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出会い編

3.オッドアイレディ

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何事も無かったように横たわる女性を見ながら、獅朗シーランは一瞬だけ見えた女性の目を思い浮かべる。

片方が薄い茶色で片方が薄い緑色の目をしていた。色違いの両眼。それを何と言うんだっけな?・・・あぁ、思い出した。オッドアイだ。そんなことを考えていると、遠くからジンの声が聴こえてきたような気がしてふと我に返る。


「ジン、いけない。伏せ。」


前世が救助犬だったのかは知らないが、ずっと吠え続ける愛犬に静かに言葉をかけると、聞き分けの良い犬は獅朗に従い吠えるのをやめ、身体を伏せる。


「こっちにおいで。あっちで遊ぼう」


背中に背負ったリュックからフリスビーを取り出すと愛犬にチラりと見せる。とたんにジンが顔を輝かせ、女性をチラリと一瞥するとその後は振り返りもせずに、走り出した獅朗を追って駆け出した。




………


やれやれ。

美云ミウンは今さっきのできごとを思い出しながらため息をつく。


朝早い時間に登頂して山頂から下界を見下ろす楽しみを独り占めしていたのも束の間。別ルートから登ってきた老人会の集団に捕まり、騒々しいと言っていいほどのにぎやかな朝食会に無理矢理招待された。


いつもの美云なら老人会のひとつやふたつ喜んで参加していただろうけど、今日はどうにもそんな気分になれなかった。

老人会の集団がそれではと去って行ってホッと一息、昼寝ならぬ朝寝をしていたら今度は犬に吠えられ靴下を脱がされそうになり、いったい今日はどんな日なんだとここに来てしまった自分を呪う。


しかも犬の飼い主ときたら、とんだイケメンだった。国を傾かせるほどの美男子ぶりではないものの、あの男性が笑顔でみつめればきっと相手の女性は子どもだろうが老人だろうが恋してしまうだろう。そんな優男風を吹かせた男性だ。


どうにも心がささくれていた美云はいつもはしないようなぶっきらぼうな態度で男性に接し、おまけに八つ当たりまでしてしまった。

ああその通り。罪を認めましょう。

普段ならまるで空気のように存在感を消し上手く対応できるのに。


頭の中でありとあらゆる汚い言葉を思い出しては吐き出し、吐き出し足りなくなると英語やスペイン語で思い付く限り吐き出し怒りをクリアにする。


そろそろ下山するか。こそこそと逃げたい気持ちは無くはないけれど、それは自分の良心が許さない。だから一言謝ってから下山しよう。


そう決めると心が軽くなり、思いっきり反動をつけて起き上がる。

脱いだ靴はどこにいっかのかとキョロキョロ見回すと、なぜかあさっての方向に転がっている。

きっと犯人はあの四つ足の生き物だろうけど決定的な瞬間は見ていないため、証拠不十分で罪を追求するのはよしておこう。

さっき謝るって決めたばかりなのだから。


ため息をひとつ吐くと靴を履きだした。




………


獅朗はジンの遊びに付き合いながら女性のほうにたびたび注意を向けていた。

あまり顔色が良くなかったように見えたので、もし急に体調不良になって身動きが取れなくなったら、と心配したからだ。


もし本当に体調が悪い場合は背負って下山できるだろうか?でももしかしたら下山途中に共倒れになるかもしれないから、できれば女性には元気なままでいて欲しい。


それと・・・女性に対して少しの好奇心もあった。


そんなことを考えていると、女性が起き出す気配がした。

起き出してキョロキョロしている女性を静かに観察する。

水筒を持ち上げてひとくち飲むとサングラスを掛けた。


ふと空を仰ぐとだいぶ太陽が昇っていた。まぶしい太陽の光に獅朗が目を向けている時だった。


「あの。」


少し遠慮がちな女性の声が聞こえた。

視線を太陽から声が聞こえた方へ向けると、女性が少し離れた場所に立っていた。


「先ほどはきつい言い方をしてすみませんでした。私はもう下山しますので、どうぞワンちゃんと一緒にお二人の時間を楽しんで下さい。」


ペコリとお辞儀をすると、女性は獅朗が登ってきたルートの方へ歩いて行った。


謝られると思ってなかった獅朗は女性を意外に思いつつも、実際は飼い犬のジンが彼女の朝寝を邪魔したわけだし・・・あれ?ジンどこ行った?


さっきまで楽しそうにフリスビーで遊んでいたジンの姿が見えなくなっていた。そんなに遠くにフリスビーは飛ばしていなかったのに、フリスビーを咥えてどこに行ったのかと訝る。


ふと、もしやと思い登ってきたルートまで見に行ってみると、女性の後を追ってフリスビーを咥えたジンがトコトコと付いて行く姿が見えた。


「ジンッ!!」


獅朗が叫ぶとジンが振り向き、えっ?と驚いた顔をした女性(実際はサングラスをしていてわからないけど)も振り向く。


それでジンが戻ってくるかと思えば全くの逆で、ジンは嬉しそうにお尻を振りながら女性の方へ走って行ってしまった。


犬のくせに女たらしか?!

慌てた獅朗は置きっぱなしにしていたリュックをひっ掴むと、ひとりと一匹を追って下山することにした。

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