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24・食べられそうになったので、
しおりを挟む目が覚めると、灰色の光の中に天井の板が広がっている。
ゆっくりと身体を起こすと、こめかみのあたりを引き絞られるような軽い頭痛がした。目の奥が痛い。
それでも何度か目をしばたかせ、今居る場所を確認する。
さっき女と対峙していた部屋だ。
壁の様子も床も、置かれた家具さえも全く一緒のことから、眠らされてどこかへ運ばれたわけじゃなさそう。
窓から差し込む光が夕日から灰色になっているって事は、少なくとも明け方だと思う。
さすがに、あの伝染病を簡単に止めた腕を持つ陛下の魔女の作る薬。
経口摂取したわけじゃないのに、匂いだけで一晩近く熟睡できるって、凄い。
なんて、関心している場合じゃない。
痛む頭を抱えて立ち上がる。
とはいえ、縛られていないところをみると出られるわけないんだよね。
一応、この国の王子様との身柄交換で手に入れた人間。
普通なら仲間でない限り逃がさない。
何かやらせるんじゃなければ、殺すとか、次の切り札のために監禁するとかが常套手段だ。
ま、いきなり「何もしないから帰れ」って言われたのには面食らったけど。
できないからって「はいそうですか」なんて簡単に開放してくれるなんて思ってない。
今回の件、顔が割れちゃってるし、少なくともあの人たち国外にでも逃げないとやばいと思う。
と、なれば自分達が国境を越えるまではわたしのこと縛っておくはずだ。
などと、あれやこれや考えながらとりあえずドアに向かう。
だって、このまま座っていたってどうなるわけでもないから。
とりあえずは見張りがいないか、耳をつけて確認する。
ドアの向こう側はしんと静まり返っていた。
人の話声どころか、息遣い、気配、その他もろもろ何の音もしない。
そういえば、カイヤ夫人はわたしのこと生まれがどうとかって莫迦にしてくれたけど、一方で殿下べったりの何にもできないお嬢様だって言っていた。
ということは、ろくな見張りたてておかなくても、逃げることはないとかって油断してたりして?
チャンス! と、言うかなんと言うか。
ドアの向こうの様子によっては蹴破って逃げ出せるかも?
なんても思う。
だってほらここのドアって金属板じゃないし、結構つくりがいい加減。
さすがに砦の門の跳ね橋件扉のような頑丈な奴じゃ、少しくらい蹴りあげあって無理だけど、ここのはそれほど頑丈じゃなさそうだし。
無意識にドアノブに手を掛けると、かたりと軽い音をたててドアが開く。
「え? 」
出そうになった声を慌ててわたしは押し殺す。
とりあえず、気配を殺して細く開いたドアをそれ以上開かないように片手で抑えながらその隙間から外の様子を探る。
予想外にというか、案の定と言うかドアの外に人の姿はなかった。
それに気を良くして更にドアを大きく開いて顔だけ出し、もう一度誰かの影がないかと確認する。
よっし。誰もいない。
逃げるんだったら今だよね。
鍵を掛け忘れたか、それともまだわたしが目覚めないと踏んでいたのかは知らないけど。
戻って来られたら今度何時こんなチャンス来るかわかんないし。
ドアを潜って出た先は、たった今私がいた部屋と比較して三倍くらいの大きさの広間だった。
やっぱり小さな窓から灰色の光が入り、向かい側の壁に一つのドアがついている。
ここの建物って、廊下の概念がないのかな?
どこに行ってもドアを開けると部屋になっている。
などと思いながらそのドアにそっと近づく。
さっきとおんなじように外の様子を探ってみる。
……やっぱり見張りはいないみたい。
どうなっているんだろう?
首をかしげながらも開けたドアの先は戸外だった。
この建物も砦と同じように二階に出入り口があり、外壁に階段がついている。
とにかくこんなところに突っ立っていたらどこからも丸見えになりそうって事で、わたしは慌てて階段を駆け下りると、建物の影にとりあえず身を隠した。
一息ついてここがどこなのかと見渡すと、灰色の空の端が虹色になりつつある。
もしかして聖域の中?
ということはあの時殿下の居た小屋とそれほど距離が離れていないってことになる。
正直、逃げ出したはいいけれど、ここに来てからほとんど砦の中で暮らしていてどこがどこなのか全く分からない状態だから、少しでも事情のわかる場所だって言うのはありがたい。
まるっきり知らないところだったら、どうやって砦に帰っていいかわからないもん。
暫く様子をみていたけど、誰も戻ってくる様子はない。
わたしは人里へ降りる道を探して歩き出した。
空は灰色からすっかり虹色になっている。そのファンシーなまだら色の空に浮かぶ三つの白い月。
大きな建物や樹木のまったく見えない開けた空間。
つまり、聖域の真中だと思っていい?
暫く歩くと目の前に湖が見えてきた。
まず目に入ったのは黄緑色。
そしてわたしがその岸辺にたどりついた時には空色から紫へと色が変わってゆく最中だった。
その水の中から飛び出して羽ばたいてゆく鳥の群れも相変わらず。
わたしが初めて殿下に会った場所。
あの時にはまさか、いくら理想の容姿をしているからって殿下のことこんなに好きになるなんて思わなかった……
そういえば、殿下は、どうなったんだろう?
ふと思う。
今までは自分のことにいっぱいいっぱいすぎて殿下のことどころじゃなかった。
女は薬が切れれば自力で何とかなるって言っていたけど。
思いはじめると殿下のことがすっごく恋しくなる。
目を閉じると目蓋の後ろに殿下の笑顔が浮かんだ。そっと優しく髪を撫でてくれる感覚まで伴って。
……よし、大丈夫。
目蓋の裏に浮かんだ殿下の笑顔を前にわたしは気合いを入れる。
側にいなくてもわたしの隣には何時も殿下が居る。
そう思える。
だから帰るんだ。
殿下の所に。
きっと待っていてくれるから。
そしてわたしはかすかな記憶を手繰って歩き出す。
とは言っても、あの時のわたしはかなり混乱していたからこの広い面積の湖のどの岸にいて、どこを伝って里への道に出たのか記憶がない。
おまけにここ、空や湖面どころか生えている草まで虹色で、目印になるような樹木とか特長のある岩みたいなものが何にもなくて……
ほんっとうにどこへ向かって歩いたらいいのかまるっきり分からない状態。
さっきの閉じ込められていた小屋と言うか倉庫というかあれがわたしの見た唯一の人工物で、ここに来る人って皆あれを目印にしているんじゃないかとは思うんだけど……
今更あの場所に戻る気にはなれない。
なんだろう? 見慣れたものが見慣れない色でしかもあちこちに散らばっているから脳が錯覚でも起こしたのか、それとも今朝方まで眠らされていたあの薬の副作用なのか、軽い眩暈がする。
頭上の虹色の空がなんだかぐるぐると廻っているような気分に襲われわたしは思わず吐き気を催した。
少し休みたくて足を止める。
なんだか、お腹も空いたし喉も渇いた。
そういえば、ここの湖の水、ストロベリーソーダの味がしたんだよね。
こんな時なのに、わたしの食いしん坊が顔を出す。
うん、いざという時に動けないといけないし、ここは体力温存が肝心。
幸いというか、ここの湖の水が毒や身体に害のあるものでないのはこの間実証済み。
あれだけしこたま飲んで、お腹も壊さなかったし、熱も出さなかった。
腹の足しになるかは不明だけど、少なくとも喉の渇きだけは癒せるはず。
わたしは湖畔に足を運ぶと、膝をつきその水に手を浸す。
ひんやりとした水の感触が気持ちいい。
両手に掬って口元に運ぶと今日の水はメロンソーダの味がした。
もしかしてここの水って色によって味が違う?
こんな時なのに冷静にそんなことを考えている自分に呆れる。
と、わたしの手元を影がよぎった。
「何? 」
妙な不安を感じて空を見上げる。
そのわたしの顔が思わず引きつった。
あれは……
それまで頭上に広がっていた虹色の空を塞ぐ巨大な影。
逆光でほとんど影なんだけど、よくみると、黄色とオレンジ色のグラデーション。でもってその姿は孔雀のようで孔雀じゃなくて、強いて言えば賞状の縁によく描いてある鳥のような……
なんて観察している場合じゃない。
大きいのは影だけじゃなくて、実物も随分と大きくて、わたしの頭上かなりの距離がまだあるはずなんだけど、すでに羽ばたきの度に風が起こり前髪をなぶる。
それがわたしめがけて真直ぐに近づいてきているような気がする。
もしかして、じゃなくて、もしかしなくてもわたしを狙っている?
もう、近づいてなんてレベルじゃない、明らかにわたし襲われている!
そういえばキューヴがあの時この鳥は肉食とか何とか言っていたような……
鳥は鍵爪を立ててわたしを掴みに掛かる。
っとに、冗談じゃない!
どこかに隠れようにもこんな何もない場所じゃ隠れるところはないし。
逃げようたって、わたしの足じゃ追いつかれるのは目に見えている。
……このままじゃ、食べられちゃう!
わたしは沸きあがってくる恐怖も手伝って目をぎゅっと閉じる。
で、分かってしまった。
あの女、カイヤ夫人。
わたしが逃げないと思って見張りの手を抜いたわけじゃない。
あの場所にわたしを転がしておけば逃げ出してくるのを承知して、わざと誰も見張りをつけなかったんだ。
そうすれば、この場所に不慣れなわたしがうろうろしてあの鳥に見つかって、その胃袋に入るのがわかっていたから。
つまりは自分の手を全く汚さないでもわたしの始末が付く。
ついでに、勝手に出歩いたわたしが悪いんだってことにすれば罪まで逃れられるって寸法で。
……頭のいい人なんだけどな。
なんであの帳簿はザルだったんだろう?
どうでもいいことまで考えてしまう。
そう、今はあの鳥からどうやって逃げるかを考えるほうが優先!
鳥の胃袋には納まりたくない。
かといって……
足では勝てる気がしないし、追い払おうにも武器も何にも持ってない。
ま、武器持っていたところでわたしに使えるわけないんだけどね。
などとのろまにも頭の中でぐるぐると考えているうちに鳥の鍵爪がわたしの髪を掠める。
反射的にその場に座り込んで頭を両手で覆った。
その反動で胸元のペンダントが翻り光を反射する。
それとほぼ同時に鳥は大きなうめき声のようなだみ声を上げわたしからやや距離を取る。
「何? 」
何が起こったのかわからないままにわたしは顔を上げ鳥の位置を確認しようとした。
わたしのその動作に連れてまたペンダントが光る。
それは小さなきらめきに過ぎなかった筈なんだけど……
鳥は怯えたように更に距離を離す。
「もしかして、これ? 」
わたしの首に下がった二つの石。
そのうちの一つのペンダントヘッド。
銀色とも金色とも取れる透き通った石は多面を有した形状のせいもあり日差しにかざすときらきらとこれ以上ないほどに光を反射する。
陛下の魔女に一部返してもらったユニコーンの角。
その光を目に入れるのが嫌なのか鳥は目を細め、ひっきりなしに瞼をしばたかせる。
そして、そのまま。
逃げ去るわけじゃなかったけど、わたしから距離を置いたまま近付いては来なかった。
何がどうなっているのかわからないけど、とにかく助かった。
暫くの間はしのげるはず。
この間に、道を探して里の方に降りてしまえば……
道らしきものを探してわたしは視線を泳がせた。
その視界に何かがこちらへ走ってくる影が見える。
今度は何?
わたしは息を呑む。
「わん! 」
黒い影はわたしに向かって真直ぐに突進してくると共に軽い吼え声を上げた。
「もしかして、ティヤ? 」
思わず呟く。
茫然とその姿を見つめていると、影は徐々に薄くなりティヤの特徴である、四肢の白い背中に茶色と黒のまだらの模様が見て取れる。
「ティヤ! 」
呼びかけると犬は一気にわたしめがけて駆け寄ってきた。
嬉しそうに尻尾がちぎれるかと思うほどに振り回し、わたしの足元を何度もぐるぐると廻る。
「ティヤ、どうしてここに? 」
その顔を見ながら聞いてみるけど、ティヤはそれどころじゃないみたいで……
空を見上げて鋭いうめき声を発して、次いでわたしのドレスの裾を銜えて引っ張るようにする。
なんだか、「早くここを立ち去るべきだ」と言っているみたいに思えて、わたしはティヤに引っ張られるままに、その方向に歩き出した。
先に立つティヤに道案内されるようにして、湖を背に暫く歩いた先に何頭かの馬がたむろしているのが目に入った。
栗毛の馬に青鹿毛、皆馬具をつけているから野生の馬じゃない。
馬の隣にはそれぞれの方角に顔を向け視線を泳がせている何人かの男の姿がある。
「わん! 」
ティヤがその姿を目に深く響くような吼え声をあげると、真直ぐに走ってゆく。
嬉しそうに尻尾を振る犬を迎え軽く腰を折ってその頭を撫でた人物の顔が、犬に促されるようにしてこちらへ向けられる。
「…… 」
その顔は大きく目を見開いたまま驚いたような表情で動かなくなる。
次いで傍らのその男より一回り大きな影がわたしの方角に振り返り……
大またで一気に駆け寄ってくる。
その姿を立ち尽くしたまま呆然と見つめていたわたしは駆け寄った影にこれでもかと言うほどの強い力で抱きしめられた。
「あ…… 」
伝わってくる体温と胸の鼓動。
それを感じただけで何も言えなくなる。
「無事で、良かった…… 」
その頬を額に押し付けられ、あれほど恋しかった声で囁かれる。
次いで何度となく額にキスが落とされた。
「殿下? 」
顔を上げて問い掛けると、これ以上ないほどの優しい笑みが向けられた。
「どれほど心配したか、わかっているのか? 」
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