人鳥失格 -ペンギン失格-

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「まず大前提として、だ。このプロジェクトは南極に行って帰ってくるまで、基本的に秘密裏で実行することになる。世間にはもちろん、大学内にもだ」

 日下ひげ教授が悪戯いたずらぽく笑いながら言い、一同を見渡す。
 しばらく放心していたみずほも、オウ教授の烏龍茶を飲む間にようやく落ち着き正気を取り戻しつつあった。

「はい。僕が言うのもなんですが、秘密にする理由を全部は聞けていなかったんですよね。主に大学側の事情も含めて、話せるだけ詳しく教えていただけますか?」 
「そうだよ。南極行きなんてめちゃくちゃお金かかるんだからさ、大々的に宣伝してスポンサーとか協力者を増やした方が良いんじゃないの? 放送局とかも、話をすれば食いつきそうだし」

 富士とみおが律儀に手を上げて、あすかが椅子から身を乗り出しながら、それぞれ疑問の声を上げる。
 こういった直接収益に関わらなそうなプロジェクトに第三者が協賛する場合、支援側のわかりやすいメリットを考えると『名前を売る』ことは真っ先に挙げられてしかるべきであろう。たとえ慈善活動団体だったとしても、結局は広報の一環を兼ねているというのは至極普通なことである。つまり逆に言うとそれが為されないのであれば支援者が集まりにくいということになる。
 しかしそれにも不敵な笑みの表情を変えず「まぁ慌てるな」と制しながら、日下教授は指を三本立てて胸の前に差し出した。

「厳密に言やぁ色々とあるんだが、大雑把に分けると理由は三つ。まず一つは、大口おおぐちスポンサー企業からの希望。プロジェクトの資金の約六割を負担してくれている有難ありがてぇ会社様なんだが、どうやら戦略的に思う所があるらしい。ま、ここの部分は黄頭きがしらもある程度知っている内容だと思うが、詳細は伏せておく。わりぃがコレに関しては『そういうもんだ』とだけ思っていてくれ」
「……教授がそう言うのなら、わかりました」
「正直、この理由が一番でけぇ。ま、とりあえず胡散臭ぇ会社ところじゃないとだけは言っておくぞ」
「ヒゲセンが言うと説得力無いよねぇ……あだっ!」
「うっせぇな。で、次の二つ目」

 少しだけ考えた後ですっと富士が手を下ろすのを見て、日下教授はあすかの脳天に一撃入れてから立てた指を一本折る。

大学うちの理由だ。学生のお前らに正直に言うのもどうかと思うが、一応教育機関としての体面たいめんというものがあるんだよ」
「体面、ですか」
「このプロジェクトは準備期間にだいたい二年を見込んでいる。素人集団でぶっこむんだ、訓練時間とかも考えれば短いぐらいだよな。しかも、お前らは大学の授業を受けながらということになる。これを聞いてどう思う、羽白はねじろ?」

 未だ少しぼーっとしていたところに水を差し向けられたみずほが、ハッとして慌てて脳みそを回す。みずほは奨学生ということもあり、それなりに勉強をしている方だと自負している。しているが、それでも単位に余裕があるとは言えない。
 というのも、律響大学が設置している学科はどこも個性が強く講義自体も他所と比べて一癖二癖あるものが多いのが特徴だ。加えて個性的な教授陣との相性がそのまま成績に直結するようなちょっと理不尽な場合も多々ある。
 みずほ自身も、課題レポートで調べることを指定されていた学内アーカイブ情報内に、教授が嘘情報を紛れ込ませていたことに気が付かず引用してしまって「不可」を食らうという苦い経験があった。
 いやでもさすがに、論文データ内の全ての『HAGE』の文字列を消すことで正しい論文全文が出てくるという仕様は意味が分からないんだけどあのクソ教授ハゲ、今からでも卵ぶつけてやろうか――などと関係のない方向に思考が行きかけるのを、頭を振って何とか踏みとどまる。

「……うーんフジみたいな優等生は別として、結構キツそうよね。あたしは学費の為にある程度バイトも入れなきゃいけないしさ」
「まぁそうだろうな。そこで、今回の為に特例措置をねじ込む。要はこのプロジェクトを特別科目として内密に認定して、単位も与える。もちろん必修授業だけは受ける必要があるし、そのためにレポートやらなんやらの実績残しは後々やってもらうぞ。この辺りは、自由奔放な我らが学府に万々歳だな」
「でもさー、ヒゲセン。それならなおさら『こういうことやるから単位認めます』って公表しないと、『不公平だ!』って言う人がでるんじゃない?」

 あすかの指摘に、富士とあすかも同意の頷きを返す。
 するとそれまでおとなしく見守っていた王教授が、そっと湯飲みを置いて柔和な笑顔のまま口を開いた。同時に『人鳥』の文字がデカデカと書かれた湯飲みを右手でクルリと百八十度回すと、反対側から代わりにペンギンが尻を向けて寝そべるイラストが現れる。

「ほっほっほ。そこは逆転の発想ですよ。この大学にいる者は、皆そろって『変なこと』が大好きでしょう?ここで過ごす限り、『変なこと』に触れずにいられないぐらいあふれているでしょう」

 もちろん、否定できる者はいない。

「まぁ、そうですね」
「つまり、私の研究室の名前で『秘密の実験的プロジェクトを行う』ということだけ大学内で公表するんです。しかも『秘密』の部分を殊更ことさらに強調して、ね。すると、お祭り好きなうちの学生なら、どうなると思いますか?」

 王教授の話を受けて、三人がめいめいにこれまでの大学生活のアレやコレやを思い浮かべる。
 分厚いカーテンで覆われた窓の外から、今日も学徒たちの元気な狂声――もとい嬌声きょうせいと爆発音が聞こえる、気がした。

「そりゃあ……」
「まぁ、うん」
「……喜んで『納得』するでしょうね」
「ほっほ。そういうことです」

 そう言うと喋り切ったとばかりにゆっくりとした動作で再び茶を啜る王教授の様子を見て、富士はうーんと静かに唸った。
 王教授が言うように、この大学内では明らかに怪しくしたほうがむしろ紛れる、というのは一理あるだろう。扱う題材からしてニッチな研究室の普段の活動実態もあまりオープンではないし、不自然ではない。
 ただしあくまでも『一理』だけ。二年もの間それだけで通すのはとても難しいはずで、教職の中では真っ当な人格の部類に入る王教授が気が付かぬはずもない。それでもあえて言葉を重ねないという事は、おそらくすでにしっかりと根回しが終わっている、ということなのだろう。
 こういう、学生の身分では全く手の届かない部分であるところを先回りして十二分にフォローしてくれるあたり老獪ろうかい――と言っては失礼だろうか。改めての畏敬いけいと感謝を想いながら、富士は理解したという風に日下教授へ頷きを送った。
 残る二人もとりあえずは納得したような表情になったのを見届けてから、日下教授がわざとらしい咳払いと共に次の指を折る。

「ごほん……で、最後の理由が、例の『条約』関係の話だ。これについては後の講義の中でちゃーんと学んでもらうが、ぶっちゃけ正攻法じゃねぇ。王センセの『すめらぎ研究室』繋がりのコネと伝手つてをフル活用させてもらって、少人数の限定的な活動に限って目を瞑らせたという感じだな」
「大人に任せろって自信満々に言われていた割には、結構な力業ちからわざだったんですね」
「当たり前だろ? 剛腕こそ大人のカードだ。こと南極のペンギン研究において、『皇博士』の名前以上のエースカードはそうそう無ぇ。使える物は使えるだけ有効に使う、に限るさ」
「うわぁ、ヒゲセンってば悪い大人って顔してる。なんかこう、すごいね……」

 事もなげに言いつつ日下教授が手を振りながらちらりと王教授剛腕の主見遣みやると、当の本人は涼しい顔でお茶を啜っている。
 本当にすごいのはこうやってさらっと持っている権力を遠慮なく使う大人なんだよな、と髭を撫でながら苦笑している間に映し出されていた資料が切り替わった。載っているのは複数の円グラフと、いくつものペンギンの写真。一見して、荒く古そうな写真と綺麗で鮮明な写真が比較されるように並んでいる。付随している表題には『PROGRESS BEFORE / AFTER』の文字。
 現在表示されている資料を作成したのは王教授だが、彼が身じろぎしないところを見ると「任せる」との意思表示だろう。専門家の前で専門外の事を講義する側の気持ちを考えてくれよ、と心中で苦笑しながらも表面上は顔を変えずに生徒たちへ声を投げつける。

「俺でも講義ができるぐらいの基本知識だが、かつて南極の環境は深刻な地球温暖化で一度崩壊しかけた。氷が大量に解け、周辺海域の海流が変化し、当然と生態系にめちゃくちゃ影響が出る。お前らが大好きなペンギン様が南極で繁栄した最大の理由は天敵の不在だったわけだが、南極海に流れ込み始めた外からの海流はそんな秩序を簡単に脅かす」
「天敵といえばシャチとかヒョウアザラシとか、ですよね」
「そうだ。他にも、海流に乗った魚を追ってきたサメやら卵を狙う大型鳥類なんかも来てたみたいだな。そんな環境で生物が生き残るためには何らかの防衛策が必要になるわけだが、ここで皇博士は大胆にも二方向のアプローチで策を講じた。それが……岩飛、わかるな?」

 指差されたあすかは、自信満々の笑みで立ち上がって「もちろん!」と答える。あまりの勢いに机が揺れ烏龍茶がこぼれそうになるのを、富士が慌てて湯飲みを抑えて何とか食い止めた。

「あっ、フジくんごめん。えと、『南極環境の正常化』と『ペンギンの一時保護』でしょ?」
「流石は人鳥ペンギン学主席だな、ばっちり正解だ。崩れた環境を元に戻してやる、その間にペンギンの数が減らないように保護する。そして、環境が十分に戻ったらペンギンを帰してやる。これこそまさに力業だが、明快でわかりやすい手段ってわけだ」
「その『南極環境の正常化』の延長で地球温暖化防止を進ませたっていうんだから、すごい話よね……」
「ま、羽白のソレが一般の感覚だとは思うが、結局『ちきゅうをまもろう』なんてふわっとしてデカいだけのお題目より、よっぽど情熱とパワーがあったって話だ」
 
 情熱とパワー。
 みずほはその言葉を脳内で反芻はんすうしながら、あすかの方を見る。見るからにワクワクに満ちた様子で跳ねるように椅子へ戻り、満面の笑顔のまま説明の先を前のめりで待ちわびている。
 正直、みずほにはこんなに情熱をもって何かをしたことは無いようが気がしていた。この南極行きプロジェクトにしたって確かにとても面白そうで興味を惹かれるし、一生に一度関われるか分からない程のビックイベントに違いない。
 だが彼女たちと同じような情熱があるかというと、それは残念ながらノーだろう。
 いつだって富士とあすかが巻き起こす事に喜々としてはずなのに、形容しがたいモヤモヤが脳裏に立ち込めていくのをみずほは感じていた。

「そして、俺たちが南極に行くお題目は、ずばり皇博士の研究の成果確認だ!」
「今の南極の生態系を調査する、ということ?」

 みずほの答えに、日下教授は指を振って返す。

「それは確かに間違っていないが、もう少し『専門的』だ。羽白、この新旧のペンギンの写真を見比べて何か気が付かないか?」
「うーん?」

 問われて、みずほはまじまじと資料の写真を見つめる。おそらく、鮮明な方が比較的最近撮られた写真ということなのだろうが、基本的なフォルムはそこまで差異がないように思えた。どちらも雪上で数羽のコウテイペンギンが魚をくわえている様子だが、旧の方はいわしか何かをまさに丸飲みしようと上に嘴を向けているように見え、新の方は丸々としたさばのような魚を上に放り投げているような……
 そこまで考えて、みずほは少しの違和感を覚える。
 どう見ても、咥えている魚は見た目からして『新』の方が立派で大きそうだ。しかし、当のペンギンの方は魚と比較したサイズ感はそこまで差が無く見えてしまう。ということは――

「ペンギンが、大きくなってる?」
「おぉ、よくわかったな。正解だ」

 日下教授がニヤリと笑い手を一つ叩くと、資料がまた切り替わった。
 今度は明確にサイズの数値と共に新旧のコウテイペンギンの画像が並べられているが、全体のフォルムはそのままで一回りか二回りは大きくなっているようだ。具体的に言えば、旧来のコウテイペンギンは全長130センチ程度。対して現状のペンギンは――150センチ程度。つまり、身長145センチのあすかを超えるほどである。

「え、でっか!?なんか、怖いというか可愛くない……」

 と思わず漏らしたみずほの言葉に、あすかが敏感に反応して立ち上がる。

「ちょ、なんでなんで?!めっちゃ可愛いじゃん!!こう、ぎゅーって抱きしめるのにちょうど良くなったぐらいだよ」
「野生動物があんたと目線同じくらいなんだよ?普通怖いって」
「わかってないなぁ、みずほちゃん。このきらっきらした目を見なよ!優しそうだし、絶対仲良くなれるタイプだって!引っ込み思案な子にも声を掛けて班に入れて修学旅行も一緒に回ってくれる学級委員長的な子だって!」
「……いや、わからんし」

 二の腕をバシバシと叩きながらあすかが写真を指さすのでみずほも仕方なく写真を再び見つめるが、やっぱりよくわからない。もちろん写真で見る限りは見慣れたペンギンなので、鑑賞対象としてはそれなりに愛らしいと思うが、ただそれだけだ。
 そして、みずほが怖いと思った理由は単純なサイズだけではない。あすかが言う『きらきらした目』が、どうにも動物のソレとは違う何かを孕んでいるような、そんな得体の知れなさを感じさせる気がしていた。

「おーいこら岩飛ちんちくりん、落ち着け。というか、座れ」
「あだっ!」

 なお興奮するあすかに日下教授が再び一撃を加えて、話を続ける。

「まぁだが、岩飛が言う事もあながち間違ってないかもしれないぞ?」
「は?」
「このペンギン達は、確かに環境に適応して強くなるためにデカくなったんだろう。というか皇博士がそういう風に促したんだから、ある意味当然だな。ただ、博士の構想はそれだけじゃない。これこそが人鳥オタクでも何でもない俺がこのプロジェクトに興味を持った理由だ」

 確かに、とみずほも気が付く。日下教授は普段『人間と人間以外の意思疎通』の研究を主におこなっているからここに居ることの違和感を誰も感じていなかったが、言われてみれば他の面子と違ってペンギンに興味がありそうな感じは無かった。

「全体がデカくなるということは、当然身体だけじゃなく脳みそもでかくなる。生き残るために必要なのは、何も筋力だけじゃない。これを見てみろ」

 日下教授が腕を振ると、先ほどの『新』のペンギン写真がぐぐっと広がりの映像になる。ついで、同じ風景に続くシーンと思われる写真もスライドして続いてゆく。
 魚を放り投げていたペンギンの他にも、周りには多くのペンギン達。しかし、それは決して団らんの食事の風景では無かった。
 ある程度の間隔を持って立つ十羽ほどのペンギン達。数羽は魚目掛けて雪上を滑っているようで、さらに他の数羽はその動きを阻害するかのように立ちふさがっている。この感じはまるで人間でいう――

「なにこれ……なんか、まるで、サッカーしてるみたいな」
「その通り!!」

 日下教授は、一際大きな声で叫ぶ。

「皇教授はペンギン達へ生きるための劇的な進化を促した。それは肉体だけじゃなく、知能もだったわけだ」

 突然と披露される事実に、あっけにとられる三人の生徒たち。悠々と茶を啜る王教授。窓の外では「何馬鹿なことをやってるんだ、早く逃げろ!」の声。
 日下教授は、重ねて叫ぶ。

「現在!南極のペンギン達は――遊興を始めるほど格段に発達した知性と文化を持っていることが推察される!」
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