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Ⅴ いざ、帰らん!
52. 一番星の空の下
しおりを挟む領地へのお土産などを買って、ランチをとって、観光名所だという時計塔に上り、そしてカフェで休憩をとり――。
何年分だろうかと思うほどに充実した休日を満喫した最後、寄り道をすると言っていたベイル様が街の郊外へと馬車を向かわせた。
「どちらに向かわれてるのですか?」
「ん……ああ、ちょっと、な」
つい先ほどまで穏やかな表情を浮かべていたベイル様の様子が少しおかしい。私はそれを怪訝に思いつつも、それ以上の質問はしなかった。
着けばわかるのだ、着けば。なにも急いで知る必要はない。
そのまま口数少なく進むこと数分、馬車が止まった。
ちらりと外を覗くとそこは草原のようだった。春であれば花が咲き乱れていたかもしれないけれど、冬のこの時期、特に目ぼしそうなものはない。
「ここ、ですか?」
「ああ。もうかなり冷え込んでるから、これも羽織って」
途中のお店でなにやら買っているなと思ったら、私のための羽織りものだったらしい。家から着てきた上着のさらに上に、ベイル様から渡されたショールを巻きつける。
「さ、行こう」
そして馬車を下りると冷たい空気が襲った。馬車の中ではそこまでわからなかったが、外は確かに冷えていた。
「こっち」
「わあ……」
ベイル様に促されて振り返ると、眼下に王都が広がっていた。
感嘆を洩らすことしかできないくらい、圧巻だった。ちょうど日が傾き始め今は、街並みに濃い陰影を浮かび上がらせている。
胸がギュッと締め付けられるようなその光景に、日本での日々を思い出して、私は泣きそうになった。
お母さん、お父さん、親不孝者でごめんなさい。
日本での一生を終えての転生だったとしても、行方不明状態だったとしても、両親を悲しませただろうことは確実だ。いつか帰れるなんて楽観的には考えられなくて、ただ残された両親の気持ちだけを想った。
「ミュリエル」
はっと我に返って隣に立つベイル様を見上げれば、ベイル様は少しだけ固い表情をしていた。それが緊張した面持ちなのだと気づくと、私も心臓がどきどきと音をたてはじめる。
「ミュリエル、手を」
「は…い……」
馬車を降りてあっという間に冷えてしまった左手に、ベイル様の温かな手が触れる。そして少しだけ袖がまくられて――。
「これが……殿下のメイズヤーンが先に君を捕えてしまったのは悔しいけれど……」
手首に新たにひんやりとした感触が増える。それは、殿下にもらったものよりずっと細い、シンプルなメイズヤーンだった。
「私からの贈りものも、受け取ってくれるだろう?」
「え、それは……」
前はメイズヤーンを異性から贈られることの重要性をあまり理解していなかった。
けれど今は違う。相手の好意だからといって簡単に受け取っていいものではないと知っている。
「現王は公平だ。正式に婚約が調う前であるなら――私が君に婚約を申し込むことも、君が承諾することもお認めくださる」
成長する装飾品、メイズヤーン。
これは「育む」ものの象徴だった。愛を育み、共に子を育んでいこうという約束の証。
「ミュリエル、君を愛してる。私と婚約してくれないか」
ベイル様の真摯なまなざしが私に向けられた。私は呼吸の仕方も忘れて、その美しい瞳に囚われる。
空にはいつの間にか一番星が瞬いていた。
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