子守唄は夜明けまで続く

sakaki

文字の大きさ
9 / 12

子守歌は夜明けまで続く9

しおりを挟む
子守歌は夜明けまで続く9


「苑君ったら顔色が悪いわねぇ・・・」
開口一番、美恵子はそう言って困った顔をした。
「やだねぇ、死にかけのアタシよりよっぽど倒れそうな顔してるじゃないの」
豪快に笑い、八雲の背中をバシバシと叩く。"死にかけ”などという笑えないジョークに八雲は苦笑いを浮かべる他ない。
一目見て言われる程だとは思わなかったにしろ、顔色が優れない理由には心あたりがあった。ほとんど寝ていないからだ。

昨夜は日付が変わる少し前まで一臣を待っていたが、結局諦めて家に帰った。一人で過ごすにはあの家は広すぎて、時計の音ばかりが耳について・・・堪えられなかった。
その癖帰ってからも気になって仕方がなくて、一臣から連絡があるのではとずっと携帯を手元から離さなかった。枕元に携帯を置いて待つなんて、いったい何処の乙女なんだと我ながら呆れてしまった。
花那の写真に懺悔もした。一臣とは距離を置いて花那への償いのために生きていく・・・そうすべきだと思いながら、結局少しも実践できていないからだ。
一臣への気持ちが抑えられず、どう足掻いても離れられそうにない。昨夜鉢合わせたことでそれを強く実感する羽目になった。
別れれば、一臣にはきっとすぐに新しい恋人が出来るのだろう。八雲ではない他の誰かが一臣に触れるのだ。昨夜の見目麗しい青年のように。
「それは嫌だなぁ・・・」
「あら、何が? 粒あん嫌い?」
思わず声に出してしまい、美恵子に突っ込まれてしまった。
美恵子が勧めたどらやきが嫌だったのかと尋ねられ、慌てて否定する。
美恵子は相変わらず食欲旺盛なようだった。知り合いと言う知り合いに見舞い品としておやつを強請り、それをよく八雲にも分けてくれる。
元気そうに見えるのが常だが、時折激しい痛みに襲われ苦しんでいるというのは看護師から聞かされた。八雲を含め、誰かが見舞いに来ている時にはそんなことは臆面にも出さない。美恵子は何処までも強い人だと思った。

「さてと、そろそろ仕事に戻りますね。洗濯物はまた夕方にでも取りに来ますから」
美恵子の傍らにある時計を見やり、八雲は言った。休憩時間はそろそろ終わりだ。
院内にある託児所で勤めることになったことは、西浄から誘いがあった時に美恵子にもすぐに伝えた。初めは自分の為に無理をするのは駄目だと反対されたが、これが八雲のやりたいようにしている結果なのだと懇々と伝えて納得して貰えた。こうして美恵子の身の回りの世話をするのは、花那への償いのため以上に八雲自身が美恵子の傍にいたいからでもあるのだ。美恵子は八雲にとって本当の母親のような存在なのだから。
「ありがとう。仕事、しっかり頑張んなさいね」
美恵子は力強く八雲の背を叩いた。


仕事に戻る道すがら、八雲はポケットから携帯を取り出した。病棟から託児所までの間のちょっとした中庭。ここなら携帯を使っていいはずだ。
電源を入れると、着信の知らせがあった。一臣からだ。今日はこれで3度目になる。八雲はすぐに折り返すため一臣の番号を押した。
一度目は朝、一臣は仕事前だったのだろう。八雲は電車に乗っていて出られなかった。駅に着いてからかけ直したが、きっと既に仕事中だったであろう一臣には繋がらなかった。
病院に着いてからは八雲は携帯の電源を切っているので、一臣からの電話に出ることが出来ない。合間を縫って折り返しても、今度は一臣が出ない・・・ちょっとしたすれ違いになっていた。
一臣は面倒がってプライベートではあまりメールやLINEを使わないので、向こうからの連絡手段は電話がほとんどだ。八雲からメールをすれば返信がくるのだろうが、仕事のことも伝えておかなければならないし、出来れば直接声を聞いて話がしたい。・・・本音を言えば、昨夜のことをそれとなく聞きたいというのも理由の一つだ。
一臣はあの後、朝までずっとあの青年と過ごしたのだろうか。もしあっさり認められてしまったらどうしようか。浮気者と罵るような性分でもないし、平気な振りをして受け流すしかないんだろうか・・・。
(うーん・・・出ないか)
八雲は空を仰いでゆっくりと息を吸う。そしてようやく呼び出し音を鳴らし続けることを諦めるのだった。




(また行き違いか・・・)
靴を履きながら携帯電話の画面表示を見やり、一臣は舌打ちをした。着信1件・・・八雲からだ。
遅々として原稿の進まない担当作家の尻を叩きに来ていたのだが、その間携帯をサイレントにしていた所為で着信に気付けなかった。他の作家ならばただのマナーモードにするのだが、今日の相手はバイブの音にすら怯える、デリケートな小動物並の小心者だ。
「・・・」
一臣がドアノブに手をかけようとしたところで勝手に扉が開き、見覚えのある顔が現れた。確かこの家の隣人のはずだ。
何でもない振りを装おうとしているようだが、残念ながら一臣を見るなり顔が強張っていたのは見逃せなかった。
「あ・・えっと・・お仕事中ッスよね~。俺、出直して・・・」
青年は引き攣り切った作り笑顔で後ずさりしている。
(ったく、面倒臭ぇな・・・)
一臣は内心で舌打ちをした。
どういう理由で警戒されているのかは粗方予想がついているが、お門違いもいいところだ。作家自身の色恋沙汰など興味もないし、まして巻き込まれるなど御免被る。どうぞ好きにしてくれと言ったところだ。
「見ての通り、打ち合わせはとっくに終わって帰るところなんだが?」
愛想を振りまく必要性も感じないので素っ気なく言い、顎を杓って中に入るよう促した。
「あ、ハイ。お邪魔します・・・」
青年は苦い顔をして頭を下げる。何を萎縮しているのか、妙にぎこちない所作で一臣と入れ違いに玄関に足を踏み入れた。
「あぁ・・・良ければ手伝ってやってくれ。どうせ煮詰まってるだろうからな」
ふと思い立ち、去り際にそんなことを伝えてみる。
当然こちらの意図が掴めないであろう青年は狼狽えているが、一臣はそのまま知らん顔して外に出た。ちょっとした八つ当たりだが、このくらいは許されるだろう。

歩きながら携帯のマナーモードを解除して、八雲の番号を押す。
着信があった時刻はほんの数分前。ともすれば、今なら電話が繋がる可能性は高いはずだ。
こんなすれ違いに苛立つ羽目になるくらいなら、いっそ今夜顔を合わせた時に話せばいいだろうと自分でも思う。だが、直接話せばまたあのお決まりの笑顔で交わされてしまいそうな気がした。一臣の方もまた、八雲を目の前にして本音を言えるほど素直ではないし・・・。
もうあやふやなままにしておくのは堪え難く、ハッキリさせてしまいたい。あの男のことも、一臣とのこれからのことも。
どうしたいのか、八雲の気持ちを聞き出したい。
『はい、もしもし』
5コールほどしたところで、八雲の声に代わった。漸く繋がったことにまずは安堵した。
『すみませんでした。何度も電話出られなくて』
特段いつもと変わりない様子で八雲が詫びる。
「いや・・・」
それはお互い様だと一臣は答える。
世間話をしたい訳ではない。用件を切り出さなければと気が逸る。
その時だった。
『苑~、ちょっとこっち来いよ』
電話越しに、男の声が聞こえた。八雲を気安く呼ぶ声。
即座に、昨夜の記憶と繋がった。間違いなく、あの男の声だ。
今もまた、八雲はあの男の傍にいるのか。
『電話中だからあっち行ってて下さい。すみません三倉さん、邪魔が入ってしまって』
八雲の声に重なってあの男の話し声が聞こえてくる。電話に声が入ってしまうほど近い距離にいるのだろう。
『三倉さん? もしもし、聞こえてますか? 三倉さん?』
八雲が何度も呼び掛ける。
『もしもし、もしもし? 三倉さん? 三倉さ・・・』
一臣は答えることなく、ゆっくりと終話ボタンを押した。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

【完結済】「自由に生きていい」と言われたので冒険者になりましたが、なぜか旦那様が激怒して連れ戻しに来ました。

キノア9g
BL
「君に義務は求めない」=ニート生活推奨!? ポジティブ転生者と、言葉足らずで愛が重い氷の伯爵様の、全力すれ違い新婚ラブコメディ! あらすじ 「君に求める義務はない。屋敷で自由に過ごしていい」 貧乏男爵家の次男・ルシアン(前世は男子高校生)は、政略結婚した若き天才当主・オルドリンからそう告げられた。 冷徹で無表情な旦那様の言葉を、「俺に興味がないんだな! ラッキー、衣食住保証付きのニート生活だ!」とポジティブに解釈したルシアン。 彼はこっそり屋敷を抜け出し、偽名を使って憧れの冒険者ライフを満喫し始める。 「旦那様は俺に無関心」 そう信じて、半年間ものんきに遊び回っていたルシアンだったが、ある日クエスト中に怪我をしてしまう。 バレたら怒られるかな……とビクビクしていた彼の元に現れたのは、顔面蒼白で息を切らした旦那様で――!? 「君が怪我をしたと聞いて、気が狂いそうだった……!」 怒鳴られるかと思いきや、折れるほど強く抱きしめられて困惑。 えっ、放置してたんじゃなかったの? なんでそんなに必死なの? 実は旦那様は冷徹なのではなく、ルシアンが好きすぎて「嫌われないように」と身を引いていただけの、超・奥手な心配性スパダリだった! 「君を守れるなら、森ごと消し飛ばすが?」 「過保護すぎて冒険になりません!!」 Fランク冒険者ののんきな妻(夫)×国宝級魔法使いの激重旦那様。 すれ違っていた二人が、甘々な「週末冒険者夫婦」になるまでの、勘違いと溺愛のハッピーエンドBL。

【完結済】あの日、王子の隣を去った俺は、いまもあなたを想っている

キノア9g
BL
かつて、誰よりも大切だった人と別れた――それが、すべての始まりだった。 今はただ、冒険者として任務をこなす日々。けれどある日、思いがけず「彼」と再び顔を合わせることになる。 魔法と剣が支配するリオセルト大陸。 平和を取り戻しつつあるこの世界で、心に火種を抱えたふたりが、交差する。 過去を捨てたはずの男と、捨てきれなかった男。 すれ違った時間の中に、まだ消えていない想いがある。 ――これは、「終わったはずの恋」に、もう一度立ち向かう物語。 切なくも温かい、“再会”から始まるファンタジーBL。 全8話 お題『復縁/元恋人と3年後に再会/主人公は冒険者/身を引いた形』設定担当AI /c

人生はままならない

野埜乃のの
BL
「おまえとは番にならない」 結婚して迎えた初夜。彼はそう僕にそう告げた。 異世界オメガバース ツイノベです

【bl】砕かれた誇り

perari
BL
アルファの幼馴染と淫らに絡んだあと、彼は医者を呼んで、私の印を消させた。 「来月結婚するんだ。君に誤解はさせたくない。」 「あいつは嫉妬深い。泣かせるわけにはいかない。」 「君ももう年頃の残り物のオメガだろ? 俺の印をつけたまま、他のアルファとお見合いするなんてありえない。」 彼は冷たく、けれどどこか薄情な笑みを浮かべながら、一枚の小切手を私に投げ渡す。 「長い間、俺に従ってきたんだから、君を傷つけたりはしない。」 「結婚の日には招待状を送る。必ず来て、席につけよ。」 --- いくつかのコメントを拝見し、大変申し訳なく思っております。 私は現在日本語を勉強しており、この文章はAI作品ではありませんが、 一部に翻訳ソフトを使用しています。 もし読んでくださる中で日本語のおかしな点をご指摘いただけましたら、 本当にありがたく思います。

後宮の男妃

紅林
BL
碧凌帝国には年老いた名君がいた。 もう間もなくその命尽きると噂される宮殿で皇帝の寵愛を一身に受けていると噂される男妃のお話。

ラピスラズリの福音

東雲
BL
*異世界ファンタジーBL* 特別な世界観も特殊な設定もありません。壮大な何かもありません。 幼馴染みの二人が遠回りをしながら、相思相愛の果てに結ばれるお話です。 金髪碧眼美形攻め×純朴一途筋肉受け 息をするように体の大きい子受けです。 珍しく年齢制限のないお話ですが、いつもの如く己の『好き』と性癖をたんと詰め込みました!

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

処理中です...