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8・脅迫されたけれど、 -1-

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 重い頭を抱えてベッドから降りる。
 日は既にかなりの高さまで上がっていた。
「眠れませんでしたか? 」
 着替えを手伝いながらパライバが俺の顔を覗き込んだ。
 当たり前だろう? 
 あんな物騒な予告を突きつけられて安眠できる奴が居るんなら顔を拝んでみたい。
「あいつ…… 
 蛍はどんな様子だ? 」
 何よりもそれが気になった。
 怯えきって眠るどころか物が口に入らないのではと心配になる。
「シトリン王女と一緒に村外れの河川に行かれたようですよ。
 今日は特別に暑いですし」
 窓の外を振り返りパライバが事務的に言う。
「おい、大丈夫かよ? 」
 思わず俺の顔色が変わる。
 昨日あの気味の悪いものを送りつけられたばかりだ。
 遊びに出かける気分じゃないはずなのに、もしかしたら王女にせがまれたのかもしれない。
「ご心配はいりませんよ。
 従者も姫君の侍女も同行しております。
 万が一熊がまた出没しても対処できるでしょう。
 何より、蛍様が何の躊躇もなくお出かけになりましたから。
 身に危険の及ぶような事件や事故に巻き込まれるとしたら、事前に察して取りやめにしているはずです」
「確かに、な」
 パライバの言うとおりだ。
 蛍の能力は魔女としてはそうたいそうな部類に入るものではない。
 しかし、その予言は確実と思っていいだろう。
 今まで蛍の口にした予言めいた言葉は外れた事がない。
 とはいえ…… 
「熊の話じゃないんだよ」
 嫌な予感がする。
 蛍の予言ほどではない、明確にどうとは言い切れないが。
 昨日の一件の後だ、警戒するに越したことはない。
 下手をすれば今日にも贈り物の主が動き出さないとも限らない。
「こい、行くぞ」
 目の届かない場所に蛍を置いておくことへの不安で胸が苛まれる。
 俺は傍らにあった剣を佩くとパライバに言い放った。
 
 
 馬を走らせ、村境の川に急ぐ。
 川に通じる森に差し掛かると、若い女のはしゃいだ声が響いて木々にこだまする。
 その声を耳に俺は安堵の息を吐いた。
 とりあえずは無事らしい。
 村人もよく釣りなどに使う開けた場所まで来ると、目的の人物の姿が目に入った。
 まずは砂利に覆われた岸辺を日傘を差しゆっくりと歩く王女。
 案の定と言うべきか、ドレスの裾をからげあげはだしで足を水に浸す蛍の姿。
「あ、フロー! 来たんだ! 」
 俺の姿に気がついた蛍は顔をあげ水辺から声をあげる。
 予想に反して蛍はからりとした明るい笑顔をしていた。
「莫迦か、お前っ! 
 何やってんだよ? 」
 それとは別に、目にしたその様子に慌てて馬を飛び降りると俺は川辺に駆け寄った。
「何って、水浴び? 
 じゃないか。
 水遊び? 足浸してるだけだよ。
 さすがに水着とかないし」
 蛍は睫を瞬かせる。
「人前で裸足になる奴があるかよっ…… 」
 俺は蛍の襟首を引っつかむと水からあげ靴を探す。
「いいじゃない、足くらい。
 大体、変だよ。
 スカートだって膝丈くらいの方が歩きやすいし、涼しいし楽なのに。
 足は出しちゃいけないのに着替えは人前で平気なんて考えられない」
 蛍が不服そうに口を尖らせる。
 初対面の時にも思ったが、どうも蛍の羞恥心はかなりずれている。
 蛍は足首どころか太ももまで人目に晒すのが平気なくせに、使用人に着替えを見られるのさえ恥ずかしがる。
 どういう倫理観なのか理解不能だ。
「とにかく、帰るぞ」
 駆け寄ってきたプルームに足を拭かせ、靴を履かせた後俺は共の者にも聞えるように声を張り上げた。
「えー、もう? 
 やだよ、まだ来たばっかりなのに」
 まるで子供のように蛍が拗ねた声をあげた。
「おまえな、昨日のこと覚えてるか? 」
 耳もとに顔を寄せて俺は呟く。
 そのひと言に蛍の顔色がさっと変わった。
「頼むから、俺の目の届くところに居てくれよ」
 今にも震えだしそうに硬くした躯、怯えた表情が痛々しくて愛しく思えて、気がつくと俺は蛍の小さな躯を抱きしめていた。
「や…… 
 ちょっと、フロー? 」
 俺の胸の中で蛍が小さな戸惑った声をあげ身を捻った。
「悪い…… 
 とにかく帰るぞ」
 抱きしめた腕を解すとそのまま手を引いて寄せられた馬に抱えあげる。
「わかった、フロー。
 帰るからっ。
 でも、姫様置いてけないから歩いてっ…… 」
 馬の上から蛍が慌てた声をあげる。
「パライバ、後は頼む」
 文句のありそうな蛍の口をそれで封じて、俺は馬を走らせた。
 
「どうかした? 
 フロー、なんか変だよ」
 キープの中庭で馬を下りると俺に向き直り蛍が言う。
「昨日のあのネズミ見ただろ? 
 お前の殺害予告が来てるのに、暢気に水遊びなんかしてる場合じゃないだろ! 」
 勢いに任せて喋る。
「あれって…… 
 誰かの嫌がらせじゃなかったの? 
 普通の身分のあたしが王太子のフローと懇意にしてるから、誰かがやっかんだんだよね? 」
 怯えた表情で蛍が訊いてくる。
 
 しまったっ! 
 
 せっかく昨日、パライバが体よくはぐらかしておいてくれたのに、感情に任せてうっかり本当のことをぶちまけてしまった。
 パライバがはぐらかした言葉をそっくりそのまま鵜呑みにしていたわけだから、思ったより蛍の危機感がないわけだ。
 頭を抱え込みたいほどの後悔に襲われたが、口にしてしまった言葉は今更回収のしようがない。
「そうだったらよかったんだけどな。
 中には脅しじゃすまない過激な奴も居るんだよ。
 だから、頼むからしばらくおとなしくしてろよ」
 こうなったら妙に隠し立てしても仕方がないと俺は開き直る。
「でも、相手が誰だかわからないんだよね? 
 だったら何処にいたって同じだよ。
 それにやっかみから来てるんじゃ、あたしがフローの側にこれ以上近寄ったら余計に危ないじゃない」
 確かに蛍の言うとおりだ。
 俺から遠ざけて、これ以上のかかわりを持たなければ蛍の身は守れるだろう。
「だからって、お前ほかに行くところあるのかよ? 
 ここのルールも常識も慣習も何にも知らないお前が、ここを出てどうやって暮らしていくつもりなんだよ? 」
 本当なら帰してやるのが一番の方法だ。
 だがそれができない以上、ここに置くしかない。
 例えば誰かに預けるにしても、俺の声が掛かった時点で俺の配下にあるものと決められ、危険だ。
 俺が僅かにでも目を離した隙に手を出される。
 あいつならそのくらいのことはやりかねない。
 あんな思いは二度としたくない。
 今度こそ、守ると決めている。
 そして、何より…… 
 俺自身が蛍を側に置いておきたかった。
「駄目だよ。
 それじゃフローに迷惑かかっちゃうもん」
 怯えた表情のまま蛍は呟くと首を激しく横に振った。
「ごめん。
 やっぱり、あたし…… 」
 何かを言いかけたまま蛍はおもむろに俺から顔を背けると、キープの中に走り去っていった。
 
 
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