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Ⅶ 待ち受けていたのは
93. よくも悪くも変わらない人
しおりを挟む手が軽い。
ふいにそんな感覚を得て、視線を左手に向けた。
よくわからない違和感。ピアスとは別に、何かが足りないような、空虚な感じがする。
「何してんの、あんた」
手をグーパーしていると不意に声がかかった。私はビクリと肩を揺らし、恐る恐る、そちらへと目を向ける。これまで意図的に視界の外に置いていた鉄格子のほうへと。
そこにいたのはクリフォード様だった。一人だけでいて、見張りの兵士も側にいない。
「てかあんた、前から馬鹿だ馬鹿だとは思ってたが、とんでもない大馬鹿ものだったんだな」
「それは、どういう……」
「だいたい、少し考えればわかるだろ。陰謀渦巻く王宮で育ったセーファス殿下が嘘を嫌っていることくらい」
クリフォード様はいつもこんな話ばかりだ。何のためにきたのだろうか。私を貶すためにきたのなら、今すぐどこかに行ってほしい。
「そうですか」
「おい」
適当に答えれば、クリフォード様が眉を上げる。それから、大きくため息をついた。
「……別に責めにきたわけじゃねーよ。一応、俺は、あんたが令嬢としてやっていこうと必死に頑張ってたことは認めてるしな」
よく言うと思いながらそれを聞き流す。
「俺はあんたが家に帰る前に一人でこっそり神秘の練習してたのを知ってる。遅くまで図書館で勉強していたのも」
クリフォード様と図書館で会ったのは一度きりだ。それ以外のときも見られていたのだろうか。
「だからなおさら、きちんと話を聞きたい。セーファス様たちは冷静じゃなかった。だから改めてきたんだけど? あんた、話す気ある?」
「……話すも何も、本当にわからないから」
「何も? そんなの嘘だろ。真実方法がわからなかったのだとしても、ベルネーゼ侯爵令嬢を名乗ることになったきっかけだとか、関連する事柄はいくらだってある。そのくらい話せるだろ?」
そう言われれば確かに話せることはある。
けれど無理だ。話したところで、どうせまた嘘だ、本当のことを言えと言われるに違いないのだから。
粉々になってしまったあのピアスはもう元の形には戻らない。私とベイル様の関係も。であるなら、もうどうでもよかった。
「話す気はない、と。あっそ。なら、このまま殺されるしかねえな」
「殺……」
「このまま行けばベルネーゼ侯爵令嬢はセーファス殿下の婚約者になる。でなくともベルネーゼ侯爵令嬢が王太子妃候補の筆頭だったことは周知の事実だ。婚約こそしてなかったが、婚約間近だったことを踏まえれば、準王族扱いになる。
それに国を救った光の女神だからな。そんな彼女を路頭に迷わせたとなれば、死刑にしたところで誰も文句は言わないだろう。むしろ不当に評価を下げられ続けていた侯爵家は死刑にしてほしいと願うに違いない。暴動の鎮圧時に何か少しでも役に立ってればまた話は違っただろうけど」
「なんでここで移民の暴動の話が……」
「彼女が光の女神だからだ。あんただってミュリエル様を名乗ってたんだ。比べられて当然だろう?」
まさかこんなところでその問題が引き合いに出されるとは思わなかった。あの時のミスは、今なお私に厳しい試練を与える。
「俺はあんたが悪霊だとは思ってないが、殿下にとって害ある存在だとは思ってる。あんな荒れた、暴君みたいな殿下を見たのは初めてだ。さっきは殿下やボルトが拷問でも始めそうな勢いだったから止めたが、正体はさっさと話すべきだと思うぜ」
正体……日本という国に暮らしていた水井茉莉ですとでも答えればいいのだろうか。それこそ頭がおかしいと思われるに違いない。
「……それを聞くために残ったの?」
「まぁな。前例はあるっていっても、状況が完全に同じわけじゃない。気になる点は潰しておかないと、どこで足を引っ張られるかわからないだろ」
「私が足を引っ張ると?」
「いや? 跳ぶ前に見よ、なんてことわざもあるからな。それだな」
跳ぶ前に見よ、つまり行動する前によく考えたり見たりしておけという考えだ。私が足を引っ張るかはわからないが、足を引っ張られる前に排除してしまおうと考えたということか。
クリフォード様は本人が言うように、セーファス様が第一であり、すべてで、そのためにはいくらでも残酷になれる。
おそらく私が死刑になったところで、クリフォード様はなんとも思わないのだろう。
「気づいたら、あの小さな村にいたの。村人からマリって呼ばれていて、村にやってきたのは一年くらい前だって。私が知ってるのはそれだけ」
「村人たちはマリに記憶がないなんて言われたことない。気づかなかったと言っていたが?」
「それは――」
確かに水井茉莉であることを隠すために、自分なりにマリを演じていた。だから記憶がないなんて話はしなかったし、これまでのマリとの間に齟齬が出ないようにふるまっていた。村人たちが知らないのも当然だ。
「言っとくけど、セーファス様は嘘と同じくらい隠し事が嫌いだ」
「隠し事なんて……」
クリフォード様の目が眇められる。その鋭い眼差しに私は怯んだ、が――。
「あっそ。んじゃ、せいぜい足掻くんだな」
クリフォード様はすぐに表情を戻し、あっさりと牢をあとにした。
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