朝焼け空にも星は見えるか

sakaki

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朝焼け空にも星は見えるか~前編~

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ずっと片思いで、念願叶ってあいつと付き合えるようになってから僅か3ヶ月足らず。
俺はきっぱりフラれた。
『ちゃんと結婚考えられる相手と付き合いたいんだ。俺もそろそろ家庭とか子供とかちゃんと考えなきゃならない歳だからさ』
その理由はずるい。それを言われたら、俺は引き下がるしかないじゃないか。
結婚も子供も、当たり前だけど俺じゃ叶えられっこないんだから。
けど、それを承知で付き合ってたんじゃないのかよ?
納得いかないけど納得するしかない俺に、そいつは“お前には申し訳ないことした”なんてさほど思ってもない事言って去って行った。

それから暫くして、同僚の女の子とそいつが結婚するらしいという噂が耳に入った。でき婚で、彼女は妊娠4ヶ月。
付き合ってた期間が丸被りで、改めて俺との事なんで単なる遊びだったんだなぁと思い知らされた。

あいつとその彼女は奇しくも俺と同じ職場の同じ部署。
どう足掻いたって毎日毎日顔を合わせる羽目になった。
すでに同棲をしているらしい幸せそうな家庭内のやりとりを目の前でされるのも日常茶飯事。
鉄の心で仕事に徹しようと頑張っては見たけど、限界はすぐにやってきた。
辛いもんは辛いんだ。

そんな訳で、俺は逃げ出すことにした。
溜まっていた有給を丸ごと使ってリフレッシュ休暇を取る。
そして実に数年ぶりとなる実家の田舎町へと帰省することを決めたのだ。



***

実家に帰るなり、守田朝日(もりた あさひ)は悟った。
ここは、落ち込むことを許してもらえない場所なのだと。
もっと正確に言うなら、そんな暇を与えてもらえない場所だ。

朝日の安らげるはずの実家は、今や大家族の巣窟と成り果てていたのだ。
「姉ちゃんが出戻ってるなんて思わなかったなぁ・・・」
二歳児の甥っ子に腹の上に乗られながら朝日は呟く。
ちなみに足下では一歳児が這っていて、傍らには八歳児と六歳児が絵本を読み、少し離れたところで十一歳児が宿題をし、十二歳児の双子は料理の手伝いをしている。
この七人全員姉の子供だ。上から順に、壱子(いちこ)、壱乃(いちの)、二美(ふたみ)、三治(さんじ)、四恩(しおん)、五朗(ごろう)、六太(ろくた)。
こんなに子沢山だというのに、なぜ結婚十三年目にして離婚をしようなどという無茶な結論に至ったのか・・・朝日には到底理解できない。
(あいつも・・・どうせすぐ離婚すんじゃねーの)
ふと別れた男の顔が浮かんで、咄嗟に心の中で悪態をついた。

「出戻りなんて人聞き悪い言い方やめてよね。独り立ちと言って」
姉の陽子(ひなこ)が胸を張る。
「実家に泣きついてる時点で独り立ちじゃないじゃないの」
「母さん達が可愛い孫と一緒に暮らせるようにって気遣ってあげたのよ」
呆れたように母が口を挟んでも、陽子は堪える様子なくあっけらかんと言ってのける。陽子のこんなところは本当に大らかというか、図々しいというか。羨ましい限りだ。

(これじゃ休暇丸々実家に泊まるってのは無理だな・・・)
自分の部屋が既に子供部屋に取って代わっているのを見て、朝日はこっそりとため息をつく。
残念ながら、朝日の傷心旅行は早くも計画倒れに終わりそうだ。
「客間はあるから、あんたはそこに泊まんなさいよ。客用の布団も出してやるから」
「自分の家に帰って来てんのに客扱いかよ・・・」
陽子に背を叩かれ、朝日は恨みがましく言った。
すると、待ってましたと言わんばかりに陽子はニヤリと笑う。
「客扱いなんてするわけないでしょ。せっかく久々に帰って来たんだから」
「へぇ~」
意外にも思いやりのある言葉でもかけてくれるのかと感心するが、勿論そんなに甘いはずはない。
「我が家の辞書では、弟と書いて“下僕”と読むのよ。たっぷり働いてもらうわ」
声高らかに言う。
「マジで?」
(落ち込む暇がねぇじゃねーか)
朝日は大きく顔を歪めた。



***

「六太の予防接種に行ってきて。これ見せりゃわかるから」
陽子にそう言われて渡されたのは母子手帳。勿論子供などいない朝日にしてみれば初めて見る代物だ。
パラパラとめくってみると確かに予防接種について書かれたページがあった。
日付のハンコと共に医者が書き込んだらしい“次は◯ヶ月後”なんていう親切なメモまであった。
「うへぇ・・・赤ん坊なのにこんなにしょっちゅう注射しなきゃなんないのか・・・お前も大変だなー、ろく」
朝日の足につかまり立ちをしていた六太を抱き上げる。ついでに高い高いをしてやると、両手をジタバタさせて笑った。
「赤ん坊だから注射しなきゃなんないんでしょうが」
母が六太の尻の辺りをぽんぽんと叩きながら言う。そして朝日には大きなカバンを持たせた。
オムツやミルクの入った六太のお出かけバッグだ。
「こんなに持ってくのかよ?」
ズシリとした重さに朝日は驚く。なぜなら、
「予防接種って、揚羽(あげは)だろ? すぐ隣なのにこんな大荷物背負ってく意味あんの?」
守田家の子供達の行きつけである揚羽こどもクリニックは近所も近所、お隣さんなのだ。
互いの家の庭を隔てても数メートル先と言ったところだ。
「小さい子は何があるか分かんないんだから、備えあれば憂なしなのよ」
心配性の母はそう説明するが・・・
「何がいるこれがいるっていちいち連絡されたりしたらたまったもんじゃないもの」
姉はきっぱりと本音をぶつけた。
「分かったらさっさと行った行った。何なら公園にでも寄り道してくれば~」
「予防接種終わったら即行帰ってくるっつーの!」
追い出すようにぐいぐいと押され、朝日はあっかんべーをして見せた。それを見た六太はケタケタと笑っているが、こんなのは今のうちだろう。
陽子と離れて10分もすれば、顔を大きく歪ませ大音量で泣きじゃくるに違いない。
しかも待っているのは注射だなんて・・・自分が六太なら絶対に“なんて日だ!?”と叫びたくなること請け合いだ。

(懐かしいな・・・)
家を出てたった数歩歩いただけで、お隣の小児科の看板は顔を見せる。
朝日や陽子がよくお世話になっていた頃から既に古ぼけていた看板は、もはやベンキがはげてボロボロだ。
(確かこの看板もあのじーちゃん先生が作ったんだよなぁ・・・)
向かい合わせになっている庭で、小児科の先生が日曜大工でせっせと看板をこしらえていた光景を思い出す。
朝日も陽子も興味津々で覗いていたものだ。
(ってか・・・じーちゃん先生だったよな)
懐かしい顔を思い浮べてふと気付く。
“じーちゃん先生”と呼んでいただけあって、揚羽医師は朝日と陽子がまだ小さな頃から既にご老体だったはずだ。
となれば今はかなりお年を召しているのではないのか?  まだ現役だとしたらすごい事だが。

「守田さん、どうぞ」
他に患者もいないため、受付をしてすぐに呼ばれた。
渡された問診票は何をどう書けばいいのかさっぱり分からずほとんど空白のままだ。
やはり母親である陽子が来るべきだったんだと朝日は密かに肩を落とす。
甥っ子の問診票すら満足に書けないとは我ながら情けない。とはいえ、六太とは生まれてから数回会っただけなのだから仕方ない気もするが。
(意外と泣かないもんなんだな・・・)
感心しながら六太を見やる。
陽子と離れてすぐに泣き出すか、もしくは病院に来た途端に泣き出すかと不安だったが、そんなことは全くない。
寧ろ、常連客だとでも言いたげに慣れた様子で遊び場スペースで遊んでいたくらいだ。
そして診察室に呼ばれた今も、扉を開けてすぐのところにあった大きなぬいぐるみを自分の物のように抱きかかえた。
「こんにちは、今日は予防接種でしたね」
(あれ・・・?)
奥の方からパタパタと出て来た白衣の男に朝日は驚く。
愛想の良い笑顔を浮かべた顔にシワなど全くなく、その腰は長身をより際立たせるようにピンと伸びている。つまりは、若い男なのだ。
「えーっと・・・じーちゃん先生は・・・?」
思わず戸惑いを露わに問い掛ける。
男はそんな朝日にまたにっこりと微笑んだ。
「父はもう引退したんですよ。僕は後継」
そう言って、すでに顔見知りらしい六太に“ね~?”と同意を求める。
(そ、そっか・・・引退って・・・そりゃそうか)
妙に感心しながら目の前の男をまじまじと観察。
あのじーちゃん先生の息子にしては、かなり若いようだ。孫だと言っても不自然ではないほどに。
てっきりあのじーちゃん先生が出て来ると思って油断していた朝日としては、なんだか急にどぎまぎして、緊張してしまう。
(だって・・・めちゃめちゃいい男じゃん)
さらさらの黒髪に知的な眼鏡、それに加えて優しそうな笑顔ときたら、朝日的にはかなりの高ポイントなのだ。
思わずときめいてしまっていた朝日だったが、男はにっこり笑顔のまま台無しの一言を言った。
「えーっと、君は六太君のお父さんですか?」
「え゛」
固まる朝日に“初めまして~”などと呑気に挨拶をしてくる。
「お、俺は叔父です!!」
(結婚すらしてないのにガキなんでいてたまるか!!)
あからさまに憤慨して言い返すと、男は一瞬キョトンとして、またすぐに呑気な笑みを浮かべた。
「あぁ、そうですよねぇ。お父さんにしては確かに可愛過ぎますよね。なんとなく六太君と似てるからそうかなぁ、なんて。叔父さんだったら血が繋がってるんだからそりゃあ似てますよねぇ。そうですかそうですか。でも叔父さんっていうにも随分可愛らしい叔父さんですね」
一人で頷きながらケタケタと笑う。
(な、なんか、ちょっと変な奴・・・かも)
朝日のときめきは勘違いでしたと言わんばかりにすーっと消えて行った。
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