孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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二章 友愛の魔女スピカ

30.孤独の魔女と終わらぬ物語

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「ゼェッ…ハァッ…ゼェ、ああ クソっ…クソ痛ェ…」

「クレアさん!、大丈夫ですか!」 

薄暗く埃と血の匂いの蔓延する館の中、満身創痍の体で悪態をつき 力なく壁にもたれるクレアさんに駆け寄り、声をかける

エリスが駆けつけた時には 既にバルトフリートとクレアさんの決着はついていた

結果はクレアさんの勝ちだったらしいが、正直何か一つ欠けていたらクレアさんは死んでいたかもしれない そんなレベルのやられ具合だ、全身には切り傷が あちこちに打ち据えられた打撲が痛々しく目立つ…

「クレアさん!今治すね…『ヒーリングオラト…』」

「待って…」

冷や汗を流しながら治そうと駆け寄るデティを手で制すクレアさん、全身傷だらけな上 ここは非常に不潔だ、早く傷を塞がないと変な後遺症が残る可能性がある

そう、エリスも言いかけて クレアさんの意図を察する、その目は『もっと早く治さなきゃいけないやつがいるでしょ』そう語っているようだった

そう、もっと早く治さなきゃいけない 一刻を争う人物…それは

「私より先に ナタリアさんの治癒をお願い…あの傷、ヤバイかもしれないわ…血も流れ過ぎてる、早く…治さないと」

ナタリアさんだ、バルトフリートの不意打ちを受け脇腹を抉られ 血を濁流のように流しながら倒れている、本当はいの一番に助けたかったが この場で戦闘になり それも叶わなかった

最悪置いて逃げることも想定したが、今は敵もいない 今ならじっくり治癒が出来る、しかし ナタリアを治せと言われたデティの顔は 暗く曇っている

なんだその顔は、やめてほしい 流石にデティが相手といえどそんな顔は許さない…その顔はまるで

「そ…その、ナタリアさんは…もう……」

「ッ……」

血の気が引いたのは、エリスだけではなかった…

なんということはない、最初から 治す云々ではなかったのだ…治癒魔術にも限界がある、失われることが確定した命には 何も出来ない

「…デティちゃん、ナタリアさんはギリギリ生きてるわ、スピカ様から何か凄い治癒魔術とか習ってないの?」

「習ってません、私は…えぐっ…まだ未熟だから…古代の治癒魔術は早いって…まだ…教えてもらって…ぁああ…」

「そう…」

クレアさんは静かに天を仰ぎ、デティは泣きながら地を見下ろす

ナタリアさんの方へ目をやれば、たしかに 微かに息をしているように見えるが、どうやらもう意識はないようだ、もう体の血が全て抜けてしまったのでは と思えるほど、ナタリアさんは血を流し過ぎた …血とは即ち命それが多く流れ出れば 人とはそれだけで死んでしまう

それでも、もし古式治癒魔術があれば 助かったろう…、助けられる手段に見当があるのに、力不足という理由だけで今 命が失われようとしている、ああ…うん これは…

「ぐぅっ!くそっ!…」

悔しい、あまりの悔しさに壁を殴りつける 指先から血が出たが構うことはない、何かに当たらなければ とてもじゃないが正気を保てそうになかったからだ

ナタリアさん…エリスがしっかりしてれば あの不意打ちを看破できれば、死なずに済んだかもしれないのに…くそっ!くそっ!、何が成長出来ただ 助けたい人間一人助けられずして何が強さだ!くそっ!

何度も何度も 壁を殴りつける、鬼気迫るエリスに デティは涙し クレアさんは目を伏せる、勝ったというのに 勝った気がしない…

そうか、敵を倒してもダメなんだ 誰かが死んだら それはもう、敗北なんだ……初めてだ、学びたくない 記憶したくないと思った事柄は…

「くそ!くそぅ!、うぅ…くぅぅぅ」

「っ…、エリスちゃん エリスちゃん聞いて!、誰か来る」

「…人?」

一瞬浮かんだのは安堵、もしかしたらししょー達が助けに来てくれたのではと

そして直ぐその甘い考えは消える、足音が多すぎる 十や二十じゃきかない人数の足音だ、オマケに ガシャガシャと鳴るこの音は鎧の音だ

オルクスだ オルクスの私兵が館に来たのだ、思ってみればここはレオナヒルドとオルクスの合流場所 、ここに オルクスの私兵が大挙してやってくるのは何ら不思議はないのだ

今からもう一戦か…勘弁してくれ、今のエリスには 人の命を気遣っていられるような、余裕はない 

「来ますね、相当な人数です…くっ、足が動かない」

「大丈夫です、エリスがやります」

足音が近づく、館の中を歩き まっすぐこちらへ歩いてきて…、顔を見せた瞬間に全霊の火雷招をぶっ放して全員消し飛ばしてやる、消し炭も残さない

…分かりやすく足音を立て、部屋の前まで …来た!

「っここかっ!、って!すごい血の匂い…エリスちゃん!?」

「…ツッ!?え!!、メイナードさん!?ヴィオラさん!?」

部屋の中に入ってきたのは、大量の部下を引き連れた ヴィオラさんとメイナードさん…つまり 味方だった、よ 良かった 部屋に入ってくる前に魔術撃たなくて 危うくエリスが仲間を殺すことに…

そこまで考えてエリスが、憎しみのままに人を殺そうとしていたことに気がつき…目眩で膝をつく

「ナタリアさんに クレアさんにデティ様?、何だこれ どういうことかな 状況がさっぱり見えてこないんだけど」

「っ!細かい説明は後です!ヴィオラさん!ナタリアさんの治療お願いできますか!、治癒魔術 確か使えましたよね!」

「え!?えぇっ!?、う うん使えますけど、でもなんで…」

「いいからッ!!一刻を争うんです!」

クラクラと揺れるエリスを尻目にクレアさんがヴィオラさんを動かしてくれる、そうかヴィオラさんは一流の魔術師 それなら 相応の治癒魔術が使える 助かるかもしれないんだ
クレアさんの言葉を受け、慌ててナタリアさんに駆け寄ってくれるヴィオラさん…

一息、ついてもいいのかな

「…何やら神妙な様子だねクレアくん、良かったら 僕に状況きかせてもらえるかな、この惨劇の顛末を」

そう言ってエリス達の前に座り聞く姿勢を取るのはメイナードさんだ、このむせ返る血の匂いにも動じず、口を一文字に閉じ 真面目な面持ちでクレアさんを見据える

「さぁ、詳しい説明は私もされてません…エリスちゃんから聞いてください」

「エリスちゃん?」

その一言でメイナードさん、いやメイナードさんが連れていた兵や騎士達の視線が一気にエリスに注がれるのを感じる、えぇ いきなり振られても…いやエリスには説明する義務がある、何故ナタリアさんがここにいるのか 何故デティがここにいるのか、ここで何があったか 全て目撃していて かつ口が利けるのはエリスだけなんだから

「エリスちゃん、説明お願いできるかな」

「…エリスに 分かる範囲なら」

そこから、一つずつ 順序立てしてメイナードさんに説明した、エリス自身予想以上に動揺していたこともあり、話が前後したり 要領を得なかったりしただろうが、メイナードさんはしっかり頷きながら 時折質問を交えながら聞いてくれた

レオナヒルドを脱獄させた犯人はナタリアさんではなく、バルトフリートだったこと

エリスとデティは内緒で外出していたところを、レオナヒルドにデティが見つかって誘拐されてしまったこと

そのあとナタリアさんと合流し 一緒に助け出し、バルトフリートとレオナヒルドと戦闘になったこと

ナタリアさんが致命傷を受けてしまったこと バルトフリートが戦いの中で死んだこと…全て話した、最後の方は メイナードさんも沈痛な雰囲気で黙り 腕を組んで俯いていた

「そうか、ナタリアさんは無実で…バルトさんが犯人だったか」

話し終えると メイナードさんはバルトフリートの亡骸を複雑そうな目で見て、口元をキュッと固く閉じる、いや 多分この場にいる人間全員が 同じ反応をしていたことだろう

…そうだ、エリスやクレアさんはバルトフリートさんとはあまり縁がなかったが、ここにいるみんなは ナタリアさんと同じ いや、それ以上にバルトフリートさんにお世話になっていたのだ

メイナードさんも 新人の頃よくお世話になったと言っていた、自分が今の地位に立てたのはバルトさんのおかげだと、道行く騎士や兵も語っていた バルトさんに剣の振り方を教えてもらった バルトさんに助けられた バルトさんがいたから立派になれた、みんな口を揃えて言う バルトさんは立派な騎士だと、いつか一人前になって 恩返しをしたいと

それが、こんな形で終わってしまったことを見て、先ほどエリスが感じたやるせなさ以上のものを感じてるのだ

「そ…その、…すみません…私がバルトフリートさんを」

「いいよ、クレア君が謝らなくて…バルトさんは とても正直な人だった、きっと自分の感情にも 嘘がつけなかったんだ、過ちと分かりながらも 妹を助けずにはいられなかったんだよ…、その過ちを止めてくれたクレア君に きっとバルトさんも感謝していたはずだよ」

メイナードさんは表情一つ変えない、ように見せて 声と肩は震えている、泣いているのだ 涙は流していないが 泣いているんだ

「それにね、良かったとも僕は思う…バルトさんは罪を犯した 許されないような罪だ 捕まれば斬首は免れない、罪人として檻に入れられ首を落とされて 晒し首にされるよりも、騎士と戦い その中で果てたのだとするならば バルトさんは、きっと幾分救われたと思う」

見渡せば、その場にいる騎士が皆バルトフリートの亡骸を見て 嗚咽している、涙を流している、ここにいるみんな バルトフリートという騎士を尊敬していたのだ、だからこそ その意思は尊重するし、尊重し騎士として戦い打ち倒したクレアさんを責めることは決してしない

「ねぇ、クレア君 バルトさんは最期になって言ってたか、聞いてもいいかな?」

「最期…誇れと、言ってました 私に、自分を倒したことを誇れと」

その言葉を聞くとメイナードさんは そっか バルトさんらしいね というと立ち上がり、バルトフリートの亡骸に近づき 軽く一礼をし、直ぐさま隊長としての業務に戻る

憧れの騎士の前で、情けないところは見せられないと 最後に立派になったところを見せようと、部下に指示を出していく

「あの、メイナードさん…バルトフリートさんは、罪人ですけど 出来れば丁重に葬ってあげてください」

「ん?、ああそのつもりさ、最後はこんなことになってしまったけど、騎士のみんな いや国にいる殆どの人達がバルトさんにお世話になってるからね、みんな 最期にお礼を言いたいだろうから…遺体は丁重に扱うよ、ねぇみんな バルトさんの体を綺麗にしてあげてくれないかな、鎧も含めて綺麗にして ここから運び出してほしい」

そう部下に命令し、バルトフリートの遺体は外へと運び出される…、その遺体を運ぶみんなの目にはもう涙はない、皆 一様に 立派な騎士の目をしていた

「ッッ!メイナードッ!ちょっと!」

ぼーっと 運び出されるバルトフリートの姿を見ていると、ふと ヴィオラさんの声が響く、悲痛な叫び声だ 切羽詰まったような、嫌な声

「どうしたんだい!?ヴィオラ君!」

「な ナタリアさんの傷…治せない、治しきれない!、血が失われすぎて生命力が持たない!どうしよう!このままじゃナタリア先輩死んじゃうよ!どうしよう!」

両目にいっぱい 涙を浮かべ、助けを求めるようにメイナードの名を呼ぶヴィオラさん、いつもの丁寧な口調が崩れている辺り 本当に本当に余裕がないのだ、見れば今もヴィオラさんは必死に治癒魔術をかけているようだが

そもそもナタリアさんの体がほとんど死んでいる事もあり、遅々として再生が進まないのだ、治癒魔術で死体は治せない その言葉が皆の脳を過る…

治癒魔術は人間の生命力を補填する形で傷を癒すらしいが その生命力そのものがほとんど残っていないと、治すことは困難を極めるらしい、というか 無理なのだ

「落ち着いてヴィオラ君、君が取り乱したらおしまいだ、大丈夫 上手くいく…おい!近くに治癒術師がいないか探して来てくれ!頼む早く!」

「あぁ…あぁあぁぁ、ナタリア先輩 死なないでください!死なないでください!、まだ先輩から聞きたいことがいっぱいあるんです!、先輩に教えてもらいたいことがあるんです!、なんでもしますから!なんでもしますから治ってください!…お願い…」

メイナードの指示を受け 外へ駆ける騎士達、大粒の涙を流しながらも魔力をどんどん注ぎ込み必死に傷を塞ごうと叫ぶヴィオラさん、クレアさんは顔を背けぐったりし 肩を震わせている


エリスは……無力だ、何もできない 傷を治す手段を持たない 何も出来ることがない、今 お世話になった人の命が失われようとしているのに、何も 出来ない



「私が…もっと優秀だったら、もっと 先生に認められてて 古式治癒魔術を 教えられてたら…ナタリアさんは…あぁ…あぁあ」

その場で蹲るデティにかける言葉がない、いや エリスだって 蹲って泣きたい、大声で泣きながら助けを呼びたい でも、そんなことをしても意味がないことを知っている

そうだ、知ってる 前こんなことがあった…いつだ、 かあさまだ…

朝起きて かあさまの寝床に行ったら、冷たくなってた…泣いて助けを呼んだけど 結局かあさまは助からなかった、夜のうちに 病気で死んだって後になって聞かされて……あの時と同じで エリスはまた何もできない

エリスにもっと 力があったら

「私にもっと 力があったら」


幼い二人の魔術師は、ポツリと呟く 現実の無情に打ちのめされて、ただ悲しく 力を求める、それでも尚 現実は残酷に時を進ませ、ナタリアの命を奪っていく……





「ぇ…何、…なんなの…」

「デティ?」

白む視界の中、ふとデティが譫言のように何かをブツブツ ブツブツとつぶやき始める、まるでエリスの声など聞こえないかのように、目を見開いてガタガタを震えている、何かを拒絶するように頭を左右に振り回している

「そんなの知らない…やだやめて…、それは…でも…あぁ…ぅあ、そ それはダメ…」

異常だ、明らかにおかしい いや違う、おかしいんじゃない おかしくなってしまったのだ、濃厚な死の気配と あまりの無力感を前に、デティが狂ってしまった

「デティ!しっかりしてください!、気をしっかり持って!」

「え エリスちゃん………、ねぇ 私 変かな」

「デティ…」

変だ、どう見たって 、いつもみたいにほにゃほにゃ笑ってほしい、その顔をやめてほしい 目を見開きギラギラした視線でこちら見ないで欲しい!、そんな声も出ないほど デティの顔は怖かった、エリスが怖気付いて 何も言えないほどにデティはとてもとても怖かった

「っ…大丈夫だよ、エリスちゃん…私は この国とこの国の全て、そしてエリスちゃんを 守るからね、例え 何を敵にしても…エリスちゃんだけは 私が守る、絶対に」

「え…」

そんなエリスを抱擁する、あまりに優しく あまりに慈愛に満ちたその抱擁 いつもなら、可愛らしいと思ったデティのその抱擁は、この時ばかりは全身の鳥肌が立つほど 冷たく…恐ろしかった

「ヴィオラさん、どいてください…私が治します」

エリスを手放すとゆっくりとナタリアさんの方へ向けて歩き出す、その後ろ姿は 王そのもの、デティはあんな背中してなかった あんな怖い気配を纏ってなかった
とてつもない違和感を感じているのに、エリスは 何も言えない…あのデティには何も言えない、エリスは心の中でデティに屈服してしまった…こうやって膝をついて 唇を震わせることしかできない

「デティ様、でもナタリア先輩はもう…ッ!?え あ…いや、ぅ ど どうぞ」

その異様な気配を感じ取ったのか、ヴィオラさんも慄き その場を退く、治す と言われても治せるわけがないのだ、もう殆ど死んでいるナタリアさんの体は治癒魔術を受け付けるだけの生命力がない、エリスがししょーと出会った時の怪我よりも酷いんだ こんな事言いたくないけれど…もう ダメだと思う

いくら治癒魔術を使っても、それこそ魔術の腕が劣るデティがやっても結果は見えてる、はずなのに 誰もデティを止められない

「大丈夫ですよ、治しますから…」

その声は、どこか スピカ様のようだ、どこまでも慈愛に満ち そして どこまでも悲しい、一人ぼっちの声だった

それと共に魔力が隆起する、レオナヒルドのような爆発するような溢れ方ではない…ゆっくりと この部屋を水で満たすような、ゆっくりと静謐な それでいて莫大な魔力が周囲に満ち、デティはゆっくり 口を開く

「天は地に 闇は光に 死は生に、此れ成るは太古の傲慢なりし神の定めた愚法を塗り潰す、我ら人の嘆きの血飛沫、連綿と紡がれた悲劇に打たれる一つの終止符 天を穿つ神への嚆矢、運命を捻じ曲げ 失われた彼の者の息吹を、今一度 我が手で冥府より奪い返し、神の時代を終わらせよう…『輪廻天星反魂之冥光』」

古式魔術だ、あの詠唱は古式魔術…そして、エリスが知るどの詠唱よりも長い、魔術とは詠唱が長くなればなるほど 強力に成る、なら、あれは一体どれほどの…

戦慄は瞬く間に驚愕に変わる、部屋を満たした魔力が一瞬で ナタリアさんを包み、青く…まるで満点の星空の如き 淡く輝くと共に、青白かったナタリアさんの顔が暖かな血の色を取り戻し、傷口の血がゴポゴポと沸騰し 刹那の間に塞いで行く

「ぷはっ…はぁ…はぁ…」

浅かったナタリアさんの息が、元に戻った 治ったのだ、ヴィオラさんがあれだけやっても治らなかったナタリアさんの傷が あっという間に、まだ意識は戻らないが完治した…してしまった

「そんな なんで、治癒魔術をいくらかけても治らなかったのに …ナタリアさんが嘘みたいに治ってる、いや 生き返っている?」

「はい、もう治癒魔術では間に合わないと思い 死者蘇生魔術の使用を決断しました」

死者蘇生、時間遡行 世界崩壊と並んで不可能とされる魔術の一つだ、なんでそんなものをデティが、というかデティは古式魔術を教えてもらってないんじゃなかったのか、何が何だか全然分からない

「ああ、でもまだ不完全なものですよ?ただナタリアさんの体の中に僅かな命の灯火があったから、不完全でもなんとかなったんです」

「ふ 不完全でも 死者蘇生なんて、どうしてこんなものを…まさか スピカ様から?」

「…………そうですね、そうです スピカ先生からこっそり教えるだけ教えてもらってたんです、でも使用は禁じられてたので みなさんここで見たことは内緒にしておいて下さいね、怒られてしまいますから」

しぃーっと口元に指を当て 悪戯に笑うデティを前に、みんな なんとなく納得してしまう、この方は確かに魔術導皇 魔女スピカ様の弟子なのだ、このくらい当たり前のようにやってしまうのだと

ただ、エリスだけは知っている いくらスピカ様に教えてもらっていても、あんな絶大な魔術 普通は使えない…、というかそんな絶大な魔術 教えるわけがない

役目を終えたとばかりにこちらに戻ってくるデティの裾を掴み 引き止める、おかしい 何かおかしい、でも何がおかしいか分からない でもおかしいんだこんなの、こんなの デティじゃない

「あの、デティ?何か あったんですか?、どこであんな魔術を…それになんだか雰囲気も」
 
「エリスちゃん…、大丈夫だよ 怖がらなくても、私が守る…守るよ、全てからエリスちゃんを守る、絶対に」

また抱きしめられた、でもちっとも嬉しくない 、エリスを抱きしめるデティの目が…決意と何者かに対する敵意に満ちいていたから、エリスを抱きしめる手が 今までのどの抱擁よりも痛ましかったから


こうして、長くただひたすら長かった館での戦いは終わった…損害も被害も全く出なかった、ただ…最後の最後で エリスは何か 致命的な何かを失ってしまったような 、そんな胸騒ぎが鳴り響いて止まらなかった、何をどうすれば良かったのか その結論はまだ出ないが

エリスとデティはこれから、どうなってしまうのだろう、ただ分かることは これは単なる始まりでしかない事、エリスとデティフローアの物語は まだ終わっていない事…


……………………………………………………………………………………



それからデティとエリスは、騎士の皆さんに護衛されながらハルジオンの館から連れ出された、大怪我をしたクレアさんと未だ意識の戻らないナタリアさんは後々馬車でこちらに輸送するらしい

レオナヒルドを脱獄させたバルトフリートの遺体も丁重に城に送られるらしいが、なんと最悪なことにレオナヒルドが見つからなかったらしい あの雷を受けても尚意識を保っていたらしく、逃げ出してしまったようだ…エリスの詰めが甘いばかりに 結局逃げられてしまった、ってか電撃食らって意識ある上逃げ延びるって どんな執念だ

だが、相当なダメージを負っているはずなので そう遠くには逃げられないと、メイナードさんとヴィオラさんが兵卒の皆さんを連れて追いかけていった、多分捕まるのも時間の問題だと思う

そんなことを考えながら 道を歩く、馬車がないのは持ってきてないからだそうだ
メイナードさん達も 道端に転がるオルクスの私兵や漂う血の匂いから館を見つけて、突入したらしく 彼処に居合わせたのはほとんど偶然らしい…まぁそれほどの距離もないから歩くのは苦じゃない

苦じゃないけど…ううん、その館に戻るまでの道中も、やっぱりデティは少しおかしかった…

どういう風におかしいのか 具体的に言うと、『エリスちゃんは私が守る!』が口癖になった、というかことあるごとに この世の全てからエリスを守ろうとしてくる

「エリスちゃん!危ない!、虫が飛んでる!毒持ってるかも!刺されたら危ないよ!エリスちゃんは私が守るから!」

「あれは蝶です、毒も持ってませんし 刺しても来ません」

「ああほんとだ、でも噛んでくるかも!エリスちゃん!守るから!私の後ろに!」

「そんな蝶 聞いたことありません…」

こんな感じだ…本質はあんまり変わってないけど、でも なんだか変わったのは確かだ、レオナヒルド相手に怖がり 縮こまっていた時とは大違い、あの館で何を感じたのか分からないが デティの中で何か変化があったのは確かだ


ずっとデティに張り付かれながら歩くこと十数分、やっとスピカ様達が休んでいた館についた

ついた…はずなのだけれど、着いてみるとなんと館が吹き飛んでいた、というか 怪獣でも暴れたんじゃないかってくらい 周囲がぶち壊されまくってた、周囲にあるのは瓦礫の山だけ

一瞬 脳裏によぎるのは『エリス達が勝手に外出したことに対して怒るレグルスししょーが巨大化して街を踏み潰して回る姿』……お 怒られる

と思ったら近くの兵士さんが説明してくれた、どうやらオルクスの私兵が大挙して館に攻め込んで来たらしく、それはもう壮絶な戦闘になったらしく その戦闘の余波で館と周囲の街がとんでもない被害が出たとの事

ししょーが戦ってたのか…、くっ 分かってたらエリスも参戦したのに、と思うが 逆に考える、その戦いにデティを巻き込まなかったと思えば あの外出も悪くなかったのかもしれない、その結果とんでもないことになってしまったが

「…ん、エリス!戻ってたか!」

「ししょー!」

瓦礫の脇に 暇そうに立っているレグルスししょーの姿が見え 少し、心踊り 思わず駆け寄る

周りの兵士さんから聞くに、オルクスの私兵の本隊との戦闘の際 ししょーは最前線で戦ったらしい、中には物凄い使い手も何人かいた と聞いて少し焦ったが…やはりししょーだ 、傷一つなく余裕の佇まいで眠そうにしている

「…勝手に外出したそうだな、それもデティを連れて」

「う、も 申し訳ありません…エリスが付いていれば大丈夫と 油断してしまいました」

ししょーの冷たい声が響く、いつもと口調は変わらないがこれは怒ってる声だ、エリスはまたししょーに黙って単独行動し また危険な目にあった、二度目だ…
それも今回は他所の子も巻き込んでの勝手な行動、怒られるのは覚悟の上とは言え やはりいざその時が来ると 怖い

「大丈夫と油断したって 実際大丈夫だったんだろ、被害は出てないし」

「紙一重でした、危うく 取り返しのつかない事になるところでした」

「だが、なんとかなった お前は全霊を尽くし、身の回りの者を守った…ならもう少し胸を張りなさい」

あれ?、なんだこれ なんか話の流れが変だ…もしかして

「ししょー、もしかして 怒ってないんですか?」

「いや、怒ってる …怒ってるが 、弟子が戦い 友を守った これは師匠として喜ばしい事だ、紙一重でも紙百重でも 守ったもんは守ったんだ、よくやったな エリス…凄いぞ」

「ししょー…ししょー!!」

ししょーに頭を撫でられようやく 理解する、そうだ 守れたんだ…エリスが選択を間違えていれば、もしかしたらエリスはもっと 悲惨な思いをしてたかもしれない、ナタリアさんを失うか デティを失うか、もしかしたらクレアさんだっていなかったかもしれない

でも、それを『もし』と想像できるのは エリスが守れたからなんだ、胸を張ることはまだできそうにないし 実際戦闘の内容は酷いものだった…でも、エリスは 勝ったんだ 

今は、それを噛み締めればいいんだ…ししょーの言う通り

「だがそれはそれとしてやはり危ない行動をしたことは許せないので、後日罰を与えるからそのつもりでいるように」

「……はい」


優しいだけじゃなくて ちゃんと厳しいところもある 、エリスはししょーのそういうところも大好きだ


「デティ!」

「…スピカ先生…」

そして、もう一組の師弟が再会する…ただ ほんの少し その関係を変えて…


……………………………………………………

ヴェルトが去ってから 、スピカは忙しそうだった ねじり鉢巻を頭に巻いて 彼方此方に指示を出して回ってた

街の被害状況の確認、怪我人の有無 そしてパニックになっている者がいれば そのケア、あと此度の騒動の黒幕 オルクス卿を今この場に招致するよう命令も下していた 、嫌がったらスピカが直接出向いて首根っこ引っ張って連れて来るつもりらしい

デイビッドが気絶し 仮設の病院に運ばれてしまっている以上、スピカ以外指示を出せる者がいないから仕方ないとは言え、やはりなんだか気合いが入っているように見える

ヴェルトに責められ 己を見直し、今一度 本来の魔女像というものを取り戻したらしい…良い事だ


そして、エリス達に関してたが 直ぐに伝令が入ってきた、なんでもデティがレオナヒルドに攫われ エリスとナタリアがそれを救出していたらしい、話がごちゃついてよくわからなかったが 少なくともナタリアの脱獄援助は冤罪 エリスとデティは無事 それさえわかればよかった

というか、めちゃくちゃ嬉しい

エリスが今回はレオナヒルドに勝ったらしい、生憎取り逃がしてしまったらしいが 今回は勝ち 友であるデティを守ったのだ、師匠として弟子の成長ほど嬉しいものはない、軽く小躍りしそうになったが…やめた

そうだ、今回 エリスは単独行動で戦闘に入ってしまった…今回で二度目だ、別に私から離れるなとは言わない だがまだ未熟な身の上を理解して、無茶な戦闘は控えるように言わなくてはいけない

そうだ、叱ることも また弟子を想っての愛なのだ


そう意気込んでいたが、いざエリスの顔を見たら やはり嬉しさが勝ってしまい、怒れなかった…一応 後日罰をとは言ってあるが 何も考えてない

「デティ!」

「スピカ先生」

と どうやらもう片方の師弟もまた再会を喜ぶらしい、いや 少し前までのスピカなら 叱り飛ばしただろう、魔術導皇としての責務がどうたらとか言ってな…だが

「……」

無言でこちらを見て何かを決意しているスピカ

スピカは先ほど悟った、ヴェルトの言葉を受けて 話し合わず、自分の中で完結し後悔し続ける事が、周りにどれほどの悪影響を与えるかを もしスピカがウェヌスを救えなかった後悔を正直にヴェルトに話していれば、二人の関係はこじれることはなかった

その反省を生かし、スピカは今 弟子と話そうとしているのだ、壁を作らず腹を割り 心の底から話し合おうとしている

『師としてあまりに冷たく扱う自分を恨んでいるかどうか』とな、父を救えず母を救えず 愛する権利がないと冷たく当たっていた自分を 恨んでいるのか、スピカはデティにそれを聞きたいのだ…聞かずにはいられないのだ

「デティ…」

「はい、スピカ先生」

だが言い出せない、スピカはあれで弟子を評価しているし 好いてすらいる、だからこそ 恨んでます 嫌いです と答えられる恐ろしさが胸から溢れているのだろう

対するデティも、怯えたように顔を伏せている…もう怒られる事が確定している そんな顔だ、その態度は優しい言葉などかけてもらえない そんな諦めを感じせる

このまま昔のように スピカがデティに冷たく当たり続ければ、きっとデティはヴェルトのようにスピカと敵対することになるだろう、師弟が そんな関係になるのは悲しすぎる

「うぅ…」

だから勇気を出せスピカ、そんなに私をチラチラ見ても助け舟は出さんぞ 、だから目配せするな 助けないって

一呼吸二呼吸置く、間に静寂が流れ また一度呼吸する…魔女とは言え、その精神構造は人と変わらぬ 勇気を振り絞るのに、時間はいる

そして、落ち着いたのか 意を決したか 、唇を一瞬噛み スピカは口を開く


「デティ…」

「…っ、はい」

スピカが必死に絞り出した 、いつもよりも乾いた 冷たい声に デティが恐怖から肩を揺らす、スピカ 上手くやれ…
 
「…デティ、よく無事に帰ってきました」

「………先生?」

「聞けば 凶悪な魔術師に攫われながらも、友と力を合わせ 切り抜けたそうですね、魔術を使い勇気を振り絞り、流石は魔術導皇…いえ 違いますね」

スピカの態度は、それはもう 上からで 口調は不遜、オマケに当初の予定と違う内容まで話し始めた、だが…それでいいのかもしれない

だって、デティに向き合う決意を固めたスピカのその言葉は、とても 暖かく 優しげだったから

「デティ…流石は 我が弟子です」

「先生…」

いや…最初からその言葉だけでよかったのかもしれない、二人とも お互いの距離を決めかねていたのかもしれない 、親じゃない されど他人でもない …家族じゃない でも友でもない、ならなんなのか 

結局のところ 二人は師弟になりたかったのだ、遠慮する事なく教え愛し 憚られる事なく教えられ尊敬する そんな単純な関係に

「今更、今までの冷たい態度を許せとは言いません…心を改めました なんて都合のいい言い訳をするつもりもありません、ただ聞かせてください 貴方は私を…」

「私は!先生の弟子です!先生の弟子!デティフローアです!」

「はわわっ!?デティ!?」

スピカの言葉を遮り その手を取るデティに思わず声を上げる

恨んでいるか? など聞くまでもない、答えは一つ 恨んでいるわけがないのだ、確かにデティの両親は助けられなかっただろうが、その後幼いデティを育てたのはスピカだ、いろんなことを一から教えたのはスピカなのだ、今この世で唯一 デティが心から甘えられる相手なのだ

恨むはずなどないに決まっている、…もしかしたら一時は何故両親を助けてくれなかったのだろうと言う疑念を抱いたこともあったろうが、なんてことはない …デティはとっくの昔に 師を疑う自分の感情を自分自身で押さえ込んで、己と決着をつけていたんだ…

強い子だよ、スピカ 君の弟子は

「デティ…、ありがとう」

「先生、先生がお礼を言うことなんてありません…ただ私は先生の誇りになりたかっただけなんですから」

「とっくの昔に 貴方は私の誇りですよ」

スピカに身を寄せるデティと その体を抱きしめ…ようとして躊躇い手をしまうスピカ、いいさいいさ いきなり今までの距離感を潰して仲良く、なんて出来ないだろう

だがデティとスピカの心は今 繋がった、そりゃあ全部が全部お互いを理解し合えたと呼ぶにはまだまだ時間がいるだろうが、逆に言えば後は時間さえあれば万事上手くいく

「行くぞエリス、あんまり眺めてても悪いからな」

あの師弟がこの後 語らうにしても理解を深め合うにしても、我々が邪魔であることに変わりはないし、全てが解決してもまだ忙しいことに変わりはない、エリスの手を引きその場を去ろうとした時 エリスの顔色があまりよろしくないことに気がつく

なんだか、デティを見て 複雑そうな 理解出来なさそうな顔をして、…ジッと見つめている

「どうした、エリス 何か思うところがあるのか?」

「ししょー、ししょーはデティの様子 何か違和感を感じませんか?」

「…?、違和感?いや特にないが」

デティはデティだ、特に変わりはないように見えるが、態度も特に変化はない…が エリスはデティに何かを感じているようだ、子供とは大人が思う以上に繊細なものだ なんでもない物に反応して不安に思うことはままある と思う

が、繊細だからこそ 大人も気づけないうちに心が歪んで別人に成り果ててしまう と言うこともまたよくある

「エリス、お前が何を感じているのか 何を言いたいのか分からんが、もし お前がデティに何かを感じているのだとしたら …目を離すなよ、人は変わる時は瞬く間に変わる だからその予兆を見逃すな…お前が友だと言うのならな」

「はい、エリスはデティの友達です …デティはエリスが守ります」

「ん、それでいい 、ほら行くぞ 」

「はい ししょー」

違和感が晴れたわけではないだろうが もう長居する理由がない、今度こそエリスの手を引き その場から立ち去る、向かう先は一応もう決めてある

今回の一件 分からない事があまりに多かった、だから 聞きに行く…奴に ナタリアに真意を





………………………………………………………


「ヒィッ!ヒィヒィッ!?」

「待てっ!!レオナヒルド!」

商業区画 人目の付かぬ小汚い裏通りを全力で走り チェイスする一団の怒号が、静かな街に響き渡る

「っくしょう!、しつこいんだよ!クソども!」

傷だらけの体に鞭を打ち ボサボサの髪の毛を振り回しながら全霊で逃げるのは エリスとの戦いに敗れながらもその場から逃走したレオナヒルドだ、あの電撃の奔流の中 なんと意識を失わず、エリスが離れたのを見て這いずって逃げていたのだ

電流が抜け、やっと動けるようになり 治癒魔術で体を治した後 さぁこれから国外逃亡だと 逃げようとしたところを

「しつこいさ!、君のせいで今日という日が台無しにされたんだ、決して逃しはしないよ!」

「そうです、貴方のせいでナタリア先輩が死にかけたんですから!絶対に許しません屠殺します」

「いや僕たちが殺しちゃマズいよヴィオラ君」

「屠殺します!」

近衛士隊の隊長メイナードとその相棒の近衛魔術師フアラヴィオラに発見され、今現在に至る

相手がなんてことない兵卒だったなら、レオナヒルドが万全であったなら 返り討ちにして黙らせただろうが、今のレオナヒルドはいくら治癒魔術で体を治したとは言え エリスとの戦闘で受けたダメージがまだ残っているのだ、それ程までにエリスの一撃は強力であった

「くそ…ここまできて捕まってたまるか!、『フレイムタービュランス!』ーッ『カラミティブリッツ』!」

「『デリュージバースト』!」

「なぁっ!?ぐぉぉっっ!!?」

レオナヒルドの強力な魔術二連撃を ヴィオラは一発の魔術で吹き飛ばし その上でレオナヒルド自身をも吹き飛ばす、ただの魔術師であったら一たまりもない魔術連射も ヴィオラの有する絶対的な破壊力の前ではそよ風に等しい

フアラヴィオラ…別名 鏖壊の術師ヴィオラ 、アジメクトップクラスの魔力と圧倒的破壊能力…そしてバリケードで防備を固めた盗賊のアジトを一撃で吹き飛ばした逸話を持つアジメクのリーサルウェポン、その一撃は 派手好きのレオナヒルドすら上回ると言われる

「くそっ、私がいない間にこんな新人が…ひぃっ!?」

「逃がさないよ…、レディに刃を向けるなんて許される行為じゃないけどさ、君の行為は 許されざる物だ、然るべき所で然るべき罰を受けてもらう」

吹き飛ばされても尚逃げようとするレオナヒルドの服の裾に矢が突き刺さり その動きを拘束する、この矢はあの魔術戦の最中をどうやって潜り抜けてきたのか?単純だ 突っ切って来たのだ、ヴィオラの魔術を貫通しここまで飛んできたのだ

メイナード…別名煌めきの貴公子、弓をメインとして使う アジメク一の弓の名手
頑強な鎧を貫通する剛弓と狙った獲物は外さない百発百中の技術、その高い実力から次期騎士団長候補に早くも名を連ねるエリートだ

「くそ…くそ、なんでこんなことに なんで」

ここにいる二人は アジメクでも随一の実力者だ、まだ若いが次代を担う主戦力だ…そんなのにまとめて追われればレオナヒルドだって お手上げだ、二人の後ろには結構な数の騎士が控えているのが見える、あの騎士達だって そこらの盗賊なんか軽くひねりつぶせるほど強いのを レオナヒルドは知っている

絶望的だ、逃げ切るのは不可能…だが逃げなければ 今度こそ処刑される、死にたくない 死にたくない 死にたくない!そう思えば思うほど儘ならぬ己の肉体に腹が立つ


「あれ?、レオナヒルドじゃないですか 奇遇ぅ~う」


「む?誰かな…」

ふと、声が響く… 女の声だ、小馬鹿にするような それでいて無機質な女の声

声につられてその方角に目を向ければ、裏路地の奥に 一人の女が立っている、いや 全身を鎧で包んでいるため 詳しい姿は分からな…いや 違う、あの鎧はオルクスの所の鎧 そしてあの女は

「レグルス様が 言っていた…」

以前、白亜の城でオルクスと鉢合わせした際 オルクスが連れていた女の兵士だ、あの時レグルス様が珍しく あの女には気をつけろ と言っていたのを思い出し、メイナードは矢を振り絞る…

「あらら?、やめてくださいよ 声かけただけで弓向けられるとか治安悪ぅ、大声出しますよ」

「惚けるな、君 レオナヒルドの仲間だろ?悪いが君にも僕達と一緒に来てもらう」

戯けた態度で白々しく惚ける女に メイナードは弓を向ける、何よりも女性を尊重して武器を向けることさえ厭う彼が、一切の躊躇なく弓を構えているのだ、それほどまでに今目の前に立つ女は危険極まる存在だ

「仲間?コイツと私が仲間に見える?あっそう…ショックだわぁ、私ってこんな小物と付き合うような人に見えるのかなぁ、まぁ こんな雑兵みたいな格好してりゃあそれもそうか」

「た 助けてください!助けてください!、コイツら私を殺そうとしてるんです!、お願いしますお助けください…ゥッ!?」

「分かったから、それ以上喋んないで …けたたましいなあ もう」

「一つ聞かせてほしい、君が レオナヒルドの背後にいた黒幕かい?、牢屋にいたレオナヒルドに口封じの呪いをかけた 張本人なのかい?」

「二つ聞いてんじゃん、でもまぁ 答えましょう!そうですよ?全部私のせいです、レオナヒルドに盗賊の親玉としての座を渡したのも もう解きましたけど例の口封じの呪いをかけたのも私ですし、彼女が奴隷市場を立てるよう促し子供達をさらうよう唆したのも 魔術導皇を攫ってくるよう言ったのも 、街で暴れたゴーレム作ったのもオルクスが今日反乱を決行したのもその戦力を集めたのも 商業区画の店の物価がちょっと値上がりしたのもあの店の料理がまずいのも全部全部私のせいですよ、あとこの路地裏がドブ臭いのも私のせいです ごめんなさいね」

ふざけた態度でヘラヘラ ヘラヘラと女は続ける、だが妄言とは思えない 無関係の人間にしては知り過ぎている、もし…もし 彼女のいう通りだとするならば、彼女こそ全て一連の事件の黒幕、今回の一件最大の巨悪 ということになる

「なら、君のいう通りだとするならば なおの事 見逃せないな」

「いえいえ冗談ですよ?路地裏が臭いのは生活排水の処理が上手くできていないからで……ああ、もうこうやって冗談で場を和ませるのも面倒くさい、レオナヒルドは貴方には渡せない そして私を見た以上 貴方達もただでは帰せない」

「ッ……」

「メイナード 気をつけて、この女 シャレにならないくらい強いです」

ヴィオラに言われるまでもなく メイナードは気を張っていた、というか もうレオナヒルドは諦めて、部下を逃がす方向に思考はシフトしていた

漂う気配はそれほどまでに強い、あまり強い魔力は感じない だが分かる、メイナードの天性の直感と歴戦の経験が語る、コイツを相手取るには今の戦力では心許ないと

「それじゃあかるく捻り潰して…」

女が手を上げた瞬間、弦が高音を掻き立てる ヴァイオリンにも似たるその音と共に、三条の光が空を切り裂き虚空を舞う

「ヴィオラ!、援護! 他の者はここから離れこの事を報告!」

そうメイナードが指示を出した瞬間既に 彼の手から矢は放たれていた、先程の光…いや 一瞬で放たれた三本の矢は一つ余さず女に突き刺さっており

「…っぶないなぁ、でも仕掛けてきたのはそっちですしね うん」

否、一つ足りとも突き刺さらず 矢は全て女の手の中でへし折られている、隙を見せずほぼ同時に放たれた矢を いとも容易く受け止めてみせる女の姿に 一瞬苦い顔をするも、既に部下達は動き始めている、とにかくこの事を報告しなくてはならない と部下も一瞬の判断で踵を返し走り始めたのだ

ここで部下を 相棒を守れるのは自分だけと メイナードは矢筒に手を伸ばす

「牽制目的とは言え、まさか矢を全部キャッチするなんて 途轍もないね」

「得意なんです、牽制目的の矢を全部キャッチするの…ああ 逃げないでください、言ったでしょ 全員ここから」

刹那女の姿が消える、いや その動きは目で追えなかったが どこへ言ったか想像はつく、今メイナードが一番狙われたくない者を狙われたのだ

「ただでは帰さないと」

矢をつがえ振り向いた瞬間には既に、背後の騎士達が 力なく崩れ落ちていた、…報告の為動いた者を先んじて潰す…合理的ではあるが 出来るかは別、少なくとも報告へ走り出した騎士は それこそかなりの手練れ…それを 一瞬か

「メイナード!合わせて!」

戦慄するメイナードを突き動かしたのは隣の相棒 ヴィオラの声だった、戦場ではいつも聞くその掛け声に、思考するよりも早く メイナードは動き矢を放つ

「『ブリザードエクスプロージョン』ッ!!」

「おや?」

ヴィオラが放つ 吹雪を伴った氷結の爆発、そしてその間を縫うように放たれるのはメイナードの剛弓、ヴィオラの魔術を防ごうと魔術で対応すれば 魔術を引き裂くメイナードの矢が敵を穿ち メイナードの矢に気をとられると、ヴィオラの魔術が敵を吹き飛ばす

弓術の魔術の二重奏、コレを避けることが出来たのは 今まで一人としていない、あのヴェルトでさえ ダメージ覚悟で突っ込んで対処せねばならぬ程のコンビネーション

だが女は余裕の立ち姿を崩さず、二人の攻撃を弾き返す…でもなく 受け止める…でもなく、呆れたように手をひらひら動かしている、魔術も矢も防ぐ気配すらなく体で受け止め、力の奔流の中 血を流し消えて…………



「結局のところ、どれだけ鍛えても 人間考える脳みそは同じ 見る目は同じ、同じ構造の人間に 差異などありはしないのです、私からすりゃ みんな雑魚ですよ」

「…え?」

「なっ!?」

いた…、さっきまで魔術の只中にいた女が 今メイナードとヴィオラの背後に、一瞬で移動を……

違う!、違う違う!そこでようやく気づく この女は最初から移動などしていなかった、メイナードの背後で倒れた騎士は 女の手によって倒されたのではなく、女の投げた鏃に切り裂かれ気を失っただけで…女は最初から移動など、でもさっきそこに

分からない、何が起きてるのか分からない 誰一人として理解出来ない、だが 今理解できることは一つ

我々は敗北が今 決したということ

「メイナード・ベラドンナリリー フアラヴィオラ・オステオスペルマム…」

「何故名を…ぐっ」

「ちょっ!?何をするんですか!うぅっ」

いきなり二人の肩に手を置き 耳元でその名を囁く、振り解けたならとっくに振りほどいていたが、女の力が強すぎるのと 何故か 体が思うように動かず、抵抗すら出来ずに苦悶の声を上げる

「貴方達は……、レオナヒルドを必死に追ったが 努力も虚しくレオナヒルドは霧のように消えてしまい その捕縛は失敗に終わりました、捜索の最中 貴方達は何も見なかった、何もなかった 何も起きなかった そう 報告しなさい、分かりましたね」

「うっ…あ…ッ…」

女の声が二人の頭に木霊する、脳に残響し 胸の中で反芻し 反論も許さず思考も許さず、まるで炎のように二人の意思を蝕み、意識を 刈り取る

「…さて、終わりましたね 、忘却魔術って加減を間違えると息の仕方も忘れてしまうから、使うの怖いんですよねぇ」

そう呟く女以外、この場に立つ者はいない ふと見渡せばメイナードもヴィオラも周囲の騎士も皆 意識を失い、地面に倒れ伏しているのだ

息はある、だが 多少小突いたくらいでは意識を取り戻さないであろうと容易に理解出来るほど、全員深く意識を落としている…女が 声をかけただけでだ

「はぁ、忘れさせるとは言え いつまでもこんな格好するのは怠いですね…、さて レオナちゃん 」

全員の意識を奪った事を軽く眺めて確認すると、気怠そうにその兜を外し すぐそこで膝をつきワタワタと震えているレオナヒルドに目を向ける、相変わらず小物だ だが小物であるが故に絶対的恐怖の前では従順だ、その性質が 女にとっては都合が良かった

なるべく、安心するようにレオナヒルドに声をかけ、地面に縫い付ける矢を引き抜き…微笑む、まるで女神のように慈悲深き笑みだ


「んー、逃げよっか?」

「は はい!、ついて行きます!」

その光り輝く微笑みを見てレオナヒルドはその場に平伏し 女に感謝を述べる、内心にあるのは忠誠心ではない あるのは恐怖そして安心感、私はこの女についていけば 絶対に死なない 絶対に助かる、騎士さえも軽く打ち倒す女の実力を再認識し、恭順の意を示すのだ

「…お話もあるし、ね?」

だが平伏していたレオナヒルドは気がつかない、女が その灰色の髪を揺らし 紫の目をニヤリと歪め…その微笑みが 残酷な嘲笑へ変化していた事に
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