孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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八章 無双の魔女カノープス・前編

228.孤独の魔女と人魚の夢の終わり

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リーシャは正直 焦っていた

忘れ物である原稿用紙を取りに例の切り株の所に向かって、案の定放置されていたそれを回収したまでは良かったよ、風に飛ばされたり鳥に弄られてたら泣いてたよ

けど、風や鳥よりタチが悪いのが来た、来てしまった


私は原稿用紙を回収してすぐ、あちこちで戦闘音が聞こえ始めたのに気がついた 軍の駐屯地で爆発が発生し何があったか悟ったね、フリードリヒが警戒していたアルカナの襲撃がこのタイミングで巻き起こったのだよ

最悪のタイミングだと嘆いたさ、けど 準備はちゃんとしてある、軍はいつ攻められてもいいように布陣してあるし、負けはない、今はともかくフリードリヒ達と合流して…

と、行動に移そうとした時、そこでもっと最悪なことが起こったんだよ

現れたのだ、この場に偶然 この襲撃を巻き起こした張本人であろう人物、アルカナの中心人物 審判のシンが

偶然だ、本当に偶然なんだ、戦況を遠くから眺めるのにここは丁度良かったようで ふらりとこの場にブツブツ呟きながら現れたんだ

私に気づいている様子はない、咄嗟に茂みに隠れたのが功を奏してリーシャはシンに気付かれず隠れることに成功した…だが、もう一度言おう

リーシャは焦っていた、何せ 現れた奴が最悪過ぎる

審判のシン アルカナの創設メンバーにして国際的に指名手配されている最悪の人物の一人だ

その実力はマレフィカルム全体で見ても上位クラスに位置付けられる、八大同盟の大幹部に迫るか 下手すりゃ追い越すレベルの人間、それが私の目の前に現れた それを最悪の事態と呼ばずしてなんと呼ぶか

(昔の私ならいざ知れず、負傷でブランクのある私じゃあ勝ち目ないなぁ)

私は当時 八大同盟の大幹部三人を相手取ってなんとか勝ちを収めたことがあるから分かる、今こうして前にした時感じる威圧は 八大同盟だった退廃のレグナシオンの大幹部じゃ物差しにならない

強過ぎる、こいつ 多分師団長でも倒せないんじゃないか?…、それこそマグダレーナさんやフリードリヒでもないと…

(いや、もしかしたらエリスちゃんなら…)

いやいや、こう言っちゃ悪いが エリスちゃんじゃ無理くさい、だってエリスちゃんはレーシュを相手に奇跡的に勝てるくらいの実力…、レーシュとシンじゃ 比べる対象になり得ない

シンを相手に奇跡の勝ちはない、エリスちゃんが相対すれば間違いなく殺される、…アルカナ全体よりも シン一人の方が恐ろしい、そのくらいの相手なんだ

(上手くやり過ごして、シン相手に戦う策を立てないと、下手にエリスちゃんとエンカウントさせたらそれこそ…)

「まぁいい、我が最強の一撃で あの村ごと跡形も残さず消し飛ばせば済む話か…」

え?…

シンが漏らした言葉に 一瞬意識が奪われ、体が勝手に動いてしまった、その時 足元にあった枝が折れて…

「誰だ!そこに居るのは!、帝国兵か!」

迸る雷光…、焼き払われる茂み、轟くシンの怒号…

あらま、バレちった……





「見られたからには死んでもらう」

「あはは…、マジであるんすね そういうの」

電撃を迸らせながらこちらに歩いてくるシンの魔力を感じて、殊更次元の違いを感じる、こりゃあ勝てんわ

けど、けれど こいつは今エリスちゃんの名を口にした、アルカナはエリスちゃんの命を狙っているのは知っていたが、…まさか こいつか?こいつがエリスちゃんの命を狙っているのか?、しかも村ごと消し飛ばすって?あそこにゃ平穏に暮らしてる子供達が…

なんとかしなきゃいけない、友達を守る為にも 村のみんなを守るためにも

「…………」

原稿用紙を懐にしまい、気合いを入れる…あっちのが強いが、それでもシンの情報はある程度掴んでる、奴は有名人だからな、対するあいつは私のことを知らない

そこに、勝機があるかもしれない

「悪く思うな、運の悪い己を恨め…『ゼストスケラウノス』ッッ!!!」

「ちょっ…!」

圧倒的殺意から放たれる極限の稲妻、炎を纏った電撃が まるで目の前で爆裂したかのように増幅し迸る、これがシンの一撃…!

咄嗟に飛び込む、近くの木影へと、遮蔽物へと、あんなもの真っ当に受けられる防御手段なんかない!

「っっ!?がぁぁあっっっ!?!?」

しかし、そんな浅はかな狙いで避けられる程甘い一撃ではない、私が隠れた木影ごと奴の炎雷は吹き飛ばすのだ、地面も木も何もかも 当然 私も…

「ぐっ!…っちち…!」

吹き飛ばされる体を空中で整え受け身を取る、だがクリーンヒットは避けられた…避けられたが、クリーンヒットを避けても この威力だ、どの威力だって?

一撃で地形が変わったんだよ、たったの一撃で森を吹き飛ばし 地面を抉り返し一瞬で森が荒地に変わりやがった

あいつ頭おかしいのか?、私のこと殺そうとしたんだよな?過剰過ぎるだろ、アイツパン一つ買うのに金貨で払うタイプか?本読む灯りをつけるのに家に火を放つタイプか?

私一人殺すのに森一つ吹っ飛ばすかよ普通、デタラメ過ぎだっての

「避けたか…」

避けたように見えるかよ、こちとらズタボロじゃい

「やはり只者じゃないな…、さては 帝国のスパイか」

「生憎、スパイは廃業したんすよ…さっきも言ったけど、今はしがない小説家だっての!」

「どちらも同じだ、帝国の人間は…殺す!、『ライトニングステップ』ッ!」

次なる攻撃が来る、シンの足に一瞬電撃が迸ったかと思えば、奴は雷光の如き速度で 電撃の足跡を残し 真っ直ぐこちらに…

「ぐぶっ!?」

雷速の蹴りが無防備な腹に突き刺さる、その衝撃は電撃となり この体を焼き飛ばし、ふらふらの体を紙のように吹っ飛ばす、今度は受身は取れない その一撃が私の反射速度を遥かに上回っていたからだ

「っ!やられっぱなしでいられるかよ!『タイダルメリジューヌ』!!」

吹き飛ばされながら 指を前へ突き出し空間を測定する、我が特記魔術の発動範囲を設定…、効果範囲は丁度いい この荒野全域!

「むっ、水…いやこれは空間制圧魔術、特記組か…!」

魔術の発動と共に地面から水が溢れ出し この辺り一帯が脛が浸かるくらいの水に満たされる、しかもこれ ただの水じゃねぇんだわ

私の魔力によって生まれた水、つまり 今この空間は私の魔力によって覆われたに等しい、故に吹き飛ぶ私を水が受け止め 衝撃を和らげ…

「『片翼水切脚』!」

くるりと反転するように蹴りを放つ、するとどうだ 私の蹴りは水を伝い 斬撃の波となる、この水は全て私の思うがままに動き 思うように力を伝える、如何なる力も水の中で増幅し ただの蹴りは 波濤の一撃となる

「面倒な…『ライトニング…』っ!?」

そこで奴はこう考えるだろう、あんな攻撃避けて仕舞えばなんてことはない ってな、けどお前さん今自分の足を突っ込んでる物を何かお忘れで?

シンの足を包む水が渦を巻きその足を地面に縫い止める、そこから動くなよ!今から私の攻撃が当たるんだからさ!

「『ステップ』っ!」

「えぇっ!?」

と思いきや 水の拘束を強引に引き抜き奴は空中へと舞い上がる、嘘だろ あれを力だけで引き抜くとか人間かよ こいつ!

「遅い!」

「げはぁっ!」

奴はどうやら私に驚く暇さえ与えないようだ、鋭くそして鋭敏に、雷のように不規則に空を飛び交いながら奴の蹴りは私を蹴り飛ばす、速い あまりに速い…どうすりゃ止まるんだこいつ

「なんの…まだまだぁっ!」

だが 止まれないのはこっちも同じなんだよ!、水で足場を作り更に魔力を水へ変換すれば 水嵩がグングン増していく、もう地面踏めると思うなよ…!


「この程度…、『スパークレイン』!!」

しかし、シンは止まらない 周囲に電撃を走らせ その掃射で私の体を焼こうと攻め立てるのだ、どうやらアイツは雷を使い空も飛べるご様子で、なんでも出来るのな!便利だ事で!

「くっ…」

迸る電撃を前に波を起こし、水を滑るように落雷を回避する これで足りないなら、もっと水を増やしてアレを使うしか…

「悪いな」

「え?」

「先客だ」

声がした、前方 私の進路上、電撃を回避し水を滑る私の前に シンが…

「ぅごっ!?」

なんて見つめる暇もない、雷速の拳が何度もぶち込まれ意識が飛び掛ける、速ぇ…!

「諦めて自らの水に沈め!帝国!」

「帝国じゃねぇよ!私はリーシャ!小説家じゃい!」

水の上、ぶつかり合うシンと私 その徒手空拳、されどそもそも実力に差がありすぎる、私の拳や蹴りは容易に弾かれ シンの雷を纏った弾丸の如き打撃が私を打ち据える

「ぐぅっ!?」

右側頭部に一撃をもらい、視界に星が飛ぶ…、私がここまで近接戦で押されるなんて、生まれて初めて…じゃねぇな!オウマに良くやられたわ!

だから分かる、こういう奴に真っ向から向かっても意味はない、こういう時は 足元を攻める!!

「っっ『タイダル・メリジューヌ』!!」

「っ!?まだ水深が深くなるのか…!」

「そりゃ私だって、元とはいえ最強世代の一人なんすからねぇっ!、『水衝波濤』ッ!」

ゴポリと更に地面の水が増し シンの体を捉えようと迫り上がる、なめんなよ!この水の世界は今!、私のものなんだよ!

「チッ…!」

シンは苦々しい顔をしながら虚空を踏んで雷のように加速して生み出される波から逃げるように飛ぶ、それに合わせて私もまた四方に波を作り出す、まるでこの空間はバケツの中だ

波々注がれたバケツの水を、バケツそのものを揺らして波を作り出すように 私は容易く水を操れる、けど…これでも捕まえられないか!

「だったら!オラァッッッ!!」

波を殴りつけ 更に加速させる、それはまさに水の衝撃波、まるで水中で爆薬でも破裂したが如き水柱にシンの体は…

「しま…っ!?ぐっ!?」

直撃はしない、だが明らかに空中でバランスを崩し 速度が落ちる、水柱を無理な姿勢で避けようとしたからグラリと体が横に揺れた、私はそれを隙と見た!

「飲み込め!『螺旋水戦球』!!」

私が作り出した水場全域がうねりをあげ 失速したシンを囲み始める、あっ…と言う間なくシンの四方八方を水が覆いあげ、作り上げられる 超巨大な水の監獄はシンを囲む

「…………ッッッ!!!」

水の牢獄の中でシンが何か言ってる、暴れ回り四方に電撃を放ち牢獄を破壊しようとしているが、無駄だ

水は電気を分散させその形を崩してしまう、水と電気じゃあ水の方が圧倒的に有利なんすよ、いくら電撃を放っても 水がクッションのように受け止め水に溶かす

さぁて、これでどうかしら 終わってくれると…

「嬉しいんだけどね!『水流瀑布 握鬼陣』ッッ!!」

手を合わせ 押し潰すように水を操り、中にいるシンを水の球体ごと圧殺する、これが私の奥義 最大の必殺技って奴っすよ、四方からかかる絶大な水圧は如何なる物質でさえ圧縮し 押し潰す

さしものシンもこれを食らっては一溜まりもあるまいと思いながらも…、私の頬には相変わらず冷や汗が垂れる

おかしいなぁ、いつもならこれ決めた後は勝利の余韻ってのに浸れるんだが、どーにもこーにも

これで奴が終わるとは思えん


「……ッッーーーー!!!!」

何かが聞こえた気がした、圧縮され形を縮めていく水の牢獄の中からだ、シンの断末魔か?…いや違う、様子がおかしい

ボコボコと私の水が沸騰している、 中心に存在する熱源の放つ力に耐えられず、圧縮された側から沸騰して外に逃げていく、私の魔術は水を操る物、いくら元は私の魔力とはいえ 蒸発しちゃあ操れない…

「ほぉら…やっぱり」

そんな気がしていた、私の作り出した必殺の水球はドンドン蒸発して終いにゃ形が崩れて完全に蒸気となって消えてしまう…

中にいるのは、迸る電撃を纏う シンだ、そりゃそうだ 森を一撃で吹き飛ばせる火力を用意出来るんだ、あんな水 一発で奴は蒸発させられる…

雷と水なら水の方が強いが、熱と水なら熱の方が圧倒的に強い…水には抗う術がないくらいだ

…にしてもまさか凌ぐとは

「驚いたぞ、お前 その実力で小説家を名乗ってるのか?、…特記組出身者だろう」

するとシンは私に興味を示したのか電撃を纏わせながらも地面に降り立ち私をジロリと見遣る、先程までの殺意は感じない…、何を考えているやら

「まぁね、でも 色々あって戦線離脱しましてね、この戦いが終わったら晴れて退役なんすわ」

「何?…、なら尚の事驚きだな」

「は?、何が」

「お前 これが終わったら軍人をやめると言っておきながら、何故私を前にして一度として逃げようとしない」

「………………」

言われてみれば、私 一回も逃げようとしてないな、ぶっちゃけチャンスはあった、けど 逃げる選択よりも こいつをなんとかしなきゃという思考が勝っていた…

「先程の水の魔術で私を包んだ時だって、決めにかからず逃げていれば 結果は違ったかもしれないのにな」

でも、答えはわかってるんだ…、私が逃げようとしなかったのは…

「だってアンタ、エリスちゃんのこと殺そうとするでしょ」

こいつがエリスちゃんを、私の友達を狙ってるからだ、友達の命を狙い 脅かそうとする奴が目の前にいるのに、それを放って逃げられるかよ…!

「エリス…?、ああ殺す 奴は捨て置けん」

「なら私もお前を捨て置けん~」

「それは、帝国軍人としてのせめてもの誇りか?」

「違うね、エリスちゃんは私の友達だからだよ!、友達の命を守ろうとするのは当たり前でしょ!」

「……友達…か」

「そうだよ!『タイダルメリジューヌ!』」

だから逃げない、ここで私が退却したらこいつはエリスちゃんの所に向かう、だから…例え無茶でも勝てなくても私はここで戦わなくてはいけないんだ

それが、私が軍人になった意味、友の平穏を守るために戦うのだ…、その為だったら 全身が砕けても良い!

「これが私の!軍人としての最後の仕事で!友としての最大の義務なんだよ!!」

再び水を作り出す、ただし足元にではない、今度は最初から大津波だ それをシンの左右に作り出す、まるで海が割れたかのような大奇跡を巻き起こし、示す 闘志を

何度だってやってやるさ、何度だって!

だが

「無駄だ、何度やっても お前の力は私に通用しない…、『マハト・ミョルニル』」

すると シンが天に手をかざすと共に、雲一つない月の夜に 雷鳴が轟いたかと思えば、次の瞬間には…、それが落雷となり 地面へと落ちてくる、それが関係ない場所だったらびっくりで済むんだけどね…、その光は真っ直ぐ私に落ちてきて

「ーーーー……、お前の水では私を止められん」

降り注ぐ雷鳴は全てを吹き飛ばす、津波も木々も 地面も リーシャも

シンの持つ雷魔術の中でも随一の威力を持つ落雷魔術、神の鉄槌の如きそれを受けて立っていられる物はいない、形を留めていられる物はいない、事実 落雷を受けた大地は大きく陥没し 星の核に迫るが如き大穴が空いている

一瞬、とある考えがシンの頭を過ぎったが…所詮は迷いと切り捨てて目を閉じる、これだけの騒ぎを起こせばエリスも寄ってくるはずだ、エリス単体なら容易く殺すことが出来る

さぁ来いエリス、来なければ村ごと消し飛ばすぞ、と…視線を移す その視界の端に捉える…

「ぅぅぅぁああああああああ!!!!!」

雄叫びを上げながら 黒煙を割いて飛ぶ 人形の姿を…、水流を手繰り 高速で飛んでくるリーシャの姿を

「何っ!?」

消し飛んだ筈のリーシャの出現に一瞬 シンは驚愕する、がしかし 直ぐに理解した、あの大掛かりな津波はブラフだ、それを迎撃するために私が大火力を放つ それを誘ったのだ、私の油断を作るために 隙を突くために…!

なんと危険な賭けだろうか、私がどれだけの火力を叩き出すか こいつは想像も出来ない筈、リーシャの予想を遥かに超える雷を出せば リーシャは対応など出来ずに死んでいただろう、事実水流を纏うリーシャの右半身は黒く焦げており もう動きそうにない、だが それでも動かない足を水流で流し こちらに向かっているのだ

ここに来ての胆力…、やはりこいつは…!

「『セイレーン・イングラフ』!!」

叫ぶ リーシャはその魔術の名を、彼女が使ったそれは 彼女が与えられた特記魔術ではない、それは正真正銘 ただの現代魔術 水属性のなんの変哲も無い魔術だ

名を『セイレーン・イングラフ』、水魔術の中でも比較的…いや、かなり使いづらい部類に入る魔術だ、何故か?それはその内容にある

効果は 周辺にある水を手足に纏わせ操り打撃を与えるという水版『イグニッション・バースト』のような魔術、問題点があるなら 周辺に水が無ければならないということ

水辺でしか使えない魔術を誰が使うか、…ただ その問題を解決できる人間が使えそれは必殺の一撃となる

「これは…!」

シンの顔が青ざめる、シンとリーシャの実力の差は歴然である、使う魔術の相性もシンの方が有利である、はっきり言おう 100回やれば 100回シンが勝つ、そんな実力差があるにもかかわらずシンは青ざめる


もう一度言おう、セイレーン・イングラフは周囲にある水の量によって威力が変動する…、なら リーシャが使えばどうなるか、シンの目に映ったのは何か


リーシャの突き出された左拳が引き連れるのは、まるで巨大な水龍だ、タイダル・メリジューヌを用いて作られた 辺り一面を覆い尽くす大瀑布全体が 彼女の拳に勢いと重みを与えているのだ

先程の津波は囮だ、シンに雷を撃たせ油断を誘うための囮であると同時に…、津波を吹き飛ばされたと見せかけてまるごと自らの拳に乗せる 謂わば攻撃の前準備だったのだ

その事を悟って、シンは青褪める、先程の水球がリーシャの必殺の一撃なら、これはリーシャの決死の一撃…、例え自分がどうなろうが ここでシンを倒すという覚悟を秘めた捨て身の一撃

まるで…そう、水平線の彼方まで従える海神の鉾の如き威容に シンはこの一撃が不可避である事を悟る、今から回避しては間に合わない 防御も間に合わない

捨て身であるが故に最速、決死であるが故に不可避、一瞬で組み立てられた策に嵌められ 九死に一生の賭けにリーシャは勝った、この一撃は神が与えた奴の報酬なのだ…

故に、食いしばる …奴が覚悟を示すなら、こちらも覚悟で答えなければならないとシンは臆する事なく歯を食いしばり、リーシャの拳と向かい合い…そして

「ッッッくぅ…ぅがぁぁぁあああああ!!!」

激突する、それは天から海が降り注いだに等しい衝撃、それが 拳という一点に集約されたリーシャが自分で生み出した奥義、皇帝から与えられた魔術と自分の訓練と努力と人生の経験から最適解を求め 編み出した最高の一撃…

それは今 遥か格上のシンに一矢を報いた…

「ぐぅぅぅううううっっっ!?!?」

みしりみしりとシンの中の何かが軋む、踏み縛った足が押されていく、天を裂く雷光を飲み込む海の怒りは、天さえも覆い尽くし 今雷光を大地へと落とす…

「がはぁっっ!?!?」

シンの体はリーシャの拳に押し負け吹き飛ばされる、人智を超越した力を持つシンでさえ 海に殴られては一溜まりも無いのだ、…それを一点に集約して顔面に放たれた

もはやシンに立てる道理は…

「ッッ…ぬぅぅぅぁあああ!!!」

大地に屹立するシンの足、吹き飛ばされながらも足を地面に突き刺しながら耐え抜く、リーシャの放つ究極の一撃を耐え抜き 立ち続けたのだ、通じなかったのだ リーシャの覚悟は…いや、違うな

通じなかったのでは無い

「…?、ど…ういうことだ」

一番混乱しているのはシンの方だ、だって 想定していたよりも…『威力が低かった』からだ、あれはシンでさえ死を覚悟するだけの威圧があった なのに、受けた瞬間…まるで衝撃が逃げるように体を通り抜けていった

寸前で手を抜いた?どういうことだ、と疑問を口にするシンは 直ぐに悟る

手を抜いたのでは無い、覚悟が通じなかったのでは無い…

「ぐっ…くぅぅう……」

ただ、体がついてこなかった…

放った左拳を抑えながら蹲るリーシャ、…あの一撃は不完全だったのだ


リーシャの放つ究極の一撃が不完全に終わった理由は二つある

一つは、キャパシティオーバーだったのだ、そもそも セイレーン・インガルフは海を全て背負って一撃を放つよう設計されていない、リーシャが用意する水の量は魔術の容量をオーバーしその分の負担がリーシャの体にのしかかったのだ

海と同程度の水圧がだ、だが それもリーシャは耐える覚悟だった、だがここで問題が起こった

リーシャはシンの攻撃を誘発し それを耐え抜いた上で一撃を叩き込むつもりだった、どんな傷を負っても進むつもりだったが、一番怪我をしてはいけない部分が傷を負ってしまった、それが右腕だ、故に残った左腕で放たなければならなかった

左腕だ…、リーシャが戦線離脱する要因になったのは左半身の負傷、つまり 彼女の左腕は当時傷を負った部分なのだ

傷は癒えた、もう元通りの生活をしても良い迄に癒えていた…が、それは常軌を逸した負担に耐えられるかと言えば別の話だ

つまり、つまりだ…彼女の左腕の傷が開き その痛みで負担に耐えられず、魔術が途中で解除され水も何もかも消えてしまった…それ故に、シンは耐えられたのだ

…ここ大一番で、運が尽きたと言える…

「くっっそ…こんな、肝心な時に…」

「なるほど、なにやら古傷を抱えていたと見える…、良い手だったが、ここまでだな」

最早リーシャに抗う手は無い、両腕はもう動かない、戦えない…、勝敗は当初の予定通り、シンの勝利に終わったのだ

「ぜぇ…ぜぇ、まだ…まだ」

「まだやるか?、…余程エリスが大切と見える」

「当たり前だろうが!、あの子は…私に救いを与えてくれたんだよ!、物語を紡ぐ楽しさをまた教えてくれた 大切な友達なんだよ!、それを殺すって言われて おいそれと退けるかッッ!!」

牙を剥き 立ち上がる、両手は動かない 魔力だって殆ど残ってない、だが それでも立つ、友のために、自分の為に戦ってくれたエリスの為に 自分の為に戦ってくれているフリードリヒのために!

「………」

その覚悟を見てシンは胸を打たれてここで見逃そうと決意した…とか、そんな風に思えるような人間なら そもそもこんな事をしていない

シンはもう捨てている、人間性と言える全てを…だからこそ、リーシャの覚悟を見て 思うことは一つ

「なら、取引をするのはどうだ」

「は?…取引?」

今 この状況を上手く使ってやろうという意識だけだ

ただ、それを持ちかけられたリーシャは呆気を取られる、これも何かの作戦か?油断させる作戦か?、だが そんな事をする必要性が全く無い

今ここでシンが雷を一撃撃てばリーシャは死ぬ、そんな油断を誘う事をする必要はない

「なんですか…、言っときますけど情報を吐け とかは受け入れませんよ」

「いらん、今更お前の情報など…逆だ、私が今から伝える内容を帝国側に知らせて欲しい、所謂告発だ」

「…なんで」

「理由は一つ、復讐だ 私はこの魔女世界というシステムと魔女という歪な存在がか許せない、だが …それとは別に個人的に許せない相手がいる、それを 陥れる為だ」

「個人的な復讐に私を使うって?…、それを飲んだら 退くの?」

「まぁ、このままお前をここで殺しても メリットは薄いからな」

シンはチラリと目を向ける、それは奇襲を行った軍団が帝国兵と戦っている地点、もう殆ど制圧されている、シンがここに釘付けにされている時間で 帝国兵はシンが連れてきた部隊を全て撃破したのだ

リーシャは仕事を果たしたのだ、時間稼ぎと言う名の仕事を、そういう意味ではシンはもう敗北している、ここでリーシャを殺し逃げ帰っても 殺さず逃げ帰っても もう結末は同じだ

だったら、見逃す という形でリーシャを上手く使えば、個人的な復讐だけでも果たせるんじゃないかと悟ったのだ

「……でも、エリスちゃんは狙うんでしょ」

「どうせ見逃してもエリスは我々の城まで来る、そこは変わらない筈だ」

「まぁ確かに…、いいでしょう 聞くだけ聞きますよ、誰なんです?貴方の個人的な復讐の相手ってのは」

シンに選択肢が無いように リーシャにも選択肢はない、だったらもう言うことを聞こう、もしかしたら 謎に包まれたシンの事を知る良い機会かもしれないし と、リーシャは前向きに考える

「ああ、ただ お前は帝国にこう伝えればいい…、『第二十六師団 団長 ループレヒト・ハルピュイアを調べろ、そいつは 魔女の忠臣ではない、狂気に囚われた極悪人だ』とな」

「は?、ループさんが?、なんで…」

「調べろ、答えは直ぐに出る」

ループレヒトについて調べろ…と言われても、とんと見当がつかない、あの人そんな極悪人だっけ?、まぁいいや 取り敢えずメモに記して置こうと痛む左手を使い 胸の原稿用紙に汚く乱雑に書き留める

「これでいい?」

「ああ、…それでいい…、お前も死にたくないならもう我々に関わるな、次会えばその時は生かす理由はかいからな」

「へい…」

そう言いながら シンが背を向けた瞬間…

「リーシャさーーーんっっっ!!!」

「エリスちゃん!?」

もうこの場が終わろうとした瞬間 エリスちゃんが来てしまった、シンが撤退するその瞬間に…、遠くの方から風を纏って突っ込んでくる、まずい このままじゃシンとカチ合う!

「ん?、エリス?…」

シンもまた その声に気がつき、目を向けようとする、やばい…二人が出会ったら戦いになる、シンも見逃すとは言ったがエリスが目の前に来たら別だとも言っていた!このままじゃ…

止めなければ、そう エリスに向かって体を動かし 叫び…

「待って!エリスちゃ…………」



刹那、リーシャの耳は 二つの音を聞いた

一つは

「シン…ダメだろ、味方がみんな死力を尽くしたんだ、君だけ勝手に敵を見逃すなんてさ」

声、男の声…それが背後に、そして

「え…………」

肉を 引き裂く音…、喉を上がる大量の血、目を下に向ければ…

「マジ…か…」

自らの背中から 腹へ、貫通する…血塗れの刃が見える、真っ赤な真っ赤な…自分の血が

「えり…す…ちゃ…ごぶふ…」

ゴポリと口から溢れる夥しい血と力が抜ける体、ズルリと体重に従って 体が倒れ刃が抜けて、沈む 私の体が 血の海に

「お…あ…え?」

血に沈む目が 捉える、目の前で…顔面蒼白で、こちらを いや、背後に立つ男の姿を確かに見る、エリスちゃんの…顔が

「リーシャ…さん…」

それを見て、リーシャは悟る、どうやら私はまた…、いや 今度こそ 取り返しのつかない、ヘマをやらかしたことに

…………………………………………………………………………

「お…お…おぉ…」

目の前で起きたことが信じられず、エリスは足を止める、現れた敵を蹴散らし リーシャさんのいる所まで駆け抜けてきて、遂にリーシャさんを見つけたかと思えば…

エリスの目の前で、リーシャさんが 刺された、深々と背後から剣を…それで、あんな血を流して 血を吐いて…、それを 背後の男がニタニタと笑いながらリーシャさんの血がべったり着いた剣をぺろりと舐めながら 倒れ伏すリーシャさんを見ている

信じられない、エリスは何を見ているんだ…

「っ!ヴィーラント!?貴様何を…!」

するとリーシャさんを刺した男を見て 白い髪の女が驚いて声を上げる

ヴィーラント?、ああ 敵組織の中心人物か、それがなんでここにいて 白い髪の女が何者で、ここで何があって、どうなったか、一から説明が欲しい

けど…けど

「お…お…おぉ…!」

今は 今は…今はッッ!!そんなことどうだっていい!!

「お前ぇぇぇぇぇええええっっっ!!!!!何やってんだぁぁあぁっっっ!!!!!」

エリスの頭の中の何かがいくつもブチブチとキレながら 爆発する、噴火するように 今まで無いくらいの怒りがエリスを襲う、あの男!ヴィーラントが!リーシャさんを刺して…刺して!!!

刹那、旋風圏跳で大地を砕く勢いで飛び上がり ヴィーラントに突っ込み 拳を振るう、あの野郎ぁっ!殺してやるぁぁっっ!!!

「ははは、あれが魔女の弟子か 猛々しいね…!!」

するとヴィーラントはエリスの神速の拳を片手で受け止め、その衝撃を全て受け止め、微動だにしない、凄まじい怪力…だが!そんなこと!、そんなことどうでもいい!!

「お前ぇっ!!何やってんだ!!、リーシャさんを…リーシャさんを!!!」

「ああ、殺した…、殺したよ、だって僕達敵同士だろ?殺し殺される中だろう?、だったらなんの違和感もないはずだけれど」

「理屈どうこうを聞いてんじゃねぇぇっっ!!!!!」

こいつは こいつは!リーシャさんを刺して!!!ころ…こ…ころ…、っっっっ!!!ぐぅぅぁぁああ!!!!

「ぶっ潰してやるッッッ!!」

「君に出来るならね…」

エリスが怒りに任せて拳を震えどヴィーラントには届かない、いくら振るっても 風に揺れる枝葉のようにするりするりと避けて躱す、その都度エリスの怒りはグングン上っていき…

「ははは、怒りに目が曇った人間ほど容易いものはないね!」

「ぐっ!?」

刹那、エリスの怒りの乱撃の隙間を縫ってヴィーラントの拳がこの顔面を捉え、エリスは一瞬 たたらを踏む、その隙を逃さずヴィーラントは剣を高々と掲げて…

斬られる、斬り殺される…だが、構うものか!真っ二つにされてもこいつだけは地獄に叩きおとさなきゃ気が済まない!!!

刃に臆さず進もうとしたエリス、だが 次の瞬間 後ろから首を掴まれ引っ張られ、ギリギリ刃から遠ざかることが出来た…

だ 誰…

「エリスちゃん…、落ち着いて…」

「リーシャさん!だ 大丈夫何ですか!?」

エリスを引っ張ったのは、リーシャさんだ、腹から夥しい量の血を吹き出し 口から滝のように血を吐くリーシャさんが、エリスをズタボロの手で引っ張り救ってくれたんだ

「おや、まだ生きていたか…」

「へ…へへ、エリスちゃんとにかく落ち着けよ、落ち着くんだ」

「落ち着いてなんか…、そうだ!直ぐに!直ぐに師匠のところ連れていきます!、フリードリヒさん達のところに連れていきますから!、そこに行けばポーションや治癒術師さん達がいますから!だから!」

すると リーシャさんはエリスを抱きしめて 、静かにヴィーラントを睨む…、エリスの言葉に答えず…ただ、エリスを守るように

「…ふっ、分かったよ 退くよ、本当は魔女の弟子だけでも殺すつもりだったけれど…、もうそんな時間はなさそうだ、もうじきここに軍が来る シン…帰ろうか」

「……お前、後で話があるからな」

するとヴィーラント達はリーシャさんの視線と 着実にこちらに迫る軍団を見て引き際と見て、消えていく 夜の闇に消えていく

追わなくては、リーシャさんを傷つけた二人を 追わなくては行けないのに

エリスは 追えなかった、ただ リーシャさんの体を抱きしめ、いつしか支えてきたから

「リーシャさん?…」

「へへ…ごめんよエリスちゃん、ごめんよ…」

「謝らないでください、…謝らないで、直ぐに…直ぐに治しますから…だから」

リーシャさんの体から 何かが失われていくのが分かる、分かってしまうのが…嫌だ

嫌だ…嫌だ、行かないで リーシャさん…お願いだから

「エリスちゃんに、最後に言いたいことは…沢山ある…けど」

「やめてください、最後なんて言わないで…」

「でも、伝えたいことは、全部 今までの旅で…伝え切れたから、全部覚えてるエリスちゃんには…改めて、言わなくてもいいよね…」

「嫌です!嫌です!…全部、全部聞かせて…お願い」

「我儘言わないの…、エリスちゃん…後はさ、頼んだよ…ね……わたし…の…ともだ…ぃ」

そして、リーシャさんの胸から 懐から、パラパラと原稿用紙が落ちていく

その原稿用紙に書かれた、『Fin』の文字だけが…エリスに、残酷な現実を突きつける

もう、それが 彼女の口から語られることはない、ぐったりと冷たくなった彼女の口からは

「あ…あぁ…ああああ……」

エリスは今、目の前で 腕の中で、失ってしまったのだ

この世でなによりも失ってはならない物を、友達を…リーシャさんを……

「ああああああぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

その叫びは、怒りか 悲しみか 悔いか 、ただ 天を衝く慟哭だけがその静寂の中 鳴り響いていた

鳴り響いて…鳴り響いて…、月が 沈んでいく、泡が弾けるように、全てが終わっていく

夢が、終わる
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