孤独の魔女と独りの少女

徒然ナルモ

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九章 夢見の魔女リゲル

264.魔女の弟子と地獄行き

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プルトンディース大監獄、長らく世界最悪の監獄としてその名を世界に轟かせる地獄の名は オライオン国内にも広く知れ渡っている

『早く寝ないとプルトンディースに入れられちゃう』

『嘘をつくとプルトンディースに入れられちゃう』

『好き嫌いするとプルトンディースに入れられちゃう』

子供のわがままを諭す為 親の決まり文句として登場し、子供達を恐怖のどん底へと陥れる事で、オライオン国民の深層心理に恐怖の象徴として古くから刻まれてきた

その監獄は国内外問わず、オライオンの敵とテシュタルの敵を捕らえ 頑健な鉄格子の奥へと押し込めることを役目とする、されど この監獄は他の監獄とは違い 処刑は行わない

どんな極悪人も この国は処刑しない、それはテシュタル教の教え『どんな悪にも更生の機会を』と言う言葉に従い、更生を促すだけの施設でしかないからだ

だが逆に言えば、更生しなければ外には絶対に出られない、一生処刑されることはなく 暗い鉄格子の奥へと一生入れられたまま過ごすことになる…


と 外の世界では伝わってるだろう、ただ閉じ込められるだけだと…

だが、この中に一度入った者はその話を聞けば必ず首を横に振る

閉じ込められるだけ?とんでもない、あそこは地獄だ 正真正銘の地獄だ、神の名の下にタガが外れたイかれた狂信者と『死の番人』が支配する現世の地獄だと


『出してくれ!、ここから!頼む!もうこんな生活嫌なんだ!もう悪事は絶対に働かねぇよ!出してくれ!出してくれェーッ!』

『こんな所に来るはずじゃなかった!、何かの間違いだ!俺は無実なんだよ!出してくれ!』

『ぅぐぅ!ほ ほら!、見ろよ!腕を…腕を潰したよ!もう二度と何にも持てねぇ!一生何にも持てなくなった!、もう何も盗まねぇ盗まねぇって!だから…だからぁぁぁあぁあ!!』

監獄の中には常に恐怖の悲鳴が常に木霊する、恐怖と苦痛のあまり自ら腕を潰し涙ながらに外に出して欲しいと懇願する者は後を絶たない

『ぎゃあぁぁあああああ!、やめてくれぇぇええええ!!』

『ひぎぃぃいいいい!!、う 腕はそっちに曲がらな…ぐぎゃぁぁあああああ!!』

『だ だすげでぐれ、じぬ…じぬぅぅ!、いじゃを…医者を呼んでぐれ!ひどに救いをあだえでぐれるんじゃねぇのがよ!』

神の名の下に与えられる罰に 一切の手心無し、お前は罪を犯したのだと教えてあげる為に 教徒達は獄内の秩序を乱した者に容赦なく罰を与える、時として その者が死ぬような事があれど それはその者が死ぬ定めにあっただけと 直ぐに別の仕事に取り掛かる

『死ねぇ!罪に穢されし者めぇっ!!』

『ぐぎゃぁぁああああ!、な 何すんだよ!お前!俺達同じ独房の仲間じゃ…!』

『お前達のような悪が存在するから神は監獄を作るのだ、このような地獄があるのはお前達のせいだ!』

『ああくそ!こいつ遂に無界に耐えられなくなってイカれやがった!、おい!おい!!!出してくれ!独房を変えてくれ!このままじゃ俺達 こいつに殺され…ぅぎゃぁっ!』

『神よ 神よ 神よ神よ神よ神よ神よ神よ神よ!、悪は滅しました!悪は殺しました!、世界はまた清浄に一歩近づきました、お喜びくださいお喜びくださいお喜びください』

時として苛烈な神罰によって 敬虔になり過ぎた罪人が 同じ独房の人間を殺す事だってある、悪を許さぬテシュタルの意思が根付き過ぎて 翻って悪になることもある

処刑されないだけで、殺されないわけではない、死なないわけではない

痛みによって心を殺し、心を殺された者が狂気によって命を絶つ、血に塗れ 死が充満する…それがこの監獄の実情 この監獄の真実、この世で最も恐ろしい空間…狂信の嚢、それが その場の名こそ

血染めの地獄 プルトンディースである

…………………………………………………………………………

混濁する意識、気絶しているわけでは無いのに 頭に靄がかかったように何も考えられない、今 エリスは何をしてるんだっけ…

そう…、突如として現れたネレイドと戦って、みんなやられて エリスもネレイドの魔術を受けて…、頭がパンクしそうなほどの幻影を叩き込まれて…それで

それで、どうなったんだ…?

「ん…んん、エリスは…」

徐々に明瞭になる意識、この感覚は慣れている、負けたんだな エリスはネレイドに…、そしてそう 負けた後こうして意識を取り戻すと決まって…

「…ああ」

大の字になって倒れる体、冷たい石畳の感覚が伝わる頭を横に傾けると鉄格子が見える

牢屋だ、これで何度目だ…、エリスは負けて どうやら捕らえられたらしいな…ってぇっ!

「牢屋!?また牢屋!?あぁー!!」

エリス何回牢屋に入れられてんだよ!もー!、最後の国でも牢屋入れられるって!、…もしかして…七大国全部の牢屋コンプしたんじゃ無いか?、いやエトワールでは入れられてないか…、まぁそれ以外では全部入れられてんだけどさ!情けないねぇ!

「おや、エリス様 起きられましたか」

「ん?、ああ ようやくか」

「あれ?、二人とも?」

ふと、声に反応して体を起こせば 手枷を付けられなんか似合わない白黒の服を着せられたメグさんとアマルトさんがエリスと同じ独房に入れられているのが見える、二人も捕まったのか…、まぁエリスと一緒にやられましたものね

「よいしょ、二人とも無事でしたか」

「無事なもんかよ、見ろよこの状況…最悪だぜ」

「でも気絶させられた後殺されていた可能性も考えると、最悪の一歩手前では?」

「じゃあギリ最悪」

「あの、二人とも…もしかしてここ」

「ええ、そうでございますよエリス様、ここはオライオンの名所の一つ プルトンディース大監獄にございます」

やっぱりか、と周囲を見れば まぁひどいもんだ、空気は汚く 壁も床もカビだらけ、鉄格子の外に目を向ければただ闇だけが広がり 同じような独房が無限に広がっており、エリス達と同じように三、四人が同じ独房に入れられ心底疲れたように項垂れている

ここがプルトンディース、来たくはなかったが…やっぱり来てしまったか…

しかし、メグさんの言ったように気絶させられた後 殺されていてもおかしくなかったのに、独房に入れるだけで終わらせるなんて…甘いというか、なんというか、まぁ 今まで一回しか破られたことのない大監獄だし それもそうか

「しかし、頑丈な牢屋ですね」

「ああ、俺が蹴ろうが殴ろうがビクともしない…」

「でも、メグさんの時界門があれば…」

「無理でございます、当然ながら魔術は使えません」

そりゃそうだよな、…でもこの手枷 魔封じの縄とは違うみたいだけど、と魔力を外に出してみてもやはりというかなんというか、魔力が形になる前に散ってしまう

「これは…」

「どうやらこの監獄自体が魔術を封じる構造をしているようでございます」

「この監獄自体が?、そんなの可能なんですか?」

「可能か不可能かで言われれば理論上は可能でございます、魔封じの縄の原材料はご存知で?」

「確か…魔封石ですよね」

魔力に対して反応を起こす鉱石はこの世に多数存在する、魔力に反応して光を放つ光魔晶や魔力を弾き返す魔耐石マナライトとか それらを区分する際は魔石と呼ぶ、それと同じく魔術師を拘束する縄 魔封じの縄にも同じく魔石が使われている

それが魔封石、魔力に反応し 魔力同士の癒着を防ぎ方々に散らせるという独特の力を持つ石だ、極めて脆く そして至近距離の魔力にしか反応しない上希少である為、少量の粉末を縄に混ぜて作られるのが魔封じの縄だ

「恐らく、この監獄を形作る石材や鉄格子 その全てに魔封石が塗料として何十にも塗り込んであるのでしょう」

「塗り込むって、この膨大な大きさの監獄全てを覆うほどの魔封石が手に入るんでしょうか…、魔封石って需要の割にかなり希少では」

「はい、なので理論上は と枕に言葉を添えたのです、…私も信じられませんが どうやらこの監獄全体にそのような加工がしてあるようでございます、流石は世界最高の監獄…リッチでございますね」

些か信じられない話だが、事実だろう、だって魔術使えないし… どこでそれだけの量の魔封石を手に入れたのかはもうこの際どうでもいい、問題は…

「問題は、俺達は今 魔術もロクに使えねぇガキンチョ三人組にされちまったってことだろ?」

「ですね、…頼みの綱のメグさんの魔術が使えないなんて…」

「よよよ、これでは私 ただの薄幸美少女メイドでございますね」

「そうですね、しかし…どうあれここは抜けださなくてはいけません」

エリス達にはここでゆっくり囚人生活を送る余裕はない、エリス達は三ヶ月以内にエノシガリオスに向かわなくてはいけないという目的がある、一刻も早くこの大監獄を抜けださないと…、そう思いおずおずと靴を脱いでいると

「なぁに、ラグナ達は捕まってないみたいだし、あいつらが助けに来てくれるさ、それまでゆっくりしようぜ」

なんてアマルトさんがいうのだ、よかった、ラグナ達は上手く離脱出来たようですね 流石はラグナ達です、でも そっかあの事をまだ二人には伝えられてなかったな…

「ラグナは助けに来ませんよ?」

「は?なんで」

「エリスが頼みましたから、もし エリスが逸れたりしても助けたり探さないで先にエノシガリオスに向かってくれって、エリス達には時間がありませんから 助けに行ったり探しに行ったりする時間も惜しいですから」

「はぁっ!?マジかよ!」

「マジです、なのでラグナは助けに来ません きっとエリスの願いを尊重してくれますから、でも すみません昨日二人で話し合ったことなので 共有が遅れました」

「まぁでも、エリス様の話には一理ございますね、我々は時間がないわけですし 逸れたのなら逸れた人間だけで進んだ方が速い、我等はみんな魔女の弟子なのですから」

「そういうことです」

「うひー、マジで言ってんの?お前ら」

まぁ、最悪のタイミングで最悪の場所に連れてこられてしまったわけだが、それでもラグナは進むはずだ、先にエノシガリオスに向かって エリス達を待ちながら場を整えていてくれるはずだ、と 靴を脱ぎ爪先を確認する

うん、爪の伸び具合から あれから1日ってところかな…

「えぇ、じゃあ俺達でここ脱獄するってのか?…、なんか道具持ってるか?」

「いいえ、どうやら入る際諸々の道具は取り上げられたようでございます」

「だよな、俺のマルンの短剣もエリスのポーチもどこにもないもんな…」

監獄に入れるんだ 道具なんか持たせておくわけがない、事実エリス達は服装さえもいつの間にか着替えさせられてポケットの網クズに至るまで取り上げられている、つまり何にも持ってない

「…仕方ない、ここは 投獄のプロに伺いますか、どうするよ?エリス」

「え?エリスですか?ってかやめてください投獄のプロとか!、好きで牢屋に入ってませんからね!」

とはいうが今まで六回も牢屋に入れられてるんだから もう実質プロなんですがね…、だからこそ分かる、牢屋ってのは出れないから牢屋なんだ、六回入れられたうち 自らの力で外に出れたのはたったの二回 それもその牢屋は山賊が使うようなお粗末な物だった

国が管理するような立派な牢屋を独力で出たことは一度もない

「おや、エリス様そんなに牢屋に入っているのですか?」

「うち一回は貴方に入れられたんですよ!メグさん!」


「喧しい!!!、囚人が騒ぐな!!!」

「ッッ…!?」

突如外から鉄格子を蹴り上げられ、轟く金属音に三人とも竦み肩を揺らして視線を一点に向ける、牢屋の外 いつの間にか立っている複数の影が 険しい視線でこちらを見つめている

誰かは分からないけど、一人だけ 見たことがある優男がいる…、アイツは

「おやおや、そこのメガネさんってば見たことあるかと思ったら四神将の一人じゃねぇか、名前は…、トリトン だっけか?」

「ふん、神の敵に名を覚えられても嬉しくはないが、流石に私の名前は知っていたか」

トリトンだ、白雪の如き美貌を持つ黒縁メガネの優男、オライオンベースボール界の生ける伝説にして四神将の一人 守神将トリトン・ピューリアが 呆れるような、三人の女と一人の大男…何やら大勢を連れ 軽蔑するような視線でこちらを睨んでいる

こいつは確か、宣教師団の一員でありながら同時に監獄の監獄長も兼任する男だったはず、ということは あの村で気絶したエリス達をここまで連れてきたのはこいつか

「まぁいい、ともあれおはよう神敵諸君…、目覚めはどうかな?」

「気になるか?あんたも中に入って試してみろよ、俺がグーパンの子守唄で寝かしつけてやるぜ?」

「その威勢がいつまで続くか…、分かっているのは思うが ここは世界最強の大監獄…脱獄出来るとは思わないことだ」

するとトリトンはエリス達の入る鉄格子に背中を預け、メガネに指を当てながら 語り始める、その姿は隙だらけに見え 自信に溢れているようにも見える、エリス達に背を見せても問題ない…そんな自身にだ

「君達は神敵だが この監獄は罪によって罪人を区別しない、どんな極悪人も同様に この監獄で生きてもらう、当然 敬虔な信徒になれば出ることも叶うだろうが…、この監獄の秩序を乱せば 苛烈な罰を受けてもらう」

「罰…ですか?」

「そこについて私から説明する義理はない、…私はただ君達の顔を見に来ただけだからね」

「あらまぁ、婦女子の顔を見るため態々監獄にいらっしゃるなんて、トリトン様は暇でございますね」

「暇なものか、だが…君達は我等がネレイド様と同じ魔女の弟子、如何なるものか気になっただけだ…だがまぁ、やはりネレイド様程の威圧は感じないな、分かってはいたが魔女の弟子最強は我等がネレイド様なようだ」

フンっと嘲るように笑う言葉に 皆カチンと来たはずだ、そいつは魔女の弟子には禁句って知らないのかな?、なんたって魔女の弟子はみんなそれぞれ自分の師匠こそが最強であると信じている そして最強の魔女の弟子である自分が他の弟子に劣っていていいわけがない

みんな仲良くやってはいるが、それでも誰かが自分の魔女が最強!と声高に宣言すれば みんなこぞって否定にかかるだろう、それと同じ事を こいつはした

ネレイドが最強?、不意を突かれただけだ 次やったらエリスが勝つ、孤独の魔女の弟子のエリスがね!

それはみんなほ同じらしく、アマルトさんは面白くなさそうに眉をひそめ、メグさんなんかはめっちゃ怖い顔をしている、無表情だけど…なんか怖い

「これでは他の魔女の弟子も高が知れている、連中はズュギアの森に逃げたようだが…プクク、どうせ自然の猛威に凍え死ぬか 追跡に向かったローデとベンテシュキメに磨り潰されるのが関の山、直ぐに六人ここで再会できるだろうから楽しみにしていなさい」

「どうですかね、ラグナ達はそう簡単に捕まりませんよ…泣きを見るのは貴方達です」

「それは楽しみだ、…ダン 後は頼んだ」

「はいぃ、承知ですぅ」

するとトリトンは背後の巨漢に後のことを任せて 檻の前から立ち退こうとし…

「ちょっと待ってください」

「ん?」

呼び止める、エリスはトリトンを…、最後にもう一つ 聞かなきゃいけない事がある

「何故、エリス達を殺さなかったので?、神の慈悲ですか?」

「…そんな事か、言っておくが私はお前達を殺すつもりだった そこを救ったのはネレイド様だ、感謝ならネレイド様とテシュタルの教えに感謝するんだな」

「ネレイドが…?」
 
「全く、彼の方は優しすぎる…」

それだけ言い残し トリトンは監獄の奥へと消えていく、監獄長としての仕事に戻るのか 宣教師団の団長としての仕事に戻るのかは分からないが、ともあれどこぞに消えた…

それよりも、エリス達を殺そうとしたトリトンから助けてくれたのがネレイド?、エリス達を倒しておきながら殺さなかったというのか?、…そうか……

やはり、ネレイドさん自体は 悪人ではないのだろうな…

「おいぃ、お前らぁ トリトン監獄長が居なくなったからともう終わったつもりかねぇ?」

するとエリス達の嗜好を遮るようにトリトンの後ろに控えていた大男、でっぷりと太った体を揺らし ニタニタと笑う気色の悪い男がエリス達の前に代わるように立つ、確か トリトンが呼ぶには ダン…と言っていたな

「あん?、んだよデブちん お前じゃ話になんねぇ、俺達と話したけりゃここのトップを呼べよ」

「ムヒヒヒヒ、お前は威勢がいいなぁ?、私はダンカン・カスカモラスぅ、この監獄の副監獄長を務め トリトン様が不在の時は私がこの監獄の全てを取り仕切っているのだぁ」

「聞いてないんだが?」

「分からないのか?、私の匙加減一つでお前達を更に劣悪な独房へ送ることも…なんなら、そこの女二人を飢えた男共が犇めく監獄に簀巻きにして放り込む事もできるんだぞぉ?」

「ッ!?テメェ…聖職者が聞いて呆れるぜ…!」

「ムヒヒ、分かったら態度を改めるんだなぁ」

アマルトさんはエリス達を二人を守るように前に立ちながら副監獄長ダンカンの前に立つ、デブった体と下卑た笑み、見てくれ通りの嫌な奴であるようだ 

別にエリスは簀巻きにされようがそこらのゴミに負けるつもりはないけど、つまり ダンカンの意向に逆らえば エリス達はどうとでもされる立場にある…というのが重要な話だ、ここは下手に逆らうのはやめましょうか

「さてぇ、お前達は今後 この聖なる神殿にて他の囚人と同じように過ごしてもらうぅ」

「一日檻に入ってるわけにはいかないんですか?」

「まぁぬけぇ!、お前達にも仕事はあるのだぁ!、おいお前 軽くスケジュールを説明してやれぇ」

「ハッ!」

するとダンカンの言葉に従い後ろの部下が紙を広げてこの監獄での過ごし方マニュアル的なのを教えてくれる、まぁ簡単に言うと朝物凄く早く起きて 神への祈りを捧げその後半日掛けて神の聖像を彫ったり聖典の写しを行ったりして過ごすとのこと、なんとも暇そうだ

でも途中でお昼ご飯もくれるし、スポーツに興じる時間もくれるらしい、優しい と言うよりは飽くまで更生施設としての体裁を守るためだろう

「ムヒヒヒヒ、敬虔な信徒として過ごすならば我等も何もせん、だが もしこの監獄の規律を破るならトリーの言ったようにお前達に苛烈な罰を与えねばならん、それが嫌なら 真面目に生きろよ神の敵、ムヒヒヒヒヒ」

「うっせえやい…」

「んん?、なんか言ったかね?」

「…別に……」

チッ と舌打ちをしながら悔しそうに顔を背けるアマルトさんは エリス達を見ている、自分がどうなる分には構わないが 自分のせいってエリス達がどうこうされるなら話は別だと 己を折ってその場に座り込む

「ムヒヒヒヒヒヒヒ!、それじゃあこれから一時間後に聖像の彫刻を行ってもらう、惰性で行わず キチンと神に祈りを捧げて行うのだぞぉ?、ムヒヒヒヒ」

それまで大人しくしておけよぉ~?とダンカンはズシズシ嬉しそうな足音を立ててトリトンに続いて闇の奥へと消えていく、一時間後に聖像の彫刻か… さて

「どうしましょうか」

皆さんに問う、状況は最悪の中の最悪だ、けれど メグさんの目もアマルトさんの目も死んでいない、むしろ燃えている…トリトンが火をつけたから、こんな所で終われるかと燃えに燃えている

「決まってんだろ、便所から出るみたいに呆気なく外に出て 連中の鼻を明かしてやろうぜ」

「牢獄に入ると言う経験は得難いものですが、今は急ぎの用事があるのでゆっくりするのは後にしましょうか、早く出てしまいましょう」

「ですね、…外に出た後もエノシガリオスに向かう時間も考慮すると 最悪でも一ヶ月以内にでも外に出たい所ですが」

そう言いながらエリスは鉄格子を軽くコンコンと叩く、見てくれは錆びているが凄まじく硬い これはエリスが蹴り上げても壊れないだろう、ラグナでももしかしたら付与魔術無しではキツイかもしれない、壊すには煌王火雷招くらいの大火力が居るが この牢獄にいる限り魔術は使えないときたもんだ

次いで石の壁と床を叩く、触って分かる分厚さだ これは素手じゃどうにもならない、何処かで道具を手に入れても この硬度じゃ傷一つ付かないだろうな…

次に壁に耳を当てる、何か聞こえないかと耳を澄ませるが何も聞こえない…というかここは監獄のどの部分に当たるんだ?、遠目から見た感じかなり上方向に広そうだったが 話に聞くと地下にも空間があるらしい、よしんば外に出ても 上に向かっていいのか下に向かっていいのかも分からないんじゃ外に出ようがないぞ 

次に使えそうなものが無い独房の中を見るが、おそらく寝台と思われる簡素なベッドが四つと 蓋がしてある穴が一つ、多分トイレだろう…せめて男と女は分けて欲しいが ワガママは言えまい

軽くトイレの中を見るが…、うーん ここからは出られなさそうだな、汚いとかではなく汲み取り式だから何処かに通じてるってこともなさそうだ

「で?、脱獄のプロさん 何か分かったか?」

「脱獄のプロではないですが一つだけ」

「なんだ?」

「無理ですねこれ、凄まじい硬度で周囲を固めてあります、どうあっても出れません」

「そっかぁ~…」

参ったなぁこりゃあと空を見上げるアマルトさんはむむむと口をへの字にして考える、対するメグさんは…

「ふむ、では ここは先達に意見を伺いましょうか」

「先達?」

「ええ、おーい そこの方ー?」

そう言いながら胸元のボタンを引きちぎり投げつける先は向かいの独房、中に居るのは暗い顔をした囚人が四名 全員項垂れて絶望してるって顔だ、そのうちの一人の頭にボタンが当たり…

「うるせぇな…、騒ぐなよ…新入り」

「ごめんなさい 若いもので、貴方達はここに入れられてどのくらいでございますか?」

「はぁ?、もうどのくらいか…ここに居ると日にちの感覚が無くなるからな…、でももう軽く十年はここに居るよ」

そんなにか、そりゃあ絶望もするか…

「では、知っていますよね 以前ここに投獄されながら脱獄した唯一の例 山魔ベヒーリアの伝説を」

山魔モース・ベヒーリア、山賊の中の大山賊の名を持つ陸の魔王と恐れられる世界最悪の大犯罪者…、彼女はこのプルトンディースを唯一 脱獄した人物としても知られているんだ

エリスも一度会ったことがあるが、確かに彼女ならそれが出来るだろう と思えるほどに彼女の力は超絶している…、彼女は犯罪者だが 今のエリス達からすれば貴重な脱獄の前例、確かに彼女の話を聞くのは有用そうだな

しかし、ベヒーリアの話を聞いた向かいの囚人は鼻で笑い

「お前ら脱獄するつもりか?、やめとけやめとけ モースの奴は化け物だったから出来たんだ、素手でその鋼鉄の格子を片手で引き千切ってウロウロと監獄の中を何か探すようにうろついてある日、突然 思いついたかのように看守全員ぶっ飛ばし止めに来た神将カルステンもぶっ潰して外に出てったんだ、あいつの真似は無理だよ」

これ曲げたのか…、オマケに当時の魔女大国最強戦力である神将まで倒して…マジモンの怪物だなあの人

というか 何かを探すように?モースはこの監獄に何かを探しにきて それが見つからなかったから外に出た?つまり捕まったのもワザとか?、何を探してんだ?…

まぁそれはいいか、分かったのは エリス達にそれは出来ないということだ

「それにな、モースの前例が出来たせいで今のプルトンディースは歴史上類を見ない警戒態勢が引かれている、モースだってもしかしたら今の監獄からは出られないかも知れねぇくらいだ、それをお前らみたいなガキが出れるわけねぇだろうが、夢は見るなよ ここじゃ悪夢しか見れないぜ」

「そうですか、貴重なご意見ありがとうございます…、さて エリス様」

「ええ、…この独房から出るのは無理そうですね」

だとするとここから出される仕事の時間か 或いは休息の時間くらいしかチャンスはなさそうだ、今はとにかく情報を集めないと

エリス達はここでゆっくりしている時間はないんだから…

………………………………………………………………

それから全員が黙って何かいい案がないか、何か使えるものがないか考えているうちにあっという間に一時間が経ち この独房全域に鐘の音が鳴り響く

どうやら聖像を彫刻する為の時間が始まったようだ、なんて思っている間もなく直ぐに看守達が飛んできてエリス達の独房を一つづつ開けていった

「外に出ろ、仕事の時間だ」

「おや看守様、聖像を製造するお時間でございますか?」

「………………」

「今のギャグ一時間かけて考えたのですが」

「……外に出ろ」

「はい…」

メグさんのギャグにクスリとも笑わずエリス達を外に出す看守の顔をちらりと見るが、人間味が薄いな…囚人からの買収や取引を受け入れるって感じじゃなさそうだ、モースの脱獄を機にその辺も徹底したのだろう

エリス達三人は他の囚人と同じように手に枷をつけられ並んで歩かされる、左右にはすごい数の看守が武器を片手に睨みを利かせており ここからするりと抜けだしってのは無理そうだな

何より

「みんな、心を折られてますね」

「だぁな、威勢がいいのは何人かいるが…」

全員下を向いて絶望している、中にはエリス達と同じように外に出られないかと機を伺う人間もいるが…、長くここにいる人間ほど 心が腐っているようにも思える、それ程までにここは……

「おいそこ!私語を慎め!」

「おお、おっかねぇ…」

アマルトさんと軽く言葉を交わしただけで怒鳴られ萎縮する、怖ぁ…

喋る事も許されずエリス達が歩かされ向かう先はこれまた広大な空間だ、ボロい机と椅子がズラァ~~と並んだ空間 そこに看守の指示通り座らされると同時に エリス達の手を繋ぐ手枷が中頃からパチンと外れ 両手が自由になる

どういう仕組みだこれ…

「ム~ヒヒヒヒヒッ!、さぁて罪深き諸君!今日も仕事の時間だぁ~?、心を込めて 祈りを捧げ、己の罪を自覚しながらしっかりと掘るようにぃ~」

部屋のど真ん中でムヒムヒ笑いながら指示を飛ばすのはさっきの副監獄長ダンカンだ、彼の言葉を皮切りに大量の看守が雪崩れ込み 机に一つづつ頭ほどの大きさをした真四角の白岩石を置いていき

ん?、よく見ると机には彫刻刀と聖像の図面が書かれた紙が置かれてる…まさか

「一から掘るのぉっ!?」

「マジかよ、やべぇ~…」

まさかこの簡素な彫刻刀とハンマーで岩を削ってこの図面に書かれた像を作れと!?、しかも図面には完成図しか書かれてないし…!

「俺彫刻苦手なんだけど…」

「こういうのはニュアンスで良いのですよアマルト様」

「そうは言うがやるなら…ってもう始めてるし」

躊躇なく 即座にハンマーと彫刻刀を使いガリガリと削り始めるメグさん、相変わらず何をやらせても上手くやる彼女は巧みに道具を操りみるみるうちに形を作っていくのだ、手先が器用な人だなぁ

とはいえ、エリスも取り上げず彫刻を始める、真面目にやらなきゃまた何か言われそうだし…ってか、物凄い看守に見られてる、『見てるぞ?』と言うが如くジロジロと周囲の看守全員がエリスを見てる

…新入りだからかな、脱獄を狙ってるうちは注意されてそうだ

「………………」

コンコンと彫刻刀をハンマーで叩きながら周囲に注意を向ける、部屋の隅には数え切れない看守がウヨウヨ、変な動きを見せたら即座に飛んできそうだ、その手には剣やらなんやらの武器、オマケに看守達も神聖軍の例に漏れず屈強…、魔術抜きでやるなら 十数人くらいが限界かな

あとダンカンか、あれが強いかは分からないから取り敢えず置いておくとして…

問題は部屋の構造、窓の一つもない…ここの床も硬いし…、ここを脱獄に使うのは無理そうだ

(っていうか、この彫刻刀 上手くちょろまかせば脱獄に使えるんじゃ…)

ふと、手を止め彫刻刀を見る…、これがあれば ものを削ることが出来るよな、上手く服の中に隠して…

「やめときな、ここの作業が終わると同時に彫刻刀の数は改められるし、出るときにも持ち物の検査をされるからな、持ち出しは出来ねぇぜ」

「え?」

ふと、エリスの視線に気がついたのか 隣にいる男が声をかけてくる、見てみれば囚人服を着たスキンヘッドの男がニッと笑っている…え?誰

「えっと…」

「ああ、俺はティム しがねぇ極悪人さ、あんたらの独房の右斜め前に入ってんだ、よろしくな」

「え ええ、よろしくお願いします」

ティムと名乗る悪人ヅラの男は人好きするような快活な笑みを浮かべ 作業を止めずよろしくと宣う、右斜め前か…

「さっきの話聞いてたぜ、あんたら魔女の弟子なんだって?」

「ええそうですよ」

「マジの奴か?それとも名乗ってるだけか?」

「マジの奴…と言いたいが証明出来る物がないので判断は任せます」

「ふぅん、人を騙すって感じじゃねぇな、ならマジか 魔女の弟子って言えばすげぇ奴だろ?、なんでこんな所にいるんだよ」

「こっちが聞きたいですよ、エリスは無実なのに…」

「ははは、無実か ここにいる奴はみんなそう言うよ」

そう言うんじゃないんだが、でも 何をしたかは関係ないのか、エリス達はこの国の教皇と敵対している、ただそれだけで罪になるのなら エリス達は大罪人なのだろう

「まぁいいや、あんたら ………脱獄するのか?」

恐る恐る周りの目を伺いながら 小さく小声で、最新の注意を払いながら口にする、脱獄と…、聞いていたか まぁエリス達も隠してなかったしな、右斜め前なら聞いていてもおかしくないか

「ええ、そのつもりです」

「なら手伝ってやろうか?、俺ぁここに入って五年なんだ あんたらよりいろいろ詳しいぜ」

手伝いかぁ、うーん それはありがたいがこいつも犯罪者だろ…、何か裏がありそうだな

「見返りは?」

「おお分かってるねぇ、俺もさ いい加減外に出たいんだよ、俺も一枚噛ませてくれ、俺も一緒に外に出してくれ」

「………………、分かりました、いいですよ」

別にいい、今外に出るための手段を選んでいる暇はない…ってアマルトさん、そんな目で見ないでください、大丈夫ですよ 犯罪者を外に出すような真似はしません

道中案内させて、或いは外に出てから、またこいつをボコボコにして簀巻きにして監獄に送り返しますから、エリスはこの手の犯罪者は嫌いなんです…だってヘットと同じ匂いがしますからね

「話かわかるねぇ、なら 交渉成立だ…とはいえここは看守の目が鋭い、これが終わったら昼食時が来る そこならまだ話が出来るだろうから、その後いろいろ話そうぜ あんたらのお仲間さんも加えてよ」

「ええ、分かりました」

あんまり無駄話をしていると看守にバレる、ただでさえ注目されてるのに初っ端からコソコソするのは得策じゃないしね、今は聖像彫りに従事しよう

「よっと」

………………………………そうして、真四角の石材を掘って掘って掘り続けること三時間



三時間ぶっ通しで彫刻をさせられれば大の大人だってバテるし手が痛くなる、まぁエリスは鍛えてますからね なんならハンマーなんか使わず手で彫刻刀を押し込んでもいけるくらいだ

極限集中状態を維持すれば高いパフォーマンスを常に発揮し、常人では到底実現出来ない速度で掘り進めれば 三時間あれば大方の原型は作れるんだなこれが

(大分出来てきましたね…)

最初は嫌々やらされていた彫刻だが、やってみるとこれが意外に楽しい、普段からやっている魔力操作の訓練に通ずるものがあるような気がするんだ

常に集中し 深く考えながら力を調整する、エリスはこの分野は素人だけど 彫刻の道に歩む人の感覚が分かる気がしてしまう

少しづつ削って 出来上がった大方の原型を見て、そろそろ彫刻刀だけでは細かいディテールの再現が難しくなっていることに気がつく、そろそろヤスリが欲しいな…

「すいません看守さん」

「……なんだ、む…」

手を挙げ近くの看守に声をかけると意外にも普通に応対してくれることに気がつく、近づいてきた看守は出来上がりつつある聖像を見て やや驚いたように目を見開く、驚いたろう この速度で作れる人間は他にいまい

エリスは鼻高に手を差し出し

「聖像を細かく仕上げたいのでヤスリをください」

「…………構わないが、お前は何を作ってるんだ?」

「え?、聖像ですけど?この紙に書かれてる」

「立って餌を乞う豚にしか見えん、作り直せ」

「えぇ……」

そ そんな、豚にしか見えないって、どこからどう見ても救いを与える為 手を広げてる男性の像なのに…、まぁ ちょっと体が太くて手足が短くて、顔もまぁ鼻が少しだけ大きい気がするがそれはこれから調整するのであって…

「エリス、こうは言いたくねぇがもっともな意見だと思うぜ、俺は」

「あ アマルトさん…、この裏切り者…!」

なんだいなんだいみんなして、もういいですよ…

次の石材は自分で取りに行かねばならないらしく、エリスは渾身の聖像(みんな曰く豚の像)を廃棄して次の作業に取り掛かろうと彫刻刀を構える

次はみんなをあっと言わせるの作ってやるからな、見てろよ…

「エリス様は芸術の才能がないのですね」
 
「エトワールで何見てたんだお前」

「うるさいですね二人とも!彫刻刀で頭かち割りますよってああ!二人ともキレーイ!すごーい!」

「そこ!私語を慎め!」

ニタニタと笑う二人の手元の像を見ればこれがまぁ綺麗綺麗、なるほど そうやって作ればいいのか なるほど…、勉強になるなぁ…

なんて看守に怒られながら再び聖像の制作に取り掛かろうとしていると

「そこ!何をしている!」

「オッ!?!?」

突如鳴り響いた怒号にびっくりして変な声が出てしまう、びっくりした エリス達に向けられる注意の言葉の何倍も恐ろしい声が鳴り響室内が突如静寂に包まれる、ある一点を除いて

「チッ、バレたか!」

するとエリス達の少し前の方で作業していたイカついモヒカンの大男が看守に怒鳴られるなり慌ててその場から立ち上がり逃げ出そうと走り出す!その手にはヤスリと彫刻刀、そして 石材から乱雑に切り出したナイフが握られている

そうか、この石の端材を使ってヤスリと彫刻刀でナイフを削っていたのか!、それが看守にバレたんだ…!

「無駄だ!やめておけ!」

「うるせぇ!寄るんじゃねぇ!ぶっ殺すぞ!」

取り囲まれる大男は大振りの石ナイフを振り回し看守達を牽制する、あれは本当に無駄っぽいぞ、大男はかなり鍛えてあるみたいだが看守はもっと鍛えており更にガタイがいい、オマケに相手は鉄製の剣まで持ってるんだ 勝負にならない

「アイツは連続強盗犯のランバージだな、一週間前独房に入れられたやつだ」

するとティムが彫刻刀を握ったまま大男のことをエリスに教えてくれる、一週間前に入ったやつのことをそこまで事細かに知ってるなんて、こいつ 本当に情報通なのか

「強いんですか?」

「ああ、神聖軍の兵士の家に強盗に入って そこにいた兵士をナイフ一本で殺してるんだ、やると思うぜ 結構、だが…」

「だが?」

「まぁ見てな、この監獄が難攻不落と言われる所以の一つを」

するとティムは結果が分かってるとばかりにエリスにその光景をよく見るよう忠告する 

「来るな!来るな!、ぶっ殺すつってんだろ!」

「…………」

剣を構え躙り寄る看守達に向かって鋭くナイフを振り回して寄せ付けないランバージ、されどその周囲は完全に包囲されており逃げ場はなく……

そう、エリスが包囲する看守の隙間からランバージの様子を伺った瞬間のことだ

「ホホ~~~イ!」

間抜けな掛け声と共にボヨンと弾む音がする、それは軽やかに空中を舞い 包囲する看守を飛び越えランバージの真上まで飛び、あの大男を影ですっぽりと覆い隠すと…

「な な!?」

「ふんぬぁっっあ!!!」

飛んできた 鉄拳が、空を舞うそれが…ダンカンから、あの豊満な体からは想像もつかないほど軽やかに空中を舞い 遅鈍そうな体からは想像もつかないほど鋭い拳を空中にて放ち 筋骨隆々のランバージを殴りつけ

「うげぉぁっ!?」

押しつぶされるような血を噴いて地面に叩きつけられ 剰えエリスでも破壊出来ないと思わせる石材を砕いてランバージの体が地面にめり込むのだ

あ あいつ、あのデブ!強いのか!?

「ぐ…くそぉ!、ナメるな!デブがぁっ!!」

「ムヒヒヒヒ、デブゥ?分かっとらんなぁ こいつは鉄さえ凌駕する肉の盾、お前と違って俺も鍛えとるんよなぁ」

あの一撃を受けてなお立ち上がり 猛然と突っ込み石のナイフをダンカンに突き刺そうと刺突を繰り出すランバージ、しかし

「ふぅぅんっっ!」

そのブヨブヨの体を一つ ブルリと振るうと、まるで鉄球でも振るうかの勢いで贅肉が振るわれ 飛んでくる石のナイフを弾くと共に叩き折る、ただ太ってるだけじゃない 奴は必要に応じて太っているだけ、その贅肉の下には確かな筋肉があるのだろう

「な…嘘だろ…石のナイフが…!?」

「副監獄長に襲いかかるなど言語道断ぅ!、お前は懲罰房行きじゃあい!」

「ひ ひぃっ!」

ナイフの通じない体に、素手で挑むことなんかできないとランバージは踵を返し 包囲されている方向に逃げようとするも

「無駄無駄ぁ!、『ロックディストーション』!!」

両手を広げ 魔力を放ち繰り出す詠唱と共に大地がグネグネと蠢き始め…ってあいつ!?魔術使ってるぞ!?ど どういうことだ!?

「うわぁっ!?な 何だこれ!?くそ!ふざけんな!」

エリスの驚きも無視して、事態は進む

蠢き始めた石材はダンカンの意のままに動き、そして

「『スパイク』ッ!!」

「ぐぎゃぁっ!?

突如、蠢いた大地が隆起し 鋭い棘の群れとなってランバージの体を切り刻み その体を瞬く間に拘束してしまう

「ぁ…がぁ…」

「ムッヒヒヒヒ、俺に逆らうとこうなるのだぁ!、お前達も分かったら無駄な抵抗などやめるんだなぁ!」

そして トドメとばかりにダンカンは岩棘に拘束されるランバージを 岩ごと砕くように掴み上げ…、高らかに投げ飛ばす、それは緩やかな弧を描きこちらに飛んできて…え!?あ!こっち飛んできて!

「ぐぶぅっ!?」

悲鳴をあげてランバージがエリス達のすぐ横の地面に叩きつけられ力なく手を大の字に放り投げ気絶する、それと共に投げ出された腕が机に当たる…その机は

「あ……」

メグさんの机だ、一生懸命聖像彫りに集中し ようやく形が見えてきた彼女の作品は 手が当たり揺れる机の上でグラリと踊り、そのまま地面へ…

「なぁぁぁぁおぁぁあああああ!!!」

落ちた 当然 割れた、メグさんの三時間の結晶が いとも容易く粉々になった、あまりの事態に頭を抱えて立ち上がるメグさんだが、彼女の挙動に注目する者は居ない

「そいつを捕らえろ!懲罰房行きだ!」

「ハッ!」

一瞬だった、一瞬であの大男が制圧され 気絶した男はそのまま看守達に拘束され、そのままどこかへ連れていかれてしまう…

今のは岩石魔術…、それもかなりの練度だ、あまりの力に魔術発動と共にあそこまで大地がグネグネと揺らめくなんて 相当な使い手でもない限り起こりえない現象…

「あのデブ、強いのか…」

瞬く間に鎮圧された事態を前に 思わずアマルトさんが口を開く、するとティムが怪訝な顔で

「当たり前だろ、アイツは神将トリトンの補佐官だぞ…、オライオン最強の一人の右腕を務めてんだ 弱いわけがねぇよ」

ダンカンは言っていた、トリトン不在の折には自分がこの監獄の代表をしていると、それはつまりいざとなったら囚人を相手に戦うトリトンの代理を務められるということ、そして それだけの実力がある という事だ

弱いわけがない、神将の代理を務められるあの男が…でも

「あの、今魔術使ってませんでした?、ここ魔術使えないんじゃ…」

「それならなぁ、ほれ 見てみろトリトンの右腕、緑色の腕輪が嵌めてあるだろ」

そう言われ見てみれば、確かに右腕に緑色の結晶体のような物が輪っかになって腕に嵌められてる、何…あれ?

「…ん?、あれはまさか、魔解石リベレクス…ですか?」

「え?メグさん知ってるんですか?」

「ええ、見たことがあるだけですが…、あれは魔力を封じる魔封石の対になる魔解石の名を持つ魔石、当然持つ力も反対の魔力を外に押し出し形にする効果を持つ石にございます」

そんな石があるのか?、見たこともなければ聞いたこともないけれど…、そんな視線をメグさんに向けると静かに頷き

「ええ、あまり表に流通してませんからね、だって意味がありませんから 魔力を押し出し形にするなんて、あの石が無くても出来る上、ダイヤモンドに次ぐ硬度を持つ為加工も至難の技ですので」

確かに 必要ないな、平時ならばあの石の力を借りずとも魔術師ならみんな出来る、その上加工も難しいとなれば、そもそも需要が発生しないので当然市場にも流通しない、…だが その力は恐らく 限定的な環境で力を発揮できるのだろう、例えば

「しかし、魔封石の力の影響下にある…例えば魔封じの縄に縛られていたりこのような特殊な環境下なら、あの石の力は有効でしょう…なんせ 対になる力同士は反発しあい相殺される、つまり 魔封の力を無効化できるのですから」

「ああ、あれは監獄の中でも特別な地位に立つ囚人制圧隊の『死番衆』全員に付与されている…、つまり 他の奴らは魔力を使えないのに 相手だけ使えるんだぜ?、暴れても勝ち目がない」

死番衆…まぁいい、つまりそれがこの監獄を難攻不落として成立させている要因の一つか…でも

「つまり…あの腕輪があったら、ここでも魔術が使えるってことですね」

ならあれを奪えば…と、そこまで考えると ティムが手を振り

「やめときな、それを一体今まで何人の人間が思いついたと思う?それで何人実現出来たと思う?」

「…そうですね」

つまり、腕輪を奪うことを思いついた人間はこれまでごまんと居るが誰一人として奪うことが出来なかったのだ、事実ダンカンの実力はエゲツない 身体能力一つとっても凄まじく、その上魔術を使えるとあっては勝負にならない

襲いかかっても、逆に取り押さえられる可能性がある…というかそうなるだろう

「ムヒヒヒヒ!、おっと…もうこんな時間か よぉしお前達、今日の作業は終わりだ、キチンと道具を看守に返却してから退出し 三十分だけ食事をゆるぅす!、さぁ!早く動けぇ!ムヒヒヒヒヒヒヒ」

パンパンと手を叩き作業の終わりを伝えるダンカンの合図に従い エリス達は皆道具を看守に返却する、当然看守達も道具の数や状態を点検しており ちょろまかすのはティムの言う通り難しそうだ

もしバレたら、さっきのランバージのようにボコボコにされて何処かに…懲罰房に連れていかれるだろう

「はぁ、終わりかぁ…ダルぅ、肩いてぇ」

「大丈夫ですか?アマルトさん」

「大丈夫って言いたけどなぁ、この生活が何日続くかにもよるなぁ」

確かにそうですね、この監獄に刑期は無い、抜け出せなければこれを一生やらされる可能性もある…、それは嫌だな…、エリスはまた師匠に会いたい 会いに行くんですから

「ん?…」

ふと、揃って席を立つと メグさんだけが足元を見てボーッと立っているのが見える、その視線の先は…ああ 粉々になったメグさんの作品だ、かなり念入りに作ってたから 気に入ってただろうに

「……あの豚、地獄に送ってやる…」

ボソッと怖いことを言いつつもメグさんはエリス達についていくように退出する、怖いな…何よりも怖い、メグさんの目 エリスと戦った時よりも恐ろしい目をしてたよ…

………………………………………………………………

三時間も彫刻をやらされコリコリに凝った肩のままエリス達が次に向かわされたのは恐らく食事処と思われる巨大な空間だ、ながーいテーブルが其処彼処に並んでおり、既に別の作業場から向かわされていた他の囚人達が食事を始めているのが見える

ここで食事をとるのだろうか、なんて思ってるとなんか汚い四角い盆を持たされ 列に並ばされ歩かされる

なんなんだろうと思っていると 列の先には配給を行なっている看守がおり、次から次へと蒸した芋とか千切ったレタスとか茹でた肉とかがポンポン乗せられていき、最終的にはまぁ 人間一人くらいの腹なら満たせるだろうなってくらいの食事が与えられる

…ご飯は結構いいのが出るんだな…

「おーい!、あんたら こっちだこっち!」

列から解放され 自由な時間が訪れると共にティムが部屋の端っこで手を振っているのが見える、さっき言っていた脱獄の件だろう 上手く周りに聞かれないよう目立たず人気のないところを選んでいる辺り 彼も本気なのかもしれない

「アマルトさメグさん、行きましょうか」

「あの悪人ヅラの所か?、まぁ 取り敢えず上手く利用してやろうぜ」

「でも油断しないでくださいねエリス様、あの手の輩はヤバくなると率先して仲間を見捨てるタイプですから」

分かってますよ、とは言うが 正直不安だ、エリスはまだティムという男を理解し切れていない、だが奴という人間の人となりを理解している時間も絆を育む時間もない、博打に出る形にはなるが 今は奴を利用する道を選ぶことにする

上手くいけば、エリスたちが長い時間かけて行う所だった情報収集を、一発で終わらせることが出来るかもしれませんから

盆を抱えて、部屋の隅っこに到着するなり テーブルを挟んでティムの向かいに三人揃って座る

「へへ、こうしてみるとあんたら全員若いなぁ、魔女様ってのは そういう趣味があんのかい?」

「さぁな、で?そういう話をする為に俺たちここに呼んだのかい?」

「おっと 案外しっかりしてんな、まぁ待てよ 先ずは自己紹介と行こうぜ?、俺はティム あんたらは?」

「エリスはエリスです、孤独の魔女の弟子のエリスです」

「俺はアマルト…姓は聞くな」

「メグと申します、帝国にて従者長を務めております」

そう一人一人の自己紹介を聞くと…ティムはやや落ち込むように眉を下げ

「あんたら全員魔女の弟子なんだよな?」

「ええそうですけど、何か?」

「はぁ、いやもしかしたらあんたらのうちの誰かがあのメルクリウスかもって思ってな、世界一の富豪にして世界最大の商業ギルドのトップに恩を売れれば…と思ったんだが、そう上手くいかねぇか」

なるほど…こいつが声をかけてきたのはメルクさん狙いだったか、確かにメルクさんに恩を売れればそりゃあ凄まじい恩恵を受けられるだろうが、残念 メルクさんは丁度ここにはいないんだ

だが、こいつの狙いが知れたのは僥倖だぞ…

「そう落ち込まないでください、ここを上手く出れたら メルクさんに貴方の事を教えてもいいですよ」

「ま マジか!、アンタ…メルクリウスと知り合いなのか!」

「ええ、まぁ」

「知り合いどころか こいつはメルクリウスが同盟首長に就任した時の功労者、つまりメルクリウスにとって人生最大の恩人だ、エリスが言えばまぁ 豪邸の一つくらいはもらえるんじゃないか?」

「おお…!、こいつはついてるぜ!」

「ええ、なのでしっかり働いてください?」

なんてな、メルクさんには絶対に言わない 薄汚い犯罪者を彼女に近づけていいわけがないし、それにもし本当にティムの事を言え元正義の軍人であるメルクさんがそれを許すわけがない、最悪オライオンの監獄からデルセクトの監獄に移動するだけになるかも知れない

とはいえ、メルクさんの存在がこいつにとって都合がいいなら、それを手綱にこいつを御することも出来るだろう、ついてるのはこっちだ

「ああ分かったよ、…で?アンタら脱獄したいとは言ってたが この監獄のことはどこまで知ってる」

「何も、貴方は?」

「俺は大昔 仲間と組んで脱獄しようと企んだことがあってよ、その時隅から隅まで調べ上げてんだ…、だからこそ このプルトンディースの堅牢さもよく知ってる、はっきり言うが メチャクチャ難しいぜ?」

「構いません」

なんせ数千年前からあるにも関わらずつい最近まで一人の脱獄者も出さなかったんだ、その堅牢さは世界一と言ってもいいだろう、そこに挑む覚悟くらいはしてある

「そうかい、ならまず言うが 今俺達がいるのはプルトンディースの上層、全八十階層あるうちの五十八階だ、下に降りるにゃ階段は一つしかなく 常に階段には見張りが数百人規模で立てられている」

「なるほど…」

「おまけに十階層ごとに検閲所が存在し、ここで身分の証明をしない限り下には行けない」

つまり、エリス達が外に出るにはたった一つの階段を使って 無数の監視を逃れ、かつ 十回層ごとにある検閲所を計五回潜り抜けないといけないん ってわけか

難しいな…

「オマケに独房は常に十分間隔で見張りが巡回し、一人でも独房から姿を消せば 瞬く間に監獄全体で厳戒態勢が敷かれる、訓練された監獄犬や監獄の構造を隅から隅まで把握した精鋭が監獄全体を探し回るんだ…これから逃げられた奴は一人しかいない」

それがモースか、まぁ アイツは逃げたと言うより それらも諸々含めてぶっ飛ばして進んだんだろうけど

「で…だ、まぁ一番の障害は 一階に居るダンカンとトリトンだ、この二人が常に唯一の出入り口付近にスタンバイしてる、正直 どんな扉や壁よりもこの二人を超える方が難しい」

「そんなに難しいんですか?」

「ああ、外に出る為にはこいつらが持ってる鍵が必要なんだ、二つあるうちのどちらかを手に入れない限り 外へ通じる道は開かれない…だが、こいつらから鍵を奪うのはな…」

難しいだろうな、片やオライオン最強の神将 もう片方はその右腕、二人とも凄まじい強さを持ち その上向こうは一方的に魔術を使える、鍵を奪うのは不可能に近い

「これら全てを乗り越えて、ようやくお外に出ても 周辺は断崖絶壁の山の中、常に吹雪が吹き荒れ 外に出ただけで凍え死ぬ…、と ここまで障害を説明したが 何か質問は?」

「あー、俺達ここに入れられる時持ってた持ち物があるんだが、それってどこかに保管されてるのか?」

ふと、アマルトさんが声を上げる、エリス達の持ち及び服装だ、別に無くてもいいが あれも大切な装備、外に出た後もエノシガリオスを目指して進むなら必要になるものばかりだ、出来れば取り戻しておきたいが

「はぁ?、まぁ…地下に囚人の持ち物を預かる大部屋があるとは聞くぜ?、まぁ勿論厳重に施錠されていて侵入も難しい、諦められるなら諦めた方がいいと思うぜ?」

「こいつから貰った世界に一本しかねぇ短剣があるんだ、それだけでも取り戻したい」

そう言いながらアマルトさんはポンポンとエリスの肩を叩き…、ああ マルンの短剣の事か、あれは鍛治師マルンが残した最後の一本…同じ物は手に入らない、それに エリスがあげたものだから…か

嬉しい事言ってくれるなぁもう

「そうかい、なら それも手に入れるとしてだ…、他には?」

「あ、じゃあエリスいいですか?」

「なんだ?」

「この監獄 地下もあるんですよね、地下には何があるんですか?同じ独房?」

この監獄は上層だけでも八十階層もある、一階層に収容できるのが凡そ数百人規模である事を考えると 地下にもそれほどのスペースが必要とは思わないが…

「地下に独房はねぇよ、あるのは懲罰房だけさ」

「懲罰房…、さっきランバージが連れていかれた お仕置き部屋のことですか?」

「可愛い言い方だがその通りだ、この監獄にゃあ囚人を恐れさせる懲罰房がそりゃあたんまりあってな、膨大な地下空間全部使って 数百種類の懲罰を与える部屋があるのさ」

地下全部が懲罰房…か、まるでソニアだな、いやアイツはそれを趣味でやってたんだから アイツの方が異常か

「そんなに沢山の懲罰房が…、ちなみにどんな物が?」

「詳しくはしらねぇよ真面目にやってりゃ入ることのない部屋だからな、けど聞くところによると棒で滅多打ちにされたり 指の骨全部外側に曲げられたり 氷水に沈められたり火で炙られたり…、連中 神の名の下に与える罰は神の祝福である なんつってタガが外れたようにめちゃくちゃやりやがるんだ、その辺の拷問よか恐ろしいぜ」

おっそろしいな…、狂信の末に殺害も厭わない勢いで痛めつけるとは、最早それは懲罰では無く神罰だ、或いは処刑そのものだ…、表向きに処刑がないだけで 死なないわけじゃないんだ

すると、ティムが青い顔をし震えたかと思えば

「特に、一番おっかねぇのはこの監獄の一番底にあるって言われる『無界』だろうな!彼処に送られた奴は軒並み終わる…、精神がイかれてトイレの一つもマトモに出来なくなっちまう」

鞭や棒で叩かれるより、水に沈められるより火で炙られるより、どんな苦痛よりも恐ろしいと言われる最悪の地獄が この監獄の奥底にはあるという、そこに入れられたら最後 ただ心臓が動いているだけの死体にされ、食事も睡眠も 排泄の一つもロクに出来ない生きた死体にされてしまう

そんな恐ろしい空間があるとは…

「無界?、そこでは何をされるんですか?」

「何もされない」

「は?」

「何にもされないのさ、ただ暗ーい部屋に閉じ込められるだけだ」

「…………」

チラリとアマルトさんの目を見れば『まるで子供のお仕置きだな』とばかりに肩を竦める、暗い部屋に閉じ込められるねぇ エリスも昔 あの邸にいた頃されたことはある、確かに怖いが 今それをされても恐ろしいとは思わないが…

と 三人揃って呆れた顔をしていると、ティムは血相を変え

「ただ暗いだけじゃねぇ、音も 匂いも 光も 何も無い空間に閉じ込められるのさ!、触覚以外の全ての感覚を遮断される異常な状況に置かれる恐ろしさってのは半端じゃねぇ…、自分の体の中を流れる血の音や心臓の音がやかましく感じ 何もない暗闇の中で何かを探して彷徨い続ける恐ろしさは…入った人間じゃねぇとわからねぇんだ」

「随分詳しいな、入ったことあんのか?」

「ねぇよ、入ってたらここまで達者に口は聞けねぇ…、同じ独房の奴が入れられて その成れの果てを見たことあるだけさ…、ああはなりたくねぇ」

その感覚は分からないが、確かに恐ろしそうだ…何より入った人間全員が壊れてしまっているんだ、エリス達は大丈夫とはならないはずだ、入れられないよう注意しないと

「…脱獄がバレればそこに行く、それでもやるか?」

「ええもちろん、エリス達は行かなきゃいけないところがあるので」

「そうかい、なら 俺が温め続けた計画を…共有する、絶対他の奴には言うなよ」

「言いませんよ、……」

そう言いながら手元の盆の上に置かれた食材を木製のスプーンで掻き分けながら何かを用意するティムの様子を見て、何か違和感を感じる…嫌だな、こう言う違和感を感じる時 何か嫌なことが現在進行形で起こってたりするんだよな

だが今それについて思考している暇はない、エリスが黙っていても物事はどんどん進んでいくんだから

「まず…だ、俺達囚人が行く事が出来るのは独房と作業場とこの食堂だけ、このどれもに看守がいて かつ脱獄に繋がる物は何一つとして置かれていない、だが 一つだけ穴がある それが休息時間の間だけ行く事が出来るスポーツ場だ」

「スポーツ場?」

「ああ、罪人にもテシュタルの教えを守らせようとしてるからな、ほれ 外の人間はみんな何がしかのスポーツをやってるだろ?それと同じ事をするのを許されているのさ」

「へぇ、で?そこをどうすんだよ」

「落ち着け、…そのスポーツ場は看守も使用していてな、看守棟に直に出入り口が繋がっている唯一の場所なんだ、…上手くそこに忍び込んで 鍵を盗む、廃棄口の そこからなら危険ではあるが階段を使わず下の階層へと向かえる」

「廃棄口ってなんですか?」

「そのままの意味だよ、この監獄には囚人とはいえ一階層数百人規模…、全階層で見れば数千 数万人は住んでることになるんだ、其奴らが出すゴミを一々上の階層の奴らがえっちらおっちら下まで運んで捨てに行くと思うか?」

「なるほど、上から下へ 一瞬でゴミを捨てる為にある穴…それが廃棄口と、其方は何処へ通じているのですか?」

「一階にあるゴミの集積場だ、上手くゴミに紛れる事が出来れば 外に出られる」

つまり 看守棟に忍び込み 鍵を盗み、ゴミに紛れて外に捨てて貰えれば外に出られる、外に出さえすれば魔術が使えるから あとはなんとでもなるな、そこでだったらトリトンだろうがダンカンだろうが 相手に出来る筈だ

「だがなぁ、問題がいくつもある…、まず廃棄口は上から下まで一直線…当然ながら人が通れるようにはなってない、壁に張り付いて下まで降りなきゃならねぇ 五十八階から一階までな、それに上手く外に出られても ゴミ捨て場は断崖絶壁の谷の底 下手すりゃその下に投げ出される可能性もあるし…何より、看守棟に忍び込むのだって至難の技で」

「それなら問題ありませんよ、エリス達ならなんとでも出来ます」

壁に張り付くのも多分いける、崖の下に投げ出されても旋風圏跳で飛んでみんな助けられる、伊達にエリス達は鍛えてないんだ 行けるさ行ける、アマルトさんだけちょっと自信なさげな顔してるが それしかないならそこに行くしかあるまい

それに看守棟に忍び込むのだって…

「メグさん、行けますか?」

「見てみないとわかりませんが、多分行けます」

「マジか?あんたら魔女の弟子お得意の魔術も使えないんだぜ?」

「問題ございません」

そうだ、問題ないさ 何せメグさんは魔術無し…つまり魔女の弟子になる前の状態でも 帝国の警備をすり抜け皇帝の喉元まで迫った稀代の暗殺者、十数人の看守が見張る程度の看守棟に忍び込む程度 造作もあるまい

「すげぇな、魔女の弟子ってのはみんな超人集団なのか?」

「みんなではありませんが超人っぽいのは居ますよ」

ラグナとか…

「これは頼りになるぜ、鍵さえ手に入りゃこっちのもんだ…、そうと決まればとっとと飯を食ってスポーツ場に向かおう、へへへ ツキが巡って来やがった」

そう言いながら与えられた配給食をパクパクと食べ始めるティムに習い、エリス達も食事を始めようと 木製のスプーンを手に取った瞬間

「ギャアッ!?」

「え!?」

突如響いた轟音、倒れる机 砕ける椅子、散乱する盆と食材 鳴り渡る悲鳴、瞬く間に静かだった食堂は喧騒に包まれ 囚人も看守も問わずなんだなんだと騒ぎの中心を見る、そこには

「ぎゃああぁぁ!こ このイカれ野郎ぉっ!」

「ヒヒヒヒ…ヒヒヒ」

鋭い爪を持った男の手に滴る血、その足元には爪で腕を切り裂かれたであろう男がもがくように地面をジタバタと暴れ痛みに苦しんでいる

恐らく、あの不気味に笑う血色の悪い男が その爪で目前の男を引き裂いたのだ…、でもなんでそんな事を、喧嘩しているような様子もなかったし 本当に唐突にこんな血生臭い騒ぎが…

「またアイツ…、ドラードの奴かよ…」

「これで何度目だよ、やっと出てきたと思ったらまたこれか?いい加減にして欲しいぜ」

「イカれんなら他の奴みたいに魂ごと死んで欲しいぜ」

ドラード?、あの爪の男の名前か?、聞く限り騒ぎを起こしたのは今回が初めてじゃないっぽいが…、まぁいい ここは有識者に聞くとしましょうか、ティム?

「あれは?」

「ああ、狂人ドラード この五十八階層きってのイカれ野郎さ、元々は他国でギャングを率いてた立派なボスだったらしいが 看守に暴力を振って無界に入れられてから変わっちまった」

「え?あの人も無界に入れられてるんですか?でもさっき一度入れられたら精神を破壊されるって」

「ああ 大体の人間はな、だが偶に居るんだよ 無界に入れられても元気に動き回る奴が、でもおかしくなってる事に変わりはないから、また自分から問題起こして直ぐに無界に戻るよう動くんだ、結局 おかしくなってる事に変わりはないのさ」

無界に入れられると 気力を無くしただ呆然と動かなくなる者と時偶に気力を失わずされど狂気に呑まれ 暴力を振るって回る二種類の人間に別れると、結局どちらも狂ってる事に変わりはないが 迷惑度でいうと後者の方が半端ないな、何せ理由もなく他人に襲いかかるんだから

すると思ったら騒ぎを聞きつけた看守が飛ぶように現れて…

「何事だ!…ってドラード!またお前か!、再び無界に入れられたいのか!」

「ヒヒヒヒ、ああそうさ!入れてくれよ!彼処に俺を戻してくれ!、さぁ早く…早くしてくれよ!ヒヒヒヒ!!」

「くそっ、手がつけられん…!、なら望み通りにしてやる!来い!」

「ヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒッ!」

みるみるうちにドラードは拘束され どこかへと連れていかれ再び食堂は静寂に包まれる、ドラードはまるで抵抗する素振りも見せず 自ら進んで無界へと戻るように看守について行く…

「イかれてる、ああはなりたくねぇな」

全くとティムも周りも呆れ果てた目でドラードの成れの果てを見るが…、エリスにはどうにもそうは思えなかった…

(狂人?あれが?)

エリスは本当に狂った人間を何人か見てきたが、それにしてはドラードは些か正気なようにも見えた、だって狂ってる割にはやけに計算高い…、目的意識もしっかりしてるし 狂った人間とはエリスは呼べない気がする

だとしたらドラードは何をしているんだ?、分かっていて態と懲罰房に運ばれるなんて それこそ正気の沙汰じゃない…まるで考えは読めないが、多分エリスには関係ない

ドラードが何をしていようが エリスには関係ないんだ

「とりあえず食べたら直ぐに動こう、休息時間が終わっちまう」

そういうなりエリス達は再び食事を開始する、さっさと食べて行動を始めるんだ

ティムの話を聞くに 物さえ揃えばここから出るのに時間はかからなさそうだ、いきなりティムという人間を手元に置けたのはある意味ラッキーだったと言えるだろう

これなら直ぐにでもここから出て ラグナ達のようにエリスもエノシガリオスに向かえるだろう、…待っていてくださいね、師匠


……………………………………………………………………

プルトンディース大監獄、悪辣なる罪人を捕らえておくこの施設は 言い換えれば世界最大の居住施設とも取れる、その収容人数はあるいは帝国の箱庭さえ上回るかもしれない

人が生きるには相応の設備が必要だ、食事を取るための食堂と休息を取る寝室、まぁ寝室はあまり快適とは言えないかもしれないし 食堂だって息が詰まりそうなくらい狭苦しい

だがこのスポーツ場…、全八十階層全てに用意されたこの空間…、囚人が唯一自由に体を動かすことが許されたこの空間だけは違う、開放的で とても居心地の良い空間だ

まるで外を思わせる青い天井と壁には煌々と照明が輝き、心地の良い砂利が靴の裏を擦る、ここにいる時だけは 自分が囚人であることを忘れることが出来ると 囚人達にも人気の施設と言える

道具だってたくさん用意されている、サッカーでも野球でも ラグビーでもテニスでも、なんでも出来るし なんなら時偶に他の階層との対抗試合も行われることもあるし、囚人対看守なんて試合が執り行われる事もある

ここは自由だ、当然規律はあるが 規律があるからこそ自由は成り立つ、故に皆が皆自主的に規律を守って運動に勤しむここは この監獄で最も自由な場所とも言える

ここは自由だ、当然規律はあるが 規律があるからこそ自由は成り立つ、故に皆が皆自主的に規律を守って運動に勤しむここは この監獄で最も自由な場所とも言える

「でさー、さっき食堂で飯食ったじゃん?」

「はい、食べましたね」

「まぁ数こさえようって魂胆が見え見えな手抜き料理だったわけだけどよ、やっぱこの国は素材がいいよな、あんな手抜きで作ってもあそこまで美味くなるんだからさ、ズルイよ」

「あー…、でもただ単に手を抜いているのではなく テシュタルの教義に則って態とあまり手を加えてないだけでは?」
 
「そっか、そういやそんな教義もあったなぁ…」

ポーン ポーンと会話と共にボールを蹴り上げパスを回しながら言動共に意味のない行動に耽るエリスとアマルトさん、 そんな二人を眺めるようにボケーっと立つのはメグさんとエリス達の協力者 ティムだ

「特にあの蒸したじゃがいものマッシュ、美味かったなぁ、やっぱ素材よ素材」

「ですね、あれは良い素材を使ったペーストでした、あんなにいいじゃがいもが手に入ったら アマルトさんなら何を作ります?」

「えぇ~?俺~?、ん~俺はぁ~ やっぱポテトのテリーヌとかぁ?作ってみたいよなぁ、お前は?エリス」

「エリスはあれですね、特に何もせず蒸したじゃがいもの上にバターと塩を乗せて食べますかね、皮ごと食べられますし」

「野趣だねぇ~、っおっといいボール」

「おお、よく取れましたね今の」

「へへ まぁな」



「おいお前ら、何遊んでんだよ…」

おっと、じゃがいもトークに花を咲かせすぎたか 緊張感がないとばかりにティムからお叱りの言葉を受ける、とはいえエリスもアマルトさんもただ遊んでるわけじゃないんですよ?こうやって周りに溶け込むようにして周りを伺ってるんだ

むしろエリスから言わせればティムのようにあからさまに棒立ちしてる方が目立つってもんだ

「遊んでねぇよ、お前もカリカリすんなって」

「つっても、もう始まってんだよな」

「まぁな~」

エリスとアマルトさんでボール遊びをしながらこのスポーツ場の様子を伺った感じだが

独房のほぼ全員がスポーツ場に集まり 全員が何かしらのスポーツに興じているのが見て分かる、そして そんな囚人を監視する看守だが…、なんと彼らも囚人達と一緒にスポーツをして遊んでるんだ

やっぱ看守もスポーツが好きなんだなぁ…とは思わない、恐らくあれはこのスポーツ場の中にいる人間を監視する為 態と囚人達の輪に入っているんだ、ああすることで このスポーツ場を囚人の自由にさせないための抑止力になってるんだろう

そしてだ、当然ながら看守はスポーツ場だけにいるわけではない、スポーツ場の奥に塀が設けられており その向こうに巨大な要塞が如き監視塔が見える

これが想像していた監視塔よりもデカい、屋内にある要塞ともいうべき巨大さに幾多の窓から看守が顔を覗かせ 数多の看守達が行き来している、あの中に今からエリス達は鍵を取りに行かないといけないということだが

「んで、どうだい?メグ」

「そうでございますね、ザッと見た感じ 想像以上でございます」

「そうですか…」

想像以上か…まぁ確かに普通の監獄じゃありえないくらい厳重かつ、監獄の中にある監視塔にしてはあまりに巨大、いくらメグさんの想像を持ってしてもあれは…

「ええ、想像以上にザルでございます、本当にあの中に鍵が?だとしたらこの監獄のレベルも知れますね」

「…メグさん…!」

ニタリと笑いながら襟を伸ばすメグさんの目が、今 これ以上ないくらい頼もしい…、あれを前に臆するどころか欠伸の一つもかましてみせる、これが…空魔の生み出した最高傑作 皇帝が育て上げた無双の弟子…!

「では、軽く行って参ります お土産…期待していてください」

軽い礼を一つして見せれば、メグさんはフラフラと監視塔の方へと向かう…、エリス達の脱獄が 今始まった
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