その言葉に俺は息を飲む。
 

 俺に圧し掛かられたせいで動くこともできずに床にうなだれた男の顔をようやく覗き込んで俺も唖然とした。
 その顔はげっそりとやつれてはいたが、確かに侯爵の物だった。

「どうやら、こちらも診察が必要なようですね」

 グリゼルタの枕もとを離れ、同じく男の顔を覗き込んで兄貴が言う。

「侯爵を寝室へ」

 俺に拘束を解くように指示しながら兄貴は家令に言う。

「それと…… 」

「グリゼルタは連れてくぜ。
 こんなところ物騒で置いて置けるか」

 兄貴の言葉を受け、俺はベッドの中のグリゼルタを抱き上げる。

「ああ、そのほうがよさそうだな。
 とりあえずは私の診療所に連れて行け。
 対処はわかっているな? 
 必要なものはナースが出してくれるはずだ」

 兄貴の言葉を受け、俺はそのまま部屋を出る。

「さて、侯爵。
 事情を聞かせてもらえますか? 」

 背後で兄貴の冷ややかな声が響いた。
 
 
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