女、獣人の国へ。

安藤

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烈兎の軍

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飛鳥の特訓は、あれから3ヶ月ほど続いた。ジャックやロア、ビオラに組手の相手をしてもらいだいぶん動けるようになった飛鳥。約束の一年まで、9ヶ月を切っていた。

そして彼女は今、烈兎の軍のアジトへ来ている。その両脇には、アクセルとギンが控えていた。

烈兎の軍とは、ルタルガ王国最強の戦闘軍団と言われているが、その実情は奴隷解放運動に力を入れている兎族の自警団である。かつてルタルガ王国では奴隷廃止の王命が下されたが、ずさんな政治のせいで完全に奴隷がいなくなることはなく、王都ルミニールでは今日まで人攫いや人身取引が横行していた。

兎族は身長は高くないが筋骨隆々な者が多く、その戦闘力は他種族と比べて群を抜いている。

彼らはその高い戦闘力を活かし、今まで数々の奴隷解放を成功させてきた。獣人や半人のみが捕まっている場所はほとんど解放が終わったと言っても過言ではない。しかし、問題は人間の奴隷達だった。

「それで、彼女が我々を手助けしてくれる人間だ、と?」

飛鳥の目の前には、たくましい兎族の獣人が机を挟んで座っている。どうやら彼が烈兎の軍のリーダーらしく、名前はヲルガーといった。彼はうさぎの顔に長い耳を持っているが、その右耳は半分より下で切り落とされたかのように欠損していた。反対に左目には黒い眼帯をしている。

ヲルガーはその右目で飛鳥のことを見極めるように見つめた。
その視線から目を逸らすまいと、彼女も彼を見つめ返している。

先ほどのヲルガーの言葉にアクセルが返答する。

「その通りだ。度胸があって体術もなかなかのもんだ。お前らの奴隷解放を手伝う人間を連れてくる代わりに、俺らの傘下に降る。そういう約束だったろ?」

その言葉にヲルガーが噛みついた。

「我々の奴隷解放を手伝う!? 違うぞ龍族。我々が提示した条件は、人間の奴隷解放を率いることが出来る人物を連れてこい、だ。」

「率いる、ねぇ。腹割って話そうぜヲルガーさん。実際そんな奴が居ると思うか? 文化も情勢もなにかも分からねぇ奴がいきなりこっちに連れてこられて、お宅らの頭はれるわけねぇだろ。」

「……。」

無言になるヲルガーに、アクセルが言葉を続ける。

「おおかた、無茶な条件突き付けて俺らを諦めさせようって算段だったんだろうが。しかしだ、それじゃあいつまで経っても人間の奴隷解放は進まねぇぞ。」

「確かに、我々だけで奴隷にされた人間達を解放するのは至難の業だろう。彼らは我々が味方だということを知らず、獣人や半人だというだけで強い恐怖心を抱くものが大勢いる。そんな中で戦いながら全員を貴族の屋敷から連れ出すなど不可能だ。」

「だろ? だからーー」

アクセルの言葉を遮ってヲルガーが話し続けた。

「かと言って、お前達の傘下に易々と加わる気はない。我々はあくまで、誰の指図も受けず自由に動ける独立部隊でなくてはならない。いつでもどこでも、苦しんでいる者のもとへ、奴隷達が捕まっている場所へと駆けつけるために!」

ルタルガにおいて奴隷は貴族の持ち物だ。
つまり奴隷達のほとんどはルミニールにある貴族の屋敷に捕まっている。

「……熱血だねぇ。」

そう呟くアクセルは次に彼らを説得するための案を考えているらしい。ギンはもともと飛鳥が奴隷解放を手伝うのを快く思っていないため、この話し合いにはノータッチだ。

飛鳥は手を上げて沈黙を破った。

「あの、一ついいですか? 人間達の奴隷解放をあと9ヶ月で全てやり終える、というのは不可能でしょうか?」

「……!」

「……その手があったか。」

ギンとアクセルが驚いたように飛鳥を見る。

「9ヶ月? なぜ9ヶ月なんだ?」

不思議そうに問うヲルガーに、飛鳥が答える。

「私は、あと9ヶ月以内にあなた方を繋階推進連合に引き入れられなければ、日本に帰されることになっています。そうなれば連合も、あなた方も、協力してくれる人間をまた一から探さなければなりません。」

「なるほどな。連合らしい提案だ。そして君は、9ヶ月で奴隷を解放した暁には我々を連合へと引き入れようというわけか。」

「……双方の望みを叶えるなら、それしかないと思いました。」

「そうだろうな。しかし9ヶ月か。思っているよりもずっとハードだぞ。」

試すように飛鳥を見ながら話すヲルガー。

「しかも、奴隷を解放するだけでは目的を達成したとは言えない。9ヶ月で、全ての奴隷の解放だけでなく、全ての人攫いギルドや人身取引店も根絶させねばならない。そうしなくては新たな奴隷達が生まれるだけだからだ。最初から先陣を切ってもらうつもりはないが、ゆくゆくはそうなる覚悟が、君にはあるか?」

先陣を切る。その言葉に狼狽えそうになる飛鳥。その時、アクセルに言われた言葉が蘇る。

ーー「いつでも、どんな時でも、深く呼吸をしろ。大概のことはそれで何とかなる。」ーー

すかさず、バレないように深呼吸をする。先ほどより心が落ち着き、何とか平静を装うことが出来た飛鳥。ヲルガーを見つめ返して彼女は口を開いた。

「私に出来る限りのことはします。必要があれば、先陣も切ってみせます。」

「飛鳥…!それがーー」

斜め後ろから彼女を案じるギンの声が響く。が、ヲルガーがそれを遮った。

「ほう。その意欲はどこから沸く? 部外者の君がなぜそこまで協力的になれる。」

「自分の人生を変えたいからです。私自身の意思で、意味のあることをしたいのです。誰にも迎合せず、流されずに。」

「しかし私には、今まさに周りに流されてその決断をしたかのように見えるぞ。違うというのか?」

「違います。私は私の意思で、他の誰でもない私のためにここまで来ました。今までの無意味な人生を、変えるために。」

「……そうか。」

ヲルガーが何かを考えるように少々目線を下にやった。少しの時間そうして、ついに何かを決断したようだ。その円な瞳で飛鳥を再び見やる。

「いいだろう。9ヶ月で全ての奴隷を解放し、奴隷を生み出すシステムを根絶やしにできれば繋階推進連合の傘下に降ろう。ただし、条件を一つだけ呑んでもらう。」

「…その内容は?」

アクセルの問いにヲルガーが答える。

「君たちのリーダーの中に、王族と繋がりのある者達がいたな? 彼らのつてを使い、ずさんだった奴隷廃止のための政治を立て直すと約束できるなら、喜んで傘下に降ろう。」

「いいだろう。それはシルヴァやイゴールのオッサン方がずっと手回ししてたことだしな。もうすぐ新たな奴隷廃止命令が出るらしいし、話は俺が通しておく。」

アクセルの答えを聞き、今日初めての笑みを浮かべるヲルガー。

「交渉成立だな。よろしく頼むぞ、人間。」

そうして飛鳥に右手を差し伸べた。

「猿飛飛鳥です。よろしくお願いします。」

彼女もそれを強く握り返したのだった。 



王都ルミニールは、商業都市イドラスの真北に位置していた。そしてそれぞれの種族の村が、ルミニールとイドラスを囲む形でルタルガ王国は成り立っている。

飛鳥とアクセル、ギンの3人は今、烈兎の軍と共にルミニールのある屋敷の裏庭に潜んでいた。

「おい、何でお前までいんだよ。」

げっそりとした様子のアクセルがギンに文句を垂れる。

「ゲンには許可を得ている。文句を言われる筋合いはない。」

さも当然といった態度のギンに、アクセルは項垂れた。

「いつの間にだよ……。」

「そっちこそ何でいる? 邪魔だ。」

「俺はシルヴァのオッサンに飛鳥の面倒見るよう言われてんだよ! 邪魔じゃねぇ。」

噛み付くようにアクセルが答える。

「でも、2人が一緒に来てくれるとは思わなかったから、心強いよ。」

飛鳥のその言葉に、嬉しそうに耳をパタリと動かしたギン。

「飛鳥、もしも何かあったらすぐに僕の後ろに隠れるんだよ?」

「馬鹿言え、もしもの時のために今まで特訓してきたんだろーが!」

「おい、うるさいぞ! 今から突入するんだ、静かにしろ。猿飛、今日は私の後ろで流れを見ておけ。まだ初回だからな。」

いつまでも話している3人にヲルガーが喝を入れる。

「分かりました、ヲルガーさん。」

それに素直に従った飛鳥は、深呼吸をして心を落ち着けるのだった。

「さぁ、行くぞ!」

ヲルガーの一言で部隊が動き出す。飛鳥もそれに遅れまいとヲルガーの後ろについて行く。

彼は裏庭から真っ直ぐ屋敷へ向かい、屋敷の窓を叩き割った。

「入れ!」

小声でそう指示を出すと、飛鳥の後ろに控えていた烈兎の軍のメンバー達がゾロゾロと窓の中へと入っていく。

飛鳥もそれに続いた。3ヶ月みっちりと訓練した彼女は、今や自分の背丈ほどの高さなら脚力だけで飛び越えられるようになっていた。ギンとアクセルが当然のように彼女につづく。

それを見たヲルガーが驚きで目をみはった。彼女の動きが思っていたよりも洗練されていたからだ。

しかしそれを脳裏においやって、ヲルガーも屋敷内に潜入する。そこに、大きな声が響いた。

「何者だ!!」

屋敷の警備にあたっていた衛兵のようだ。近年、烈兎の軍の奴隷解放運動は貴族達の間でも話題になっていた。もちろん、それは烈兎の軍からどうやって奴隷達を守るかという内容だ。

その結果、貴族達は衛兵を増やし奴隷達を潜入しづらい場所へと隔離することが主流になっていた。

つまり、奴隷達を解放するためには彼らを屋敷内から探し出すための時間が必要になったのだ。それだけでなく、人数の増えた衛兵達とも戦わなければならない。

奴隷解放運動は、日々激しさを増していた。

そして飛鳥達も、潜入そうそう戦闘が開始されてしまうのだった。
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