シンデレラの物語

柚月 明莉

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第4話

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およそ1時間後。
シンデレラは、天を仰ぎたくなっていました。

穴があったら入りたい!

そんな気分を初めて抱いていました。



(──どうしよう!)



そんなシンデレラの目前に立っているのは、1人の美丈夫。

濃い紺色の髪は肩上で短く切り揃えられ、それが一分の乱れも無く、綺麗に整えられています。

真っ直ぐにシンデレラを見つめる瞳は、鮮やかな黄金。

彼の耳元を飾るピアスと同じ色ですが、これは他にも意味のある色です。

この王国でそれを有するのは、ごく限られた人達だけ。

そうです、つまり彼は──。



(お、おおお、王子様じゃないか~!!)



頭を抱えてしゃがみこみたい!

内心の言葉を大にして叫びたい!

謝罪の為に土下座したい!



顔から火が出そうになるのをぐっと抑え、シンデレラはにこりと微笑みました。

さすが10年も己を偽ってきただけはあります。

その笑顔は美しく、鉄壁の防御でした。

けれども内心では冷や汗が止まるところを知らない、正しく戦々恐々状態でした。



(あぁもう助けて魔法使いさん!!)









お城に到着してすぐに、シンデレラは舞踏会の会場へ放り出されました。

文字通り、ぽいっと。

黒の魔法使いからの、達成感に満ち溢れた爽やかな笑顔と、「ほいじゃ、頑張ってね~☆」という台詞と共に。

あっさり置いて行かれたのです。

会場内に面識のある人物など居ないシンデレラは驚愕するのと同時に、途方に暮れました。万一義母達に見付かれば、えらいことです。

どうしよう!と、取り敢えず、隅っこへ……!

そう思い至ったところで、声を掛けられました。



「こんばんは、お美しい方。今夜お目にかかれた記念に、1曲ご一緒して頂けますか?」



惚れ惚れする程に、深く落ち着いたテノール。

声を掛けられるなど思ってもいなかったので、内心驚きつつも振り返り、挨拶を返します。

そしてダンスのお誘いをやんわり断ろうと言葉を並べましたが、青年に手を取られ、1曲だけ、とホールへ足を向けました。

その間、ずっと会場が静まり返っていることに、シンデレラはまだ気付いていませんでした。



穏やかに流れる、ピアノやヴァイオリンの音色。

その中で、シンデレラは優雅に踊っています。
1曲だけ、と思っていましたし、そう告げてもいましたが、相手の青年はそれはもうダンスがお上手でした。

こんなに楽しいのは、久しぶりです。何だか気分が高揚して、小さく笑いました。

1曲だけのつもりが、気付けばもう1曲、もう1曲と、続けてしまっておりました。

ダンスが一区切りつき、少し飲み物でもと流れるような自然な動きでエスコートされ、テーブルへ移動してから。



(………………あれ?)



ふと、ようやく周囲に目が配れるようになったシンデレラ。

誰もが自分達を見つめて──いえ、そんな生易しいものではありません。皆が皆、自分達を凝視しています。

信じられない、と目を見開く者。

驚愕の余り、固まっている者。

青褪めて、愕然としている者。

ひそひそと話を交わす者。

多種多様な彼らの様子に、さすがにおかしいと気が付きます。

皆が注視しているのは、シンデレラの手を取る青年で──。



(………………あれ?)



そぅっと隣を見て、またも覚えた違和感。

この人、何処かで見たような……?

それも、きらびやかな場で。

例えば、王族のパレード、とか……。

……………………。

………………。



(……………………)



……………………。

………………。



はっ!!



目の前の青年が『誰』であるのか。

シンデレラはようやく、理解しました。

そして、事態は冒頭に戻ります。









(あぁもう助けて魔法使いさん!!)



背中を嫌な汗がだらだらと伝い落ちていきました。先程から止まることを知らぬ汗です。

顔で笑って、心で泣いて。

この場を如何に切り抜けるか、何とか必死に考えます。下手をしたら、偽証罪でしょうか……?



(そ、そそそれとも、不敬罪!?  だって性別を偽ってるんだし──)



逃げ道は無いか、そっと周囲を見回しました。

手にしたグラスが、かたかたと小刻みに揺れています。



「……如何なさいましたか?」



「──えっ!?」



「あぁ……少し顔色が悪い……。ご気分を悪くされましたか?」



心配そうに、優しく丁寧に尋ねる王子様。金色の瞳が、真っ直ぐに見つめてきます。



「……ぁ……」



そんな彼の様子に、シンデレラの胸中をもやもやした思いが占めていきます。言い様が無い程の、罪悪感です。

こんなにも親切に、良くしてくれている人を、自分は騙している──。



(…………──僕……は…………)



──と、その時。

さっと、足元を何かが走り抜けました。



「──っ!」



「…………──あっ!」



まるで小さな突風が駆けたように、あっという間にその場を去って行きました。

余りにも一瞬の出来事で、王子様も驚いて目を見開いています。けれど、それでもシンデレラを気遣って、バランスを崩しそうになったところを然り気無く支えてくれています。何て素晴らしい紳士でしょうか。



(……い、今の……!)



腰に腕を回し、自分を支えてくれている王子様にお礼を言いつつ、シンデレラはぱちぱちと目を瞬きました。今しがた駆け抜けていった黒い風は、ひょっとして──。



(ま、魔法使いさん……っ!!)



急いで突風の行く末を目で追えば、会場の向こう側にある出入り口へ。

パーティー会場を飾る、細やかな彫刻が施された扉──入退場する者の為に、大きく開け放ってあります──の前。

其処に果たして、黒い猫が座っているではありませんか!

ゆらゆらと細い尻尾を揺らし、ちょこんと座っている小さな黒猫。

先程自分達の足元を素早く縫って行ったのは、この猫で間違いありません。

猫は此方をじっと見据えています。心なしか、何だか笑っているふうにも見えます。

それから猫は、にゃおん。と一言鳴き。

そのまま会場の外へと、身を翻してしまいました。



(──待って!)



びっくりしたのはシンデレラです。追いかけなければと、慌ててドレスを掴み上げます。

いきなりそっぽを向いたかと思えば、走り出そうとしたシンデレラに、王子様もぎょっとしました。淑女にあるまじき行為だからです。



「──ま、待ってください!」



逃すまいと、急いでその繊手を捕らえます。手を取られ、シンデレラは王子様に顔を向けました。



「申し訳ございません、もう行かなければ……!」



「もう行ってしまわれるのですか……?  せめて……せめて、お名前だけでも教えてください……!」



「わ……私、は──……」



──ごーん……ごーん……ごーん……。



鳴り響いた、荘厳な音。

夜の12時を知らせる、鐘の音です。



王子様もシンデレラも、思わずはっと時計台に目を向けます。

意識がそちらへ向いた為に、王子様の拘束の力が弱まりました。その隙を突いて、シンデレラはさっと抜け出します。



「……──あっ!」



「も、申し訳ございません、王子様……!」



シンデレラは、今にも泣き出しそうでした。涙で潤んだ瞳のまま王子様に淑女の礼で以て一礼し、急いで踵を返します。

おそらく魔法使いが変身しているであろう黒い猫を、見失っては大変です。

かつかつと靴音を響かせながら、階段を駆け下りて行きました。



(ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!)



舞踏会に行ってみたいなどと思わなければ。

憧れなど、抱かなければ。

こんな惨めな思いをしなくても済んだのに──……。



「──ぁっ!」



急いでいた為か、考え事をしていた為か。

階段の途中で、靴が片方、するりと脱げてしまいました。

黒の魔法使いが絶賛していた、ガラスの靴です。それが数段上の所で、きらきらと輝いています。

魔法で出してもらったとは言え、借りている物です。取りに戻らなければと意気込みましたが、階上から王子様が走って来るのが見えました。



(──!)



シンデレラは慌てて、そのまま階段を走り抜けます。魔法使いには後で謝ろうと考えながら、必死に足を動かしました。

空色の瞳から、涙がぽろぽろと溢れていきます。

こんなに泣くのは久しぶりです。無性に悲しくて、切なくて……。



「……ごめんなさい──……」







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