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25・帰ってこられたので、 -前-

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「でもよかったですわ。
 珊瑚さま、無事にお戻りになられて…… 
 珊瑚さまが一人でお出かけになるって聞いたときにはどうなることかと気が気じゃなかったですけど」
 砦に戻ると、汚れた身体を運んでもらったお湯で落とす。
 ついでわたしの着付けを手伝ってくれながらアゲートがやっと安心したとでも言いたそうな息を吐いた。
「何度でも言わせて貰いますけど、もし珊瑚さまに何かあったら、お叱りを受けるのはわたし達なんですから」
「ごめんなさい」
 わたしはその言葉に肩を落としてうなだれる。
 
 それはわかっているつもりだけど、どうしても殿下が優先になってしまう。
 ただ守られて待っているだけなんて、できない。
 大好きな殿下のために、わたしにできることがあるのなら力になりたい。
 
「殿下は、どうだったの? 」
 髪を整えてもらいながらわたしはアゲートの顔を覗き込んで訊いた。
「はい? ええ。
 珊瑚さまがお出かけになった翌朝、珊瑚さまの乗っていらした青毛の馬でお戻りになりました。
 珊瑚さまがいらっしゃらないことをお知りになると酷く動揺して、わたし達近寄ることもできなかったんですよ」
「怪我とかはなかった? 」
「はい、そちらのほうはなんともありませんでしたよ」
「そっか、よかった…… 」
 わたしは安堵の息を吐く。
 本当は自分の目で、というかあの能力で確認したいんだけど、とりあえず身支度がすまないと部屋が出られない。
 地べたに近い床に転がされたり、馬の背に荷物のように担がれたりしたものだから、ここに戻った時のわたしの様子はみられたものじゃなかった。
 お湯を運んでもらって躯と髪を洗って、新しいドレスを着てようやく人間に戻った気分だ。
「はい、できました」
 結ったトップの髪にドレスと同じ紅と金のダマスク織りの生地で作った花飾りを差しアゲートがわたしの肩を軽く押す。
「わっ…… 可愛い…… 」
 鏡を見てわたしは呟く。
 興が乗ったのか、アゲートはわたしの髪を何時もより凝った形に整えてくれていた。
 なんだか自分じゃなくて、御伽噺のお姫様みたい。
「ありがと、アゲート」
 振り返って笑いかける。
「食堂のホールへ、いってください。
 殿下が今頃痺れを切らしてお待ちしているはずですから」
 そう言って微笑んだ。
 
 二階の何時も皆で食事をとるホールに入ると人でごった返していた。
 何時もなら別の場所で食事をしているアゲートやキッチンのおばさん。メイドの女の子まで女性陣も混じっている。
 テーブルの上に並んだ食事も豪華で、何か始まるんだなって思える。
「珊瑚さまが無事に戻ったお祝いだそうですよ」
 あとをついてきたアゲートが後ろから説明してくれる。
 この間のお祭りの時ほどじゃなかったけど、楽団の人とかもいて音楽を奏でお酒が振舞われ、まさにちょっとした宴会風景。
「殿下、大げさ…… 」
 思わずわたしは呟いた。
「それだけ嬉しかったんだと思いますよ」
 もう一度アゲートが耳元で囁く。
 
 そっか、だからアゲートも何時もより豪華なドレスに華やかな髪型にしてくれたんだって、この 時気がついた。
 
「どうぞ、珊瑚さまのお席はあちらです」
 アゲートがホール正面の殿下の隣を指差した。
 
 こんな場所で中央正面の殿下の隣なんて。
 ……なんか、ひな壇みたいで。
 座るのが少し恥ずかしいかも。

「いいよぉ。
 わたしこっちで」
 入り口付近の開いた席へ行こうとした背中をアゲートに押された。
「駄目です。
 殿下もお待ちなんですから」
 やんわりと言いながら目が真剣だ。
 このまま拒否したら引きずってでも連れて行かれそうなその表情にわたしは負ける。
 仕方なく、みんなの間を縫って殿下の隣へ向かった。
「ああ、アゲートの言うとおりお前には赤がよく似合うな」
 傍らまで行くと殿下はそう言って腰に手を伸ばし軽く頬に唇をよせてくる。
 その言葉に、このドレスもまた殿下が用意してくれたものだってわかる。
「いつもありがとう」
 そんな風に気を使ってもらうのがうれしくてわたしは殿下に微笑みながらお礼を言う。
「いや…… 」
 何故か殿下は照れくさそうな顔をしてそっぽを向いてしまった。
 
 
 それから数時間。
 何時の間にか始まっていた宴は終わるそぶりを見せない。
 その騒ぎを前にわたしは一つ欠伸を漏らす。
 振舞われたお酒が廻り、楽団の音楽に合わせて中央では酔った勢いのダンスまで始まって、何時になったらお開きになるの? 状態。
 皆が楽しんでいるのは嬉しいんだけど…… 
 なんだろう? 
 身体が酷く重だるい。
 酷い眠気も襲ってきて、そこに座っているのが困難になってきた。
 もしかしてあの時の薬がまだ身体に残っているのかも知れない。
「殿下、わたしそろそろ休むね」
 盛り上がっている皆を邪魔しちゃ悪いから隣に座って杯を傾けている殿下の耳元にだけきこえるように囁くと、そっと席を立つ。
「どうした? 気分でも悪いか? 」
 殿下の青灰色の瞳が不安そうに揺れた。
「ううん、ただ少し眠いだけだから」
 いってそろりとホールを横切り螺旋階段へ出る。
 上の階へとゆっくりと上りだすと、すぐに殿下が追ってきた。
 
「こっちだ」
 寝室のある上の階へ登ろうとしたわたしの手をとり、何時もの執務を取るホールを示す。
 何かまだ用でもあるのかと仕方なく従うと、そのまま殿下の寝室に連れ込まれた。
「あのね、殿下。
 わたし少し寝たいの」
 これから起ころうとすることを予見してわたしは自分の手を握り締めた殿下の腕をやんわりと振り解こうとした。
「いいから、ここで寝ろ」
 有無を言わせずにそう言うと、わたしをベッドに抱き上げる。
 殿下には申し訳ないけど、正直今日はそれどころじゃない。
 とにかく睡魔がわたしの身体全体を支配している感じ。
「やだ」
 逃げようとしたところ、髪を掴まれ引き寄せられる。
 やっぱり、長い髪は不便だ。
 殿下はわたしを抱き寄せると、逃すまいとするかのようにその髪を腕に巻きつけてしまう。
 
 うぅ…… 
 
 これじゃ、逃げるに逃げられない。
 
 わたしは少し非難を込めて殿下を睨み付けた。
「そんな顔をしないでもいい、何もしないから」
 なだめるように言ってその胸にわたしの頭を抱き寄せる。
「お前のベッドは狭いからな…… 」
 呟いて、言葉どおりそれ以上何もしないで目を閉じてしまった。
 
 暖かい…… 
 殿下の囲い込む片腕を枕にわたしはその胸に額を寄せる。
 伝わってくる柔らかな体温と、鼓動はとてもわたしを安心させてくれる。
 
 そのまま、知らずにわたしは眠りに引き込まれていった。
 
 
 窓の外で小鳥が囀る声に目を覚ますと、殿下の整った顔が間近にあった。
 やっぱり疲れているのかよく眠っている。
 わたしはその眠りを妨げないように、できるだけそっと動いて囲い込む腕を解きベッドを降りる。
 何時の間にかドレスは脱がされ、コルセットだけは緩められていたけど他の下着に乱れはないから、言葉どおり殿下はただわたしを抱えて寝ていただけなんだってわかる。
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