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愛情料理の作り方~前編~
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クッキングスタジオICHIYOU。
お菓子や家庭料理から本格イタリアンやフレンチまで、幅広く網羅している人気急上昇中のお料理教室である。
講師は数名いるが、特に花形と呼ばれているツートップが若狭拓真(わかさ たくま)と仁後恭平(じんご きょうへい)。
二人ともまだ二十代ながら、かたや海外留学経験あり、かたや有名店での勤務経験ありの確かなキャリアと料理の腕を持っている。
とはいえ、彼らの講座が人気の理由はそんな経歴よりも、抜群のルックスにあるのだということは周知の事実だった。
***
「先生、ちょっとよろしいですか?」
講座が終わり、生徒の一人に呼び止められる。
営業スマイルで他の生徒達を見送っていた拓真は、心密かに“またか”と溜息を洩らした。
優しく指導してくれる講師に期待して恋心を抱く生徒は少なくない。特に拓真のような若い講師が相手では特に。
拓真自身、ここで働き始めて以来、女子大生やOL、主婦にまで幅広い世代に代わる代わる愛を告白されてきたのだ。
だからこんなのはもはや慣れたもの。
料理教室を辞められては困るため、傷つけないように、けれど期待を持たせないようにとやんわり断る術は身に付けている。
だが、今回は流石の拓真も少しばかり戸惑った。
「先生のことが好きなんです」
発せられた言葉は予想していたものだったが、問題はその相手だ。
仄かに頬を染め、俯きがちになりながら拓真を見つめているのは、美濃香耶(みのう かや)。
香耶は拓真の生徒の中では唯一の男性なのだ。
「モテるのは知ってたけど、遂に男の子にまでねぇ・・・」
仕事終わりの飲みの席、事務員である沢口一葉(さわぐち いちよう)は感心したように息を洩らした。
食べている天ぷらの所為で唇がテラテラと光っているが、見事に色気は感じない。見た目は悪くないというのに、つくづく損な女性だ。
「で、何て答えたんだよ?」
ビールの追加を頼んでから、仁後が話の続きを急かす。
自分だって生徒に告白されるのは日常茶飯事のくせに、相手が同性からだと言うだけでやけに楽しんでいるようだ。
身を乗り出した拍子に彼の長髪がグラスに付きそうになったため、拓真は少しだけ眉を顰めた。
「別に、いつも通りだよ。“生徒との恋愛は禁止されてますから”ってね」
「そんなもん? つまんねーなぁ」
仁後は不満そうに言いながら、背もたれに背中を付けて座り直す。一体何を期待していたのか。
「若狭君はその辺はしっかり線引きしてくれてるものね。コッソリ生徒さん達に手を出してる誰かさんとは大違い」
「誰のことだろうね~」
沢口にちくりと刺されれば、バツの悪そうに目をそらした。
「しっかし美濃さんがねぇ・・・。まぁ可愛い顔してるし、分からないでもないか」
香耶を思い浮かべながらしみじみと呟く沢口。
ハイボール片手に煙草を吹かす姿はかなり様になっている。アラフォーの貫録みたいなものすら感じる程だ。
「あぁ、確かに香耶ちゃん可愛いよな。俺なんか初めて見た時女の子だと思ったし」
仁後も同意し、“危うく口説こうかと思ったくらい”と口を滑らせてから慌てて口を塞いだ。
沢口の言うように、生徒に手を出しているのはデフォルトらしい。
「まぁ・・・確かになー」
拓真も頷きつつ、なかなか噛み切れないたこわさを芋焼酎で流し込んだ。
確かに二人の言う通り、香耶は男にしてはかなり可愛い部類に入る。
実のところ拓真も、仁後と同じく初めは女の子だと思っていたのだ。
香耶の初参加の日に、そのあまりの手際の悪さに驚いて声を掛けた時にようやく男だと気付いたほど。
告白して来た時の恥じらうようなあの表情はまた特に、可愛らしかったと思う。
「そりゃまぁ、可愛いけどさ・・・」
空になったグラスを置いて呟く。
ふと顔を上げると、仁後がニヤニヤとこちらを見ていた。
「お~? 実は結構満更でもないのか?」
実に楽しそうな顔をして揶揄するように尋ねる。“うりうり”などと言いながら拓真を肘で突いた。
「ちょっとちょっと、仁後君だけじゃなくて若狭君まで? 勘弁してよ~、二人揃ってうちを潰す気~?」
沢口は大げさに頭を抱えながら拓真の肩を叩く。その強さに手加減がないため、彼女が少し酔ってきたらしいことが分かった。
「俺は生徒には手出しませんって。ってか、それ以前に男は守備範囲外」
沢口を押し返し、仁後を押しのけてきっぱりと言い放つ。
それから追加のビールと揚げ餃子を注文した。
***
お料理教室、今週のテーマは秋のおもてなし料理。
初日の今日は『手毬寿司を作ろう』だ。
あまり秋らしいメニューだとは思えなかったが、ICHIYOUでは料理だけではなく盛り付けやテーブルセッティングまでのアドバイスをするため、色合いやアイテムのチョイスで何となくそれらしくはなった。
手毬寿司は見た目こそ豪華に見えるが、料理としてはかなり簡単な部類だ。
酢飯を作り、具材の下ごしらえをして、あとはラップで丸くするだけ。
生徒達もつつがなく作業を進めているため、拓真も申し訳程度に飾り切りの方法などを教えていた。
・・・が、この極々簡単な料理でもなぜか失敗する問題児が拓真の生徒にはいるのだ。
「あれ? 丸くならない・・」
しきりに首を傾げて不思議そうに呟いては回りの奥様方にクスクスと笑われている。
ぶきっちょNO1の香耶だ。
「あぁ・・・酢飯が柔らかすぎたんですね。水分がうまく飛ばなかったのかな」
困り果てている香耶の手元を覗き込み、拓真が苦笑する。
「あ・・・す、すみません」
香耶はしゅんとして小さくなってしまった。
「大丈夫ですよ。まだご飯のあまりがありますから、一緒にやり直しましょうね」
手慣れたもの、とばかりにニッコリと微笑んで手際よく代わりを準備する。
実は香耶が失敗することを見越して多めに用意していたのだ。
香耶はこの料理教室に来るまで料理経験が一切なく、調理器具の使い方すら満足には知らないほどだった。
通い始めてそろそろ半年になろうとしているが、料理に慣れる様子はさほどない。
料理云々以前に、相当な不器用なのだ。
手際は悪いし、“なぜそんなことで?”と首を傾げたくなるような失敗もしょっちゅうで、危なっかしくて目が離せない。
「回数多く混ぜちゃうとべとべとになってしまうので、こうやって手早く切るように混ぜるんですよ」
「はい! やってみます!」
拓真が手本を見せてからしゃもじを手渡すと、香耶は気合十分に握りしめた。そして“とにかく必死”という風に混ぜ始める。
どんなに不器用でも失敗ばかりでも、香耶を憎めないのはこの一生懸命さの所以だ。
拓真の説明やアドバイスは誰よりも真剣に聞いているし、明らかに落ちこぼれてもめげずに頑張る。
努力の割には一向に上手くならないのは如何なものかとも思うが、諦めずにずっと真面目に通い続けているのだ。
拓真としても“出来の悪い子ほど可愛い”というか、ついつい手助けしてやりたくなってしまう。
(そういうのが思わせぶりだったのかな・・・もしかして)
ふと香耶の告白を思い出し、拓真は迷った。
かと言って、急に態度を変えるのも不自然だし、何より・・
「あ、もういいですよ。また混ぜすぎになっちゃうから」
「え? あ、すみません!」
やはり、放っておけない。
拓真が思わず腕を掴んで止めると、香耶はあわあわと慌ててしゃもじから手を放した。
焦りのためなのかほんの少し赤くなった顔を見ると、どうしてもあの告白シーンの香耶と重なる。
『先生のことが好きなんです』
二人だけのこの教室で、香耶はそう言った。
そしてお決まりの台詞で取り繕った拓真に、傷付いた顔をする訳でもなく笑顔を向けた。
『気持ち、聞いてもらっただけで十分ですから』
すんなり引き下がって、深々とお辞儀をして去って行く。
どこか満足げな様子で、“十分です”というのが嘘ではなく本音なのだと思えた。
後ろ髪引かれるような思いがしたのは、寧ろ拓真の方だったのかもしれない。
「あ、じゃあ、あとはラップで丸くして、それから具材を乗せてもう一度包み直してくださいね」
思わず過った回想に少しばかりバツの悪い心地がして、拓真は香耶の背をポンと叩いてその場を立ち去った。
“満更でもないのか”とからかい交じりに聞いてきた仁後のにやけ顔が過る。
(別にそんなんじゃないって)
拓真は密かに息を洩らした。
***
一日の講座が終わった後、拓真と仁後は肩を並べてPCに向かっていた。
「次、杏野さんが月曜と木曜」
「杏野さん杏野さん・・・あった。月・木な」
仁後が読み上げる内容を拓真が入力をしていく。
仁後が持っているのは生徒達の提出してくれた来期用の講座の申込用紙だ。
本来こういったデータ入力は講師の仕事ではないのだが、事務員である沢口に押し付けられてしまったのだ
なんでも今日はお見合いパーティに行くらしく、午後半休を取って早々に帰って行った。
「これって、確か締切来週だったよな?」
一通り終わった後で、申込用紙を改め直しながら仁後が尋ねる。
“おかしいな~”などと呟きながら、何度も用紙の名前を確認し直している。
「来週の土曜日締めだろ。それがどうかしたか?」
拓真が缶コーヒーを飲みながら聞き返すと、仁後は首を捻りながら答えた。
「香耶ちゃんのがねぇな~って思ってさ」
これ見よがしに名前を出され、拓真は少しばかり苦い顔をする。
拓真の反応に満足したのか、仁後はニヤリと笑った。
「お前にフラれた所為でやめちまうのかもねー」
軽口を叩き、申込み用紙の束を綺麗にまとめ直す。
「別に、単に出しそびれてるだけなんじゃないか?」
拓真は平静を装いながらノートパソコンの蓋を閉めた。
実は拓真自身もデータを打ち込みながら密かに気にしていたのだ。
ICHIYOUは月謝制のため、毎月20日頃までに翌月の講座申し込みを募る。
初回の入会金は不要だが、あこぎなことに継続の申込みをしそびれた場合の再入会金は発生してしまうためほとんどの生徒は早々に申込用紙を提出してくれる。
勿論香耶も、いつもなら月が替わったらすぐに申込書を出してくれているのだが・・・今回はまだ無い。
「フラれたからって何も教室まで辞めたりしないだろ。色恋しに来てんじゃなくて、料理習いに来てんだからさ」
呆れたような口調で言い、拓真はそそくさと後片付けを始める。
気にしていただけに、あまりツッコまれたくはないのだが、仁後は尚も食いついてきた。
「何言ってんだよ。完全にお前目当てで来てたに決まってんだろ? あんなぶきっちょさんなのにいっつも頑張ってさぁ・・・っつーか、そもそもここに通い始めた理由もお前だと俺は睨んでるけどね」
「はぁ?」
仁後の突拍子の無い言い分に、拓真は唖然。“それは流石に無いだろう”と殊更呆れて言葉を返す。
だが仁後はあくまで本気で言っているようだ。
「だってよ、香耶ちゃんがうちに入ったのってお前が広告塔になった頃じゃん?」
正確には仁後と拓真の二人だ。
ICHIYOUが情報誌に特集を組まれることになり、イケメン講師などという分かりやすく且つ在り来たりな肩書きで仁後とともにデカデカと写真が載った。
それ以来、仁後と拓真はICHIYOUのチラシ、ホームページなどの宣伝物には欠かさず顔が載るようになったのだ。
「それ見て真っ先にお前のとこに申し込んだってことは、そういうことだろ」
ニヤニヤしながら仁後が見つめる。そしてまたもや“うりうり”と肘でつつかれた。
「深読みし過ぎだ。都合良く考え過ぎ」
拓真は溜め息混じりに言い、申込書を仕舞ったキャビネットに鍵をかける。
だが鍵の向きが逆でなかなか鍵穴に刺さらず、動揺しているのは明らかだった。
「やーっぱ満更じゃねぇじゃん」
「・・・じゃないって」
訳知り顔でからかわれ、拓真は咳払いをした。
***
今日は拓真の教室は休みだ。
・・・なのだが、次回のハロウィンパーティー用のアイデアを練るために出勤していた。
料理のメニューを考えるのは好きだが、装飾の工夫を考えるのは如何せん苦手なのだ。
自宅で一人黙々と考え込んでも大した案は出ないため、大抵仁後の力を借りている。
仁後はその派手好きな性格の賜物なのか、テーブルセットやラッピングなどの飾り付けを考えるのが得意らしい。
(よし。大体こんなもんでいいな)
ノートに描いたイメージ図に満足して頷く。
仁後のアイデアを拓真なりにアレンジしたものをまとめて何とか形になった。
(そろそろ帰るか)
掛け時計を見やり、思いのほか時間がかかってしまったものだと溜息をつく。
よっこらしょと立ち上がると、なにやら廊下でキョロキョロしている人影が見えた。
香耶だ。
「美濃さん、どうかしましたか?」
拓真が事務室の窓から顔だけ覗かせて呼び掛ける。
香耶は弾けたようにこちらを向いた。心なしかホッとしたような顔をしている。
「あ、あの、来月分の申込書貰いそびれちゃってて、事務員の人もいないからどうしようかと思って・・・」
こちらに駆け寄り、少し早口になりながら事情を説明。
拓真は“そういうことなら”と事務室に招き入れた。
(ほら、やっぱりただ出しそびれてただけじゃないか)
事務室の机で申込用紙を記入する香耶を見ながら、拓真は密かに安堵する。
香耶は一文字一文字を丁寧に綴っていて、こんな時にも一生懸命なのだと、思わず笑みが零れた。
「美濃さんってさ、なんでここに通おうと思ったの?」
香耶の向かいに椅子を持ってきて、腰掛けながら尋ねる。
香耶は少しばかりきょとんとした顔をした。
「あ、いや、ほら、弁当男子とかって流行ってはいるけど、男の子で料理教室通うのってまだ結構珍しいからさ。何かきっかけでもあったのかなぁって素朴な疑問で」
唐突過ぎただろうかと、慌てて取り繕うように付け加える。
仁後に言われたことを鵜呑みにしているわけではないが、香耶がICHIYOUに通い始めた理由を聞いてみたいと思ったのだ。
香耶は少しだけ迷うようにしながら、おずおずと口を開いた。
「その“お弁当男子”になりたかったんです。大学で、いっつもパンばっかり食べてる友達がいて・・・」
「その友達に、作ってあげたかったんだ?」
結論を促すと、こくんと頷く。
(友達に・・・って)
香耶の言葉を反芻しながら俯いてしまった香耶を見つめる。
何処か切なそうな色をした瞳は、多くを語らずとも事実を表しているようだった。
「それって、好きな子?」
核心をつくと、香耶はたちまち頬を染めた。
その朱みは拓真を好きだと言った時と同じだ。焼き付いたように消えなかったあのときの香耶の表情と今とが重なり、拓真は胸がざわつくのを感じた。
「で、でも結局、お料理が上達する前に失恋しちゃったんですけどね」
あはは、と苦笑してみせる。料理教室に通い始めてすぐに、その相手には恋人ができてしまったのだという。
「それで、俺なのか・・・」
「え?」
ポツリと呟いた拓真に香耶が首を傾げる。純粋そうな瞳が愛らしい。
・・・それなのに、何故か拓真は苛立ちを覚えていた。
「失恋した辛さを紛らわすために、たまたま丁度良いところにいた俺を好きになったってところだろ? 次までの繋ぎみたいなもんか」
香耶から視線をずらし、あざ笑うように言う。
発した声の冷たさに自分でも驚き、ハッとした。
(何言ってんだ、俺は・・・)
口走ってしまった言葉を悔やみ、思わず自らの口を塞ぐ。
慌てて香耶を窺えば、先程までよりもずっと真っ赤な顔をして、大きな瞳には涙を滲ませていた。
「そんな・・・つもりじゃ・・・」
か細い声が震える。
大粒の涙が零れそうになったところで、香耶は勢いよく立ち上がった。
「ごめんなさい。帰ります」
まくし立てるように言って、事務室から駆け出していく。
傷付けてしまった。追いかけなければいけない。そう思うのに、金縛りにあったように拓真の体は動かなかった。
机の上には書き掛けの申込用紙が残されている。
(ホントに・・・何てこと言ってんだよ、俺は)
拓真は頭を抱え込んで、自分への苛立ちをぶつけるように机を叩いた。
お菓子や家庭料理から本格イタリアンやフレンチまで、幅広く網羅している人気急上昇中のお料理教室である。
講師は数名いるが、特に花形と呼ばれているツートップが若狭拓真(わかさ たくま)と仁後恭平(じんご きょうへい)。
二人ともまだ二十代ながら、かたや海外留学経験あり、かたや有名店での勤務経験ありの確かなキャリアと料理の腕を持っている。
とはいえ、彼らの講座が人気の理由はそんな経歴よりも、抜群のルックスにあるのだということは周知の事実だった。
***
「先生、ちょっとよろしいですか?」
講座が終わり、生徒の一人に呼び止められる。
営業スマイルで他の生徒達を見送っていた拓真は、心密かに“またか”と溜息を洩らした。
優しく指導してくれる講師に期待して恋心を抱く生徒は少なくない。特に拓真のような若い講師が相手では特に。
拓真自身、ここで働き始めて以来、女子大生やOL、主婦にまで幅広い世代に代わる代わる愛を告白されてきたのだ。
だからこんなのはもはや慣れたもの。
料理教室を辞められては困るため、傷つけないように、けれど期待を持たせないようにとやんわり断る術は身に付けている。
だが、今回は流石の拓真も少しばかり戸惑った。
「先生のことが好きなんです」
発せられた言葉は予想していたものだったが、問題はその相手だ。
仄かに頬を染め、俯きがちになりながら拓真を見つめているのは、美濃香耶(みのう かや)。
香耶は拓真の生徒の中では唯一の男性なのだ。
「モテるのは知ってたけど、遂に男の子にまでねぇ・・・」
仕事終わりの飲みの席、事務員である沢口一葉(さわぐち いちよう)は感心したように息を洩らした。
食べている天ぷらの所為で唇がテラテラと光っているが、見事に色気は感じない。見た目は悪くないというのに、つくづく損な女性だ。
「で、何て答えたんだよ?」
ビールの追加を頼んでから、仁後が話の続きを急かす。
自分だって生徒に告白されるのは日常茶飯事のくせに、相手が同性からだと言うだけでやけに楽しんでいるようだ。
身を乗り出した拍子に彼の長髪がグラスに付きそうになったため、拓真は少しだけ眉を顰めた。
「別に、いつも通りだよ。“生徒との恋愛は禁止されてますから”ってね」
「そんなもん? つまんねーなぁ」
仁後は不満そうに言いながら、背もたれに背中を付けて座り直す。一体何を期待していたのか。
「若狭君はその辺はしっかり線引きしてくれてるものね。コッソリ生徒さん達に手を出してる誰かさんとは大違い」
「誰のことだろうね~」
沢口にちくりと刺されれば、バツの悪そうに目をそらした。
「しっかし美濃さんがねぇ・・・。まぁ可愛い顔してるし、分からないでもないか」
香耶を思い浮かべながらしみじみと呟く沢口。
ハイボール片手に煙草を吹かす姿はかなり様になっている。アラフォーの貫録みたいなものすら感じる程だ。
「あぁ、確かに香耶ちゃん可愛いよな。俺なんか初めて見た時女の子だと思ったし」
仁後も同意し、“危うく口説こうかと思ったくらい”と口を滑らせてから慌てて口を塞いだ。
沢口の言うように、生徒に手を出しているのはデフォルトらしい。
「まぁ・・・確かになー」
拓真も頷きつつ、なかなか噛み切れないたこわさを芋焼酎で流し込んだ。
確かに二人の言う通り、香耶は男にしてはかなり可愛い部類に入る。
実のところ拓真も、仁後と同じく初めは女の子だと思っていたのだ。
香耶の初参加の日に、そのあまりの手際の悪さに驚いて声を掛けた時にようやく男だと気付いたほど。
告白して来た時の恥じらうようなあの表情はまた特に、可愛らしかったと思う。
「そりゃまぁ、可愛いけどさ・・・」
空になったグラスを置いて呟く。
ふと顔を上げると、仁後がニヤニヤとこちらを見ていた。
「お~? 実は結構満更でもないのか?」
実に楽しそうな顔をして揶揄するように尋ねる。“うりうり”などと言いながら拓真を肘で突いた。
「ちょっとちょっと、仁後君だけじゃなくて若狭君まで? 勘弁してよ~、二人揃ってうちを潰す気~?」
沢口は大げさに頭を抱えながら拓真の肩を叩く。その強さに手加減がないため、彼女が少し酔ってきたらしいことが分かった。
「俺は生徒には手出しませんって。ってか、それ以前に男は守備範囲外」
沢口を押し返し、仁後を押しのけてきっぱりと言い放つ。
それから追加のビールと揚げ餃子を注文した。
***
お料理教室、今週のテーマは秋のおもてなし料理。
初日の今日は『手毬寿司を作ろう』だ。
あまり秋らしいメニューだとは思えなかったが、ICHIYOUでは料理だけではなく盛り付けやテーブルセッティングまでのアドバイスをするため、色合いやアイテムのチョイスで何となくそれらしくはなった。
手毬寿司は見た目こそ豪華に見えるが、料理としてはかなり簡単な部類だ。
酢飯を作り、具材の下ごしらえをして、あとはラップで丸くするだけ。
生徒達もつつがなく作業を進めているため、拓真も申し訳程度に飾り切りの方法などを教えていた。
・・・が、この極々簡単な料理でもなぜか失敗する問題児が拓真の生徒にはいるのだ。
「あれ? 丸くならない・・」
しきりに首を傾げて不思議そうに呟いては回りの奥様方にクスクスと笑われている。
ぶきっちょNO1の香耶だ。
「あぁ・・・酢飯が柔らかすぎたんですね。水分がうまく飛ばなかったのかな」
困り果てている香耶の手元を覗き込み、拓真が苦笑する。
「あ・・・す、すみません」
香耶はしゅんとして小さくなってしまった。
「大丈夫ですよ。まだご飯のあまりがありますから、一緒にやり直しましょうね」
手慣れたもの、とばかりにニッコリと微笑んで手際よく代わりを準備する。
実は香耶が失敗することを見越して多めに用意していたのだ。
香耶はこの料理教室に来るまで料理経験が一切なく、調理器具の使い方すら満足には知らないほどだった。
通い始めてそろそろ半年になろうとしているが、料理に慣れる様子はさほどない。
料理云々以前に、相当な不器用なのだ。
手際は悪いし、“なぜそんなことで?”と首を傾げたくなるような失敗もしょっちゅうで、危なっかしくて目が離せない。
「回数多く混ぜちゃうとべとべとになってしまうので、こうやって手早く切るように混ぜるんですよ」
「はい! やってみます!」
拓真が手本を見せてからしゃもじを手渡すと、香耶は気合十分に握りしめた。そして“とにかく必死”という風に混ぜ始める。
どんなに不器用でも失敗ばかりでも、香耶を憎めないのはこの一生懸命さの所以だ。
拓真の説明やアドバイスは誰よりも真剣に聞いているし、明らかに落ちこぼれてもめげずに頑張る。
努力の割には一向に上手くならないのは如何なものかとも思うが、諦めずにずっと真面目に通い続けているのだ。
拓真としても“出来の悪い子ほど可愛い”というか、ついつい手助けしてやりたくなってしまう。
(そういうのが思わせぶりだったのかな・・・もしかして)
ふと香耶の告白を思い出し、拓真は迷った。
かと言って、急に態度を変えるのも不自然だし、何より・・
「あ、もういいですよ。また混ぜすぎになっちゃうから」
「え? あ、すみません!」
やはり、放っておけない。
拓真が思わず腕を掴んで止めると、香耶はあわあわと慌ててしゃもじから手を放した。
焦りのためなのかほんの少し赤くなった顔を見ると、どうしてもあの告白シーンの香耶と重なる。
『先生のことが好きなんです』
二人だけのこの教室で、香耶はそう言った。
そしてお決まりの台詞で取り繕った拓真に、傷付いた顔をする訳でもなく笑顔を向けた。
『気持ち、聞いてもらっただけで十分ですから』
すんなり引き下がって、深々とお辞儀をして去って行く。
どこか満足げな様子で、“十分です”というのが嘘ではなく本音なのだと思えた。
後ろ髪引かれるような思いがしたのは、寧ろ拓真の方だったのかもしれない。
「あ、じゃあ、あとはラップで丸くして、それから具材を乗せてもう一度包み直してくださいね」
思わず過った回想に少しばかりバツの悪い心地がして、拓真は香耶の背をポンと叩いてその場を立ち去った。
“満更でもないのか”とからかい交じりに聞いてきた仁後のにやけ顔が過る。
(別にそんなんじゃないって)
拓真は密かに息を洩らした。
***
一日の講座が終わった後、拓真と仁後は肩を並べてPCに向かっていた。
「次、杏野さんが月曜と木曜」
「杏野さん杏野さん・・・あった。月・木な」
仁後が読み上げる内容を拓真が入力をしていく。
仁後が持っているのは生徒達の提出してくれた来期用の講座の申込用紙だ。
本来こういったデータ入力は講師の仕事ではないのだが、事務員である沢口に押し付けられてしまったのだ
なんでも今日はお見合いパーティに行くらしく、午後半休を取って早々に帰って行った。
「これって、確か締切来週だったよな?」
一通り終わった後で、申込用紙を改め直しながら仁後が尋ねる。
“おかしいな~”などと呟きながら、何度も用紙の名前を確認し直している。
「来週の土曜日締めだろ。それがどうかしたか?」
拓真が缶コーヒーを飲みながら聞き返すと、仁後は首を捻りながら答えた。
「香耶ちゃんのがねぇな~って思ってさ」
これ見よがしに名前を出され、拓真は少しばかり苦い顔をする。
拓真の反応に満足したのか、仁後はニヤリと笑った。
「お前にフラれた所為でやめちまうのかもねー」
軽口を叩き、申込み用紙の束を綺麗にまとめ直す。
「別に、単に出しそびれてるだけなんじゃないか?」
拓真は平静を装いながらノートパソコンの蓋を閉めた。
実は拓真自身もデータを打ち込みながら密かに気にしていたのだ。
ICHIYOUは月謝制のため、毎月20日頃までに翌月の講座申し込みを募る。
初回の入会金は不要だが、あこぎなことに継続の申込みをしそびれた場合の再入会金は発生してしまうためほとんどの生徒は早々に申込用紙を提出してくれる。
勿論香耶も、いつもなら月が替わったらすぐに申込書を出してくれているのだが・・・今回はまだ無い。
「フラれたからって何も教室まで辞めたりしないだろ。色恋しに来てんじゃなくて、料理習いに来てんだからさ」
呆れたような口調で言い、拓真はそそくさと後片付けを始める。
気にしていただけに、あまりツッコまれたくはないのだが、仁後は尚も食いついてきた。
「何言ってんだよ。完全にお前目当てで来てたに決まってんだろ? あんなぶきっちょさんなのにいっつも頑張ってさぁ・・・っつーか、そもそもここに通い始めた理由もお前だと俺は睨んでるけどね」
「はぁ?」
仁後の突拍子の無い言い分に、拓真は唖然。“それは流石に無いだろう”と殊更呆れて言葉を返す。
だが仁後はあくまで本気で言っているようだ。
「だってよ、香耶ちゃんがうちに入ったのってお前が広告塔になった頃じゃん?」
正確には仁後と拓真の二人だ。
ICHIYOUが情報誌に特集を組まれることになり、イケメン講師などという分かりやすく且つ在り来たりな肩書きで仁後とともにデカデカと写真が載った。
それ以来、仁後と拓真はICHIYOUのチラシ、ホームページなどの宣伝物には欠かさず顔が載るようになったのだ。
「それ見て真っ先にお前のとこに申し込んだってことは、そういうことだろ」
ニヤニヤしながら仁後が見つめる。そしてまたもや“うりうり”と肘でつつかれた。
「深読みし過ぎだ。都合良く考え過ぎ」
拓真は溜め息混じりに言い、申込書を仕舞ったキャビネットに鍵をかける。
だが鍵の向きが逆でなかなか鍵穴に刺さらず、動揺しているのは明らかだった。
「やーっぱ満更じゃねぇじゃん」
「・・・じゃないって」
訳知り顔でからかわれ、拓真は咳払いをした。
***
今日は拓真の教室は休みだ。
・・・なのだが、次回のハロウィンパーティー用のアイデアを練るために出勤していた。
料理のメニューを考えるのは好きだが、装飾の工夫を考えるのは如何せん苦手なのだ。
自宅で一人黙々と考え込んでも大した案は出ないため、大抵仁後の力を借りている。
仁後はその派手好きな性格の賜物なのか、テーブルセットやラッピングなどの飾り付けを考えるのが得意らしい。
(よし。大体こんなもんでいいな)
ノートに描いたイメージ図に満足して頷く。
仁後のアイデアを拓真なりにアレンジしたものをまとめて何とか形になった。
(そろそろ帰るか)
掛け時計を見やり、思いのほか時間がかかってしまったものだと溜息をつく。
よっこらしょと立ち上がると、なにやら廊下でキョロキョロしている人影が見えた。
香耶だ。
「美濃さん、どうかしましたか?」
拓真が事務室の窓から顔だけ覗かせて呼び掛ける。
香耶は弾けたようにこちらを向いた。心なしかホッとしたような顔をしている。
「あ、あの、来月分の申込書貰いそびれちゃってて、事務員の人もいないからどうしようかと思って・・・」
こちらに駆け寄り、少し早口になりながら事情を説明。
拓真は“そういうことなら”と事務室に招き入れた。
(ほら、やっぱりただ出しそびれてただけじゃないか)
事務室の机で申込用紙を記入する香耶を見ながら、拓真は密かに安堵する。
香耶は一文字一文字を丁寧に綴っていて、こんな時にも一生懸命なのだと、思わず笑みが零れた。
「美濃さんってさ、なんでここに通おうと思ったの?」
香耶の向かいに椅子を持ってきて、腰掛けながら尋ねる。
香耶は少しばかりきょとんとした顔をした。
「あ、いや、ほら、弁当男子とかって流行ってはいるけど、男の子で料理教室通うのってまだ結構珍しいからさ。何かきっかけでもあったのかなぁって素朴な疑問で」
唐突過ぎただろうかと、慌てて取り繕うように付け加える。
仁後に言われたことを鵜呑みにしているわけではないが、香耶がICHIYOUに通い始めた理由を聞いてみたいと思ったのだ。
香耶は少しだけ迷うようにしながら、おずおずと口を開いた。
「その“お弁当男子”になりたかったんです。大学で、いっつもパンばっかり食べてる友達がいて・・・」
「その友達に、作ってあげたかったんだ?」
結論を促すと、こくんと頷く。
(友達に・・・って)
香耶の言葉を反芻しながら俯いてしまった香耶を見つめる。
何処か切なそうな色をした瞳は、多くを語らずとも事実を表しているようだった。
「それって、好きな子?」
核心をつくと、香耶はたちまち頬を染めた。
その朱みは拓真を好きだと言った時と同じだ。焼き付いたように消えなかったあのときの香耶の表情と今とが重なり、拓真は胸がざわつくのを感じた。
「で、でも結局、お料理が上達する前に失恋しちゃったんですけどね」
あはは、と苦笑してみせる。料理教室に通い始めてすぐに、その相手には恋人ができてしまったのだという。
「それで、俺なのか・・・」
「え?」
ポツリと呟いた拓真に香耶が首を傾げる。純粋そうな瞳が愛らしい。
・・・それなのに、何故か拓真は苛立ちを覚えていた。
「失恋した辛さを紛らわすために、たまたま丁度良いところにいた俺を好きになったってところだろ? 次までの繋ぎみたいなもんか」
香耶から視線をずらし、あざ笑うように言う。
発した声の冷たさに自分でも驚き、ハッとした。
(何言ってんだ、俺は・・・)
口走ってしまった言葉を悔やみ、思わず自らの口を塞ぐ。
慌てて香耶を窺えば、先程までよりもずっと真っ赤な顔をして、大きな瞳には涙を滲ませていた。
「そんな・・・つもりじゃ・・・」
か細い声が震える。
大粒の涙が零れそうになったところで、香耶は勢いよく立ち上がった。
「ごめんなさい。帰ります」
まくし立てるように言って、事務室から駆け出していく。
傷付けてしまった。追いかけなければいけない。そう思うのに、金縛りにあったように拓真の体は動かなかった。
机の上には書き掛けの申込用紙が残されている。
(ホントに・・・何てこと言ってんだよ、俺は)
拓真は頭を抱え込んで、自分への苛立ちをぶつけるように机を叩いた。
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