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16・家庭教師がきたので、 -前-
しおりを挟む「本当にいつもあわただしいですね」
殿下を見送って立ち尽くしていたわたしに、何時の間に側にきていたアゲートが、いう。
「行きましょう、珊瑚さま。
お夕食の準備ができていますよ」
言ってわたしを促した。
「うん」
殿下の消えた城門に視線を固定したまま、わたしは身体だけ砦のほうに向ける。
殿下があの城門を出てまだ何分も経っていないのに、もう顔が見たくて仕方なくなっている。
本当は、今日みたいに目覚めた時から側に殿下の顔があって、できることなら眠りにつくその瞬間まで殿下の笑顔を見られて、殿下の胸で眠れたらどんなに幸せだろうって思う。
そんな欲張りなことを考えて、今までのわたしはそのたびに切なさに胸を締め付けられていた。
だけど、今日は……
さっき殿下が唇を落としてくれた額に無意識に指先が向かう。
何故だか大丈夫だって思えた。
額に残るその甘い感覚が、すぐ側に殿下がいるように感じさせてくれる。
だから……
わたしは真直ぐに顔を上げる。
「珊瑚さま? 」
アゲートがゆきかけた足を止め、わたしを促した。
「うん。今行く」
わたしはアゲートに駆け寄った。
翌日夕刻、目の前に並んだ人物を前に言葉を失う。
一人は高齢の白いお髭のおじいちゃん。
二人目は黒い口ひげの最初のおじいちゃんより少し若い背の高い小父さん。
ふたりとも、そこそこの身なりをしているから村の農民じゃないのは確か。
そしてもう一人、少しきつめのものすごい美人。赤み掛かった茶色の髪を首筋辺りでお団子にって、うぐいす色のスタンドカラーでほとんど飾りのないドレスを着て地味にしているけど、その顔の造作は隠せないって言うか。年齢は三十前ってところだと思うけど、イマイチよくわからない。
「紹介しますね」
この人たちを連れてきたキューヴが満面の笑みを浮かべて言った。
「右から経済学のツァボラ先生、国史のデマント教授、それからカイヤ夫人。
夫人は礼儀作法全般をご教授して下さいます」
「『昨日の今日』って殿下も人のこと言えないじゃない」
昨日出発前に言った殿下の言葉が脳裏に浮かびわたしは呟く。
確かに経営学とか、知識が欲しいってお願いしたのはわたしだけど……
それはまだ昨日の話で……
まだ丸一日しか経っていないのに、三人も家庭教師を手配して送り込んでくるって、殿下も相当仕事が速い。
まるでもうとっくに準備してわたしが言い出すのを待っていたかのようだ。
「よろしくお願いします」
頭の中にはいろんなことが渦巻いていたけど、文句を言う相手は目の前にいないし、ただ突っ立っているのも失礼だから、わたしは頭を下げる。
「そんなに気に入らないお顔しなくても大丈夫ですよ。
皆さん国一番の教授ですから、ものすごく多忙なんです。
珊瑚様につきっきりでご教授していただくのは月に数日程度ですから」
砦の中に一行を促しながらキューヴがわたしの耳元で囁いた。
「わたし、そんなに顔に出てた? 」
「はい、しっかり。
珊瑚様は何でも顔に出るのでわかりやすいです」
にっこりとキューヴが微笑む。
わたしにもわかる、このキューヴの笑みはいつも何かをたくらんでいる時だ。
「ね、キューヴ。
キューヴはこれから殿下の所? 」
「はい、そうですが…… 」
「じゃ、お礼を伝えてくれるかな?
『早速の手配ありがとうございました』って」
「早速」の部分に力を入れてわたしは言った。
「はい、確かに。承りました」
その意味を察したかのようにキューヴはやんわりとした笑みを浮かべた。
一度に三人もの家庭教師をつけられて、その翌日からのわたしの生活は一変した。
キッチンでクッキーでも焼きながら料理人のおばさんと世間話をしている暇どころか、アゲートと自室で会話を交わす暇もない。
とにかく毎日、朝から晩まで三人の誰かを相手に書庫でテキストを開く。
できることなら三人一緒じゃなくって日をずらして一人づつにして欲しかった。
これじゃ、目が廻るだけで覚えるものも覚えられない。
新しい知識でパンク寸前の頭を抱え、わたしはうめくしかなかった。
とにかく、子供の頃から育った環境とは全く違うのだから同じ歴史の一事件を切り取ってもその時代背景とか生活習慣とかその他もろもろが付随して莫大な情報量になる。
そんなわたしの頭の中を理解してくれない教授達は限られた時間で、少しでも多くのことをわたしの頭の中に叩き込もうと躍起になってくれる。
「ロンディア国とリュウィナ国でお互いに王女をその国の国王もしくは王子に嫁がせたってことは、つまり人質交換? 」
わたしは手渡された本を手にデマント教授の顔を見ながら首を傾げる。
「はっきり言ってしまえばそんなものです。
ですが、そのおかげで、その代の時、このロンディア国の王子が王位に就く前に早世し子孫を残さなかったにもかかわらず、隣国のリュウィナ国へ嫁いでいた姫君の産んだ王子が王座につき、国名をロンデリュウィナ王国と名を変えながらも王家の血を絶やすことなく存続している訳です」
「……それって、乗っ取りって言わない? 」
わたしは手元にある筆記具を弄びながら訊く。
「その早死にした王子様、事故死だったか病死だったか知らないけど。
隣国はまんまとこの国の政治に口を出す権利を手に入れたって訳じゃない。
うまいことやったって言うかなんて言うか……
いい意味運が良かった? 」
教授は大きく目をしばたかせてわたしの顔を覗き込むと呆れた顔をした。
「……呑みこみがいいのは喜ばしいのですが」
コホンと一つ咳払いをする。
「大きな声で言わないで下さい。
この国はすでにロンディア王国ではないのですから」
たしなめるように教授は言う。
「確かに、魔女様はそのお立場であるが故、今後そう言った決断を迫られることもあるでしょうから、上っ面の出来事だけでなく裏の事情も理解していただければ幸いですが」
声を潜めながらも教授は続ける。
「それで、国民の血税の投入や無駄な流血が避けられれば、これ以上利口な侵略方法はないと思いませんか? 」
「確かに…… 」
教授の言葉にわたしは頷く。
いや、もう……
こうなると国史の授業じゃない。
『帝王学』って名前だけしか知らないけど、こういったことを学ぶのかな、なんて思ってしまう。
なんかわたし、ほんっとに、世界だけでなく、生まれとか育ちとか超越したとんでもないところにきちゃったんだって改めて思い知らされる。
ため息をついて顔を上げると、窓の向こうがざわめきだしたのが耳に入った。
開け放してあった窓から馬の姿が見えた。
あれは……
一瞬弾んだわたしの心は、大きな栗毛の馬の姿に一気に落ちる。
栗毛の馬はサードニクス将軍の愛馬だ。
「一休みしましょうか? 」
丁度いいタイミングとばかりに教授は言う。
その声を受けわたしは立ちあがると、外に出た。
「お帰りなさい」
ホールを抜けた跳ね橋式の踊り場で足を止めると、丁度階段をあがり始めた将軍に声を掛ける。
「これは……
出迎えていただけるとは光栄です」
将軍が目を見開く。
「残念ですが、殿下でしたら王都に向かいました」
「うん、わかってる。
そうじゃないかと思った」
わたしは頷く。
「お時間の都合がつくようでしたら、少し私にも付き合っていただけませんか?
乗馬もしっかりこなせるようにと、殿下から言い付かっておりますので」
わたしに言うようにしながら実際は背後にいた教授に向かって将軍は言う。
「いいですよ。
今日はここまでにしておきましょう」
ため息混じりに教授は答える。
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