ガールズ・ハートビート! ~相棒は魔王様!? 引っ張り回され冒険ライフ~

十六夜@肉球

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第二章 お気楽極楽冒険生活

Interlude.2

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 彼女には夢があった。
 ささやかだけど大きな夢。

 それは幼い頃の思い出。
 優しい両親の温もり。
 世界が色鮮やかに輝いていた頃の記憶。
 幼いが故に、なにも知らなかった箱庭の世界。

「ボクは、必ず、取り戻す」

 それは彼女の夢であり、誓いであった。


 彼女が選んだ道は、戦場だった。
 先祖の血が故なのか、それとも彼女がもつ『業』が原因なのか。
 全てを取り戻す為、彼女は今日も戦場へと足を踏み出す。


   *   *   *


「クリスちゃん! 三番テーブルにお料理をお出しして!」
 領都中央通り、東端にある庶民向けレストラン『金の麦穂』亭。
 時間は丁度お昼時。昼食を求めて人がごった返すその場所は、まさに戦場と呼ぶに相応しい喧騒に満ちていた。
「それと、七番テーブル。注文を取ってきて!」
 広い敷地面積をもつ店内には多くののテーブルが並び、その殆ど全てが客で埋まっている。
「十番テーブル、オーダー通します!」
 特徴的なポニーテールがピョンと跳ねる。ごった返す客の海を、両手に料理の載ったトレーを持って器用に通り抜ける。
 味は良く、ボリュームもたっぷりで値段もそれなりな『金の麦穂』亭は、領都の中でも一・二を争う人気店だが、それに加えて活発で可愛らしい住み込みの――つまり一日中いる――看板娘が居るとなれば、それはもう評判も上がろうというものだ。
「お、クリスちゃん! 今日も別嬪さんだねぇ!」
 常連の一人が少女に軽く声を掛ける。この気安く過ごせる雰囲気も、人気の秘訣だ。
「いらっしゃい、ジムさん」
 クリスと呼ばれた少女がにこやかに答える。
 少女の名前はクリスティアナ・フォールティア・ユーストース。十年ほど前からこのレストランで働いている。両親は一応健在だが、とある理由で娘を置いて領都の外に出ている。
「たまにはランチだけじゃなくて、ディナーにも来てください!」
「おぅ! 今の仕事で儲けがでたら、ディナーと言わずコースにしてやるぜ!」
 クリスの言葉に、ランチをムシャムシャと食べながらジムと呼ばれた青年が調子の良い返事をする。
「はいはい、期待しないでまってますからねー」
 半ばお約束になっている会話を交わし、客席へと向かう。
「ご注文のランチ二つ、おまたせしました~♪」
 まばゆい笑顔と出来たての料理。その破壊力たるや。
「うっひょー。なんとも美味そうじゃねーか!」
「まったくだ。しかも可愛いウェイトレスさん付きとなれば、文句もねぇぜ」
 ガハハハと笑う二人の客。その一人がそっとクリスの方へと腕を伸ばす。
「あらもう、お上手なんだから♪」
 ニコリと笑いながら伸ばされた手を軽くかわす。
「当店はお触り厳禁ですよー」
「ちっ……なんだよ、少しぐらいサービスがあってもいいんじゃねぇか?」
 手を躱された男が、不快そうに吐き捨てる。
「メシ食うだけだと、退屈だろ? 少し付き合えよ」
「ホント、悪いんだけどねー」
 下品な男の言葉に、クリスが丁寧に答える。
「当店ではそんなサービスはしてないのよー」
「こう見えてオレは現場ではちょっとした勇名持ちなんだぜ」
 しかし男はクリスの言葉を聞こうとはしない。口から漏れる匂いからして、相当アルコールが入っているのだろう。
「余計なことをくっちゃべってないで、可愛いがって貰えるうちにさっさと付き合え」
 男がそう言い切った瞬間、それまでザワザワとしていた店内が、一瞬で静かになった。
「おいおい。あいつヤベェよ……」
 静かになった店内で、ヒソヒソとお互いの顔を見合わせながら言葉をかわす他の客たち。
「見ない顔だな……新客か?」
「気の毒になぁ」
「だけど、アレだ。久し振りにクリスちゃんの立ち回りが見れると思えば……」
「なるほど、あの怖いもの知らずには感謝だな」
「よし、賭けようぜ。あいつ何秒持つと思う?」
「乗った。アレだけ言うんだから一分ぐらいは持つだろ」
「ばっか、クリスちゃんだぜ。精々が四十秒持ちゃいいぐらいだ」
 もちろんその言葉は、当事者の耳にも届く。
「おい、お前ら……っ」
 周りで勝手に賭博ネタにされ盛り上がっているのが頭に来たのか、件の男がガタっと音を立てながら乱暴に立ち上がる。鍛えられた、立派な体格と筋肉の持ち主だ。探索者か、あるいは傭兵と言われても違和感はない。
 対するクリスは少女としては引き締まった身体を持っているが、目前の男と比べればいかにも心もとない。
「こんなガキ一人にこのオレが――!」
 威嚇するように両手を広げながら男は口を開いたが、その言葉は最後まで続けられない。
「はいはい。店内ではお静かに」
 つい一瞬前まで男の目前にいた筈の少女――クリスがいつの間にか男の背後に立っていたのだ。
「他のお客様にご迷惑ですー」
「な、テメェ!」
 動揺しながらも大声をあげて、男はクリスの方へと振り返る。
「ちょっと油断しちまったが、舐めた真似しやがると――」
「てぃっ!」
 いかにも三下なお約束を口にしかけた男の鳩尾に、クリスのパンチがめり込む。
「ぐぇっ!」
 たまらず腹を押さえ腰を曲げた男の頭を、クリスはそのまま無造作に掴んだ。
「もぅ……お昼時間帯はそれでなくとも忙しんだから、あまり手間をかけさせないでくださいね」
 同時に男の顔にめり込むクリスの膝。何が起きたのか理解する間もなく、男は意識を失い床へと倒れ込んだ。
「三〇秒未満だぞ!」
「的中者はいねぇぞ……親の総取りじゃねーか!」
「ちっ……なんだい。見掛け倒しにもほどってモンがあるじゃねぇか」
 成り行きを見守っていた客達からブーイングの声が湧き上がる。
「それにしたって、ありゃないぜ」
「あぁ、たったの一撃だぜ……そりゃ、クリスちゃんの一発は天国に登れるぐらい重いけどさぁ」
「ひひっ、悪いねぇ」
 賭けの親をやっていた客が悪い笑みを浮かべる。
「あいつウチの現場で使ってたんだけど、見掛け倒しで有名だったんだよ。面倒くさいんで適当に煽てて利用してたんだが……まさか、真に受けてたとはなぁ」
 ひーふーみーと硬貨を数えて袋にしまう。
「ま、少しは良い経験になったんじゃねぇのかね」
「ずりーぞ! ノーカンだろ、ノーカン!」
 他の客がブーイングの声を上げるが、男はそしらぬ顔だ。
「おい、店内はテメェらだけの物じゃねぇぞ!」
 奥のキッチンから、ヒゲモジャのまるで熊のような大男が出てくる。両手にもったフライパンと包丁、そしてなぜかヒヨコのアップリケが付いたエプロンが妙に似合っている。
「全員一杯奢ってやるから、少しは大人しくしてろ!」
 『金の麦穂』亭店主兼コックのヴォルガンが大声で怒鳴る。
「ついでに、その馬鹿はつまみ出しておいてくれ!」
「やったぜ!」
 店内が一際大きな歓声に包まれる。
「まったく……」
 やれやれとクリスが首をふる。なんとも騒がしいことだが、彼女は決してこの雰囲気は嫌いではなかった。


   *   *   *


 『クリスティアナ・フォールティア・ユーストース』

 それがこの少女の名前だった。
 ここでは詳しく触れないが、生まれは良家と言ってもよい。
 両親も名士と呼べる人物だったし、誠実で実直な人だった。人によってはお人好しと呼ぶだろうが。
 そして、それが良い方向に働くことはほとんど無かった。
「お父さんたち、事業に失敗してだな」
 敬愛すべき両親から『それ』を告げられたのは、クリスが十歳になったばかりの頃だった。
「財産はもとよりこの家も抵当として引き渡すことになった。つまりアレだ」
 なぜか照れ笑いを浮かべる父。
「明日までにこの家から出て行かなくちゃダメなんだ」
「はい?」
 幼心に唖然とした事は覚えている。以前から商売に関してはセンスの無い両親だと思っていたけど、まさか全財産を失ってしまうほどのえーっと……馬鹿という単語以外を探したけど他に思いつかない。
「でも安心していいのよ」
 今度は母親が言う。
「別に預けていた残りの財産を使って鉱山を買ったから!」
 あまりに能天気な母親の言葉に、目眩さえ覚えるクリス。この人達は何度騙されたら懲りるんだろう。
「鉱脈を掘り当てて大儲けしちゃう!」
 それはどこの屑鉱山ですか? とは聞けなかった。どうせゴミみたいな鉱石しかでてこない、誰も手を付けようとしなかった鉱山を高値で買わされたのだろう。そもそも見込みのある鉱山なら、へそくり程度で買える金額で売られたりはしない。
「鉱山かぁ……」
 大抵の場合、鉱山というものは領都から遠く離れた辺境の位置にある。当然その近くに住み込むしかないし、不自由な生活になるのは確実だ。魔獣や魔物の心配もあるし、賊の心配だってある。
(まぁ、二人に限ってその心配だけは必要ないけど……)
 商い事に関しては絶望的に才能の無い両親ではあるが、腕っぷしについては真逆だ。あの二人に勝てる存在はそうそういない。二人の本職を考えれば当然なのだけど。当然、その二人の娘であるクリスも腕前は確かだ。
「あぁ、お前は心配しなくていい」
 クリスの表情に気づいたのか、父が微笑みかけて言葉を続けた。
「街でレストランを始めたヴォルガンに話を通しておいた……住み込みの手伝いとして預かってくれるそうだ」
 なんともありがたい話だとクリスは思う。少なくとも辺境のさらに向こうにある秘境の鉱山で世捨て人生活をせずにすむというのは。
 だけど年端も行かぬ娘を、古くからの友人とはいえ赤の他人に任せて、自分たちはどこか遠くまで出かけてゆくというのはどうなのだろう?
 そもそも、もう少し慎重に物事を考えて生活することはできなかったのか? 面白いようにカモられる両親を見るたびにそう思う。それを脳筋両親に訴えても、聞き入れてもらえたとは思えないけれど。
「というわけでだ、あと二時間もすればヴォルガンのとこから迎えが来る。早く準備をしておくんだぞ」
 心構えも覚悟もあったものではなく、怒涛の勢いでクリスの日常は大きく変化した。


 休日。クリスは久しぶりに『あの場所』を見に行こうと決めた。
 領都外壁が目の端に入るぐらいのやや離れた平野部に建つ屋敷。それが彼女の目的地だった。
「ここしばらく忙しくて見に来れなかったからなぁ」
 普段なら一週間に一度ぐらいの頻度で足を向けていたのだが、大手商隊が立て続けに訪れたことにより客が増えてそれどころじゃなくなっていた。今日のお出かけも、実に三週間ぶりのことだ。
「変わらないなぁ」
 両親が手放すことになった家――少女にとっての実家。呟きながらぐるりと周囲を一周する。
 本館と小ぶりの別館が一つ、馬小屋と物置小屋が一つずつ。庭は広く取られており、有事に備えて両親が特訓をするための訓練設備が並べられている。
 最低限以上の手入れをされているのか、もう長く人が住んでもないのに荒れた様子はない。
 多額の借金と引き換えに屋敷を引き受けたツヴァイヘルド商会は、この屋敷を荒れるに任せるつもりは無かったらしい。実にありがたいことだ。
「………?」
 正門を起点とし、壁にそって屋敷を一周してから、ふとクリスは違和感を覚えた。
 特に何かが変わっているわけではない。特に屋敷が荒れてるわけでも建物が増えたり減ったりしているわけでもない。以前のままだ。
「えーっと」
 目を皿のようにして違和感の正体をさぐる。

 答えは十数秒で見つかった。
 閉ざされた正門。そこに掲げられた看板の表記が、以前と異なっていたのだ。

『売約済み』

「へ?」
 ボクの家が、売れた……絶対に売れないと言われていた、あの家が?
 クリスが混乱の表情を浮かべて後ずさる。前回見に来たときには『売出し中』の看板が掛かっていた筈。
 つまり、この数週間の間に売れたということ。なんかお化け屋敷になったなんて噂もあったけど、買い手が付いたなんて聞いてない!
「お~い!」
 呆然としているクリスの背後から、シスター服の少女が走り寄って来る。手に持った鞄がちょっと重そうだ。
「ヴォルガンさんに聞いたら、今日は休みだって言われたから、ここにいると思ったんだ」
 クリスの側までたどり着いた少女は、息を整えつつ言葉を続けた。
「クリスって、本当にこの場所好きだからねー」
「カミン……」
 良く知った幼馴染の名前を口にしながら、ギギギという音が聞こえそうな動きで振り返るクリス。
「ボクの家……売れちゃった」
 幼馴染のシスターに愕然としたまま短く言う。
「え?」
 まるでこの世の終わりでも訪れたかのような表情で告げられ、カミンと呼ばれた少女は目を丸くする。
「家が売れたって……え? うそ?!」
 クリスの家に付けられた価格は相当なものだ。ちょっとやそっとの金持ちでは手が出ない。仮に大金を持て余している人がいたとしても、あまり大きな声では言えない理由で売れる筈がなかった。
(……そう言えば、この屋敷に住み着いたゴースト達を追い払ったって話があったわ)
 教会で聞いた噂話が脳裏をよぎる。
 ツヴァイヘルド商会から除霊の依頼がありつつも、「どうせ売れる物件ではない」と適当にはぐらかしていたら、探索者によって除霊されてしまったとか。お陰でただでさえ高いとは言えない教会への評価がさらに下がってしまったと上級司祭達が頭を抱えていたのを覚えている。
 余計な心配をかけまいとクリスにはなにも伝えてなかったけど、まさかこんな展開になるとは……。
「ボ、ボクの夢が……」
 この屋敷を買い戻すため、クリスはお給金をずっと貯め続けていた。そりゃ、金額的には果てしなく遠いけど、それでも頑張っていた。それが、たった今、完全に無に帰した。
(だから、探索者でもして稼げば良いって言ったのに……)
 クリスの実力を持ってすれば、探索者として大成するのは確実だし、レストランのウェイトレスとは比較にならない大金が稼げる。
 だけど、クリスは断固としてそれを受け入れなかった。両親の姿を見て育っていたクリスのモットーは『堅実・確実』だったからだ。
 クリスに言わせればどれほど高額な報酬が提示されたとしても、探索というのはリスクの伴うもの。確実性は全く無く、逆に命の危険ばかり確実性が高い。
 クリスの考えから言えば、探索者となって稼ぐなんてあり得ない選択肢だった。
(だからといって、ウェイトレスの稼ぎであの屋敷が買い戻せるかといえばねぇ……)
 カミンにとっては来るべき時が来たというのが感想ではあったけど、幼馴染を見捨てるつもりもない。
(取り敢えず、購入者が何者か調べてみるしかないわね……)
 涙顔になっているクリスは可愛いなぁ……などと不穏なことを考えつつも、幼馴染の助けになるべき手段をカミンは脳裏で検討しはじめた。


   *   *   *


 領都・領主館――エミリア執務室。

「ロンバルド閣下がやらかしました!」
 ドアをノックするという最低限の礼儀もすっ飛ばして、敬意も何もない暴言を口にしつつ、護衛騎士レンは主であるエミリアの執務室へと飛び込んで来た。
「……はぁ」
 仮にも主の兄筋である人物に対してとんでもない言い草である。育ちは良い筈なのに今ひとつ礼儀に無頓着なレンの行為に眉を顰めつつ、今更だと諦めて言葉の先を続けるように促した。
「それで、何事ですか?」
「なにごとも、なにも!」
 普段なら流石に自分の言葉が不敬に当たることぐらいは自覚したかもしれないだろうが、あまりの興奮にレンはそれどころではない。
「かの御仁、陣頭指揮でオークのならず者を追ったまでは良いのですが、その際に『カテナティーオ騎士団』との境界線を越え、更には騎士団の警備隊と小競り合いが発生したとのことです!」
「あの馬鹿は何をやっているの!」
 余裕は一瞬で消し飛んだ。自分の手が痛むのも構わず、右手を机に激しく叩きつける。
 普段の彼女に言わせればはしたないとしか言いようのない行為だが、今はそれどころではない。
(以前から騎士団を軽く見る言動が目立っていたけど、まさかここまで愚かだったとは……)
 自分の武芸に自信を持つロンバルドは、王国の権威をもってすれば騎士団など容易に引かせることができると思い込んでいる。
 騎士団は教会によって権限を保障されたれっきとした独立勢力であり、自治権も徴税権も独自に持っている。名前から勘違いされることは多いが、決して王国の配下でも部下でもない。ましてや辺境伯の権限下でもない。
 建前としては王国に従う形を取っているが、それとて魔族と戦っていた頃に人族間で不要な緊張を招かぬため、『余計な口を挟まない』事を条件にまとめられた話が続いているだけに過ぎないのだ。
 王国や領都が独自に『騎士隊』を有している理由を、あの愚か者は理解していない。
「ローランド兄様は、この事態を?」
 一縷の望みをかけてエミリアは尋ねる。それすらダメだったら――王国は、辺境領は終わってしまうかも知れない。
「ローランド閣下は、報告を受けるや否や騎士隊を率いて現場に向かい、騎士団の警備隊と睨み合っています」
「……なるほど」
 一見これは事態を更に拡大させる悪手のように見える。お互いに多くの兵力を投入すれば、緊張は高まるし不慮の事故が起きる可能性も高くなる。
 だが同時に、規模が大きくなればなるほど簡単には身動きがとれなくなるのも事実。事態の深刻度が現場の判断レベルを越えれば、上に報告して指示を仰がなければならなくなるからだ。少なくともそのタイムラグの間には何事も起きない。
 エミリアはローランドの能力をそれほど高く評価してはいなかったが、その判断力には一定の信頼を置いている。ローランドが出張った以上、少なくともこれ以上事態が悪化することもないだろう。
(なんとか最悪の事態だけは避けられたか……)
 問答無用で無能な次男ロンバルドと違い、長男ローランドはまだしもマトモな判断ができていることに、エミリアは本気で感謝する。
 こちらの兵力を増強して騎士団側の暴発を防ぎつつ、ロンバルドより大きな兵力を動かしたことで弟の軽挙妄動を抑える。
 原則として現場指揮はより多くの部下――兵を有する方が行うのが決まりであり、僅かな部下を率いてるだけのロンバルドよりも騎士隊を率いたローランドに指揮権が発生する。身分に大きな差でもあればその原則もひっくり返る場合もあるが、ローランドが長男であるからにはそれもない。
「魔族との戦いが終わって百余年……平和ボケもここに極まれりってところかしら」
 平和を否定するつもりはないが、長い平穏は緊張感を緩ませ日常を惰性と変えてゆく。そのため様々な誤解や勘違いが幅を利かせるようになり――取り返しのつかない事態を招き寄せる。
「すぐに馬車の準備を。父上──辺境伯の元に参ります」
 のんきに後継者レースなどやっている場合ではない。一歩間違えれば大惨事──人族同士の戦争にすらなりかねなかった。
 今は損得を無視してでも、事態の収拾にあたるべきだ。そのためには今の権力者である父上に話を通し、事態収拾までの権限を得るしかないだろう。
 誰に対しても一筋縄ではゆかない父――領主がこれを機会にどんな無茶を言い出すか、今から考えても頭が痛い。こちらも切るべき札は幾つか持っているが、それをこんな所で使うことになるとは……それもこれも、あの馬鹿兄共のせいで!
(まったく冗談じゃない!)
 エミリアは腹立たしげに右人差し指で自分の腕をトントンと叩く。
(後継者なんぞ兄上達の間で決めて貰えば良いものを……そうすれば、心置きなく商人に専念できるというのに……)
 正直な話、エミリアは権力者の座など興味はない。色々と便利だから貴族籍を抜いて平民にまで降りる気はないが、政治からは一歩も二歩も引いた位置で傍観していたい。もちろん、商売に差し支えのある政策など選ぶのであれば容赦なく叩き潰すつもりだが。
(目立つのは本意ではないけど……)
 オークのならず者が無視できない問題になりつつあるのはわかっていたが、兄二人が協力すればなんとか片がつくと思っていた。
(だというのに、あの二人は……!)
 オーク問題を軽く見ているのか、協力するどころか足の引っ張り合いばかりで解決する気配もない。それでもまぁ……と様子を見ていたが、オークの影響で通商路の安全が危うくなりつつあることにすら気がついていない始末だ。
 辺境であるゆえに資源には困らないが、加工済み商品は乏しい。資源の大半は『シビテム・セカンディウム』に運ばれ、そこで加工されて領都に戻ってくる。
 二つの街をつなぐ通商路の重要性は言うまでもなく、これの維持はなによりも優先される。それが危うくなれば領都の経済など瞬く間に干上がってしまうのだから。
 だが、そんな簡単なことすらあの二人には理解できなかったらしい。まぁ、子供の頃からヒロイック・サーガに憧れ、武芸はともかく座学をおざなりにしていた二人の様子を考えれば当然かも知れないが。
 歳をとれば少しは物の道理というものを理解するかと思っていたが、悪い意味で子供の心を忘れていないという……。
 妃や腹心の人選には、絶対に口を挟んでやろう。エミリアはそう強く決心した。
「父上との面談後、すぐにツヴァイヘルド商会に向かいます。クーリッツには先触れを出しておきなさい」
 目立つのは嫌だと思っていたが、自分の夢に差し障りがでるのでは仕方ない。
(魔族の剣士に、目の出ないレンジャー……そして『賢者』)
 なんとも異質な組み合わせの三人。先の二人はまだわかるが、なぜそんな無名パーティーに『賢者』が?
 クーリッツも色々と手を回して調べてはみたものの、これと言って決定的な理由も見つからず、首を捻っている。
(あの腹黒策士が戸惑う姿というのも面白いけど)
 エミリアが思考の方向を修正する。
(三人は使える。ギルドでの職歴を見てもそれは明らかだし、あのロベルトが目を掛けているというし)
 かつて一流の騎士であり、彼に見いだされたものは一人の例外もなく優秀な騎士や文官として大成したという生ける伝説――『神眼』のロベルト。
 身体を壊したことで退役した後はツヴァイヘルド商会に家庭教師として雇用され、クーリッツの幼年教育を担当した。それが終わった後は全ての誘いをことわり自分の店を持って今は職人として生活していると聞く。
 その優秀で老練な元騎士が便宜を図る相手だ。色物なだけであるはずもない。
(クーリッツの提案を飲んで見るしかなさそうですね……)
 実力ある探索者に依頼し、オーク騒動の原因を調査・解決する。それ自体は以前から考えていたことだが、否応無くエミリアの評価に響く。せめて兄達も同じことを考えてくれれば、後追いで真似したことにして目立つのを避けることもできたのに……。
(無能なだけでなく、気も利かないとは!)
 とはいえ、もはや手段を選んでいる場合ではない。
 それに考えてみれば『実力はあるが無名な探索者』というのはカモフラージュにも向いている。成果が大きれば大きいほど、雇い主よりもそれを達成した当人達に注目が集まるだろう。
 そうすればエミリアは目立たずに済むし、後片付けを兄達が上手くこなしてくれれば手柄を押し付けることもできる。
(まずはどんな連中なのか見てからね)
 出立の用意ができたという連絡を受け、レンを先導に馬車へと向かいつつ、エミリアは思考を巡らせる。
(それにオーク達の真意も探らなければ……ツヴァイヘルドの店員にハーフオークが居たはず。オーク達の国『ザラニド』と直接話すことはできなくとも、取っ掛かりぐらいは掴めるでしょう)
 好きなことに専念するためには多少の苦労も仕方なし。それが世の真理ではあるにしても、もっと気楽な苦労にして欲しい。
 心底エミリアはそう思った。

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あっとさん
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16歳になったばかりの高校2年の主人公。 でも、主人公は昔から体が弱くなかなか学校に通えなかった。 でも学校には、行っても俺に声をかけてくれる親友はいた。 その日も体の調子が良くなり、親友と久しぶりの学校に行きHRが終わり先生が出ていったとき、クラスが眩しい光に包まれた。 そして僕は一人、違う場所に飛ばされいた。

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