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menu.2 後悔味の焼き鮭(1)
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チチチ、チュンチュン。
引かれた遮光カーテンの隙間から漏れてくる、外の光と雀の声。
朝を迎え、うっすらと明るい室内でもぞもぞと動く塊があった。
塊が乗っているのはクイーンサイズのベッドだった。白地にチャコールグレーのボタニカル柄羽毛布団が、低い男の呻き声とともに捲られる。
「……う……」
寝起き特有の気怠げな雰囲気を纏って、男――修一は身を起こす。
「……ここは、どこだ……?」
酒と薬が合わさったせいで気怠いが、不思議とどこか熟睡出来たような、そんな爽快さも感じる。少なくとも、思考は正常だ。痛みもない。
険しい顔で周囲を素早く見回す。薄暗いせいで室内の色彩は正しく判別できないが、何が置かれているのかは分かる。
ベッドレストのすぐ真上がカーテンの閉められた窓。ベッドの横にベッドチェスト。壁際にはクローゼットが配置されていてその扉は開けられていた。よくよく見ると、ハンガーポールに元から掛かっているだろう服は全て壁際に寄せられていて、出来た空間に修一の黒いカジュアルスーツが掛かっていた。
室内を観察していると、扉の方からふわりと美味しそうな香りが漂ってくるのに気づく。
「……? 出汁、の類か……?」
掛け布団をめくりながら起きあがる修一。その姿は寝苦しくないようにという配慮をされたのか、ワイシャツの第一ボタンが開けられ、スラックスは脱がされていた。
出汁の匂いを知覚した時点で、昨晩なにがあったのかを思い出していた。
【prism-butterfly】で飲んでいたところ、ファンになった料理動画クリエイター《奏汰》と知り合い、彼の招きに応じて家にあがったこと。
奏汰自らが作った料理を食する幸運にありつけたこと。
最後は酒のアルコールと奏汰自身が盛ったらしき薬の効果で寝入ってしまったこと。
気怠さ以外に特に異常は感じなかったため、クローゼット内、他の服が全て片側に寄せられ存在を強調されている
上下のうちスラックスを履き、ジャケットは腕にかけ、修一は部屋を出る。
ドアを開けた瞬間、ふわり、といい鰹だしの香りがダイレクトに朝の胃を刺激してきた。
朝日がふんだんに差し込むリビングダイニング。アイランドキッチンでは奏汰が手際よく動いている。
その光景がとても眩しく、修一は寝室のドアから動けずにいた。
……まるで、自分がとても汚らわしい存在だということを、改めて突きつけられたような。
次の瞬間、奏汰が明るい声で話しかけてきた。
「あ、起きたー?」
昨晩、このリビングダイニングであったことなどまるで意識していないような、朗らかな笑顔を浮かべて奏汰は片手鍋の蓋を閉じる。
「よく寝れた~? あのベッド、よく寝れるってめっちゃ評判なマットレス敷いてあるから、寝心地は悪くないと思うけど」
「あ、ああ……」
奏汰の態度に、修一は面食らう。
まさか薬を盛ってきた張本人、それも昨晩は怯えていたはずの彼が、明るい態度を崩さないのだ。
呆気にとられたままでいると、奏汰が苦笑した。壁面キッチン収納の真横にある引き戸を指さしながら言う。
「とりあえず、起きたんなら顔洗ってきなよ。僕はその間に朝ご飯用意しちゃうから」
朝ご飯。奏汰の朝ご飯。
修一にとってはすこぶる魅力的な単語を出され、少し心がそわついた。
そのままの心地で洗面脱衣所に入り、洗濯機の上におざなりにジャケットをかける。奏汰が使っているらしき洗顔料とハンドソープ、どちらを使うかかなり迷った末、ハンドソープを泡立て顔を洗う。
新品のタオルで顔を拭く。多少皮膚の突っ張りを感じるが、美容意識など特に持ち合わせていないので気に留めない。
ジャケットを羽織りながら洗面所から戻ってくると、奏汰がダイニングテーブル上に朝食を配膳していたところだった。
白米、ネギとなめこの味噌汁、ほうれん草のお浸し、焼き鮭、納豆、粕漬け。
「テキトーに作ったんだけどね~」
そう言いながら、昨晩と同じ席につく奏汰。それを聞きながら、修一は微かに目を見張った。
(……適当、なのか)
少なくとも修一にとっては、この献立はまったく適当なものとは思えなかった。
奏汰の動画を見るまでの数年間、まったく食に意味を感じなかったこともあるが、元々前職の時点であまり自炊をしたことがなかったのだ。
ましてや、朝から野菜を茹でたり魚を焼いたりなど、考えたこともなかったのだ。
ふと、正面からぱんっ、という軽い破裂音が聞こえた。
びくり、と身を竦ませると同時に、奏汰の「いただきます」という声が聞こえる。
(……手を合わせたのか)
逸る心臓を押さえ、修一も見よう見真似で軽く合掌する。
「……いただきます」
ぽつりと、呟きにも似た挨拶。だが奏汰は聞き逃さなかったらしい。どーぞ、と返答があった。
(……え?)
返答を耳が拾ったとき、どこかがぽっと灯ったような気がしたのだ。だがどこかが分からない。
思わず首を捻る修一。すると、味噌汁を啜っていた奏汰を視線を向けてきた。
「どしたの?」
「……いや」
幻覚か何かか。そう判断し修一は箸置きから箸を取る。
鉄の意志で、迷い箸をしそうな右手を何とか押しとどめ、焼き鮭に箸を入れる。適度に焼き色のついた身が割れると、隙間からふわりと湯気が立ちのぼる。
一口大に身を分け、摘んで口に運ぶ。おそらくスーパーで売られている塩鮭なのだろうが、奏汰が焼いたというだけで修一にとっては一流店の味になる。
ほうれん草のお浸しは、しゃきしゃきとした歯ごたえに、ゴマ和えの甘みとほうれん草に残っているほのかな苦みが芳醇な風味を与えてくれる。
味噌汁は鍋で一から出汁を取ったのだろうか。昨日の味噌玉味噌汁も十分に美味しかったが、この味噌汁も美味しい。輪切りのネギと味噌の風味、ナメコのつるりとした食感もいい。
納豆はあらかじめ白出汁か何かと混ぜ合わせたものを小鉢に盛ったようだった。納豆など実家にいた頃にしか食べたことがなかったが、意を決して小鉢に口をつける。小口切りのネギが食感・味ともにいいアクセントになってくれた。ネギがあると爽やかな風味になる。
粕漬けは相変わらず美味しい。白米とともに食べると塩気と甘みが混ざりあい、また違った美味しさが生まれる。
結局、それぞれを一口ずつ口にした頃には、修一の表情はまた弛まっていた。
それを見て奏汰は満足そうに笑う。
和やかな雰囲気で食事は進み、食後のほうじ茶を出された頃に、躊躇いがちに修一が切り出した。
引かれた遮光カーテンの隙間から漏れてくる、外の光と雀の声。
朝を迎え、うっすらと明るい室内でもぞもぞと動く塊があった。
塊が乗っているのはクイーンサイズのベッドだった。白地にチャコールグレーのボタニカル柄羽毛布団が、低い男の呻き声とともに捲られる。
「……う……」
寝起き特有の気怠げな雰囲気を纏って、男――修一は身を起こす。
「……ここは、どこだ……?」
酒と薬が合わさったせいで気怠いが、不思議とどこか熟睡出来たような、そんな爽快さも感じる。少なくとも、思考は正常だ。痛みもない。
険しい顔で周囲を素早く見回す。薄暗いせいで室内の色彩は正しく判別できないが、何が置かれているのかは分かる。
ベッドレストのすぐ真上がカーテンの閉められた窓。ベッドの横にベッドチェスト。壁際にはクローゼットが配置されていてその扉は開けられていた。よくよく見ると、ハンガーポールに元から掛かっているだろう服は全て壁際に寄せられていて、出来た空間に修一の黒いカジュアルスーツが掛かっていた。
室内を観察していると、扉の方からふわりと美味しそうな香りが漂ってくるのに気づく。
「……? 出汁、の類か……?」
掛け布団をめくりながら起きあがる修一。その姿は寝苦しくないようにという配慮をされたのか、ワイシャツの第一ボタンが開けられ、スラックスは脱がされていた。
出汁の匂いを知覚した時点で、昨晩なにがあったのかを思い出していた。
【prism-butterfly】で飲んでいたところ、ファンになった料理動画クリエイター《奏汰》と知り合い、彼の招きに応じて家にあがったこと。
奏汰自らが作った料理を食する幸運にありつけたこと。
最後は酒のアルコールと奏汰自身が盛ったらしき薬の効果で寝入ってしまったこと。
気怠さ以外に特に異常は感じなかったため、クローゼット内、他の服が全て片側に寄せられ存在を強調されている
上下のうちスラックスを履き、ジャケットは腕にかけ、修一は部屋を出る。
ドアを開けた瞬間、ふわり、といい鰹だしの香りがダイレクトに朝の胃を刺激してきた。
朝日がふんだんに差し込むリビングダイニング。アイランドキッチンでは奏汰が手際よく動いている。
その光景がとても眩しく、修一は寝室のドアから動けずにいた。
……まるで、自分がとても汚らわしい存在だということを、改めて突きつけられたような。
次の瞬間、奏汰が明るい声で話しかけてきた。
「あ、起きたー?」
昨晩、このリビングダイニングであったことなどまるで意識していないような、朗らかな笑顔を浮かべて奏汰は片手鍋の蓋を閉じる。
「よく寝れた~? あのベッド、よく寝れるってめっちゃ評判なマットレス敷いてあるから、寝心地は悪くないと思うけど」
「あ、ああ……」
奏汰の態度に、修一は面食らう。
まさか薬を盛ってきた張本人、それも昨晩は怯えていたはずの彼が、明るい態度を崩さないのだ。
呆気にとられたままでいると、奏汰が苦笑した。壁面キッチン収納の真横にある引き戸を指さしながら言う。
「とりあえず、起きたんなら顔洗ってきなよ。僕はその間に朝ご飯用意しちゃうから」
朝ご飯。奏汰の朝ご飯。
修一にとってはすこぶる魅力的な単語を出され、少し心がそわついた。
そのままの心地で洗面脱衣所に入り、洗濯機の上におざなりにジャケットをかける。奏汰が使っているらしき洗顔料とハンドソープ、どちらを使うかかなり迷った末、ハンドソープを泡立て顔を洗う。
新品のタオルで顔を拭く。多少皮膚の突っ張りを感じるが、美容意識など特に持ち合わせていないので気に留めない。
ジャケットを羽織りながら洗面所から戻ってくると、奏汰がダイニングテーブル上に朝食を配膳していたところだった。
白米、ネギとなめこの味噌汁、ほうれん草のお浸し、焼き鮭、納豆、粕漬け。
「テキトーに作ったんだけどね~」
そう言いながら、昨晩と同じ席につく奏汰。それを聞きながら、修一は微かに目を見張った。
(……適当、なのか)
少なくとも修一にとっては、この献立はまったく適当なものとは思えなかった。
奏汰の動画を見るまでの数年間、まったく食に意味を感じなかったこともあるが、元々前職の時点であまり自炊をしたことがなかったのだ。
ましてや、朝から野菜を茹でたり魚を焼いたりなど、考えたこともなかったのだ。
ふと、正面からぱんっ、という軽い破裂音が聞こえた。
びくり、と身を竦ませると同時に、奏汰の「いただきます」という声が聞こえる。
(……手を合わせたのか)
逸る心臓を押さえ、修一も見よう見真似で軽く合掌する。
「……いただきます」
ぽつりと、呟きにも似た挨拶。だが奏汰は聞き逃さなかったらしい。どーぞ、と返答があった。
(……え?)
返答を耳が拾ったとき、どこかがぽっと灯ったような気がしたのだ。だがどこかが分からない。
思わず首を捻る修一。すると、味噌汁を啜っていた奏汰を視線を向けてきた。
「どしたの?」
「……いや」
幻覚か何かか。そう判断し修一は箸置きから箸を取る。
鉄の意志で、迷い箸をしそうな右手を何とか押しとどめ、焼き鮭に箸を入れる。適度に焼き色のついた身が割れると、隙間からふわりと湯気が立ちのぼる。
一口大に身を分け、摘んで口に運ぶ。おそらくスーパーで売られている塩鮭なのだろうが、奏汰が焼いたというだけで修一にとっては一流店の味になる。
ほうれん草のお浸しは、しゃきしゃきとした歯ごたえに、ゴマ和えの甘みとほうれん草に残っているほのかな苦みが芳醇な風味を与えてくれる。
味噌汁は鍋で一から出汁を取ったのだろうか。昨日の味噌玉味噌汁も十分に美味しかったが、この味噌汁も美味しい。輪切りのネギと味噌の風味、ナメコのつるりとした食感もいい。
納豆はあらかじめ白出汁か何かと混ぜ合わせたものを小鉢に盛ったようだった。納豆など実家にいた頃にしか食べたことがなかったが、意を決して小鉢に口をつける。小口切りのネギが食感・味ともにいいアクセントになってくれた。ネギがあると爽やかな風味になる。
粕漬けは相変わらず美味しい。白米とともに食べると塩気と甘みが混ざりあい、また違った美味しさが生まれる。
結局、それぞれを一口ずつ口にした頃には、修一の表情はまた弛まっていた。
それを見て奏汰は満足そうに笑う。
和やかな雰囲気で食事は進み、食後のほうじ茶を出された頃に、躊躇いがちに修一が切り出した。
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