人鳥失格 -ペンギン失格-

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「南極!!」「南極?!」

 あすかは希望と期待に瞳を輝かせ、みずほは驚愕というように眼を見開き。ニュアンスの違う同じセリフで二人が綺麗にハモる。

「行くの? 南極、行くの? いついつ? 明日、明後日? あー、防寒の着替え足りるかなぁ。すぐ買いに行かなきゃ! まだお店やってるかな?! お父さんに言わなきゃ!」
「ちょっ、本当にちょっと待って。あまりにも極端すぎるでしょ! いくら富士あんたがぶっ飛んでるからって、ただの大学生がほいほいと行くような場所じゃないって」
「そんなに褒められると、流石の僕も照れるよ」
「でも、みずほちゃん。コウテイペンギンになるんだから、そりゃ南極行かないとじゃん」
「あーもー! あんたら会話にならんっ! いつも、割と、だいたい、そうだけど!」

 みずほが頭を抱え金髪をガシガシときながら叫ぶ。常日頃から規格外の言動や行動をする二人が面白くて一緒にいるようになった彼女は、自然とができていた――はずだった。それでも余りにも突拍子もない話に、今回ばかりは理解が付いてこない。
 確かに今は旧世紀と比べて、遠方の観光地に行く手段ならいくらでもある。何せ、軌道エレベーターを使えばヨーロッパまでハンドバッグ一つで行ける時代だ。個人に割り当てられる年間環境負荷ポイントを無駄遣いして良いなら、それこそ空からでも海からでもなんとでもなる。だがしかし、その場所が『南極』となれば話は変わってくる。
 単純に過酷な場所であることはもちろん、そもそも環境保護のために立ち入りが制限されているはずだからだ。

 かつて地球温暖化を少なくない代償と共にひとまず乗り越えた人類は、同じ過ちを犯すまいと様々な取り決めと試みをしてきた。一度は生態系崩壊の危機に直面した南極大陸への立ち入り制限を含む『第四次南極条約』も、多岐にわたる施策の一つだ。とある偉大な科学者マッドサイエンティストの尽力によりある意味かつての環境を取り戻した南極だが、主要国連合が行う調査隊派遣すら厳しい制約を課されているはず。そんなことは、義務教育課程を経た人間なら誰でも知っているような一般常識である。
 しかし富士とみおの表情は、何度まばたきをしてみても至って真剣そのもの。いつも通り、呆れるほど真っ直ぐな意思を灯らせた瞳。

「唐突なのは自覚してるよ。本当は僕も日を改めて招集するつもりだったしね。でも、今日勢いがついた所でちょうど三人が揃ったから、どうしても言っておきたくなってね。――大丈夫、これからちゃんと説明するから。あと、あすかは一旦落ち着いてね」

 みずほの反応も想定済みといった様子で、富士は気にせず落ち着いて手元の端末を操作し始める。そのまま数回手指を動かすと、ほどなくして空中に説明資料が投影された。デカデカと示されているのは『プロジェクト・南極ペンギン隊(仮)』の表題タイトル。脇には恐らく富士によるものと思われる不気味な手描きキャラクターのアニメーションがぴょこぴょこと動きながら『やればできる!』とのたまっており、それが絶妙にイラっとさせてくる。
 中身の程はまだ窺い知れないが、相当な熱量をもって用意してある事だけはすでに伝わってきた。そして、すでにみずほの事まで巻き込むことを前提で走り出そうとしていることも。その計り知れないスケールのたくらみにワクワクし始めている自分自身にも腹が立つが、せめてもの抗議とばかりに「はぁぁぁ」と盛大なため息を投げつけてから、みずほは富士へと手を振って先を促す。

「……もう。本気なのはわかったわよ。言いたい事は山ほどあるけど、今は置いておいてとりあえず聞いてあげる」
「ありがとう、そうしてくれると助かるよ。あすかも落ち着いたかな?」
「ふふふフジくんっ、はっ早く早く早く早くっ」
「うんそうだよね、そんな気がしてた。じゃあもう、あすかが爆発しちゃう前にさっさと本題に入ろう」
 
 クスリと笑った富士が指を素早く動かすと、空中の資料がまたたいて展開する。沢山の文字やグラフ、図が踊っているがそれはあくまで根拠資料。富士が伝えたいメッセージは至極シンプルだ。

「さっきも言ったように、僕は南極に行く。ペンギンスーツが本当に完璧なペンギンになれるかどうかは、やはり彼らの内側へ入ってみなければ確かめられないからね」
「中に入るっていうのは、南極にいる群れに入るってこと?」
「そういうこと。実際にペンギンスーツを着て飛び込んでみるんだ。そして、見た目に違和感を持たれないか、言葉が通じるか、同じように生活をすることができるか……徹底的に、ありとあらゆることを実地で試してみるんだ。上手くいけば、彼らの『心』まで理解して、その生態系をひも解くことが出来るかもしれない。そこには僕たちが知りえなかったペンギンの営みが、絶対にあるはずなんだ」

 涼しい顔でコーヒーをすすりながら語る富士だが、やはり内容は一介の大学生がする構想の埒外らちがいだ。
 これまでの長い歴史の中で、ペンギンの生態はありとあらゆる学者が観察をして詳細に分析されてきた。ましてや、日本にはペンギンの研究をきっかけにノーベルを受賞した、世界に誇る人鳥ペンギン学のスペシャリストまでもいる。しかしそんな『彼』でさえ、南極のような過酷極まりない環境において『人間』という立場から見ている限り、理解のほどには限界がある。
 ――そんなことが本当に実行できるとすれば。頭打ちになっているこの世界でさらに一歩踏み込みたい研究者諸氏にとってペンギンスーツは、実のところ尻を振って飛びつきたいほど実行したい手段であるはずなのだ。 

「なるほどね。そういうで教授たちやスポンサーを口説き落としたわけね」
「いやいや、ちゃんと3割ぐらいは本音だよ。こんな僕でも人並の知的好奇心や探究心ぐらいあるつもりだからね」
「………そう、そりゃ意外だわ」
「もちろん『ペンギン』じゃなかったらここまでの情熱は無かったと思うけど、ね」

 富士の視線の先にあるのは、中空の資料を真剣に読み込んでいる様子のあすかの顔。時折ぶつぶつと何事か口にしながら、右人差し指で自分の下唇をトントンと触っている。彼女が深く集中している時のクセだ。『思い立ったが吉日』に足が生えて走っているように見える普段の振る舞いから、あすかは周りから気分屋でお馬鹿キャラと見られがちだが。しかし実際は違うとみずほは思っている。彼女は、自分がやりたいことを発見してやるべきことを即座に決めて、そして即座に行動し深く集中するーーその一連のプロセスのタイムラグが極めて短いだけなのだ。
 でも、こういうのはある程度付き合ってみないと見えてこない部分なのかもしれない。実際みずほ自身でさえも、入学式で出会ったときは彼女の事を単純に『ものすごく面白そうな人間』としか思っていなかったのだから。

「――まぁ、でしょうね。でもさ、南極で研究をやりたいというだけなら世界中の学者が考えることよね? ほら、私も深くは知らないけど『条約』とか色々あるっぽいし。ただ協力者がいるだけじゃ立ち入ることすら難しいんじゃないの?」
「うん、僕も当初はそこが一番の壁だと思ってた。でもそれが普通の大学の普通の教授、だったらダメだっただろうね。可能性があると思ったから律響ココに入ったんだけど、想定以上に効果的だったよ」
「ええ? そんなすごい人、今のウチにいたっけ?」

 みずほは首を傾げてしばらく考えこんでみるが、思い当たりは無い。三人が通う律響大学は、確かに日本ではで名の通った大学の一つではある。しかしそれがある種の『政治』にまで口を出せるほどかと言われれば、明確に違うであろう。

「あー、そういえばあの人はすごいかも? 理学の大岡本おおおかもとセンセ。なんか海外のニュースにも載ったらしいよ」
「まぁ確かに化学研究棟のフロア1つを丸々爆発で吹き飛ばして、高笑いと共に生還したのはすごいけどね?」
「……あ。それ、あたしも知ってるよ。ようちゃんに聞いたんだけど、いつもは『化学は爆発だ! 避難しろー!』って言ってる割に研究室の窓ガラス吹き飛ぶ程度で済んでるけど、あの日は『今回は確実に爆発しない実験だ』とかって教授あの人が言ったから『これは逆にヤバイぞ』ってめちゃくちゃ噂になって、全員前もって避難してたらしいよ――ようちゃん以外は」
「だから陽介アイツはしばらく帽子を被ってたのか。ふふふ、いい気味……ごほん」
「おいコラ。そんであすかは意識コッチに戻ってきたのね、おかえり」

 極東の島国で起きた『マッドサイエンティストによる大学爆破事件』の詳報は、爆炎を背景に白衣を翻す大岡本教授の写真(無加工)と共に世界中を駆け巡ったのだった。ちなみに、そのあまりにぶっ飛んだ教授のキャラと事件のインパクトは一部の生徒の心を強く揺り動かし、『大岡本狂授きょうじゅを守れ』だの『研究棟爆発跡を後世の為に保存せよ』だのと謎の学生運動が起こったとか。
 良くも悪くも、律響大学の異質なカラーが透けて見える事件ではある。

「ていうかもうなんか、色々と突っ込みどころ多すぎでしょ。未だに教授として籍を残してること自体不思議なんだけど」
「そこはほら、一応生徒の人気はあるし実際に研究成果自体もすごいからね」
「どうせあの学長のことだから『まっこと面白い!』の一言で片づけただけなんじゃないの?」
「すごい! みずほちゃん、今のモノマネすっごい似てた!」
「さて。そろそろ話を戻すけど良いかな? 今回突破口になったのは大岡本ばくはつ教授じゃなくて、二人もよく知ってるあの王教授だよ」

 富士がパチンと一発手を叩いて話を戻すと同時に、宙の資料には三人にとって見慣れた好々爺王教授の写真と経歴が表示された。長きに渡って専門的研究を行っているだけあって、様々な研究論文と国内外での受賞歴がずらり並んでいる。一見しただけでもわかる大きな特徴は題名のほとんどに『ペンギン』や『人鳥』の文字が入っているところであるが、その中でさらに赤い太文字で強調されているのが、とある有名な研究室の名前であった。

「え……ワンちゃん先生ってすめらぎ研究室』のメンバーだったの?!」

 
 『人鳥ペンギン学総合研究室』――通称、皇研究室。かつて指導教員であったすめらぎ 昭和てるかず博士が超がつくほど有名なため、一般には彼の名前を冠して呼ばれることのほうが多い、ペンギンについてありとあらゆる探究を行う研究室である。
 皇博士といえばペンギン生態学の第一人者であり、ペンギンに対する愛情のあまり地球温暖化を食い止めるべく奔走しノーベル平和賞まで勝ち取ったという律響大学が誇る世紀の奇人……もとい、偉人である。国際環境保全サミットで涙を滂沱ぼうだとしながらペンギン愛を叫んだ演説は、その録画が50年ほど経った今でも動画配信サイトで定期的に再生される人気っぷりだ。
 さらに富士が再び手を振ると、若かりし頃の王教授と故・皇博士を含む研究室での集合写真が浮かび上がる。各メンバーに後の経歴が注釈で加えられているが、幅広い分野の学会から政財界まで錚々そうそうたる活躍をしている人ばかりのようだ。

「そう。しかも、ただのいちメンバーじゃない。王教授こそ、皇博士の一番弟子で実質的な後継者だったんだよ。だから、南極環境の研究についてはたくさんの強力な伝手つてがあるし、対外的にも『らしい理由』をつけることができるわけなんだ」
「それはまた……なんとも奇跡的なめぐり逢わせ、ね」
「本当だよねー。あたし、そんなすごい人だなんて全然知らずに話してたもん」
「僕たちが具体的に『どういう目的で行くことになるか』については、また後日王教授のほうから講義してもらうよ。課外授業として、特別単位もちゃんと貰える手筈てはずになってる」
「じゃあその日程を決めなきゃだよね。えっとーー」

 と、その時。
 ピピピピピピピ……
 あすかの服から、突如電子音が鳴り響いた。

「わわわっ。ちょ、ちょっとごめんね! ――もしもし、お父さん? ……うん、うん……そうなんだ。ごめん、ちょっと打合せしててメッセ見てなかった。……そっか。じゃあもう少ししたらあたしも帰るよ。……うん、お父さんも気を付けて。はいはーい」

 あすかが小声の早口で喋りきると、手の甲を軽く三度叩いて通話を切る。少し照れくさそうに「えへへ」と笑ってから

「ごめん。今日はお父さんが早めに帰れるみたいだから、あたし先に帰るね。また明日打ち合わせしよ!」
「おっけー、私も明日はバイト無いから。気を付けなよ?」
「あすか、送っていくよ」
「大丈夫、走ればすぐだから! じゃ、またねー!」

 言うなり席上のリュックを放り投げるようにして背負い、ひらひらと手を振って慌ただしく走り出す。ワークブーツが軽やかに床を叩く音がみるみる遠ざかり、「マスター、これお会計っ! ……うん、今日も美味しかった!またねー!」の弾んだ声と、カランカランとドアベルが鳴る音が店に残された。

「もう。ほんと、いつも嵐みたいなんだから」
「あはは」

 いきなり残されることになった二人が苦笑を合わせ、しかし『主役』がいなくては話も進められないため、富士もゆっくりと帰り支度を始めた。投影していた資料が霧散すると、いつもの落ち着いた喫茶店の雰囲気が辺りに戻ってくる。ちょうど一口だけ残ったコーヒーを飲み切ったところ。
 その動きを制するように、みずほが動く。
 
「ごめん、フジ。ちょっと待って」

 みずほが富士の手首をつかみ、二人の視線が正面からぶつかる。

「あすかはわかるよ。当然だよ。それがあの子の夢だもん。あんたがそのためにやってきたのも知ってる。でもさ……」

 あすかには遠く及ばないが、しかし二人もすでに浅くない付き合いをしてきた。ここでみずほが余計な主語や目的語を言わなくとも、富士にも伝わる。

「なんで、私なの? 私は違うじゃん。単純に、あんたたちのお友達だから? 仲間外れにしたくないという、お情け? 言っておくけど――」

 そこまで一気に言ってから、みずほは気が付く。
 富士は先ほどとまったく表情を変えず、みずほを真っすぐ見ていた。まるで、こうなることが分かりきっていた、かのように。
 
「…………なによ」

 ムカつく。心に浮かんだ言葉を、みずほはギリギリで飲み込んだ。
 この言いようのないモヤモヤ。ムカつく。
 意外と長い富士のまつ毛にも。――それに目が行く、自分自身にも。

「怒られてもしょうがない、とは思ってるよ。これは、完全に僕のワガママだと思うからね」
「ふん。いつものことじゃない。何にしろ、あすかのためなんでしょ?」
「これはどちらかというと……僕自身のためかな」

 あはは、と力ない笑いで富士がくせ毛の頭をく。

「今日はっきりわかったんだけど、どうしても羽白さんが必要なんだ」
「……どういう、ことよ」  

 カラン。
 グラスに残った氷が、小さく耳障りな音を立てる。

「実は……」
「……うん」

 BGMのピアノの音が、消える。残っているのは、重苦しいベースの音。

「……あのペンギンスーツ! あすかが一度全裸にならなきゃいけないのに、一人で着れないんだ! なんであんな作りにしちゃったんだよ僕!」
「しかも、僕の目の前で平気で脱ごうとするんだ! もういくら言っても聞いてくれないだよ! いや、男として見てないのは知ってるけどさぁ、気を許している証拠だと納得して、いるよ?」
「あぁ、そりゃ王教授なら気にせずできるよ。でも、王教授だって一応男だよ!」
「それに、それに、あんなことをあすかがテンション全開になる南極でされたら……あぁもう、どうなっちゃうんだ?! ぼ、僕の身が持たないよ!」
「だから、彼女が心を許せて、着替えを手伝えて、補佐ができる人。そう、君がどうしても必要なんだ!!」
「………………そう」

 ――本当、ムカつく。

 店内のBGMは、いつの間にか『蛍の光』へと変わっていた。
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