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1:初恋はアプリコットジャムの味
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きっかけは雨宿りだった。
突然雨に降られてずぶ濡れになって、咄嗟に花屋の店先に避難した。少しでも雨足が弱まったら走って帰ればいい・・・そんなことを考えて。
そしたら、しばらくして思いがけない天の助けがあった。
『良かったらこれ使って。風邪引いちゃうよ?』
そう言って差し出されたのはふわふわのタオル。
笑顔がすっごく綺麗で、女神様みたいな人だって思った。・・・男の人だったけど。
それから店の中に入れてもらって紅茶まで出してもらった。
雨が上がる頃には、すっかり夢中になってしまった。
これがオレ、高波立夢(たかなみ りずむ)初恋の瞬間だ。
それから丁度一ヶ月が経ち、オレは今履歴書と睨めっこしていた。
件の花屋がアルバイト募集をしていると知って、あの人と仲良くなれる絶好のチャンスだと思ったんだけど・・・如何せん書き方がよく分からない。
「お? 立夢、バイトでもすんのか?」
部屋に入って来るなり、兄の成夢(なりむ)がオレの手元をのぞき込む。
オレは曖昧に頷いてから、履歴書を指差した。
「ねぇ、この志望動機ってどんなこと書けばいいの?」
丁度良いところに帰ってきてくれたとばかりに書き方を指南してもらう。
何せ兄ちゃんはバイトに明け暮れるあまり大学を留年してしまったほどのアルバイターだ。履歴書なんて散々書いてきたに違いない。
「何でもいいんじゃね? ケーキ屋だったらケーキが好きだから、本屋なら本が好きだからとかで」
買ってきたらしいポテトチップスを開けながら兄ちゃんが言う。
そんなもんなのかな、という疑いも少し抱きつつ、でも素直に言われた通りのことを書いた。
“花が好きだから”って。
「お前花屋でバイトすんの? 柄じゃねーな」
オレの書いた文字を見るなり驚きの声を上げる兄ちゃん。そして、何やら勘ぐり始めた。
「なーんか裏があるな?」
ニヤニヤしながらオレの顔を覗き込む。
兄ちゃんのこういうときの勘はなぜか鋭く、そしてさらにこういうときのオレは誤魔化すのがド下手だ。
案の定洗いざらいを打ち明ける羽目になり、あろうことか面白がった兄ちゃんは一緒に面接を受けると言い出した。
そして面接当日。
「へぇ~、Cicelyか。洒落た花屋だな~」
店構えをまじまじと見て感心したように兄ちゃんが言う。
「もう、早く入ろうよ!」
兄弟揃ってバイトの面接に来るなんて何だか気恥ずかしくて、オレはそそくさと店内に入る。
まだ開店前だからこの前とは違って閉められてる扉を開くと、昔ながらの喫茶店みたいなベルの音が鳴った。
「おはようございます・・・あれ? 」
ベルの音に誘われるように顔を出した憧れのあの人は、オレたちの顔を見るなり少し驚いた顔をした。
てっきりオレの事を覚えてくれていたからだと思ったんだけど、どうやらそれだけじゃなかったようだ。
「高波! 」
「おぉ、斎原じゃん!?」
兄ちゃんと一緒に“久しぶり”なんて言い合ってる。
それもそのはず。
なんと偶然にも、花屋のオーナーであるオレの憧れの人:斎原葉純(さいばら はすみ)さんと兄ちゃんは大学の同級生だったらしい。世間って狭いな。
バイトのし過ぎで留年した兄ちゃんとは違って、葉純さんは大学を卒業してからすぐにこのお花屋さんをオープンしたんだという。
「立夢君が高波の弟さんだったなんてすごい偶然だね」
葉純さんがこの前と同じく紅茶を出してくれる。すっかり面接なんて雰囲気じゃなくて寛ぎモードだ。
“立夢君”なんていう呼ばれ方が照れ臭くてオレはずっとヘラヘラしていた。
「高波とその弟さんなら信頼できるし、二人とも採用ってことで」
オレたちの持ってきた履歴書を眺めてから葉純さんが頷く。
オレはほっと胸をなで下ろし、兄ちゃんも満足そうにニッと笑った。
それから時給とか週何日入れるかとか色んなことを話し合った・・・はずなんだけど、オレは葉純さんに見惚れるだけでほとんど話の内容が頭に入って来なかった。
「いらっしゃいませー」
それから数週間が経ち、初めこそ浮かれてばかりで使い物にならなかったオレもいい加減仕事に慣れてきた。
葉純さんとも緊張せずに話せるようになったし、仕事の合間に雑談もして、結構親しく慣れたんじゃないかと思う。
大抵学校帰りから閉店までの3時間がバイト時間なんだけど、毎週土曜日だけは朝から店番をする。
土曜日は葉純さんがフラワーアレンジメント教室をやってるんだ。
「ありがとうございましたー」
常連客を見送ると、入れ替わりに兄ちゃんが店に入ってきた。
懲りずにバイトを掛け持ちしまくっている兄ちゃんは土曜日を含めて週二日だけの出勤だ。
「なぁなぁ、今の人すっげー男前だな! 芸能人みてぇ!」
たった今出て行ったばかりの客を姿が見えなくなるまで見送っていたかと思うと、テンション高くそんな事を言う。
「なんか常連さんみたいでよく来るよ」
兄ちゃんに言われるまで気にしたことはなかったけど、言われてみれば確かに納得。
なんていうか、すっごいモテそうなタイプだと思う。
この建物に入っている学習塾で働いている人で、教室に飾ると言ってちょこちょこ花を買っていくんだ。
「オーナーとも仲良いみたいでよく話してるし」
補足で説明してみると、兄ちゃんは本題よりも別のことが気になったみたいだった。
怪訝な顔でオレを見る。
「お前、斎原のこと“オーナー”なんて呼んでんの? 」
「う・・だ、だって・・」
“斎原さん”ってのも他人行儀過ぎてやだし、“葉純さん”っていうのは照れ臭いし・・・
ゴニョゴニョと言い訳してみると、兄ちゃんは大げさなほど肩を竦めた。
「ったく、わが弟ながら超純情なやつ・・・」
そして、フラワーアレンジメント教室が行われている奥の部屋を一瞬見てから声を潜めてさらに続ける。
「そんな調子じゃ斎原がフリ―かどうかもまーだ聞いてないんだろ? ったく、もたもたしてんな~」
「う、うっさいなぁ」
うりうり、と肘でつつかれオレは真っ赤になった。
「恋人くらいいて当たり前だろうし、別に、その・・・オレはただ憧れてるだけで・・・」
よりいっそうごにょごにょと呟く。
兄ちゃんはすっかりあきれ顔で“はいはい”と吐き捨てた。
数日後。
今日は兄ちゃんと一緒の出勤日。
Cicelyに行く前に美味しいカフェでケーキを奢ってくれるなんて言うから早めに家を出たのに、当の兄ちゃんは夜勤のバイトが長引いたとかでドタキャン。
中途半端な時間になっちゃったし、Cicelyに向かうことにした。
バイトの時間にはまだ少し早いけど、葉純さんはもう来てるだろうし。
あわよくば開店まで二人で紅茶を飲めたらいいな、なんて期待があるのも本音だ。
表の入り口はシャッターこそ開いているが、明かりもついてないし、扉も閉まってる。
オレは左手側から裏口に回った。
葉純さんはいつもここから出入りしているし、来ているとすればこちら側にいるだろうと予想した。
オレ自身はここから入るのは初めてだから、少しだけ緊張しながらドアノブを回してみる。
鍵はかかってないからやっぱり葉純さんはすでに中にいるみたいだ。
ホッとしながらドアを開けて中に入る。
中に入るとすぐに細々としたリボンやよく分からない手芸道具みたいなものが並んだ棚が目に入った。
多分葉純さんがフラワーアレンジメントに使う道具とかだな。
綺麗に整理整頓されてて、葉純さんの几帳面さが見て取れたような気がする。
この狭い廊下を曲がれば、いつもフラワーアレンジメントの教室を開いている部屋に出る。
人の気配もあるし、間違いなく葉純さんはそっちにいるのだろう。
---その時だった。
「もう、ダメ。もうすぐ立夢君たち来ちゃうから・・・」
葉純さんの声が聞こえてオレは思わず立ち止まる。
話し声ってことは、誰か来てるみたいだ。
堂々と出て行くのは憚られて、良くないことだと思いながらもこっそり身を隠しながら様子を伺う。
「~~~っ!?」
飛び込んできた光景に、思わず叫びそうになったのを必死に堪える。
今オレの目の前では、それはそれは濃厚なキスシーンが繰り広げられていた。
一人は当然葉純さん、相手はあの常連客だ。
「んっ、もぅ・・・だめ・・・」
葉純さんは身を捩って離れようとしてるけど、唇を塞がれればまたすぐにうっとりした表情でそれに応えてる。
「みな・・・せ、ほんとに・・・もう・・・」
「やめて欲しくなさそうな顔してるけどな、葉純は」
“ミナセ”と言うのがあの男の名前らしい。
愛おしそうなに見つめ合って、完全に二人の世界って感じだ。
オレはピクリとも動かずにただ立ち尽くしていた。動けなかった、と言った方が良いかもしれない。
こんな覗きみたいな事しちゃダメだって思うのに、立ち去らなきゃって思うのに足が動かないんだ。
「おい、立夢。なにやってんだ?」
「うわぁっ!?」
突然背中をたたかれ、オレは咄嗟に大声を上げた。
しまったと思ってももう遅い。
葉純さんと相手の男もこっちに気づき、未だ状況の掴めていない様子の兄ちゃんとともに何ともいえない空気が走る。
「り、立夢君と高波・・・」
一番動揺してるのは葉純さんだ。
「ご、ごめんね! こんなみっともないところ見せちゃって・・・あの・・えっと・・・」
耳まで真っ赤だし、今まで見たことないような狼狽えぶりだ。
「いいじゃねーか、内輪だし。今じゃなくてもどうせすぐバレてただろーし」
葉純さんとは違って全くの平常心なのはこの男だ。
香坂水瀬(こうさか みなせ)というこの人は、ご丁寧にも“葉純の彼氏です”なんて自己紹介までしてくれた。
「じゃ、俺もそろそろ行くわ。さっきの続きは帰ってからな」
「んっ!?」
言うが早いか、一瞬で葉純さんの唇を奪う。不意を突かれた葉純さんは信じられないという風に目を見開いている。勿論オレ達もだ。
「もう! 水瀬!!」
「はいはい、お説教も帰ってからな」
憤然と抗議する葉純さんにヒラヒラと手を振って嵐のように去って行った。
「・・・ほら、アレだ。」
ポツリと兄ちゃんが言う。
「初恋は実んないっていうもんな」
そしてオレの肩をぽん。
「・・・・うん」
オレはがっくりと肩を落とした。
突然雨に降られてずぶ濡れになって、咄嗟に花屋の店先に避難した。少しでも雨足が弱まったら走って帰ればいい・・・そんなことを考えて。
そしたら、しばらくして思いがけない天の助けがあった。
『良かったらこれ使って。風邪引いちゃうよ?』
そう言って差し出されたのはふわふわのタオル。
笑顔がすっごく綺麗で、女神様みたいな人だって思った。・・・男の人だったけど。
それから店の中に入れてもらって紅茶まで出してもらった。
雨が上がる頃には、すっかり夢中になってしまった。
これがオレ、高波立夢(たかなみ りずむ)初恋の瞬間だ。
それから丁度一ヶ月が経ち、オレは今履歴書と睨めっこしていた。
件の花屋がアルバイト募集をしていると知って、あの人と仲良くなれる絶好のチャンスだと思ったんだけど・・・如何せん書き方がよく分からない。
「お? 立夢、バイトでもすんのか?」
部屋に入って来るなり、兄の成夢(なりむ)がオレの手元をのぞき込む。
オレは曖昧に頷いてから、履歴書を指差した。
「ねぇ、この志望動機ってどんなこと書けばいいの?」
丁度良いところに帰ってきてくれたとばかりに書き方を指南してもらう。
何せ兄ちゃんはバイトに明け暮れるあまり大学を留年してしまったほどのアルバイターだ。履歴書なんて散々書いてきたに違いない。
「何でもいいんじゃね? ケーキ屋だったらケーキが好きだから、本屋なら本が好きだからとかで」
買ってきたらしいポテトチップスを開けながら兄ちゃんが言う。
そんなもんなのかな、という疑いも少し抱きつつ、でも素直に言われた通りのことを書いた。
“花が好きだから”って。
「お前花屋でバイトすんの? 柄じゃねーな」
オレの書いた文字を見るなり驚きの声を上げる兄ちゃん。そして、何やら勘ぐり始めた。
「なーんか裏があるな?」
ニヤニヤしながらオレの顔を覗き込む。
兄ちゃんのこういうときの勘はなぜか鋭く、そしてさらにこういうときのオレは誤魔化すのがド下手だ。
案の定洗いざらいを打ち明ける羽目になり、あろうことか面白がった兄ちゃんは一緒に面接を受けると言い出した。
そして面接当日。
「へぇ~、Cicelyか。洒落た花屋だな~」
店構えをまじまじと見て感心したように兄ちゃんが言う。
「もう、早く入ろうよ!」
兄弟揃ってバイトの面接に来るなんて何だか気恥ずかしくて、オレはそそくさと店内に入る。
まだ開店前だからこの前とは違って閉められてる扉を開くと、昔ながらの喫茶店みたいなベルの音が鳴った。
「おはようございます・・・あれ? 」
ベルの音に誘われるように顔を出した憧れのあの人は、オレたちの顔を見るなり少し驚いた顔をした。
てっきりオレの事を覚えてくれていたからだと思ったんだけど、どうやらそれだけじゃなかったようだ。
「高波! 」
「おぉ、斎原じゃん!?」
兄ちゃんと一緒に“久しぶり”なんて言い合ってる。
それもそのはず。
なんと偶然にも、花屋のオーナーであるオレの憧れの人:斎原葉純(さいばら はすみ)さんと兄ちゃんは大学の同級生だったらしい。世間って狭いな。
バイトのし過ぎで留年した兄ちゃんとは違って、葉純さんは大学を卒業してからすぐにこのお花屋さんをオープンしたんだという。
「立夢君が高波の弟さんだったなんてすごい偶然だね」
葉純さんがこの前と同じく紅茶を出してくれる。すっかり面接なんて雰囲気じゃなくて寛ぎモードだ。
“立夢君”なんていう呼ばれ方が照れ臭くてオレはずっとヘラヘラしていた。
「高波とその弟さんなら信頼できるし、二人とも採用ってことで」
オレたちの持ってきた履歴書を眺めてから葉純さんが頷く。
オレはほっと胸をなで下ろし、兄ちゃんも満足そうにニッと笑った。
それから時給とか週何日入れるかとか色んなことを話し合った・・・はずなんだけど、オレは葉純さんに見惚れるだけでほとんど話の内容が頭に入って来なかった。
「いらっしゃいませー」
それから数週間が経ち、初めこそ浮かれてばかりで使い物にならなかったオレもいい加減仕事に慣れてきた。
葉純さんとも緊張せずに話せるようになったし、仕事の合間に雑談もして、結構親しく慣れたんじゃないかと思う。
大抵学校帰りから閉店までの3時間がバイト時間なんだけど、毎週土曜日だけは朝から店番をする。
土曜日は葉純さんがフラワーアレンジメント教室をやってるんだ。
「ありがとうございましたー」
常連客を見送ると、入れ替わりに兄ちゃんが店に入ってきた。
懲りずにバイトを掛け持ちしまくっている兄ちゃんは土曜日を含めて週二日だけの出勤だ。
「なぁなぁ、今の人すっげー男前だな! 芸能人みてぇ!」
たった今出て行ったばかりの客を姿が見えなくなるまで見送っていたかと思うと、テンション高くそんな事を言う。
「なんか常連さんみたいでよく来るよ」
兄ちゃんに言われるまで気にしたことはなかったけど、言われてみれば確かに納得。
なんていうか、すっごいモテそうなタイプだと思う。
この建物に入っている学習塾で働いている人で、教室に飾ると言ってちょこちょこ花を買っていくんだ。
「オーナーとも仲良いみたいでよく話してるし」
補足で説明してみると、兄ちゃんは本題よりも別のことが気になったみたいだった。
怪訝な顔でオレを見る。
「お前、斎原のこと“オーナー”なんて呼んでんの? 」
「う・・だ、だって・・」
“斎原さん”ってのも他人行儀過ぎてやだし、“葉純さん”っていうのは照れ臭いし・・・
ゴニョゴニョと言い訳してみると、兄ちゃんは大げさなほど肩を竦めた。
「ったく、わが弟ながら超純情なやつ・・・」
そして、フラワーアレンジメント教室が行われている奥の部屋を一瞬見てから声を潜めてさらに続ける。
「そんな調子じゃ斎原がフリ―かどうかもまーだ聞いてないんだろ? ったく、もたもたしてんな~」
「う、うっさいなぁ」
うりうり、と肘でつつかれオレは真っ赤になった。
「恋人くらいいて当たり前だろうし、別に、その・・・オレはただ憧れてるだけで・・・」
よりいっそうごにょごにょと呟く。
兄ちゃんはすっかりあきれ顔で“はいはい”と吐き捨てた。
数日後。
今日は兄ちゃんと一緒の出勤日。
Cicelyに行く前に美味しいカフェでケーキを奢ってくれるなんて言うから早めに家を出たのに、当の兄ちゃんは夜勤のバイトが長引いたとかでドタキャン。
中途半端な時間になっちゃったし、Cicelyに向かうことにした。
バイトの時間にはまだ少し早いけど、葉純さんはもう来てるだろうし。
あわよくば開店まで二人で紅茶を飲めたらいいな、なんて期待があるのも本音だ。
表の入り口はシャッターこそ開いているが、明かりもついてないし、扉も閉まってる。
オレは左手側から裏口に回った。
葉純さんはいつもここから出入りしているし、来ているとすればこちら側にいるだろうと予想した。
オレ自身はここから入るのは初めてだから、少しだけ緊張しながらドアノブを回してみる。
鍵はかかってないからやっぱり葉純さんはすでに中にいるみたいだ。
ホッとしながらドアを開けて中に入る。
中に入るとすぐに細々としたリボンやよく分からない手芸道具みたいなものが並んだ棚が目に入った。
多分葉純さんがフラワーアレンジメントに使う道具とかだな。
綺麗に整理整頓されてて、葉純さんの几帳面さが見て取れたような気がする。
この狭い廊下を曲がれば、いつもフラワーアレンジメントの教室を開いている部屋に出る。
人の気配もあるし、間違いなく葉純さんはそっちにいるのだろう。
---その時だった。
「もう、ダメ。もうすぐ立夢君たち来ちゃうから・・・」
葉純さんの声が聞こえてオレは思わず立ち止まる。
話し声ってことは、誰か来てるみたいだ。
堂々と出て行くのは憚られて、良くないことだと思いながらもこっそり身を隠しながら様子を伺う。
「~~~っ!?」
飛び込んできた光景に、思わず叫びそうになったのを必死に堪える。
今オレの目の前では、それはそれは濃厚なキスシーンが繰り広げられていた。
一人は当然葉純さん、相手はあの常連客だ。
「んっ、もぅ・・・だめ・・・」
葉純さんは身を捩って離れようとしてるけど、唇を塞がれればまたすぐにうっとりした表情でそれに応えてる。
「みな・・・せ、ほんとに・・・もう・・・」
「やめて欲しくなさそうな顔してるけどな、葉純は」
“ミナセ”と言うのがあの男の名前らしい。
愛おしそうなに見つめ合って、完全に二人の世界って感じだ。
オレはピクリとも動かずにただ立ち尽くしていた。動けなかった、と言った方が良いかもしれない。
こんな覗きみたいな事しちゃダメだって思うのに、立ち去らなきゃって思うのに足が動かないんだ。
「おい、立夢。なにやってんだ?」
「うわぁっ!?」
突然背中をたたかれ、オレは咄嗟に大声を上げた。
しまったと思ってももう遅い。
葉純さんと相手の男もこっちに気づき、未だ状況の掴めていない様子の兄ちゃんとともに何ともいえない空気が走る。
「り、立夢君と高波・・・」
一番動揺してるのは葉純さんだ。
「ご、ごめんね! こんなみっともないところ見せちゃって・・・あの・・えっと・・・」
耳まで真っ赤だし、今まで見たことないような狼狽えぶりだ。
「いいじゃねーか、内輪だし。今じゃなくてもどうせすぐバレてただろーし」
葉純さんとは違って全くの平常心なのはこの男だ。
香坂水瀬(こうさか みなせ)というこの人は、ご丁寧にも“葉純の彼氏です”なんて自己紹介までしてくれた。
「じゃ、俺もそろそろ行くわ。さっきの続きは帰ってからな」
「んっ!?」
言うが早いか、一瞬で葉純さんの唇を奪う。不意を突かれた葉純さんは信じられないという風に目を見開いている。勿論オレ達もだ。
「もう! 水瀬!!」
「はいはい、お説教も帰ってからな」
憤然と抗議する葉純さんにヒラヒラと手を振って嵐のように去って行った。
「・・・ほら、アレだ。」
ポツリと兄ちゃんが言う。
「初恋は実んないっていうもんな」
そしてオレの肩をぽん。
「・・・・うん」
オレはがっくりと肩を落とした。
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