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27・所払いをされたので、 -前-

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 それから数日後。
 いつものようにわたしを傍らに置いて殿下は積み上げた書類を睨んでいた。
「ここの、バスハ地方の税収どう思う? 」
 殿下がわたしの前に帳簿の一枚を差し出す。
「う、ん…… 
 今年は小麦の出来が良かったって言う割に、少ないよね」
 別の書類を引っ張り出し見比べながらわたしは呟いた。
「……ったく、陛下は何をしてるんだ」
 唸るように殿下は呟く。
 それと同時にホールのドアがノックされた。
 
「殿下、客人が到着しました」
 サードニクス将軍が見慣れない人を三人ほど伴って現れる。
「キューヴはどこだ? 」
 お客様への挨拶もそこそこに殿下が言った。
「わたし、探してくるね」
 立ち上がると、散らかった書類を慌ててまとめて隅に積み上げ、階段へ向かう。
「ついでにお茶を誰かに持たせろ」
「うん、頼んでくる」
 返事をして、閉めたドアを振り返った。
 
「誰なんだろ? 」
 この砦にわたしの知らない人が出入りしているのはいつものことなんだけど、今日の人たちはなんだかいつもと様子が違った。
 例えば顔つきだったり、服装だったり。
「隣国の大使ですよ。
 今度の姫君御輿入れ前の、事前滞在のことで打ち合わせに来たのでしょう。
 体よく所払いをされましたな」
 続いてホールを出てきた将軍が苦笑いを浮かべた。
 本当なら、魔女としての立場なら今あの場所に殿下と一緒にいなければいけないはず。
 
 わかってる。
 それが殿下の優しさなんだって。
 
 わたしに余計な心配をかけさせまいと気を使ってくれているってこと。
 
 わたしは気持ちを切り替えてキューヴを探しに向かう。
 
「う~ん。
 どこに行っちゃったんだろう? 」
 厩を出るとわたしは軽く唸る。
「城門楼も倉庫も見たし、あとどこだろ? 」
 呟きながらわたしは足を急がせる。
 殿下が呼べって言っているってことはお使いで城外に出ているわけじゃないと思うんだけど…… 
 今日に限って全くキューヴが見つからない。
 あと見ていないところといえばキッチンだけなんだけど…… 
 
 厩から出るとキッチンへは裏口の方が近い。
 何気なく足を向けると、裏口で誰かが薪を割っている薪割り斧の音が響いた。
「全く…… あんたも苦労するね、キューヴ」
 料理人のおばさんの声が耳に入った。
 こんなところにいたんだ。
「若い器量のいい魔女様もよし悪しだよね」
 ため息混じりに言っているおばさんの言葉に、わたしの足が止まる。
「どうしてそう思うんですか? 」
 それに答えるキューヴの声。
 ついで薪を割る斧の音が響いた。
「殿下だよ、殿下。
 相当珊瑚ちゃんに入れ込んでいるようじゃないか。
 このままだと、先王陛下のように伴侶を娶らないなんて言い出しかねないよ。
 あんた、どうするつもりなんだい? 」
 その声はとても困惑していた。
「どうと言われても…… 」
 答えるキューヴの声も困っている。
「今更何を言っても殿下のお耳には入りませんよ。
 なにしろ、珊瑚様は、殿下の理想そのものが形になったようなお方ですからね。
 漆黒の絹の髪も黒曜石の瞳も、華奢な身体の、象牙色の滑らかな肌まで全部。
 まるで殿下の注文で最高の材料を使って誂えられたような…… 」
「そういえば、昔から殿下は黒猫とか黒い瞳の栗鼠とか好きなお子だったね」
 思い出したようにおばさんは言う。
「僕だって最初にひと目見た時には驚きました。
 こんなに殿下の理想どうりの人間がどうしているんだって。
 この国の人間は髪も瞳の色も割と薄いですからね。黒髪って言うだけだって貴重なのに。
 その上、あんなに慕ってもらったら、手放すほうが無理って物じゃないですか? 」
「そりゃ、そうかも知れないけど…… 
 わたしらは本当に心配しているんだよ。
 あんたのおばあさん、先代の魔女様の時だってひと悶着あったんだから。
 結局、みるに見かねた先代の魔女様自身が身を引く形で一時姿を消して、先王陛下が八方手を尽くして探し出したと時には、お腹の中にキューヴあんたの父親を宿していて、それでようやく先王陛下も腹をくくったんだよ」
「知ってますよ。
 それがあったから現国王陛下は魔女を手に入れる前に強引に婚姻を結ばされたってことも」
 話の合間にキューヴは斧を振るっている。
「珊瑚ちゃんは、ここに来た時からわたしらとも気さくに話をしてくれたし。
 ご自分の立場がどういうものかわかってからも、ちっとも態度が変わらなかった。
 おまけに、殿下との関係を持ってからだって、わたしらにおおっぴらにならないようにそれとなく気を使って…… 
 そういうところがいじらしいじゃないか。
 だからね、わたしは珊瑚ちゃんが可愛くて仕方がないんだ。自分の娘のようにね。
 その珊瑚ちゃんに、あんたのばあさんのような思いはさせたくないとは思っている。
 だから、何とかならないのかい? 」
「何とかと、言われても…… 」
 キューヴは口篭もる。
 
 ……なんか、聞いちゃいけない話を聞いてしまった? 
 
「キューヴ! 」
 少し後ろめたさも手伝って、それ以上話を聞かなくていいようにわたしは足を止めたままわざと大きな声でキューヴを呼ぶ。
「珊瑚さま? 
 ここです」
 額にうっすらと浮かんだ汗をぬぐいながらキューヴが今まで薪を割っていた場所からだと陰になっているこちらへ顔を出す。
「どうかしましたか? 」
「うん。
 殿下が、お客様が来たからって、呼んでたの。
 それとお茶を…… 」
「わかりました」
 キューヴはいつもと変わらない笑顔をわたしに向けてくれる。
「おばさん、悪いけど、薪割はここまでですよ。
 後は誰かに頼んでください。
 それとお茶の準備をお願いします」
 裏手に声をかけるとキューヴはあわただしく走ってゆく。
 同時に裏手から、おばさんがキッチンに戻る音がした。
 
 
「で? あんたは殿下の所に行かなくていいのかい? 
 珊瑚ちゃん」
 暫く後、キッチンの片隅に居座るわたしにおばさんが言った。
「うん。
 わたし今日は追い出されちゃったみたい、なんだよね」
 さっきのサードニクス将軍の言葉を思い出して、このまま戻らないほうがいいんじゃないかって判断はできていた。
 殿下もわたしが側にいたんじゃ話しにくいこともあるだろうし。
 第一本当にわたしがあの場にいる必要があるんだったら、とっくにお呼びがきているはず。
 
 部屋に戻ってもすることのないわたしはまたしてもこうしてキッチンに居座る。
 追い出されたことに少しだけ腹を立てているのも手伝って、ボールに入れた卵白を少し乱暴に泡立てる。
「今度はなんだい? 」
 そのわたしの手元をおばさんが興味深そうに覗いてきた。
「シフォンケーキ、に、なる、か、な? って」
 頭を傾げながらわたしはたどたどしく答える。
「なんだい、それは? 」
「バターケーキより軽い食感のお菓子なんだけど…… 」
 正直成功させる自信はなかった。
 何しろパン以上に材料も手順もうろ覚え。
 しかもクッキーのように材料配分いい加減でもなんとか形になるって物でもない。
 だけど、何かしていないと、それもできるだけ頭を使うことを、いられなかった。
 確か、卵白を泡立てて粉類をあわせて油を入れて…… 
 型に流したタネをオーブンに押し込む。
 
 ここのオーブンは一日中火が入っているからそれだけは便利だなって思う。
 ケーキ生地の焼けるのを待ちながら、キッチンにいる皆でお茶のカップを傾ける。
 オーブンからケーキの焼ける香ばしい匂いが漂ってくるころには、わたしのささくれだった気持ちもだいぶ治まってきていた。
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