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第二章
001
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婚約式を終えてからの私は、多忙を極めていた。
嫁ぎ先が隣の領地だとはいえ、私には色々と秘密がある。それが問題だった。
すぐにでも辺境伯領に向かい、ヴィルヘルム様たちに合流して魔獣の管理を行いたいところだったけれどそうもいかない。秘密にしなければならないものの関係で、なかなか準備が進まないのだ。
その秘密の一つである屋敷裏にある竜舎。これ一つとってもとても難しい問題で、頭を悩ませていた。いくら竜に強く言い聞かせたとしても、万が一ということはある。私以外に彼らの世話ができても、何かあったときに落ち着かせることができるのは私だけだ。暴れた場合などの対処を考えると頭が痛い。辺境伯領地にも竜舎はあるだろうけれど、できれば我が領地にも置いておきたいし。国王陛下は知っているけれど、他の貴族たちは知らない移動手段なのだ。いつか使う日が来るかもしれない。非常時のために、手札は多く持っていたほうがいいと思う。
とにかく竜が暴れたとき用に何か対策をしておかないと、と思案しながら、私は右手の薬指にはめられた指輪を見つめる。自然と口元が緩んでしまうのは仕方ない。指輪を眺める度に、ヴィルヘルム様の存在を思い出してしまうからだ。
髭面で顔もよく分からない彼に、前世の私は恋をした。確か、難しい漢字の恋は『糸しい、糸しい、言う心』って書くんだっけ、と前世の記憶を思い出す。転生してからもヴィルヘルム様のことを思い出すと、愛しいという気持ちが胸にあふれた。よく笑うところも、優しいところも、竜を大切に扱うところも、私を思いやってくれるところもぜんぶ愛おしい。エステリを幸せにしてくれる人というのが嘘ではなく本当の事なのだと感じられて、前世からの気持ちを引き継いだ私は笑顔になる。幸せな気持ちを指輪を見て思い出すのだ。
「お茶の準備ができました」
レラが休憩の時間を告げる。夢中になっているとよく時間を忘れてしまうので、周りにいる人物が率先して知らせてくれるようになった。直そうとは思っているんだけれど、毎度面倒をかけて本当に申し訳ない気持ちになる。
「ええ、ありがとう。いただくわ」
少し気分転換してから竜舎のことを考えようと、私はレラの淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。花のような芳香が立ち上るそれは、口に含んでも渋さはほとんどなくて爽やかな風味を感じる。私好みの紅茶だった。私の好みを知り尽くしているレラだからこそ淹れられるお茶だ。
「美味しい」
私は笑顔で楽しいひと時を過ごしていた。部屋に慌てた様子のメイドが駆け込んでくるまでは。
「お、お嬢様! 申し訳ありません! あの、えっと……」
「一度落ち着いて」
はい、と頷いたメイドのキャシーは茶色の髪を揺らしながら大きく息を吸う。三度ほど深呼吸をすると落ち着いたのか、話しだした。
「皇太子殿下……いえ、ヨエル様がご友人と共に……」
キャシーが言い直したのは、つい先日、国王陛下からバカ王子をようやく廃嫡したとの知らせを受けたからだ。どうやら私の告げ口が、迷っていた国王陛下の背中を押してしまったらしい。
その知らせから二日。王都からここまでかかる日数と同じだ。もしかして、廃太子は王都からわざわざ文句を言うために友人各位を引き連れ、こんな僻地までやってきたというのだろうか。
「頭が悪すぎる」
思わず口から本音が漏れてしまった。でも、私の側でおかわりの紅茶を淹れてくれていたレラも、報告をしていたキャシーも呆れたように頷いてくれた。深いため息を吐いた私は言葉を紡ぐ。
「ヨエル様が私に会わせろと言ってるのね」
「はい。お約束もないため難しいと伝えても引いてくださらず……」
どうして忙しいときに限って問題が起きるのだろう。思わず頭を抱えてしまう。
突然、約束もなしに押し掛けて来るのはマナー違反だ。それくらいのことは分かりそうなものだったけれど、頭に血が上っているのか、イーナ嬢に唆されたのかもしれない。なんにせよ、もう正常な判断もできなくなっているのだろう。
「会えるまで帰らない、とおっしゃっていて……」
「そのまま放置してても良さそうだけれど。なんでかしらね。私に執着なんてしていないのに、婚約式もだけれどどうしてわざわざここまでやってくるのかしら」
無意識に助けて欲しくて来ているなら可愛げがあるけれど、吐かれる言葉を聞いている限りではそんなことはないと思う。
もう諦めてはいるけれど、私だって暴言を吐かれれば傷つくのだ。その度に、せっかく良い思い出の中にいる彼まで嫌いになりそうで怖い。
「お父様とお母様は王都へ呼ばれているし、今日はお兄様たちも外に出てるんだったわね。ここには判断できる者が私しかいないのね」
「はい。申し訳ありません」
あなたが謝ることじゃないわ、と言ったものの、ヨエル様にとっては勝手知ったる屋敷の中、執事を振り切りここまで来るのも時間の問題だ。マナー違反どころの話ではないし、廃太子となった現在の地位は平民と変わらない。皇太子の地位ならばともかく、今は厳罰に処されてもおかしくはない。位がどうのこうのと言いたくはないけれど、ここは貴族社会なのだ。すべて剥奪されたヨエル様は、自分の現状に気づいているのだろうか。
そんな私の心配をよそに、ヨエル様は扉を開け怒鳴り込んできた。思わず死んだ魚のような眼差しを送ってしまったけれど、続いて入ってきたヨエル様の友人各位の顔を眺めため息が漏れる。ゲームの攻略対象者勢揃いプラス、ヒロインのイーナ嬢だ。特盛りすぎて胸焼けがする。
あ、間違いだった。ここに、ヴィルヘルム様はいなかった。良かった。いたら泣いてしまう。
思わず現実逃避仕掛けたけれど、ヨエル様の声で現実に引き戻された。
「どうしてこうなった!」
「はぁ?」
いけない。ヨエル様の第一声に心の声が漏れてしまう。必死にその後に続く、どうしたもこうしたもあなた様の行いのせいだと思いますけれど、という言葉を飲み込んで、私はヨエル様たちと対峙した。
嫁ぎ先が隣の領地だとはいえ、私には色々と秘密がある。それが問題だった。
すぐにでも辺境伯領に向かい、ヴィルヘルム様たちに合流して魔獣の管理を行いたいところだったけれどそうもいかない。秘密にしなければならないものの関係で、なかなか準備が進まないのだ。
その秘密の一つである屋敷裏にある竜舎。これ一つとってもとても難しい問題で、頭を悩ませていた。いくら竜に強く言い聞かせたとしても、万が一ということはある。私以外に彼らの世話ができても、何かあったときに落ち着かせることができるのは私だけだ。暴れた場合などの対処を考えると頭が痛い。辺境伯領地にも竜舎はあるだろうけれど、できれば我が領地にも置いておきたいし。国王陛下は知っているけれど、他の貴族たちは知らない移動手段なのだ。いつか使う日が来るかもしれない。非常時のために、手札は多く持っていたほうがいいと思う。
とにかく竜が暴れたとき用に何か対策をしておかないと、と思案しながら、私は右手の薬指にはめられた指輪を見つめる。自然と口元が緩んでしまうのは仕方ない。指輪を眺める度に、ヴィルヘルム様の存在を思い出してしまうからだ。
髭面で顔もよく分からない彼に、前世の私は恋をした。確か、難しい漢字の恋は『糸しい、糸しい、言う心』って書くんだっけ、と前世の記憶を思い出す。転生してからもヴィルヘルム様のことを思い出すと、愛しいという気持ちが胸にあふれた。よく笑うところも、優しいところも、竜を大切に扱うところも、私を思いやってくれるところもぜんぶ愛おしい。エステリを幸せにしてくれる人というのが嘘ではなく本当の事なのだと感じられて、前世からの気持ちを引き継いだ私は笑顔になる。幸せな気持ちを指輪を見て思い出すのだ。
「お茶の準備ができました」
レラが休憩の時間を告げる。夢中になっているとよく時間を忘れてしまうので、周りにいる人物が率先して知らせてくれるようになった。直そうとは思っているんだけれど、毎度面倒をかけて本当に申し訳ない気持ちになる。
「ええ、ありがとう。いただくわ」
少し気分転換してから竜舎のことを考えようと、私はレラの淹れてくれた紅茶を口に運ぶ。花のような芳香が立ち上るそれは、口に含んでも渋さはほとんどなくて爽やかな風味を感じる。私好みの紅茶だった。私の好みを知り尽くしているレラだからこそ淹れられるお茶だ。
「美味しい」
私は笑顔で楽しいひと時を過ごしていた。部屋に慌てた様子のメイドが駆け込んでくるまでは。
「お、お嬢様! 申し訳ありません! あの、えっと……」
「一度落ち着いて」
はい、と頷いたメイドのキャシーは茶色の髪を揺らしながら大きく息を吸う。三度ほど深呼吸をすると落ち着いたのか、話しだした。
「皇太子殿下……いえ、ヨエル様がご友人と共に……」
キャシーが言い直したのは、つい先日、国王陛下からバカ王子をようやく廃嫡したとの知らせを受けたからだ。どうやら私の告げ口が、迷っていた国王陛下の背中を押してしまったらしい。
その知らせから二日。王都からここまでかかる日数と同じだ。もしかして、廃太子は王都からわざわざ文句を言うために友人各位を引き連れ、こんな僻地までやってきたというのだろうか。
「頭が悪すぎる」
思わず口から本音が漏れてしまった。でも、私の側でおかわりの紅茶を淹れてくれていたレラも、報告をしていたキャシーも呆れたように頷いてくれた。深いため息を吐いた私は言葉を紡ぐ。
「ヨエル様が私に会わせろと言ってるのね」
「はい。お約束もないため難しいと伝えても引いてくださらず……」
どうして忙しいときに限って問題が起きるのだろう。思わず頭を抱えてしまう。
突然、約束もなしに押し掛けて来るのはマナー違反だ。それくらいのことは分かりそうなものだったけれど、頭に血が上っているのか、イーナ嬢に唆されたのかもしれない。なんにせよ、もう正常な判断もできなくなっているのだろう。
「会えるまで帰らない、とおっしゃっていて……」
「そのまま放置してても良さそうだけれど。なんでかしらね。私に執着なんてしていないのに、婚約式もだけれどどうしてわざわざここまでやってくるのかしら」
無意識に助けて欲しくて来ているなら可愛げがあるけれど、吐かれる言葉を聞いている限りではそんなことはないと思う。
もう諦めてはいるけれど、私だって暴言を吐かれれば傷つくのだ。その度に、せっかく良い思い出の中にいる彼まで嫌いになりそうで怖い。
「お父様とお母様は王都へ呼ばれているし、今日はお兄様たちも外に出てるんだったわね。ここには判断できる者が私しかいないのね」
「はい。申し訳ありません」
あなたが謝ることじゃないわ、と言ったものの、ヨエル様にとっては勝手知ったる屋敷の中、執事を振り切りここまで来るのも時間の問題だ。マナー違反どころの話ではないし、廃太子となった現在の地位は平民と変わらない。皇太子の地位ならばともかく、今は厳罰に処されてもおかしくはない。位がどうのこうのと言いたくはないけれど、ここは貴族社会なのだ。すべて剥奪されたヨエル様は、自分の現状に気づいているのだろうか。
そんな私の心配をよそに、ヨエル様は扉を開け怒鳴り込んできた。思わず死んだ魚のような眼差しを送ってしまったけれど、続いて入ってきたヨエル様の友人各位の顔を眺めため息が漏れる。ゲームの攻略対象者勢揃いプラス、ヒロインのイーナ嬢だ。特盛りすぎて胸焼けがする。
あ、間違いだった。ここに、ヴィルヘルム様はいなかった。良かった。いたら泣いてしまう。
思わず現実逃避仕掛けたけれど、ヨエル様の声で現実に引き戻された。
「どうしてこうなった!」
「はぁ?」
いけない。ヨエル様の第一声に心の声が漏れてしまう。必死にその後に続く、どうしたもこうしたもあなた様の行いのせいだと思いますけれど、という言葉を飲み込んで、私はヨエル様たちと対峙した。
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