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6・予言は的中しそうになかったけれど、 -1-

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◆◇◆ ◆◇◆
 
 
 窓から差し込む光が傾きだし、影が伸びると一緒に視界が悪くなりだした。
 書き物机に広げられた書類を睨みながら俺は何度か瞬きを繰り返す。
「今日はこの辺りに致しましょうか? 」
 それを目にようやくパライバが口にした言葉に内心で安堵の息を吐きながら俺は立ちあがる。
「結局、今日の来客はありませんでしたね」
 来客となれば色々準備が欠かせないため昨夜の蛍の話をとりあえず耳に入れておいたパライバが呟いた。
「責めるなよ。
 蛍の場合何処が思いつきで、何処からが予言なのか本人にもわからないんだからな」
 とりあえず釘を刺す。
「承知しております」
 納得しているとばかりにパライバが軽く頭を下げた。
 その拍子に表門辺りが何かざわめいた音が響いてくる。
「殿下、お仕事中に申し訳ございません。
 ただいま来客が…… 」
 普段、キープの表門辺りに詰めている若い衛兵が慌てた様子で飛び込んできた。
「何回も言わせるなよ。
 殿下は俺じゃない、兄上だ」
 本来ならいずれ臣籍に下るはずだった俺にその敬称は使われない。
 だからわざと臣下にはそう呼ばせずに、今の境遇を受け入れていないことを俺なりに示している。
「それで、誰なんだよ? 客ってのは? 」
 衛兵に釘を刺して俺はパライバと顔を見合わせた。
「は、隣国のシトリン王女と名乗っておいでですが」
 その名前に俺は思わず椅子から滑り落ちそうになった。
「な…… 」
 驚きすぎて何を言っていいのかわからない。
 正直王都から戻って、その名前はすっかり忘れていた。
「とりあえずお出迎えにっ! 」
 広げたままになった書類を慌てて片付けながらパライバが声をあげる。
 
 パライバの声に追い立てられエントランスへ向かうと丁度一台の馬車が滑り込んできたところだった。
 侍従の仕事などしたことのない若い衛兵が慌てて駆け寄ると慣れない仕草で馬車のドアを開ける。
 その衛兵の手を借りて馬車を降り立った若い女にその場にいた誰もがひきつけられた。
「来てしまいましたわ、フロー様。
 こちらに出向いたまま、一向にお帰りになってくださらないのですもの。
 わたくし待ちくたびれてしまいましたの」
 そう言ってあでやかな笑みを浮かべる女の黄金色の巻き毛が揺れる。
 何度みても絶世の美女だ。
 おまけに馬車を降りるその動作一つとっても優雅でそつがない。
 あちこちからため息が漏れた。
「ああ、悪いな。
 こんな田舎でもなかなかやることは多くてね」
 形だけ出迎えのそぶりを見せた後、俺はそっぽを向く。
 正直バツが悪い。
「ご婦人にその態度は失礼だろう? 」
 その俺の視線に兄上の姿が声とともに飛び込んできた。
 珍しいこともあったものだと俺は目を見開く。
 兄上は成長しないその躯を人前に晒すのを嫌がり、一部の取り巻き以外の人間の前には極力出てこない。
 誰もが目を見開くなか、兄上はスマートな身のこなしで俺達の前に出る。
「あ、えっと…… 
 俺の兄弟」
 事実のまま兄と言うとそのあとの説明がややこしくなるのを見越して俺は曖昧に言う。
「こちらは隣国のシトリン王女」
 こっちも見合い相手だなんていうと騒ぎになりそうだったので適当にはぐらかす。
「はじめまして姫君」
 さすがというべきか、俺なんかとは比べ物にならないほどに優雅な仕草で兄上は王女の手をとると軽く口付ける。
 今の少年の姿でもこれだから、実年齢そのものの姿だったらきっと誰もがため息をつきたくなる光景に違いない。
 普段仲の良くない俺ですら見とれてしまう光景だ。
 と、パシン! と何かがはじめるような軽い衝撃音が耳もとで響く。
 その音には覚えがあった。
 
「……もう、しょうがないわね。
 フローはわたしが付いていなければ駄目なんだから! 
 いいわ、ずっと面倒見てあげる! 」
 いつもより少し大人びたルチルの口調。
 そして呆れたような笑顔。
 李の木から足を踏み外し、盛大な捻挫をした子供の俺を見舞いに来てくれたルチルがそう言って俺の手をとった瞬間。
 躯に走った痺れに似た衝撃とそれに伴う音。
 
 今でもその痺れと共にはっきりと覚えている。
 
 俺の耳に届いたのは音だけだったが、あの時の俺とルチルと同じように躯に何らかの異変が生じたかのように、二人は呆然とお互いの顔を見詰め合っていた。
「フロー様? 」
 その様子に何かを察し、パライバが俺の耳もとで囁いた。
 本来なら手を叩いて喜びたいところだが、確実にそうとは言い切れない。
 暫くは気付かないふりをしていたほうがいいかもしれない。
 何しろ呪いが解けた後の成長には二パターンある。
 もし兄上が実年齢まで急速に成長してくれればいいが、これからの成長が時間と同じだけかかるとしたら実年齢になるまであと数年。
 父上はそれまでは認めたがらないだろう。
 
 
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