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第一章

第三十六部分

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この日の午後は体育の時間である。
智流美は、授業に臨むに当たり、気合いを入れた。具体的には、エースストーカーと三度唱えて、体育に臨む智流美。
晴れたグラウンドで、マッチョな角刈りの体育教師が笛を吹いた。
「よ~し。まずは準備体操からだ。男女別々で二人一組でやれ。人数が余ったら男女一緒でもいいぞ。それ、スタートだ。ワハハハ。」
豪快に笑い飛ばして、パートナー探しが始まった。
女子たちはなかなかパートナーを探そうとしない。というのも、視線は玲駆に集中していたからである。
一方、智流美は一目散に玲駆の所に走り、そこで立ち止まった。
「彫り物背中がどうしてもって言うから、準備体操をしてあげるわ。」
智流美は視線を合わせることなく、玲駆の前でモジモジしている。
玲駆はそんな智流美の様子を見て、自分からグラウンドに座って足を伸ばした。
「ほら、前屈運動するぞ。背中を押してくれよ。」
「えっ。で、でもいきなり背中に触れるなんて、ハードルが高過ぎるわ。」
「こんな低い姿勢なんだぞ。簡単に超えられる山だろう。グズグズしないで、さっさとやってくれ。」
「わ、わかったわよ。それにしてもそばで見るとすごく広い背中だわ。ここに彫り物をすると、どれだけアートなのか。あああ~!」
智流美はひとりで悶え始めた。
「おいおい、どうしたんだ?」
「はっ。な、何でもないわ。ぎゅ、ぎゅ、ぎゅ。」
とりあえず、作業をこなした智流美に対して、女子同士のハズレくじ組が冷たい視線を送っていた。
「次は背中合わせになって柔軟体操だ。」
 角刈り教師は凛として指示を出した。
「ええっ。彫り物背中がアタシの背中にプリントされるっていうの?画像が写るんじゃ?いや待って。彫り物するのはこれからだからね。今ならやってもいいかも。」
「納得したのなら、それっ。」
玲駆は智流美を抱え上げた。
「あああ~!」
智流美の悶えレベルはさらに上がった。これは、ただの柔軟体操であり、何の問題もないハズ。しかし、白い目、ドス黒い視線のオセロゲームに身を埋める智流美。
角刈り教師は女子たちの異様な空気をまったく読めず、いつも通り大きな声を出した。
「今日は二人三脚をやってもらう。さっき準備体操をした相手とやってくれ。」
「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「「・・・。」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」」
憤っていた女子たちの空気が固まっって、巨大な異空間を発生させた。
「し、仕方ないわね。先生がアタシに懇願してきたんだから、二人三脚をやってあげてもいいわよ。」
「美散はいったい何様だよ。まあ体育の授業なんだからいいけど。」
玲駆が言い終わった時にはすでに、黄色のリボンを玲駆のジャージの裾に結び付けていた智流美。
「二人三脚と言えば、こういうことをやるのがスジよね。あ~れ~。」
わざとらしい悲鳴を上げつつ、倒れそうになる智流美。
「危ない!」
『彫り物背中はすぐさま抱きかかえて転倒防止行動を取る。』
「俺の行動を予言するのはやめてくれ。まだ美散自身が動いてないんだけど。」
「はっ。た、ただの独り言なんだから、盗み聞きなんかしないでよ。」
そう言った瞬間、智流美のからだは本当に傾いた。
「きゃああ!」
「危ない!」
『シュウウウ』という音と共に砂埃が舞った。
「大丈夫か。最近ちょっと様子がおかしいんじゃないか。心配させるんじゃないぞ。」
「はっ。・・・。」
智流美は、悪態をつこうとしたが、声を出すことができなかった。
「体調がよくないんだな。体育はサボリだな。」
玲駆は智流美をお姫様抱っこして、保健室に連れて行った。
「彫り物背中が、アタシのことを気づかってくれた。心に彫刻刀の木が生えたわ。」
花より強固な幹、根を生やす木が、智流美の中に大きな存在となったのは確かである。
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