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コラム

ゼニスの食を楽しむ

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 既に馴染みのあるものが、実は外から輸入されたものだと知れば、きっと最初は誰もが驚くだろう。ゼニスの農家がコムギという植物からパンを作り出せるのは、「人間」がそれを伝えた為であるが一般にはあまり知られていない。

 このゼニスという惑星には獣しか住んでいないが、「人間」という存在にはすこぶる敏感だ。
 遥か昔、空の彼方からやってきた人間たち。彼らはゼニスの獣の高い知能に驚き、自分たちの知識を教えるとすぐに覚えるのでとても珍しがり、概ね友好的に交流していた。
 しかし人間は次第にゼニスの森を開拓し、大規模な畑や研究施設を作るようになった。獣の住処が奪われ、これがやがて大きな戦争へと発展する。人間と獣は対立していく一方、弱い獣たちに積極的に人間の文化を教える動きがあった。
 いずれ自分たちの兵にする為の教育だったと考えられているが、そこで最初に伝わったのが農作や料理だった。パンにもなるコムギは一緒に伝わった作物の中で最も風土に合い、ゼニスの食に楽しみをもたらした。

 無発酵の平たいパンに、天然酒に漬けた肉を乗せて食べるニムグという料理がある。大陸の南、水脈の少ない砂漠の国ハンゼルではこのニムグが主食として好まれる。一見素朴だが、これは天然酒とスパイスの効いた肉の鋭い旨味をパンが包み込み、まろやかでとても美味である。
 始まりは最初にパンの作り方を教わった獣。彼(性別は定かではない)は放浪の末ハンゼルに定住した。ハンゼルでは料理の始祖と呼ばれ、知らない者はいない。他国では、魔法大国同盟の条約で肉の取引をすることが禁じられており食に対する意識も比較的薄いが、条約に縛られていないハンゼルの料理文化はパンの伝来から凄まじい勢いで発展した。今では各国の宮廷料理人や有名シェフに出身地を尋ねれば口を揃えてハンゼルと答えるほどだ。

 近年、わざわざハンゼルの肉料理を食べる為に、大陸を端から端へ徒歩で縦断した若者も噂になった。彼は砂漠にて脱水症状を起こし、しばらく寝込んでいて美味しい食事どころではなかったそうだ。バカバカしいとも思えるが、料理とはそれほど誰かの心を掴む物なのだ。砂漠という極限の地ゆえに素材こそ不足しがちだが、ゼニスで一番食を楽しむ国は今も昔もハンゼルで間違いない。
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