たとえばこんな、御伽噺。

弥湖 夕來

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薔薇園のラプンツェル

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「ん~ 素敵だったわね。ダニエル様」
 部屋に戻りながらリディアがため息をついた。
「それにしてもまさか、アネットにあんな素敵なお兄様がいるなんて知らなかったわ」
「それはわたしも一緒よ。
 まさか伯爵様にご子息がいるなんて聞いていなかったんだもの。
 そういえばアイリス様はどうしたの? 」
「わざわざ来たのに、お目当ての方がいらっしゃらなかったんじゃないのかしら? 
 アネットが踊っている間に戻ってしまったのよね」
「お目当ての…… ね」
 その言葉にアネットはライオネルの顔を思い浮かべていた。
 結局あのままだ。
 あのあと一度もライオネルの顔を見ていない。
 謝るどころか、挨拶さえもできない。
 何故か胸が痛む。
「アネット」
 たまりかねて、ひとつ息をついた時、突然誰かに名前を呼ばれた。
「あ、サシャ様」
 二人は足を止めて膝を折る。
「あのさ、アイリス知らない? 」
「お部屋にいらっしゃいませんでした? 」
「うん。今行ったんだけど。
 王弟妃様が来てるから、呼びにいったんだけど、どこにもいないんだよね」
「王弟妃殿下って、アイリスのお母様ですよね」
「そ、何か話があるって、わざわざ来たんだけど」
「じゃ、見かけたらそう言います」
「頼んだね」
 少し表情を曇らせたサシャは足早に去ってゆく。
「じゃ、わたしもここで。今日はこのままお姉さまのところに行くわ」
「ん、わかったわ。食事には遅刻しないでね」
 リディアと分かれてアネットは本殿へ向かう。
 日差しの強い渡り廊下から建物の中へと入り、光の落差にアネットは足を止めた。
 闇に染まった瞳を何度かしばたかせその光量に慣れるのを少し待つ。
 そのぼんやりとした灰色の視界に見たことのある人影が映った。
 小柄な体格、腰の位置で切りそろえたストレートの黒髪。
「アイリス? 」
 アネットは首をかしげた。
 王弟の愛娘ということで、アネット以外に唯一こちらの建物に出入りを許されていたからアイリスがこの場にいても不思議はない。
 しかし少女の出てきた場所が不思議だった。
 厨房からダイニングに繋がる階段から姿を現したアイリスは、使用人たちが使う粗末な裏廊下へ向かう。
 気になってアネットはその後を追った。
 裏廊下をまっすぐに進んだ先には使用人の出入りする通用口があった。
 小さな籠を片手に、アイリスはそのドアを開け戸外へ出る。
 そのまま真っ直ぐにどこかを目指して駆けてゆく。
 とはいっても、そう早くはなくアネットが充分に追いつける速さだった。
 アイリスは、城の裏手を流れる小川の流れに沿ってしばらく歩いたあと、土手沿いを降りていった。
 そっと、音を殺してその先を覗き込むと、小川のほとりの茂みの中へもぐってゆく。
 一体、何を? 
 茂みの陰を覗き込もうとした途端、手元の枝が髪に引っかかり、木の葉がかすかに音を立てた。
「誰? 」
 おびえた声でアイリスが振り返る。
「あ…… 、あのね」
 アネットがなんと言っていいのか戸惑っていると、
「見つかってしまいましたわね」
 アイリスはバツが悪そうな笑顔を浮かべた。
 その足元で小さな生き物が二匹鳴き声をあげた。
「猫? 」
 アネットは目を丸くする。
「いいえ、少し違うかな? 」
 言って、アイリスは足元の生き物を抱き上げた。
 一見犬に見えるけど、犬とも少し違う。
 焼きたてのパンの色のふわふわの毛皮と、身体の割りに大きな尻尾。
「狐? 」
 アイリスは頷いた。
「先日ハンティングの時に見つけたの。
 この仔のお母さんはあの時に猟犬にやられてしまって…… 
 だけどあの時あの場所で皆さんに見つかったら、親と同じに殺されてしまうから、ここにかくまっていたの」
 籠の中から容器を出すと、アイリスはそれを皿に注ぎながら説明する。
 皿に注がれたミルクの匂いをかぎつけて、仔狐は早速それをなめに掛かる。
「かわいい…… 」
 思わず声が出る。
「でしょ? だから放っておけなくて」
「でもどうするの? ずっとこのままにしてはおけないんじゃない? 」
「それは、そうなんだけど。
 せめて、この子達が犬や猫だったらまだよかったのだけど…… 」
 アイリスは瞳を曇らせた。
「狐じゃ、ねぇ…… 」
 アネットもその愛らしい姿を見ながらため息をつく。
 いくら仔狐とはいえ、犬猫と違って引き取って飼ってくれそうな人などいなさそうだ。
「だからせめて、この子たちが乳離れするまでここで面倒見るつもりでいたの」
「ここで? 」
「無理なのはわかってるわ。でもできるだけ…… 
 もしかしたらその間にもっと他のいい方法が見つかるかも知れないから」
 真っ直ぐにアネットの向けられた眼に、アイリスの強い思いが込められている。
「そうね、わたしも何か考えてみる」
 その顔を見ていると他に何も言えなかった。
「本当? ありがとう! 」
 アイリスの顔がぱっと華やいだ。
 そのときだ、ざっと森の木々の枝葉が大きく揺れた。
 それに驚いたように甲高い声を上げて飛び立つ鳥のあわただしい羽音。
 何? 
 驚いて音の方角に顔を上げたアネットの足元を、やはりおびえたのかすごい勢いで仔狐が駆け出してゆく。
「あ…… 」
「待って! 戻って! 」
 不意に走り出した仔狐を慌ててアイリスが追いかける。
 そのことに更におびえて子狐は立ち止まることなく一目散に走ってゆく。
「お願い。待って! 落ち着いて」
 人間の言葉などわかるはずもない狐は、更に藪の中に駆け込んでいった。
 それを追うアイリスを、同じようにアネットは追いかけた。
 しばらく走った先ので仔狐はようやく足を止めてくれた。
 同じく足を止め乱れた呼吸を整えながら仔狐を見つめるアイリス。
 でもそこから動こうとはしなかった。
 たぶん、自分がこれ以上近づけばきっとまた仔狐は逃げてしまうと察したのだろう。
「任せて」
 眼でそう合図してアイリスの脇を抜け、そっと一歩前へでるとアネットはうずくまる。
「おいで、怖くないよ」
 聞こえるか聞こえないかくらいの小さな声でそっとささやく。
「ほら、大丈夫…… 」
 そっと、ゆっくり手を差し出す。
 仔狐はおびえて背後にある大木の幹へ身を寄せた。
「大丈夫よ、怖くないから」
 ゆっくりと、ゆっくりとできるだけ脅かさないように声のトーンを落として呼びかけながらアネットは更に手を伸ばした。
 その指先が狐の鼻先に触れる。
 仔狐はおずおずとアネットの指先の匂いを確認するように鼻を近づけた。
「捕まえた! 」
 その瞬間アネットは仔狐を抱き上げた。
「よかった」
 アイリスが笑顔をこぼす。
「は、いいんだけど…… 
 ここ、どこ? 」
 腕の中から逃げ出そうともがく仔狐を抑えながら、アネットはあたりを見渡す。
 ひたすら仔狐の後を追っていて周囲に注意を向けていなかったせいで道を外れていたことにも気がつかなかった。
 そもそも森の中、どちらを向いても同じ形の樹木ばかりでしかもそれが視界をさえぎる。
「アイリス、帰り道わかる? 」
 アネットの言葉にアイリスは首を横に振った。
「……どうしよう? 」
「とりあえず、戻りましょう」
 言いながらアイリスは背後へ向き直り、歩き出す。
「向かっていたのと反対の方角へ行けばきっと元の場所に戻れるでしょう? 」
「待って、アイリス」
 こういうとき動かないほうがいい。
 実家の男爵家の森を管理する森番にいつか教わったことがある。
 アネットは慌ててアイリスを引き止めた。
 でもアイリスはアネットの声が耳に入っていないのか、どんどん先へ行ってしまう。
 森に詳しい森番の言うことは間違っていないと思う。
 だけど、今ここで自分だけが動かなかったらアイリスともはぐれてしまう。
 アネットは仔狐を抱いたまま慌ててアイリスを追いかけた。
 しばらく茂みの中を歩いてみたものの、見覚えのある場所に出ることはなかった。
 どこだろう? ここ。
 森の中なのはわかっている。
 だけど道がない。どこへ向かえば城に戻れるのかわからない。
 不安が頭をもたげて来る。
「わたくし、もう歩けない」
 隣を歩いていたアイリスが上がった息の下から切れ切れの声で言う。
 気づかなかった。
 ほとんど庶民と同じ暮らしをしてきたアネットと違い、アイリスは現王弟令嬢。外へ出ることもほとんど許されず、身の回りのことは着替えに至るまで、他人の手を借りている。
 根本的な体力が違うのだ。
 アネットは足を止めた。
「少し休みましょうか? 」
 藪の切れ目に腰の下ろせる位のスペースを見つけ、アネットはアイリスをそこに座らせた。
「アイリス熱が…… 」
 隣に座りふと見ると、アイリスの顔が赤い。
 気になって、そっと手を伸ばしてその額に触れる。
 アイリスの身体は額に限らず全身が熱を帯びていた。
「ごめんなさい…… 少しだけ」
「大丈夫。少し休んで」
 膝を貸して謝るアイリスの身体を横たえる。
 アイリスは少しの時間では回復してくれないだろう。
 どうしよう。 
 動けなくなってしまったアイリスの状態によって、芽吹いた不安は確実なものとなった。 
 ふと顔を上げると、風が冷たくなってきているのを感じる。
 このままここにいても夜になってしまう。
 それよりも、誰かを呼びに行くほうがよいのかもしれない。
 だけど、城に戻る道をアネットも知っているわけではない。
 探し探し向かったのではどのくらい時間が掛かるのかわからない。
 熱のあるアイリスをこのままここへ置いてゆくことはできない。
 もちろん、この状態のアイリスを歩かせるのは無理だし、抱えて歩けるほどの体力は自分にはない。
 どうしよう…… 
 何度も頭の中に浮かぶ言葉。
 つい、つい口から出そうになる。
 しかし、口に出したら、アイリスに悟られてしまう。
 だから、アネットは意識して唇を引き結ぶ。
 その間にも、徐々に日は傾いてゆく。
 どうしよう…… 
 アイリスは更に熱が増したようで膝に乗せた頭が熱い。
 息も更に荒くなっている。
 だけど今の自分は動くことすらできない。
 せめて誰かに気がついてもらえたら。
 虫のいいことを考えているが、誰にも見られないように出てきた以上、それも無理だろう。
 ……何か方法があればいいのに。
 祈るような気持ちでアネットは瞼を硬く閉じる。
 知らずに力が入り組んだ手の指が白くなる。
 ……なにか! 
 そう強く願ったとき、不意に脇の茂みが大きな音を立てた。
「何? 」
 予期せぬ得体の知れない物音に、アネットは身構えた。
 ざざっ…… 
 音は途切れることなくリズミカルに繰り返し近寄ってくる。
 その物音はアネットの恐怖を増大させる。
 誰かっ! 
 アイリスを抱きかかえたまま、アネットは身を硬くした。
「アネット、アイリス…… 」
 突然現れた人影がこちらを向いて立ちはだかる。
 思わず閉じてしまった瞼を薄く開けると、息を切らせ目を見開いてこちらを見つめるサシャの顔がある。
「……サシャ様? 」
 アイリスを抱きしめていた腕の力が緩んだ。
「よかったぁ、無事で! 」
 今までアネットが感じていた不安を吹き飛ばすような明るい声で言う。
「サシャぁ」
 その声にアネットの膝の上にいたアイリスが身体を起こす。
 そしてサシャに飛びつくと、子供のように声を張り上げて泣き出した。
「おい、サシャどうした」
 藪を掻き分ける音と共にもうひとつの足音が近づいてくる。
「お前っ! 」
 頭から怒鳴りつける声に顔を上げると、不安と安堵と怒りとその他いろいろな表情がない交ぜになったような顔をしたライオネルの顔がある。
「ライオネル様? 」
 
 嘘、だよね。
 
 とくん。
 ひとつ鼓動が大きく打つ。
 
 きっとわたしは幻を見ているんだ。
 誰かに助けてもらいたくて、だからこれはわたしの頭が作り出した幻だ。
 
 そう自分に言い聞かせる。
 そして目の前に現れた何かが何であるのか見定めようと、アネットは目を凝らす。
「思ったより、弱っていなさそうだな」
 目の前にあるものはやはり自分がそうあってほしいと願う声で言う。
 本物? 
 まだ信じられずにアネットはそれをにらみつけた。
「お嬢さんの割にはたいした根性だ」
 言いながらそれは大またで歩み寄る。
 アネットはわずかに身を引きながら身体を更に硬くして身構えた。
「大丈夫だ、もう警戒しなくていい」
 歩み寄ったそれは、そっといたわるようにアネットの頭に手を置く。
「……あ」
 その感触にようやくアネットの緊張が解けた。
「どうして…… 」
 口からこぼれる言葉。
「どうしてじゃない! 
 授業皆勤賞のお前が時間になってもこないって言うんで城中で心配して探していたんだ。
 何だってこんなところに…… 」
 責めるような乱暴な口調とは反対に男はどこか安堵の表情を浮かべている。
「大丈夫か? 」
 ひとつ大きく息を吐き、顔を覗き込んで聞いてくるそれは、間違えなくライオネルそのものだ。
「わたしは平気です。それよりアイリス様が…… 」
 アネットはまだサシャに抱きついたまま泣きじゃくるアイリスに視線を移した。
「どうした? 」
 ライオネルはその顔を覗き込む。
「ああ、熱があるようなんだ」
 アイリスを抱きとめていたサシャが言う。
「何故こんな…… 」
 男の語気が強くなりアネットは思わず身体をすくめた。
「事情を聞くのは後だな」
 ひとつ息を吐くと立ち上がりライオネルは指笛を吹いた。
 森の木々に甲高い音がこだまする。
 すぐに木々の枝葉の揺れる音と犬の吠え立てる声が聞こえ、ついで誰かの足音が近づいてくる。
「殿下! 」
 大きな音を立てて木々の枝を掻き分ける音とともに二人の男が顔を出した。
「この娘を頼む」
 ライオネルはサシャにしがみつくアイリスを引き離すと一人の男に渡した。
「お前は? 」
「大丈夫。歩けます」
 振り返ったライオネルに答えアネットは仔狐を抱えて立ち上がる。
「何だよ、それ? 」
「見たとおりです」
「そうじゃなくて、なんでお前がそんなもの連れてるんだ。
 まさか、こいつを追いかけて森に入り込んだなんていわないよな」
「…… 」
 図星を指されてアネットは返事ができない。
「何だって、こんなもの。ほっとけばすぐにどこかに隠れていた親が来たものを」
「違うんです。
 この仔は…… 」
「ん? 」
「この仔の親は先日のハンティングの時に殺されて、それでアイリス様がお世話をされていて…… 」
「またアイリスか? これで何度目だ? 」
 ライオネルは呆れたように息を吐く。
「また? 」
「いつものことだよ。あいつは小さな生き物が放って置けない性質らしくて、森番が保護した鳥の雛とか何でも手を出す」
「あの…… あのね、アイリス様をしからないでくださいね。
 悪いのはわたしなの。
 わたしがアイリス様の後なんかつけなければ、この仔が逃げることもなかったし、アイリス様が森の中で迷うことなんかなかったの。
 だから…… 」
 言いかけたアネットは言葉をとめる。
 男が不意に足を止めアネットを抱きしめる。
「無事で、よかった」
「あ…… 」
 搾り出すように耳元でつぶやかれる。
 その暖かな腕はアネットをこれ以上ないほど安心させてくれた。
「こっちだ、そこに馬がつないである」
 ライオネルはアネットにまわした腕を解くと、振り返り背後を示した。
「ライオネル様、わたし、馬は…… 」
「ああ、そうか。
 ま、馬車を回すほどの距離はないし、歩いてもたかが知れている」
 先に立ち支持した方角へ向かいながらライオネルはつぶやいた。
「本当」
 馬が繋がれた大木までは大した距離はなかった。
 その上、そこからはほとんど薄暗くなった夕空に城の塔がそびえているのが見える。
「まさか、こんなに近かったなんて」
 その姿に安心してアネットははしゃいだ声を上げた。
「頼むから、こういうことはもうこれっきりにしてくれ」
 馬の手綱を引きアネットと並んで歩きながら、迷惑そうにライオネルは言った。
「そうそう、お前。戻ったら真っ直ぐ王妃のところに行けよ。
 全く、病気の姉さん心配させてどうするんだよ? 」
「ん…… 」
 何気なく返事をしてからはっとする。
 そうだった。
 自分のことで手一杯で誰に一番心配かけているかなんて忘れていた。
「お姉ちゃん、大丈夫? 」
「それ、俺に訊くか? 一応平然としていたけどな、顔には出さなくてもかなり負担になってると思う」
「どうしよう」
 身体から血の気が一気に引いていく。
「早いとこ、お前の無傷で元気な顔見せて安心してもらうんだな」
「うん、そうする」
 アネットは足を速めた。
 
 
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