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エピソード3:能力と葛藤 Ver.11
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未来本部エージェント養成学園での日々は、肉体的にも精神的にもユカを追い詰めていた。
しかし、同時にそれは、彼女の秘めたる共感覚をいや応なしに引き出す刺激でもあった。
体力訓練や感情コントロール訓練、記憶をたどる訓練を通して、ユカは自身の能力が単なる時間のズレではないことを痛感していく。
ある日、ユカは共感覚の新たな側面に直面する。
教官が差し出したのは、古い写真だ。
写っているのは、未来本部の伝説的なエージェントだったという美しい女性。
ユカが写真に触れると、鮮烈な感情が流れ込んできた。
それは、任務中の興奮と、人を魅了する自信、そして何かを意図的に操ろうとする強い意志だった。
「どうだ、里中。何か読み取れたか?」
教官が、ユカの顔をじっと見つめる。
「はい…とても強い感情が…興奮…自信…そして…誰かを…操ろうとしているような…」
ユカは、混乱した表情で答えた。
教官は小さく頷いた。
「その通りだ。彼女は、色仕掛けの専門家として活躍した。
相手の感情を読み取り、自らの魅力を最大限に利用して、情報を引き出す。
時には、対象者の感情を揺さぶり、自滅に追い込むことさえあったそうだ。」
「色仕掛け…ですか?」
ユカは、思わず息を呑んだ。
教官は冷たく言い放った。
「そうだ。お前は、これから色仕掛けで男を意のままに操る訓練を行う。」
ユカは、激しく戸惑った。
これまで純粋に能力の謎を解き明かしたいと願ってきたが、人を操るという行為は、彼女の倫理観に強く反するものだった。
「そんな…人を操るなんて…」
教官はユカの反論を許さなかった。
「任務のためだ。感情を読み取る能力を持つお前には、それができる。
我々の任務は、世界の秩序を守ること。
そのためには、あらゆる手段を講じる必要がある。」
ユカは、学園の訓練室で、男性型のアンドロイドを相手に色仕掛けの訓練を強いられた。
アンドロイドの表情は感情を表さないが、ユカの共感覚は、そこにプログラミングされた人間の感情のシミュレーションを読み取ってしまう。
訓練は、ユカにとって屈辱的で、精神的に大きな負担となった。
「もっとだ、里中! 相手の心の隙をつけ! 感情を逆手に取れ!」
教官の声が、訓練室に響く。
「で、でも…どうしたら…っ!」
ユカは歯を食いしばり、必死で指示に従おうと、ぎこちなくアンドロイドに微笑みかけるが、その表情はこわばっている。
「里中! なんだその顔は! まるで石像じゃないか!
見ろ、アンドロイドですら凍り付いているぞ!」
教官は、ユカのあまりにも不器用な色仕掛けに、呆れたように頭を抱える。
「もっと、相手を魅了するんだ!
そのアンドロイドが、お前のために何でもしたくなるように!」
「で、でも! 私に魅力なんてありませんっ! そもそも、こんな訓練…私にはできません!」
ユカは、顔を赤くして反論した。
「何を言ってるんだ! 貴様は、里中ユカだろうが!
まず貴様は、その整った顔立ち、透き通るような肌、そしてその真面目さ!
全てが人を惹きつける魅力だ!
そんなことも分からんのか!?」
ユカは、まさか教官が自分を褒め始めるとは思わず、「え…えっ!?」と目を白黒させる。顔がみるみる赤くなる。
「なっ…何を…!?」
「それに、今、赤くなっているその顔!
慌てて、言葉に詰まるその姿!
それこそが、お前の飾らない魅力だ!
男どもはそういうのが大好きなんだ!」
教官は、わざとらしく大きくため息をつく。
「筆記試験は満点なのに、実技はこれじゃ落第だぞ!
お前は、自分の魅力が何か、わかっていないのか!?」
「う…うるさいです! そんなこと言われても…!」
ユカは、恥ずかしさで顔を覆った。
「うるさいとは何だ! いいか、お前の魅力は、その澄んだ瞳と、内に秘めた熱い情熱だ! それを隠すな!」
「情熱なんて…私には…っ」
「ある! 無いと言うなら、私が引き出してやる!
いいか、今日の夕食はアンドロイドと二人きりで、恋人シミュレーションだ!
そこで、お前の魅力を存分に発揮してみろ!」
「えぇぇぇっ!?」
ユカの悲鳴が、訓練室に響き渡った。
その日の夜、訓練室の隅で落ち込んでいるユカに、レイが近づいてきた。
「…里中。訓練、うまくいかないのか?」
レイの言葉に、ユカはため息をついた。
「うん…。どうしたらいいのか、全然わからなくて。私、こういうの…本当に苦手なんだ。」
レイは、少しだけ考え込むような顔をした。
「…仕方ない。明日、特別講師が来るらしい。あの訓練の専門家だ。
その人に教えてもらうしかない。」
翌日、訓練室に現れた特別講師は、驚くほど若々しく、そして息をのむほど美しい女性だった。
年齢は30代くらいに見えるが、その立ち居振る舞いには、人を惹きつける不思議な魅力があった。
彼女が微笑むと、周りの空気が一変するような、そんな存在感だ。
「皆さん、こんにちは。今日から皆さんの色仕掛けの訓練を担当します、アザレアと申します。」
アザレアは優雅にお辞儀をした。
その声は鈴を転がすように美しく、聞く者を魅了する。
「お、おい…まじかよ…」
隣にいたタケルが、思わず感嘆の声を漏らした。
「…すご…」
ユカも、その美しさに目を奪われ、思わず呟いた。
彼女は、アザレアのような、落ち着いていて、それでいて大人の魅力を持つ女性に、漠然とした憧れを抱いていた。
アザレアは、ユカたちの顔を一人ずつ見て回り、やがてユカの前で立ち止まった。
「里中ユカさん…ね。貴女からは、とても澄んだ、だけど閉じられた感情を感じるわ。
それが、貴女の魅力であり、同時に弱点でもあるでしょうね。」
アザレアは、フッと優しく微笑んだ。
その笑顔に、ユカの心臓が少し跳ねる。
「さあ、まずは貴女から見せてちょうだい。
私が、貴女の魅力を引き出してあげる。」
アザレアの指導は、これまでの教官とは全く違っていた。
彼女は怒鳴るのではなく、ユカの内側にあるものを見抜こうとした。
「里中さん、貴女は誰かのために頑張れる人でしょう?
貴女のそのまっすぐな心こそが、最大の魅力なのよ。」
アザレアは、ユカの手を取り、優しく微笑む。
「色仕掛けというのは、単なるテクニックじゃないわ。
相手の感情を読み取り、その心に寄り添い、そして、貴女自身の心を少しだけ開くこと。
それが、人を惹きつける秘訣よ。」
アザレアの言葉に、ユカは深く考え込んだ。
「…私の心を、少しだけ開く…」
ユカはこれまで、自分の感情をあまり表に出してこなかった。
それは、両親を失った悲しみや、叔母からのプレッシャーに対する防衛反応だったのかもしれない。
しかし、アザレアは、そんなユカの閉じられた心こそが、人を惹きつける魅力だと言ったのだ。
ある日の訓練中、ユカはアザレアに尋ねた。
「アザレア教官…色仕掛けというのは、結局のところ、相手を騙すことなんですか?」
「騙す、という言葉は少し違うかしら。
確かに、目的のために感情を利用することはある。
でも、本当に大切なのは、相手の心に触れること。それがなければ、どんなテクニックもただの空虚な演技になってしまうわ。」
アザレアは、優しく微笑んだ。
「心を…触れる…」
ユカは、その言葉にハッとした。
アザレアは、ユカの目をまっすぐ見て、続ける。
「そう。貴女の共感覚は、それができるでしょう?
相手の感情を感じ、理解する。
そして、その感情の機微を読み取って、優しく包み込んであげるような…そんな魅力が、貴女にはあると思うわ。」
「優しく…包み込む…」
ユカは、アザレアの言葉に、じっと耳を傾けた。
「ええ。そういう魅力って、若い子にはなかなか出せないものなのよ。
人生経験を積んだ、年上の人が持つ魅力と似ているかもしれないわね。」
アザレアは、ユカの頭をポンと叩いた。
「あの…アザレア教官の言っていること、よく分かります。」
ユカは、ふと浩一叔父さんのことを思い出し、アザレアに話しかけた。
「私、義理の叔父がいて…その人が、いつも穏やかで、私が困っていると、優しく見守ってくれるんです。
何も言わなくても、隣にいてくれるだけで、すごく安心する。
そんな、包容力のある年上の人に、私も惹かれるのかもしれません。」
「ふふ、なるほどね。」
アザレアは、ユカの言葉に微笑んだ。
「それは、とても素敵なことだわ。貴女が感じるその安心感は、きっと貴女自身の優しさから来ているものよ。
そういう、年上の男性が持つ包容力に惹かれるというのは、自然なことだし、とても美しい恋愛観だと私は思うわ。」
アザレアの言葉に、ユカの心に、漠然とした「おじさん好き」という恋愛観が、はっきりと形を帯び始めた。
ユカは、アザレアの言葉を胸に、再び訓練に臨んだ。
アンドロイドを相手に、ただ演技をするのではなく、そのシミュレーションされた感情に触れようと試みた。
すると、不思議なことに、ユカのぎこちなさが少しずつ消えていく。
彼女の笑顔は、まだ完璧ではなかったが、以前よりもずっと、温かみを帯びていた。
「おお! 里中、今のはなかなか良かったぞ!」
教官が、珍しく褒め言葉を口にした。
「おいおい里中、もしかして、恋愛の才能、開花しちゃったんじゃねーの? 俺、なんだかドキドキしちまったぜ!」
タケルが、ニヤニヤしながらユカに近づいてきた。
「なっ…何を言ってるのよ! アンドロイド相手に…っ!」
ユカは、思わず顔を赤くした。
「そうかな~? なんか、ユカの顔、いつもより可愛いぞ!」
「はっ…はっ…可愛いって…タケル、変なこと言わないでよ!」
ユカが照れ隠しにタケルを小突くと、タケルはわざとらしく「痛ってー!」と叫び、訓練室に笑い声が響いた。
レイは、そんな二人のやり取りを少し離れた場所から見ていた。
普段は無表情な彼女の口元が、ほんのわずかに緩んだように見えた。
そんなある日のことだ。
ユカは訓練棟の片隅で、レイが一人、うつむいているのを見かけた。
いつもクールで、感情を表に出さないレイが、珍しく弱々しい表情をしていた。
「レイ…どうしたの?」
ユカがそっと声をかけると、レイはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、深い疲労と、言いようのない悲しみが宿っていた。
「…里中。私…また『可能性』を見てしまった。」
レイの声は、普段の無感情な声とは違い、重く沈んでいた。
「可能性…?」
「ああ。ある任務の…失敗の可能性。それに巻き込まれて、多くの命が失われる…」
レイの視線は遠く、その光景が彼女の脳裏に焼き付いているかのようだった。
「そんな…」
ユカは、言葉を失った。
レイの未来を見る能力が、必ずしも良いことばかりではないと初めて知った。
「未来本部エージェントは…私たちの任務は、常に代償を伴う。
誰かを守るためには、誰かを犠牲にすることもある。」
レイの言葉に、ユカの胸に重いものがのしかかった。
「…それが、エージェントの宿命…」
レイは自嘲気味に呟いた。
「感情を捨てろ、と教官は言う。だが、感情を捨ててしまえば、何のために戦うのか、何を守るのか…わからなくなる。」
レイは、ユカの目をまっすぐに見つめた。
「里中、お前はいつか、私と同じ葛藤に直面するだろう。
その時、お前はどうする?」
「レイ…お前、お前って今更だけどなんでお前なのよ!」
「お前はお前だろう! お前って呼ばれるのやだったのか?」
「いや、嫌じゃないけど…」
「ならいいじゃん! 嫌ならやめるよ!」
「いや、まあ…やめないで…」
レイは、小さくフッと笑った。
それは、この学園に来てから、ユカが初めて見たレイの心からの笑顔だった。
この学園に来てから、ユカの共感覚は日に日に鋭くなっていた。
人の感情、過去の真実、そして「色仕掛け」のような、今まで想像もしなかったような使い方も。
しかし、能力の開花と引き換えに、ユカはエージェントという存在の倫理的な側面、そして未来本部が求める感情の犠牲という大きなジレンマに直面し始めていた。
彼女の心の中で、かつてないほどの葛藤が芽生え始めていた。
しかし、同時にそれは、彼女の秘めたる共感覚をいや応なしに引き出す刺激でもあった。
体力訓練や感情コントロール訓練、記憶をたどる訓練を通して、ユカは自身の能力が単なる時間のズレではないことを痛感していく。
ある日、ユカは共感覚の新たな側面に直面する。
教官が差し出したのは、古い写真だ。
写っているのは、未来本部の伝説的なエージェントだったという美しい女性。
ユカが写真に触れると、鮮烈な感情が流れ込んできた。
それは、任務中の興奮と、人を魅了する自信、そして何かを意図的に操ろうとする強い意志だった。
「どうだ、里中。何か読み取れたか?」
教官が、ユカの顔をじっと見つめる。
「はい…とても強い感情が…興奮…自信…そして…誰かを…操ろうとしているような…」
ユカは、混乱した表情で答えた。
教官は小さく頷いた。
「その通りだ。彼女は、色仕掛けの専門家として活躍した。
相手の感情を読み取り、自らの魅力を最大限に利用して、情報を引き出す。
時には、対象者の感情を揺さぶり、自滅に追い込むことさえあったそうだ。」
「色仕掛け…ですか?」
ユカは、思わず息を呑んだ。
教官は冷たく言い放った。
「そうだ。お前は、これから色仕掛けで男を意のままに操る訓練を行う。」
ユカは、激しく戸惑った。
これまで純粋に能力の謎を解き明かしたいと願ってきたが、人を操るという行為は、彼女の倫理観に強く反するものだった。
「そんな…人を操るなんて…」
教官はユカの反論を許さなかった。
「任務のためだ。感情を読み取る能力を持つお前には、それができる。
我々の任務は、世界の秩序を守ること。
そのためには、あらゆる手段を講じる必要がある。」
ユカは、学園の訓練室で、男性型のアンドロイドを相手に色仕掛けの訓練を強いられた。
アンドロイドの表情は感情を表さないが、ユカの共感覚は、そこにプログラミングされた人間の感情のシミュレーションを読み取ってしまう。
訓練は、ユカにとって屈辱的で、精神的に大きな負担となった。
「もっとだ、里中! 相手の心の隙をつけ! 感情を逆手に取れ!」
教官の声が、訓練室に響く。
「で、でも…どうしたら…っ!」
ユカは歯を食いしばり、必死で指示に従おうと、ぎこちなくアンドロイドに微笑みかけるが、その表情はこわばっている。
「里中! なんだその顔は! まるで石像じゃないか!
見ろ、アンドロイドですら凍り付いているぞ!」
教官は、ユカのあまりにも不器用な色仕掛けに、呆れたように頭を抱える。
「もっと、相手を魅了するんだ!
そのアンドロイドが、お前のために何でもしたくなるように!」
「で、でも! 私に魅力なんてありませんっ! そもそも、こんな訓練…私にはできません!」
ユカは、顔を赤くして反論した。
「何を言ってるんだ! 貴様は、里中ユカだろうが!
まず貴様は、その整った顔立ち、透き通るような肌、そしてその真面目さ!
全てが人を惹きつける魅力だ!
そんなことも分からんのか!?」
ユカは、まさか教官が自分を褒め始めるとは思わず、「え…えっ!?」と目を白黒させる。顔がみるみる赤くなる。
「なっ…何を…!?」
「それに、今、赤くなっているその顔!
慌てて、言葉に詰まるその姿!
それこそが、お前の飾らない魅力だ!
男どもはそういうのが大好きなんだ!」
教官は、わざとらしく大きくため息をつく。
「筆記試験は満点なのに、実技はこれじゃ落第だぞ!
お前は、自分の魅力が何か、わかっていないのか!?」
「う…うるさいです! そんなこと言われても…!」
ユカは、恥ずかしさで顔を覆った。
「うるさいとは何だ! いいか、お前の魅力は、その澄んだ瞳と、内に秘めた熱い情熱だ! それを隠すな!」
「情熱なんて…私には…っ」
「ある! 無いと言うなら、私が引き出してやる!
いいか、今日の夕食はアンドロイドと二人きりで、恋人シミュレーションだ!
そこで、お前の魅力を存分に発揮してみろ!」
「えぇぇぇっ!?」
ユカの悲鳴が、訓練室に響き渡った。
その日の夜、訓練室の隅で落ち込んでいるユカに、レイが近づいてきた。
「…里中。訓練、うまくいかないのか?」
レイの言葉に、ユカはため息をついた。
「うん…。どうしたらいいのか、全然わからなくて。私、こういうの…本当に苦手なんだ。」
レイは、少しだけ考え込むような顔をした。
「…仕方ない。明日、特別講師が来るらしい。あの訓練の専門家だ。
その人に教えてもらうしかない。」
翌日、訓練室に現れた特別講師は、驚くほど若々しく、そして息をのむほど美しい女性だった。
年齢は30代くらいに見えるが、その立ち居振る舞いには、人を惹きつける不思議な魅力があった。
彼女が微笑むと、周りの空気が一変するような、そんな存在感だ。
「皆さん、こんにちは。今日から皆さんの色仕掛けの訓練を担当します、アザレアと申します。」
アザレアは優雅にお辞儀をした。
その声は鈴を転がすように美しく、聞く者を魅了する。
「お、おい…まじかよ…」
隣にいたタケルが、思わず感嘆の声を漏らした。
「…すご…」
ユカも、その美しさに目を奪われ、思わず呟いた。
彼女は、アザレアのような、落ち着いていて、それでいて大人の魅力を持つ女性に、漠然とした憧れを抱いていた。
アザレアは、ユカたちの顔を一人ずつ見て回り、やがてユカの前で立ち止まった。
「里中ユカさん…ね。貴女からは、とても澄んだ、だけど閉じられた感情を感じるわ。
それが、貴女の魅力であり、同時に弱点でもあるでしょうね。」
アザレアは、フッと優しく微笑んだ。
その笑顔に、ユカの心臓が少し跳ねる。
「さあ、まずは貴女から見せてちょうだい。
私が、貴女の魅力を引き出してあげる。」
アザレアの指導は、これまでの教官とは全く違っていた。
彼女は怒鳴るのではなく、ユカの内側にあるものを見抜こうとした。
「里中さん、貴女は誰かのために頑張れる人でしょう?
貴女のそのまっすぐな心こそが、最大の魅力なのよ。」
アザレアは、ユカの手を取り、優しく微笑む。
「色仕掛けというのは、単なるテクニックじゃないわ。
相手の感情を読み取り、その心に寄り添い、そして、貴女自身の心を少しだけ開くこと。
それが、人を惹きつける秘訣よ。」
アザレアの言葉に、ユカは深く考え込んだ。
「…私の心を、少しだけ開く…」
ユカはこれまで、自分の感情をあまり表に出してこなかった。
それは、両親を失った悲しみや、叔母からのプレッシャーに対する防衛反応だったのかもしれない。
しかし、アザレアは、そんなユカの閉じられた心こそが、人を惹きつける魅力だと言ったのだ。
ある日の訓練中、ユカはアザレアに尋ねた。
「アザレア教官…色仕掛けというのは、結局のところ、相手を騙すことなんですか?」
「騙す、という言葉は少し違うかしら。
確かに、目的のために感情を利用することはある。
でも、本当に大切なのは、相手の心に触れること。それがなければ、どんなテクニックもただの空虚な演技になってしまうわ。」
アザレアは、優しく微笑んだ。
「心を…触れる…」
ユカは、その言葉にハッとした。
アザレアは、ユカの目をまっすぐ見て、続ける。
「そう。貴女の共感覚は、それができるでしょう?
相手の感情を感じ、理解する。
そして、その感情の機微を読み取って、優しく包み込んであげるような…そんな魅力が、貴女にはあると思うわ。」
「優しく…包み込む…」
ユカは、アザレアの言葉に、じっと耳を傾けた。
「ええ。そういう魅力って、若い子にはなかなか出せないものなのよ。
人生経験を積んだ、年上の人が持つ魅力と似ているかもしれないわね。」
アザレアは、ユカの頭をポンと叩いた。
「あの…アザレア教官の言っていること、よく分かります。」
ユカは、ふと浩一叔父さんのことを思い出し、アザレアに話しかけた。
「私、義理の叔父がいて…その人が、いつも穏やかで、私が困っていると、優しく見守ってくれるんです。
何も言わなくても、隣にいてくれるだけで、すごく安心する。
そんな、包容力のある年上の人に、私も惹かれるのかもしれません。」
「ふふ、なるほどね。」
アザレアは、ユカの言葉に微笑んだ。
「それは、とても素敵なことだわ。貴女が感じるその安心感は、きっと貴女自身の優しさから来ているものよ。
そういう、年上の男性が持つ包容力に惹かれるというのは、自然なことだし、とても美しい恋愛観だと私は思うわ。」
アザレアの言葉に、ユカの心に、漠然とした「おじさん好き」という恋愛観が、はっきりと形を帯び始めた。
ユカは、アザレアの言葉を胸に、再び訓練に臨んだ。
アンドロイドを相手に、ただ演技をするのではなく、そのシミュレーションされた感情に触れようと試みた。
すると、不思議なことに、ユカのぎこちなさが少しずつ消えていく。
彼女の笑顔は、まだ完璧ではなかったが、以前よりもずっと、温かみを帯びていた。
「おお! 里中、今のはなかなか良かったぞ!」
教官が、珍しく褒め言葉を口にした。
「おいおい里中、もしかして、恋愛の才能、開花しちゃったんじゃねーの? 俺、なんだかドキドキしちまったぜ!」
タケルが、ニヤニヤしながらユカに近づいてきた。
「なっ…何を言ってるのよ! アンドロイド相手に…っ!」
ユカは、思わず顔を赤くした。
「そうかな~? なんか、ユカの顔、いつもより可愛いぞ!」
「はっ…はっ…可愛いって…タケル、変なこと言わないでよ!」
ユカが照れ隠しにタケルを小突くと、タケルはわざとらしく「痛ってー!」と叫び、訓練室に笑い声が響いた。
レイは、そんな二人のやり取りを少し離れた場所から見ていた。
普段は無表情な彼女の口元が、ほんのわずかに緩んだように見えた。
そんなある日のことだ。
ユカは訓練棟の片隅で、レイが一人、うつむいているのを見かけた。
いつもクールで、感情を表に出さないレイが、珍しく弱々しい表情をしていた。
「レイ…どうしたの?」
ユカがそっと声をかけると、レイはゆっくりと顔を上げた。
その瞳には、深い疲労と、言いようのない悲しみが宿っていた。
「…里中。私…また『可能性』を見てしまった。」
レイの声は、普段の無感情な声とは違い、重く沈んでいた。
「可能性…?」
「ああ。ある任務の…失敗の可能性。それに巻き込まれて、多くの命が失われる…」
レイの視線は遠く、その光景が彼女の脳裏に焼き付いているかのようだった。
「そんな…」
ユカは、言葉を失った。
レイの未来を見る能力が、必ずしも良いことばかりではないと初めて知った。
「未来本部エージェントは…私たちの任務は、常に代償を伴う。
誰かを守るためには、誰かを犠牲にすることもある。」
レイの言葉に、ユカの胸に重いものがのしかかった。
「…それが、エージェントの宿命…」
レイは自嘲気味に呟いた。
「感情を捨てろ、と教官は言う。だが、感情を捨ててしまえば、何のために戦うのか、何を守るのか…わからなくなる。」
レイは、ユカの目をまっすぐに見つめた。
「里中、お前はいつか、私と同じ葛藤に直面するだろう。
その時、お前はどうする?」
「レイ…お前、お前って今更だけどなんでお前なのよ!」
「お前はお前だろう! お前って呼ばれるのやだったのか?」
「いや、嫌じゃないけど…」
「ならいいじゃん! 嫌ならやめるよ!」
「いや、まあ…やめないで…」
レイは、小さくフッと笑った。
それは、この学園に来てから、ユカが初めて見たレイの心からの笑顔だった。
この学園に来てから、ユカの共感覚は日に日に鋭くなっていた。
人の感情、過去の真実、そして「色仕掛け」のような、今まで想像もしなかったような使い方も。
しかし、能力の開花と引き換えに、ユカはエージェントという存在の倫理的な側面、そして未来本部が求める感情の犠牲という大きなジレンマに直面し始めていた。
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