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Ⅷ 優しさ、たくさん
105. 新しくも懐かしい日々
しおりを挟む目を開けると、見知らぬ天井が見えた。一瞬、ここはどこかと困惑し――国を出たんだったと思い出す。
もうリングドル王国を出て一年がたつというのに、いまだに寝起きは混乱していた。忘れてしまった夢の中で、過去の日々でも見ていたのだろうか。
「なんてね」
そんなわけはなかった。たとえ夢であっても、もう、あの人の姿を見ることは叶わない。
この体に戻って以来、ミュリエル様の体に入っていた時に見たものの記憶は、どれもあやふやになっていて、人の姿形はその最たるものだった。マリの体に戻ってから顔を合わせたレイラ様やクリフォード様はともかく、それ以外の人々は、もうぼんやりとしか覚えていない。
記憶というものは、魂よりも体の影響を大きく受けているのかもしれなかった。
でも、いいのだ。忘れられるなら、忘れてしまったほうがきっといい。
だって、今、私は不幸じゃないから。もう――笑うことだってできるのだから。
私は今、小さな村の外れにある小屋を譲り受けて、ささやかな生活を送っていた。
リングドル王国の王都からは馬車でひと月ほどの距離。隣国の名もなき村。そこで私はいつになく平穏な日々を過ごしている。
「よし、今日も頑張ろう!」
私はぐっと体を伸ばし、藁の布団からはい出る。
前世の記憶を思い出した時と同じような襤褸を着て、自給自足の生活。お風呂もなく、水浴びはしているが、きっと臭うだろうと思いはするけれど、もはや気にならなかった。
確かに暮らしは貧しく、ひもじく、辛い。けれど、精神的な苦痛から解放されたためか、思いのほか、私の心は晴れやかだった。
外に出て、けもの道をかき分けながら村へと向かう。村はずれといっても村自体が大きくないので、中心部まではほんの二十分程の距離だ。
私の暮らしている小屋は木々に隠され、村からは見えない。村人たちは知っているから、誰かが聞き出されてしまえば隠し通せないが、ここに来るまでに追われている気配を感じたことはなかったため、そこまで心配していなかった。
「バッソさんおはよう。今日も早いのね」
「おうよ。リアちゃんは相変わらずお寝坊さんだな!」
「ギリギリセーフよ! お寝坊さんって言われるほどじゃないでしょ。まだ夜が明けたばっかだし」
「はいはい。ま、気をつけて行って来いよ」
「んもう。じゃ、行ってくるね」
私はこの村ではリアと呼ばれていた。マリと答えかけて、慌てて偽名に言い変えた記憶は懐かしい。この体に戻った私の名前を聞いた人なんて、クリフォード様くらいしかいなかったから、無用の心配だったかもしれないけれど。
ちなみに、何人もの仲介役を挟んでたどり着いた私の居場所は、レイラ様も知らない。貧乏人にも可能な、伝えるための手段がないというのもあるが、知らせてはいけないと気づいたからだ。
レイラ様が助けに来てくれたとき、私は言われるがままに頼ってしまったけれど、この村に来て、生活が落ち着いてすぐに気づいた。
レイラ様は、実はものすごく危険な橋を渡ったのではないかと。
お礼も言いたいし、謝罪もしたい。けれど、連絡を取ることはそれ以上に迷惑をかけることだとわかっていた。
知らなければ追及されようがないのだ。きっと、それがせめてもの恩返しになるだろう。
ただ、願わくば、何事もなく、これまで通りのレイラ様の生活が送れていることを。
ただそれだけを、私は願っていた。
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