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特訓と能力
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飛鳥が獣人階層に来て数日が経った。
あの日から彼女はアクセルの家で間借りをしている。その理由は、飛鳥をはじめに見つけたアクセルが彼女の戦闘訓練の担当となったからだ。ーー烈兎の軍を繋階推進連合に引き入れるためには、まず飛鳥が烈兎の軍の奴隷解放で足を引っ張らないことが必須条件だ。そのため、ある程度の戦い方を教える必要があった。ーー
最初は家賃の代わりに家事全般をやると言い張った飛鳥だが、こちらの調味料やスパイスについて無知な彼女に料理はできっこなかったし、洗濯はお互い気まずいことにならないよう別々にすることになった。となると、飛鳥に出来ることは掃除とおつかいくらいだ。
しかしそのおつかいも、人攫いなどに目をつけられたら危険なためアクセルやギンに同行してもらいながらだ。
結局、飛鳥は家賃を払う術がないままアクセル宅に居候することになった。
ここ数日間の彼女の日程は、ひたすらトレーニングだ。午前中は走り込みや筋トレに勤しみ、午後から体術の訓練をする。体術はアクセルやギンとの組手がほとんどだがーー何故か、戦闘訓練には毎日のようにギンが顔を見せに来ていたーー、今日はロアがその相手だった。アクセル曰く「色々なタイプの奴と組手をすることが体術上達のカギだ」そうだ。
そしてアクセルに調味料の特徴などを教えてもらいながら昼食を作っているところに、彼はやってきた。家のベルが鳴る。
「お、来たな。」
「私出てくるね。」
「おう、頼むわ。」
キッチンのあるダイニングを出ると、昔アクセルの両親が営んでいたバーがある。その扉のベルが鳴ったのだ。バーは今は閉店している。飛鳥はその理由や、彼の両親が何処にいるのかなどは知らないでいた。まだそこを深掘りできるほどの仲ではないからだ。
ロアが扉を開けて突っ立っているのを見て、少々緊張する飛鳥。初めて会った時彼は体調不良で、どんな人となりなのかを知らないからだ。
「こんにちは。今日はわざわざありがとうございます。」
「いや、構わない。昼をご馳走になるしな。」
改めてその顔を見ると、中性的で整った顔立ちをしている。青いマッシュヘアと服から覗く青緑色の小さな鱗がより妖艶さを醸し出していた。
飛鳥は彼を一瞬観察したことがバレないよう、即座に言葉をかける。
「もうすぐお昼出来上がると思うから、上がってください。まぁ、私の家じゃないんですけど。」
「あぁ、邪魔する。」
彼女に観察されたことなど気付いていないかのようにロアは堂々とバーの奥へと入っていった。そして飛鳥が立っている扉を通り抜けようとした時、思い出したかのように彼女を見る。
「そういえば、俺のことはさん付けしなくていいし、敬語もなくていい。」
「えっ。」
「敬語を使われるのは慣れてない。その方が助かる。」
龍のシルヴァほどではないがロアも少々冷たい印象があったため、飛鳥は拍子抜けした。
「えっと、そっか。分かった。ありがとう。」
「あぁ。」
ダイニングに入って行くロアに、アクセルがキッチンから声をかけた。
「よう、今日はよろしくなぁ。」
「あぁ、よろしく頼む。」
余談だが、アクセルは長期調査組でよくルタルガを留守にしていたため、ロアとはこの前初めてちゃんと会話をしたらしい。
わざわざ飛鳥の知っている人を訓練の相手に選んでくれる辺りに、アクセルの面倒見の良さが滲み出ていた。
「飛鳥。」
ふと聞こえた声にバーの扉を振り返れば、ギンがそこに立っていた。
「ギン! 今日も来たの?」 ここ数日でかなり彼と打ち解けた飛鳥は笑みを浮かべて駆け寄った。
「あぁ。あの龍を見張っておかないと。」
「別に見張らなくて何もしないと思うよ?」
アクセルのことをどこか敵視しているらしいギンに、思わず苦笑いがこぼれた飛鳥。
「あ、そうだ。お昼は食べたの?」
「うん。家で食べてきたよ。」
「私達は今からなの。入って、お茶入れるから。」
「ありがとう。」
そう言ってギンはバーの扉を閉めた。2人でダイニングへ向かえば、アクセルがギンを見てゲッと声を上げた。
「何だよ、お前今日も来たのかぁ?」
「悪いか。」
「いや悪くはねぇけど、よくやるねぇ。」
心底呆れたとでも言うように降参のポーズをするアクセルからは、やれやれ、と聞こえてきそうなほどだ。
アクセルとロアは紅茶を入れる飛鳥を待ちながらテーブルで大人しく座っている。ギンはキッチンへ行き彼女の隣に立った。
「何か手伝おうか?」
「ううん、大丈夫だよ。もうお湯入れるだけだから、待ってて。」
「分かった、じゃあお湯が入ったら自分で持って行くよ。」
「そう? ありがとう。」
お湯が湧き上がるまでの間、飛鳥は主にトレーニングについてギンと雑談をした。ロアとアクセルもテーブルで適当なことを話しているようだった。
そうしてティーポットに沸騰したお湯を入れて、ギンがテーブルまで持って行く。
ようやくテーブルに4人が集まった。
今日のランチは鴨肉とチーズを使ったボリューム満点のサンドイッチに、野菜たっぷりのミネストローネだ。
「いただきます。」
手を合わせてからスープをいただく。この習慣はルタルガ王国の人々にはないらしく、最初はアクセルに不思議がられたものだ。ギンは何故かこの習慣を知っていて、あまり驚いてはいなかった。
「それ、何だ?」
今日はロアが初めて一緒に食事を摂るため、やはり不思議そうに飛鳥を見ていた。
「私の国での習慣なんだ。ご飯の前は手を合わせて、食材やそれを作ってくれた人に感謝してから食べるの。」
「へぇ。それを3食全部やるのか?」
「そうだよ。」
「不思議なもんだな。金を払って買ったものに、もう一度感謝するなんて。」
「そう? まぁ確かに言われてみればそうかもね…。」
「でも良い文化だな。」
「ふふ、そうでしょ。」
「あ…、そういえば、この前は悪かったな。」
どことなく言いづらそうに言葉を紡ぐロアに、飛鳥は目をパチクリさせる。
「え?」
「船で会った時。人間階層に行くといつもあぁなるんだ。悪かった。」
「ううん、ギンやビオラちゃんからも体調悪いって聞いてたし、別に気にしてないよ。」
「そうか、なら良かった。」
その表情筋はほとんど動かなかったが、どこかほっとした様子のロア。
それを見届けた飛鳥はサンドイッチにかぶり付き咀嚼して飲み込む。そしてふと思ったことをポツリと呟いた。
「それにしても、いいのかなぁ。こんなトレーニングばっかりしてて。」
「良いんだよ、それで。猶予は1年もあるんだ。まずは動けるようにならならきゃお話になんねぇぞ?」
アクセルが当然だと言いたげに返した。
「そうなんだけど、今も奴隷にされている人達がどこかで酷い目に遭ってると思うとさぁ……なんか、申し訳なくって……。」
「まぁ、そればっかりはしょうがねぇさ。お前はそいつらのためにも、今出来ることをするしかねぇんだよ。」
「だよね。そう…だよね。うん。」
今、自分に出来ることをする。アクセルのその言葉がとてもしっくりきた飛鳥は、午後のトレーニングのためにサンドイッチに大きく齧り付いた。
*
昼食を食べ終わり少々ゆっくりした後、飛鳥たちは人気の少ない場所で体術の訓練をはじめた。そこは商業都市イドラスの外れにある森の近くの草原だ。風が良く通って、疲れた体を優しく撫でる時の感覚を飛鳥はなかなか気に入っていた。
今日もその場所で、ロアと飛鳥が組手をしている横からアクセルとギンが叱咤激励する。その光景がもう何時間も続き、空はすでに日が落ちかけていた。
アクセルとギンの声かけは対照的だ。片方は欠点を指摘するタイプ、片方は良いところを褒めて伸ばすタイプらしい。
ーー「また呼吸が浅くなってんぞぉ。」「飛鳥ぁ、もっと腰を低くしろ。」「避けてばっかじゃ勝てねぇぞぉ。」ーー
ーー「飛鳥、今の蹴りは凄く良かったよ。」「受け身の取り方も上手くなってるね。」「飛鳥は避けるのが本当に上手だ。」ーー
「お前……、褒めてばっかじゃ改善点が分からねーだろうが。」
アクセルは思わずギンに呆れた表情を向ける。
「本当のことだ。飛鳥は筋が良い。」
ギンのその言葉に、ロアが組手をしながら同調する。
「筋が良いのは確かだ。でもまだまだ動きが遅い!」
ロアの蹴りが飛鳥にヒットする。
「ぐっ!」
飛鳥はすかさず腕で防御したが、バランスを崩し地面に倒れ込んだ。
「あぁ!また負けた!」
悔しそうに吠える彼女に、ロアが手を差し伸べながら言う。
「まぁ、すぐには上手く出来なくて当然だろ。」
「ロアのあの、しなるような蹴りって本当に苦手! あんなに柔らかそうなのに、当たるとめちゃ痛い!」
ロアに手を引かれながら起き上がる飛鳥。
「まぁな。」
至極当然と言った様子のロアに、彼女は項垂れた。飛鳥は滝のような汗をかいているというのに、ロアは一筋も汗をかいていない。レベルの違いを突きつけられた気分だった。
「よし、今日はこの辺にしとくか。ロア、今日はサンキューな。さ、晩飯の材料買って帰んぞー。」
「やっとだぁ。」
ふぅ、と脱力させた彼女の体を風が優しく包んだ。ロアがギンの持っている水の入った瓢箪を貰いに行くと、アクセルが飛鳥に歩み寄った。
「いいか飛鳥。いつでも、どんな時でも、深く呼吸をしろ。大概のことはそれで何とかなる。」
「大概のことって……、いや、それ本当?」
訝しげな視線を送る飛鳥に、アクセルはニヤリといつもの笑みを携える。
「本当だ。いいから呼吸、常に気を付けろよ。」
「……分かった。」
釈然としない飛鳥だったが、頷いて素直に受け取ることにした。ギン曰く、アクセルは上手く飛鳥のレベルに合わせて教えているらしいーー彼は絶対に本人の前では言わないだろうがーー。飛鳥はその言葉を信頼して、今回のアドバイスも聞き入れることにしたのだ。
「明日はジャックのオッサンがお前の特訓に付き合ってくれるってよ。良かったな?」
「ジャックさんが? 凄く強そうだけど、私死なない? 大丈夫かな?」
ジャックのあの巨大を思い出し、途端に弱気になる飛鳥。
「流石に向こうも手加減してくれるだろうぜ。まぁ、なんとかなんだろ。」
そういうアクセルに再び項垂れそうになった彼女だったが、それよりも気にかかっていたことをアクセルに問う。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど。」
「あん?」
そのチンピラのような返しに慣れてしまった飛鳥は、そのまま言葉を続ける。
「みんな、携帯とかスマートフォンとか持ってないのに、どうやって遠くの人とやりとりしてるの?」
そう、彼らは飛鳥が知っているような連絡手段を使っていない。それなのに、電話でもしたのかというようなスピードで人と約束を取り付けてくる。特にそれはアクセルに良く感じることだった。今回のロアの件もそうだ。
「あぁ、それか。そういや、お前にはまだ言ってなかったっけか。」
そのままアクセルの言葉を待てば、驚きの答えが返ってきた。 「俺は念話が使えんだよ。」
「念話!?」
思わず大きな声をあげる飛鳥。
「そ。名前と顔が思い浮かべば遠くにいるやつともだいたい会話出来る。相手が寝てなけりゃな。」
「何それ便利すぎる。」
「(よっ、聞こえるかぁ?)」
「うわっ! なんか頭にアクセルの声が!」
「これが念話な。」
「すごーい……。」
「獣人や半人は大抵何か能力を持っている。念話はポピュラーな能力だ。あとよくあんのは言霊と念力。」
「俺は念力だ。近くのものを飛ばしたり、引き寄せたり。弱いから戦闘にはほとんど使わない。」
ギンとロアがこちらに近づきながら会話を聞いていたらしく、ロアが会話に加わった。
「戦闘に使える能力持ってるやつのが稀だよなぁ。」
アクセルの言葉ながら、彼は持っていた瓢箪を遠くにフワフワと動かしたと思ったら、再び自分の手の中へ戻した。
「うわっ、ほんとだ!」
興味深そうにそれを見届けると、飛鳥はギンへ体を向ける。
「ギンは? 何の能力なの?」
「え、僕?」
少しだけギンの顔が引き攣ったのを飛鳥は見逃さなかった。
「……夢、だよ。」
「……。」
やや困ったように答えるギンに、彼女は深掘りして良いものかと思案する。しかしギンはそのまま言葉を続けた。
「目が合った奴を眠らせて夢を見させるんだ。悪夢とか、ね。」
ギンが自身の能力を好いていないことはその表情を見れば明らかだった。
「すごい、強そうな能力だね。でも、もしかして聞かれたくなったかな、無神経なこと聞いてごめんね。」
飛鳥は思わず謝る。
「ううん、大丈夫だよ。飛鳥なら。」
「そっか。」
少しばかり暗くなった雰囲気を仕切り直そうとアクセルが声を上げた。
「……さ! 帰ってメシ食うぞメシ! ついでにお前らも家でメシ食ってっていいぞー。」
「助かる。」
そう即答したロアに、ギンが僅かに微笑んだ。それを見て少しだけほっとする飛鳥だった。
あの日から彼女はアクセルの家で間借りをしている。その理由は、飛鳥をはじめに見つけたアクセルが彼女の戦闘訓練の担当となったからだ。ーー烈兎の軍を繋階推進連合に引き入れるためには、まず飛鳥が烈兎の軍の奴隷解放で足を引っ張らないことが必須条件だ。そのため、ある程度の戦い方を教える必要があった。ーー
最初は家賃の代わりに家事全般をやると言い張った飛鳥だが、こちらの調味料やスパイスについて無知な彼女に料理はできっこなかったし、洗濯はお互い気まずいことにならないよう別々にすることになった。となると、飛鳥に出来ることは掃除とおつかいくらいだ。
しかしそのおつかいも、人攫いなどに目をつけられたら危険なためアクセルやギンに同行してもらいながらだ。
結局、飛鳥は家賃を払う術がないままアクセル宅に居候することになった。
ここ数日間の彼女の日程は、ひたすらトレーニングだ。午前中は走り込みや筋トレに勤しみ、午後から体術の訓練をする。体術はアクセルやギンとの組手がほとんどだがーー何故か、戦闘訓練には毎日のようにギンが顔を見せに来ていたーー、今日はロアがその相手だった。アクセル曰く「色々なタイプの奴と組手をすることが体術上達のカギだ」そうだ。
そしてアクセルに調味料の特徴などを教えてもらいながら昼食を作っているところに、彼はやってきた。家のベルが鳴る。
「お、来たな。」
「私出てくるね。」
「おう、頼むわ。」
キッチンのあるダイニングを出ると、昔アクセルの両親が営んでいたバーがある。その扉のベルが鳴ったのだ。バーは今は閉店している。飛鳥はその理由や、彼の両親が何処にいるのかなどは知らないでいた。まだそこを深掘りできるほどの仲ではないからだ。
ロアが扉を開けて突っ立っているのを見て、少々緊張する飛鳥。初めて会った時彼は体調不良で、どんな人となりなのかを知らないからだ。
「こんにちは。今日はわざわざありがとうございます。」
「いや、構わない。昼をご馳走になるしな。」
改めてその顔を見ると、中性的で整った顔立ちをしている。青いマッシュヘアと服から覗く青緑色の小さな鱗がより妖艶さを醸し出していた。
飛鳥は彼を一瞬観察したことがバレないよう、即座に言葉をかける。
「もうすぐお昼出来上がると思うから、上がってください。まぁ、私の家じゃないんですけど。」
「あぁ、邪魔する。」
彼女に観察されたことなど気付いていないかのようにロアは堂々とバーの奥へと入っていった。そして飛鳥が立っている扉を通り抜けようとした時、思い出したかのように彼女を見る。
「そういえば、俺のことはさん付けしなくていいし、敬語もなくていい。」
「えっ。」
「敬語を使われるのは慣れてない。その方が助かる。」
龍のシルヴァほどではないがロアも少々冷たい印象があったため、飛鳥は拍子抜けした。
「えっと、そっか。分かった。ありがとう。」
「あぁ。」
ダイニングに入って行くロアに、アクセルがキッチンから声をかけた。
「よう、今日はよろしくなぁ。」
「あぁ、よろしく頼む。」
余談だが、アクセルは長期調査組でよくルタルガを留守にしていたため、ロアとはこの前初めてちゃんと会話をしたらしい。
わざわざ飛鳥の知っている人を訓練の相手に選んでくれる辺りに、アクセルの面倒見の良さが滲み出ていた。
「飛鳥。」
ふと聞こえた声にバーの扉を振り返れば、ギンがそこに立っていた。
「ギン! 今日も来たの?」 ここ数日でかなり彼と打ち解けた飛鳥は笑みを浮かべて駆け寄った。
「あぁ。あの龍を見張っておかないと。」
「別に見張らなくて何もしないと思うよ?」
アクセルのことをどこか敵視しているらしいギンに、思わず苦笑いがこぼれた飛鳥。
「あ、そうだ。お昼は食べたの?」
「うん。家で食べてきたよ。」
「私達は今からなの。入って、お茶入れるから。」
「ありがとう。」
そう言ってギンはバーの扉を閉めた。2人でダイニングへ向かえば、アクセルがギンを見てゲッと声を上げた。
「何だよ、お前今日も来たのかぁ?」
「悪いか。」
「いや悪くはねぇけど、よくやるねぇ。」
心底呆れたとでも言うように降参のポーズをするアクセルからは、やれやれ、と聞こえてきそうなほどだ。
アクセルとロアは紅茶を入れる飛鳥を待ちながらテーブルで大人しく座っている。ギンはキッチンへ行き彼女の隣に立った。
「何か手伝おうか?」
「ううん、大丈夫だよ。もうお湯入れるだけだから、待ってて。」
「分かった、じゃあお湯が入ったら自分で持って行くよ。」
「そう? ありがとう。」
お湯が湧き上がるまでの間、飛鳥は主にトレーニングについてギンと雑談をした。ロアとアクセルもテーブルで適当なことを話しているようだった。
そうしてティーポットに沸騰したお湯を入れて、ギンがテーブルまで持って行く。
ようやくテーブルに4人が集まった。
今日のランチは鴨肉とチーズを使ったボリューム満点のサンドイッチに、野菜たっぷりのミネストローネだ。
「いただきます。」
手を合わせてからスープをいただく。この習慣はルタルガ王国の人々にはないらしく、最初はアクセルに不思議がられたものだ。ギンは何故かこの習慣を知っていて、あまり驚いてはいなかった。
「それ、何だ?」
今日はロアが初めて一緒に食事を摂るため、やはり不思議そうに飛鳥を見ていた。
「私の国での習慣なんだ。ご飯の前は手を合わせて、食材やそれを作ってくれた人に感謝してから食べるの。」
「へぇ。それを3食全部やるのか?」
「そうだよ。」
「不思議なもんだな。金を払って買ったものに、もう一度感謝するなんて。」
「そう? まぁ確かに言われてみればそうかもね…。」
「でも良い文化だな。」
「ふふ、そうでしょ。」
「あ…、そういえば、この前は悪かったな。」
どことなく言いづらそうに言葉を紡ぐロアに、飛鳥は目をパチクリさせる。
「え?」
「船で会った時。人間階層に行くといつもあぁなるんだ。悪かった。」
「ううん、ギンやビオラちゃんからも体調悪いって聞いてたし、別に気にしてないよ。」
「そうか、なら良かった。」
その表情筋はほとんど動かなかったが、どこかほっとした様子のロア。
それを見届けた飛鳥はサンドイッチにかぶり付き咀嚼して飲み込む。そしてふと思ったことをポツリと呟いた。
「それにしても、いいのかなぁ。こんなトレーニングばっかりしてて。」
「良いんだよ、それで。猶予は1年もあるんだ。まずは動けるようにならならきゃお話になんねぇぞ?」
アクセルが当然だと言いたげに返した。
「そうなんだけど、今も奴隷にされている人達がどこかで酷い目に遭ってると思うとさぁ……なんか、申し訳なくって……。」
「まぁ、そればっかりはしょうがねぇさ。お前はそいつらのためにも、今出来ることをするしかねぇんだよ。」
「だよね。そう…だよね。うん。」
今、自分に出来ることをする。アクセルのその言葉がとてもしっくりきた飛鳥は、午後のトレーニングのためにサンドイッチに大きく齧り付いた。
*
昼食を食べ終わり少々ゆっくりした後、飛鳥たちは人気の少ない場所で体術の訓練をはじめた。そこは商業都市イドラスの外れにある森の近くの草原だ。風が良く通って、疲れた体を優しく撫でる時の感覚を飛鳥はなかなか気に入っていた。
今日もその場所で、ロアと飛鳥が組手をしている横からアクセルとギンが叱咤激励する。その光景がもう何時間も続き、空はすでに日が落ちかけていた。
アクセルとギンの声かけは対照的だ。片方は欠点を指摘するタイプ、片方は良いところを褒めて伸ばすタイプらしい。
ーー「また呼吸が浅くなってんぞぉ。」「飛鳥ぁ、もっと腰を低くしろ。」「避けてばっかじゃ勝てねぇぞぉ。」ーー
ーー「飛鳥、今の蹴りは凄く良かったよ。」「受け身の取り方も上手くなってるね。」「飛鳥は避けるのが本当に上手だ。」ーー
「お前……、褒めてばっかじゃ改善点が分からねーだろうが。」
アクセルは思わずギンに呆れた表情を向ける。
「本当のことだ。飛鳥は筋が良い。」
ギンのその言葉に、ロアが組手をしながら同調する。
「筋が良いのは確かだ。でもまだまだ動きが遅い!」
ロアの蹴りが飛鳥にヒットする。
「ぐっ!」
飛鳥はすかさず腕で防御したが、バランスを崩し地面に倒れ込んだ。
「あぁ!また負けた!」
悔しそうに吠える彼女に、ロアが手を差し伸べながら言う。
「まぁ、すぐには上手く出来なくて当然だろ。」
「ロアのあの、しなるような蹴りって本当に苦手! あんなに柔らかそうなのに、当たるとめちゃ痛い!」
ロアに手を引かれながら起き上がる飛鳥。
「まぁな。」
至極当然と言った様子のロアに、彼女は項垂れた。飛鳥は滝のような汗をかいているというのに、ロアは一筋も汗をかいていない。レベルの違いを突きつけられた気分だった。
「よし、今日はこの辺にしとくか。ロア、今日はサンキューな。さ、晩飯の材料買って帰んぞー。」
「やっとだぁ。」
ふぅ、と脱力させた彼女の体を風が優しく包んだ。ロアがギンの持っている水の入った瓢箪を貰いに行くと、アクセルが飛鳥に歩み寄った。
「いいか飛鳥。いつでも、どんな時でも、深く呼吸をしろ。大概のことはそれで何とかなる。」
「大概のことって……、いや、それ本当?」
訝しげな視線を送る飛鳥に、アクセルはニヤリといつもの笑みを携える。
「本当だ。いいから呼吸、常に気を付けろよ。」
「……分かった。」
釈然としない飛鳥だったが、頷いて素直に受け取ることにした。ギン曰く、アクセルは上手く飛鳥のレベルに合わせて教えているらしいーー彼は絶対に本人の前では言わないだろうがーー。飛鳥はその言葉を信頼して、今回のアドバイスも聞き入れることにしたのだ。
「明日はジャックのオッサンがお前の特訓に付き合ってくれるってよ。良かったな?」
「ジャックさんが? 凄く強そうだけど、私死なない? 大丈夫かな?」
ジャックのあの巨大を思い出し、途端に弱気になる飛鳥。
「流石に向こうも手加減してくれるだろうぜ。まぁ、なんとかなんだろ。」
そういうアクセルに再び項垂れそうになった彼女だったが、それよりも気にかかっていたことをアクセルに問う。
「そういえば、ずっと気になってたんだけど。」
「あん?」
そのチンピラのような返しに慣れてしまった飛鳥は、そのまま言葉を続ける。
「みんな、携帯とかスマートフォンとか持ってないのに、どうやって遠くの人とやりとりしてるの?」
そう、彼らは飛鳥が知っているような連絡手段を使っていない。それなのに、電話でもしたのかというようなスピードで人と約束を取り付けてくる。特にそれはアクセルに良く感じることだった。今回のロアの件もそうだ。
「あぁ、それか。そういや、お前にはまだ言ってなかったっけか。」
そのままアクセルの言葉を待てば、驚きの答えが返ってきた。 「俺は念話が使えんだよ。」
「念話!?」
思わず大きな声をあげる飛鳥。
「そ。名前と顔が思い浮かべば遠くにいるやつともだいたい会話出来る。相手が寝てなけりゃな。」
「何それ便利すぎる。」
「(よっ、聞こえるかぁ?)」
「うわっ! なんか頭にアクセルの声が!」
「これが念話な。」
「すごーい……。」
「獣人や半人は大抵何か能力を持っている。念話はポピュラーな能力だ。あとよくあんのは言霊と念力。」
「俺は念力だ。近くのものを飛ばしたり、引き寄せたり。弱いから戦闘にはほとんど使わない。」
ギンとロアがこちらに近づきながら会話を聞いていたらしく、ロアが会話に加わった。
「戦闘に使える能力持ってるやつのが稀だよなぁ。」
アクセルの言葉ながら、彼は持っていた瓢箪を遠くにフワフワと動かしたと思ったら、再び自分の手の中へ戻した。
「うわっ、ほんとだ!」
興味深そうにそれを見届けると、飛鳥はギンへ体を向ける。
「ギンは? 何の能力なの?」
「え、僕?」
少しだけギンの顔が引き攣ったのを飛鳥は見逃さなかった。
「……夢、だよ。」
「……。」
やや困ったように答えるギンに、彼女は深掘りして良いものかと思案する。しかしギンはそのまま言葉を続けた。
「目が合った奴を眠らせて夢を見させるんだ。悪夢とか、ね。」
ギンが自身の能力を好いていないことはその表情を見れば明らかだった。
「すごい、強そうな能力だね。でも、もしかして聞かれたくなったかな、無神経なこと聞いてごめんね。」
飛鳥は思わず謝る。
「ううん、大丈夫だよ。飛鳥なら。」
「そっか。」
少しばかり暗くなった雰囲気を仕切り直そうとアクセルが声を上げた。
「……さ! 帰ってメシ食うぞメシ! ついでにお前らも家でメシ食ってっていいぞー。」
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