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第四章 智慧

71 過去は全て現在におさまる02

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 新たに注がれた紅茶を今度はこぼさないように慎重に手に取った。

「その、治る手段とかないの?抗がん剤治療とか」

「あったよ」

 あるのか。いや、あったという過去形が気になる。

「私の場合、進行が早くてね、見つけた時にはもう厳しいかもって状況だったの」

「それでも……」

 言いかけて俺は口を閉じた。今説得してどうにかなるのか?ならないだろう。発見した時でさえ厳しいと言われたのに。

「言ったでしょ、お父さんの期待に応えれず親子の歪みができて。クラスでもさ、看護師になりたいって言うのはあのクラスでは勉強の邪魔者なの。レベル高い進学校目指してるクラスに私みたいなのは半端者みたいになってね。友達っていう友達もいなかったし。短い人生だったけど、こんなものかぁって投げやりになってね」

 曜子はお皿の上に置かれた色とりどりのマカロンを、一列に並べたり回してみたりしながら語ってくれた。

「いいのよ。将来性のある人や、友達がいっぱいいる人が死んじゃったら悲しむ人もいっぱいいるじゃない。だから神様は私を選んだんだと思うよ。そして、私はその現実を受け入れたの……」

「じゃあなんで看護の大学受験目指して俺と勉強をあんなに必死にやったんだよ」

 ぶっきらぼうな言い方だったが、死ぬことを受け入れたなら大学に進学しても仕方がないんじゃないのか?俺はこの疑問が昨日からずっと頭から離れなかった。

「死ぬまで、何もせずに待つのも嫌じゃない。かと言って他人に迷惑気にしないで好き勝手遊ぶ気にもならないし。私、育ちが良い方だしね」

 自分で言って恥ずかしかったのだろうか、テヘっと舌を出す仕草が可愛かった。

「それに……、ウタルが家庭教師をしたいって言うし。まぁ結局はペンダントのお陰というか、目的がそれだったんだと思うけどね」

「確かに、最初は肉眼で”W”が見えるからってのはあったけど、縁がなかったら出会ってもいなかったんだよ」

 んー、と言いながら納得いかない様子だ。

「じゃあひったくり犯がカバン取ってなければそのまま通り過ぎてたってこと?」

「そういうことだよ。全ては縁なんだよ」

 ふーん、と言ったまま黙り込んでしまった。

「全てが縁でウタルとも知り合って、それも全て出会う運命だったってこと?」

「そうだよ、縁も全て運命なんだよ」

 俺の言葉を聞いてからしばらく何も言わず俯いたまま、表情は垂れる横髪で見えなかった。

 鼻をすする音が聞こえ、様子が変だと気づいた時には曜子はくしゃくしゃになった顔を上げて泣いていた。

「だったらウタルなんかには出会わなかったらよかったのに……」

 涙で頬に引っ付いた髪の毛が涙の重さを教えてくれる。

 女性が本気で泣いているのに遭遇するのは初めてで、ましてや自分を否定するような発言をされては返す言葉が見つからない。
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