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喫茶『あるかでぃあ』での会合から、1週間後。
「あづいよぉ……」
「もう、こんな暑い日に長袖着てるからでしょ。しかも分厚そうな生地で指先まで隠れる服選ぶなんて。ていうか脱げばいいじゃない」
「だって、この方がペンギンぽくて可愛いじゃん」
「あれ? あすかにこの間、修理した冷風機渡したよね?」
「家に置いて来ちゃった。今日こんなに暑くなると思わなかったんだもん。ほんと失敗したぁ」
あすかと富士とみずほの三人は、うだるような暑さの中広大なキャンパスを歩いていた。全員の履修講義が早めに終了するこの日に示し合わし、教授から指定された会議室へと向かうところである。
季節外れの熱気にやられて足取りが重い一行の後ろを、ブルーシートに包まれた大きな荷物を載せた自動運転キャリアが『運行中、運行中』と機械的にメッセージを繰り返してついていく。
ちなみに、あすかの思い付きでペンギンの腹滑り「トボガン」をイメージして富士が製作したうつ伏せペンギン型ホバーキャリアなのだが、重い荷物にペンギン達が潰されているような見た目になっているため、なんとも辛そうで気の毒な代物となってしまった。もっとも、便利なので結局こうして事あるごとに使っているが。
「ていうか、せんせーたちも意地悪だよね。ペンギンスーツ使うならフジの研究室でやる方がスムーズじゃん」
「僕の研究室だと『講義』するにはやりにくいだろうしね、しょうがないよ」
「講義っていったって、オンラインでやればいいわけだしさぁ……それにしても、ほんとあっつい」
不満たらたらなみずほの様子に、富士は苦笑しながら額の汗を拭い答える。確かに、講義をするという目的だけを考えればこんなことをする必要も無かったかもしれない。しかし講義と同時にペンギンスーツを着て動作を十全に試すには、研究室では手狭なのも事実だ。それに「教授陣も含めたプロジェクトメンバー全員の顔合わせは、やはり直接対面した方が良い」というのが王教授たっての希望であり、それには富士も同意だった。
「何ならあたし、スーツ着て歩いて行っても良かったのに」
「いやいや。このプロジェクト、まだ対外的には秘密だから。まぁどうせ大学生が『南極に行く!』なんて言ってても信ぴょう性はないから、世間的にはあんまり気にしすぎなくてもいいんだけどね」
「でも、大学内では信じられちゃいそうよね……」
「そうそう。だから、大学内ではなるべく大っぴらにしないでね」
「はぁーい」
「ほいほい」
気怠そうな二人の返事を伴って爆発記念棟――もとい旧化学研究棟を左折すると、桂の木が鬱蒼と植えられた長い街路の先に目的地である真っ白な『第4講義棟』が現れる。主に特殊な分野の講義や人気のないニッチな選択講義などで使用される建物のためか、『象牙の棟』などと敬遠され人影は極めてまばら。なお出入りする数少ない人間はもれなく『変人』だ。呼び出し主である王教授も、本人の人気こそあるもののキワモノ講義担当の代表格でもある。
伸び放題な桂の枝とハート型の葉を手で払いながら道を進み、唯一不満を漏らしていなかった富士が背中の汗を不快に思い始めたぐらいになって、一行はようやく講義棟の玄関までたどり着いた。幸いにも指定された講義室はそこからほど近くで、一息をつく間に『当面の間貸し切り』『関係者以外立入厳禁』『近寄るべからず』『苦情は王崑崙まで』などとべたべた紙が貼られた扉の前へと至る。すべてのカーテンが閉め切られ、ドアのガラスまで目隠しがされている徹底ぶりだ。
そのあまりの物々しさに少々気後れしながらも富士がセキュリティ認証に掌をかざすと、ピッと軽快な電子音と共に扉が開錠される。
「失礼します」
「失礼しまーす」
「どうもー?」
それぞれの挨拶で入口をくぐる。普段は机と椅子がずらりと並ぶ講義室内も今は全てが片付けられており、多人数用の大空間がさらに広々と感じられた。そして部屋の中央には、それぞれ手元の端末を操作する見慣れた顔の教授が二人。そのうちの一人、無精ひげでよれよれシャツの見るからに胡散臭い中年男が、三人に気付くと朗らかな笑顔で手を挙げて近づき口を開いた。。
「オゥッオウッオーーッ!オウゥゥオーッ?オウッオッオオオウオー、オッオッオウー」
「日下教授、日下教授。言語が海獣的な何かになってますよ?」
「オゥ?……あーあー、ゴホン。いやぁ悪ぃ悪ぃ、ちょうどアザラシの言語分析の資料を作ってたもんだからな」
「ヒゲセン、ちっすー」
「よぉ岩飛。相変わらず無駄に元気そうだな!」
「うわ。もうその呼び方、やめてよね!」
あすかの頭を叩くようにして撫でながらくつくつと笑う彼こそ、あすかとみずほが通う異文化コミュニケーション学部の奇才・日下 泰山特任教授だ。
そもそもが「結局何をしているかよくわからない学部」と学内外から言われる中で、最も謎が多い教授の一人でもある。世捨て人のような風体は、どうみても好意的に他者とコミュニケーションをとりたがる人種とは受け取りにくい。しかし、それもある意味当然。彼の専門分野は――人以外との交流に特化しているのだから。
「今日はちゃんとお願いしますよ? 王教授も、本日はよろしくお願いします」
「ほっほっほ。私もなんだか、柄にもなく気合が入っていますよ」
「なーんだ、やっぱおっさんも来てたんだ」
「お前も相変わらず失礼なやつだな、羽白。単位やらねぇぞ?」
「それマジ勘弁。あの壁画みたいな板書、理解するだけで頭パンクしそうなのに……」
みずほの心底嫌そうな表情にしてやったり顔を返した日下教授が、富士の肩の向こう側のブルーシートで包まれた荷物を顎で指してニヤリと笑う。
「さてさて。そいつが例の完成品か。俺様のデータは役に立ったろ?」
「すみません。正直僕たちだけじゃちゃんと作動してるか、正解をチェックができなくて」
「……ま、だろうな。よし、その辺も今日見ちまおう」
「はい、ぜひよろしくお願いします。ただ、まずはプロジェクト全体の共有からしていきたくて」
「ほっほ。彼が言う通り、そちらから早速始めましょう。メンバーは全員揃ったようですからねぇ。どれどれ、皆椅子を出して腰掛けてくださいな。私はお茶を淹れてきましょう。富士くん、悪いが画面設定の方も頼むよ」
「わかりました。先にペンギンスーツを荷下ろしてから、その後すぐやりますね」
「ねぇヒゲセンー、椅子もうちょっと持ってよー」
「おっさんは腰が弱いんだよ。若者が気張れや」
「いやいや、ちょ、ちょっとまって」
王教授の言葉にあすかがいそいそと折り畳み椅子を広げ始めたところで、みずほが慌てた声をあげて制する。
このプロジェクトは、素人の大学生を含むメンバーで南極という極限極まりない場所へ挑むことはわかっていた。一応、王教授というスペシャリストが同行することも。だがしかし――これで全員となると、みずほの理解の範疇を完全に超えてしまっていた。
「あの、ヒゲッサン。マジでこの五人だけで、南極に行くの?」
「おい、なんか変な呼び方し始めたな。いや、もう少し増えるぞ」
「そ、そうよね。あはは、私ったら早とちりして、ちょっとびっくりしちゃっ――」
ほうっと安心の溜息をつくが
「あと二人、だな。外部からアドバイザーが一人と、俺様の直弟子がもう一人だ。悪ぃがどっちも海外に行ってるもんでな。しばらくはオンラインで参加だ」
「……」
軽い口調の日下教授の返答に、みずほはただ言葉を失って天井を仰ぐことしかできなかった。素人ばかりの七人だけで南極を目指す? しかも更にはペンギンの群れに溶け込むなんていう前代未聞な試みを? あまりにも非現実的で、もはや自殺行為としか思えない……と放心する彼女をよそに、他の面々はなんの疑問も持った様子もなくテキパキと準備を進めていく。気が付けば――
あすかの手により椅子と机が人数分並べられ。
熱々のお茶が王教授手ずからめいめいの湯飲みに注がれて配られ。
壁には教授たちの講義資料が富士の設定でバッチリ映し出され。
そして、ペンギンスーツは青いベールから紐解かれて、部屋の中央でくったりと鎮座して出番を待っていた。
「…………これは、疑問を感じる私の方がおかしいの?」
思わず口から漏れ出るみずほの力無い言葉は、マイク越しの日下教授の「ウォッホン!」と無駄に大きい咳払いにかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
「さぁさぁさぁさぁっ! お前らぁ、始めるぞ。このイカれたチームで南極にかちこむための、記念すべき第一回プロジェクトミーティングをなぁ!」
「ひゅーひゅー!」
「お願いします」
「ほっほ。これは身が引き締まりますねぇ」
こうしてただ一人を置いてけぼりにしたまま、室内の熱気は南極を溶かす勢いで盛り上がっていくのだった。
「あづいよぉ……」
「もう、こんな暑い日に長袖着てるからでしょ。しかも分厚そうな生地で指先まで隠れる服選ぶなんて。ていうか脱げばいいじゃない」
「だって、この方がペンギンぽくて可愛いじゃん」
「あれ? あすかにこの間、修理した冷風機渡したよね?」
「家に置いて来ちゃった。今日こんなに暑くなると思わなかったんだもん。ほんと失敗したぁ」
あすかと富士とみずほの三人は、うだるような暑さの中広大なキャンパスを歩いていた。全員の履修講義が早めに終了するこの日に示し合わし、教授から指定された会議室へと向かうところである。
季節外れの熱気にやられて足取りが重い一行の後ろを、ブルーシートに包まれた大きな荷物を載せた自動運転キャリアが『運行中、運行中』と機械的にメッセージを繰り返してついていく。
ちなみに、あすかの思い付きでペンギンの腹滑り「トボガン」をイメージして富士が製作したうつ伏せペンギン型ホバーキャリアなのだが、重い荷物にペンギン達が潰されているような見た目になっているため、なんとも辛そうで気の毒な代物となってしまった。もっとも、便利なので結局こうして事あるごとに使っているが。
「ていうか、せんせーたちも意地悪だよね。ペンギンスーツ使うならフジの研究室でやる方がスムーズじゃん」
「僕の研究室だと『講義』するにはやりにくいだろうしね、しょうがないよ」
「講義っていったって、オンラインでやればいいわけだしさぁ……それにしても、ほんとあっつい」
不満たらたらなみずほの様子に、富士は苦笑しながら額の汗を拭い答える。確かに、講義をするという目的だけを考えればこんなことをする必要も無かったかもしれない。しかし講義と同時にペンギンスーツを着て動作を十全に試すには、研究室では手狭なのも事実だ。それに「教授陣も含めたプロジェクトメンバー全員の顔合わせは、やはり直接対面した方が良い」というのが王教授たっての希望であり、それには富士も同意だった。
「何ならあたし、スーツ着て歩いて行っても良かったのに」
「いやいや。このプロジェクト、まだ対外的には秘密だから。まぁどうせ大学生が『南極に行く!』なんて言ってても信ぴょう性はないから、世間的にはあんまり気にしすぎなくてもいいんだけどね」
「でも、大学内では信じられちゃいそうよね……」
「そうそう。だから、大学内ではなるべく大っぴらにしないでね」
「はぁーい」
「ほいほい」
気怠そうな二人の返事を伴って爆発記念棟――もとい旧化学研究棟を左折すると、桂の木が鬱蒼と植えられた長い街路の先に目的地である真っ白な『第4講義棟』が現れる。主に特殊な分野の講義や人気のないニッチな選択講義などで使用される建物のためか、『象牙の棟』などと敬遠され人影は極めてまばら。なお出入りする数少ない人間はもれなく『変人』だ。呼び出し主である王教授も、本人の人気こそあるもののキワモノ講義担当の代表格でもある。
伸び放題な桂の枝とハート型の葉を手で払いながら道を進み、唯一不満を漏らしていなかった富士が背中の汗を不快に思い始めたぐらいになって、一行はようやく講義棟の玄関までたどり着いた。幸いにも指定された講義室はそこからほど近くで、一息をつく間に『当面の間貸し切り』『関係者以外立入厳禁』『近寄るべからず』『苦情は王崑崙まで』などとべたべた紙が貼られた扉の前へと至る。すべてのカーテンが閉め切られ、ドアのガラスまで目隠しがされている徹底ぶりだ。
そのあまりの物々しさに少々気後れしながらも富士がセキュリティ認証に掌をかざすと、ピッと軽快な電子音と共に扉が開錠される。
「失礼します」
「失礼しまーす」
「どうもー?」
それぞれの挨拶で入口をくぐる。普段は机と椅子がずらりと並ぶ講義室内も今は全てが片付けられており、多人数用の大空間がさらに広々と感じられた。そして部屋の中央には、それぞれ手元の端末を操作する見慣れた顔の教授が二人。そのうちの一人、無精ひげでよれよれシャツの見るからに胡散臭い中年男が、三人に気付くと朗らかな笑顔で手を挙げて近づき口を開いた。。
「オゥッオウッオーーッ!オウゥゥオーッ?オウッオッオオオウオー、オッオッオウー」
「日下教授、日下教授。言語が海獣的な何かになってますよ?」
「オゥ?……あーあー、ゴホン。いやぁ悪ぃ悪ぃ、ちょうどアザラシの言語分析の資料を作ってたもんだからな」
「ヒゲセン、ちっすー」
「よぉ岩飛。相変わらず無駄に元気そうだな!」
「うわ。もうその呼び方、やめてよね!」
あすかの頭を叩くようにして撫でながらくつくつと笑う彼こそ、あすかとみずほが通う異文化コミュニケーション学部の奇才・日下 泰山特任教授だ。
そもそもが「結局何をしているかよくわからない学部」と学内外から言われる中で、最も謎が多い教授の一人でもある。世捨て人のような風体は、どうみても好意的に他者とコミュニケーションをとりたがる人種とは受け取りにくい。しかし、それもある意味当然。彼の専門分野は――人以外との交流に特化しているのだから。
「今日はちゃんとお願いしますよ? 王教授も、本日はよろしくお願いします」
「ほっほっほ。私もなんだか、柄にもなく気合が入っていますよ」
「なーんだ、やっぱおっさんも来てたんだ」
「お前も相変わらず失礼なやつだな、羽白。単位やらねぇぞ?」
「それマジ勘弁。あの壁画みたいな板書、理解するだけで頭パンクしそうなのに……」
みずほの心底嫌そうな表情にしてやったり顔を返した日下教授が、富士の肩の向こう側のブルーシートで包まれた荷物を顎で指してニヤリと笑う。
「さてさて。そいつが例の完成品か。俺様のデータは役に立ったろ?」
「すみません。正直僕たちだけじゃちゃんと作動してるか、正解をチェックができなくて」
「……ま、だろうな。よし、その辺も今日見ちまおう」
「はい、ぜひよろしくお願いします。ただ、まずはプロジェクト全体の共有からしていきたくて」
「ほっほ。彼が言う通り、そちらから早速始めましょう。メンバーは全員揃ったようですからねぇ。どれどれ、皆椅子を出して腰掛けてくださいな。私はお茶を淹れてきましょう。富士くん、悪いが画面設定の方も頼むよ」
「わかりました。先にペンギンスーツを荷下ろしてから、その後すぐやりますね」
「ねぇヒゲセンー、椅子もうちょっと持ってよー」
「おっさんは腰が弱いんだよ。若者が気張れや」
「いやいや、ちょ、ちょっとまって」
王教授の言葉にあすかがいそいそと折り畳み椅子を広げ始めたところで、みずほが慌てた声をあげて制する。
このプロジェクトは、素人の大学生を含むメンバーで南極という極限極まりない場所へ挑むことはわかっていた。一応、王教授というスペシャリストが同行することも。だがしかし――これで全員となると、みずほの理解の範疇を完全に超えてしまっていた。
「あの、ヒゲッサン。マジでこの五人だけで、南極に行くの?」
「おい、なんか変な呼び方し始めたな。いや、もう少し増えるぞ」
「そ、そうよね。あはは、私ったら早とちりして、ちょっとびっくりしちゃっ――」
ほうっと安心の溜息をつくが
「あと二人、だな。外部からアドバイザーが一人と、俺様の直弟子がもう一人だ。悪ぃがどっちも海外に行ってるもんでな。しばらくはオンラインで参加だ」
「……」
軽い口調の日下教授の返答に、みずほはただ言葉を失って天井を仰ぐことしかできなかった。素人ばかりの七人だけで南極を目指す? しかも更にはペンギンの群れに溶け込むなんていう前代未聞な試みを? あまりにも非現実的で、もはや自殺行為としか思えない……と放心する彼女をよそに、他の面々はなんの疑問も持った様子もなくテキパキと準備を進めていく。気が付けば――
あすかの手により椅子と机が人数分並べられ。
熱々のお茶が王教授手ずからめいめいの湯飲みに注がれて配られ。
壁には教授たちの講義資料が富士の設定でバッチリ映し出され。
そして、ペンギンスーツは青いベールから紐解かれて、部屋の中央でくったりと鎮座して出番を待っていた。
「…………これは、疑問を感じる私の方がおかしいの?」
思わず口から漏れ出るみずほの力無い言葉は、マイク越しの日下教授の「ウォッホン!」と無駄に大きい咳払いにかき消され、誰の耳にも届くことはなかった。
「さぁさぁさぁさぁっ! お前らぁ、始めるぞ。このイカれたチームで南極にかちこむための、記念すべき第一回プロジェクトミーティングをなぁ!」
「ひゅーひゅー!」
「お願いします」
「ほっほ。これは身が引き締まりますねぇ」
こうしてただ一人を置いてけぼりにしたまま、室内の熱気は南極を溶かす勢いで盛り上がっていくのだった。
応援ありがとうございます!
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