4 / 79
薔薇園のラプンツェル
- 3 -
しおりを挟む「アネットあなた、昨日のハンティング、ライオネル様の馬に乗せていただいたんですって? 」
笑みを浮かべて訊いてくる王妃は、今日は体調がいいらしく顔色がいい。
アネットは何よりもそれが嬉しかった。
「え、まぁ…… 」
アネットは曖昧に答える。
できることなら、あの醜態は姉には知られたくない。
「それで? 」
何かを聞きたそうに首をかしげる王妃のこの笑みからすると、おそらく昨日のことは全部耳に入っているのだろう。
「ごめんなさい。思いっきり暴れて、結局ライオネル様の邪魔をしました」
仕方なく正直に話すと王妃は目を見開いた。
「でもあなた、子供の頃は馬があんなに好きだったのに。
小さいくせに邸で一番大きな馬を平気で乗りこなしていたあなたが、どうして? 」
王妃は首をかしげた。
「お姉ちゃんは知らないのよ。
お嫁に行った後だったんだもの。
あの年、わたし馬から落ちて手綱が足に絡まって引きずられて、危うく死ぬところだったんだもの。死んだり、後遺症が残らなかったのは奇跡だったってお医者様に驚かれたわ」
「そんな話聞いてないわよ? 」
王妃は目を見開いた。
「ん、父様が内緒にしたの。
慣れない生活を始めたばかりのお姉ちゃんに心配掛けちゃいけないって。
一応わたしも命が繋がっていたから、連絡する必要はないって。
ただ、振り落とされた馬が悪かったのよね」
「調子に乗って大きな馬になんか乗りたがったからじゃなくて? 」
「ううん、だったらまだよかったのかも知れないんだけど。
わたしを振り落としたのは、ポニーだったの。
以来馬は大きくても小さくても全部駄目。とにかく怖いの」
「そうだったの。
ごめんなさいね、怖い思いさせて。知っていたら王子様方にきちんと言っておいたのに。
あとでライオネル様にも謝罪させるわね」
「大丈夫。
それに殿下だってわたしに気を使って、誘ってくださったんだもの。
お好きなハンティング中座していただいて、却って申し訳ないことしちゃった。
わたしのほうこそ謝っていたって伝えてね」
「そういうのはね、自分の口で直接言うものでしょ? 」
王妃は言う。
「でも、ライオネル様と直接お話する機会なんて、あるわけないし」
実際のところ別殿で姿を見かけるライオネルはいつでも誰かに取り囲まれている。二人っきりで話すどころか、声さえもかけられない。
「そうね。じゃ、アネット、少し用事を頼まれてくれないかしら? 」
いいながら王妃はメイドに何かを促した。
「これね、ハニーマフィンなんだけれど、料理人のサットンさんが、わたくしが好きだから食が進まないときにも食べられるんじゃないかって、焼いて届けてくれたの。
だけどこの量でしょう? わたくしひとりでは食べ切れそうにないの」
王妃はメイドの持ってきた籠を受け取りながら言う。
「それでね、ライオネル様が特別にお好きだから届けてもらえるかしら?
きっと今頃剣のお稽古を終えておなかを空かせていらっしゃると思うの。
わたくしのお使いだといえば剣技場へ入れてもらえると思うわ」
次いでそれをアネットに差し出しながら王妃はにこりと微笑んだ。
「ありがとう、お姉ちゃん」
籠を受け取るとアネットは部屋を出る。
そしてできるだけ急ぎ足で剣技場へと向かった。
本当は自分で謝らなければいけないことはわかっていた。
だから、姉の気遣いがとても嬉しかった。
姉から預かった籠を下げ、アネットは正面玄関を出ると裏手側に回る。
手入れの行き届いた植物で埋め尽くされた庭園を横切り、その向こう、城を取り囲む塀の近くに兵舎や厩は集合している。その一角に剣技場もあった。
一気に走りそこまで来たところでアネットは弾んだ息を整える。
胸の鼓動はなかなか治まってはくれなかった。
「アーサー様、出ていらしたわ」
「お願いしたらこれから遠乗りに付き合ってくださらないかしら? 」
こんな場所まで少女の華やかな声が響いてアネットの耳にも届く。
その声にアネットは剣技場へ入るのを尻込みした。
自分だけ特別扱いされているのに気が引けた。
「お前、こんなところを何でうろうろしているんだ? 」
籠を抱えたまま戸惑っていると頭上から声が降ってくる。
顔を上げるとライオネルの姿があった。
「あ…… 」
不意に現れた予期せぬ顔にアネットは言葉を失う。
「どうした? ここに何か用か? 」
「あの」
言いかけたとき、
「見て、あれ、ライオネル様じゃないかしら」
少し離れたところから声がする。
「やばっ、いくぞ」
ライオネルはアネットの二の腕をつかむと走り出した。
「ちょっと、まっ…… 」
強い力で掴まれ半ば引き摺られるようにして小走りになりながらアネットは抵抗の声を上げたが、男の耳には届いていないようだった。
「お願い、痛い」
しばらく歩いてどこかの建物の中に入ったところで、アネットが耐え切れなくなって悲鳴に似た声を上げると、ライオネルはようやく足を止めた。
「ああ、悪い」
男はそこで初めて自分がつかんでいたのが物ではなく人だったことを認識したようだ。
「こちらのようよ」
アネットが乱れた息を整えていると、先ほどの少女達の声がする。
「しっ、こっちだ」
傍にあった扉をあけライオネルは再びアネットの腕をつかむとその部屋へ引き込んだ。
室内はここのどの部屋とも様子を異にしていた。
人の気配は全くなく、空気が動く音さえも聞こえそうなほど静まり返っていた。
すべての壁には天井まで本棚がしつらえられぎっしりと本が詰っている。
書庫のようだ。
その蔵書の多さに圧倒されていると、乾いたかすかな音と共に窓際で何かが動いた。
音の方角に、窓から差し込むわずかな光の下で手にした本のページをめくるひとつの影。
それはこの静寂な空間を破る訪問者に気付き顔を上げる。
「何かご用ですか? 」
肩から零れ落ちる程の長く癖のない銀の髪を持った若い男。
「 ? この人…… 」
ふと思う。
髪の長さと瞳の色を除けば男は庭師の男とそっくりだった。
「珍しいですね。兄さんがこんなところに来るなんて」
長い髪の男はゆっくりと立ち上がるとライオネルと向き合った。
「兄さんって、もしかして所在不明の第三・四王子様? 」
アネットは何気なくつぶやいていた。
「所在不明はひどいですね。これでも決まりどおりきちんと、こっちの建物に毎日足を運んでいるますよ」
男は苦笑する。
「はじめまして。
第三王子のシルフィードです。
よろしく、レディ・アレキサンドリーヌ」
軽く会釈すると、男は華やかな笑みを浮かべた。
「だって一度もお姿見たことがないって皆さん言ってたし」
「そうだよな。『来た』って言っても真っ直ぐにこの部屋に篭るんだから、誰の目に入らなくて当たり前だよ、シルフィード」
いかにも本好きらしく、シルフィードが座っていた席の周辺には読みかけ、調べかけといった具合の付箋やメモの端が飛び出した本が山ほど積み上げられていた。
背表紙には単なる小説や娯楽本ではない難しいタイトルが並ぶ。
しかもそのタイトルは政治学や経済学、果ては植物学まで見事なほどに雑多だった。
「まあ、ね。
それより奥へどうぞ。ここは僕が…… 」
シルフィードはうっすらと笑みを浮かべ、ついで扉の外で近づいてくる少女達の声に耳を傾けながら、ライオネルに視線を送った。
「行くぞ」
いわれたライオネルは、アネットを促して部屋の片隅へ向かうと、壁際の本棚に手をかけた。
本棚は音もなく扉のように開き、その先にぽっかりと別の空間が姿を現した。
足を踏み入れると先ほどの部屋ほどの広さはないが、やはり壁面が天井まで本で埋まっている。
「座れよ」
部屋の中央に置かれた大きなテーブルに添えられた椅子にライオネルは座ると、アネットを促した。
「いいんですか? 」
扉になっている本棚の向こうを気にしながらアネットは訊いた。
「よければ逃げるかよ。それより、お前、俺に用があって来たんだろう」
真っ直ぐにアネットを見てライオネルは言う。
「どうして、わかった…… 」
「それ」
アネットの言葉をさえぎりライオネルは手にした籠を指差した。
「あ…… これ、お姉さまからです」
言われて慌てて籠を差し出す。
「だと思った。いつもならメイドが来るんだけどな、何故お前? 」
籠を受け取り早速中からマフィンをつかみ出し口へ運ぶ。
「あの、この間はごめんなさい! 」
アネットは思いっきり頭を下げる。
「わたしが馬に乗れないってはっきり言わなかったから、ライオネル様にご迷惑かけてしまって」
「なんだ、そんなこと。
こっちこそ悪かった、良かれと思ったけど結果怖い思いさせて」
かじりかけのマフィンを置いてライオネルは微笑む。
「本当にごめんなさい。
じゃ、わたしこれで」
アネットはもう一度頭を下げると扉へ向かおうとした。
「待てよ」
すかさずライオネルはアネットのドレスの端をつかんで引き寄せた。
「もう少し、ゆっくりしていけよ。どうせ出られないんだし」
扉の向こうを指差してライオネルは片目を細める。
言われると確かに本棚の向こう側からかすかに話し声が聞こえてくる。
今出て行ったらこの先どうなるか、なんとなく想像がついた。
アネットはひとつ息をつくと、傍らの椅子を引き出しライオネルの前に座った。
「どうだ? お茶はないけど」
もうひとつマフィンをつかみ出すと、ライオネルはその籠をアネットに差し出した。
「いただきます」
反射的に礼を言いそれを受けとる。
「まさか、第四王子様がこんなところにいるなんて思わなかったわ。
せっかく隠れていたのに、悪いことしちゃったかな」
まだかすかに話し声の続く扉の向こう側を気にしてアネットはつぶやく。
「いや、別に隠れていたわけじゃないし、気にする必要ないぜ。
もともとあいつは本の虫。暇さえあればここに篭っているんだよ。
あいつら、顔が似ていると思えば二人して変ってるんだよな」
「あいつら、もしかして、第四王子様って…… ? 」
似通った顔を思い浮かべてアネットは訊いた。
「知らなかったのか? 庭師の真似事してる奴。そのせいで、お嬢様方は誰も第四王子だって気がついていないみたいだけどな。
あれだけ毎日のように話してたんだからお前だけは知っていると思ってた」
「見てたの? 」
「そりゃ、まぁな。お前目立つし」
「わたし、目だってる? そんなおぼえないんだけどな」
アネットは首をかしげる。
「それ、食わないのか? 」
受け取ったもののそのままになっていた、アネットの手の中のマフィンを見てライオネルは言った。
「あ…… いえ」
促されて、アネットはマフィンを口へ運ぶ。
「これ? どこかで…… 」
なぜかすごく懐かしい味がする。
「気がついたか? それ王妃のレシピだよ。
今でこそ料理人が作ってるけど、昔、王妃がこの城に来たばかりの時にはよく自分の手で焼いてくれたんだ。そのときから俺の好物。
妹が好きだって聞いて、俺と同じものが好きだなんてどんな妹かって思っていたんだが、まさかこんなにチビだったなんてな」
「わたし、もうチビじゃないと思います。
そりゃ、身長はみなさんより少しだけ小さい方だけど…… 」
「いや、王妃の妹だって言うから、俺たちより年上だと思ってた。せいぜい兄上と同じくらいかと」
「お姉ちゃんとわたし、十五歳が離れているの。だから母親代わりに育ててくれたって言っても本当にちっちゃなうちだけなんだけどね」
「ふぅん。
……なんか悪かったな」
「え? 」
「大事な姉さんとっちまって。
俺たちは姉上ができたみたいで嬉しかったけど、お前に寂しい思いさせてたんだな」
「お姉ちゃんって、姉上扱いだったの? 」
「あったりまえだろう。
父親が、一番難しい年頃の俺たちのところに、自分とあんまり年の離れていない女連れてきて、突然母親だって言われて受け入れられると思うか?
お前の姉さんもそれを承知してて、俺たちはいい兄弟になった。
って、…… お前、何泣いてるんだよ」
言われて目頭に手を当てると、涙がこぼれている。
「だって……
お姉ちゃん、幸せだったんだなって」
「何だよ? それ」
「わたしね、お姉ちゃんがお嫁に行ったとき、すごく小さかったから、嫁ぎ先がどんなとこかも知らなくて、ただ自分が寂しいだけだったんだけど。
そのうちに皆から、王室に嫁ぐってことがどんなことかとか、前の奥さんの子供がいる相手との再婚がどんなものかとか聞いて。
どんなに苦労してるのかって、すっごく心配だったから。
なんか、安心しちゃった」
アネットは笑顔を浮かべたが、なぜか目からはほろほろと涙が零れ落ちる。
「おい、なんだって、そこで泣くんだよ。
……弱ったな。なんか、俺が泣かせたみたいだ」
ライオネルは眉間を寄せる。
「ごめんなさい。そんなつもりじゃ…… 何故だろう? 」
困らせるつもりなんて、全くなかったのに。
「見ないでください。わたし今すっごい顔しているから」
アネットは何度も手の甲で涙をぬぐいながら、くしゃくしゃになった顔でをライオネルから背けた。
0
あなたにおすすめの小説
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
病弱な彼女は、外科医の先生に静かに愛されています 〜穏やかな執着に、逃げ場はない〜
来栖れいな
恋愛
――穏やかな微笑みの裏に、逃げられない愛があった。
望んでいたわけじゃない。
けれど、逃げられなかった。
生まれつき弱い心臓を抱える彼女に、政略結婚の話が持ち上がった。
親が決めた未来なんて、受け入れられるはずがない。
無表情な彼の穏やかさが、余計に腹立たしかった。
それでも――彼だけは違った。
優しさの奥に、私の知らない熱を隠していた。
形式だけのはずだった関係は、少しずつ形を変えていく。
これは束縛? それとも、本当の愛?
穏やかな外科医に包まれていく、静かで深い恋の物語。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
屈辱と愛情
守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる