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21・枕があがらなくなったので、 -後-
しおりを挟む「それでしたら、ご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
わたしが言おうとしたことを察してアゲートが答えてくれる。
「どうして、大丈夫だって言い切れるの?
それにアゲート達だって…… 」
ラリマーは一人隔離された粗末な小屋の中に寝かされていた。
わたしだって、その扱いを受けていいはずなのに……
「この病は大人になればなるほど重症になって、老人は簡単に命を落とすこともあります。
ですがどういうわけか、赤ん坊のうち、母親の母乳を飲んでいる時に掛かるとごく軽症で済むんです。
その上一度掛かれば一生かかりませんから。
わたしとキューヴは運良くこの病が蔓延した年に生まれたんです。
あ、殿下もそうだったそうですよ。
何年かに一度しか流行らない病ですから、そのときに乳飲み子だった人間は運がいいんです。
もちろん、他の人たちにはこの階への立ち入りは禁じてあります」
乳飲み子のうちに感染すると軽症で済むってことは、やっぱりわたしの居たところの麻疹と、この世界のハシカって音がおんなじだけで根本的に違う病だったんだよね。
どうりでワクチンが効かない訳……
「本当にごめんなさい、軽はずみな真似をして。
アゲートが殿下に怒られてしまって」
わたしは肩を落とす。
「そんなに、気にしないで下さい。
殿下だって珊瑚さまが心配だったんですよ。
わたし達と違って、絶対に免疫持っていないってわかっていましたから。
それにキューヴが言うのに、珊瑚さまも祭りの最中に感染した可能性が高いそうです」
「もしかして、あの人がそうだったのかな? 」
「ご存知だったんですか? 」
「うん、空咳をしていた楽団員の人に声を掛けたの。
まさか、こんな大事になる病気に掛かっている人だなんて思わなかったから。
わかっていれば、こんなことにならなかったんだよね…… 」
「ですから、それは珊瑚さまのせいじゃないんです」
アゲートは腰に手を当てて一つ息を吐くと何かを思い出したようにエプロンのポケットに手を突っ込んだ。
「これ、キューヴから渡して欲しいと預かりました」
ハンカチに包まれた何かを差し出す。
それを受け取り、そっと開くと銀色に光を放つ指先ほどの石をペンダントヘッドに加工したものが現れる。
「これって…… 」
「『角』の残りだそうですよ。
これは珊瑚さまが持っているべきものだと、あちらの魔女様がお返しくださったのだそうです」
「全部使ってもらっても良かったのに。
たしか、欲しくても手に入らないほど貴重な物だって言ってたよね。
だったらわたしの手元にあるより、国王陛下の魔女様に持っていてもらったほうが良くない? 」
こうしてわたしの手元にあってもただの石だけど、国王の魔女なら有効に使ってくれる筈だ。
「貴重なものだからこそ、お返しくださったんですよ。
必要な量はきちんといただきましたと仰っていたそうです」
やんわりとそう言ってアゲートはわたしの持つカップを指差す。
「お話はこれくらいにして、それを飲んだらもう少しお休みくださいね。
一日でも早くお元気になっていただかないと、またわたしが殿下に叱られてしまいますから」
そう言って笑顔を向けた。
それから一週間後、砦の出口になる跳ね橋式の踊り場の上でわたしは思いっきり背伸びした。
外の空気は久しぶりだ。
砦の小さな窓からでは堪能できない、篭った匂いのない空気を思い切り胸に吸い込む。
「珊瑚さま。あまり遠くに行かないで下さいね。
まだ熱が下がったばかりなんですから。
井戸の脇で洗濯の手を止めアゲートが叫ぶ。
「わかってる! 」
わたしは答えると中門を出て広場に向かう。
……もう、大丈夫だよね。
ゆっくりと睫を落とすとその辺りの気配を探る。
うん。
大丈夫。
嫌な感じはない。
本当は、祭りの前に確認するべきだった。
そのくらいのこと探るのは簡単だった。
考えてみればそれもわたしの仕事だったはずなのに、今回の騒ぎが起きなければそんなこと考えもしなかった自分が情けない。
外門の方から犬の吼え声と、子供のはしゃぎ声が響いてきた。
視線を向けると、ティヤとラリマーがじゃれながら走ってくる。
「お姉ちゃん! 」
わたしの姿を見つけたティヤが駆け寄ってきた。それにラリマーが続く。
「ラリマー、もう平気そうだね」
「うん。お姉ちゃんの持ってきてくれた薬のおかげなんだよね。
ありがとう! 」
これ以上ないほどすてきな笑顔を向けてくれる。
「よかった」
つられてわたしも笑顔になる。
「あ、そうだ。これ…… 」
ラリマーは握り締めていた手紙を差し出した。
「なぁに? 」
腰をかがめてそれを受け取りながら訊く。
「さっき門の外で預かったんだ。
アゲートお姉ちゃんに渡してくれる? 」
「うん。いいよ。
ありがとう」
受け取った封筒にはアゲートの宛名がある。
……なんだろう。
なんだかとっても幸せな気分になる。
手にとっただけで、込められている暖かいものが伝わってくるような気がした。
わたしはその手紙を持ってアゲートのところに急ぐ。
「アゲート、これ今預かったんだけど」
洗い終えた洗濯物を広げていたアゲートに差し出すと、その顔が急に綻んだ。
「やっぱり、彼からなんだ」
ふと呟くとアゲートの頬が桜色に染まる。
「そ、そんなんじゃ……
マラカイトはただの幼馴染なんです」
口では否定しているけど、初めてみるこんな嬉しそうなアゲートの顔がそうじゃないことを物語っている。
「じゃ、ゆっくり読んでね」
せっかくの手紙を読むのに邪魔しちゃいけないから、わたしはその場を離れる。
……いいな。
嬉しそうに顔をほころばせるアゲートがなんだか羨ましくなった。
殿下、どうしているんだろう。
そんな思いが湧いて出て胸を締め付ける。
あの、大好きな笑顔を見たくて仕方なくて……
あの、皆に指示を出すときの精悍な表情も大好きで……
すぐにでも会いに行きたいような衝動に駆られてしまう。
わがままだって分かっているけど……
わたしの意識がない間、王都からの呼び出しを断ってまで、ずっとついていてくれたってアゲートが言っていた。
だから、きっとやらなくちゃいけないことが溜まっている筈。
すぐに戻ってこられるはずがないのは分かってる。
だから、そんなわがまま言って殿下を困らせちゃいけないってことも……
広場の隅に置かれたベンチに腰を下ろし、わたしは誰も居ないのをいいことに一つ大きなため息をつく。
城門の付近で何か動くものが目に入り顔を上げると、キューヴの青鹿毛の馬が入ってくるところだった。
「お帰りなさい! 」
わたしは馬を止めたキューブに駆け寄った。
「どうしたんですか? 珊瑚様。
こんなところで、お一人で」
意外とでも言いたそうにキューヴは目をしばたかせた。
「どうって、別に……
一人で砦の中に居るのも飽きちゃったし、たまには外の空気を吸いたいななんて思って出てきたんだけど……
いけなかった?
どうせ、まだ病み上がりだからベッドの中にいろとかっていいたいんでしょ? 」
わたしは笑みをこぼす。
「いえ、そうではありませんけど……
殿下はどうなさっていますか?
何時もなら何かない限り、こちらにいらっしゃる間は珊瑚様をお側から放さないはずですよね」
キューヴが首を傾げる。
「殿下ならまだ戻っていないけど? 」
わたしはキューヴの顔を覗き込む。
「そんな筈は……
あちらでの所用を終えすぐにこちらにお戻りになった筈なんです。
病み上がりの珊瑚様が心配だからと……
事後処理が残っていたので僕が残ることになって、こうして一足遅くなったのですが…… 」
「それって何時の話? 」
わたしはキューヴに詰め寄った。
「おとといですが。
それともこちらに着てからまた視察の必要な案件でもできてお出かけになったとか? 」
「ううん。
殿下、あの日王都に行ったきり戻ってないけど。
もしかして他の処に寄っているとか? 」
「いいえ、それはないと思います。
もしこちらへ来る途中で行き先を変更されたのであれば、必ず僕のところには連絡が来るはずですから」
キューヴが眉根を寄せた。
「……じゃ、殿下はどこに行ったの? 」
わたしの問いにキューヴは答えない。
ううん、答えられない。
……何か嫌なものが頭の隅に沸きあがってくる。
何かがあった。
それも笑い事で済まされないような何かが……
わたしの頭の隅に沸きあがった言い知れぬ不安は見る間に頭をもたげて大きくなってくる。
何時ものように出掛けに額にキスをしてもらえば、こうなることが分かっていたかもしれない。
なのに、何故今回に限って?
「珊瑚様? 」
黙りこんでしまったわたしの顔をキューヴが覗き込んでくる。
「う、ん…… 」
なんて言っていいか分からない。
ただの思い過ごしであって欲しいと思う。
思うんだけど、ここへ着てからのわたしのこの手の勘は冴えに冴えてる。
勘というより予知といったほうがいいほどに……
これも魔女の力の一片なのかも知れない。
だけど、役立たずなことに、あくまでも予知だけだ。
それを回避する方法を見出したためしがない。
「珊瑚さま。風が変わって来ましたから、そろそろ中にお入りになってくださ…… 」
アゲートが駆け寄ってくる。
「どうかなさいましたか? 」
わたしとキューヴの顔を見て首を傾げた。
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