たとえばこんな、御伽噺。

弥湖 夕來

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シンデレラの赤いリボン

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 ステアケースを降りてエントランスの隣に足を踏み入れると、そこにはすでに大半の少女が集まっていた。
 その中にはシャーロットの姿もあった。
 
「あら、お仕度間に合いましたのね」
 ヴィクトリアの姿を見つけると早速寄ってくる。
 オーキッドピンクの華やかなドレスが優雅に揺れ、人の目をひきつける。
「うん、ナンナが来てくれたから」
「そう、良かったわ。
 わたくし心配していましたのよ」
 纏ったドレスに負けないくらいの華やかな笑顔をこぼす。
「それにしても、またブルーのドレスですのね」
「仕方ないじゃない、これが一番似合うって、いつも回りが押し付けてくるんだもの」
 子供の頃から華やかな紅いドレスは着せてもらったことがない。
 ヴィクトリア自身もあまり装うことに執着していないから、ドレスを誂えるときについつい廻りの意見を丸呑みにしてしまう。
 結果、ヴィクトリアのクローゼットの中は青色だらけだ。
 
「お嬢様方、準備が整いましたので、サルーンの方へいらしてください」
 扉の横で、従者が声を張り上げた。
 
 
「ね、ヴィクトリアは誰かにお願いした? 」
 サルーンへの大きな扉をくぐりながらシャーロットはヴィクトリアの耳もとで囁いた。
「お願い? 」
「そうよ。
 どなたかに前もってファーストダンスのお相手を勤めてくださるようにって」
 広げた扇の陰で周囲に声が広がらないように気をつけながら、シャーロットは続ける。
「ファーストダンスって、確か…… 」
「だからじゃない。
 もうすでにお相手をどなたかに決められてしまった殿下もいらっしゃるみたいだけど、そうでない方にはこちらからお願いすればまだ見込みがあるかも知れないでしょ? 
 わたくし、ハーラン様の方からダンスに誘っていただけるようにお父様にお願いしたの。
 だって自分からお誘いするなんて、そんな恥ずかしいことできないでしょ? 」
 広げた扇の陰でシャーロットは目を細める。
「幸い、ハーラン様はまだ決まった方はいらっしゃらないみたいだし」
 その言葉に胸が絞られるように痛む。
「そういえばトリアのお父様は今、国にいらっしゃらなかったのかしら? 」
 気のせいだろうか、シャーロットが軽く鼻で笑ったような気がした。
 
 
 ボールルームの扉の前で足を止める。
 来客で溢れ返る部屋の正面に現れた国王をはじめとするいくつかの人の姿に目を見張った。
 同時に部屋の中が一斉にどよめき立つ。
「みて、殿下方…… 」
 ヴィクトリアのすぐ背後で誰かが呟いてため息をこぼした。
「正装も素敵ね」
 その言葉を耳にしながらヴィクトリアの視線は一人の銀灰色の髪をした男の姿に釘付けになった。
 先日みた軍服姿のハーランも、いつもの庭師の作業服を来た姿とは違ってどこか遠い存在に思えたが、こうしてジュストコールを纏った正装した姿は更に手の届かない遠い存在に思えてしまう。
 ただでさえ全く近づかなかった距離が更に遠くなった気がしてヴィクトリアは視線を震わせる。

 王座にある国王の前に名前を呼ばれた順に進み出て言葉を貰ったあと、ダンスが始まる。
 
 室内に響き渡る華麗な管弦楽の演奏にあわせて、一組、また一組とホールの中央へ進み出てスッテップを踏み始める。
 中央の王座寄りで踊る王子達を遠慮しながら、それに花を添えるかのように招待客もちらほらと踊り始めた。
 
 華やかなその光景を目に、ヴィクトリアは視線を泳がせた。
 先ほどまで他の王子達とともに一列に国王の傍らに並んでいたハーランの姿が消えている。
 
 きっともう、誰かと…… 
 
 ホールの中央に視線を動かすが、そこに姿はない。
 そのことにヴィクトリアはほっと胸をなでおろした。
 
 そしてもう一度人で溢れ返るホールの中を見渡す。
 
 ……いない? 
 どこにも…… 
 
 目的の人物の姿を見出せず、ヴィクトリアは視線を揺らした。
 確かにホールの中央でパートナーの手を取る男たちの中にその姿はない。
 視界の端にようやくその姿を捉えた。
 男はホールの壁際で居並ぶ紳士達と二言三言会話を交わしながら、徐々に出口に向かっている。
 
「待って! 」
 居並ぶ人を掻き分けるとヴィクトリアは男の後を追った。
 しかし立ち尽くしホールの中央に視線を向ける人々に阻まれ先に進めずに戸惑っている間に、男の姿は掻き消える。
 
「どこ? 」
 
 知らずに口をついてでる言葉…… 
 
 どこなんだろう? 
 
 追いかけているのに…… 
 追いつけない。
 
 探しているのに…… 
 見つからない? 
 
 ……もう、駄目かも知れない。
 
 そんな思いが頭の端に浮かんだ途端、視界がぼやける。

 
 瞼に滲んだものが零れ落ちそうになる。
 駄目、こんなところで泣いちゃ…… 
 少なくともそんなみっともないことはできない。
 
 ボールルームの大きなドアを前にヴィクトリアは足を止める。
 視線を床に落とし、唇をかみ締めた。
 首から下がるペンダントのヘッドを握り思いと一緒に力を込める。
「どうか、どうか一度だけでいいの…… 」
 
「誰か、探しているのか? 」
 俯かせた頭の上から柔らかな声が降ってくる。
 そっと優しい仕草で手が差し出され、ヴィクトリアは顔をあげる。
「あ…… 」
 穏やかな笑みを浮かべたその顔はさっきからずっと探していたもの…… 
「ん? 」
 男はヴィクトリアの顔を覗き込んで首を傾げる。
「あ、あの…… 」
 ずっと言おうと思っていた言葉は喉に張り付いて出てこない。
 ……でも、今言わなくちゃ、次はもう絶対にない。
 今、ここで言わなかったら…… 
 ヴィクトリアは目をぎゅっと瞑ると躯全体に力を込める。
「あの…… 
 わたし…… 
 わたしとも踊ってください! 
 一曲でいいので…… 」
 両手を握り締めたまま、そっと顔を上げ僅かに眼を開いて相手の様子を探る。
「……いいよ」
 何かが解けるような柔らかな返事。
「え? 」
 睫をしばたかせて顔をあげると男の柔らかな笑顔がある。
 信じられない思いで男の顔を見つめているとすっと手を差し出された。
「レディ、お手をどうぞ」
「いいの? 」
 その顔を上目遣いに見上げて尚もヴィクトリアは呟いた。
「いいって、言っただろう」
 少し照れくさそうな笑顔を浮かべて男はヴィクトリアの手を取るとホールの中央へ誘った。
 
 
「そのままでいいから聞いてくれる? 
 ずっと…… 
 ずっと前から好きだったの」
 ステップを踏みながら、俯いたままヴィクトリアは言う。
 
 絶対に言おうって決めていたから口にしたけど、あまりに恥ずかしくてその顔を真直ぐに見ることができない。
「参ったな…… 」
 ヴィクトリアの言葉に男は戸惑ったように呟く。
「やっぱり、そうですよね。
 わたし、皆みたいに上品じゃないし、びっくりするほど綺麗じゃないし。
 そんなこと言われて迷惑ですよね」
 言いながらまた涙が滲んできた。
「ごめんなさい、もう…… 
 もういいです。
 もう困らせるようなこと言わないから…… 」
 滲んでくる涙を必死でこらえながらヴィクトリアは男の胸を離れようと身を引いた。
 これ以上ここに居たら、絶対に泣いてしまう。
 もう困らせないって、今言ったばかりなのに…… 
 重ねていた掌が離れる直前、その手に力が篭り握り締められる。
 次いで逃がすまいかとするように離れた身体を引き寄せられ抱きしめるかのように腰に回された手に力が篭る。
「え? 」
 信じられない思いで、すぐ側に迫った男の顔を見つめる。
「その…… 
 俺も君のこと、嫌いじゃないって言うか…… 」
 顔を真っ赤に染め呟くと、それをみられないようにするかのように照れくさそうな表情をしたままハーランはそっぽを向く。
「うそ…… 」
 呟かれた男の返事にヴィクトリアは反射的に顔をあげ、頬を染めながら男の顔を見上げる。
 鼓動がこれ以上ないほど早くなり、耳もとでうるさいほどに響いていた。
「正直苦手なんだ、女性との時間を過ごすのは。
 だけど、君だけは別って言うか…… 」
「そうですよね。
 わたし全然、おしとやかじゃないし、どっちかと言うと男の子みたいに外を駆け回るほうが好きだし…… 」
 
「嫌いじゃない」
 その言葉に一瞬ときめいてしまった分、ヴィクトリアは激しく気落ちして視線を落とす。
 
「いや、そういう意味じゃなくて…… 
 君だけなんだよ。
 話していて楽しいって思えるのは…… 」
 ハーランは焦ったように言う。
「その…… 
 他の女性だと、何話していいのかわからないし」
 ステップを踏んだ靴の爪先に、相手の爪先が引っかかる。
 そのせいでバランスを崩した身体をハーランが慌てて抱きとめてくれた。
「悪いっ…… 」
 僅かに頬を染め照れくさそうにハーランは言う。
「その、ダンスは子供の時からあんまり得意じゃなくて」
「もしかして、だから逃げようとしたの? 」
 ヴィクトリアは目を見開く。
「そんなところ。
 俺は兄上たちやセオドアみたいに優雅には踊れないんだよ。
 ステップ間違えないように足を運ぶのが精一杯で、パートナーのことに気を配れるほど余裕がないんだ」
 開き直ったかのように憮然と言うハーランの言葉に、ヴィクトリアは笑みをこぼした。
「わたしも…… 
 ダンスだけは何とかなるけど、テーブルマナーとかはやっぱり同じよ。
 シルバーの順番間違えないようにするだけで精一杯」
「似たもの同士ってか? 」
 それを受けてハーランも優しく笑う。
 
 ハーランのこんな笑顔はじめて見たような気がする。
 いつもいつも苦笑いか、困惑して浮かべる笑みか、そんな表情しかみられなかったような…… 
 
「どうかした? 」

「じゃ、あの時シャーロットの言ってたことって…… 」
 ふとヴィクトリアは呟いた。
「シャーロットって君とよく一緒にいるお嬢さんだよな」
「ええ、ハーラン様とのダンス素敵だったって、前の夜会の後に言ってたのよね」
「いや、俺は誰ともダンス踊ってないぜ。
 正直その、ほとんど逃げていたから」
 バツが悪そうに笑みを浮かべてハーランは視線を泳がせる。
 
「ダンスを踊ってもいいと思ったのも、
 花を贈ったのも、贈りたい気持ちになったのも君がはじめてだ」
 ヴィクトリアの耳もとで頬を染め照れたように、聞き取れないほどの小さな声で呟いた。
「でも、レディ・アレクサンドリーヌにいつも渡してたでしょ? 」
 ヴィクトリアの脳裏にいつもの光景が浮かび上がる。
「あれは、彼女じゃなくて王妃殿下にって頼んでいただけ」
 言うと観念したように大きく息を吐いた。
 
 やがて音楽が終わり、室内に一瞬の静寂が広がる。
「ありがとう。
 最後にハーラン様と踊れて嬉しかったです」
 握り締められていた男の掌から自分の手を抜くとヴィクトリアはドレスの裾を持ちあげできるだけ優雅に見えるように、先日教えられた通りに膝を降り頭を下げる。
 
 多分もうこれで最後だ。
 最後だからこそ、きちんとした自分を憶えておいて欲しい。
 
 そんな思いを込めた。
 
 そうこうしている間に次の曲が始まる。
 踊りだした人々の邪魔にならないようにとヴィクトリアはホールの中央を出ようとしたところ、その手をもう一度ハーランに捕えられる。
「あの…… 」
 
 何かの間違えだ。
 そんな筈ない。
 
 王子殿下ともあろう人がこんな公式の場所で同じパートナーと二曲も続けて踊るなどと言うマナー違反を犯すなんて。
 
 なんと言っていいのかわからずにヴィクトリアは戸惑った。
 
「もう一曲いいか、な」
 ほんのりと赤く染まった顔をヴィクトリアに向けハーランが言った。
「あの、でもっ…… 
 マナー違反っ…… 」
 音楽の始まったホールの真中でただ突っ立っているわけにも行かず、流れでステップを踏みながらヴィクトリアはその顔を見上げた。
「君がここに引き止めたんだぞ。
 他の誰かと踊るんなら退出する」
 何故か怒ったように脅迫めいた言葉を突きつけられた。
「でも…… 」
 そして何かが吹っ切れたような笑みを浮かべると、戸惑うヴィクトリアの額にそっとキスを落とす。
「ハーラン様? 」
 予期せぬ出来事にヴィクトリアは睫をしばたかせる。
 驚きすぎて名前を呼ぶ以上の言葉が出てこない。
「俺は君でなければ駄目らしい。
 それに、庭にいた俺を俺だって最初から認識してたのは君だけだったし…… 
 アレクサンドリーヌ嬢だって最初はただの庭師だって思っていたようだ。
 だから…… かな? 」
 意を決したように言ってハーランは真直ぐにヴィクトリアを見つめた。
「君は俺じゃ駄目、なのか? 」
「…… 」
 その言葉にヴィクトリアは完全に声を失う。
 顔を覗き込まれた男の不安げな瞳に答えるようにヴィクトリアは首を横に振った。
 ハーランの顔に安堵の笑みが浮かび、ヴィクトリアの腰に回された手に力が篭り引き寄せられる。
「じゃ、決まりだな。
 君にはこれからずっと俺のパートナーを勤めてもらうよ」
 ヴィクトリアの耳もとでハーランは囁いた。
 



◆◇◆ 言い訳 ◆◇◆
 
 ……苦労しました。
 前回のヴァイオレットちゃんの時にはさくさく進んだのに。
 絶対ハーランのせい。
 頭はいいけど堅物で色事に疎い。
 なので、どうやってその気にさせればいいんだって物で。
 
 タイトル、まんま「シンデレラ」なのは、
 自分から率先して王子様の所に押しかける子、思い返すと御伽噺にはあんまりいないんですよね。
 受身の子が圧倒的に多いんです。白雪姫、眠り姫然り。
 
 おんなじ話にさすがに、書いている方も少々飽き勾配。なので。
 今回、少しだけ受身でない女の子になってよかったです。

 
 楽しんで下さったら嬉しいです。
 

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