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menu.1 憧れのだし巻き卵(4)
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手短だが、そんな雰囲気をまとった返答に料理人として気を良くしたのか、奏汰は笑みを濃くした。
「よかったぁ。さ、他のも食べてよ。だし巻きや味噌汁も冷めないウチにどーぞ」
「ありがたくいただこう」
少々ぬるくなってきているものの、だし巻き卵は絶妙においしく、断面も美しい薄黄色だ。噛めばじゅわりと出汁の味が染み出てくる。
粕漬けもちょうどいい塩梅の浸かり具合で、味噌汁は冷凍保存の味噌玉を溶かしたとは思えないほどだった。
どれも出汁と調味料の風味が優しく舌でふわりと広がるようで、修一の心のするりと入り込んでいく。
気づけば、修一は時折恍惚とした吐息を吐くようになっていた。
どれも修一にとって格別に美味なことは事実だ。だが、だし巻き卵はその中でも群を抜いていた。
初めて見た奏汰の動画でだし巻き卵の作り方を見て、どうやったら動画のようになるのだろうと思ったのだ。ブラインドを閉め切った真っ暗な部屋で動画を繰り返し見、奏汰が作りあげる黄金色に輝く四角い食べ物に、多大な関心を寄せるようになった。
自分でも作りたいと思い作ってみたのだが、不格好な炒り卵と卵焼きの中間の存在になってしまった。動画の説明の通りに作ったはずだったのにと、焼き上がった卵を見ているうちに、人間の落伍者の自分のように見えてきてしまい味見することなくゴミ箱に捨てた。
だからこそ、奏汰が目の前で作っただし巻き卵は修一にとってはイエローダイヤモンドにも等しい価値があった。食べ終わりたくなくて、小さく小さく切り分けて大事に食べていた。
潤んだ目、ほのかに上気した頬、緩んだ表情、その全てが常人には抗い難い色気を漂わせ、結果的に奏汰の本能を刺していることに全く気づかぬまま。
出汁の塩味とほのかな甘味、それらを内包した卵の風味。気を取り直した奏汰自身から語られる動画撮影の裏話やレシピの開発経緯。
これら全てが五感を刺激し、心地よくしてくれる。
何度も料理を口にし、酒も飲み、心地よい気分の中、修一は徐々に眠気が強くなってくるのを感じていた。
時間を気にするフリをしてリビングの時計を見やると、料理を口にし始めてから数十分は経っている。
(――……ああ、)
やはりな、と修一は思う。
店の中で、奏汰は随分と手慣れた様子で口説いてきた。つまり、“こういうこと”に手慣れている、ということで。
既に料理は全て胃の中に収まってしまっている。おそらく混ぜるとすれば味噌汁だろうか、と修一は妄想にも等しい予測を立てた。
こくり、こくり、と頭がぐらつき始めたところで、奏汰が話しかけてくる。
「……修くん眠い? 寝ちゃう?」
「いや……」
徐々に暗転を始める意識の中、修一はじっと奏汰を見る。眠気から随分と険しい目つきになっている自覚はある。奏汰がびくりと肩を振るわせたのは、果たして彼の顔つきが怖いのか、自らの企みがバレたことを予見したのか。
眠気で回らない頭を何とか動かしつつ、修一は言葉を紡ぐ。
「……睡眠薬でも盛ったか?」
「えっ」
奏汰の反応を見て、修一は昔懐かしい感覚に思わず笑えてきた。
全員が全員、ここまで分かりやすいホシなら、全国の警察官は楽なのだが。
「……俺は元々警察官でな。少々訳があって数年前に退職したが、一般人よりは、その手の知識があると思っている……」
半分本当で、半分嘘だ。確かに薬品名や大まかな効能などは、職務に役立つだろうと勉強はしていた。しかし自覚症状だけで判断が付くようになるほどになったのは、囚われてからだ。
うわあやべえ、というような顔をしている奏汰の顔色は蒼白で、使っても気づかれなかった、あるいは相手が事後納得していたケースばかりなのだろう。
超人気料理系動画クリエイターの裏の顔を知れたのは役得かもしれない、と修一は笑う。
料理の味と、一夜の相手をとっかえひっかえするような面があることを知ることが出来た。また、“持っていくもの”が増えた。
少々震える声で、奏汰が問う。
「……っ、お、れを、通報、する……?」
通報。普通ならばするかもしれない。だがあいにく、今の自分の環境は全くもって“普通”とは言えないし、この程度で奏汰を社会的に抹殺するなどそれこそ愚の骨頂だと修一は心中で断ずる。
「まさか……」
フフ、と無意識に乾いた笑いが漏れる。
こうなる可能性も考慮に入れていた。それでも奏汰の手料理という極上の餌に釣られて、彼のテリトリーに入り込んだのだ。後々どういう事態になるか分かっていながら。
だから、責められるべきは自分一人のみ。奏汰にも友にも全く責任はないのだ。それが連中に通じるかはともかくとして。通じなければ通じないで、手は考えてあるが。
(――だから、君が心配する必要はない)
無意識に、それでも本心は厳重に隠したままで、修一は奏汰に言う。
「……俺をレイプしたいのか、または逆レイプしたいのか……、それは、知らんが……」
ああ、眠気が強くなってきた。
「きみのりょうりが……くえると……」
そこで、心地よい眠気に修一は屈した。
「よかったぁ。さ、他のも食べてよ。だし巻きや味噌汁も冷めないウチにどーぞ」
「ありがたくいただこう」
少々ぬるくなってきているものの、だし巻き卵は絶妙においしく、断面も美しい薄黄色だ。噛めばじゅわりと出汁の味が染み出てくる。
粕漬けもちょうどいい塩梅の浸かり具合で、味噌汁は冷凍保存の味噌玉を溶かしたとは思えないほどだった。
どれも出汁と調味料の風味が優しく舌でふわりと広がるようで、修一の心のするりと入り込んでいく。
気づけば、修一は時折恍惚とした吐息を吐くようになっていた。
どれも修一にとって格別に美味なことは事実だ。だが、だし巻き卵はその中でも群を抜いていた。
初めて見た奏汰の動画でだし巻き卵の作り方を見て、どうやったら動画のようになるのだろうと思ったのだ。ブラインドを閉め切った真っ暗な部屋で動画を繰り返し見、奏汰が作りあげる黄金色に輝く四角い食べ物に、多大な関心を寄せるようになった。
自分でも作りたいと思い作ってみたのだが、不格好な炒り卵と卵焼きの中間の存在になってしまった。動画の説明の通りに作ったはずだったのにと、焼き上がった卵を見ているうちに、人間の落伍者の自分のように見えてきてしまい味見することなくゴミ箱に捨てた。
だからこそ、奏汰が目の前で作っただし巻き卵は修一にとってはイエローダイヤモンドにも等しい価値があった。食べ終わりたくなくて、小さく小さく切り分けて大事に食べていた。
潤んだ目、ほのかに上気した頬、緩んだ表情、その全てが常人には抗い難い色気を漂わせ、結果的に奏汰の本能を刺していることに全く気づかぬまま。
出汁の塩味とほのかな甘味、それらを内包した卵の風味。気を取り直した奏汰自身から語られる動画撮影の裏話やレシピの開発経緯。
これら全てが五感を刺激し、心地よくしてくれる。
何度も料理を口にし、酒も飲み、心地よい気分の中、修一は徐々に眠気が強くなってくるのを感じていた。
時間を気にするフリをしてリビングの時計を見やると、料理を口にし始めてから数十分は経っている。
(――……ああ、)
やはりな、と修一は思う。
店の中で、奏汰は随分と手慣れた様子で口説いてきた。つまり、“こういうこと”に手慣れている、ということで。
既に料理は全て胃の中に収まってしまっている。おそらく混ぜるとすれば味噌汁だろうか、と修一は妄想にも等しい予測を立てた。
こくり、こくり、と頭がぐらつき始めたところで、奏汰が話しかけてくる。
「……修くん眠い? 寝ちゃう?」
「いや……」
徐々に暗転を始める意識の中、修一はじっと奏汰を見る。眠気から随分と険しい目つきになっている自覚はある。奏汰がびくりと肩を振るわせたのは、果たして彼の顔つきが怖いのか、自らの企みがバレたことを予見したのか。
眠気で回らない頭を何とか動かしつつ、修一は言葉を紡ぐ。
「……睡眠薬でも盛ったか?」
「えっ」
奏汰の反応を見て、修一は昔懐かしい感覚に思わず笑えてきた。
全員が全員、ここまで分かりやすいホシなら、全国の警察官は楽なのだが。
「……俺は元々警察官でな。少々訳があって数年前に退職したが、一般人よりは、その手の知識があると思っている……」
半分本当で、半分嘘だ。確かに薬品名や大まかな効能などは、職務に役立つだろうと勉強はしていた。しかし自覚症状だけで判断が付くようになるほどになったのは、囚われてからだ。
うわあやべえ、というような顔をしている奏汰の顔色は蒼白で、使っても気づかれなかった、あるいは相手が事後納得していたケースばかりなのだろう。
超人気料理系動画クリエイターの裏の顔を知れたのは役得かもしれない、と修一は笑う。
料理の味と、一夜の相手をとっかえひっかえするような面があることを知ることが出来た。また、“持っていくもの”が増えた。
少々震える声で、奏汰が問う。
「……っ、お、れを、通報、する……?」
通報。普通ならばするかもしれない。だがあいにく、今の自分の環境は全くもって“普通”とは言えないし、この程度で奏汰を社会的に抹殺するなどそれこそ愚の骨頂だと修一は心中で断ずる。
「まさか……」
フフ、と無意識に乾いた笑いが漏れる。
こうなる可能性も考慮に入れていた。それでも奏汰の手料理という極上の餌に釣られて、彼のテリトリーに入り込んだのだ。後々どういう事態になるか分かっていながら。
だから、責められるべきは自分一人のみ。奏汰にも友にも全く責任はないのだ。それが連中に通じるかはともかくとして。通じなければ通じないで、手は考えてあるが。
(――だから、君が心配する必要はない)
無意識に、それでも本心は厳重に隠したままで、修一は奏汰に言う。
「……俺をレイプしたいのか、または逆レイプしたいのか……、それは、知らんが……」
ああ、眠気が強くなってきた。
「きみのりょうりが……くえると……」
そこで、心地よい眠気に修一は屈した。
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