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第十三章 ひとりぼっちの温泉旅行

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 夕焼けで寒さを呼び込む時間、俺は愛車のカブを運転して下がる気温と戦っていた。

 昼にカレーを平らげてから職業安定所で現実を目の当たりにしてきた。

 離職票などの手続きをしなければならないのだが、年末ということもありキリの良い来年からスタートすればという話になった。

 人の転職をキリの良いか悪いかで決められてもこまるのだが、取りあえず現在募集されている求人情報を時間の許す限り観覧することにした。

 当然、時間は余る程あるのでじっくり目を通すが、資格もないし転職で昇給前からのスタートだから手取りは減って当然。

 ただ、よく似た流れ作業的な職場に中途採用で入社して上手くやっていけるのか不安が過る。

 新卒で入社した頃は緊張もあるが社会人一年生で若く知らないことだらけで当然という空気に包まれて働いていたので、俺のコミュニケーション能力が低くくともなんとかなってきた。というより周りが合わしてくれたのだろうと今にして思う。

 これが中途採用となれば即戦力を求めるだろうし、職場の出来上がった空気を損なわないようにしなければならない。

 話好きのおばちゃんや教えたがりの年配者の相手をするのが億劫になる。

 それを理由に働かないという選択肢はないが、働きにくいという現実ではある。

 逆に少ない人数の職場に行けば、気が合わない人がいたら地獄の三丁目が天国に思えるのだろうし。

「はぁ、やれやれだな」

 求人の画面をみながらボヤキしかでなかった。

 詩織さんと結婚前提で付き合うために昇進目指して心入れ替えた、あのやる気はどこにいったのだろうかと思えるほどだ。

 周りにも目が血走る程気合い入れて見ている人はいない、殆ど無気力のような空気が蔓延している。

 そんな人がいるならそれは千葉真一くらいだろう。もう目が千葉真一になるほど気合いはいってるかもしれない。

 俺には目が千葉真一になる程の情熱はなかったので、良い求人を見つけることができなかった。また来年には良いのがあるだろうとキリのよい人生再出発を心に決めた。あれほどキリの良い悪いを言われる筋合いはないと思ってたのに。

 まだ無職一日目だから余裕があるのかもしれないが、これが三ヶ月目だと焦りに焦るのだろうがそうならないように今は祈るしかなかった。

    ※

 何もしなければ自分自身に後ろめたいので取り合えず再就職活動をして独り残念会をすることにしていた。

 もちろん良い求人があれば飛び込んでいたかもしれないが、そうタイミング良く人生はいかないことは承知している。

 いつもは電車で向うのだが、時間があるというたったそれだけの理由でバイクを運転してるが。

「さ、寒い。完全に舐めていた」

 山陰に近づくにつれて気温がどんどん下がっていくのを体感する。

 来慣れた場所でも電車とバイクで来るのとでは全く感じるものが違うということを初めて気づいた。

 紅葉だったり桜とかツーリングシーズンというのがあるのも頷けるが、年末に走るのならばそれなりの装備で来ないと凍死しそうだ。

「早く熱々の温泉に浸かって癒されたい!」

 ヘルメットの中で俺はその事だけを考え、時に寒さを吹き飛ばすように叫んで走り続けた。

 今朝見た郵便物の中に入っていた、閉館案内のハガキ。

 確かにこないだ言った時、空いているなとは思ったがまさか閉館に追い遣られるとは思ってもいなかった。二ヶ月も経ってないからあの時、既に閉館も考えていたのだろうか。女将の藤原さん、そんな素振り全く見せなかったけど、そりゃ利用客に潰れるんですとは言えないよな。

 旅館に近づいてきたが空はどんよりしている。冬の寒空とは言え暗いというより黒いと言った方が適してる暗さだ。

 自転車置き場にバイクを駐車して受付に向かう。閉館案内のハガキ持参だと無料で宿泊させてくれる太っ腹企画にのこのことやって来たのだが、事前予約不要ということなのだが予約一杯で泊まれないとならないのだろうか。

 閉館するのに無料の時だけ満室とか泣けてくるだろうに。

「お待ちしておりました磐石様、よく来てくれました」

 対応してくれたのは女将だった。

「あの、使っていいんですかコレ」

 早速ハガキを差し出して伺う。なんだか後ろめたい気分になるのは何故だろうか。

「勿論ですよ。今まで御贔屓にしてくれたお客様への感謝のしるしですから」

「じゃ、じゃあ遠慮なしに」

「今日は妹様はご一緒じゃ御座いませんのね」

「え、えぇ今日は、ね」

 嘘を付くのに躊躇があったが、本当の事を言われても困るだろうし残念だけど次が無いということで自分に言い聞かせた。

「お食事にします? それともお風呂が先ですか?」

「お風呂いいですか? 今日はバイクで来たので身体が冷えてしまってるもので、温泉楽しみなんですよ」

「もちろんですとも」

 女将と世間話をしながら今夜泊まる部屋へ向かった。

 年末だからか平日だからなのかわからないが、温泉はまたも貸切状態で湯船に浸かっているのは俺一人だった。

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