孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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八章 無双の魔女カノープス・前編

211.孤独の魔女と人類最強

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「今日は一日ありがとうございました、メグさん」

「いえ、陛下よりエリス様の生活の手助けを命じられている身として、不自由をさせるわけには行きませんので」

帝国の商業エリア ロンドミアドの塔にて買い物を済ませたエリスは、手の中に抱えた紙袋を揺らし メグさんに礼を述べる、いやぁ 凄かったですねぇロンドミアドの塔

品揃えで言えば世界一ですよ、だってお面とか虫とかどう考えても必要性のない物まで細かく取り揃えているんですから、これから何か必要になってもあそこに行けば大抵のものは手に入りますね

正直なめてました、さすが帝国 さすが最強の魔女大国、アガスティヤの凄まじさに驚愕しながら二人揃って帰路に着く

既に商業エリアを離れ、ブロックの中に広がる長閑な風景の中を歩く

風に揺れる原っぱ、影を作る木々 そして石組みの家が道を挟むように乱立する、ここだけ見れば普通の村と変わらない、だがここは世界一の大国 その首都だ、石組みに見えるあれも帝国の最新技術で組まれているから異常に頑丈だ

それに家の内部も帝国最新技術ばかりで溢れており、スイッチ一つで灯りがつくような未来的な作りになっているらしい

しかも凄いのは空だ、上に見える雲も空も 天井に映し出された絵にすぎない、だというのに時間に連動し青から赤に変わり黒になる…、つまり本物の空と同じ色になるんだ

ブロックの中にいて 現実世界と同じ暮らしが出来る、帝国というか 皇帝陛下のこだわりが感じられるな


「しかし、エリス様…」

「ん?はい?なんですか?」

「いえ…買いたいものって それだったんですか?」

そう言いながらメグさんが見つめるのはエリスの持つ紙袋、いや その中身か

まぁそうだ、エリスはこれを買うために態々メグさんを使ってロンドミアドに足を踏み入れたんだ、彼女も驚きだろう んななんでもない物を買うのに付き合わされたんだから

「ええ、でもどうしても必要なものだったので」

「そんなものなら、いくらでも私が用意致しますが…」

「そんなの楽しくない、ですよ」

「う、それを言われると弱いですね」

昨日今日付き合って、メグさんの人となりは大体分かってきた、この人の価値観の一番上にあるのは『楽しいか・楽しくないか』だ

享楽主義とはまた違う、時空魔術という便利な代物を持ちながらそれによって手間を省力するのを嫌う、それは手間さえも楽しいと感じ その小さな楽しさも逃したくないから

彼女からすれば ロンドミアドからあの屋敷に帰るのなんか瞬きの間に出来る、だかしない それは帰路の雑談に楽しさを見出しているから、なんとも生きてて楽しそうな性分だ、羨ましいとさえ思うよ エリスは

「では、手伝いは…」

「要りませんよ、これはエリスだけで済ませます」

「かしこまりました、ではそのように」

なんて、メグさんとお話をしていると…、ふと 長閑な村の景色の中、喧騒とは程遠い統制された世界の中、諍う声が聞こえる、それも 聞き覚えのある声で

「ん?…あれは…」

その声に耳を澄ませて見れば、村の通り道で誰かが言い争いをしている…、片方は見たことのない黒髪の女の人、ただその姿に見覚えがある

帝国軍人だ、特徴的な軍服に身を包んだ女性が 怒鳴り声を叩きつけるのは

…リーシャさんだ、リーシャさんが誰かと言い争いをしている?、いや違うな 黒髪の女性がリーシャさんに一方的に怒鳴りつけているんだ

その様に思わず足を止めて見入ってしまう、何を話しているんだろう

『今更戻ってきてなんのつもり!リーシャ!』

『だから、…さっきも言ったけど別に何かする為に戻ってきたわけじゃないですって』

『嘘、嘘よ…復讐に来たのね 私に!」

『いや別にそんな…、そんなことしても意味ないですし』

『意味ない?…どういう意味よ!それ!』

『ちょ 落ち着きましょうよ』

ただならぬ雰囲気だ、復讐とか意味とか 談笑って雰囲気じゃないのは確かだな、それに黒髪の女性の方もまた随分ヒステリーな言い掛かりをつけるもんだな…

なんて、建物の影に隠れて様子を伺っていると

「エリス様、何か気になることでも?」

そう、メグさんが声をかけてくるのだ、すると とうの昔に気が付いていただろうに、今気がついたかのように驚いた顔で黒髪の女性とリーシャさんの言い争いの現場を見ると

「これはまた、修羅場のようでございますね」

「ですね、あの黒髪の女性…リーシャさんのこと気に入らないんですかね」

「気に入らないでしょうね、彼女 リーシャさんの同期ですので」

「知ってるんですか?メグさん」

「はい、メイドですので」

なんて二人で声を潜めながらリーシャさん達の方を見据え、メグさんは静かに口を開く

「あの黒髪の名はジルビア、第十師団 師団長補佐 ジルビア・サテュロイ少佐でございます、帝国 三十二師団最強と言われる第十師団にて師団長補佐を務める実力者であり、別名『森羅のジルビア』の異名を持つ方ですね」

「それが、リーシャさんの同期…」

「ええ、リーシャ様がかつて第十師団に所属していた頃は互いに切磋琢磨する仲であったと聞きますし、同時に友人であったとも聞きますし、何よりあの特記組最強世代の内の一人でございます」

あれがどのかは分からないが…かつての友人か、にしても 『復讐』だのなんだのが古い友人と再会したときに出るワードか?、のっぴきならない事情があるようにしか見えないな

『エトワールから戻ってきて また軍人に戻って、また命でもかけるつもりか!、そんなに…そんなに私が信用ならないの!』

『いやジルちゃんが優しいのは知ってるけど、信用って…』

『今更友達ヅラするな!、私はもうお前の友達じゃない!、恨むなら恨めよ!』

『ッッ……!』

刹那 掴まれるリーシャさんの胸ぐら、訴えかけるような怒号に思わずエリスも竦む、止めなくてはならないのは分かる、手が出た時点で 言い争いの『言い』の部分が消えたのは明白だ

だが、あまりの剣幕に止めに入れない…

『ジルちゃん…、いや ジルビア…私はね、もうなにもかもどうでもいいだよ 、こんな燃え尽きた灰みたいな女相手に、あんたが燃え盛る必要はないよ』

『この…このぉ…、くそっ!もう話しかけてくるなーっ!』

『いやあんたから話しかけて…、ってもう行っちゃったよ』

リーシャさんの言葉になにを感じたのやら なにを勘違いしたのやら、ジルビアさんは目元を手で覆い捨て台詞を吐いて逃げていく、なんだったんだあの人

「なんなんですか?あの人、ジルビアさんってあんな人なんですか?」

「いえ…、ジルビア様は冷静冷徹で知られる方だったのですが、もしかして同姓同名同役職のそっくりさん?」

「それはもう事実上の本人では?」


「おん?、あれ?エリスちゃん?」

やべ、見つかった…、ワンワン喚き立てるジルビアさんが居なくなれば 当然、エリスとメグさんのコンビは目立つ、隠れていても声を潜めていても こうも長閑で静かじゃ大目立ちだろう

うう、マリアニールさんとナリアさんの時にも思ったが、盗み聞き盗み見は良くないな…バレた時の気まずさが半端じゃない

けれど、リーシャさんはあんまり気にした様子はなくのほほーんと手を振りながらこちらに歩み寄り

「こんなところに居たんだね、今日エリスちゃんを護衛する為に会いに行ったら屋敷にいなかったから探したよぉ」

「あ、すみません…実は練兵エリアで修行してまして」

「ああいいよいいよ、エリスちゃんが行動的な子なのは知ってたしさ、それに メグさんが居ればぶっちゃけ護衛なんて要らないでしょ?」

え?、そうなの?いやまぁメグさんは魔女の弟子だし 強いのは分かるが、元とはいえ最強の第十師団のリーシャさんが居ないも同然の扱いを受けるとか…

「メグさんそんなに強いんですか?」

「強いですよ、何せ最強の魔女の弟子なので、ですが エリス様の実力を見てからは 最強の弟子…とは自負出来なくなりましたね」

「そうでしょうか、…力ってのは やってみないと分からないですよ」

はっきり言おう、エリスはメグさんがただのメイドとはとても思えないのだ、まぁ 身に纏う魔力もかなりのものだが、それ以上のものがある

それは動きだ、人間というのは身に染みた動きにその実力が滲み出る事がある

歩き出し 足の置き方、物の掴み方 置き方、息遣い 物腰…メグさんはその全てが繊細だ、それでいて隙のない動きの中に敢えて隙を見せて実力者の匂いを巧みに消している

恐らく、魔力抜きの近接戦でも、この人はエリスと引けを取らない…いや或いは、そう感じさせるものがこの人にはある

そんな戦闘術、メイドが取得しているかは甚だ不思議ではある、まぁ カノープス様から賜ったというなら説明もつくけどね

「エリス様、意外と脳筋なのですね」

「え!?えエリス脳筋ですか!?」

「そーだよ、エリスちゃんは脳筋だよ、大体の物事がパワーとパンチで解決すると思ってるから」

「リーシャさんまで!、エリスそんなこと考えてませんよ!最近は」

とはいうが、そう言う単純な世の中だったらいいな とは思うことはある、パワーとパンチで万事解決 それならどれだけ楽だったか

「しかし、リーシャ様 先程何やら諍いがあったようですが、何か問題でもありましたか?」

ってメグさん!?それいきなり聞くんですか!?、めっちゃ事情がありそうでしたけど!?

「あーうん、まぁ ちょっと昔の問題がね…」

「昔の?、それはリーシャ様が第十師団時代 ジルビア様と共に向かった魔女排斥派鎮圧作戦にて、ジルビア様を守る為に当時師団長候補として一目を置かれていた貴方が重傷を負ってしまい師団を除隊した件と何か関わりが?」

「…全部知ってんじゃん」

「いえ、私が知っているのはジルビア様が幼馴染の関係にあったリーシャ様の除隊を機に代わりに頭角を現し今や師団長補佐の座まで上り詰め、周囲から出世の為なら幼馴染さえ切り捨て踏み台した悪女として罵られている件をジルビア様が大層気にされている事までですが」

「それで全部だよ…」

メグさん、何もかも知ってますね…すっとぼけたフリしていけしゃあしゃあとよくもまぁ全部言えたもんだな、この人の情報収集能力は 侮らない方が良さそうだ

しかし、怪我をして半ば引退気味に除隊、しかもそれがジルビアさんを守っての…いら や言い方を変えよう、ジルビアさんの所為でリーシャさんは師団から追い出されたのだ

それがどう言う状況でどうしてそうなったのかは知らない、だが事実を言葉にするならそうだ

ジルビアがリーシャさんをどう思ってるかは分からない、だがそれはジルビアにとってもそう、ジルビアもリーシャにどう思われているか分からないのだ

だから、自分を恨んで復讐に来たと思い込んで あんなに過敏になってるんだろう、自分がリーシャさんにしたように リーシャさんも自分を師団から追い出し全てを奪おうとしていると 思い込んでるんだろうな

「まぁ、ジルビアが私を遠ざけようって気持ちは分かるのよ、…今輝かしい舞台に立つジルビアにとって、私は仄暗い忌々しい記憶の権化、誰だって嫌な思い出は忘れたいもんでしょ?」

「それは無責任では?、リーシャさんその所為で除隊したんですよね、それは気にしていないと?」

「今はね、お陰で小さい頃夢だった小説家になれたし、その時その場で見れば除隊はマイナスだけど、巡り巡って大きな目で見ればプラスになったのよ」

違う、プラスになったのではない リーシャさんが努力してプラスにしたんだ、それに 人生はプラスマイナスで測れるものでもないだろうに、そうやって自分を納得させようとしているようにしか見えない

「エリスちゃん気にしてる?」

「気にしてます、リーシャさん…」

「じゃあ気にしないで、昔のことだしさ それに怪我も治ったからさ、まぁ 前線を離れてた期間作られた差はもうどうしようもないけどさ、でも 後悔とかしてないから」

気にするな と言われて全く気にしないほど明快な人間だと思われてるなら心外だ、だがだからといってほじくり回して聞くほど無遠慮でもない、本人が気にするなと言ってるならこの話は終わりだ

「分かりました、気にしません」

「そうそう、レグルス様が家で一人寂しく本読んでたよ、何も言ってないけど…あれは寂しがってたね、私には分かるんだ」

「師匠が?…俄かには信じがたいですが、じゃあメグさん」

「はい、では早く屋敷に戻りましょう、レグルス様もお待ちですし 何より、ソレを早く調理してしまいましょう」

そうメグさんが視線で指し示すのは、エリスの手の中の紙袋、今日買った目的のものだ、そうですね、さしたる程鮮度に関わるものではないが、手早く調理してしまった方がいいだろう

「調理?何々エリスちゃんなんか料理するの?、ってか何買ったの?」

「いえ、ただのリンゴですよ ただ、約束していたことがあるので その為にこれでお菓子を作ろうかと」

「へぇ、エリスちゃん料理出来たんだ」

出来たも何もクリストキントにいた頃振る舞ったことあったでしょう…、いやなかったな リーシャさんにはないや

「まぁ、メグさんには劣りますが、一応ここまで旅してきた身の上なので、ある程度のことは出来ます」

「そっかー、楽しみだなぁエリスちゃんのお菓子」

「いや別にリーシャさんに作るとは言ってませんよ…」

「えぇっ!?じゃあ誰が食べるの?レグルス様?、と言うか私にも作ってよぉ」

「エリス様、一応あの屋敷にも材料はあるので そちらでリーシャ様の分も…」

「分かりました、なら 尚の事 早く帰らないといけませんね」

よいしょと紙袋を抱きかかえ直し 中のリンゴを揺らす、にしても エリスはあの約束を覚えていますけど、向こうは覚えてますかね …最後は要らないと言われたが、でも約束しちゃったし 届けるだけ届けよう

そう一人思い耽りながらメグさんとのリーシャさんを引き連れ 屋敷に戻る、まだ時間はある これなら夜にはなるが、今日中に届けられそうだ

…………………………………………………………………………

なんて、エリス心算はピタリと当てはまり、屋敷に戻りリンゴを調理し終える頃には、外は暗く染まり始めていた 少々時間は遅くなってしまったが、この分なら今から行っても大丈夫だとメグさんからお墨付きをもらったのでこれから向かうつもりだ

「これでよし」

キッチンにて リンゴを調理し出来上がった料理を箱に詰めて、えへんと胸を張る いやぁすごいですねこの屋敷、キッチンに置いてある調理器具も最新で便利なものばかり、住むなら帝国ですね やっぱ

「お疲れ様でございますエリス様、流石の手際でございました」

「いや、メグさんが手伝ってくれたからすぐに終わりましたよ、ありがとうございます」

「勿体無きお言葉、…それで 向かいますか?」

「はい、まだ行けますよね?」

「この時間ならばまだ仕事をしているでしょうから、差し入れという形なら受け入れられるかと」

そっか、ならとっとと届けてしまおうと箱を抱えキッチンから出ると、屋敷のリビングに座った師匠とリーシャさんがこちらに気がつく、どうやら師匠は読書中 リーシャさんは執筆中のようだ

「む?、エリス 何処かに出かけるのか?」

「はい、これから大帝宮殿の方へ ちょっとこれを届けに」

「これ?、…スンスン…、この匂いは…菓子か?」

「はい、エリスお手製のお菓子です、あ 師匠とリーシャさんの分もありますよ、ほら」

訝しげに眉を顰める師匠と何やら物欲しそうな目で見つめるリーシャさんに向け、もう一つ 用意した箱を渡す、すると

「やったー!、待ってたんだー!糖分!、嬉しいなぁ嬉しいなぁ」

「あんまりがめつかないでくださいリーシャさん」

「そう言わないの、貰ったよーん」

「師匠とちゃんと分けて食べてくださいね」

うへへと嬉しそうに舌を出して箱を受け取るその姿に 全くもうと口を開きつつも、内心は嬉しいんだエリスは

だってエリスの作ったものを嬉しい嬉しいと純粋に受け取ってくれる事のなんと喜ばしいことか

「では、行ってきますね」

「ああ、付き添いはいるか?」

「いえ、直ぐに帰ってきます メグさんに時界門を使ってもらうので」

あの瞬間的に移動できる時空魔術により生み出される穴だ、あれを使う 

メグさんはあれを使うのあんまり好きじゃないっぽいが、もう時間も時間だ、今から宮殿に歩いて行ってたら 着く頃には変に尋ねるのが迷惑な時間になってしまうからね

だから 時界門でパッと行ってパッと戻ってくる算段です

 「そうか、分かった なら私はここで待っていよう」

「はい、では メグさん」

「かしこまりました エリス様」

するとメグさんはエリスの言葉に従い、軽く指を鳴らすと、詠唱も何も無しに時空が歪み穴が開き始める、…やっぱり詠唱しないな 何かタネがあるのかな

「御用意出来ました、エリス様」

「ありがとうございます、それじゃあ行ってきまーす 師匠~」

「ああ」

既に本に目を移している師匠に言葉を残し、エリスは空間に開いた穴に飛び込むように足を突っ込む

『時界門』、メグさんがカノープス様より与えられた時空魔術の一つであり、空間を操る魔術だ

局所的に空間を歪め 別の空間、つまり別の場所とくっつけることにより一瞬で別の場所へと移動することを可能にする魔術である、このようにしてメグさんに時界門を開いてもらえばエリスは一瞬でアルクカースにも行ける!

訳ではないようで、メグさん曰くそんな便利なものでもないようで世界中凡ゆる場所に何処にでも気軽に行ける訳ではないようだ、なるほど確かに聞いた話によるとメグさん達は歩いてアルシャラまでやってきていたらしいし 何か移動先に制限のようなものがあるのだろう

だが それでも帝国内 、特にこのマルミドワズ内部ならある程度の勝手は効くらしくこの街限定でなら何処へでも連れて行ってくれるとの事


そんな事を考える暇もなく、薄皮一枚程度のヴェールを潜る程の時間で エリスは居住エリアからかなり離れた地点にある筈の大帝宮殿へと辿り着く

穏やかな木彫の屋敷から一転、景色は荘厳な彫刻により彩られた宮殿内部へと移る

「本当にあっという間だ…」

さっきまで屋敷にいたのもう宮殿、気持ちの整理と転換が追いつかない、便利な反面 どうしても空間を捻じ曲げ転移するというのは感覚的に理解不能な部分がある、それはこの世界の生き物である以上 避けられない感覚なんだろう

「エリス様?如何されましたか?」

「ああ…いえ、やっぱり慣れないですね 瞬間的に転移するというのは」

「皆そういうものです、私も未熟な頃は自分が何処にいるのか分からなくなり、自律神経を乱して眠れない夜を過ごしたものです、それより…此方です、彼の方が働いているのは」

そうメグさんが手で指し示す先にあるのは帝国全体の執政を行う大帝宮殿、その一角にある 帝国軍総司令部、つまり 軍部の管轄領域だ

この宮殿は皇帝陛下の居城でありながら 軍の司令を行う本部でもあるんだ、それは皇帝陛下自身が軍の指導や指令を行う総司令官としての顔も持つかららしい

ほんとになんでもかんでも一人で決められるんだな、カノープス様って

「さぁ、エリス様 此方へどうぞ」

「あ、はい 冷める前に持っていきたいですね」

まだ熱を持つ箱を抱え、エリスはメグさんの案内で帝国軍総司令部へと足を進めていく…、するとどうだ

先程まで見目麗しさを優先していた大理石の壁が一転、鋼鉄で作られた物々しい壁へと変わり 廊下全体の見た目がガラリと変わる

まるでここから先は、遊びに来るような場所ではないと 城全体から窘められているようだ、まぁ 遊び半分で来てはいるんですがね?エリスは

「……おい、止まれ」

「おっと…」

なんて 廊下の雰囲気に圧倒されていると、目の前に立つ軍服を着た大男に止められる

軍服を着ているから 多分帝国軍人だろうその男は、屈むような猫背でありながら尚大きい、瘦せぎすで枝のようでありながらついた筋肉はがっしりしているというややアンバランスな見た目と男でありながら女のように長くさらりとした長髪は腰まで伸びており 顔全体を覆い隠すように垂れている 特徴的な人物だ

顔を髪で覆って、前見えるのかな…

「これはこれは、リィデュンガー少佐 どうされましたか?」

「……ここから先は、軍部だ…メイドのお前が 闊歩していい場所じゃない」

髪の間からギロリと睨む血走った目がエリスとメグさんを責めるように見る、このリィデュンガーというらしい男は、エリスとメグさんが軍部に入ろうとしているのを見つけ 目敏く止めに来たらしい

それは、例え皇帝陛下直属の従者長で カノープス様の弟子でもあるメグさんでさえ、勝手は許さない そんな雰囲気だ

「軍関係者以外立ち入り禁止…、その看板が読めないのか」

「お言葉ですがリィデュンガー様?、エリス様は既に皇帝陛下より帝国軍人としての役職をいただいております、部外者ではなく エリス少尉 と呼んだ方がよろしいのでは?」

「だとしても、部外者は部外者だ…」

飽くまでエリスは部外者、例え帝国軍内で少尉という立場を得ても変わらない、まぁ確かに エリスは少尉という立場はもらってるが帝国軍人ではない、その言い分は分かる

しかし

「つまり…、ああいえ これは邪推になってしまうのでございますが、もしや リィデュンガー様は皇帝陛下のお言葉に従えない…と?、陛下自ら彼女を認めよ という勅令に反すると?、まさか そんなことは言いませんよね?」

「………………」

凄む、メグさんの纏う雰囲気が明確に変わる、エリスを帝国軍人として扱え 例えお飾りの役職でもそれは陛下によって与えられたもの、それを認めないということは陛下の意思に反すること

まさかそんなこと言わないよな?とメグさんが殺意を以ってリィデュンガーに問う、この雰囲気は エリスとメグさんがクリストキント劇場で会った時 彼女が纏っていた雰囲気と同じだ

…メグさん、この人にとって陛下は全てであり 絶対であり 無二であり 世界の摂理そのものなのだ、それに反するなら 同じ帝国の人間でも容赦はしないと、彼女はそう言うのだ

「………………」

リィデュンガーは何も言わない、メグさんの雰囲気に臆しているのか 或いは上手い言い訳を考えているのか、髪で隠れた顔は伺えない…

されど沈黙はメグさんが許さない、是か非か答えを言えと 今この場は既に皇帝陛下を狂信する殉教者による、異端審問の場へと変じているのだから

すると、そんな沈黙に異議を唱える声があがる

「リィデュンガー、待て いい 通してやれ」

「む…貴方様は…」

女の声だ、短く切り揃えられた髪 鋭い三白眼 そして背中に背負った長槍と、そうだな…さらに特徴的な部位を挙げるとするならその格好か

襟元に輝く緋色の勲章、メグさん曰くあれをつけられる存在は今 この世に三人しかいない

数百万の大軍勢を擁する帝国において、その頂点は皇帝カノープスだ…だが、そのカノープス様より直々に 代わりに軍を率いる絶対的な権限を与えられた人間がいる

代々帝国最強の人間が拝命するその役職の名は将軍、当代に限っては三人いる帝国最強の軍人が一人 それが今リィデュンガーの前に現れ 彼の行いを止めたのだ

「っ……!」

正直に言うと、エリスはその人物が現れた瞬間 その胸の内を驚愕で彩れ尽くしており、彼女が何者か 冷静に分析することができなかった

驚いた理由、それは二つある

一つは現れた瞬間のことだ、有り体に言おう いきなり現れた…こう言うとただ単にいきなり飛び出してきてビックリした みたいに捉えられるな

だがそうとしか言いようがない、何せ ほんの一瞬前まで何もいなかった空間になんの前触れもなくいきなり出現したのだ、超高速で飛んできたとか 物陰に隠れて飛び出してきたとかではなく…、瞬きを一つする間に 現れたんだ

そんな不可思議な出現と共にエリスを吃驚させた理由はもう一つ

彼女の身に纏う魔力だ、尋常じゃない  …エリスは今まで凄まじい強者を何人も見てきた

グロリアーナさんやタリアテッレさん ベオセルクさんなどの魔女大国最強戦力達

コフやレーシュと言ったアルカナ最強の戦士達

いずれも凄まじいと言える魔力を内包した強者達だったが、この女に比べたら可愛いさすら覚える

文字通り次元が違う、第二段階到達者達が軒並み子猫に思える程にこの女は強い、今エリスが飛びかかっても勝負にならないどころか それこそ瞬きの間に殺される、そんな確信さえ覚えるほどに強い

そこでようやく気がつく、彼女の襟元に輝く勲章とその正体に

「これはこれは、アーデルトラウト将軍…如何されました?」

「如何も何もない、魔女の弟子二人が揃って軍部の入り口で帝国軍人と揉めているんだ、見ようによっては一大事だ…」

アーデルトラウト、今そう言ったか? その名にはエリスも覚えがある

万事穿通の将 アーデルトラウト・クエレブレ、世界最強の大軍勢 帝国軍における三人の頂点 そのうちの一人、言うなればグロリアーナさん達のようなこの国における魔女大国最強戦力…

しかし、その実力は他の国の最強戦力達を凌駕しとてもじゃないが同格とは呼べない、まさしく最強の名を欲しいままにする帝国の力の象徴と呼ぶべき存在、それがいきなり現れたんだ ビックリするのもしょうがないよね

「お前がエリスか」

「え?あ…はい」

「何をしにきた」

「いや、あの…これを差し入れに、あと会いたい人がいて」

「会いたい?…まぁいい、ここでお前達を追い返せば 陛下の不興を買う、帝国軍としてもそれは避けたい、故に 私の同行の元でなら 軍部内の移動を許そう、それでいいか…メグ」

「ご理解頂き感謝致します、将軍閣下」

「…私がこう言わなければ押し通っていただろうに、…リィデュンガー 下がれ、後は私が引き継ぐ」

「御意…」

アーデルトラウトさんの言葉にリィデュンガーさんも引き下がり 頭を下げながら横に逸れる、何はともあれ 軍部への移動を許されたようだ

しかしメグさん、エリスが軍部に行きたいと言っても止めなかったのって、もしかして押し通るつもりだったからですか?、…それともこれを予見していた?、結果として上手くいったから良かったが 次からはこう…もう少しエリスに色々教えてほしいな

「どうした?、行きたいところがあのなら、早くしろ」

「あ、すみません…」

なんて考えているとアーデルトラウトさんに急かされ エリスとメグさんは歩みを進める、そんなエリス達の背後を見つめるように またアーデルトラウトさんも付いてくる

ぴったりとだ、歩幅を調整して エリス達に付かず離れずの距離を保ったまま付いてくる、コツコツと軍靴の音を廊下に響かせる彼女を ちらりちらりと見てしまう

いやだって気になるし…

「なんだ、さっきから」

「いえ、…あの アーデルトラウトさん ですよね」

「そうだ、アーデルトラウト…陛下より三将軍の座を任せられている、お前は陛下の客人、けどそれでも警戒するのが我等の仕事だ…、悪く思うなよ」

「いえ、そこはいいんです」

マグダレーナさんも警戒してたし、歓迎されていないのは分かってたから今更気にはしない、しかしすんごい魔力だ…流石は帝国の最強戦力 、他とは違うな

それに、おっかないことに彼女の役職名は『三将軍』、つまり 彼女と同格かそれ以上の使い手が後二人は帝国にいるってことだ、この魔女世界を牛耳る国だけあって 抱えている戦力も凄まじいな

「エリス様?そう警戒せずともアーデルトラウト様はエリス様に牙を剥きはしませんよ」

「え?、ああ 別に警戒してはいないんですよ、ただ凄い魔力だなぁと」

「私は陛下より鍛錬を授かり 特別な魔術も頂いた特記組出身だ、当たり前だろう」

当たり前って言われてもエリスその特記組が何か知りませんよ、…ここは彼女に聞くとしよう

「メグさん、特記組ってなんですか?」

「特記組とは皇帝陛下が直々に開発に携わった特別な現代魔術である特記事項魔術の訓練を受けた人達のことです、特別な才能と秀でた実力 そして深い潜在能力を陛下から見抜かれねば入ることの出来ない、エリート中のエリートでございます」

メグさんに聞けばあれよあれよと説明してくれる

どうやら帝国はこの魔女世界の秩序維持をする為 魔術導皇と特別な協約を結んでいるとのこと

それが五百年ほど前に制定された『ヘルマプロディ特記事項条約』、通常の現代魔術とは別に事項される現代魔術であり、これに限っては魔術導皇の審査無しに開発と使用が可能らしく、それを特記事項魔術と呼ぶらしい

魔術導皇の審査無しに使用可能とくればどんな凄まじい威力の物を使用してもお咎め無しで済む、反則に近い条約だが、当然制約は多い

まず魔女世界の秩序維持以外の使用がされればその瞬間その魔術の使用は禁止され、使用者は一種類につき一人のみ 、なので皇帝陛下自ら使用者を厳選し 忠実かつ実力のある者にだけそれを与えることになっているそうだ

それは裏を返せば陛下からの信任が厚く、その上実力も魔女からのお墨付きをもらうようなもの、帝国のエリートしかなれない そんな称号をもらった人達が特記組なのだ

「軍上層部は軒並み特記組出身でございます、それにマグダレーナ様やリーシャ様も特記組の出でございますね」

「リーシャさんもなんですか!?」

「師団長候補の名は伊達ではないのでございます」

そっか、師団長候補の一人だったんでしたね、でも怪我で引退を余儀なくされて…か、さしもの特記組も負傷による離脱はどうしようもないのかな

「つまりアーデルトラウトさんはエリートの中のエリート大将軍ってことですね」

「誤りはない、私はとても凄いからな、特記組だし」

アイデンティティそれしかないのか?、なんて考えも振り払い軍部の道を行く

ただひたすらまっすぐ進み、突き当たりの階段を上へ上へと昇り続け向かう先は最上階、内部構造を知らないエリスはメグさんに付いていき アーデルトラウトさんはそんなエリスについてくる、奇妙な列を為しながら訪れた最上階

その最奥に位置する部屋を前にエリス達の歩みはようやく止まる

「ここでございます、エリス様」

「ほへぇ、ここにあの人が…」

そう 立ち止まる部屋を前に、エリスは顔を上げ部屋の名前を目にする、この部屋の名称は一つ『特別軍議室』、だそうだ 軍議室って軍議中じゃ無いよな

「ん?…あ!、こ ここは特議室じゃ無いか、まさか お前達が会いたがってるのは…ルードヴィヒじゃ…」

「あ、やはりここにいるんですね ルードヴィヒさん」

そうだ、まさかも何もエリスはルードヴィヒさんにこのお菓子を届けに来たんだ、まぁ 止められるだろうなとはなんとなく予想していた

だってルードヴィヒさんは将軍であるアーデルトラウト上…つまり、この帝国軍の真なる頂点 軍部関係においては魔女様と同格の発言権を許されたただ一人の人物

アーデルトラウトさん達三将軍を束ねる筆頭将軍ルードヴィヒ・リンドヴルム 別名を全人類最強の男、つまり この世で最も魔女に近しい力を持ち、その力は 帝国軍史上最強との呼び声も高い

最強にして最高の将軍、それがルードヴィヒさんなのだ、エリスはそんな人物にお菓子を届けに来ている、我ながら凄い状況だと思うよ

「ダメだ…流石にダメだ、帝国軍部を好きに歩かせただけでも特例なのにその上でルードヴィヒに会う?…その上菓子の差し入れ?、流石にふざけているとしか思えん」

「ふざけてません、ルードヴィヒさんと約束したんです これを届けるって」

「ルードヴィヒが約束?、…そんな話は聞いたけども無い、そもそもルードヴィヒが孤独の魔女の弟子と接触したなんて報告もない、さては…嘘を?」

「こんな事で嘘ついて何になるんですか!」

エリスは約束したんだ ルードヴィヒさんと、あの時はルードヴィヒさんだとは気がつかなかったけど、この間見て確信した あの時約束した相手はルードヴィヒさんなんだ、それは間違いない

ただ それを言ってもアーデルトラウトさんは信用する素振りも見せない、エリスを信用出来ないとか 疑ってるとかではなく、そもそも帝国軍の頂点であるルードヴィヒさんに会わせること自体無理だと 門前払い状態だ

困ったな、せっかく作ってここまで来たのに

「アーデルトラウト様?、先程仰られたではありませんか、エリス様は帝国軍の一員として扱う、これは皇帝陛下の意思なのです」

「ならなおのこと会わせられない、エリスの階級は少尉だった筈、尉官が筆頭将軍にアポもなく面会し菓子を差し入れるなんて話聞いた事もない、正当に帝国軍人の一員として扱えどもルードヴィヒには会わせられない」

「アポは取ってます、エリス様がこの菓子を届ける件は既に約束として成立しています、ですよね?エリス様」

「え…ええ」

もう随分前の話ですけどね?、それこそ六~七年前の話だ それが約束として成立してるかといえば怪しいし、してたとしても時効の可能性もある…だから強くは言えない、が代わりにメグさんが吼えたてる これは正当だと

すると

「そもそもそちらこそ確認不足なのではないですか?、第一我々は皇帝陛下のお言葉に従い軍人として…」

「むぅ…しつこい、ならルードヴィヒに直接聞いてくる、嘘だったら針千本だ」

といいアーデルトラウト様は一人で怒って特別軍議室へと入っていく…、その姿を見てメグさんはホッとひ 一息つき

「挑発に上手く乗ってくれましたね」

「え?態と挑発したんですか?」

「ええ、アーデルトラウト様は生真面目故些か頭に血が上り易い性格なのです、説得したいなら 煽って焚きつけた方が早いのです」

「焚きつけた方がって…あれかなり怒ってましたよ」

「良いのです」

いいのか…そうなのか、メグさんが言うならそれでいいけどさ、なんてエリスが一人で納得していると アーデルトラウトさんが消えていった特別軍議室の扉が開く、閉められた時とは対照的におずおずと 静かに

「…………入っていいそうだ」

その扉の向こうから借り申し訳なさそうに覗くのはさっきの威勢が消え去ったアーデルトラウトさんだ、心なしかさっきより小さく見える

「と言うことは、約束について確認が?」

「いや、そこにはついては教えてもらえなかったが とにかく孤独の魔女と内密の話がしたいと言われた、…だから」

「かしこまりました、ではアーデルトラウト将軍 御苦労様でした、我々はルードヴィヒ様とお会いしてこちらの菓子を渡した後に帰りますので」

「…ほんとに嫌な奴だなお前は」

メグさんの飄々とした態度に舌打ちをしつつも命令には忠実に従いそっぽを向いたまま立ち去っていくアーデルトラウトさん、…なんというか 若い人だな、エリスよりは年上だけど 若さを感じる、世界各国でいろんな人を見てきたからこそ なんとなくそう思うのだ

「ではエリス様、ルードヴィヒ様がお待ちです」

「あ はい、では失礼します ルードヴィヒ将軍」

いつの間にやらアーデルトラウトさんと代わるように扉を開いていたメグさんの言葉に従い 特別軍議室へと足を踏み入れる

…特別 とついていても別に内装まで特別な軍事室ってわけじゃない、その用途が特別なだけで中身はいたって普通の軍議室だ

だだっ広い部屋の壁には地名と地理が書き込まれた地図が其処彼処に貼られており、中央に設置されたこれ見たどでかいテーブルには 地図とチェスの駒 そして、何やら色々なことが書き込まれた資料が山積みになっている

その資料やあちこちに山積する文字を見て、エリスは察する この部屋の意図を

『対マレフィカルム作戦軍議』 そう書かれているのだ、恐らくこの国は魔女排斥機関 マレウス・マレフィカルムに対抗する為の作戦が作られる部屋なのだろう

文字通り、国家機密レベルの部屋と言ってもいい…、アーデルトラウトさんが必死に止めるのも分かる、悪いことをした

「……君がエリスか」

そして、その部屋の中央にて 壁に書き込まれた地図と情報と睨めっこをする男の背から、声がする 低くそれでいて威圧のある 威厳のある声、まるで大龍の咆哮が如き声に 体が芯から震える

これが、世界最強の 人類最強の男…、ルードヴィヒ・リンドヴルムか

「あ…あの、えっと」

「夜分遅くに失礼致しますルードヴィヒ様、お仕事中でしたか?」

あまりの威圧に吃るエリスに代わり メグさんが礼儀正しく挨拶してくれる、あの凄まじい魔力を前によく平然としてられるな

あの男の背から漂う魔力…、一見したら魔女と殆ど変わりがないぞ、アーデルトラウトさんとなんか比べようもないほどにや強烈で甚大な魔力…、生半可な実力では彼の前に立つことすら出来ないだろう

「私は、いつでも仕事中なのは知っているはずだ、それで?メグ…それを知っているお前が、態々孤独の魔女の弟子を連れてきたのは 如何なる用事だ?」

「それは、こちらのエリス様から…」

さぁ?エリス様?そう促すように優しくエリスの腰を押して ルードヴィヒさんの方へと押し出される、まぁ 諸々全部をメグさんにお願いするのも筋違いだし、そもそも約束をしたのはエリスだ

なら、エリスが自ら話をするべきだろう…、そう決意し そのまま部屋の奥にて待つルードヴィヒさんの隣へと進み

「あ あの、お久しぶりです 貴方がルードヴィヒさんですよね」

「…如何にもそうだが、しかし久し振り?異な事を言う、私と君は初対面のはずだが?いや 陛下の謁見と時に顔を合わせていたか、だが それも三日前…久しぶりではないはずだ」

ん?惚けてるのか?会ってるだろう、もっと前に…、それとも忘れているのか?

「いえその前です、忘れてるんですか?それかエリスが変装してから分からないんですか?、でも 変装はお互い様ですよね」

「……はて、なんのことか」

「デルセクトの落魔窟の道端で座り込んでたおじさん、あれ ルードヴィヒさんですよね、最後に約束したアップルパイ 持ってきましたよ」

そう、エリスとルードヴィヒさんは出会っている 、あれはエリスがデルセクトにてディスコルディアとして活動していた時、落魔窟の路傍に座り込んでいた小汚いおじさん …それがルードヴィヒさんだ

彼には何度か助言を貰い 助けられたこともある、その礼として次会ったらアップルパイを持ってくると約束したんだ、結局その後会うことも出来なかったから こんなに遅くなってしまったが

そう 箱を開け中のアップルパイを取り出す、するとルードヴィヒさんがちらりとこちらを見て顎に手を当てると…

「……ふむ、気がついていたのか?、私の正体に」

「いえ デルセクトにいる時はただの落伍者だと思ってました、気がついたのは三日前の謁見の時 カノープス様の隣に立つルードヴィヒさんの顔を見た時です、同じ顔だったので 直ぐに分かりましたよ」

「驚いた、もう六年も前のことだと言うのに 一目見て気がつくとは、驚異的な記憶能力を持つというのは真実のようだな、いや私としたことが迂闊だった」

くくくと浅く笑うルードヴィヒさんは背けていた顔をこちらに向けてエリスを見下ろす

獅子の如き黄金の髪をかきあげ 顔に刻まれた皺同様 顔を横断する特徴的な眼帯、どれもこれも六年前見たものと同じだ、こんなおっかない顔 一度見たら忘れない、だから謁見の時に気がついて …

それで今日、約束を守るためにアップルパイを作ってこの場に訪れたんだ、まさかデルセクトの落魔窟にいたおじさんが世界最強の将軍とは 思いもよらなかった

「…あの時言っていたアップルパイだな、これはメグ…お前が作ったものか?」

「いいえ違いますわルードヴィヒ様に 、素材の厳選から全てエリス様が担当しました」

「ふむ、そうか…あの時 君が作ってくれると言ったアップルパイが、まさかこうして私の前に現れようとは、あの時は思いもしなかった…、では 一つ頂いてもいいかな?」

「はい、どうぞ」

そう言いながら開いた箱を掲げるようにルードヴィヒさんに渡すと 彼は手掴みでパイを一切れ掴み上げ、指先を汚さないように 器用に丁寧に摘んでサクリサクリと生地を牙で切り取り咀嚼していく

焼きたてを持ってきてよかった、その音と匂いからは良い味が伝わってくる

「うむ、美味いな」

「お口あったようでなによりです、…その いきなりアップルパイなんか持ってきてすみません、ルードヴィヒさん仕事中なんですよね」

「なんだ、非常識と分かっていて持ってきていたのか、構わない どの道君とは話しておきたかった、地下の浮浪者ではなくこの帝国の将軍としてね」

するとルードヴィヒさんはそこに座りなさいと言わんばかりに卓の椅子を手で指し示す、どうやらエリスと話したいと言うのは建前では無く本当 にエリスと話がしたかったようだ

帝国総将軍様のお話だ、心して聞かねばとエリスは襟を正し 椅子に静かに座る、メグさんもまた椅子に腰をかけ…ることはなく、当たり前のようにエリスの隣に立っている、メイドの自分の立ち位置はここだと言わんばかりに

いや?心なしか些か緊張しているようにも見えるは気のせいか?

「さて、挨拶が遅れたな孤独の魔女が弟子エリス、私はこの帝国軍を率いる立場を陛下より預かっている者、帝国筆頭将軍ルードヴィヒ・リンドヴルムだ、知っているかもしれないがね」

「いえ、こちらこそ 筆頭将軍であるルードヴィヒ様と知りながら 申し立て出来ぬ程の無礼を」

「それはいい、私と君で約束したことだからな、まぁ下の目もある、今後は控えてもらえるとありがたい」

これはお叱りだろうか、お叱りだろうな、ここに来るまでに色んな人に止められた、彼らとてエリス憎しの心で止めたわけではない、ただそれが仕事で役目だから止めたんだ

それを引っ掻き回したはエリスの方だ、今後はこう言う無茶は止した方がいいだろうな、うん 反省しよう

「はい、すみませんでした」

「分かってくれたならいい、…特に今は過敏な時期だ 外から人間を軍部に入れたくない、と言う感情もあるのだ」

「過敏な時期…ですか?」

「うむ…」

すると、一瞬 ほんの一瞬だがルードヴィヒさんの動きが止まったように思える、あるかないか分からないくらいの停止、エリスはそれが迷いに見えました

今から話すことをエリスに伝えるべきか 、その迷いに…そしてその一瞬で彼は判断を下す

「大いなるアルカナの動きが活発化しているのは知っているな」

大いなるアルカナの件だ、帝国はエリスをアルカナの魔の手から救うために こうして帝国内部に匿ってくれている

 そんなエリスに アルカナの話をするべきか…、その悩みだったのか

「知っています、この国にいるんですよね 大いなるアルカナの本隊が」

「ああ、…奴等との戦いが今ようやく詰めの段階にあるのだ、ここでボロを出して全てを台無しにしたくない、我等はようやく大いなるアルカナを撃滅する為の作戦に手を出せるところまで来ているのだ」

故に 君を警戒している、きっとここに来たのが君でなくとも、部外者は警戒する、今はそう言う時期だと説明してくれる、なるほど 多分ルードヴィヒさんはきっと さっきのやり取りを何処かで確認していたのかもしれない

だから、エリスが帝国に悪感情を持たないようにこうして言ってくれているんだろう

まぁそれはいい、何処でも歓迎してもらえるとは思ってない、帝国の反応は至って普通だと思うし そう言う理由があるなら尚更だ

それより

「つまり、今 アルカナに手を出せる算段がついたってことですか?、撃滅出来るって本当ですか?」

「やはり食いつくか、君とアルカナの因縁は浅からぬ物だと理解していたからこそ 言うのは躊躇われたのだが、どうせ隠してもいずれバレるしな」

「まぁ…、悪いですけど この部屋に入れた時点で 帝国の動きの殆どはエリスの頭の中にありますからね」

エリスの頭の中には既にこの部屋の間取りと配置物の全てが記憶されている、後からその記憶を精査すれば大体のことは分かる、一度見たものは忘れない 裏を返せばエリスに隠し事をするなら それに関わる物を一度たりとも見せてはいけない、我がことながらそれは難しかろう

「だろうね、君に独断で行動されても困る だから、敢えて…アルカナの情報を教えよう、我々が誠意を示す限り君にも誠意を示す理由が出来る、そうだろう?」

「……いいんですか?」

「構わない、決定権は私にある」

横暴だろうとも それが組織だ、上が言うならそれが組織の動向となる、つまり彼はエリスが独自にアルカナの情報を掴み 帝国側に内緒で動き回るのを恐れている

別に、エリス一人動いたところで彼ら帝国軍にとっては小鼠の蠢動に近しいだろう、だが今はそれさえも邪魔になり得る だから、言葉による抑圧ではなく 敢えて情報を教え、巻き込む形で協調しようと言うのだ

大胆な判断だが、それが出来るから彼はここに立っているんだろう

「第一陛下も言っていただろう、対アルカナに際しては 君に戦力としての働きを求めると」

「エリスとしてもその方がありがたいです、奴等アルカナには色々な目に遭わされてきましたし、何より奴等の所為で何人もの人達が傷つきました…、そんな人達の怒りを代弁するのは エリスの仕事です」

この旅でエリスはアルカナと何度もぶつかって来た、その果てにいくつもの悲劇を見て来た

ヘットの所為でアジメクに混沌は齎された、アルクカースでは多くの動乱が促され、デルセクトでは多くの人々が薬物による後遺症により人生を破壊された

アインはバーバラさんを大いに傷つけ 街を破壊し尽くし、そしてレーシュはエリスと出会うより以前に数え切れないくらいの人達を殺している

奴等の横暴に、終止符を打たなきゃエリスは旅を終えられないんだ…決着はこの手でつけたい、ここまで来て後は安全なところにいて なんて…誰に命令されたって聞けやしない

「だろうな、…だから 君に我等の持つ情報を伝え、そして 頼もうと思う、大いなるアルカナ殲滅作戦への参加を」

「はい、勿論ですよ エリスでよければいくらでも力を貸します」

「フッ、頼もしいな…、ふむ そうだな、大いなるアルカナは今我等に対抗する戦力を集めているそうだ、既に多くの魔女排斥組織が奴等と同盟を組んでいることは知っているな」

それはレーシュも言っていたな、ただ レーシュ曰くそうやって寄り集まらないと行動を起こせないような雑魚組織が百や二百集まったって帝国に対抗出来ないと言っていた

それは残ったアルカナ達も分かってるはずだ、それでも集めてるってことは やはり奴等は苦肉の策として帝国に全面戦争を仕掛けるつもりなんだろう

「知ってますよ、でも大丈夫なんですか?、流石に 大量の組織が寄り集まれば…」

「問題ない、マレフィカルムの傘の下に無ければ生き長らえる事さえ出来ない組織程度なら 、師団長一人で百や二百は壊滅させられる」

つまり?、師団長は全員で三十二人いるから…一人頭 二百組織潰せると計算すると、アルカナは帝国師団長達に対抗する為には 魔女排斥組織を六千四百以上集めなければいけばいけない計算になる

勝てんなこりゃ、師団長クラスでさえそれなのだ、その上に帝国は数百万の大軍勢と更に師団長を遥かに上回る三将軍もいる、いざとなれば他の魔女大国も戦力を出すし…何がどうひっくり返ってもアルカナとマレフィカルムに勝ち目はない

これこそが魔女世界を維持する盤石の布陣、八千年も魔女様が治世を維持できるわけだ

「ただ、一つ…不安な点があるとするなら」

そんな盤石の布陣を率いる将軍が指を立てて不安を口にする

「アルカナの招集にマレムィカルムの中枢組織が応えれば話は変わる」

「マレムィカルムの…中枢組織?」

「ああ、マレフィカルムの大部分を構成する魔女排斥組織達は所詮 排斥機関の庇護を求め寄り集まった虫ケラに過ぎん、その本懐は そんな奴らの中枢にいる強力な大組織達にある…、そこが戦力を出せば アルカナとの抗争は泥沼のものになるだろう」

「そんなに強いんですか?」

「強い、何せ魔女排斥を掲げる意志の中枢にあるのだからな 保有する戦力も一国を凌ぐものばかりだ」

マレウス・マレムィカルムの中枢か…、そいつらは今回動いていないらしいが 動けば戦乱は混迷となる、出てこないのを祈るばかりだが…

「大いなるアルカナは 既にこの中枢組織に迫る戦力を有しつつある、もし 奴等が此度の戦いで成功体験を得れば、集めた組織全てを接収し 中枢組織に匹敵する規模に成長する可能性がある、なんとしてでも奴等はここで潰したい」

反魔女を掲げる機関の中枢組織となれば それこそ帝国は是が非でも潰したいはず、だがそれが今だに達成できていないことを勘繰るに、その中枢組織とやらはかなり大規模なものなのだろう

その段階にアルカナは登る可能性がある、危険の芽は予め摘んでおきたい至極当然の理論、しかし…

しかしですよ?、それは裏を返せば…

「でも、帝国が潰したいなら マレウス・マレフィカルムは是が非でもアルカナを守りたいはずですよね?、…今回の件に関わってくるんじゃないんですか?」

「そこを我々も危惧しているんだ、だから迅速に動くのだ…」

そうか、ありえない可能性について考えるほど帝国は暇じゃない、もしかしたら中枢組織が今回の件に関与する可能性がある、だから 不安だと言っていたのか…

「幸い、アルカナの居場所の割り出しはもう直ぐ終わる」

「あ、そうなんですか?」

「ああ、話を戻すが アルカナが多くの組織を引き込んでいると言ったな?、それは裏を返せば 今アルカナの居る場所には多くの人が招き寄せられている状態になる、故にそこに密偵を忍ばせた もうすぐ報告が来るはずだ」

おお、流石の手際の良さ、エトワールにいたリーシャさんのような身分を隠した軍人を 帝国は世界中に忍ばせている、もしかしたらマレフィカルムに近づくために 形だけ魔女排斥を掲げる組織を秘密裏に作っている可能性があるな

それを アルカナの所に向かわせ、裏で集合場所をチクらせ こちらに攻勢をかける前に奇襲をかけると、なるほど良く出来た作戦だ

「凄いですね、それで報告にはどのくらいの時間が?」

「奴等の信頼を得る必要がある、多く見積もって読ん、五ヶ月かかる…、そして報告が来たら 攻め入るつもりだ、そこに 君の同行も願いたい」

エリスはアルカナに命を狙われている、だからこうして帝国に匿われている

本来なら 攻勢決行の日にエリスは同行するべきではないのはエリスもルードヴィヒさんも理解している、本当ならその日はエリスは屋敷から出ず ベッドの下に丸くなって隠れているべきなんだろう

だが、そんなのごめんだ エリスも戦う、手前の尻拭いの一つくらい出来るよう鍛えられている

だから

「こちらこそ、お願いします エリスも戦います、アルカナと…!」

椅子から立ち上がり ルードヴィヒさんに頼み込むように頭を下げる、戦わせてくれと エリス一人じゃ戦えない、帝国の助けがいる…だから 一緒に戦わせてくれと

そんなエリスを見てルードヴィヒさんは相変わらずの無表情のまま

「頼もしい限りだ こちらこそお願いしたい、だが…文句をつける人間は多いだろう、今のままでは君は帝国軍との協調は難しいだろうな」

「それは…そうですが…」

「だから、報告が来る日までに 帝国軍の信頼を得るように動いてくれ、私からはなんの助けも出せないが…そこに居るメグの助けがあれば事足りるだろう」

そうか、確かに 今のままじゃ帝国と協力は難しい、帝国もエリスもお互い警戒している状態にある、何かする都度 さっきみたいな押し問答するくらいなら協力しないほうがマシだ

だがそうはいかない、だから その日までに帝国軍と信頼関係を築く必要があると、アルカナと戦う前に 戦いの支度をする為にも

「分かりました、なんとかしてみます」

「かしこまりました、皇室専属従者長の名にかけてエリス様の軍部内での信頼を勝ち得てみせます、五ヶ月後にはみんなと腕組んで踊っていることでしょう」

「ん、ならば頼むぞ?私は今回の作戦を単なる魔女排斥組織の撃滅とは考えていない、魔女を信奉する者と魔女に反発する者、世界を二分する二つの意思を巡る戦い、歴史上何度も繰り広げられてきた戦いの中で…最も大きく そして凄惨な物になると踏んでいる、故に君達の働きに期待している」

一つ頷けばルードヴィヒさんはエリスの渡した箱に手を突っ込み アップルパイをもう一つ取り出し サクサクと食べ始める

エリス達の働きに期待するか、さっきも言ったが帝国の優勢は揺るがない 百回やれば百回は勝つくらい優勢だ、しかし そんな優勢の中にありながらルードヴィヒさんの顔はどこか憂げだ

おそらく、本人もその憂いの正体に気がついていない もしかしたら杞憂かもしれない、けれど ルードヴィヒさんは確かに感じているのだ

ともすれば、予期せぬ一手が…帝国も掴めていない アリエ以上の真なる切り札が、アルカナ側にあるのでは…と、でなければここまで逃げ回っていた狡猾なアルカナ達がここに来て玉砕覚悟の紛争を仕掛ける理由がない

このまま事が進めば 帝国にとって良くない事が起こる、そんな説明の出来ない予感を感じているからこそ、部外者でありながら魔女の弟子たるエリスにも戦力としての働きを期待するのだ

帝国ではないが故に与えられる変化の風を、期待するのだ

「…メグさん、明日から やる事が決まりました」

「そうでございますね、エリス様を帝国に信用させる、それも制限時間付き …あまり悠長にはしていられません」

「なので、早速明日からお願いします」

「御心のままに」

優雅なカテーシーを見ながら思う、とにかく今は修行と並行して帝国軍との連携を深めて行かなくちゃいけない、でないとアルカナの戦闘で互いに協力し合うなんて無理だ

だから、今エリスがやるべきは 鍛錬と帝国との協調、期限は早くて四ヶ月 それまでにこの二つを両立し達成しなくてはいけない、正直大変だけどさ

けどさ、丁度いいとさえ思う…、この国に来てからやるべき事が不透明で見えてこなかったし、進むべき道 やるべき事がはっきりしたなら いつものように進んでいける

そして、進み切った先の戦いを乗り越えるだけなんだ、メグさんと師匠と一緒に エリスはこの地でも進み続けるだけなんだ





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