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Ⅷ 優しさ、たくさん
119. 一分一秒だって惜しくて
しおりを挟む体の両側を、黒い木々が勢いよく流れ去っていく。日没までまだ時間はあるが、林の中ではほとんど足元も見えなかった。ただ、ここは慣れた道。私は、私史上最速の速さで、木々の間を縫うように走っていた。
私の家から村の中心部までは徒歩でおよそ二十分道のりだ。けれど今回は走ってきたため、いつもの半分以下――どころか、ものの五分ほどで到着した。
そして、そのままの勢いで、ほんの数時間前まで滞在していた家――バッソさんの家へと飛び込んだ。
「バッソさんっ! 紙とペンちょうだい!」
「ふへ?」
家の中では、木匙と湯気の立ち上る木の椀を持ったバッソさんが、間の抜けた顔をしていた。
「リ、リアちゃっ!? うぐ、ごほっ」
バッソさんは慌てて椀を置き、袖で口元を押さえる。目からは涙がにじみ出ていて、少しだけ申し訳なくなった。だから私は焦る気を押さえて――数秒だけ待った。
「あのね、紙とペンがほしいんだけど、ある?」
「……うん?」
バッソさんの反応は鈍かった。これは絶対にわかってない。私は焦れてバッソさんに詰め寄った。
「バッソさんっ! かーみっ! と――」
「ちょ、待て、ちけぇって。ああ、もう! わーった、わーかったから」
やんわりと肩を押し返されて離れる。バッソさんは疲れたと言わんばかりに、大きくため息をついた。
「はあ。紙とペンだったな。あー……たぶんジジんとこ行けばあるぞ。紙がたくさん必要なら、お針んとこに行かなきゃだが」
当然といえば当然だが、こんな小さな村では物を書き留める習慣はなく、ジジ様のところにしかペンなどの用意はないらしかった。私はまったく気づいていなかったが、そもそも読み書きできる人がほとんどいないため、必要とされてこなかったのだ。
「わかった、ジジ様のとこね」
あては外れたが手に入るとわかって安心する。
私がこんなにも急いでバッソさんの家にやってきたのは、手紙を出そうと思ったからだ。私の憂いをなくすために。ベイル様の幸せのために。
家に戻り、過去を振り返り、私はベイル様が危うい状況にいるかもしれないと気づいた。
ベイル様には幸せでいてほしい。できることなら何でもしようと思った。
けれど、今の私では必要な情報すら得られない。入れ替わりの時に目にしたものを確かめることも、今現在のベイル様を取り巻く状況を知ることも、私にはできないのだ――と気づかされてしまった。
そのとき思い浮かんだのが、とある人物の存在だった。唯一、協力者となってもらえるかもしれない人物。
もちろん、ただで協力してもらえるとは思っていないけれど、いざとなったらこの身を差し出すことだってできる。きっと私には懸賞金がかかっているはずだから。
とはいえ、そこまでするのなら、もっと深くかかわってもらいたい。目的を達せないのでは意味がないのだ。情報提供だけでなく、もうベイル様は大丈夫だとわかるところまできっちりと協力してもらおうと思っていた。
「あ、あと送り方! どうすれば送れる?」
「ああ、隣町に持ってきゃ大丈夫。配達してくれる店があるんだ」
「そっか。隣町ね、わかった」
隣町も小さな町と聞いていたが、町だけあって最低限の設備は整っているということか。とにかく送れるのであれば問題ない。
「いやいやいや。ちょっと待った。ちょーっと待ちなさい、リアちゃん。まさかと思うが、一人で行こうとしてないか?」
「……えーと?」
何かおかしいだろうかと首を傾げれば、途端にバッソさんの表情が険しくなった。
「一人でとか、危ないだろう! どんだけ距離があると思ってるんだ。普通、俺に出してくれって頼むだろ!?」
「え、でも、他人様にお願いするわけには」
「あのな。うちの村はみんな家族。これまでだって、買い出しはまとめてしてただろ。それと同じだって」
それはそれでまた強引な主張だ。次の買い出しの日はまだまだ先。バッソさんのことだから、その日まで待てとは言わないだろう。となれば前倒しで荷馬車を出すことになり、結局、皆に迷惑をかけることになる。
「でも」
「とにかく任せとけ。なるべく早く出してやっから」
「ええと……自分で出せる、よ?」
「ああん? 自分でって、まさかリアちゃん、これから出しに行こうとか思ってねーよな」
そのまさかだ。手紙が書け次第、すぐにでも隣町に向かおうと思っていた。配達人がいるといっても、ここは日本ではない。最短の日時で届くとはとても思えなかった。だから、少しでも早く届くよう、早く出したかったのだ。
「馬鹿、こんな時間に村出てどうする。もう日も暮れるんだぞ」
正論だ。けれど、荷馬車を出すとなったら手ぶらでとはいかない。少なくとも隣り町で一泊しないわけにはいかないから宿代がかかるし、当然、食費もかかる。手ぶらでは割に合わないのだ。
となると、最低でも携帯食を用意し、村中から町に卸す物をかき集める時間が必要となり――急いだところで二日くらいはあっという間にたってしまうだろう。今の私が、それを悠長に待ってなどいられるわけがなかった。
「わーった。明日、朝一で行ってきてやる。それでいいな?」
朝一でというのであれば、私が今すぐ徒歩で向かうより早いのは確実だろう。けれど。
「……いいの?」
「貸しだ。きっちりつけとくから後で返せよ」
実質、空の荷馬車を出すという宣言だった。驚くと同時に嬉しくなる。
「わかった! ありがとう、バッソさん!」
飛びつきたかったけれど恥ずかしいので、代わりにバッソさんの手を取ってぶんぶんと振る。バッソさんは色々と諦めたのかされるがままだった。
「はぁ……。ほれ、ジジんとこ行くんだろ。行って来い」
「うん。うん! 行ってきます!」
私は軽い足取りでバッソさんの家をあとにした。
胸の内には変わらず焦りがある。けれど、それが少しだけ減った気がした。
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