孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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九章 夢見の魔女リゲル

263.魔女の弟子と聖歌礼賛

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ズュギアの森の最奥に存在する秘境村フォルトナの 要人用の温泉宿、その奥に配置された木組みの祈りの間にて対峙する二つの意志

神の敵を屠る為、ズュギアの森まで追跡してきた一団を率いる四神将の一角、歌神将ローデ・オリュンピア

ローデが訝しみ 辿り着いた祈りの間で待ち構えるはサトゥルナリア達三人が扮する『夜天の聖女ナリアール』一行

外には神聖軍が大挙している、宿は囲まれている、もしかしたら近くにネレイド達他の神将がいるかもしれない、そんな絶体絶命の状況下でラグナの下した決断は『真っ向から迎え撃ちローデを騙し抜く』という決断

そしてその全ての趨勢はエトワール屈指の役者であり閃光の魔女ナリアに任される形となった

ナリアがしくじれば即座に戦闘は始まるだろう、もしそうなればラグナ達は森のど真ん中という逃げ場のない環境で…包囲された状態で戦うことになる、勝ち目以上に生存の目が薄い戦いに臨む事になる

それだけは許してはいけない、無事にこの村を抜け出し エノシガリオスに辿り着きエリス達と合流する為に、ナリアは絶対に失敗の許されない即興劇を演じる

「…………聖女、ナリアールですか」

「…ええ」

緊迫した空気が漂う中、ローデはナリアールの姿をジロジロと威圧するように見る、ナリアールの正体に気がついている様子はない、先日の戦いでナリアを先んじて馬橇の中へ退避させたこともあり ローデはナリアの顔を確認していないからだ

しかし、ナリアが隠れ蓑として扱う立場 『聖女』は聖歌隊の総隊長たるローデの管轄下の存在、つまり部下だ…見知らぬ部下が目の前にいれば、警戒もする

『もしや偽物では』そう思われたところからのスタート…、疑われた状態から始める劇ほどやり難い物はない

だが、それは顔には出さない、聖女として慈愛に満ちた表情を崩さず ナリアはローデの視線を受け止める

「貴方の活躍は聞き及んでいます、なんでも このズュギアの森に住まう人々を救っていると…、不甲斐ないことではありますが邪教討滅にかまけていた神聖軍の耳に、この森の惨状は届いていませんでした…、貴方が居なければいくつかの村が消えていたことでしょう」

「いえ、私はただ 己の責務を果たしているだけです」
 
「責務…責務ですか?、貴方は聖女と名乗っているそうですが、私は貴方にこの村を救えと命令した覚えはありません、何よりも…」

ギロリとローデの視線が鋭くなり 近づいてくる、ナリアールという存在を確かめる為に

「私は…、貴方を知らない」

「…………」

「貴方は誰ですか?、この国の人間ならば 聖女の名を騙る事の罪深さは知っているでしょう、魔女同様 聖女もまた特別な存在、それを偽称すれば 監獄行きは免れない」

その罪は知らない、そもそもナリアは聖女の事だってよく知らない、変な言い訳はできない、寧ろ下手に誤魔化せば 正体がバレる前に捕まる可能性さえある

だが

「ええ、知り得ています、己の罪深さを」

「なら貴方は…正式な聖女ではないと?」

「はい」

逆に踏み込む、引けば手を掴まれる 臆すれば付け込まれる、なら 踏み込むしかないのだ、己を偽物であると吐露し 近くローデに一歩近づき、それでもなお 毅然と立つ

「私は確かに 聖都より正式に聖女の名を拝命したわけではありません、村の方々に欺瞞を述べたことも確かです…」

「であるならば…」

「ですが!、神の声を聞いた以上!私には黙っていることなんか…出来なかった!、このズュギアの森の人達が苦しんでいるのに、誰も手を差し伸べない状況を目にして 目を背ける事は!神の教えにさえ背を向けることに等しいと私は感じたのです!」

「ッ……!?」

ナリアの言葉を前に竦むように動きを止めるローデの顔は 血の気が引いたように青い

ナリアールの言う森の民達に目を背向け続けてきた我等は即ち 神の教えに背いていたことになるのではと、当然そんな事はない 何故ならローデ達は知らなかったのだ

知らずに目を向けていなかったのだからしょうがない、そんな言い訳もできるが…それを口に出すことが出来ない、ズュギアの森の惨状を知っていて行動したナリアールを責めることが出来ない

何より、ローデにそう思わせるほどに、ナリアールの顔は悲愴に満ちたものであったから

「私はこれまで神に見捨てられたと悲痛に喘ぐ民や、神の怒りを買ったのではと罪もないのに免罪を欲する者を多く見てきました、…彼らは誰も悪くない…彼らは皆敬虔なる神の従僕の筈!、なのに…彼らが救われないなんて 救わないなんて、おかしいじゃないですか」

「………………」

ローデは言い返せなかった、ナリアールはあからさまに口にはしないが明らかに神聖軍の対応を批判していたからだ、これがただの批判であったならローデも鼻で笑って受け流した

だがナリアールは成し遂げた、成し遂げてしまった、不甲斐ない神聖軍に代わり キチンと他の村々を救済してみせたのだ、実績がある人間の責めるような口調に、ローデは居た堪れず口を閉ざす

「…ですので、私は神の声に従い 神聖軍に代わりってズュギアの森の方々を救済する為に動いたのです、それがこの国で罪に問われることも知っていますし この旅の末私が向かう先は…きっと闇の中でしょう、それでも 私には黙っていることなんて出来なかった」

両手を合わせ 空を見上げるその姿は、まさしく天啓を受ける聖女そのもの、ローデが知るどの聖女よりも原点である聖母神ザウラクの姿に近しい祈りの姿、これが偽物だと言うのなら 本物の聖女は一体 とローデに思わせるに足る表情に、何も言えなくなる

「本当は、全てを村に聖歌を届けこの旅を終えた後、自らプルトンディースに向かうつもりでした、が…歌神将様 貴方が現れたと言う事はつまり、偽物の聖女たる私を追ってここまで来たのでしょう?」

「え?いや私は神敵を…」

「良いのです!、覚悟は出来ていましたから…、さぁ ローデ様…私を」

皆まで言うなと両手を差し出し捕縛しろとでも言いたげな面持ちでローデを見つめるナリアールの目を 直視出来ない、直視する事が出来ないのだ ローデは

ここでナリアールを捕縛する事に大義が見出せない、ナリアールが一体何をした?動かぬ聖都と神聖軍に代わって村を救い 多くの民達に生きる希望を示した、それを捕縛して…果たして自らを善と誇れるか?

ローデは思案し 動かない……

それが、ナリアールの…いや ナリアの狙いとも知らず

(どうですか?、これぞ必殺『悲劇のヒロイン作戦』…、言っときますけど悲劇のヒロインを演じさせたら、右に出る人は居ないってお客さんからも評判なんですから)

内心でニタリと笑うナリアはローデに詰め寄る、ここでもし自らは無罪だと往生際悪く弁明を始めればローデは意固地になってナリアールを連行しようとしただろう

だが逆に自らの罪を認め それでも神聖軍の今のあり方に憤慨し動いた聖女を、その手で捕縛する選択を迫れば…ローデは良心の呵責から寧ろ捕縛出来ないのだ

(オライオン人は善と悪の線引きを大切にする方々と聞いてますからね、だから この舞台で押し付けさせてもらいました、悪役の座を)

今ここで罪を認めたナリアールを無理に連行しようとすれば ローデは立場上悪役になる、テシュタル教は悪を嫌う ましてや神将ともあろうものが自ら進んで悪役になろうとはしない

だからナリアは演じた、正しい事をしたのに檻に入れられてしまう可哀想な聖女…、つまり 悲劇のヒロインを

悲恋の嘆き姫エリスを目指して日夜悲恋物の劇を演じていたナリアからすれば、即興で悲劇のヒロインを演じ、悲劇的な空気を作り出すことなんか朝飯前なのだ

「さぁ、ローデ様…、ああ でも悔やむべくは全ての村を救えなかったことでしょうか、私の聖歌を心待ちにしていてくれた人々の期待に応えられたかったことでしょうか…、皆様 申し訳ありません…私が…うぅ、私が本物の聖女でないばかりに」

「うっ…」

ナリアの生み出したこの空気は すぐさま世界に浸透し、ローデを巻き込んで劇となった、今 スポットライトが当たっているのはナリアの方だ、ローデは今 悪役に成りかけている、テシュタル教がなによりも忌避する悪そのものに

それを理解しローデも竦む、ナリアの手に縄をかけられず迷う…、ナリアの劇に 完全に飲まれて…

(よし、このままなんとか見逃して貰えればいいんだけど…)

既にナリアの脳内にはいくつもの台本がある、どのように進行しても 結局ローデはナリアールの捕縛を自ら諦めざるを得ない状況に仕立て上げるための台本が…

そして

「わ 分かりました、貴方の言い分は分かりました…、聖女を偽った件については、まぁ 見逃しましょう、貴方の行いは間違いなく善ですからね…」

「そんな…ローデ様、ですが…」

「良いのです、寧ろ責められるべきは我ら神聖軍と此の期に及んで行動しなかった聖歌隊や本物の聖女達にありますから…」

「嗚呼…神将様…ッ!」

見逃してもらえた事実とローデの優しさに触れて、感極まって涙を流し 両手で顔を覆う演技をしながらナリアは内心ガッツポーズを決める、よしよし 第一関門はクリア…これで偽の聖女と言う形で捕らえられる事はなくなった と

次は…、そうナリアが劇の第二幕に備えると共に、ローデは

「しかし…」

と話を変えるローデの目がキラリと光る、そうだよね 来るよね…、確かに聖女として活動していた事を咎める事はもうローデには出来ない、自らの立ち位置と相手の立ち位置によって生じる善悪という力関係を理解した以上そこを突っ込む事はない

だが残念かな、僕が今解決したのは言ってみればそこだけ…、今の僕達は突っ込みどころ満載なんだ

例えば

「なら、貴方達は何者なのですか?」

聖女として活動してたのはまぁ許す、でも それはそれとして誰だお前ら …当然の疑問だ

「今私はとある者達を追っています、三人組で…男女のバランスは貴方達とは正反対ですが 貴方達も同じ三人組、彼等との接点がある場合 やはり私は責務を果たさねばならない」

神敵であるラグナ メルク ナリアの三人を追っていると言うローデの言葉に、ヒヤリと背中が冷たくなる、やはり僕たちを追ってきてるんだ…まぁ分かってたけど

でもここで変に慌てたりしてはいけない、その情報を今知ったとでも言わんばかりに口元を押さえ

「まぁ、我々と同じ三人組が…、ローデ様が出るとなると相当…」

「ええ、極悪人です」

違うよ?…

「故に私たちはなんとしてでも奴らを見つけなくてはならない、心優しい貴方の事だ まさか匿ったりはしていないですよね…?」

「匿う…ですか、確かに道行く人が困っていれば私は躊躇いなく手を差し伸べるでしょうが、はて…覚えがありません」

「本当にそうですか?…、言わせてもらえば貴方達は少し怪しすぎますよ?、特に後ろの二人 仮面で顔を隠して…、さっきから一言も喋らないし」

チラリと今度はラグナさん達に目が向けられる、それは僕に向けられた瞳よりも疑心に満ちたものだ…、するとローデさんはラグナさんの方へとターゲットを入れ替え

「先程、村長に聞いた話ですが、…温泉に入る際 赤髪をした男がナリアール様と共に男湯に入るのを見た…と言う証言を頂きました、これはどう言う事ですか?」

「え……?」

これはガチの 躊躇いの言葉、男湯に…ああ!やっべぇ!僕達男湯に入ってたよ!?無意識過ぎて全然意識しなかった

これはまずい 非常にまずい、性別を偽っているのがバレてしまった、何がまずいって 隠し事をしようとしていたのが既にバレていたことがまずい

ラグナさんは顔も見られている、故にその髪色も知られている…、そして丁度目の前には赤髪で性別を偽った人間が顔を隠している、これはほぼ答え合わせだ 

「ナリアール様、…貴方も男なのですか?貴方も性別を偽っていると?」

「……それは」

あまりの焦りに言葉が詰まる、詰まると言う事はつまり慌てていると言う事、それが露呈する、まずい 考えろ考えろ考えろ…、何かいい言い訳は…!

「………まぁ ナリアール様が性別を偽っているのはこの際置いておくとしましょう、それも全てこのシスターの顔を拝めば分かること」

そう言いながらローデはゆっくりとラグナさんの顔を覆う布に手を伸ばし……


「待ってください!」

「…何か?」

咄嗟に止めるナリアール、その言葉にローデは傾聴するように動きを止め…チラリとその姿に目を向ける、ナリアールを見る目 それはまた疑心に塗れた物に戻っており

「…ラグーニャ、こうなっては致し方ありません…、本当の事をローデ様にお話ししましょう」

「………………」

ラグナさんは動かない、ただ 僕の言動に全てを委ねるとばかりに直立している、故に僕はゆっくりとその胸に手を伸ばし

「ラグーニャの胸は確かに偽物です」

「む 胸に果実を!?や…やはり」

ストンとラグナさんの胸から果実を叩き出す、しかし

「ですが、彼女は正真正銘 女ですよ」

「……ほう?、それはつまりどう言うことですか?」

「彼女はただ…憧れているのです、闘神将ネレイド様に…」

ポツリポツリと話し始めるナリアの言葉に耳を傾けるローデ、ラグーニャは女だ それは言ってみれば信用に値しない言葉、だが…

「ネレイド様に?」

「はい、…彼女は 昔はどうしようもないゴロツキでした、信仰心はありましたが 周囲に馴染めず、あまり良いとは言えない半生を送ってきたのです…本当ならばシスター服を着ることさえ許されないでしょう」

「…………」

「ですが、そんな彼女を変えるだけの光との出会いにより 彼女は変わったんです、…それが闘神将ネレイド様との出会い、直接会ってお話しした事はありませんが それでも彼女は憧れた、強く ただ強く凛々しいネレイド様の姿に」

今僕は口からでまかせを言っている、一応ゴロツキ云々は元からラグーニャの設定としてラグナさんに渡していたものだが、そこにネレイドに憧れていると言う情報を加えたものを喋っている

誰でも身内が褒められたら嬉しいもの…、そう期待しているのだが ローデに動きがない

「故に体も鍛え 振る舞いも改め、私と共に人々を救う旅に出てくれたのですが、そんな彼女にもコンプレックスがありまして…、それが些か胸が小さい事…、些細な事と笑うかもしれませんが ネレイド様に憧れる彼女にとっては大きな問題、ましてやこれから神将に会うとあって自分を少しでもネレイド様に近づけたかったのか こんなくだらぬ嘘をついてしまって」

「くだらない…嘘、ですが…、何故喋らないのですか」

「それはかつての荒々しい口調を自ら戒めているのです」

「何故、顔を隠しているのですか?」

「それは今までの自分との決別だからです」

「何故…、声も姿も捨ててまで ネレイドに固執すると?」

「それはそれ程までに憧れ求めたからです」

「何故二人で男湯に?」

「申し訳ありません、私もラグーニャも世間を知らぬ身でして、こう言った場のマナーや作法は存じ上げず、そ その…間違えました」

はっきり言って苦しい言い訳 凄く苦しい言い訳だ、それでもなるべく説得力を持たせるため即答で応じる…、だが

(響いてない…のかな)

ローデは相変わらず動かない、ただただラグナさんから目を背けずジッと見つめている、僕の立ち位置だと死角になっているせいでその表情は上手く見ることが出来ないが、さっきみたいな手応えは感じられない

一度生まれた疑念、そしてその疑念を裏付ける証拠、この二つが出揃っている時点で 何を言っても苦しい言い訳にしかならず、そして その言い訳ではローデを誤魔化し切れない

迂闊だったとしか言いようがない、男湯に入るところを見られてしまったのが痛すぎる、これじゃあどれだけ演技しても 焼け石に水にしかならない

どう誤魔化そうか、ここからどう巻き返そうか、そればかり考えているうちに ローデが遂に動き出す、その手が ラグナさんの顔を隠す布に向けられた手が 動き出す

(顔を見られたら…終わる!…)

諦めにより塞がれそうになる目を開いて、最後の最後まで何か良い手がないか考えるも浮かばず、遂にその手はゆっくりとラグナさんの顔を隠す布に手を…当てず、するりとその手を取り…

え?……

「それは大変な失礼を、ラグーニャさん 貴方の気持ちを考えず私はとても失礼なことをしてしまいました…、ですが その気持ちとても分かりますよ…、私も…いえ きっと私だけが、貴方の気持ちを理解してあげられる」

お?え?、なんか…ローデがラグナさんの手をよしよしと撫でながら女神様みたいな顔で理解を示している…、上手く 行ったのか?、上手く誤魔化せたのか?

ローデの声音はやや震えている、その手は共感と感動によって震えている

何か予期せぬところがローデの心の深くに刺さったのか、スリスリとその手を撫でているのだ

「なんと言われようとも どう疑われようとも、弁明もせず顔も見せず…、その覚悟の程は伝わりました、ラグーニャ 貴方は並々ならぬ覚悟と信念でネレイド様に近づこうと努力しているんですね…、嘘をついたのは良くないですが 私が責められた口ではありません…、特別に 許しましょう」

「え?……」

「許すと言ったのですナリアール、私は貴方達の事がとても気に入りました」

何処をどう気に入ったのかさっぱりだが ローデはくるりと振り向くと、僕の顔を見つめにこりと笑い

「どうやら私の杞憂だったようです、民を救い 真摯に信念に殉ずる貴方達が神の敵な訳がありません、特別です これから私について来てなさい?、エノシガリオスへ案内します そこで正式に聖女任命の儀を執り行います」

え…ええ?、ええ!?エノシガリオスに連れて行ってくれるの!?、なんてラッキー…いや僥倖!、誤魔化すばかりかエノシガリオスへの道まで開けるなんて!…と 狂喜する感情を胸の内に、その目から涙を溢れさせて

「嗚呼…嗚呼、なんと慈悲深い…、ラグーニャの事を笑わず 我々の意思を汲んでくださるなんて」

「笑いませんよ…私は、ラグーニャさんの気持ちは…痛いほどに分かりますから」

そう語るローデの表情は、何か…全てを語っているようにも見えた、まるで過去の己を見るような目で ラグーニャを見つめ、ふふ と夢見心地のように笑うその姿を見て…

罪悪感が生まれる、そうだよ 別にこの人達は悪い人達じゃない、ただ純粋に 神の敵を倒し国を守りたいだけの人達なんだよ、僕達を狙ってるのも魔女様であるリゲル様に言われたからってだけ…

その根底には優しさと愛国心がある…、悪い人達じゃないのに 僕達はそれを騙そうとして…

(…うん、全部が終わったら謝ろう)

全部が終わったら謝る、騙していた事を ローデさんに…、いくら劇に見立てて演技をしたとしても、それは嘘である事に変わりはないんだから

「ですが、その前に一ついいですか?」

「は はい、なんでしょう」

「貴方の聖歌を聞かせてください、聖歌で民を救ったのですよね?、それはきっと本物の神への祈りを孕んだ歌声に違いありません、私にその聖歌を聞かせてください…ああそうだ、みんなにも聞いてもらいましょう、いいですか?ナリアール」

「…それは……」

まるで振り向きざまに殴られたかのような衝撃が走る、それはつまり本物の聖歌隊の前で聖歌を歌うという事、ただ歌うだけでなく本当の意味での祈りを加えた聖歌を…本物の前で歌うという事、

そこに演技が介在する余地はない、歌とは感情を露わにするもの、変な部分があれば 見抜かれる…僕が聖女どころか テシュタル教ですらない事を

そうなったら、全部水の泡…だけど

「分かりました、私の歌声でよければ」

だからこそ、受けて立つ…、変な部分があれば 違和感を覚えられれば一発で終わるなら、そんな部分見せなければ良いだけのこと…

演じ切ってみせますよ、聖女をね…本物にも迫る 役者の魂を見せてやります

…………………………………………………………

数分後、宿から出てきたローデが発したのは 夜天の聖女たるナリアールの聖歌が後程教会で行われる…という旨の話だった

ローデに同行していた神聖軍の兵士達は、ローデが聖歌を歌う事を許したということは即ちナリアールは正当な聖女だったという事だろうと事の顛末を予測にて理解する

聖歌隊の総隊長であるローデが許す聖歌とは、即ちただの聖歌以上の物として一種の価値を持つ、この村には救いは必要ないかもしれないが 日々の祈りの再確認には丁度いい

何より この村で聖歌を歌い上げる聖歌隊を作ろうと画策していた一派はこれ幸いと山岳派聖歌隊候補生を挙って教会へと送り込んだ

そして、神聖軍達によってお膳立てされ、ナリアールが歌う舞台が整った…、と言っても教会の奥 ステンドグラスの真下にお立ち台が置かれただけの簡素な舞台、されどナリアールを演じるナリアにとって一世一代の大舞台…

──しくじれば、先程まで上機嫌だったローデ及び周囲を取り囲む神聖軍が一気に敵対化し、包囲の末或いは捕らえられるかもしれない舞台、されど成功を収めれば一気にエノシガリオスまで安全に向かえる奇跡の一手

ロクにラグナ達と相談する事も出来ないまま、ナリアはフォルトナ村唯一の教会の奥に設置された舞台の上に乗った

「……ゴクリ…」

緊張のあまり固唾を呑む、サトゥルナリアの視界に広がるは教会の席に座る聖歌隊候補生や物珍しさで現れた村人、そして現場の警護という名目で至る所に配置された神聖軍…と その大将ローデ…

凄まじいまでのアウェイの空気に気圧されながらも、しっかりと仁王立ちする彼は、優雅な佇まいで胸に手を当て 聖歌を歌い始め──

『神よ、神よ、我等地上の従僕 星神の下僕、この祈り この意思 この声の全て、貴方への忠誠へと捧げ奉る』

「…………」

聖歌を口遊むナリアールの姿を、熱心に観察する者がいる

「ふむ…」

ローデだ、難しい表情でナリアールを見つめる彼女は、ナリアールの歌声を聴いてやはりかと得心を入っていた

或いは、歌わせれば何かボロが出るかと揺さぶって見たが 何も出ない、どれだけ表面上を巧みに取り繕っても歌には全てが出る、声の上ずりに感情が 歌のテンポに焦りが 声の震えに内心が、音楽を極め 楽聖の名さえ得るローデには面と向かって話すよりもこうやって歌を聴く方が余程明確に相手を読みきれるのだ

故に、上手く聖歌を歌う方向へと誘導した、ナリアールの言っていることを信用していないわけではないが、それでもナリアールを信用する理由もないのが現状

ならここではっきりさせるべきだろう、ナリアールが我々に隠した真の目的があるならここで暴き立てる、歌によって全てを詳らかにする そのつもりでローデは静聴するが…

(…声に若干の緊張があるが 緊張を隠すのにやけに手慣れている、その癖変に聖歌に慣れていないような声の伸ばし方…聞けば聞くほど異様な存在だ)

ナリアールの歌声は ローデの感性を持ってしても異質に映る、ナリアールは明らかに素人じゃない、何年も研鑽を積んだ人間の歌声だ、けれど そんなに多くの経験を積んでいながら聖歌にはあまり慣れている様子が見られない

聖女を心目指した人間が、聖歌以外の歌を歌って歌唱の練習をした…というのもおかしな話だ、故にナリアールの歌声は根底から聖女と違う

だが…

(なんて…純粋無垢な歌声なんでしょうか)

もはやそんな疑問さえどうでも良くなるほどにナリアールの歌声は澄んでいる、まるで雪解け水のように曇りなく 敢えて己の中身を晒すような歌い方に思わず目頭が熱くなる

『救いたい』『なんとかしたい』『私に出来ることを』『みんなを助けたい』そんな感情が音符になって伝わってくるようだ、ここまで純真な聖歌は聞いたことが無い

思えば私の部下の聖女達は 皆傲慢であった、『聖女の責務は救う事である』とよく言う者もいるが、それは勘違いも甚だしい

我等に出来ることは飽くまで歌う事、歌で腹は膨れぬし 傷ついた体も癒えない、金銀が湧いてくることもないし 果実が実ることもない、歌とは所詮歌でしかない、それを理解せず ただ聖歌を口にしただけで人を救った気になる聖女のなんと愚かなことか

だがナリアールは違う、歌は非力である事を理解している、歌だけではどうにもならないことをよくよく理解している、理解した上で信じている

この歌が 聖歌が、きっと誰かの一助になる筈だと…、例え万人を救えなくとも助けたい誰か一人の為になるなら永遠に歌い続ける覚悟が見て取れる

見事…、こんな良い聖歌を聞いたのは久し振りですよ ナリアール…!

貴方は今私の疑念を振り払いました!、認めましょう!貴方は確かに聖女たるべき人物です!

「ナリアールさん、とても良い聖歌ですね?聞いているだけで私もウズウズして来てしまいました、一緒に歌っても良いですか?」

「ローデ様…フフッ、ええ!共に歌い神へ祈りましょう!」

ローデ様がナリアールを認めた、その証拠としてローデはナリアールを讃え 壇上に上がりながら隣に並んで共に胸に手を当て神への祈りを捧げる

ナリアールは偽物の聖女であった、もう偽物ではない、彼女は今この時よりローデ・オリュンピアに認められ特別に聖女に認められたのだ、それを祝うように神聖軍達も拍手にて祝福を送る

「神よ、神よ、我等地上の従僕 星神の下僕、この祈り この意思 この声の全て、貴方への忠誠へと捧げ奉る」

「神よ、神よ、我等遍く信徒 星神を信ずる者、その威光 その奇跡 その御姿の全て、我等の救いとなり 道を示す」

ナリアールの歌声もローデの歌声も、まるで女神が鳴らす福音の如き響きを奏で 教会の中にいる全ての人々に教えを与える、神を信ずるとは如何にしてか 聖歌とは如何なるか、それを教え導くように二人で揃って歌う

なんと喜ばしい光景だろう、なんと祝うべき出来事だろう、ローデは目の端に涙を蓄えナリアールの横顔を見る そしてその背後のラグーニャを見る

この子達を見ていると昔の自分を思い出す、どうしようもなかった私が ネレイド様と出会って今のような地位に就くことが出来たその経緯を想起する

ああ、思えば私も成長しましたね いつの間にか救われる側から救う側に回ることが出来るなんて…嬉しい、嬉しい、嬉しい、嬉しすぎて私…私…私ィ…ロ…ロロロ…ロロロロロロロロ

「神よ、神よ、星海の彼方にて在る純白の天楼…ロ…ロロロロロロ」

「……全てを見透かす教えの瞳は何を信じ 何を信じさせ…え?、あ あの ローデ様?」

そこでようやくナリアールは気がつく、神将ローデの様子がおかしい事に、まるで油の切れたブリキのようにギリギリと動きながらぎこちない笑みを浮かべている事に

困惑するナリアールとは正反対の反応を示すのはローデの部下である神聖軍だ、その姿を…ガタガタと震えるローデを見て 全員が顔を青くするのだ

「ま マズい!、ローデ様の発作が始まる!」

「他の神将がいないこの場では止めようがないか…!、仕方ない」

「全員今すぐ教会を出ろ!、今すぐだ!早くしないと始まってしまう!」

「え?え?」

「ロロロロロロロロロロロロロロロロ」

大慌てで無関係の人間を外へと追いやる神聖軍達と ますます口の回転を早めるローデ、そしてまるで取り残されるようにローデの隣で唖然とするナリアール

何かがおかしいと気がついた時には既に遅く、ナリアールは退避のチャンスを失ってしまった、先程まで流れていた神聖な空気は消え去り 場には剣呑極まり無い緊張感と

「ロロロロォ…ロロロロロロロロォッ!ロロロォォォォォッッッ!!!!」

獣の鳴き声のような呻き声とともに体を丸め その筋肉を怒張させるローデの体から溢れる圧倒的威圧感は、今の今まで放っていた清楚な雰囲気を消し飛ばし 地獄の悪魔の如き重圧を放ち始める

「総員!準備ィッ!」

そんなローデを前に市民の避難を終えた神聖軍が殺到し、全員が頭に被った兜を脱ぎ捨て モサモサに生えたロングヘアーを露わにする

異様、異様過ぎる光景を前にただただ困惑するナリアールは口の中でモゴモゴと言葉を発する

『せめて説明をくれ』と、しかし 残念かな、最早言葉で説明するよりも この事象を理解するのは見たほうが早いのだ、どうせ…言っても誰も信じないから

「ロロロォォッ!、ロォォォォクッッッ!ロォォォォクッッッ!!ロォォォォ…」

「ローデ様!『ヘルサウンドギア』にございます!!」

神聖軍より投げ渡されたそれを片手で掴むローデの手に、握られたそれは ナリアにも見覚えのあるものであった

(ぎ ギター?)

ギターだ、十字形の弦楽器だ、ナリアがよく知るそれよりも些か刺々しく その全てが銀で形作られたそれは、とても風情とか神聖とかそういう言葉からかけ離れた 恐ろしげな特殊なギターをしっかりと掴み

ローデは、顔を上げ 構える

「ロォォォォッッッケンッロォォォォルゥッ!!!」

ギリギリとはち切れそうな音をかき鳴らし 咆哮するローデの様相が変貌する、流れる川のようだったストレートヘアーはまるで獅子の鬣の如く荒れに荒れ、垂れ下がっていた目元はナイフのように鋭く尖り、口には犬歯と全てを侮辱するような舌が飛び出て、いつのまにか その目元に星のタトゥーが刻まれ……

はっきり言おう、別人になった…いや、本性を現したとでも言おうか

「始まるぞ!ローデ様の『デスメタル聖歌』が!」

「デスメタル聖歌!?!?」

「ギィィイィィィィイイイイイヴォァァアァァァァァア!!!」

咆哮する重低音、掻き鳴らされ高音、暴れるように弦を掻き毟り 狂うように歌いはじめ……歌?かどうかは最早分からないが、一つ分かることがあるのなら…

これこそ 楽聖と呼ばれ、聖女の頂点を務め、聖歌隊の総隊長にして映えある歌神将の座を戴くローデ・オリュンピアが ひた隠しにした真なる姿と、本当の音楽スタイルである事だけだ

「リリリリリリリリリィィイィ!アィアィアィアィアィアィィイイイイイ!!!」

「何事ォッ!?」

混乱するナリアは知らない、歌神将ローデが 神将の地位に就く前…何をしていたかを

歌神将ローデ、又の名を『地獄大総統ローデ閣下』

オライオンの片隅の街に生まれ その圧倒的身体能力で町のゴロツキを制圧し、ゴロツキを相手に独特な音楽センスと独自の宗教体系を生み出しかけ稀代の歌い手こそがローデなのだ

生み出されたオリジナルの聖歌の名を『デスメタル聖歌』、鋼を擦ったような高音と大地を削るような低音を合わせた音の螺旋を辛うじて音楽として成立する形に落とし込み 歌い上げるローデにのみ許された音楽ジャンル

それは数多くの若者を魅了し、オライオンに生まれたカリスマ的な存在として テシュタル教そのものさえ揺るがした経歴がある程に 彼女の音楽は絶対的であった

「ガロロロンガロロロォ!、ヴォアヴィヴィ!グガァアァァ!!」

最早そこに歌詞はない、祈りであるかも分からない、その余りにも冒涜的な有様に一時は投獄されたこともある彼女は、今でこそ 真っ当に聖歌隊を率いているが…、それでも偶にあるのだ

こうして気持ちが高まり、己の音楽的な欲求を抑えられなくなると 血管ブチ切れる勢いで感性のままに歌う狂う事が

こんなものとても民衆には見せられない、あの栄えある歌神将様がこんな神もクソもないような歌を歌う様を、そして 観るもの全てを引き摺り込む底なし沼のような魅力を持つローデの姿を…

事実、周囲の神聖軍も心酔するように晒したロングヘアーを上下に振り回して盛り上げているではないか

全てが盛り上がる会場と化した教会の中 全く盛り上がれない人間が数名

「グァアァァアアアアアアアアアアアア!!」

「クッ!凄い声量…、この人本当に人間ですか…!?」

ナリアール もといナリアだ

真隣でその圧倒的方向を耳にしたナリアは 三半規管を音だけで揺らされ思わず膝をつく、拡声魔術を使わずに山一つ揺らすような声量だ 、事実周囲の窓ガラスはローデのデスボイスに耐えきれず弾けて飛んでいる

凄まじい怪力を持つローデの肉体に秘められたパワーは、その声を増幅させ 爆発させているのだろう

しかし、そんな声を出してもイカれない喉や 殆ど息継ぎも無しに歌い上げる肺活量、やはりこの人は音楽の天才だと改めて認識する…、すると


「ァァァァァアィアィアィアィアィアィッ!!!」

今度は声がどんどん高くなっていく、男性よりも低い声から 女性よりも高い声に、剰え笛の音色さえも上回る高さへと登りながらも…

「アィアィアィアィアィィイィィィイィ!!!」

(ま まだ高くなる!?、ソプラノなんてレベルじゃない…、これは なんだ!?)

その高音に最早名前が付けられない、未だかつて人類が到達したことのない超々高音域に達しながらも更に上へ上へと伸び、現存する如何なる楽器を用いても到達出来ない高音域へと伸びていくローデの歌声を前にナリアは恐怖する

芸術に 音楽に精通しているからこそ分かる、高音域 即ちソプラノを武器に舞台で活躍する役者はいる、歌劇の中には最高音域を求めるが故に世界で数人しか演じることの出来ないものもある、それは神に選ばれた者の特権だと ナリアはずっと思ってきたが

違う、神に選ばれし声とは…即ちローデの喉の事を言うのだ

そして……

「エレレレレレレレレレリリリリリリリ───────────…………」


突如、全てが無音となった

一瞬、遂に鼓膜が千切れたのかと思ったが…、違う ギターは音を鳴らしている、だが声を張り上げている筈のローデの声が聞こえない、空気が震えている事から 口をパクパク動かしている事から、声は出ている筈なのに…

(聞こえない…?)

「──────────ハッ!、私は何を…」

そして何かが限界に到達したのか、ようやくローデの意識が元に戻りあれだけキンキン鳴り響いていた聖歌も収まり ようやくかとナリアもその場にへなへなとへたり込む

「お 終わりましたかぁ…」

「も 申し訳ありませんナリアールさん、私の悪い癖が出てしまって…ああ 神よ」

それは相談されても困るんじゃないかな…神様も、悪い癖ってどんな癖なんですか…?

「ともかく!、皆さんもお騒がせしてすみませんでした!、興奮して教会をめちゃくちゃにするなんて…ネレイド様に恥ずかしくて報告出来ませんよ」

「…ローデ様」

あうあうと頬を赤くし恥ずかしがるローデの姿はいつの間にやら元の清楚な姿形に戻っており、さっきまでの一連の光景が嘘のようにも思える

ローデが恥ずかしがる気持ちをナリアはよく理解出来る、あれは立場ある人間がやっちゃいけないようなテンションだった…けど

「ローデ様、でも 今の音楽自体は恥ずべきものではないと思いますよ?」

「え?…」

「だって、キチンと音楽の法則に則って奏でられたものですし ただ暴れるように見せかけてその内には凄まじい技量が見て取れました、それに 奏者たるローデさんがなによりも楽しそうでしたし、私は 良いと思いますよ?」

それはおべっかでもお為ごかしでもない、ナリアが心の底から思った事実を述べただけだ、先程の演奏はまぁ見たことのない様式で困惑したが それでもキチンと楽譜が存在するかのように演奏されていた、つまりあれも 音楽だ

キチンと法則に則り 演奏されたならば音楽だ、なにより本人が音楽と言い張ればどんな物も音楽だ、芸術は自由なのだから 他にない様式だからと恥ずべきことは全くない

それはこの世で貴方だけが残せる唯一の芸術にして、貴方が生まれなければこの世に生まれなかった至上の芸術なんだから もっと自信を持って欲しい、芸術の国出身のナリアとしては そう思うわけで…

「…ぁ……」

そんなナリアの裏表ない言葉に ローデは気がつく、その言葉を聞くのは二度目であることに…



『私は…音楽の事はよく分からないけれど、君が楽しそうだから…きっと いい音楽だと思うよ』

街の裏路地で チンピラ相手に鬱憤をぶつけるように毎日ギターをかき鳴らして居たあの頃出会った ローデにとっての聖人は、どれだけ音量を上げても どれだけ激しく演奏しても 逃げる事なく目の前に座ってローデの絶望を受け止めて、言い放ったのだ

良い音楽であったと、その言葉と共に差し伸べられた手の温もりは 誰にも理解されず孤独の道を歩んでいたローデを救い出し、誰にも恥じることのない人間にしてくれた…

だから私は憧れたんだ 聖人ネレイドに、彼女に憧れ 今の今まで気にすることのなかった身格好に気を使い、話し方も変え音楽スタイルも真逆にして、少しでもネレイド様に近づけるように己を偽ってでも盲信したのだ、それこそラグーニャのように

…ナリアの言葉によって思い出したネレイドの言葉に、ローデは再び涙する…、ラグーニャやナリアールと過去の己とネレイドを重ねて 涙する

「そうですか、…ありがとうございます」

胸の中にあるネレイドへの思いを抱きしめ、ローデは微笑む、ネレイド様が私を立派な聖歌隊にしてくれたように 私もナリアールさん達を立派な聖女にしてみせよう、そうする事が あの日私を救ってくれたネレイド様への最大の恩返しになるのだろうから

「では、ナリアールさん?私と共に来てくれますか?、私は貴方の音楽が大好きです もっといろんな人に聞かせてあげたいです、だから 聖歌隊に来てください」

あの日 私を救い出してくれたネレイド様と同じ言葉を今度はローデが繰り返し、ナリアールに手を差し伸べる…

「はい、ローデ様」

握られる手に ローデは軽く微笑み、再び決意を改める、今度こそネレイド様に恥じない人間になろうと…

「では、まずはこの教会を建て直しましょうか、私のせいでめちゃくちゃになってしまったので、皆さんも手伝ってくれますか?」

「はい!、任せてください!」

「ふふ、では……」

教会を建て直し 共にエノシガリオスに向かおう、神敵の件はあるが まずはナリアールを聖都に連れて行く事が先決だ、そしてこの一件を秘匿していたであろうゲオルグ卿に文句の一つでもかまして人員を割いてもらって ズュギアの森の人々を救済して それで…

そう、ローデが今後の計画を頭の中で組み立て 皆が教会再建に動き始めた瞬間……


突如、教会の扉が外から開かれた

「やっっっかましいぞ!ローデェェェェェ!!!」

「なっ!?貴方は…ベンテシキュメ!?」

扉を蹴破り 背後に邪教執行官達を大勢引き連れた女が…、この森に入るとき別れたはずの邪教執行長官ベンテシキュメがもう怒り心頭と言った顔で現れたのだ、彼女のこの村に来ていたのですね つまりさっきの音楽も聞かれていたのですね…そうローデがややバツが悪そうに竦むのも御構い無しにベンテシキュメはツカツカと教会内を歩いてこちらに向かってくる

「ギャンギャンギター掻き鳴らしやがって…、教会がめちゃくちゃだろうが!」

「ご ごめんなさい、つい楽しくなって…」

「楽しくなるのは結構だが周りの迷惑も考えてやれ!、…ってかお前神敵追跡はどうしたよ!、なに教会で遊んでんだ!」

「ああそれは…、実はその 色々ありまして」

説明するには色々ややこし過ぎてどうにも と居た堪れなくなり頭を掻くと、ふとベンテシキュメは足を止め…

「あ?、お前 そいつらは…」

と ナリアール達を指差しキョトンとした顔をしている、ああ 彼女達の紹介をしなくては

「この子達はですね?、私がこの村で出会った……」

「いやそいつら神敵じゃん」


「……………………へ?」

何…言ってるんだろう、ベンテシキュメは

ナリアールさん達が神敵?そんなバカな事が、彼女達はこの森で人々の救済を…、それに神敵は男二人女一人の集団、ここには女二人と男一人…いや、そう言えば温泉で男湯がどうとか、あれ…ナリアール達は間違えたって言ってたけど、それが間違いではなかったとしたら…

「おい、ちょっといいか」

「あ!ちょっと!ベンテシュキメ!」

そんな思考の隙間を縫ってベンテシュキメは瞬く間にローデの横をすり抜け、ラグーニャさんに近寄ると共に ラグーニャの抵抗をもするりと抜けて一瞬で顔の布を剥ぎ取り…、ってダメですよ!彼女はそれを取られるのを嫌がって……




「あ……」

「あ……」

隠された、その顔は

晒された、その顔は

見覚えのある、その顔は

「テメェー!神敵ラグナぁぁっ!やっぱりそうじゃねぇかッッ!!」

「ぅぎゃぁー!?ば バレたぁーっ!?」

「仕方ない逃げるぞ!」

「ひぃーん!、上手く行きそうだったのにー!」

ポイポイと服を捨てて逃げ去るのは間違いなく神敵だ、あの日あの村で出会った怪力男と錬金女…そしてナリアールさんも…

え?あれ?、どういう事?つまり何?私 騙されて………………

「く…く…クソがぁぁあぁぁああああああ!!!!」

ブチブチと頭の中で切れる音と共にローデは背中の十字架を持ち上げ振り回す、ヤロウ!私の事騙しやがったな!騙しやがったな!!

くそ!くそくそ!信じてたのに!、あの子となら聖歌を更に盛り上げていけると!私!信じていたのにィ~~~!ギギギギギギィッ!

「追え!私も直ぐに追いかけ…」

「必要ない!、ローデ!お前は村の守護に回れ!、ってかもう追跡に参加すんじゃねぇ!」

「なっ…」

咄嗟に部下に指示を出そうとするも、それさえベンテシュキメに止められ 村の守護に回れと怒鳴られる…

「呆気なく神の敵に騙されるお前には無理だ、やっぱり最初からあたい達邪教執行官の仕事だったんだ」

「で でも!」

「人を疑い 人に疑われ、人を信じず 人に信じられない、例え同胞であれ切り倒し 例え仲間であろうとも斬り殺す…テメェにそれが出来んのか?、出来ねぇから得体の知れねぇ聖女なんか信じたんだろ、こっからはあたう達が担当する お前は聖都に戻れ…、人員も必要ねぇ」

「くっ…」

ベンテシュキメの言葉に返す言葉がなかった、事実 今しがた騙された身では何も出来なかった、ただ忸怩に塗れ 教会を出るベンテシュキメを見つめることしかできない、なんたる不覚か…

おのれ…神敵め……

「あたい達は神しか信じない、誰も彼も信じない、あたい達は神の爪!神の牙!神の怒りの具現!、テメェら!絶対神敵を逃すんじゃねぇ!!地獄の果てまで追い立てて 殺せ!殺せェェェェェ!!!」

教会の外にて待機する邪教執行官達が 一斉に動き出す、ベンテシュキメの号令に従い ナリアール…いや 神の敵を殺すために蠢き始める、それを ローデは見送り…見送る 事しか…出来ない

「クッ…、なんて…惜しい」

教会の壁をぶち破り外へと逃げ 邪教執行官達に追いかけられるナリアールさん達を見て ローデは悔しさに拳を握る

思い返すのはナリアールの歌声、あれは間違いなく 皆を救おうとする者の歌声だった、そんな声を発する人間が…神の敵?、なんて惜しい事なんだ

神の敵でなければ 共に…また共に、歌いたかったのに…


…………………………………………………………

「くそっ!間が悪い!、あとちょっとだったのに!」

駆け出すラグナ達三人の背後には大量の邪教執行官達、あと少しでローデがエノシガリオスに連れて行ってくれる という場面で、突如として現れたベンテシュキメに全て台無しにされた

他の神将が現れる可能性は考慮していたが、タイミングとしては最悪だった

「仕方ない事だ、こうなってしまったものは仕方ない!」

あと少しだったのだがな とメルクさんは残念そうに宣う、事実ナリアの演技は最高だった、ローデさえも騙し魅了した、全ては間が悪かった あの場で俺たちのことを知るベンテシュキメが現れた以上 言い逃れは出来なかった

「でも…ごめんなさい、僕これで良かった気がします」

「へ?」

ふと、走りながらナリアは閉まっておいた自分の防寒具を着込み、そう言うのだ これで良かったと、そいつはつまりどう言うことだい…?

「あのままローデさんを騙して エノシガリオスに連れて行ってもらうのは良くなかったような気がして、あの人も 悪い人ではないので…」

「そりゃ…そうだけどよ」

「また、二人で歌えれば…そう思わざるを得ないと言うか」

善人かって言われると俺は怪しい気がしてならない、だってあの叫ぶような音楽 イカしてたけどイカれてた、まぁ 音楽という芸術で通じ合った二人にしか分からない段階の話だろう

しかし

「さてどうするか、我々の馬橇は丁度村の反対側だ、そして背後には大量の邪教執行官達…、このまま森に逃げるのか?」

「いや、森に逃げても向こうには速度が段違いの軍用馬橇がある、また直ぐに追いつかれて包囲される…」

なら、迎え撃つか?、ちょいと難しい、相手に被害は与えられるが 神将二人に加え大量の執行官と神聖軍、ここで戦ってるうちに他の神将が現れないとも限らない

なら戦闘は賢くない、けど森にも逃げられない…

こうなったら、覚悟を決めるしかないか…

「みんな、覚悟決めてくれるか?」

「…ラグナ、…何を言ってる この国に来た時全員覚悟は決まってる」

「はい、僕 なんでもしますよ!」

そうか、二人とも立派だな…んじ俺も覚悟を決めるか!

「なら、これから行くぞ…、丁度目の前に いい逃げ場があるからな」

「逃げ場って…もしかして」

「ああ、ネブタ大山だ…!」

今現状 奴らから逃げるにはそこしかない、環境は最悪 生きて帰れる保証もない、だが…俺の見立てが正しければ もしかしたらなんとかなるかも知れない、連中だってあの山へ追いかけて来ようとはしないはずだ

なら、賭けてみるしかない!あの山に!

「行くぞ…!、必ず エノシガリオスに辿り着き、エリス達に合流するために!」


だから、だから…エリス アマルト メグ!お前達も絶対に!来てくれよ! 信じてるからな


俺達も お前達を信じて…進むから!!!!


世界最悪の山へと向かうこととなったラグナは、心の中で叫ぶ 叫ぶ 大いに叫ぶ

地獄の果てに居るはずの、エリスに向けて……


……………………………………………………………………………………


そして、時は 一ヶ月ほど前に遡る

ラグナ達が森の中を彷徨って居る頃、ズュギアの森からさらに離れた オライオンの果て…

険しい谷と山に囲まれ 常に吹雪が吹き荒れる 極寒の世界の中心に屹立する巨大な石の塔 プルトンディース大監獄

その奥、さらに奥、その底のさらに底、暗い暗い 闇の更に闇の中

じめついた石の壁と床 錆びた鉄格子の向こう側にて…

「ん……んん、あれ…エリスは…」

少女が目覚め 動き出す……
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