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Ⅸ もう後悔なんてしない
139. 侍女の軌跡
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王都に戻る前に、王都の北西にあるグラッセラ子爵の領地に立ち寄った。
てっきり王都にいると思っていたので、お手伝いを終えてすぐ、王都に向けて出発してしまっていた。だから、奥様からグラッセラ子爵は一年の大半を領地で過ごしていると聞いたときは焦った。慌てて、グラッセラ子爵からも話を聞かせてもらいたいと思っていることを伝えると、奥様は行き先を変更してくれた。
危なかった。気づくのがあと数時間遅ければ、道を戻るはめになっていたらしい。
街についたタイミングでグラッセラ子爵のカントリーハウスに先触れを出すと、すぐに歓迎する旨の返事が届いた。やはり王都ではなく領地にいたようだ。
「本当について行って大丈夫でしょうか」
「心配しなくても大丈夫よ。侍女を連れていけない屋敷があったら困るでしょう? いえ、そうね、他国だと代わりの侍女が用意されるなんてことも、ないわけではないけれど」
そういう話ではない。リングドル王国では、私は罪人なのだ。発覚しようものなら大変なことになるだろう。それに気づかぬ奥様ではないだろうに、奥様は頓着しなかった。
奥様とアイリスと共に、グラッセラ子爵の屋敷を訪れる。アイリスは屋敷に着くなり姿を消した。今まで気にしたことなどなかったけれど、メイドというのはこういうものなのだろうか。訪問先の屋敷でも、主家の屋敷のように仕事をしているのだろうか。
一方の私は、ずっと奥様の側にいるように言われているので、奥様の半歩後ろに控えている。
場所はエントランスホール。そこでグラッセラ子爵が待っていた。
「これはこれはベルネーゼ侯爵夫人。ようこそおいでくださいました。本日はいかがされましたかな? いやはや、お手紙をいただいたときは大変驚きました。もちろん光栄という意味ですぞ。それにしてもすばらしい。ベルネーゼ侯爵夫人ご本人に我が領地をご訪問いただけますとは。それにディダからいらっしゃったというではありませんか。ディダといいますともしや奥様もあの景勝地に行かれたのですかな。いやはや、実を申しますと、私はあの湖畔の町のファンでしてね。そう、それこそ月に一度は訪れなければ気が済まないという。ああ、そうそう、この町はもう見て回られましたかな? 田舎ですし、湖畔の町ほど風光明媚なところではありませんが、それなりに見どころもございましてね。よろしければご案内しましょう。いや、ぜひともご案内させていただきたい。王都とも違ったよさがあるのですよ。ああ、そういえば、本日は侯爵様はお仕事で? さすがでございますな。常に、民のことを考えていらっしゃる。そうそう侯爵様と言えば――」
しばらくグラッセラ子爵の挨拶と称した世間話が続いた。それをにこやかな笑みのまま聞き続ける奥様の技量には脱帽せざるを得ない。私は顔が引きつりそうになるのを必死に堪えていた。
その後、優に三十分は話した子爵が、満足した様子で客間に案内する。
ほっとした。夜中まで聞かされることになるのではないかと恐れおののいていた。
奥様たちがソファに腰をおろし(私は立っている)、落ち着いたところで話を切り出す。
「少々込み入った話なの。よろしいかしら?」
「それはそれは、気が利かずに失礼いたしました」
奥様の意を汲み、子爵はすぐさま人払いした。
「早速なのだけれど、グラッセラ子爵はドビオン伯爵令嬢をご存知かしら」
いきなりメリッサさんの名前を出したことにドキッとした。
どこまで話すつもりだろうか。名前を出してしまっていいのだろうか。もしグラッセラ子爵がドビオン伯爵家と親交が深かったら、怒りを買うのではないだろうか。
「ああ、あのおとなしそうなお嬢さんですか。存じておりますが、彼女が何か?」
「あら意外。夜会にも滅多に参加されないあなたとは思えないわ。どちらでお知り合いになられたの?」
「はは、たまたまですよ」
「とおっしゃると?」
「もう三年前になりますかね。ディダで従者とはぐれられてしまったというドビオン伯爵令嬢を保護したことがあるのですよ」
「まあ」
「といっても、ご存知の通り、バタバタとしていたときでしたので、あまりお相手はできなかったのですけれどね」
グラッセラ子爵はぺらぺらと答えた。不思議とは思われたようだけれど、不審とは思われなかったようだ。ほっとした。
「あら。あの日のことなの? 奇遇なことね」
「奇遇といいますか、うちの侍女が――あ、いえ……」
「あの日」「侍女」とくれば、それはミュリエル様のことだ。話すにも困るのだろう。侯爵家のご令嬢を、子爵がうちの侍女と呼ぶのは少々さわりがある。
「侍女で構わないわ。続けて」
「では失礼いたしまして。……いなくなった侍女を捜させようとしたら、ドビオン伯爵令嬢を見つけてしまったというのが真相でして」
「お近くにいらっしゃったの?」
「ええ、目と鼻の先に。本人は大丈夫と言い張っていたんですが、何せ、侍女が一人いなくなった直後でしたからね。護衛をつけて私が滞在していた宿に送らせたのです」
真っ当な対応だ。一人でいたのが平民だったとしても、常識人なら、家の中に戻るように諭しただろう。
「と、このような話でよろしかったでしょうか。お尋ねだったのは――」
「大丈夫ですわ。ちょうど、その日のことを伺いたかったの」
「左様でしたか。いや、それしかございませんでしたな、はは。その節は、誠に」
「いいのよ。あなたはご存知なかったのだから。悪いのはミュリエルだわ。ではなくてね」
スムーズな会話が続く。奥様の話術は巧みだった。
「以前、書き置きがあったとおっしゃっていたでしょう? もう一度、詳しく聞かせてくださるかしら」
「侍女の暇乞いの書き置きですね。確か、連れ戻されてしまいそうなので、お暇させてもらいます、といった内容でした。私も家出をしてきたという話は小耳にはさんでおりましたから、疑いもいたしませんで」
「書き置きはどこで見つけられたの?」
「宿の――ああ、そうだ。そうでした。それを見つけたのが、まさに今お話をしていたドビオン伯爵令嬢ですよ。窓際のチェストの上にあったと」
はっと息をのんだ。とても偶然とは思えない。グラッセラ子爵が捜索を止めたきっかけである書き置き。それをメリッサさんが見つけてきたと言われたら、疑わざるを得なかった。
「その書き置き、残ってるかしら」
「いや、さすがに――」
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