私の恋は前世から!

黒鉦サクヤ

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第一章 幸せになっても良いですか

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 屋敷に戻り、待機していた者たちに従者の方々の案内を任せると、私はヴィルヘルム様を応接室へと誘った。お父様たちとの挨拶の前に、転生以外のすべてを話しておきたい。
 向かい合って座った私たちの目の前に茶菓子と紅茶を置くと、私の専属メイドであるレラは端の方に控えた。二つに分けて編み込んだ金の髪をひとまとめにしたレラは、清楚で大人しそうに見える。しかし、言いたいことがすぐ口に出てしまう気の強いタイプだ。私にも率直な意見をくれるし、口も硬く気に入っている。
 時間もあまりないので、私は早速本題に入ることにした。

「お疲れのところ申し訳ありません。今回のお話を進める前に、どうしても直接お話しておきたいことがあるのです」
「話を聞こう」

 そう言いながら、ヴィルヘルム様がレラを気にしていることに気が付いた。私は二人きりで話しても良かったのだが、結婚前の男女が密室にこもるのはよくない、とレラに諭され同席してもらっている。

「内密の話をという場ですが、レラは私専属のメイドで口も硬いのでお気になさらず」
「そういうことならば問題ない。二人きりの方が問題視されてしまうだろうし」
「感謝いたします。あの、早速ですが今からする話ですけれど、もしそれを聞いて今回の話がなかったことになっても仕方が無いと思っています。この婚約が王命と考えておられると思いますが、もし破談となっても誰にも迷惑がかからないようになっています。ですので、受け入れられないという場合は、きっぱりと断っていただきたいと思います」

 私はヴィルヘルム様を真っ直ぐ見つめ、しっかりと告げる。
 これはとても大事なことだ。ヴィルヘルム様がこの婚約を望まないならば、私は身を引く覚悟ができている。
 ヴィルヘルム様も目が隠れて見えないけれど、私を見つめている。
 その時、部屋に張り詰めていた空気が和らいだ。ヴィルヘルム様の口元が上がっている。

「まず、話を聞かないことにはなんとも。……良い香りだ」

 場を和ませようとしてくれたのだろう。カップを手にし、ヴィルヘルム様は紅茶を嚥下する。私はその優しさに笑みを浮かべながら、お願いを一つだけ口にした。

「分かりました。ただ、これだけは約束してくださいますか。もし、婚約へと至らなかった場合も、今ここでした話は胸に秘めておいていただけますでしょうか。国に関係することなのです」
「約束しよう」
「ありがとうございます」

 即答したヴィルヘルム様に微笑んだ私は、自分の持つ力のことを話し始める。

「この子のことを覚えてますでしょうか」

 悪戯な笑みを浮かべ、私は自分の影に向かって声をかけた。キヴィ、と名を呼ぶと、そこから白い虎のような生きものが飛び出した。
 突然のことにヴィルヘルム様は身構えるけれど、端に控えたままのレラと喉を鳴らし私に懐く生きものを交互に眺め警戒を緩める。
 ヴィルヘルム様も辺境伯領で見掛けたことがある、オタッカルと呼ばれる大型の魔獣だ。白い虎のような姿で、額にはイッカクのような一本の角が生えている。気性の荒い攻撃的な魔獣だけれど私にはよく懐いていて、虎ほどの大きさの猫が飼い主に甘えているように見えるだろう。
 さて、ヴィルヘルム様は思い出すだろうか。
 たった一度、森の中で出会い、変な質問をした少女のことを。

「やはりあの時の少女はあなたか」

 くつくつと笑いながら、ヴィルヘルム様は続ける。覚えていてくれたことに胸が温かくなった。

「赤髪の少女が近くにいるかどうかをこっそり調べたことがあった。まさか魔獣に乗っていたとは言えないし、質問も質問だったから他の者に話すこともできずにいたが……長年の謎が解けてすっきりした」
「あの時はご挨拶もせず、失礼いたしました。他の方に見つかってはと思い、質問だけして逃げてしまいました。私はあの時、あの解答を聞くことができて、とても嬉しかったのです」

 キヴィの頭を優しく撫で立ち上がると、ヴィルヘルム様に優雅にお辞儀をした。

「改めてお礼を。ありがとうございました。あの時、私は救われました」

 魔獣と日々戦っている人物からしたら、今目の前の魔獣に懐かれる私の姿は夢のような光景だろう。魔獣との意思疎通はできないと言われていたし、実際、目を合わせた瞬間に襲われる。
 懐く魔獣を見たこともないのにも関わらず、私がした『もし、魔獣と共存できる未来がくるとしたら、あなたはそれを受け入れることができますか』という問いにあんな風に答えてくれたのだ。『もし本当にそんな日が来たら、それは人間にとっても魔獣にとっても喜ばしいことだと思う』と言ってくれた。私はその言葉が本当に嬉しかった。
 私が席に着くと、キヴィは私の足元に伏せる。魔獣ではなく飼い猫のようだ。

「ご覧の通り、私は魔獣に好かれるのです。意思の疎通もできますし、近場の魔獣の意識も拾ってしまいます。辺境伯領のすぐ隣なのに、こちらで魔獣被害が少ないのをおかしいと思いませんでしたか」
「薄々何かあるとは思っていたが……」
「えぇ、ヴィルヘルム様が思っている通り、私が魔獣たちに森から出ないように伝えました。魔獣たちは、森や谷など人が入り込まない場所であれば魔獣同士が狩りをし、狩られる関係性ができているので人間と関わりを持たずに生きることができます。ですから、辺境伯領の子たちにも、森の中に侵入されない内は人間に手を出さないように言っていました」
「確かにここ何年も報告があったのは森の中で襲われたというものばかりだった」

 お解りになったでしょう、と私は申し訳ない気持ちになりながら告げる。

「私のこの能力は、魔獣に脅かされるどの国も喉から手が出るほど欲しいものです。公にして魔獣を森の中へ留めておくことも、人間にもむやみに魔獣の生活区域に入らないように伝えることもできました。ですが、それをしてしまうと……」
「便利な力を独占していると、戦争の火種となってしまうということか」
「そうです。ここは元は他の方の土地でしたが、私が少しでも被害を減らしたくて国王陛下に無理を言って魔獣の多いこちらの土地に移りました。おこがましくも魔獣と人々の両方を守りたいと願ったものの、自分の至らなさを実感するだけでしたけれど」

 そこまで告げたところで、ヴィルヘルム様が私を遮り言葉を紡ぐ。彼の表情が見えないことが怖いと思ったのは初めてだった。声も淡々としていて、感情を探ることができない。

「今までのことを後悔しているということか」

 ヴィルヘルム様が怒っても当然だと私は思う。できる限りのことはやったつもりだったけれど、公にできずとも、もっとうまく助ける方法があったかもしれない。ヴィルヘルム様が危険にさらされることもなかったかもしれない。でも、不器用なりに最善を尽くした。

「いいえ。もし至らぬ点があったとしても、それを忘れず胸に刻み、より良い未来になるよう前へ進むことしかできません。国王陛下とも何度も協議し、私の力を上手く使えるのが妃になることだったのですがその望みも消え失せました。そこで白羽の矢が立てられたのが、ヴィルヘルム様です。私が国王陛下に我が儘を言いました。ヴィルヘルム様の元へ嫁がせて欲しいと。幼い私にも誠実に答えてくれたヴィルヘルム様なら、何があっても安心できると思ったのです」

 巻き込んでしまい申し訳ありません、と私は俯いた。顔が見えなくても、先ほどのように真っ直ぐ見つめることができなかった。後悔しているかと聞かれた、感情のない声が怖かった。嫌われることは覚悟していたけれど、ここに生まれる前からずっと好きだったヴィルヘルム様に失望され、要らないと思われるのが震えるほど怖かった。
 私がエステリにならなければ失望されなかったかもしれないと考えるだけで、この世界でしっかり生きようと思ったのに消えてしまいたくなる。自分の行動のせいで、好きな子がこれまた好きな人にがっかりされてしまうなんて悲しすぎた。
 こんなにメンタルが弱かったなんて、と俯いたまま私は小さく息を吐く。
 その時、隣から柔らかい声が降ってきた。

「顔を上げて」

 その声に導かれて視線を上げると、先ほどまで私の目の前に座っていたヴィルヘルム様は私の隣に立っていた。
 見上げる形になって、ヴィルヘルム様の表情が少し見える。怒ってはいなかった。ほんの少し困ったような顔をしている。切れ長の瞳が澄んでてきれいだな、なんてことを考え、今はそんなことしてる場合ではないと頭の隅に追いやる。

「先ほどから聞いていると、人々と魔獣のために身を削っている印象なんだが、そこにエステリ嬢の幸せはあるのか」
「私の幸せ?」
「ああ。前にも答えたが人々と魔獣たちが共存する世界というのもを作れるなら、それはとても素晴らしいことだと思う。それを実現するために俺と婚約したいということも分かった。でも、その幸せの中にエステリ嬢の心が感じられなかった。自分の身を犠牲にして築く他者の幸せというのもあるだろう。しかし、婚約、そして結婚というものはお互いに幸せにならないと空しい関係だと思う」

 ああ、ヴィルヘルム様は本当に優しい。
 こんなことを言われたら、私だけではなくゲームの中のエステリも嬉しいに決まっている。
 きっと、そこに私の幸せがないと分かったら婚約を破棄するのだろう。
 でも、私はヴィルヘルム様のことが前世から大好きなのだ。この世界に来て、ヴィルヘルム様の言葉に救われたというのも本当だ。私がヴィルヘルム様と結婚して幸せを感じないなんて、そんな未来はない。私が好きでもないのに他者の幸せのために婚約したがっていると誤解され、婚約に至らないのは困る。

「私、初めて会った時からヴィルヘルム様のことをお慕いしていました」

 本当は前世からだけど。
 この世界に来て言葉を交わして、さらに好きってなったから嘘ではない。
 私の突然の告白に、ヴィルヘルム様は驚いたのかちょっと出ている耳が赤い。え、これは可愛い。

「幸せかどうかってことなら、私は誰よりも幸せになれると思います。そもそもの前提が違うんです。皇太子殿下と婚約しておきながらこんなことを言うのは不敬で不誠実だと思われそうですが、私はヴィルヘルム様のことが好きだったので自分の意思で婚約を希望しました。もちろん、人々と魔獣が共存する世界を作りたいというのも本心なんですけど」

 言い終えた私はすっきりとした表情でヴィルヘルム様を見つめた。真っ赤な耳ってことは、よく見えない顔も赤いのだろう。照れてる顔を、長い前髪越しではなく見たいな。
 そんなことを思っていたらヴィルヘルム様の向こう側に見えるレラが、顔を引き締めろ、と鬼のような形相をしていた。照れたヴィルヘルム様に興奮しすぎてすみません。
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