28 / 46
21・枕があがらなくなったので、 -後-
しおりを挟む「それでしたら、ご心配なさらなくても大丈夫ですよ」
わたしが言おうとしたことを察してアゲートが答えてくれる。
「どうして、大丈夫だって言い切れるの?
それにアゲート達だって…… 」
ラリマーは一人隔離された粗末な小屋の中に寝かされていた。
わたしだって、その扱いを受けていいはずなのに……
「この病は大人になればなるほど重症になって、老人は簡単に命を落とすこともあります。
ですがどういうわけか、赤ん坊のうち、母親の母乳を飲んでいる時に掛かるとごく軽症で済むんです。
その上一度掛かれば一生かかりませんから。
わたしとキューヴは運良くこの病が蔓延した年に生まれたんです。
あ、殿下もそうだったそうですよ。
何年かに一度しか流行らない病ですから、そのときに乳飲み子だった人間は運がいいんです。
もちろん、他の人たちにはこの階への立ち入りは禁じてあります」
乳飲み子のうちに感染すると軽症で済むってことは、やっぱりわたしの居たところの麻疹と、この世界のハシカって音がおんなじだけで根本的に違う病だったんだよね。
どうりでワクチンが効かない訳……
「本当にごめんなさい、軽はずみな真似をして。
アゲートが殿下に怒られてしまって」
わたしは肩を落とす。
「そんなに、気にしないで下さい。
殿下だって珊瑚さまが心配だったんですよ。
わたし達と違って、絶対に免疫持っていないってわかっていましたから。
それにキューヴが言うのに、珊瑚さまも祭りの最中に感染した可能性が高いそうです」
「もしかして、あの人がそうだったのかな? 」
「ご存知だったんですか? 」
「うん、空咳をしていた楽団員の人に声を掛けたの。
まさか、こんな大事になる病気に掛かっている人だなんて思わなかったから。
わかっていれば、こんなことにならなかったんだよね…… 」
「ですから、それは珊瑚さまのせいじゃないんです」
アゲートは腰に手を当てて一つ息を吐くと何かを思い出したようにエプロンのポケットに手を突っ込んだ。
「これ、キューヴから渡して欲しいと預かりました」
ハンカチに包まれた何かを差し出す。
それを受け取り、そっと開くと銀色に光を放つ指先ほどの石をペンダントヘッドに加工したものが現れる。
「これって…… 」
「『角』の残りだそうですよ。
これは珊瑚さまが持っているべきものだと、あちらの魔女様がお返しくださったのだそうです」
「全部使ってもらっても良かったのに。
たしか、欲しくても手に入らないほど貴重な物だって言ってたよね。
だったらわたしの手元にあるより、国王陛下の魔女様に持っていてもらったほうが良くない? 」
こうしてわたしの手元にあってもただの石だけど、国王の魔女なら有効に使ってくれる筈だ。
「貴重なものだからこそ、お返しくださったんですよ。
必要な量はきちんといただきましたと仰っていたそうです」
やんわりとそう言ってアゲートはわたしの持つカップを指差す。
「お話はこれくらいにして、それを飲んだらもう少しお休みくださいね。
一日でも早くお元気になっていただかないと、またわたしが殿下に叱られてしまいますから」
そう言って笑顔を向けた。
それから一週間後、砦の出口になる跳ね橋式の踊り場の上でわたしは思いっきり背伸びした。
外の空気は久しぶりだ。
砦の小さな窓からでは堪能できない、篭った匂いのない空気を思い切り胸に吸い込む。
「珊瑚さま。あまり遠くに行かないで下さいね。
まだ熱が下がったばかりなんですから。
井戸の脇で洗濯の手を止めアゲートが叫ぶ。
「わかってる! 」
わたしは答えると中門を出て広場に向かう。
……もう、大丈夫だよね。
ゆっくりと睫を落とすとその辺りの気配を探る。
うん。
大丈夫。
嫌な感じはない。
本当は、祭りの前に確認するべきだった。
そのくらいのこと探るのは簡単だった。
考えてみればそれもわたしの仕事だったはずなのに、今回の騒ぎが起きなければそんなこと考えもしなかった自分が情けない。
外門の方から犬の吼え声と、子供のはしゃぎ声が響いてきた。
視線を向けると、ティヤとラリマーがじゃれながら走ってくる。
「お姉ちゃん! 」
わたしの姿を見つけたティヤが駆け寄ってきた。それにラリマーが続く。
「ラリマー、もう平気そうだね」
「うん。お姉ちゃんの持ってきてくれた薬のおかげなんだよね。
ありがとう! 」
これ以上ないほどすてきな笑顔を向けてくれる。
「よかった」
つられてわたしも笑顔になる。
「あ、そうだ。これ…… 」
ラリマーは握り締めていた手紙を差し出した。
「なぁに? 」
腰をかがめてそれを受け取りながら訊く。
「さっき門の外で預かったんだ。
アゲートお姉ちゃんに渡してくれる? 」
「うん。いいよ。
ありがとう」
受け取った封筒にはアゲートの宛名がある。
……なんだろう。
なんだかとっても幸せな気分になる。
手にとっただけで、込められている暖かいものが伝わってくるような気がした。
わたしはその手紙を持ってアゲートのところに急ぐ。
「アゲート、これ今預かったんだけど」
洗い終えた洗濯物を広げていたアゲートに差し出すと、その顔が急に綻んだ。
「やっぱり、彼からなんだ」
ふと呟くとアゲートの頬が桜色に染まる。
「そ、そんなんじゃ……
マラカイトはただの幼馴染なんです」
口では否定しているけど、初めてみるこんな嬉しそうなアゲートの顔がそうじゃないことを物語っている。
「じゃ、ゆっくり読んでね」
せっかくの手紙を読むのに邪魔しちゃいけないから、わたしはその場を離れる。
……いいな。
嬉しそうに顔をほころばせるアゲートがなんだか羨ましくなった。
殿下、どうしているんだろう。
そんな思いが湧いて出て胸を締め付ける。
あの、大好きな笑顔を見たくて仕方なくて……
あの、皆に指示を出すときの精悍な表情も大好きで……
すぐにでも会いに行きたいような衝動に駆られてしまう。
わがままだって分かっているけど……
わたしの意識がない間、王都からの呼び出しを断ってまで、ずっとついていてくれたってアゲートが言っていた。
だから、きっとやらなくちゃいけないことが溜まっている筈。
すぐに戻ってこられるはずがないのは分かってる。
だから、そんなわがまま言って殿下を困らせちゃいけないってことも……
広場の隅に置かれたベンチに腰を下ろし、わたしは誰も居ないのをいいことに一つ大きなため息をつく。
城門の付近で何か動くものが目に入り顔を上げると、キューヴの青鹿毛の馬が入ってくるところだった。
「お帰りなさい! 」
わたしは馬を止めたキューブに駆け寄った。
「どうしたんですか? 珊瑚様。
こんなところで、お一人で」
意外とでも言いたそうにキューヴは目をしばたかせた。
「どうって、別に……
一人で砦の中に居るのも飽きちゃったし、たまには外の空気を吸いたいななんて思って出てきたんだけど……
いけなかった?
どうせ、まだ病み上がりだからベッドの中にいろとかっていいたいんでしょ? 」
わたしは笑みをこぼす。
「いえ、そうではありませんけど……
殿下はどうなさっていますか?
何時もなら何かない限り、こちらにいらっしゃる間は珊瑚様をお側から放さないはずですよね」
キューヴが首を傾げる。
「殿下ならまだ戻っていないけど? 」
わたしはキューヴの顔を覗き込む。
「そんな筈は……
あちらでの所用を終えすぐにこちらにお戻りになった筈なんです。
病み上がりの珊瑚様が心配だからと……
事後処理が残っていたので僕が残ることになって、こうして一足遅くなったのですが…… 」
「それって何時の話? 」
わたしはキューヴに詰め寄った。
「おとといですが。
それともこちらに着てからまた視察の必要な案件でもできてお出かけになったとか? 」
「ううん。
殿下、あの日王都に行ったきり戻ってないけど。
もしかして他の処に寄っているとか? 」
「いいえ、それはないと思います。
もしこちらへ来る途中で行き先を変更されたのであれば、必ず僕のところには連絡が来るはずですから」
キューヴが眉根を寄せた。
「……じゃ、殿下はどこに行ったの? 」
わたしの問いにキューヴは答えない。
ううん、答えられない。
……何か嫌なものが頭の隅に沸きあがってくる。
何かがあった。
それも笑い事で済まされないような何かが……
わたしの頭の隅に沸きあがった言い知れぬ不安は見る間に頭をもたげて大きくなってくる。
何時ものように出掛けに額にキスをしてもらえば、こうなることが分かっていたかもしれない。
なのに、何故今回に限って?
「珊瑚様? 」
黙りこんでしまったわたしの顔をキューヴが覗き込んでくる。
「う、ん…… 」
なんて言っていいか分からない。
ただの思い過ごしであって欲しいと思う。
思うんだけど、ここへ着てからのわたしのこの手の勘は冴えに冴えてる。
勘というより予知といったほうがいいほどに……
これも魔女の力の一片なのかも知れない。
だけど、役立たずなことに、あくまでも予知だけだ。
それを回避する方法を見出したためしがない。
「珊瑚さま。風が変わって来ましたから、そろそろ中にお入りになってくださ…… 」
アゲートが駆け寄ってくる。
「どうかなさいましたか? 」
わたしとキューヴの顔を見て首を傾げた。
0
あなたにおすすめの小説
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
『白い結婚だったので、勝手に離婚しました。何か問題あります?』
夢窓(ゆめまど)
恋愛
「――離婚届、受理されました。お疲れさまでした」
教会の事務官がそう言ったとき、私は心の底からこう思った。
ああ、これでようやく三年分の無視に終止符を打てるわ。
王命による“形式結婚”。
夫の顔も知らず、手紙もなし、戦地から帰ってきたという噂すらない。
だから、はい、離婚。勝手に。
白い結婚だったので、勝手に離婚しました。
何か問題あります?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
靴屋の娘と三人のお兄様
こじまき
恋愛
靴屋の看板娘だったデイジーは、母親の再婚によってホークボロー伯爵令嬢になった。ホークボロー伯爵家の三兄弟、長男でいかにも堅物な軍人のアレン、次男でほとんど喋らない魔法使いのイーライ、三男でチャラい画家のカラバスはいずれ劣らぬキラッキラのイケメン揃い。平民出身のにわか伯爵令嬢とお兄様たちとのひとつ屋根の下生活。何も起こらないはずがない!?
※小説家になろうにも投稿しています。
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる