RAISE

sakaki

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一話

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■prologue

この世界において、エリートと呼ばれる職業はいくつかある。
政府の役人は言うまでもないが、その他に、絶対的権力を約束された職業があった。

『コマンド』

それは『ハンター』達を束ねる『ギルド』のさらに上に君臨する、管理・監督・統治を役割とするもの達である。



この世界でのハンターは、『シェイムハンター』と『ジュネラルハンター』とに分けられる。

シェイムハンターはいわゆる賞金稼ぎであり、各地方の管理組合に簡単な登録をすれば誰にでもなり得る。
ここでいう管理組合をギルドと呼ぶ。
政府から発行された賞金首のリストを受け取ることができるのはギルドに登録したもののみであり、ギルド未登録のものが賞金首を打ち取ったとすれば、それは単なる誘拐・殺人として処理される。 それだけでなく、賞金首リストという機密文書の情報を盗んだと見なされ、罰せられる決まりである。
そのため、賞金稼ぎを生業とするためには必ずギルドに登録する必要があるのだ。

シャイムハンターが活動を許されるのは、登録したギルドが管理する区間のみ。受け取ることのできる賞金首のリストはDランクからAランクまでに限られる。
これ以上のランクを任されるのが、ジュネラルハンターである。

ジュネラルハンターはSランク以上の賞金首リストを得られるのとともに、全国区での活動を認められる。
各地方ギルドに対する発言権を持ち、実力のある者などはギルド責任者と同格の地位を得ることもあった。

誰にでもなれるシェイムハンターと違い、ジュネラルハンターになるにはギルドの特別な認定が必要となる。

そして、このジュネラルハンターを極めたものの中から、ギルド責任者やコマンドになる者が選出されるのだった。



某日、夥しい数の蝋燭で照らされた薄暗い部屋に、一人の男が呼び出されていた。
ぼんやりと浮かぶ5つの魔法陣にはそれぞれ年老いた男たちの顔が青白く浮かんでいる。
ここはクラスト地区中央ギルド、特別室。
通常はギルド責任者のみが入出を許可された、コマンドとの通信施設である。
「そなたは若いが、実力・実績ともに申し分ない。」
中央の青い顔が言った。
「不足するは経験。その資質の証明。」
左奥の顔もそれに続く。
「コマンドとは実力のみにあらず。」
「若き者を管理し、育てることに意義を置く。」
今度は右・左が順番に。
「我らがそなたに与える条件は唯一つのみ。」
最後に右奥が言い放ち、5つの顔はふっと消えた。

「つまり、この子達を合格させられれば、俺は晴れてコマンドの仲間入りってことか。」
渡された書類を一瞥し、一人残された男は不敵な笑みを浮かべた。





■First Contact

クラスト地区中央ギルド、正面玄関。
絶好の遠足日和・・・もとい、旅立ち日和というべき青天の下、天気とは裏腹に実に不機嫌そうな顔がある。
何も日差しが眩しくてその眉が顰められている訳ではない。少し強めの風に靡く自らの薄茶色の髪が鬱陶しい訳でもない。
どうやらその表情の原因は、先ほどから代わる代わる声をかけてくる軽薄な男たちにあるらしい。
かくいう今も、見知らぬ男に好色な視線を向けられている真っ最中だったりする。
(・・・・うざい。)
彼の名はミオン。細身の体とその顔立ちは一見すると女性にしか見えないが、今年19歳になる列記とした青年である。
「みおん―! 」
ミオンが腕時計を見やるのとほぼ同時に、元気のいい声が飛んできた。
遥か遠くからぶんぶんと手を振りつつ駆け寄って来るのは見知った顔だ。
1年ぶりの再会となる今日からの相方は、どうやら相も変わらず時間にルーズらしかった。

「また寝坊だろ? 」
「う・・・」
挨拶もそこそこに開口一番図星をつかれ、青年は人懐こい笑みを浮かべたままで固まった。
この青年はイールという。
ミオンとは学術院時代の同級生で、卒業してから共にシェイムハンターになった同期でもある。
とはいえ、常に個人プレーのハンターという職業上、顔を合わせることはほとんどなかったのだが。

「まぁまぁ、そうイライラするなって。せっかくの美人顔が台無し・・・痛ってぇ!!」
イールが言い終わるのも待たず、ミオンが後頭部を殴る。ミオンにとって、コンプレックスでしかないその女性的な容姿を話題にすることは、たとえ賛美であっても苛立ちの対象にしかならないのである。
「こっちはお前に待たされたせいで、さんっざんバカな奴らに寄って来られてイライラしてたんだ。余計なこと言ってないでさっさと中に入るぞ。」
怒気を振りまきながら言ってのけ、ミオンはギルドに向かってズカズカと歩き出す。
「相変わらず、怖っえぇの・・・」
イールはたんこぶのできた茶色の髪を擦りつつ呟いた。
そういえば、学術院時代も幾度となく同じことで殴られていた。
単純に、可愛らしい顔をしていると思っているから誉めているだけなのだが・・・なぜああも怒るのか、イールにはさっぱりわからない。
そんなことを考えていたら、本当に置いて行かれそうになったので、慌ててミオンの後を追った。



ギルドの中は一見すると喫茶店のようにも見える。複数のテーブル席にカウンター席、カウンターにはギルドの責任者であるマスターたちが接客をしている。
ここにいるほとんどは自分たちと同じシェイムハンター・・・数人くらいはジュネラルハンターがいるかもしれないが・・・そう考えると全員がライバルみたいなものだ。
ミオンは少しばかり気を引き締めてまっすぐカウンターに向かった。そして胸元にしまっていた一枚の書類を差し出す。
小走りで付いてきていたらしいイールも、それにならうように書類を取り出した。ただし彼のはズボンのポケットに丸めて入れられていたらしく、聊か皺だらけになっているようだが。
「はい、ミオンさんにイールさんですね。」
書類を受け取った男が2人の顔を順々に見て言った。ミオンが頷くと、今度はカウンターの中から幾つかの書類を出し、見比べながら何やら確認を始めた。
ギルドマスターは司祭のような恰好をしている。それが制服なのかは分からないが、皆が同じような地味な色に身を包み、自分は脇役であると言いたげな顔をしていた。
元々は皆それなりに名のあるジュネラルハンターだったのだろうに・・・ミオンは何となくつまらない気持ちになりながら、目の前の紺色の衣服を眺めた。
「では、担当者を呼んできますのでそちらでお待ちください。」
確認を終えたらしい男が、ようやく顔を上げて一番奥のテーブルを示す。
言うなり奥の部屋へと引っ込んでしまったので、ミオンとイールは言われた通りテーブルに付くことにした。

「あー・・・いよいよだな~」
座るや否や、落ち着かない様子でイールが言う。その顔は高揚し、口元は緩みきっている。とにかく楽しみで仕方がないのだろう。
「大人しくしてろよ。うざいから。」
眉をひそめてミオンが呟く。短時間とはいえ隣でそわそわされるのは御免なのだ。
とはいえ、ミオン自身も緊張し、それ以上にわくわくしている。
今日はジュネラルハンターになるための第一歩を踏み出す日なのだ。
その相方が、隣でバカ面を引っ提げて貧乏ゆすりしているこの男だというのは聊かの不安ではあるが。
(・・・いよいよ、か・・・)
ふーっと長い息を漏らし、ミオンは改めて気を引きしめた。
「紅茶をどうぞ」
3つのカップをお盆に乗せ、エンジ色の服の女がやってきた。
ギルドマスターには女性もいるのか・・・ミオンは聊か感心しつつ、控えめに頭を下げる。
「あ、あ、ありがとうございまっす!!」
がバッと立ち上がり、上ずった声で叫んだのは隣のバカ・・・もといイールだ。
「うるさい!」
「いてっ!」
一斉に注目を受けてしまったことに羞恥し、イールの脇腹に肘鉄を食らわす。
どうやらこの男、女性に滅法弱いところは学術院時代から一向に進歩がないようだ。
ミオンは呆れかえってため息をついた。
紅茶を持ってきた女は、そんな二人の様子を見ながらクスクスと笑った。
「あなたたち、とても運がいいのよ。 まさか、あのグレイが新人の評定員を引受けるなんて、誰も思わなかったもの」
“よかったわね”なんて言いながら立ち去る。
残された二人は唖然騒然である。
「なぁ、今・・・グレイって言ったよな」
初めに口を開いたのはイール。ミオンも深く頷いた。
「あぁ。“あのグレイ”って言った。」

グレイ・・・その名はギルドに多少でもかかわる者であれば誰しもが知っている。
実力・実績共にナンバーワンと名高い、現役のジュネラルハンターである。

「なんでそんな奴がわざわざ・・・」
訝しげにミオンが呟く。一方イールは益々瞳を輝かせて笑った。
「すっげぇ! 現役のNo1だぜ!? どんだけ強いのかな!? くぅー―――楽しみすぎるっ!!」
大はしゃぎだ。
「めでたい頭で羨ましいよ」
突っ込むのを諦め紅茶を啜るミオン。
だが確かに、ナンバーワンの実力がどれほどのものなのかは気になった。
そして、その絶対的実力者から教えを乞うなり技を盗むなり、そんなチャンスが得られるなんて確かに幸運と言えるだろう。
(『今の』No1がどんな奴でも、一年後には超えてやるけど。)
静かに闘志を燃やす。
ミオンの目標こそ、自らがナンバーワンのジュネラルハンターとなることなのだ。


「お待たせしました」
しばらくして、紺色の服の男がようやく現れた。心なしか受付をしてくれた時よりも緊張した面持ちだ。
持っていた書類をもう一人の男に手渡し、一言二言何か話すと深く頭を下げてから去って行く。
紺色の服の男がいなくなったことで、その後ろに立っていた人物の姿が明らかになった。
暗く地味な色ばかりのギルドの中で、一際目立つ真っ白な衣服。
しかし人目を引くのは服のせいだけではないだろう。かなりの長身に、細身ではあるが逞しさの感じられるバランスの良い体型、この辺りでは珍しい漆黒の髪に清閑な輝きを湛えた紫色の瞳、穏やかそうな微笑みが加われば誰もが振り返らずには居られない・・・かなりの色男だ。
「初めまして。今日からよろしくね」
その表情と同じく実に穏やかな声が放たれる。
「「へ?」」
ゆっくりと自分たちの前へと腰かけた男に、ミオンとイールはそろって目を見開いた。
「君たちの担当になったグレイと申します。仲良くしようね。」
呆けている二人を愉快そうに見やり、男がまたもゆっくりと微笑む。
そう、この男こそがジュネラルハンターのトップに立つ、あのグレイなのだ。
(・・・こいつが? あの? )
予想していた人物像とはあまりに違い、ミオンは改めて繁々と目の前のグレイを見つめた。
イールも全く同じ感想を抱いていたらしく、無遠慮にもビシッと指差し言いのけた。
「ウソだろ!? だって、グレイってNO1のハンターだろ!? 身長3メートルくらいで、厳つくて、筋肉ムキムキーッとしたやつじゃないのかよ!? 」
「あはは、それじゃあまるでモンスターだよ」
冷めた紅茶を啜りながら呑気に返すグレイ。
優雅な仕草でカップを置いたかと思うと、今度はミオンに笑顔を向けた。
「君、写真も可愛かったけど、実物はもーっと可愛いね。」
言いながらミオンの手を取り、ふわりと唇を寄せる。女の子ならイチコロだろう。
だがミオンには・・・逆鱗に触れるようなもの。
隣で青い顔をしているイールの予想通り、条件反射のごとく素早さでミオンの鉄拳が飛んだ。
・・・が、
「・・なっ 」
ミオンの拳は宙を仰いだ。至近距離にもかかわらず、いとも簡単に避けられてしまったのだ。
「乱暴だなぁ、可愛いのに。」
「っ! このっ! 」
片眉を上げて不満げに呟くグレイに苛立ち、再び拳を振りかざしたミオンだったが、やはり当たらない。
何度か同じやり取りをしたが、結局かすりもしなかった。



「さて、じゃあ簡単にこれからのことについて説明するね。」
先ほどの紺色の服の男に渡されていた書類を二人にテーブルに並べ、何事もなかったようにグレイが取り成す。
「・・・・・・・・」
「お、おう!」
完全にグレイを敵と見なした様子のミオンに変わって、イールが気まずそうにぎこちない笑顔で答える。
グレイはと言えば、全く気に留める様子もなくテキパキと説明を進めた。
「ジュネラルハンターとして認定される条件は至極簡単。ギルドからの依頼をたった10件クリアすること。依頼は賞金稼ぎとは限らず、トレジャーハントだったり人助けだったりまぁ色々かな。10件クリアには特に期限はなく、受けた依頼に失敗したとしてもそこで不合格になったりはしない。また別の依頼をこなして、最終的にクリアした数が10件になればOKだ。」
「ギルドからの依頼を10件・・・」
独り言のように呟くミオン。たった10件と聞くのは容易いが、何といってもジュネラルハンターになるための認定試験だ。『ギルドからの依頼』とやらは、きっととんでもなく厳しいものに違いない。
イールも緊張した面持ちでグレイの言葉を聞いている。
神妙な二人の表情にまた微笑み、グレイがさらに続けた。
「依頼がクリアできたかどうか、君たちがジュネラルハンターになるに相応しいかどうかを評価・判定するのが評定員、つまり俺の役目。君たちがジュネラルハンターとして認定されるまでの間は行動を共にする。」
“だから仲良くしようねー”などと調子のいいことを言いつつミオンの頬に指先で触れる。
ミオンは思い切り顔を背けた。
「あ、依頼内容については、俺は一切手を出さないから。もし俺が手伝っちゃったら、例えクリアできたとしてもノーカウント。注意してね」
(ふん、誰が手伝ってもらうか。)
横を向いたままミオンが心の中でぼやく。イールも“ノーカウントは困るな”などと呟いた。
「それから、今からの君たちの生活費、つまり食費とか宿代とかその他諸々の諸経費はすべてギルドで賄われる。」
支給されたらしい小切手やカードをひらひらと見せつつグレイがいたずらな笑みを浮かべる。
その言葉に真っ先に反応したのはイールだった。
「マジ!? じゃあなんでもタダメシ食い放題!? 毎日ごちそう三昧!!? 」
大きく全身でガッツポーズをする。呆れ返ったミオンがツッコミを入れるのより先に、グレイが補足説明をした。
「うーん、その辺は残念ながら、羽目を外さないように管理するって意味でも俺がいるからね。」
「そりゃそうか・・・」
しょんぼりするイール。
(・・・バカか)
ミオンは益々呆れた。
「“生活費はギルドが見るから、賞金稼ぎなんかしてる暇があったらさっさと合格しろ”って言いたいんだろうね。要は、評定期間中の賞金稼ぎは実質的に禁止するってこと。」
「「なるほど」」
嫌味を含んだグレイの言葉に二人して納得した。

「さて、これであらかた説明は終わったけど、何か異議や質問はあるかな?」
“問題なければここにサインを”なんてまるで営業マンのような口調で言う。
さっそくとばかりにイールは署名。
ミオンもペンを手に取るが、いざ文字を書こうという寸前で、少し考えてから顔を上げた。
「なんで、あんたが評定員なの?」
顔を顰めてぼそりと質問する。イールは面食らった顔をしたが、グレイは全く気に留めない様子で笑った。
「そんなに嫌わなくてもいいのになぁ。チェンジはできないから、諦めて仲良くしようよ。ねー? 」
またも、女の子ならばイチコロであろう甘い仕草でミオンの手を取る。
ミオンとしては“なぜナンバーワンの実力者であるグレイが、通常は殆ど稼ぎの無くなった引退前のハンターが引き受けるはずの評定員になどなったのか”という質問をしたかったのだが・・・
(・・・もう、どうでもいいや)
握りしめられた手を払いのけ、ミオンは顔中に怒マークを浮かべながら書きなぐるように署名した。



■Shall we have a game?

初顔合わせが済んで間もなく、三人はギルドの用意した宿屋に来ていた。
1件目の依頼が今夜選定されるため、それまでの間束の間の休息を、というわけだ。
「どうせなら一人一部屋くれればいいのに、結構ケチだな」
自分に与えられたベッドに横たえ、ミオンが不満を口にする。途中で買ったスナック菓子を頬張りつつ、イールもそれに同意した。
「だなー。グレイだけ一人部屋なんてずるいよなー。どうせ一緒にするなら皆一部屋にすればいいのになー。」
「あいつと同室なんて絶対にイヤだ。」
信じられないことを口走るイールに枕を投げつける。
ただでさえうるさいイールと一緒の部屋でうんざりしているのに、もしここにグレイまでいたら・・・
ミオンの脳内には先ほどのグレイがよぎる。ミオンに向かい、女性を誑し込むような態度で“可愛い”と囁くあのグレイが。
「あぁ、ムカつく! なんであんな奴がNo1なんだよ!! 」
「うぶっ! 」
八つ当たりに拳を振りかざすと、いつの間にか目の前にいたイールに直撃した。
「う~~~~」
「おい、大丈夫か?」
思いのほかクリーンヒットしてしまい、うずくまるイールの様子を恐る恐るうかがう。
「大丈夫。」
「そ、そうか」
うっすら鼻血が出ているようだが、本人が大丈夫というからには大丈夫なのだろう。

「それよりさ、No1の実力知りたくねぇ? 」
二マッと笑い、イールが言う。
「どうせ今日はもうすることもないんだし、グレイに手合せしてもらおうぜ! 」
さすが体育会系の発想。いつもなら呆れるところだが、今回ばかりはミオンも大いに賛成だ。
「いい考えだな。現役No1様の実力を、是非とも見たい。」
“あのにやけた顔を一度でいいから殴りたい”そんな思いも相まって、ミオンはイールの手をガシッと掴んだ。


さて、やって来たのは宿屋の屋上。
流石ギルドのある街の宿屋ともなれば大きなつくりの建物で、屋上もざっと見渡せるほどに広い。目立った障害物も何もなく、ただ鉄筋コンクリートが広がるばかりだ。
「よし、手合せするには打ってつけだな! 」
イールが気合い十分ばかりに拳を鳴らす。

手合せしてほしい、と言う二人の申し出を、グレイはとても快く引き受けてくれた。
宿屋の主人にもすぐに話を通し、この場所を貸してもらえることになったのだ。
「なんだこれ? 」
グレイに手渡された銃弾を見てミオンが怪訝な顔をする。
「ペイント弾だよ。君の武器は確か銃だろ? 実戦用の弾をつかうと建物を傷つけてしまうからね。」
随分と準備がいいものだ。もしかしたらこちらから言い出さなくとも、グレイは初めから二人の実力を測るつもりだったのかもしれない。
「イールも、宿を破壊しないようにだけは気を付けるんだよ。」
「おう!」
グレイの忠告に大きく頷いてはいるが、存分に準備運動をしている最中の彼にどこまで届いていることだろう・・・。
「手合せは二人いっぺんでいいよ。俺が膝をつくか、ペイント弾で服を汚されたら君たちの勝ち。俺の勝ちは、そうだなぁ・・・」
ミオンとイールと順々に見やり、口元に手を当てて考える。そして不敵に微笑んだ。
「イールの右ほほが地面に付いたら俺の勝ち。ミオンがさっき渡した銃弾を使い切ったら俺の勝ち。」
渡されたのは6発分、しかもペイント弾なら当たらずとも服を汚すくらいは容易いはず。イールに至っては“右ほほ”などとかなり限定された条件だ。
(こいつ、おれ達を舐めてるな)
ミオンに怒りがこみ上げる。そしてさらに、
「ハンデとして、俺は魔法も使わないから安心してね」
と、ニッコリ笑顔。これにはさすがのイールもカチンと来たらしい。
そしてトドメだ。
「俺が勝ったら、ミオンにキスでもしてもらおうかな」
自らの頬を指差し、冗談めかして言う。
「絶対負かす!! 」
ブチっと切れた音が聞こえた気がした。ペイント弾のこめられた銃を掲げ、ミオンが一気に掛け出す。
一瞬遅れたイールもすぐに臨戦体勢になり、勢いよく地面を蹴ってグレイへと飛びかかった。
「あはは、怖いなぁ。」
不意を突いたはずの一発目の弾丸は、つい今しがたまでグレイが立っていた場所で弾ける。だがグレイは、すでにペンキの一滴すら届かないところまで移動していた。
「ミオンに切れられて笑ってるお前のがオレは怖いぞっ!!」
イールが大きく振りかぶって拳を繰り出す。魔力で増強された彼の打撃は周りの空気をピリピリと震わせるほどの衝撃を持つが、グレイはそれすらもふわりとかわした。
「このっ! 野郎っ!!」
目に捉えることのできないほどのスピードで放たれる無数の突きも、今まで多くの賞金稼ぎ達をなぎ倒してきた蹴りも、面白いほど掠りもしない。
緩んだ口元もそのままに、グレイはいとも簡単にイールの攻撃を避けているのだ。
「典型的なパワー型。スピードも、まぁ悪くはないね。」
一瞬で姿が消えたかと思うと、イールの頭を撫でつつふわりと飛び越えた。
その瞬間を逃すミオンではない。
どんなものでもジャンプしている間は一瞬だけでも隙ができる。少しずつ狙いを変えて2発目、3発目を撃った。
そしてそれを避けられるのも想定内だ。避けるとすればイールとは逆側。
ミオンは先回りとばかりに飛び出し、至近距離で4発目の弾丸を放った。
が、
「ぶわっ!!」
「え!?」
真っ赤に染まったのは思いもかけないイールの顔。
「あーあ、狙い間違えちゃったねぇ。」
楽しそうに笑うグレイ。
ミオンが狙いを外すわけがない。この男は弾丸がはじけるのよりも早く、自らの背後に迫っていたイールのさらに後ろに飛び退き、盾にしたのだ。
「君は頭脳型かな。さすが、学術院主席卒業。」
グレイがパチパチと手をたたき、揶揄するように言う。
(バカにしやがって!!)
益々苛立ちを覚え、今度は銃身を向けて殴りかかる。
ミオンの銃はかなり大振りに造られた特別な品で、生半可な武器よりも打撃性に優れているのだ。
赤いペンキを袖で拭ったイールも参戦し、二人掛かりでグレイに向かう。
それでもやはり、一向にグレイを捉えることはできない。
「二人して、もうバテてきちゃったのかな? 」
「「ぜんぜんっ!!」」
声をそろえて否定するが、二人とも息が上がっているのは明らかだ。
それに比べてグレイは一滴の汗すらかいていない、全くの余裕の表情を浮かべている。
「可哀相だから、そろそろ終わりにしようかな」
「うわっ!?」
グレイが呟くや否や、イールが吹っ飛んだ。
身構える間もなく、ミオンの体は遥か後ろにあったはずの壁に打ち付けられていた。
「ゲホッ、ゲホ・・」
胸元に感じる鈍い痛みに咳き込む。そこで初めてグレイの蹴りによって吹っ飛ばされていたことに気付いた。
顔を上げると、立て続けに攻撃を受けているイールの姿。
そしてまもなく、
「はい、君の負け。」
「う・・・」
四つん這いに抑え込んだイールの右ほほを地に付け、グレイがいつもと変わらぬ穏やかな笑みを浮かべた。
グレイの注意が完全にイールに向けられている。そう考え、ミオンは痛む体を起こして5発目を撃つ。
しかし案の定と言うべきか、ペイント弾は宙で弾けた。
そして次の瞬間だ。
背中にふわりと暖かい感触を感じたかと思うと、ミオンの手の上に別の手が触れ6発目の弾丸が放たれた。
「今ので6発。君も負けだね」
「・・っ!?」
耳元で囁かれ、ようやく背後からグレイに抱きすくめられていることに気が付く。
「は、離せっ!!」
「まぁまぁ。」
どかそうと体をよじってみるが、グレイの力は強く、ピクリとも動かない。
「さっき、痛かった? ごめんね」
ミオンの体を固定したままで胸元を撫でる。囁く口元は相変わらずミオンの耳に触れそうなくらいに近づけられ、その手つきも吸い付くようで何処となくいやらしい。
「さ、触るな!」
慌てて逃げようとするが、やはり力では敵わない。
「しかしホントに華奢だなぁ。腰も細くて抱き心地がいい。」
胸元から腰へと手のひらを滑らせ、満足そうに笑う。
ゆっくりとすり寄るように、殊更強く抱きしめられた。
「あ、俺が勝ったらキスしてくれるんだよね? 」
「い、言ってないだろ! そんなこと!! 」
ぶんぶんと首を振る。
こんな体勢でいたら何をされるか分かったものではない。
どうにかして体を動かそうとするが、先ほどにもましてしっかりとホールドされている。
救いを求めてちらりとイールのほうを見るが、思いのほかダメージが深かったのか、いまだ四つん這いのままだ。
目の前で繰り広げられる光景を唖然として見ている。
(くそ、役立たず!!)
単なる八つ当たりだが、ミオンは恨みがましそうにイールを睨む。
疲労感も相まって、抵抗し続ける力も出なくなってきた。
「・・・・もう、ホントに離せよ。」
無意識ながら涙声になっているのが情けない・・・。
緩んだ抵抗に満足したのか、グレイはまたもふっと微笑んだ。
「可愛いね、ミオン」
飛び切り甘い声で囁き、ミオンの耳に口づける。そして手を放した。
「~~~~~!?」
ようやく解放してもらえたが、あまりのことにミオンはその場にへたり込んだ。
「二人とも、汗かいただろうから早くお風呂に入って暖かくして寝るんだよ~。あ、イールは早めに洗濯もしといたほうがいいよ、ペンキ落ちなくなるからね。」
ひらひらと手を振って去って行くグレイ。
ミオンは座り込んだまま、イールは横たえたままでその後ろ姿を見送った。呆然と。
(いつか・・・いつか絶対殺してやる)
耳に残った唇の感触を振り払い、ミオンは心に誓うのだった。



■1st request

翌朝。
各々身支度を整え、宿の前へ集まっていた。
いよいよ決まった一つ目の依頼内容を、朝食でも食べながら話そうとグレイが提案したからだ。
「おはよう、二人とも。よく眠れたかな? 」
心地よい朝の空によく似あう、実に爽やかな笑顔。
それに反して、ミオンとイールの表情はあまり思わしくなかった。
・・・というのも、
「イール、ペンキ・・・落ちなかったみたいだね。早く洗ったほうが良いって言ったのに。」
昨日初めて会ったときには緑色だった襟元と袖口が赤く染まっているのを見て、グレイが言う。
イールは拗ねた表情で返した。
「誰かさんに叩きのめされたせいで、あの後きっかり2時間動けなかったんだっつーの! 」
“この服、気に入ってたのに・・”などと恨みがましく呟く。どうやらイールの暗い顔をしている理由はこれらしい。
「あはは、それは申し訳なかったな。」
さして悪びれる様子もなく、イールの肩をポンポンと叩く。
続いて、その隣に立つ不機嫌そうな美人へと視線を移した。
「やぁ、ミオン。朝食は何がいい? 」
ご機嫌取りをするように尋ねてみるが、ミオンは眉をピクリと動かし、大きく一歩後ずさる。
「おれの半径1M以内に近づくな。」
それはそれは苦々しく言われてしまった。完全に昨夜のことを根に持たれているようだ。
「うーん、すっかり嫌われちゃったなぁ・・・」
わざとらしく肩をすくめる。ミオンは顔を背けたが、イールは苦笑いを向けてくれた。
「そりゃあ、ミオンにあんなことすりゃ怒らせて当然だって。」
「そうかなぁ・・」
グレイにしてみればまったくもって大したことはしていないつもりだ。
だが、言われてみると確かに、『可愛い』と言われただけでムキになるミオンにしてみれば、相当な大ごとなのかもしれない。
口元に手を当て考えていたグレイは、そんな事実に気付いて“なるほど”と頷く。
とはいえ、
「初心なところもまた可愛いね。」
反省はしないのだ。
「おれに触るなっ!」
薄茶色の柔らかい髪を撫でようと手を伸ばしたが、触れる前に怒られてしまった。
まるで逆毛を立てて怒る猫のようだと、益々可愛く思えてくる。
そして、そんなやり取りを見ておろおろしているイールもまた、なかなかどうして面白い。
楽しい仕事になりそうだと、グレイは満足げに笑った。



本日の朝食は、サンドイッチにミルクティ、ハムエッグにトーストとほうれん草のポタージュに食後のコーヒー、そして、ナポリタンに特大ハンバーガーにステーキセットにかき揚げ丼にオムライスにデザートはティラミスとチョコレートパフェとプリンアラモードとクリームソーダ―。
ちなみにナポリタン以降はすべてイールが平らげている。
「見てるだけで気持ち悪くなった・・・」
ミオンがぼそりと呟く。
「グレイの言うとおりにちゃんと腹八分だぞ? 」
膨れた腹をポンッと叩き、平然としてイールが答えた。
「うーん・・腹五分くらいって言っておけばよかったかな」
流石のグレイも苦笑いを浮かべていた。
(これから毎食これを見る羽目になるのか・・・うぇえ・・・)
先ほどまでの、すさまじい勢いで料理を腹の中へと放り込んでいたイールの姿を思い出して胸焼けするミオンだった。

「さて、じゃあそろそろ依頼について説明してもいいかな? 」
夥しい数の皿が片付けられ、テーブルの上がカップ二つにクリームソーダ―のみで広くなったため、グレイはようやく書類を広げた。
「君たちへの最初の依頼は、『セイレーンの捕獲』だ。」
紫色の瞳が輝き、不敵に微笑む。
「「セイレーン!?」」
声をそろえて驚く二人。
だがイールは、
「ってなんだ? 」
首を傾げてへらへらと笑った。
(知らないのかよ・・・)
げんなりするミオン。ため息をつき、面倒ながらもイールのために解説を始めた。
「セイレーンっていうのは、海の航路上の岩礁から美しい歌声で航行中の人を惑わし、遭難や難破に遭わせる半人半鳥の化け物のことだ。上半身が人間で、下半身が鳥。中には半鳥ではなく半漁の姿をしている者もいるらしいけどな。」
「素晴らしい。流石、よくお勉強してるね。」
聞いていたグレイが拍手をして大げさに感心してみせる。そんな様子すら、なんだか小馬鹿にされているようで腹が立たった。グレイの一挙一動がいちいち癇に障るのだ。
肝心のイールがクリームソーダ―の上のバニラアイスを食べるのに夢中でさほど聞いていなかったらしいことも、より一層ミオンを苛立たせた。
「セイレーンなんて大昔の神話や寓話の生き物だろ? 実在するなんて思えない。」
“不機嫌全開”と言うような表情で呟く。
それを聞いたイールも慌てて同意した。
「え、いないのか? いないものは捕まえられないぞ! 」
大口を開けて話すためバニラアイスが飛散する。それをメニューでガードしつつ、グレイは答えた。
「実在するかどうかなんて関係ないんだよ。」
“?”を浮かべる二人に向かい、ニッコリと微笑む。
「どんなに無茶でもあり得なくても、それが依頼である以上、拒否権はない。」
そして極め付けの一言を付け足す。
「ジュネラルハンターになるのに、まさかこの程度で“無理”なんて言わないよね? 」
「「言うわけないだろ!!」」
二人してガタッと立ち上がり、大声で叫んだ。
(・・はっ、しまった)
店中の視線が集まり、我に返るミオン。あっさり挑発に乗ってしまったことに後悔する。
(やっぱりコイツ嫌いだ)
グレイを睨みながら、イールの肩を掴んで座らせ、自らもドッカリと腰を下ろした。
睨まれた張本人は至って気に留めない様子でさらに続ける。
「ま、心配しなくていいよ。ちゃんと目撃情報があるんだ。」
その言葉にパッと顔を明るくしたのはイールだ。
「なーんだ。じゃあやっぱ、ちゃんといるってことだよな!」
しかしミオンは納得できない。
「目撃者がいるからなんだよ。単なるそいつの見間違いかもしれないだろ。」
ムスーッとしたままミルクティを飲み干す。
また嫌味や挑発めいた言葉でも言われるかと思ったが、グレイは“ご名答”と微笑んだ。
「この依頼の真意は、その目撃情報が事実かどうかを確かめるってことにある。本当にセイレーンが存在するなら捕獲し、研究に回す。事実でなければ・・・」
「なければ? 」
訝しげに、ミオンが見つめる。
「その時は、その時かな。」
またも向けられるニッコリ笑顔。
「なんだよそれ・・・」
今度はイールが苦笑いを浮かべた。



■means of traffic

グレイの言う『目撃情報』というのは専らジーナシティに集中していた。
ジーナシティは商業が盛んな港町で、目の前には海がある。船人を惑わすセイレーンが如何にもいそうな場所だと思われた。
中央ギルドのあるこの街から、ジーナシティまでは結構な距離がある。途中にちょっとした山道を越えなければならないこともあり、徒歩で行くとすれば、休まず歩き続けたとしても丸一日を要するだろう。
元気の有り余るイールは徒歩でも問題ないと言い張ったが、人並みの体力しか持ち合わせていないミオンは断固拒否。常識あるグレイも徒歩で行くという意見には苦笑いをした。

そこで話し合いの結果、ジーナシティへ行商しに行く馬車に同乗させてもらおうという意見にまとまった。
人懐こいイールは頼みごとをするには適任で、乗せてくれるという馬車はすぐに見つかった。
「良かったよな、すぐに見つかってさ。」
自分の手柄にご満悦なイール。
「たまには役に立つんだな。」
順調な滑り出しにミオンも笑顔になる。
イールとミオンの二人は一足先に馬車の荷台に乗り込み、グレイは同乗させてくれるという行商の男に丁寧にお礼を言っているようで、まだ外にいた。
『如何にも保護者』というその様子にまた少し面白くないような気持ちになったが・・・一応仮にもあれが我らの評定員だ。仕方ないかとため息をついた。
「お待たせー・・・・」
いつもの通り笑顔を浮かべたグレイが荷台に乗り込む。が、こちらを見るなり固まってしまった。
ミオンは“?”を浮かべたが、グレイの後ろからこちらを覗き込んだ男が大声で叫んだため、その理由はすぐに明らかになった。
「売り物を食うなー!! 」
「えっ、ウソだろ!?」
驚愕して振り返ると、ムシャムシャとイチゴを頬張るイールの姿。積んであったもののほとんどがすでにその腹の中に納まってしまったようだ。ミオンがほんの少しよそ見をした隙に・・。
「このバカ・・」
ミオンが拳を握ってイールに迫る。だがその拳が振るわれる前に、首根っこを掴まれた。
「お前ら降りろーーーーーっ!!」
行商の男が怒鳴り、ミオン・イールともに荷台から引きずり出されてしまった。
「なんでおれまで怒られなきゃならないんだよ、この大食バカ!!」
「だって、美味そうだったからつい・・・」
ミオンに殴られ、イールは口を尖らせる。
二人がそんなやり取りをしている間にも、グレイは行商男に頭を下げて丁寧にお詫びした。
「責任取って、全て買い取りますので。」
初めてギルド名義の小切手を切ることとなった。

イールはあてにならない。
元々低い株を益々下げたところで、次はミオンが同乗させてくれる馬車を見つけた。
今度は家具の行商だ。イールに食べられる心配もない。
所狭しと椅子や机が並べられているので荷台は少し窮屈なのがたまに傷だが、それでもまぁすぐに見つかっただけ良しとしていいだろう。
「売りもんだが、乗ってる間は座っててくれていいよ。」
行商の親父はなかなか気のいい男で、そんなことを言ってくれた。
ミオンは木製の凝った細工の椅子に、イールは鉄製のアンティーク調の椅子に座る。中々座り心地が良く、長い道のりも快適に過ごせそうだ。
そんな二人を後目に、グレイは売りものに座るのは申し訳ないからと一人荷台に直接腰を下ろしていた。ふと、ミオンの『半径1m以内に近付くな』という言葉を気にしてのことなのかもしれないとも思ったが、この男がそんなことを考えるはずがないとすぐに思い直した。
「あんた、俺の娘に似てるんだよ。今は女学院に通ってるんだが、歳もちょうど同じくらいでね。美人なんだよ。」
馬車を走らせ始めた直後、行商の親父がこちらに向かって自慢げに話しかけてきた。どうやらミオンのことを言っているらしい。自分の美人の娘に似ていると。
(む・・むすめ・・・)
「そ、そうですか・・・あはは」
当然かちんときたミオンだが、せっかく乗せて貰っている恩義があるのに怒りを露わにするわけにもいかない。
必死に引きつった笑顔を作り、できる限り愛想よく返答をした。
「娘だってさ、ミオン。女学院だって。美人だって。良かったな。」
イールがニヤニヤと笑う。
からかうようなその口調に、ミオンがブチっと切れた。せっかく我慢していたのが台無しだ。
「この野郎!!」
大きく振りかぶってイールに殴りかかる。
「うわ、あぶね!」
――――ガッシャーン。バキバキッ。
二人して信じられない暴れ方をしたため、座っていた椅子はおろか並んでいた家具たちがいくつも破壊された。
「あーあ・・・」
グレイの笑顔が引きつる。
「てめぇら何やってんだーーーー!!」
気の良い親父も流石に切れた。
またもミオンとイールは揃って荷台を放り出されてしまった。
「何やってんだよ、ミオン」
「お前のせいだっ!」
先ほどの仕返しとばかりにイールが呟き、その言葉にミオンがまたも拳を揮う。
そんなやり取りを後目に、グレイは行商の親父に深々と頭を下げた。
「責任を取って、すぐに直しますので。」
言うが早いか、ものの10分足らずで壊れた家具は元通りになった。

結局二人して問題あり。
行商の馬車もほとんどがすでに街を出てしまい、三人は途方に暮れていた。
「イールがバカなせいだ。」
ミオンが呟く。
「ミオンだっておんなじようなもんだろ。」
イールも反論した。
「まぁまぁ、喧嘩しない喧嘩しない」
二人の間に割って入り、グレイが穏やかな笑顔を向ける。
「諦めて徒歩で頑張るかい?」
「「それは嫌」」
問いかけに声をそろえて否定する。
「なんだ、仲良しじゃないか。」
グレイはまたニッコリと笑った。

「おや、そこにおわすはグレイ殿かね?」
三人の背後から蹄の音が聞こえたかと思えば、突然声を掛けられた。
振り返るとそこには如何にも高級そうな黒い馬車。老紳士が一人顔を覗かせ、目を丸くしてこちらを見つめていた。
「これはこれはライズ卿。お久しぶりです。」
グレイが恭しく頭を下げる。
馬車から降りてきたライズ卿と呼ばれた老人は、シルクハットに燕尾服、モノクルを付けた如何にも“紳士”と言う風貌だ。かなりの小柄で、腰を折ったグレイよりもさらに低い位置に視線があった。
「こんなところで何をしているのかね? 」
興味津々という風に尋ねる。だがすぐに、グレイの答えを待つことなく、一人で納得したようだ。
「その腕に付いているのはコマンドコールか・・・評定員になったのだね。」
左手に付けられた腕時計のようなものを目を細めて見やり、呟く。
ミオンやイールにはそれがなんなのかは分からなかったが、グレイは拍手しながら頷いた。
「流石はライズ卿、博識でいらっしゃる。」
「うむ。」
グレイの賛美に胸を張る。そしてご丁寧に解説を加えた。
「たしか、その文字盤にギルドやコマンドからの連絡や依頼が文字として浮き出るのだったね? それを支給されるのは評定期間中の管理者だけだ。つまりは評定員であることの証のようなものだろう。」
(へぇ・・そういう物なんだ・・)
ミオンは感心しながら改めてグレイの左手を見つめる。イールも同じらしく、呆けた顔でグレイを見ているようだった。
「時にライズ卿、相変わらずご立派な馬車ですが・・・一体どちらへ出向かれるんです? 」
尚も恭しく微笑み、グレイが問いかける。
「ちょっと遠出をするのでな。ジーナシティに向かってから船に乗るつもりだ。」
白い髭をついっとつまみ、ライズ卿が答える。
その言葉にピクリと反応をしたのはミオンだけではなかった。
「何たる偶然。実は俺たちもジーナシティに向かおうとしているところでして。」
グレイが大げさな仕草で驚いて見せる。同乗させてもらえるように頼んでくれるのだろうと思って見ていたが、それには及ばなかった。
「それなら是非とも私の馬車に乗りなさい。久々に君の武勇伝が聞きたいからね。」
ライズ卿の方から願ってもない提案をしてきたからだ。
「ささ、君たちもおいで。」
小柄な体で素早く馬車へ乗り込むと、初めに声をかけてきたときと同じように顔だけ覗かせ三人に手招きをした。

このライズ卿という男、なんでも名のある資産家らしく、個人的に親交のあるグレイの冒険譚を聞くのが何よりの楽しみで、あれこれと変わった依頼をよく持ってくるらしい。ギルドにも多額の寄付をしているため、その仕組みや道具などにも非常に詳しい。そのため『コマンドコール』などという代物についても知っていたのだという。
要はギルド・ハンターマニアの好奇心旺盛な道楽爺さんだ・・・そんな風に、グレイがこっそりと二人に耳打ちをした。



■real ability

馬車に乗ってからというもの、ライズ卿にリクエストされるままにそれぞれが今までに捕まえた賞金稼ぎの話などをさせられ、早くも数時間が経とうとしていた。
山道に入って道が悪いのか、ガタガタと馬車が揺れる。フカフカの椅子でも快適とは言えない状況に、ミオンは少しばかり憂鬱になっていた。端にライズ卿に話聞かせることに疲れてしまった、というのもあるが。
――――ガタンッ。
「うわっ!!」
一際大きく馬車が揺れる。
勢いのあまり、ミオンは向かいに座っていたグレイの胸に飛び込むような格好になっていた。
「うれしいなぁ、ミオンから抱きついてきてくれるなんて。」
ギュッとミオンの腰を抱き、グレイが上機嫌に微笑む。
「抱きついたんじゃないっ!」
ムキになって怒鳴るミオン。また妙なことをされるのではないかと冷や冷やしたが、ライズ卿の前だからか、グレイは“はいはい”と言いながらすぐに放してくれた。
「なぁ、馬車が止まったぞ。」
先ほどからの揺れに苦しんでいたイールが呟く。言われてみればその通りだ。どうやら先ほどの大きな揺れは急停止したためらしい。
「一体どうした? 」
ライズ卿が御者に尋ねる。
「しゃ、車両強盗です。」
揮える声で御者が答える。それを聞いたミオン達も表を覗いてみると、馬車はいつの間にか複数の男たちに囲まれているようだった。
「あ、あいつ!」
何かに気付き、イールが外を指差す。何を言わんとしているか、ミオンもすぐに気付いた。
「ランクAの賞金首・ムスクカートゥンだ。あいつもランクA。ランクBもゴロゴロいるぞ」
取り囲んでいる男たちの顔が、ミオンの頭の中にある手配書といくつも一致する。どうやらただの車両強盗ではない。記憶にある手配書のメンツから判断するに、名の知れた盗賊団だ。
「よっしゃ、行こうぜミオン!」
「当然だ!」
バキバキと拳を鳴らし、意気揚々とイールが立ち上がる。ミオンも腰に差した銃を構え、それに続いた。
が、
「ダメだよ。」
扉に向かおうとしたところで、にっこり笑顔に通せんぼされてしまった。
「なっ・・」
「なんでだよ?」
当然抗議する二人。だが、グレイは落ち着いた様子でゆっくり立ち上がると、首をポキポキと鳴らして言い放った。
「言っただろ? 君たちは賞金稼ぎ実質的禁止。」
二人に背を向け、扉を開く。
「俺がやるから、留守番してなさい。」
子供に言い聞かせるように言い残し、颯爽と出て行ってしまった。
(・・・・ムカつく)
ミオンは眉を顰める。
とはいえ逆らうわけにもいかず、イールと二人渋々ながらに座りなおした。
「グレイの戦いが見られるとは何たるラッキー」
ライズ卿は手を叩いて喜んでいる。
自分の馬車が襲われている最中だというのに何とも呑気な爺さんだ・・・ミオンは呆れながらも、ライズ卿と同じく窓から外の様子をそっと覗いた。

「あ・・ぐ、グレイ様・・」
出てきたグレイを見るなり御者はホッとしたような顔をした。
それぞれが拳銃や剣を手にした屈強な男たちに囲まれれば、怯えてしまうのも無理はないだろう。加えてそのうちの一人には剣先を首筋に当てられているのだから猶更。
「なんだ、てめぇは? 交渉人か? 」
御者に剣先を当てている男、ランクAのムスクカートゥンが下品な笑いを浮かべてグレイを見やった。
周りを取り囲んだ男たちも、一斉にグレイに視線を注ぐ。少しでもおかしな動きをすれば撃つ・・・そんな態度だ。
「これは恐れ入ったな。お前たちが『交渉人』なんて高尚な言葉を知っているとは思わなかった。」
グレイが目を細めて微笑み、恭しく礼をする。
「てめぇ、舐めてやがるのか!」
小馬鹿にしたような態度に苛立った男が怒鳴る。御者は益々怯えたが、グレイは至って動じず笑顔のままだ。
「えー、舐めないよ。不味そうだし不潔そうだし。」
片方の眉を上げ、わざとらしく困惑したような声を上げる。
そして馬車の方を振り返って満面の笑みを浮かべた。
「ミオンだったら舐めたいけどね。とっても美味しそうだから。」
語尾にハートマークでもついていそうな口調でウインクまで投げかける。
ミオンは顔中に怒りマークを浮かべた。
「やっぱアイツ嫌いだ。」
苦々しく呟く。
「まぁまぁ・・・」
殺気漂うその横顔を困ったように宥めるイールだった。
「てめぇ、ふざけやがって!」
度重なるグレイの挑発に当然怒り心頭という様子の男たちだったが、なぜかその場から動こうとしない。
御者に剣を突き立てていたムスクカートゥンに至っては、カランという音を立てて剣を地に落としていた。
(・・・なんだ? )
全く状況が掴めず困惑するミオン。
隣で同じように外の様子を見ていたイールは、目を見開いて呟いた。
「針が・・・」
「針?」
突然何を言い出したのか、ミオンは眉を顰めてイールを見る。
イールは外にいるグレイから目を離すことなく、ミオンに説明を加えた。
「さっきグレイがお辞儀した瞬間に、針みたいなのがいっぱい、ぶわーって飛んでってあいつらに刺さったんだ。」
「はぁ?」
聞いてもやはり分からない。
百聞は一見にしかず、イールの説明から理解しようとするのは早々に諦め、ミオンも再度外の様子へと意識を向けた。
「て、てめぇ、何しやがった? 」
しびれたように手を震わせ、ムスクカートゥンがグレイを睨む。その他の面々も、口々に体が動かないことを訴えていた。
「刺すような視線で痺れさせてあげたんだよ。」
グレイが冗談めかして答える。
そして一瞬でムスクカートゥンの目の前に移動したかと思えば、その首に手をかざし、一瞬で首輪を掛けた。
「ぐぇっ!!」
首輪に付いた縄を引き、大きな身体をいとも簡単に倒す。
「俺たちは先を急ぐんだ。時間がないから、一網打尽にさせてもらうよ。」
不敵に笑い、まるで投網でもするように大きく手を振る。すると今度は、どこからか巨大な網が現れた。
「うわぁっ!!」
身体が動かず固まっていたその他大勢を一気に捕える。そして極め付けだ。
「捕縛-arrest-」
首輪を掛けた男と網にかかった男たちを一か所にまとめ、優雅に手を差し伸べる。グレイが囁くのと同時に、男たちに巨大なピンク色のリボンがかけられた。
「り、リボン・・・」
呆気にとられるイール。
ミオンも同じく、どこまでふざけた男なのだろうと呆れ返った。
しかしこのリボン、見た目こそ可愛らしいが、賞金首たち全員をこれでもかというほどに締め上げて捕えている。全く解けそうな気配はなかった。
「すっげぇな・・・ランクA・Bがあれだけいたのに、一瞬で片付いちまった。」
興奮を押し殺すようにイールが呟く。
「なんなんだ・・あの戦い方・・・」
ミオンは眉を顰め、訝しげに外のグレイを見つめた。
一方グレイは、すっかり片付いた賞金稼ぎ達を前に、鍵を一つ取り出していた。
「門扉-gate-」
見えない鍵穴に差し込むように鍵を回すと、突然光と共に大きな扉が現れる。扉が開けば、一斉に賞金首たちが吸い込まれて消えて行った。
「あれが門扉か・・・」
今度はミオンが瞳を輝かせた。
「初めて見たぜ。すっげぇ・・」
イールもそれに同意する。

門扉-gate-はジュネラルハンターだけが使用を認められる、賞金首を直接収容所に送り届けることのできる手段だ。
自分専用の鍵を与えられ、それを使って扉を開く。扉に吸い込まれた賞金首は、収容所にあるという鍵の所有者専用の出口に送られる。そこで引き渡しが完了となるわけだ。
シェイムハンターでは通常賞金首を捕まえた後はわざわざ引き渡し所まで引きつれていかなければならなかったり、引き渡し所から役人を呼びつけてこなければならないため、その途中で逃げられてしまうというケースも少なくない。
そのため、門扉を得ることはハンターにとってはかなりの優遇、憧れなのだ。

「いやぁ、素晴らしい。相変わらずグレイの戦いは美しいね。」
馬車の中へと戻ってきたグレイを拍手喝采で迎えるライズ卿。
「お褒めに預かり光栄です。」
グレイはやはり恭しく頭を下げる。
「なぁなぁグレイ! さっきのどうやったんだ!?」
鼻息を荒くしているのはライズ卿だけではないようで、今度はイールがグレイに詰め寄った。
「なんで何もないトコから色んなもんが出てくるんだ? 手品か?」
これでもかというほど目を輝かせている。
そんな様子を楽しそうに見つめ、グレイはニッコリと微笑んだ。
「手品と言えば手品かな。ほら。」
言いながら、イールの前で何かを取り出すような仕草をする。すると、その手にはいつの間にか袋入りのクッキーが握られていた。もう片方の手で掴むような仕草をすると、今度はジュースの入った瓶が出てきた。
「すっげー!!」
益々大喜びするイール。クッキーとジュースを受け取り、それはそれは嬉しそうに貪っている。
「じゃあ、今度はアイスとチョコとナタデココとタピオカドリンクとケーキとタルトとピザとフライドチキンと・・・あ! か、可愛い彼女!!」
食べ物の名前を羅列していたかと思うと、今度はハッと思い立ったように真剣な顔でグレイに縋った。
(バカか・・・)
げんなりするミオン。
流石のグレイも苦笑いで、困ったような表情を浮かべていた。
「うーん・・・それはちょっと。なんでも出せるわけじゃないんだよ? 」
「・・・・・・・・・・そうなのか。」
あからさまにイールはがっかりしている。結構本気で言っていたらしい。
「手品と同じさ。タネを仕込まないと出せないんだ。」
イールの様子を楽しげに見つめながら、グレイが言った。
“その代わり”と言いながらライズ卿のシルクハットを手に取る。
「なんでも仕舞えるし、」
両手でつぶすようにすると帽子が消えた。そして今度はイールの頭を撫でる。
「いつでも出せる。」
グレイが微笑み、一瞬でイールの頭上にシルクハットが現れた。
ライズ卿は感動しかりという風にはしゃいでいる。イールも同じくだ。
だがミオンは・・・
(空間を操るなんて、ものすごい高等魔法じゃないか・・・)
目の当たりにしたグレイの力に驚きを隠せずにいた。
詠唱もせず、次から次へと魔法を使うなんて、とんでもない技術と才能と要するはずだ。それをグレイはいとも簡単に、呼吸をするのと同じようにやってのけている。
(ホントに・・・なんなんだよ、コイツは・・)
ミオンはグレイをじっと睨んだ。嫉妬とも羨望とも知れない、強い感情を覚えていた。



■make an inquiry

ジーナシティに着く頃には、すっかり夕方になっていた。
これから船出予定のライズ卿は、依頼内容であるセイレーンのことを話すとまたも目を輝かせた。出来れば同行して戦うところをぜひ見たいなどと向こう見ずなことも言っていたほどだ。
だが結局のところ、別れ際に“自分の船が沈められないためにもくれぐれも早く何とかしてくれ”と懇願していたところをみると、命は惜しいのだろう。当然だが。

そんな好奇心旺盛な爺さんと別れた三人は、早速街での聞き込み調査を開始していた。
とはいえ、グレイは“依頼に関わることについてはノータッチ”という宣言通り、さっさと自由行動に移ってしまったので聞き込みをしているのはミオンとイールの二人だ。
イールは主に食べ物屋を巡っているらしい。聞き込みをおざなりにして暴食をしているのではないかと不安になったが、お財布役であるグレイもいないことだし、大丈夫だろう。あとは目先の食欲に負けて好きなだけ食べてしまって食い逃げで追い回される、なんてことにならないように祈るばかりだ。
一方ミオンは、道行く人に片っ端から声をかけるという手法を取っていた。
やはりオーソドックスな方法が一番。収穫もほどほどにある。

山道の中の、特に海を臨めるような地形のあたりで鳥がはばたくような音を聞いたという話や、普通の鳥よりもかなり大きな羽が落ちていたなどの情報を得られた。
夜通し歩いてやって来た旅人が鳥の爪に襲われそうになったという話や、明け方に出航した船が大きな影に襲われ、それが過ぎ去った後には白い羽が落ちていたなど、被害状況も中々だ。
セイレーンにはつきものの歌声を聴いたものがいないという点に不安は残るが、行きがけに通った山道の中を探せば、それらしきものにならどうにか出会えるかもしれない。
大方の目星がつき、ミオンはひとまずホッとしていた。

だが残念な事に、この聞き込みにはデメリットが多分にあった。
「名前なんて言うの?」
「可愛いよね~」
「さっきからいろんな人に声かけてるみたいだけど、ナンパ待ち? 」
「ねーねー、無視しないでよー」
にやけ顔が1、2、3、4.ミオンの前に並んでいる。
一人になってからというもの、代わる代わる色んな男たちが声を掛けてきたのだ。
大抵は無視してそのまま歩いていればすぐに諦めてくれるので、何とか我慢していた。好色な視線を注がれ虫唾が走るが、睨み返す程度に留めた。
だがこの四人はあまりにもしつこい。
今もミオンが歩くのを邪魔するように、四方を取り囲んでいる。
(うざいな・・・)
思い切り不機嫌そうな顔をしてみるが、四人のにやけ顔は変わらない。
「俺たちこの街じゃイケメンっつって、結構人気あるんだぜ?」
「そうそう、俺たちに声かけられるなんて、他の女の子に嫉妬されちゃうよ。」
「キミ旅人だろ? 思い出に俺らと遊ぼうよ~」
「やっぱ君くらいかわいい子だと、俺たちくらいのイケメンじゃないと釣り合わないでしょ~」
4人組はどんどん調子に乗っている。

前方右側は茶髪の短髪、焼けた肌が健康的な爽やかタイプ。前方左側も同じく茶髪でこちらは長髪、かなりの長身でモデルの様だ。後方右側はこげ茶色の髪に大きな瞳が印象的で母性本能を擽るタイプ。後方左側は金髪でメガネ姿がクール見える。・・・・が、ミオンには一切興味が湧かない。

(なんなんだよ・・こいつらは)
ミオンの堪忍袋の緒はもはや切れそうだ。普段からさほど頑丈でもない緒だというのに・・・。
「あ、もしかして照れてる? 」
「仕方ないか~、俺たちみたいな男前に声かけられたら、そりゃあどうしたらいいか分かんなくなっちゃうよね~」
「純情なんだ? かっわいい~」
思い切り顔を近づけられ、両側から肩を抱かれ、手を握られる。
(限界だ)
もういっそのことボコボコにしてやるか・・・そんな風に思い立ち、グッと拳を握りしめる。
だが、それが振るわれることはなかった。
「ミオン、ここにいたのか。」
四人の間から、優雅な笑みを湛えたグレイが現れたのだ。

先ほどから“イケメン”“男前”を自称していた4人だが、この男と並べてしまえば格段に見劣りするのは明らかだった。
艶のある黒髪に比べれば、茶色く脱色した髪はパサパサ。日焼けした顔にはニキビの後や毛穴の黒ずみが目立つ。先ほどまでミオンを見下ろしていた長身の男も、グレイと並べば細長いだけでまったくもって頼りなく、バランスも悪い。その他の男たちはグレイの肩ほどの身長で、特に足の長さなど、グレイの半分ほどしかないのではないかと思える。
そして何より立ち居振る舞いに品がない。それに比べてグレイは、一つ一つの所作が洗練されていて何かにつけて絵になるのだ。
気がつけば、グレイの遥か後方にはこの街の女の子らしき無数の人影が色めき立ってこちらを見つめている。もしかしたらグレイの後にずっとついてきたのかもしれない。

先ほどまで調子に乗りきっていた4人組だが、突如現れた正真正銘の男前に呆然と立ち尽くすばかり。なんだか滑稽で哀れに見えた。
「遅くなってごめんね、待った? 」
そんな4人を全く気に留めることもなく、グレイがミオンの髪を撫でる。
「い、いや・・・」
いつもならばすかさず“俺に触るな”と怒鳴るところだが、ミオンはただ素直に首を振った。グレイがさも待ち合わせをしていたかのように振る舞うので、それに合わせたのだ。
「ところで君たちは、ミオンに何か用かな?」
二人のやり取りを呆然と見ていた男たちに向き直り、グレイがにっこりと微笑む
口元こそ笑ってはいるが、その瞳は冷たい。
紫色の瞳は確かにこう言っている。“さっさと失せろ”と。
「な、何でもないっす。」
「お連れがいたとは気付かず・・」
「か、可愛い彼女さんっすね」
「ホント、美男美女で。」
すっかりグレイの迫力に圧され、四人はそそくさと退散した。
(なっさけな・・・)
ミオンはげんなりしてその様子を見送った。

(一応、助けてくれたんだよな・・・)
四人の姿が見えなくなるまで睨みを利かせているグレイを見つめる。
正直なところ、ミオンもかなり困っていたのだ。なにしろ、賞金首や賊の類ならともかく、純粋な一般人である彼らを叩きのめすにもいかない。
ここは素直にお礼を言うべきか・・・意を決して口を開こうとしたミオンだったが、
「やっぱり軟派男たちが放っておかないんだなぁ・・・ミオンがこんなに可愛いからね。」
グレイに満面の笑みで頬をつつかれ、感謝の気持ちは一気に飛散した。
「俺たちカップルに見えたかな? ねぇ、ミオン♪」
上機嫌で微笑み、ミオンの髪の毛を指先でくるくると弄ぶ。
(この野郎・・・)
先ほどまでの苛立ちも相まって、ミオンの怒りは頂点に達した。
「おれに触るな! おれの半径1m以内に近づくなって言っただろ!! 」
怒鳴りつけ、どうせ当たりもしないと分かっているが思い切り拳を振り上げる。
「あはは、そうだったね。ごめんごめん」
やはり余裕でそれを避けつつ、グレイは楽しそうに笑った。
(やっぱりコイツ大っ嫌いだ)
一瞬でも感謝してしまったことに、心底後悔するミオンだった。



■encounter

三人合流してから、互いに仕入れた情報をまとめた。
ミオンが聞いた話とイールの情報はほぼ同じで、
① 現れるのは夜であること
② 山道の中でも海が見える辺りに出没すること
③ 出没した後には必ず白く大きな羽が散らばっているため、それが目印になること
これらがセイレーンを探すための大きな手がかりになると思われた。

早速セイレーン探しを決行するため、夕食を済ませてからすぐに山道を歩くこととなった。
自由行動をしていたと思われたグレイは今夜三人が泊まるための宿を探し部屋を取っていた。さらにそれだけでなく、夜の山道を歩くことを予測して松明まで購入していた。ミオンとイールが聞き込みに夢中でそこまで気が回らないであろうことまでお見通しというわけだ。どこまでも抜け目のない男だとミオンは思う。
イールは素直に感謝し尊敬の念まで送っているが、ミオンとしては見透かされているようで、どうにも面白くなかった。

「ふわー・・・すっげー眺め。」
イールが遠くを眺めながら言った。
1時間ほどかけて山を登り、いよいよ海や街が臨めるほどの高さに至った。少し開けた場所に出たと思ったらそこは崖で、遠くまで広がる海の向こう側や航路を示す灯台の灯りが一望できる。ジーナシティは遥か下方、まるでミニチュアのおもちゃのようだ。
「昼間だったら海とかきれいなんだろうなぁ・・・」
残念そうにイールが呟く。確かに昼間であれば、日の光が反射する水面や、山の麓の緑、活発に行き来する船などで存分に景色を楽しむことができるだろう。
だが、今のイールはそんな情景を想像しているわけではない。単にセイレーン探しに飽きてしまって現実逃避しているだけなのだ。
「ここから落ちたらひとたまりもないだろうね」
爽やかな笑顔で不吉なことを言うのはグレイ。
崖ギリギリに座り込んでいたイールはそれを聞くなりそのままの体勢で少しだけ後ろに下がった。
(叩き落としてやろうかな・・・)
ミオンはそんな不穏なことを心内で呟きつつグレイを見つめてから、座ったままのイールに近づいた。
「なあ、こうしてても仕方ないんだし、早く捜索を続けようぜ」
イールの顔を覗き込みつつ、眉を顰めて言う。
けれどイールは駄々をこねる子供の様に寝転んで反論した。
「だーってさっきから探してるけど全然いねーじゃん。オレは夜は眠いんだよー。」
「眠いって・・・まだ20時だっての・・・」
げんなりするミオン。まったくどれだけ子供なのか、と呆れ返る。
それはグレイも同じようで、いつもの笑みにも苦みが混じっている。
「うーん・・・23時までには定期報告をしなきゃならないから、ちょっと急いでほしいんだけどな」
ポツリと呟き、ミオンと同じようにイールに歩み寄った。
「一説では、セイレーンは元々は女神に仕える精霊だったと言われていてね。上半身はそれはそれは美しい女性の姿をしていることが多いそうだよ」
穏やかな声が囁くと、イールの耳はピクッと反応を示した。そして勢いよく立ち上がる。
「っしゃあ!! さっさと探すぞ、セイレーン!!」
えいえいおーと拳を掲げ、一目散に走りだしてしまった。
「ま、本物のセイレーンならの話なんだけどねー」
イールには聞こえないような声でグレイが付け足す。
「分かりやすいやつ・・」
苦々しくミオンが呟いた。
本当に見透かされてるな、とまた面白くない気持ちになった。

ミオンもまたイールに続こうと一歩踏み出すと、目の前に白いものが漂った。ひらひらと舞い降りてきたそれは、白く大きな羽だ。
「・・あっ」
バサバサという羽音と共に、大きな影が通り過ぎる。
イールが向かった方向にその巨体もまた飛んで行ったように見えた。
「目撃証言と一致するね。きっとあれだろう。」
グレイが微笑む。
言われるまでもないと、ミオンも一気に駆け出した。

「イール!」
少し山道を登ったところに、先ほどの巨体と対峙しているイールの姿があった。
「・・・鳥・・」
改めて目にした白い羽の持ち主の全貌は、イールの2~3倍はありそうなほどの大きな鳥の姿の生き物だ。
「どうやらただの怪鳥だね・・・」
ミオンの後に駆け付けたグレイが呟く。その声を聴くなり、イールは勢いよく振り返って言った。
「グレイの嘘吐き野郎!全っっ然美女じゃないじゃん!!」
その顔にはうっすら涙すら浮かんでいる。
「俺は『セイレーンだったら』って言ったんだよ」
笑って受け流すグレイ。
そうこうしているまもなく、白い怪鳥は雄たけびを上げて襲いかかってきた。
「うわっ!」
それぞれ三方向に飛び退いて攻撃をかわす。木の幹ほどもある太い脚の先から伸びる長い爪は鋭く、地面は大きく削られていた。
「おい、セイレーンじゃない場合はどうするんだよ!?」
ミオンが怒鳴るように尋ねる。
グレイは左手に一瞬視線を落としてから、いつもの穏やかな口調で答えた。
「さあ・・・今のところ指示待ちかな。」
「「はあ!?」」
ミオンとイールが声をそろえる。
グレイはふわりと飛び上がり、後方の木に乗るとひらひらと手を振った。
「ま、死なない程度に殺さない程度にしばらく時間稼ぎしといてくれるかな。」
極めつけのニッコリ笑顔。
ミオン・イール両名の脳裏に、『依頼に関することにはノータッチ』という言葉が過った。
怪鳥はまたもこちらに向けて雄たけびを上げて強爪を奮う。

(あの野郎、本気でいつか絶対絶対殺してやる)
後ろに飛び退いて攻撃を避け、歯を食いしばるミオン。
腰に差していた銃を構え、照準を合わせた。銃弾は大振りな翼を掠め、白い羽を散らす。
「くっそぉ、美女だと思ったのにぃー!!!」
悔しさをぶつけるように、イールも飛びかかった。魔力を込めた拳が光を放ち、怪鳥の横腹を殴りつける。
怪鳥は体を大きくうねらせ、今度は硬い嘴を向けた。
「美女の顔だったとしても下半身は鳥だろーが!!」
ミオンが怒鳴りながら飛び出す。イールに向けられた嘴を狙い、今度は至近距離で銃を撃った。
先ほどよりも大きく銃弾が弾ける。ミオンの魔力が載ることで、威力が増大されているためだ。
「うわっ!」
「わあぁぁ!!」
視界が真っ白に遮られたと思ったら、そのまま勢いよく翼をぶつけられ、二人は左右に吹っ飛ばされる。
怯む間もなく、怪鳥はイールへ飛びかかった。
爆発音にも似た音を立ててイールの後ろの木ごと薙ぎ倒す。
「・・んのやろっ!!」
すぐに体勢を立て直したイールが拳を握る。目にもとまらぬ速さで幾度となく打撃を繰り出した。
「この化け鳥!」
怪鳥の背後に駆け寄り、ミオンも殴りかかる。大きな銃をトンファーのように振りかざし、頭上を目がけた。
だが生憎、大きな身体に打撃はさほど聞かないらしい。怪鳥は大きな羽を何度も羽ばたかせて二人の身体をまたも吹き飛ばした。
そして今度は木の上で悠長に眺めていたグレイに襲いかかる。
「こっちに来られると困るなぁ」
難なく攻撃を避けながら、呑気にぼやくグレイ。今まで腰掛けていた木はくっきりと爪の形に抉られている。
グレイがまた別の木に飛び乗った瞬間、その左手が眩い光を放った。暗闇の中のため、距離のあるミオン達には内容までは分からなかったが、その光が文字を描いているのだということは分かった。
グレイはそれを一瞥すると、二人に向かって言った。
「お許しが出たよ。依頼内容変更、『セイレーン捕獲』改め『怪鳥の討伐』だ」
白い巨体を指差してニッと微笑む。
それを聞いて、最初にガッツポーズしたのはイールだ。
「よっしゃあ!! じゃあ遠慮なくいくぞ!!」
バキバキと拳を鳴らし、怪鳥に飛びかかる。先ほどよりも強い魔力を込めて強烈な右ストレートを食らわせた。
そして立て続けに右脚で回し蹴りをお見舞いする。
巨体が大きく揺れ、怪鳥は悲鳴のような奇声を上げた。
「巨大焼き鳥にしてやる」
ミオンが睨み、銃を構える。銃に火花が散るほどに魔力を込め、一気に引き金を引いた。
銃口から放たれた業火が怪鳥を取り巻く。
これで決着かと思われたが、怪鳥は炎をまといながらも羽ばたいた。
「「逃がすか!」」
よろよろと飛び去ろうとするその姿を追いかける二人。
「血気盛んで素晴らしい」
グレイもその後に続いた。

尚も炎に身を焼かれて苦しみみながら、怪鳥は再び地に降り立った。力尽きて落ちた、と言ったほうが良いかもしれない。
いち早く駆け付けたミオンは引導を渡すべく、再度銃を構えた。
その時、
「うわっ!?」
怪鳥が一際大きな雄たけびを上げたかと思うと、衝撃波がミオンを襲った。びりびりとした衝撃に体が大きくふっ飛ばされる。
「コイツ衝撃波まで出すのかよっ!?」
同じく追い付いてきたイールも驚愕の眼差しを向けた。そうしながらも光を帯びた拳を奮う。
「この化け鳥がっ!!」
ミオンが2発の銃弾を怪鳥の額に食わらせ、今度こそ断末魔の叫びが響いた。
(――――落ちる・・)
怪鳥の最後と周りの景色がスローモーションになる。足場など遥か遠くだ。ミオンの身体は真っ逆さまに崖の下へと向かっていた。

「ミオン――――!!!」
イールが叫ぶ。
戸惑うその肩にグレイがそっと触れた。
「君はここでお留守番。」
笑顔が向けられたかと思えば、次の瞬間何のためらいもなく崖下に向かって飛び降りる。
「うそ・・・ん」
あまりの光景に、イールは腰を抜かした。

(こんなところで死ぬのか・・・)
ミオンは目を閉じ、やけにゆっくりと感じられるこの瞬間に色んな思いを巡らせていた。
ふと、グレイが『ここから落ちたらひとたまりもない』などと話していた光景がよぎる。これが走馬灯というやつだろうか。なんにせよ、最後に思い出すのがあのにやけ顔だなんて最悪・・・そんなことを思ったところでミオンの腰に何かが巻きついたのを感じた。
そしてすぐさま勢いよく引き上げられたかと思うと、今度はふわりと暖かい感触に変わる。
「ごめんね、半径1m以内に近付いちゃった。」
癇に障る穏やかな声が聞こえて目を開くと、グレイが自分を抱きかかえていることに気が付いた。
「・・・なっ!? なんだよ、これ」
ミオンは困惑の声を上げる。さらによくよく見ると、巨大なシャボン玉のようなもので囲んでいたのだ。グレイの右手から放たれているように見えるため、おそらくこれも魔法なのだろう。
「動くと危ないよー」
呑気な口調でグレイが言う。
下に目をやると遥か遠くに崖下があり、やはりまだ『落ちればひとたまりもない』ところにいることが分かった。
「ロマンチックなのはいいんだけどね。これだとゆっくり落ちるだけで浮上はできないから、ちょっとだけ手を放すよ。しっかり俺にしがみついておいてくれる?」
一瞬抵抗を感じたミオンだったが、『落ちたいなら別だけど』と付け加えられてしまったため観念した。図らずも自分から抱きつくような恰好になってしまい、腑に落ちないことこの上なかった。
だが当然ながら、流石のグレイも今はそんなことを気にしている余裕はないらしい。ミオンが抱きついたのを確認するとそっと手を離し、右腕に付けている羽を象った腕輪に触れた。
「飛翔-soaring-」
グレイが囁くと、銀色の腕輪が光を放つ。シャボン玉が消え、代わりに大きな羽が姿を現した。1回、2回と大きく羽ばたくと、ゆっくりと上空に向けて二人を運ぶ。
「そ、空まで飛べるのかよ。」
またも困惑の声を上げるミオン。再び自由になった左手でミオンの身体を支え、グレイは不敵に微笑んだ。
「俺に不可能はないんだよ。」
「・・・そうかよ」
反論したいが、この状況では何も言えない。下手したら本当に不可能はないのかもしれないとすら思えてきた。
(・・ホントに死ぬかと思った)
こっそりとため息をつく。油断すると震えそうになる手はグレイの服を握りしめることで誤魔化した。
ぴったりとくっついているせいで、心臓の音がやけに響く。それがグレイの音なのか自分のなのかも分からないが、とりあえず生きているのだと実感できた。
「依頼に・・・関わることは、ノータッチなんじゃなかったのか? 」
わざとぶっきら棒に尋ねる。グレイはまたふわりと微笑んだ。
「依頼はすでに完了済だよ。」
“それに・・・”とグレイが続ける。
「生死にかかわることは別だ。俺には君たちを守る義務がある。」
いつもよりもずっと近い距離にあるその顔はやはり笑っているが、声には真剣さが滲んでいた。

「ミオン!グレイ!!」
ようやく崖の上まで浮上すると、未だ腰を抜かしていた様子のイールがばたばたと近寄ってきた。
「大丈夫か!?」
ようやく立ち上がり、ミオンの肩をガシッと掴む。
「あぁ、平気・・・」
「よかったぁぁぁ、オレもう絶対ダメだと思って、そしたらグレイも行っちまうし、オレ一人だし、留守番って言われるし、それに・・」
ミオンが頷くと、一気にまくしたてるように不安だったらしい気持ちを吐露し始めたので聞き流した。
「おめでとう、二人とも。」
背後から拍手と共に声がする。
振り返ると、いつもの笑みを浮かべたグレイが左手を掲げていた。
先ほどと同じように光が放たれ、距離が近いために今度はその文字が二人にもはっきりと読み取れた。
『mission clear』
「一つ目の依頼完了、順調な出だしだね」
グレイの言葉に、思わず二人は手に手を取って喜びを分かり合うのだった。



■grateful feelings

宿に戻り、風呂から出ると一気に疲れがどっと出た。
例のごとく部屋割りはイール・ミオンが同室でその隣にグレイが一人部屋を取っている。
ミオンとしては一刻も早く眠ってしまいたいところだったが、疲れ知らずの相方がそうさせてくれそうになかった。
「しっかしさぁ、グレイってホンットスゲーよ。」
夜食のつもりらしいホットドックを頬張りながら、イールがしみじみと言う。度々目にしたグレイのNo1たる所以に、すっかり感嘆しているらしい。
「ミオンが崖から落っこちたときだって、なんかこう、颯爽と飛び降りて行ったしさー」
その時の様子を思い出しているらしく身振り手振りで熱弁を奮う。
ベッドに寝転んでいたミオンは体を起こした。イールを見ると、皿に山盛りだったホットドックはすでに半分になっていた。
「いくら自信があっても、普通ちょっとくらいビビんべ? もしかしたら自分まで死んじまうかもしれないんだからさ。」
ミオンが顔を上げたことで益々話に熱が籠る。いつもならとっくにうんざりして無視しているところなのだが、自分が助けられた時の話ともなれば、流石のミオンも大人しく聞いておくしかなかった。
「すっげーかっこよかったよな、なぁ?」
「え・・・」
突然同意を求められ、固まるミオン。『かっこよかった』と言われると・・・どうにも素直に同意はしたくないのだ。確かにあの実力は認めざるを得ないし、何度も助けられて感謝もしているが・・・
「感謝・・」
自分で考えていてふと気づいた。
そういえば、命を助けて貰っておきながら、お礼の一つも言っていない。
グレイにしてみれば『守るのは義務』なのだろうが、確かにイールの言うとおり下手をすれば自分も危険だったはずなのだ。如何にいけ好かない相手とはいえ、常識人を自負しているミオンとしてはこのまま放置しておくわけにもいかないだろう。
「ちょっと、あいつのとこ行ってくる」
ベッドから下り、絶え間なく口を動かしているイールに向かって言った。どうやら彼はホットドックに続いて焼きそばパンに取り掛かったようだ。
見ているだけで胸焼けしつつ、ミオンは部屋を出た。


―――――コンコン。
「はい」
短くノックするとすぐに扉は開かれた。
出迎えてくれたその顔に、いつもは掛けていない眼鏡があることに少しだけ驚く。
「ミオンか。どうぞ」
「あ、うん。」
穏やかな笑顔は当然ながらいつも通りで、すんなりと部屋に入れてくれた。
グレイの部屋は自分たちの部屋と同じ作りで、一人部屋である分少し狭いように感じる。
自分だけ良い部屋に泊まっているのでは、などと勘ぐっていただけにほんの少し申し訳なくなった。
「ごめんね、煙いだろ?」
言いながらグレイが窓を少し開ける。それによって初めて、机の上の灰皿に気が付いた。
「煙草吸うんだ・・・」
促されるままベッドに腰掛け、ミオンが呟く。
グレイに煙草というのは、なんだか似つかわしくない気がして意外に思えた。
まだ行動を共にするようになってから間もないとはいえ、今まで一度たりとも煙草の匂いをさせていることなどなかったのだ。
「一人でいる時たまに吸う程度だけどね。」
グレイが答え、ミオンと同じくベッドに腰を下ろした。
「誰かといる時には吸わないんだ。副流煙の方が体には悪いからね、俺はともかく周りが不健康になるのは困る。」
にっこり微笑んで、そんな風に本気なのか軽口なのかもよく分からない理由づけをする。いつもこの調子だな、とミオンは思った。
「それ・・眼鏡も、かけてるとこ初めて見た。」
すぐ隣にある顔を伏し目がちに見つめ、ポツリと言う。グレイは机の上を指差して答えた。
「ちょっと書類仕事しててね。目が疲れちゃったよ」
眼鏡を外し、傍らに置く。目を閉じて眉間に触れるその一連の仕草に、ついついぼんやりと見入ってしまった。
「それで、ミオンはどうしたの? 」
「え、あ・・・」
柔らかい眼差しと視線がかみ合い、思わず口ごもる。なぜかは分からないが頬が熱くなった。
(・・何黙ってんだ、おれ・・)
グレイから視線を逸らし、膝の上の自分の手を見つめる。ただ一言『助けてくれてありがとう』とだけ言えばそれで済む。なのに不思議と言葉が出てこなかった。
「ミオン? 」
グレイが首を傾げる。
いつものように冗談めかした態度で慣れ慣れしくされれば、怒鳴ったり殴りかかったりと無遠慮に言いたいことが言えるのだが・・・なんだか今は、この妙な距離感が気恥ずかしい。
「あ、あの・・・・」
ミオンが意を決して顔を上げる。グレイはただ微笑んで、次の言葉を待っていた。
「き、今日、色々あり・・」
―――――ボーンボーン。
『ありがとう』と言い切る前に、時計の音が響いてミオンの声はかき消された。
(な、なんなんだ・・・)
せっかく勇気を振り絞ったというのに台無しだ。愕然として掛け時計を見つめる。
同じく時計に目をやったグレイは少し苦い顔をしていた。
「ごめんねミオン、定期報告の時間だ・・・。話の続きは明日でもいいかな? 」
申し訳なさそうに言われ、ミオンは慌てて首を振った。
「あ、あぁ。じゃあ部屋に戻るよ。お邪魔しました。」
立ち上がり、ぺこりとお辞儀してからせかせかと扉へと向かう。
グレイはもう一度『ごめんね』と口にしながら、わざわざ見送りをしてくれた。
「ミオン」
部屋を出たところで名前を呼ばれる。
振り返ると穏やかな微笑みと共に、ゆっくりと手が伸びてきた。
「おやすみ。また明日ね」
ふわりと髪を撫でられる。
いつもならばすかさず『おれに触るな!』と怒鳴るところだが・・・今はなんだか嫌ではなかった。
「おやすみ、グレイ」
遠慮がちに笑みを返すと、グレイが一瞬だけ目を見開いたような気がした。またすぐにいつもの余裕顔に戻ったが・・・。

扉が閉められてから、ふと気が付く。
(そういえば・・おれ、あいつの名前呼んだの初めて・・かも。)
グレイの顔を思い出し、また少しだけ頬が熱くなる。それを振りほどくようにぶんぶんと首を振り、ミオンは部屋へと戻るのだった。


「うわぁ・・・」
部屋に踏み込むなり、ミオンは顔を顰めた。
焼きそばパンを食べる恰好のまま、イールが突っ伏して寝ているのだ。
「汚いな・・・おい、イール」
「うーん・・むにゃ」
肩をゆすってみるが、起きる気配はない。
「おいってば」
「うぅ・・」
後ろ頭を殴ってみると一瞬眉を顰めはしたが、やはり起きない。
(・・・もういいや)
早々に諦め、ミオンは自分のベッドへと倒れ込んだ。
「あと9件か・・・」
ポツリと呟く。

はたして前途は洋々か、それとも多難か。
これからの道のりに思いを馳せ、ミオンは眠りへと落ちて行った。
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