孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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六章 探求の魔女アンタレス

111.孤独の魔女と地獄の鬼の激憤

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「弟子だと!?」

レグルスは叫ぶ、先程からアンタレスによって見せつけられている映像、エリスとアマルトとか言う男の戦いを、そして驚愕する あのアマルトと言う男…今さっきアンタレスの弟子と名乗ったぞ

いや名乗っただけではない、エリスと互角に戦うあの実力と先程見せた黒呪ノ血剣、あれは間違いなくアンタレスの物だ、アマルトは間違いなくアンタレスの弟子…聞いてないぞ

「あれ?言ってませんでしたか私に弟子がいることを」

「言ってない!、というか お前が弟子!?一体どういう経緯で」

「ほんの興味ですよ皆さんが挙って弟子を取り始めているのでどんなもんかと思って私も二年ほど前から彼を弟子にして育ててたんです…彼は物覚えが良いのでね直ぐに呪術をマスターしてくれましたよ」

…嘘だな、アンタレスは興味本位だけで弟子を取るような女じゃない、この女とアマルトの間で何かあったことは間違いないが、こうやって嘘をつくということは アンタレスにとって不都合な何かがあるのだろう

というか、…不意打ちとは言えアマルトめ エリスを一撃で無力化してしまったぞ、たった二年であれほど呪術を使いこなすとは、末恐ろしい男だ

「…アンタレス、お前の見せたいものとはこれか?、私の弟子とお前の弟子を戦わせて優劣を決めようと?」

「そうじゃありませんまぁ確かにレグルスさぁんの弟子と私の弟子どちらが優れているか興味もありましたが結果は比べるほどの事もなかったですし」

「あれは不意打ちだ!、あれがなけれなエリスが勝っていた!」

「違う違う論点はそこじゃあないですよ…それにアマルトがエリスに戦いを挑んだのは私がけしかけたからじゃあありません彼が勝手にやった事です彼は何やらエリスちゃんのことが気に入らないみたいでしたしその辺は干渉しないのが私の育成スタイルなので」

アマルトは…個人的な理由でエリスに襲いかかったと?、状況的に確かにアマルトが戦ってもおかしくない状態ではあったが、だがアマルトは自分からエリスと戦う方向に向かうように話を進めていたような気もする

アマルトがエリスに対して何の因縁を感じているかは分からないが、…エリスめ 厄介な男に目をつけられたな

それにあの男 私の目算になるが、相当な手練れだ…アンタレスの近接戦は些か特殊なものだ 拳や剣での戦闘法を教えられるとは思えない、つまりエリスと互角に戦ってのけたアマルトのあの技量は弟子云々以前の自前のものという事

マレウスで立ち止まって修行しなければエリスでは相手にならなかった可能性さえある

「我が弟子アマルトは…まぁちょっと捻くれた奴でしてね エリスちゃんの事をかなり敵視してるみたいなんですよ」

「分かるさ、アマルトのあの態度は異常だ …エリスをまるで因縁の仇敵でも見るような目で見て、あまり面識もないはずだろ」

「エリスちゃんとはね…」

む、また意味深な沈黙を、こいつと話しているといつもモヤモヤする

「ともあれエリスちゃんはこれからアマルトによって地獄を見せられるでしょうね アマルトは容赦する男じゃありませんしピエールよりも悪辣ですから」

「…なら 私はエリスを学園から連れ出す、あの学園がエリスにとってプラスになると思っていたから入学させたんだ、アマルトによって辛い目にあわされるくらいなら もうあの学園に置いておく理由はない」

「過保護ですねぇレグルスさぁんそれじゃあ何の解決にもならないってまだ分かりませんか?」

「何?…」

するとアンタレスは手元の紙束を纏めて私に差し出す、…何だこれ?読めってか?

「それが今日見せたかったものですそれを見て読んでそれから考えてください…エリスちゃんを学園から連れ出すかどうかを」

「どういう意味だ、…ん? お前…これ」

その紙に書かれた文字を読み、その内容に衝撃を受ける 何だこれは、そんな…誂えたようなことがあるのか?、まるで誰かの意思が介在したとしか思えない

「アンタレス、お前が裏で糸を引いているのか?」

「まさか…レグルスさぁんがエリスちゃんをこのタイミングで学園に入学させたのも偶然でしょう?動き出したんですよ運命が…」

紙の内容を見続けながらアンタレスの言葉をようやく理解する、そうか そういうことか…だから運命か、いや或いは戦争…

「運命か…、いよいよ 私達の役目が終わる時が来た ということか」

「まだ分かりませんけどね だから…見定めましょう私達であの学園の行く末を」

エリスをまだ学園から連れ出すわけには行かなくなった、たとえエリスがあの学園で地獄の底に突き落とされて 涙枯れるまで悲しもうとも、これはもうただの学園生活ではなくなってしまったのだから……


…………………………………………………………

「君は自分のやったことが何か分かっているのか?、ノーブルズの聖域へ侵入したばかりか襲撃をかけ襲いかかるなど、前代未聞だ…」

「………………」

椅子に座らされたエリスの周りを囲むように立つノーブルズ達が、エリスを責め立てるように睨みつける

ここは、学園の一角 通称生徒指導室、違反を犯した生徒が連れてこられ説教される部屋だ、エリスはここに連れてこられ椅子に座らされ さっきからずっとこんな内容の話を聞かされている

エリスは違反を犯した、重大な違反…ノーブルズに逆らう いやノーブルズ襲撃事件だ、もはや事件と言っていい、この国の第二王子ピエールのサロンに襲撃をかけ彼をに襲いかかった 許される行為でないことは既に承知の上

それでも、エリスは平気な顔をしてバーバラさんを傷つけ彼女の夢を奪ったあの男を許せなかった、いかなる罪に問われてもその報いを受けさせるつもりだった…だが

結果はこの通り、エリスはアマルトに敗れ この指導室に連行された、アマルトの呪術により体の自由を奪われ 完全無欠の敗北を喫した

「君の友人バーバラが重傷を負った話は聞いた、しかし それとピエールを結びつけるのは早計だろう、我が弟ピエールはそれに関与していないと言っているぞ」

エリスの前で後ろで腕を組みながら激昂した様子でエリスを見下ろすイオ、だが エリスに彼の話を真摯に聞く余裕はない、今エリスはアマルトの衝撃に意識を奪われている

…アマルトが魔女の弟子?彼もエリスと同じ魔女の弟子、不思議はない 嘘ではない あれは間違いなく魔女より授かった古式魔術だった、その衝撃の事実に心奪われている間に 一撃の元エリスは敗北したんだ

確かに魔女の弟子なら エリスが同じ魔女の弟子である事を見抜くのは容易いだろう、しかし…こう、納得がいかない エリスは今まで友好的な魔女の弟子としか会わなかったから、魔女の弟子と敵対するのは初めてだ

同じ魔女に教えを受ける身として、何でエリスは彼に敵視されなければならないんだ…

「おい!、聞いているのか!エリス!」

「…聞いてますよ…」

「君の与えた損害は大きい、ピエールの護衛あるアルバートを叩きのめしピエールに心的な傷を与えた、…これはもう学園内に留まる話ではないのだぞ!、王子襲撃事件といってもいい!…当然 君はこれから罰を受けるのは分かっているよな」

イオは激怒している、あんな弟でも可愛いらしい…ピエールはエリスが一方的に攻め込んできたとイオに垂れ込みイオもそれを鵜呑みにしている、弁明の余地はない まぁ襲撃したのは事実だしね

…口惜しい、どうせ罰を受けるならあの男の顔に一撃入れたかった

「まず 当然ながら君は退学だ」

「…あんなクズを匿い好き勝手させる学園なんかこっちから願い下げですよ」

「貴様!、まだ懲りていないか!」

「退学でも何でもしなさいよ!、あんな王子に好きにのさばらせるこの学園も!こんな目の曇った男がいずれ玉座に着くこの国も!どうせ未来はないでしょうからね!」

「この…!、貴様のような人間に何をいっても無駄か…!」

「奇遇ですね!今エリスも同じこと考えてますよ!」

「くっ!」

エリスの嫌味な言葉に激怒したイオは怒りのままに拳を高く掲げエリスをなぐりつけようとした…瞬間、その手が別の人間によって抑えられる

「待てよイオ、落ち着けって」

アマルトだ、エリスを打ち倒しここに連れてきた男…学園次期理事長にして探求の魔女アンタレスの弟子エリスと同じ魔女の弟子である男が笑いながらイオの手を止める

「アマルト…しかしこいつは我が弟を」

「事実だろ、ピエールがクズなのは 、どうしようもない奴だって 分かりきった話に今更怒るなって」

「お前までそんな事を言うのか!、ピエールは…私の弟はそんな、本当は…優しい子で…」   
 
「お前がそんな風に甘やかすからピエールはあんなのになっちまったんだろう、お前の父ちゃんも言ったじゃんかよ、…アイツを学園に入学させたのも アイツを少しでも改心させるため、そこはお前もわかってるだろう」

「………アマルト、だが私は兄として弟であるピエールを守らねばならない」

「そこは好きにしろ、人ン家の弟の教育方針にまで口出す程俺は優しくねぇからな、だが一旦落ち着け ここでお前が手を出したら悪評が立つ、抵抗出来ない女を個室に閉じ込めて殴りつけたうえ唾を吐きつけた暴行強姦魔大王ってな」

「………………」

「まぁまぁ、ここは俺に任せて お前は下がってな、おい 椅子」

するとアマルトはエリスの前に用意された椅子に座りエリスと目を合わせる、その目はやはり エリスに対する悪意が垣間見える、今庇ったのもきっとエリスを守るためではないのだろう

「そんな怖い顔するなって」

「…何故、貴方はそんなにもエリスを嫌うのですか」

「好き嫌いは人それぞれだろ、今はそれはいいじゃねぇか…取り敢えずエリス君?君には罰が与えられる、当然だよなぁ?」

「……退学なら甘んじて受け入れますよ、どうせこんな学園やめるつもりだったので」

「退学にはならねぇよ、アルバートをボコった件に関しては アルバートの方から手を出したみたいだしな、正当防衛って事で片付けてやる、ピエール自体にも手は出してないし 王子が寛大な心で許したってことにしておく、この際ピエールの意見はどうでもいいしな」

退学にはならない?、…何を考えているんだ?エリスに罰を与えるんじゃなかったのか?、あの襲撃の大部分をチャラにすると宣うアマルトの言葉に思わず目を白黒させる

「何を言って…どう言う意味ですか」

「ただし、ノーブルズに逆らった件はどうにもならねぇ だからお前には枷を与える」

「枷?」

するとアマルトはエリスの額に指を当て、魔力を流し込む なんだ…?痛くも痒くもなければ体に何の以上もない、だが分かる 何かされた、呪術は体に傷一つつけずに痛みを与える魔術だ、異常がないように見えるのは外見上の話 恐らくエリスは今アマルトに呪いをかけられた

「これでよし、今日のお前の罰はこれだけで許してやる」

「許す?…一体何を…っっ」

と言った瞬間アマルトの拳が振るわれエリスの頬が殴り抜かれる、唐突な攻撃に体は反応出来ず 思わず意識がぐらつき口の端を血が垂れる、何をするんだいきなり!

「何を…ぅぐぅっ!?」

咄嗟にアマルトに対して反撃しようとした瞬間 体が激痛で動かなくなる、体が熱い 内側が熱を放つように 焼かれるように痛い、これは さっきと同じ金縛り?いや、効果は同じだが…これは…

「この呪いは お前がノーブルズに逆らおうとした瞬間発動し お前に痛みを与えその動きを縛る 命令されれば体が勝手に動き従う、お前はもう一生俺たちノーブルズに逆らえない…殴られようが蹴られようが、服を剥がれようが何しようが お前は声一つ上げられない、罰はこれくらいで許してやる」

「な…にを……」

「退学になんかするわけねぇだろ、お前をこの学園から逃がしはしない…当然学園の外に出ようとしても俺に逆らったとみなして呪いは発動する…、大人しくこの学園で過ごすんだな」

「くっ……」

身震いする アマルトの悪意に、殴られても蹴られてもエリスはもうこの男に逆らえない この学園からも逃げられない、エリスは一生アマルトに縛られたままなのだ…

「まぁ?ここには寮もあるし食堂もある 生きるにゃ事足りるさ、まぁ 明日からは地獄だけどな」

「何故…エリスをそうも…憎むのですか、エリスは貴方に何もしていないじゃないですか」

「……テメェの態度だよ、力と才能を持ちながらそれを他人のために使おうとする、友達を大切にしその為に憤る…、優しい天才っての?…腹立つぜ そう言うのが一番な!」

「そんな…理由でですか!、そんなの貴方の勝手な…ぅぐ!」

「おいおい!、さっき説明したろ?俺に逆らうなって、痛いだけだぜ」

ぐぅぅ、心臓が火で炙られてるみたいだ…あまりの激痛に膝をつき蹲る、これが呪術 これがアンタレス様の魔術、人体に直接作用すると言うこと それは即ち全ての魔術の中で最も人間に対して有効な力を持つと言うこと、なんて恐ろしい魔術なんだ…

「そうやって跪いていればいいのさ、権威に屈しろ 才能だけ持ち合わせてても何の意味もねぇのさ」

「ぅ…うう」

「さぁ、今日のお話はこれで終わり 、明日も楽しい授業があるんだ さっさと帰り?」

「まだ…エリスの話は…」

「帰れ、命令に逆らうのはお勧めしないぜ」

「っ……!」

ゾッと背筋が凍ると共に再び体の中に軋むような痛みが走り始め大慌てで部屋を立ち去る、悔しい…悔しい、情けないにもほどがある これじゃあ完全に敗走だ

バーバラさんの仇も討てず 返り討ちにあって、何も出来ず枷を嵌められ逃げることさえ許されず、これが敗者の末路 これが弱者の行く末、師匠にもバーバラさんにも申し訳が立たず涙を流す…

バカだな…エリスは、本当に馬鹿だ あまりにも馬鹿すぎる、もっと考えられなかったのか、もっと冷静になれなかったのか、頭を血を登らせ実力行使に出れば何とかなると やはりアマルトの言う通りどこか自分を特別視していたのか

魔女の弟子だから、この学園でも自分は抜きん出た存在だと…



走り走り、もう暗くなり始めた廊下を抜けて自分の寮へと帰ってくる…、エリスの部屋に今エリス以外の人間はいない、バーバラさんはあの重傷を治すため 病院に長期入院するらしい、しばらくは帰ってこれない

つまりエリスは、もう 一人ということだ

「……………………」

部屋の扉をあけて中に入れば、昼間出た時同様 床に切り裂かれたコートとバーバラさんが投げ渡してくれた毛布が広がっている、その部屋の有様を見れば嫌でも思い出す、あの時のバーバラさんの顔を

何で…あの時エリスは止めなかったんだ、何でもっと頭を冷やせなかったんだ

「くっ…」

バーバラさんがくれた毛布を抱きしめて床にそのまま転がる、忸怩たる思いに胸を一杯にしながら、この日は…床で眠りについた

…………………………………………………………

この日は…、珍しく寝坊した

と言ってもいつもより少し遅く起きたたというだけで、授業に間に合わないほどではなく普通に準備すれば容易に間に合う時間帯なのだが

(お弁当の準備ができなかった)

お弁当の準備が出来なかったと些か後悔しながら廊下を歩く、バーバラさんがいないからもういいのかもしれないが…昨日の件も踏まえるとエリスはもう食堂は使えないのかもしれない

はぁ、気分は陰鬱だ 昨日の件がまだ尾を引いているバーバラさんは大丈夫だろうか

「……ん?」

ふと、教室の手前で立ち止まる …もはや見慣れた光景、人の壁が教室の前に聳え立っていたのだ、何故人の壁がなど考えるまでもない、これは奴の十八番だ

「ピエール…」

「よう、エリス 昨日はよくも僕に恥をかかせてくれたな、お陰で昨日は兄さんに怒られてしまったよ、ほんと…よくやってくれたよ君はさ」

ピエールだ、眉をヒクつかせ激怒しているのがありありと伝わってくる、だが怒ってるのはこいつだけじゃ無い エリスだってまだ彼を許したわけじゃ無い、バーバラさんに償いの言葉をもらうまで エリスはこいつを地の果てまで追いかけて叩きのめすつもりだ…が

(チッ、こいつを殴ろうとすると…体が痛む)

アマルトの呪いだ、ノーブルズに逆らうとエリスの体は激痛に苛まれ動けなくなる、それはピエールにも反映されるのは当たり前の話、事実少し考えただけでも燃えるように体が痛むんだ

体そのものが痛む、耐え難い痛みだ

「聞いてるよ君、アマルトさんから呪いを受けたんだってね、…ほら そんなに気にくわないなら殴ったらどうだい?ほらほら」 
 
「チッ……」

拳を握ると電流が走ったように痛みが体に回り思わず力が抜ける、目の前で顔を突き出すピエールを相手にエリスは何も出来ない、よく出来た呪いだ…本当に厄介な

「アマルトさんに逆らうからそうなるんだ、あの人は魔術は魔女より教えを授かり 剣術はあのタリアテッレさんから直々に指導を受けた事もある人なんだよ、剣魔両道のあの人に叶いっこ無いんだよ、馬鹿だねぇ君は」

「退いて…ください、貴方も授業があるでしょう、このままじゃ間に合いませんよ」

「ああそうだった、流石に授業サボると兄さんが怖いからね…じゃあ授業に出ようかなぁ」

全く、暇を惜しんでエリスに会いにくるとは こいつの根性はカールマカロニみたいに捻れてるんだな…、エリスの前から立ち去りそうになった瞬間 、あ そうだと言いながらピエールは足を止めて
 
「君、新しい教科書貰ったんだろ?、それ貸してくれないかな」

「はぁ?、貴方帝王学科の生徒でしょ 魔術科の教科書なんていらないじゃ無いですか」

ピエールは王子として帝王学を学ぶ帝王学科に所属している、魔術なんてかけらも習っていない筈だ、なのにエリスの教科書を欲するなんて 何を言いだすんだこいつ

「僕の友達の一人が教科書を忘れてしまって、このままじゃあ彼が授業を受けられないんだ…だから貸してくれよ」

そう言って取り巻きの一人を指す、忘れた というよりは忘れさせただろうな、エリスから教科書を取り上げるために…、だがこれを取られたらエリスが教科書を忘れたみたいになるじゃ無いか

「嫌ですよ、貴方の取り巻きは山ほどいるんですから そこで共有して…」

「んんん?、僕に逆らうのかい?」

「っ…ぐぅっ!?」

ピエールがそう言うだけで、エリスの内側が張り裂けそうになるくらい痛む 呪いだ、呪いのせいでピエールの言うことに逆らえない、激痛が走る腕がエリスの意思に反して勝手に動く どうやら命令されると痛みを与えながら体が勝手に動くようだ

エリスがどれだけ拒んでも腕は勝手に動き、鞄の中から教科書を取り出しピエールに差し出す

「ははは、最初からそう言う態度を取っておけばいいんだよ、じゃ 借りるよ?ああ勿論返さないから、また先生に言うんだね 無くしました…ってね、あははははは」

「ぐっ……」

ピエールに教科書を取られれば激痛から解放され脱力し、その場に膝をつく…頭の上からはピエールやその取り巻き達の笑い声が聞こえてくる、屈辱だが…どうしようもない、この呪いがある限りエリスはピエールに嬲られ続ける…されど逃げることも出来ない…

まさに枷だ、首に枷をつけられたようだ


「ほら、真面目に授業受けろよな」

「………………」

屈辱にまみれながらエリスは手ぶらで教室に入る、…それと同時に向けられる視線は以前のものよりもさらに冷たい

「き…きたよ本当に」

「何で退学になってないの、あんな凶暴な子」

「アマルト様に罰を与えられたらしいけど…」

「いい気味だ…」

当然だ、ここにいる生徒は皆エリスのピエール襲撃事件を目撃している、もはや一片の弁論の余地もなく、エリスは彼らに取って邪魔以外の何ものでもない、この教室に来ること自体が苦痛だ …誰かが待っていてくれているなんて思ったことはない、エリスが自分で招いた結末だ、だがそれでも他人から向けられる悪意の視線というのはそれだけで嫌なものだ

「………………あれ?」

エリスの席に向かえば、いつもいるはずの人がいない、いやバーバラさんは入院してるからいないのは当然だけれど、アレクセイさんまでいない 何で…休んでるのか?それとも彼にも何かあったのか?

嫌な汗がどっと出る、エリスのせいで彼にも何か危害が及んでいたとしたら…どうしよう、でもエリスにはもうどうしようもない エリスではもうノーブルズには逆らえないのだから、抗議も抵抗も出来ない

「アレクセイさん…バーバラさん」

エリスの周辺を見てこの学園で完全に孤独になったことを悟る、味方がいないのは変わらないが もはや気の許せる相手もいない

こんな空間で、エリスは三年も過ごさないといけないのか…苦痛だ

「はぁ~い、授業を始めるよ~席に着きなさ~い?」

エリスが席に着くと同時に教師が入ってくる、あれは…魔術の歴史を担当するマクミラン先生だ、親ノーブルズ派の教師として知られ、ノーブルズ 及びそれに従う者には優しく、反する者には厳しいやな教師、元々彼らに反目してきたエリス達は既にマクミランに目をつけられていたが…

今はさらに悪いと言ってもいいだろう

「おや?、エリス君教科書を持ってないねぇ 昨日渡したばかりなのにもう無くしてしまったのかい?物は大切しないとダメじゃないか」

「い いやエリスは…」

机の上に何も出していないエリスを見てマクミランはこれ見よがしにエリスを責め立てる、そこで察する こいつはピエールと組んでいる、さっき教科書を取り上げたのも きっとエリス吊るし上げるため

教科書なんてエリスはなくても平気だが、こうやって吊るし上げられ笑い物にしただ屈辱を与えるためだけに手を回すピエール達に怒りが湧いてくる、それと同時にそれでも何も出来ない己自身にも怒りが湧いて…やるせなくなる

「全く、ノーブルズに逆らう生徒にロクなモノは居ないな、君達はこうならないように気をつけてくれよ」

「……はい」

笑い物にされ 何も言うことが出来ず 抗議も出来ず、空の机を見て拳を握り…淡々と授業は進んでいく

エリスはこの時よりピエールの嫌がらせ、そして全校生徒の嫌悪の対象として学園生活を過ごすことになった



……虐めはこの時だけに留まらなかった、寧ろ この時からエスカレートして行ったと言ってもいいだろう、エリスはノーブルズに逆らえない その文言が広まったのはこの後すぐだ

人は、抵抗出来ない存在を見た時 なによりも加虐的になる、自分が安全であると理解した時攻撃的になる、抵抗出来ずただただ被害を甘んじるエリスは皆にとって恰好の憂さ晴らしの相手となった

寮に帰れば部屋は荒らされている、ピエール達は女子寮に入れない筈だから、多分関係ない女子生徒が憂さ晴らしと嫌がらせを兼ねて荒らしたんだろう、酷い時には椅子やベッドが壊されている時もあった

がしかし、その破壊もエリスのせいにされ寮長から衆目の前で怒られた

廊下を歩けば 足をかけられ、転けたところを踏みつけられることもあった、エリスが抗議すれば直ぐにノーブルズがやってきて、事態を悪化させる ノーブルズが言えばエリスは逆らえない、その逆らえない場面を見て周囲は更に調子に乗る

酷い時はピエール達にすれ違いざまに殴られることもあったが、抗議すれば 体に痛みが走り忽ち何も出来なくなり、情けなく地べたを這いずるエリスを見て皆笑う

弁当を作れず、食堂で昼食を済ませようとすると、ピエール達が現れ エリスの食べている料理を取り上げ頭からかけてきた、剰えそれを舌で舐めて食えと命令されて…逆らえないエリスは、涙を滲ませながら ピエール達の足で踏まれたそれを 彼の靴を舐めるように食べた

嫌がらせを受ける都度、浮かぶのは師匠の顔…エリスが孤独の魔女と名乗れば名乗るほど、あの人に申し訳がない エリスが孤独の魔女の名を汚しているような気さえして、その後 食べたもの全てを人知れずに吐いた

気の休まる場所はなく 落ち着ける場所など何処にもない、周囲すべてがエリスに牙を剥き 全てがエリスに悪意を向ける、あれからアマルトは姿を見せないが きっとこの姿を見て彼も満足していることだろう

食事もろくに取れず 睡眠も満足に出来ず、常に悪意に晒され続け 日に日に弱る体に心も弱る、弱れば弱るほど逆らう気も失せる いつしかエリスに反抗の気はなくなり、ただ無為にただ無反応に悪意に答え続ける日が続いた

一週間か 二週間か…一ヶ月か二ヶ月かはたまたそれ以上か、日にちを数えることさえやめたエリスの目は、力なく曇っていく

…この感覚に妙な懐かしさを覚える、そうだ アジメクにいた頃だ、奴隷だった頃を思い出す

どうやらエリスの奴隷気質はまだ完全に死んでいなかったようだ、あの時のようにエリスはただ無抵抗に暴力を受け続ける

一体、いつまでこの生活を続ければいいんだ…師匠、エリスはもう…

「おい!、エリス!」

ふと、意識が我に返る…しまった 軽く意識を失っていたか…

「っ…」

意識を戻し己の状況を確認する、…廊下だ ここは…視線を動かせば頭の上に下卑た笑みを浮かべる生徒達が見える、エリスは今横たわっているのか?、そうだ…廊下を歩いていたらピエール達に出会い頭に腹を殴りつけられ、蹲り嘔吐したんだ

その上から更にドブから掬ってきた汚水をかけられ…、今は全身悪臭と悪寒で満たされている

「ぅ…」

「立てよ!早く」

ピエールの声がする、慌てて立ち上がろうと手に力を入れれば、うまく力が入らない 震える…荒れた己の手が目映り、ついで 汚水と吐瀉物の混じった水溜りが目に入る

…そこに映っているのは負け犬だ、ドブネズミのように汚れ 目も虚ろになった汚らしい女がいる、…これが今のエリスの姿か、汚いな

「早く立てって言ってんだろ!!」

「あぐぅっ…」

髪を掴まれ無理矢理立たされる、ああ…フラフラする、最近ロクに食事も取れていないから 考えも纏まらない…、目の前にはピエールの顔…悪魔のような鬼のような道化のような笑みを浮かべ、エリスの髪を掴んでいる

「今日は君にプレゼントをしにきたんだよ、ほら」

と言うとピエールは取り巻きから紙を受け取り、それをエリスの体に貼り付ける…、ゆっくり視線を動かし紙の内容を読めば そこには

『私は負け犬です、笑ってください』なんて書かれている、自己紹介か

「君の立場をみんなにわかりやすく説明するにはそれが一番だろ、今からそれつけて学園内を練り歩いてこい、これは命令だ」

「ぐっ…」

命令されると、体の内側が焼けるように痛む 手足がピエールの言った通りに動こうとする、もはやエリスの心に反抗できる余地はなく、ふらつく脚とがたつく手で必死に歩こうと体を動かすと

「おい待てよ、その前にこれ片付けてけ ほら、掃除道具やるからさ」

と言うとピエールはエリスの前に布をぶちまける、エリスの私服だ それでこの汚水と吐瀉物を片付けろと言うのだ、苦楽を共にした服で…、嫌だ 嫌だと思っても、体は勝手に動き 痛みはエリスの反抗心を殺していく

「うっ…ぐぁ…」

「ほら、返事…」

「は…はい」

「あとプレゼントに対する礼は?」

「あ…りがとう、ございます」

「ぷふっ…あははははは!、いい気味だよ!全く!、君が従うところちゃんと見ててやるから安心しろよ、ほら 早く掃除しろよ!」

蹴飛ばされる、ピエールの足で 力を失ったエリスの体では受け止めることも出来ず再び吐瀉物の海へと体は沈む、痛い 痛い 悔しい 悲しい…どれだけ心の中で唱えても、いくら涙を飲んでも、体は動き エリス自身の服でそれを拭き始める

「ほら!みんなも笑ってやれよ!、笑ってほしいって書いてあるんだからさ!あはははは!」

そんなエリスの様を見て、ピエールは笑う 取り巻きも笑う 関係ない生徒も心底楽しそうに笑う、エリスだけか…唇を噛む…

いつまでも続く地獄の中、エリスはただ黙々と 己の尊厳を己の手で怪我し続けた


……………………………………………………

広い空間に、ただ岩の砕ける音が木霊する 今目の前で手製のゴーレムが砕かれたのだ、いやまぁ入学生にも壊せるレベルであったとは言えこうも容易くこなされるとショック以上に驚きが勝る

「驚いたよ…いや、これは流石 と言うべきかな?」

魔術科筆頭教授リリアーナ・チモカリスは口元に手を当てたまま目の前の存在を讃える、話には聞いていたがやはりこの目で見ると凄まじい物だと感嘆の息しか出てこない

「ああ今ので十分だよ 実力は十分見せてもらえた、今のゴーレム試験でこの入学試験は終わらせよう、今更筆記だの実技だのを見ても結果は変わらないだろうからね 合格だ、転入を認めよう」

転入生に対して行われた入学試験、手始めに入学生達にも出したゴーレム対処試験を行わせたのだが、やはり 試験など必要ないと思えるほどにこの転入生の実力は隔絶したものだ、こんな逸材が入ってくるなど 不真面目な教師のリリアーナでさえ滾ってしまうほどだ

だが

「だが聞かせてほしいな、何でわざわざ魔術科なんかに?その実力と才気ならわざわざここで学ぶことなんてないだろうに、この学園には数多の学科が存在する 今からでも別の科に変えていいんだが?」

凄まじすぎるんだ 今このレベルの存在が転入してくれば間違いなく魔術科は、いやこの学園はひっくり返る、七魔賢として世に名を轟かせるリリアーナでさえ この転入生に今更何を教えていいか分からないほどだ

魔術科で学ぶことがあるとは思えない、そうリリアーナは口にすると 転入生は…いや転入生達は困ったように頬をかくと口を開き

「ここは、天下のディオスクロア大学園…多くの人が多くのことを学び己を高める場、今更学ぶことなんかない とは言えないと思いますよ、それにまぁこちらにも色々事情がありまして」

「なるほど、事情か…いや何となくわかるよ、君達にも いや君達だからこそ儘ならぬ物もあるだろう、勿論我が魔術科で学ぶとなればこのリリアーナ…歓迎しよう 君達のような優秀な生徒が入ってくれるとは嬉しい限りだよ」

「にへへ、これからよろしくねリリアーナさん」

「…貴方によろしくと言われると 些か困りますな、まさか貴方が我が生徒になろうとは…」

リリアーナは些か畏る、いやまさかこの方を生徒として受け持つことになるなんて 少し緊張してしまう、だがこの転入生達の名前が魔術科の名簿に加わると思うと今からワクワクする、この子達は魔術科で一体何をしでかしてくれるのだろうか

願うなら、ノーブルズの強権を打ち破ってくれると良いのだが

すると、三人の転入生の一人が口を開く

「ところで先生、一つ聞きたいことがあるのですが」

「おや勉強熱心な生徒だ、早速質問かい?なんでも受けようじゃないか」

「はい、実はこの学園に入る少し前に聞いた話したのですが…、この学園にエリス という生徒がいるとは本当ですか?」

エリス…転入生がその名を口にする、エリス エリスか、この学園には山ほどいるが、彼の言うエリスとはきっとあのエリスだろうな、入学試験で優秀な成績を出した 本物のエリスだ

しかし、ううむ言いづらい 今エリスは件のノーブルズ問題の渦中にいる、リリアーナとて看過できない問題だがあのアマルトが主導でエリスを追い詰めている以上リリアーナも何も出来ない

だが、それを彼らに伝えたらどうなるか、…これは想像以上のことになりそうだ

「ああいるとも、だが…そうだね 君達には伝えておこう、エリス君の今の状況を」

「……エリスが?どうかしたんですか?」

「うむ、実はね……」

………………………………………………

「朝…ですか」

窓から差し込む陽光を受けて眼を覚ます、ああ 朝が来てしまった…憂鬱だ、エリスは最近 朝起きるのが嫌いだ、朝起きれば授業に行かなくてはいけない 授業に受ければ皆から虐めを受ける

精神的 物理的問わず行われる公開処刑地味た虐めの数々はエリスから全てを奪う、最近はご飯もろくに食べられない 苦しくて睡眠もうまく取れない、苦しくてたまらない

十全に生活を行えなければ体が弱るのは当然のこと、最近では力もうまく出ない…魔術も発動させられないほどに集中力も欠く始末、確実に如実に弱体化する己の体と共に心も弱る

もう…限界だ、だが学園から逃げ出そうとしても 外に出ようとした瞬間体が痛み 足が勝手に引き返してしまう、アマルトの呪術は強力だ あれからかなりの時間が経ったのにいまだに強い効力を持ちエリスを縛る

逃げられない かといって解決もできない、檻に入られ毎日のように拷問を受ける囚人の気分だ

「…ぐっ…うう」

こうやって起き上がり 準備をするだけで体が痛む、はぁ 胃が重たい 痛い…かといって授業をサボっても意味がない、ここにいても虐めは行われる…女しかいないから より苛烈な……

なら外に出るしかない、授業を受けるしかない 陰鬱だ


「……はぁ」

外に出れば眩しいばかりの日が差していた、外はこんなに明るいのにエリスの心はあまりに暗い、ほら…周りがエリスを見てニタニタ笑っている あの視線も少し前まで気にならなかったが、今はまるで剣刃のようだ

「行きましょうか…」

誰に言うでもなく重たい足を引きずって学園へ向かう、でもきっと うん…分かり切ってる、きっと廊下には

そうぼんやりする頭で考えながら学園へ入り 廊下を歩き、教室の前に行けば ほら、いつものように人の壁ができている ピエール達だ

…いや、いつも通りというのは少し違うな、今日はなんだか人が多い気がするが、そんなことに反応できるほどエリスは元気じゃない

「……………………」

「よう、エリス」

いつものように声をかけるピエール、この声を聞くだけで背筋に嫌な感覚が走る、だが逃げるわけには行かない

「だいぶいい顔になってきたじゃないか…、僕に逆らった事の愚かさが分かったか?」

「………………」

「ふっ、本当に強情なやつだよ!ここまで来てまだ意地を張るかよ!逆らえないって分かってんだろ!、僕にはさ!」

その通りだ、逆らえない だがこの心まで差し出すつもりはない、今エリスをこうして両の足で立たせるのは師匠の弟子であるという事実だけ、だがらエリスはエリスである以上ここで屈するわけには行かない

まぁ、なんて強がっても 今のエリスには何もできない、ここで最悪 ピエールが死ねと言えばエリスはどうなるか、生殺与奪権さえ握られたこの状況下により一層気が沈む

「まぁいいさ、…だけどさ 僕も疲れたんだ、毎日毎日君に対して嫌がらせってさ いい加減飽きてきたんだよね、僕も暇じゃないし 君に構い続けるわけには行かないしさ、今日で最後にしてあげるよ」

「え?…」

最後?何言ってるんだ …暇じゃないって、エリスをこんなにも傷つけておいて、っていうか最後?これで終わるのか?この地獄が

その刹那の希望を見出したのも束の間、ピエールはエリスの前で舌を出して笑う

「服を脱げ、ここで」

「なっ…!?」

「そして跪きながら僕の寵愛を欲しろ、そうすれば君を僕の女にしてやるよ、そうすれば 君に対する嫌がらせはやめよう、君を僕の性奴隷にする」

「こ…この…っ!」

こいつ エリスのことをまだ諦めてなかったのか!?、まだそんな…嫌だ!、嫌だ!…こんな奴に抱かれるなんて こんなところで服を脱ぐなんて、あまりの怒りと屈辱に血管がちぎれそうになる

「ああ言っておくけどこれはまだ命令じゃあない、ただの…通告とでも言おうか?、ほら体痛まないだろう?」

「……………………」

「これは呪いによる強制ではなく 君の意思でやれ」

怒りでワナワナと口が震える、この男の悪辣さに激怒するが…それに答えるほどの体力も今はない、事実体は痛まない こいつはエリスの意思でエリスの意思を圧し折ろうとしている、これでエリスを屈服させるつもりなんだ

「なんだなんだ?」

「ピエール様がエリスに罰を与えるんだとさ」

「ああ、自業自得ね」

気がつけば周囲に人も集まってきた、衆人の前で服を脱がせようとするエリスの屈辱的な姿を見てやろうと 続々と集まり 前も後ろも人だらけだ、その目は全てエリスに注がれている …そんなにもエリスが折れるところが見たいのか

「ほら、早く そうしないと命令…しちゃうよ」

「ふざけないでくだ…ぐっっ!?」

反抗しようとすれば体に痛みが走る、逆らえない反論も出来ない エリスにはもう一つしか選択肢がないと言わんばかりに、…力を失った体は膝をつき 痛みに悶える

「ほーら、早く…みんな待ってるからさぁ?君の無様な姿を!ほら、早くしろよ!」

「い…嫌です…嫌…ぁぐっ!」

「バカだね!逆らうから痛いのさ!僕に逆らうなよ!、僕はピエールなんだよ!?この国の第二王子!魔女大国コルスコルピの第二王子!兄さんの次に偉いんだよ!どれだけ強くてもどれだけ力を持っててもそこは変わらないんだよ!」

膝をつくエリスの髪を掴み顔を持ち上げピエールは怒鳴る、早くしろと それがもし呪いのトリガーに引っかかればエリスはもうこいつに従うしかない、でもエリスの意思でこんな奴に従うなんて…嫌だ…嫌だ!

こいつは、権力で他人を貶め 傷つけバーバラさんの夢さえ打ち砕いた!、こんな外道になんか屈したくない、屈したくないよ!ここで折れたらあの奴隷時代のエリスに逆戻りだ

あの頃には戻りたくない、せっかく師匠とここまできたのに…あの頃に戻ったら、エリスは師匠に合わせる顔がない

ここで…折れるくらいなら、あの頃に戻るくらいなら…死を選ぶ、ここで…死んでやる、舌を噛みちぎって死んでやる

エリスに残された自由はそれだけだ…それなら

「早くしろよ!」

「いつまでも逆らうなよ!」

「この不良生徒!、目障りなのよ!」

周囲の声が囃し立てる、エリスをかばう人間はどこにもいない 、どこにもいない

ここでエリスが死んでもこいつらはただ笑うだけだろう、愚か者が死んだと…ピエールも気に留めないだろう、直ぐに忘れる

…悲しい、あんまりにも…こんなの…惨めすぎる

「はぁ、もういいよ…君の呪いに命じよう、どこまでも愚かな女だ君は」


ああ、ピエールの口が開かれる、あの言葉が出ればエリスはもう逆らえない…

師匠の名を屈辱で汚すくらいなら…もう……いっそ……


エリスの口が、その舌に歯をかけた……




  




瞬間、…声が響く

ほかの、囃し立てる悪意に満ちた声じゃない

ピエールの、呪いの言葉でもない

…全く違う、別の声…

「おい、こんなに集まってなんの騒ぎだ?これから授業じゃないのか?それともここは廊下で授業をするのか?」

……声だ、男の声 不思議そうな男の声、それが 周囲を黙らせ ピエールの意識をそちらに持っていく、……この声 どこかで…?

「はぁ?、なんだよお前 誰だよ」

「…何をやってるんだ?お前は」

声の主は、人混みをかき分け現れる…がすぐにピエールがエリスの髪を離した所為でエリスは倒れ、痛みに悶えるせいでその者を視認できない 誰だ…、いや誰でも同じだ この学園ではピエール達ノーブルズに逆らえない…結果は変わらない、地獄が延長されただけだ

「何って、見て分からないかい?…ああ君 件の転入生だね、今日からこの学園に入ったから知らないのか、よく見ておけよ これがこの学園の摂理だ」

そう言ってピエールはエリスの頭に足を乗せその髪を踏みにじる、がしかしエリスはそれを払えない 逆らえない、力なく倒れ 踏みつけられる

そうか、転入生か…だからエリスのことを知らないんだな、…やめておいたほうがいい、ここでバーバラさんのように口を出せば貴方も…

「僕はピエール、この国の第二王子さ 分かるかい?魔女大国の第二王子、君達とは格も権威も違うのさ、本来なら口を利くことさえ許していないが、その無知に免じて特別に許そうじゃないか」

「………もう一度聞く、何をしている」

「は?、何キレてんだよ、まさかくだらない正義感からかい?オススメしないなぁ?そういうの、いたよ?君みたいに僕に注意した生徒が…そいつは今手足を刻まれ病院にいるけどね!」

転入生の怒気に満ちた低い声がする 怒りに打ち震える声がする、やめろ やめてくれ…エリスに構うな、構えば貴方もバーバラさんのようにピエールの虐めを受けることになる、エリスの次のターゲットになる そうなれば貴方もピエールの餌食になる

しかし、エリスの心の制止も無意味に転入生の足音がこちらに近づき

「なんだよ、文句でもあるのかい?、さっきの聞いてなかった?僕はこの国の第二王子でノーブルズで…」

「その足を退けろ…彼女を傷つけるな」

「ヒッ…な なんだお前」

底冷えする、エリスでさえ芯から竦み上がるような 地獄の怨嗟が子守唄に聞こえるほどの声 まさに地獄の鬼の激憤の如き声、それを正面から受けたピエールは 怯えエリスから足を退け後ろに下がる

ああ、やってしまった…ここでピエールに逆らえば…この人も…

すると、エリスの体が 優しく…、絹でも持つかのように優しく、抱き上げられる…転入生に 彼に…、…やはりこの声 何処かで…でも、エリスの記憶にある声と少し違う、この声を聞いた時はもっと声は高くて……

「…大丈夫かい?、エリス?」

「え?……」

抱き上げてくれたのは、男の人だった…そう その姿を形容すると…

なんだろう、言葉が出てこない 状況も相俟ってその顔があまりにも美しく輝いて見えて、…陳腐な言い方になるけど かっこいい…そう口から溢れ出てしまいそうになる、まるで絵本に出てくる王子様だ

日にあたる赤い髪 燃える情熱のような赤い目、端正な顔つき …甘く それでいて勇ましい顔、この顔 何処かで、そう これはラクレスさん…アルクカースで出会ったあの美しい王子、いや?違うな ラクレスさんよりも些か若い

…え?嘘…もしかして

「…あの、俺が分からないかな?久しぶり過ぎて 覚えてないとか?、いやエリスに限ってそれはないよな、ない…よな?」

覚えてる…覚えてるよ、忘れこっない この記憶力がなくても絶対忘れないよ、エリスの大切な大切な、何にも代え難い…盟友

彼の顔を見て、安堵と懐かしさと嬉しさと…もう言葉にできないくらいたくさんの感情が込み上げて、それが声の代わりに涙となって外に出る

ああ、…嗚呼…そうか、この声は

「ラグナ……」

「ああ、久し振り エリス」

ラグナだ、ラグナ・グナイゼナウ・アルクカース…アルクカースで共に戦った王子 いやもう王様か、ラグナが エリスを抱きかかえて嬉しそうに微笑む、久し振りだ 再会を誓ってからどれだけの時間が経ったか

その言葉を口にすればより一層涙が溢れでる 泣いているのに、こんなにも嬉しくて 顔が自然と微笑む

彼が、来てくれたんだ…幻覚じゃない この温もりは本物の…

「ラグナ、ラグナですよね…どうしてここに、貴方はアルクカースに」

「まぁ色々ありまして…、それに 俺だけじゃないよ?」

「え?…」


「こらー!、エリスちゃんをいじめるなー!許さないよ!この外道!悪魔!ボケナスビ!」

「こらデティ、口が悪い…だが、ふむ 栄えある学園と聞いていたが、その中身はこんなにも腐っているか、デルセクトとなんら代わりないな 安心するよ逆に」

懐かしい声だ、懐かしい二つの声 ラグナと同じく、エリスにとっての友 長い旅の中エリスが繋いだ友、ラグナと同じくらいエリスの中心にいる親友達だ

「デティ!メルクさん!」

「やっほー!エリスちゃん!来ちゃったぁ久しぶり!」

「酷い有り様だなエリス、だが安心しろ 我々が来たからな」

デティ、デティフローア・クリサンセマム…アジメクでエリスが最初に出会った親友にして魔術導皇、それが元気に飛び跳ねこちらに微笑む

メルクさん、メルクリウス・ヒュドラルギュルム…デルセクトでエリスと一緒に戦ってくれた誇り高き軍人が、あの時のように一人のエリスを助けてくれた…

ラグナ デティ メルクさん、みんな…みんながいる ここに!、エリスの何よりも大切な友が…!ここに

「みんな…どうして」

「話は後だエリス、言いたいことも聞きたいことも山ほどあるが…今はこの状況を片付ける、ラグナ…」

「ああ、分かってるよ 落ち着くって…」

気がつけばエリスを抱きしめるラグナがの手には怒気が籠っている、怒っている 怒ってくれている、エリスの為に…争いを好まない彼が 激怒している

「ら らら ラグナ!?ラグナって あのラグナ大王!?そんなバカな!?」

「バカも何も、俺は俺さ…アルクカースの大王にして 魔女アルクトゥルスの弟子、そして 君が今踏みつけにしていた少女…エリスの親友だ!」

「そんな…いやでも…しかし、な なんで」

「なんでも何も無いだろう?ピエール第二王子」

ラグナがエリスをお姫様抱っこで抱え上げ…ラグナ、見ない間に大きくなりましたね…腕もこんなに太く 力強く…逞しくなって…

「な…何がラグナだ、分かってるのかい!?僕は第二王子だこの国の!君と同じ魔女大国のだ!、…すぐにその女を僕に渡せよ 君が僕に逆らえば戦争だよ?コルスコルピとアルクカースの…魔女大国同士の大戦争だぞ!人が何千人も死ぬぞ!分かってんのか!」

立ち去ろうとするラグナ、その背中にピエールの声が突き刺さる…戦争だぞと、もはや生徒間の問題にとどまらないと、逆らえば アルクカースとコルスコルピで戦争をするとまで言いだすのだ、その言葉にラグナは立ち止まり

「……戦争?」

「そ、そうだよ 君だって本意じゃ無いだろ、そんな女一人のために魔女大国同士の戦争を起こすなんてさ!なんの国益にもなりゃしない!だから…」

「上等じゃないか、やってみるか?俺達アルクカースと」

「な 何を言って…戦争だよ戦争…なんで全く躊躇わないんだよ」

「俺たちアルクカース人に対して宣戦布告なんて、ダンスに誘うようなもんさ、喜んで応じる…そして撃滅する、街は更地にするし 城はカケラも残さず打ち砕くし、テメェら王族も皆殺しにする」

アルクカースと戦争をしたエラトスは、瞬く間の間に滅びる寸前まで行ったという、砦は粉々に砕かれ街という街は落とされ、王城に限っては塵さえ残らなかった

それをコルスコルピでもやるというんだ、コルスコルピとアルクカース 同じ魔女大国でも戦争をすればどちらが勝つかは明白だ

「……ははは、なんてな、俺も平和主義で通ってる王様なんだ、国内で無用な戦争を禁じてる俺が勝手に戦争なんか出来ないしな、でもまぁ覚えとけ…戦争は俺達にとってなんの脅しにもならないってな」

「あ…う…」

「よし、行こうかみんな 取り敢えずエリスを休ませないと、ああ 先生に言っておいてくれ、今日の授業は休みますって」

「ら ラグナ…?」

すると、ラグナはエリスを抱えて人の海を割って立ち去りその後に続くデティとメルクさん、ピエール達はその後ろ姿を見るだけで呆然と立ち尽くすのみだった



…懐かしき友との再会にエリスもまた呆然と、陽光に晒されるラグナの眩しい顔を見て、呪いの痛みでは無い、別の熱を体の内から感じるのであった

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